1954年に行われた第1回のアジア選手権では決勝で日本を下して初代王者に輝くなど、フィリピン野球は東南アジアどころかアジアでも屈指の伝統を誇る。
著者撮影
戦前から戦後にかけて、野球はフィリピンの国技ともいえる存在だった。ところが、同じくアメリカのスポーツであるバスケットボールの人気に押されて次第に衰退。プロリーグも存在せず今ではマイナースポーツのひとつに成り下がってしまっているが、長い歴史が積み重ねてきた財産は、依然として東南アジアでは別格の輝きを見せている。
そんなフィリピンの野球は、日本とのつながりも深い。10年ほど前にフィリピンで野球教室を開いたのが縁で関わることになった板倉国文氏は、代表監督などを歴任してフィリピン野球の発展に尽力。他の東南アジア諸国でも日本人の指導者が伝道者として活躍しているが、アメリカ野球に起源を持つフィリピンでも近年は日本野球の血が注がれてきた。
著者撮影
さらに、WBCの誕生がまた違った形での日本とのつながりも生んでいる。WBCは他の国際大会に比べてナショナルチームの基準が緩やかで、たとえば両親のどちらかが国籍を有していればその国の代表としてプレーすることができる。