人魚ミイラの実態解明-圓珠院所蔵『人魚のミイラ』研究最終報告-
が観察できる。
・爪は動物の角質が使われている。
炭素14年代測定
剥離したウロコの年代は1800年代後半の可能性が高い。
蛍光X線分析
特別な防腐処理は施されていない。
DNA分析
DNAは検出できなかった。
科学調査のまとめ
圓珠院所蔵の『人魚干物』は、魚体部は、ニベ科の魚類の皮で覆われ、上半身は、布、紙。綿などの詰め物と漆喰様の物質を土台として、積層した紙とフグの皮でできており、1800年台後半ごろのものと推測される。
3D上半身回転
歴史・民俗の立場から
書付について
人魚のミイラと一緒に残されている書付から、円珠院の人魚に直接繋がる情報は得られていなかった。
書付には、人魚は『元文年間(1736(元文元)年~1740(元文5)年(徳川吉宗の治世で享保のあと)に、高知(土州)沖で漁網にかかったものが漁師によって、大阪に運ばれ、販売されていたものを、備后(備後)福山の小島直叙氏の先祖が買い求め、以後、小島家の家宝とした。明治36(1906)年11月に小島氏から小森豊治郎氏に売り渡した』とある。これらの具体的な人名などについて、確証のある情報は得られなかった。
日本に現存する人魚ミイラについて
・確認できるのは12体で、円珠院の人魚が13体目、岡山県内でさらに2体が確認された。