2019年1月19日 12:30
今年を良い年にするための心持ち【ひとみしょうの余談ですみません】
説明責任が「社会的風潮」になったら、必然的に「説明しときゃあいいんでしょ」と考える人が出てきます。それだけならまだしも「説明したことがすべてです。他に情報はありません。だからこれ以上わたしの責任を追及されても困ります。追求してくれてもいいけど、同じ説明しかできません」なんて、ふてぶてしいヤツが出てくる。
恋愛とは感覚の集積
言葉、つまり意識が優位で、説明できないこと、つまり感覚が劣っている――暗黙のうちに、こういう社会的合意が形成されてしまっている社会に、わたしたちは住んでいます。
これっておかしいでしょ?
言葉で説明しなかったことはなかったこと――仕事なら、報告書に盛り込まなかったことはなかったことになる。だから、自分にとって都合の悪いことを隠そうと思えば、言い方を変えるか、言わないことにしてしまえば、いくらでも隠すことができる。
感覚を無視して意識だけが偉そうにしている。
恋愛って、言うなれば感覚の集積です。彼のことが好きだから彼にこれをしてあげたいと思う――この因果関係って、言葉では言い尽くせないですよね。なぜ「好き」と「してあげたい」という思いが結びつくのか、誰にも論理的に説明することはできない。