「連日、日本人選手の活躍が続く北京五輪ですが、愛子さまも、天皇皇后両陛下とご一緒にテレビ観戦されていると聞いています」そう語るのは宮内庁関係者。天皇ご一家は、長年ウインタースポーツに親しまれてきた。本誌は、愛子さまにスケートを指導してきた長久保初枝さんに話を聞いた。長久保さんは、2大会連続で五輪入賞を果たした日本女子スピードスケートの黎明期の第一人者だ。「愛子さまがスケートの練習を始められたのは幼稚園の年長のころだったと思います。フィギュアスケートをされていた佳子さまに憧れて『ジャンプを飛びたい』とおっしゃったこともあったそうです。私が足をケガしたため、途中から直接ご指導ができなかったのは残念でした。高3の3月に最後の練習をする予定でしたが、それもコロナ禍でできなくなってしまいました。コロナ禍が落ち着いたら、立派に成人された愛子さまとリンクでお会いしたいですね」そんな愛子さまがとくに応援されているのが、フィギュアスケートの羽生結弦選手だという。ソチ、平昌に続く五輪3連覇に挑んだ羽生は4位に終わったものの、誰も成功したことのない「4回転アクセル」に挑戦。惜しくも転倒してしまい、2分の1の回転不足と判定されたが、史上初めて4回転半として認定される歴史的なジャンプとなった。「実は8年前に、愛子さまと羽生選手にはある接点がありました。’14年7月、ソチ五輪の入賞者を招いて皇居宮殿で開催された茶会に、羽生選手も出席しました。中学生だった愛子さまは出席されなかったのですが、天皇陛下(当時は皇太子)に質問を託されていたのです」(皇室担当記者)陛下が愛子さまから預かっていた質問は「得意なジャンプはなんですか?」だったという。羽生は茶会後の取材で、このときのやり取りを明かしている。「僕はアクセルジャンプが好きなので『アクセルジャンプが好きです、得意ですということを(愛子さまに)お伝えください』と言わせていただきました」その言葉通りに、羽生はアクセルジャンプをさらに極め、4回転半にまで挑んだのだ。「コロナ禍が落ち着いてからになりますが、北京五輪終了後にも、入賞者を招いた茶会が開かれるでしょう。成年皇族となられたので、今回は愛子さまも出席されます。羽生選手との“8年越しの対面”を楽しみにされているのではないでしょうか」(前出・皇室担当記者)夢の対面へ、愛子さまの胸も高鳴るーー。
2022年02月19日「愛子さまは3月17日に初めての記者会見に臨まれます。非常にプレッシャーがかかる状況のなか、お一人で質問にお答えになります」そう語るのは皇室担当記者。「成年皇族の仲間入りをされた愛子さまには、皇室のイメージを刷新する存在として大きな期待がかかっています。注目が集まるゆえ、一言一句に神経を巡らさなければなりません」(前出・皇室担当記者)そんな“試練”を前に、愛子さまは現在、ひそかに準備を進めているという。宮内庁関係者が語る。「お父上の天皇陛下も、同じく20歳を迎えられたタイミングで初めて公式記者会見に臨まれています。それから40年以上、毎年会見を開かれていますから、ご自身の経験を愛子さまにお伝えになっているといいます。とくに記者への対応では“ユーモアを大切に”とお教えになっているそうです」陛下はお若いころから、答えるのが難しい質問に対しても柔軟に返答されていた。28歳の誕生日会見では、結婚の見通しを富士登山にたとえて「七、八合目ぐらいといったところでしょうか」「山頂は見えていても、なかなかそこにたどりつけないという感じ」と、お答えに。雅子さまとの婚約会見では、将来のお子さまの人数について質問を受けたが「コウノトリのご機嫌に任せて……というふうに申し上げておきましょう」とかわされた。お妃選びやお子さまに関しては、国民も大きな関心を持っている。陛下はそうした質問にも理解を示しつつ、ユーモアを交えて精いっぱいの回答をされてきたのだ。象徴天皇制に詳しい名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんはこう語る。「現在の天皇皇后両陛下は、ときにユーモアを交えながら、しかし真摯にメディアに対応することで、会見からその人柄が見えて、好意的な評価につながりました。記者会見では“敵対的”には見えないように、等身大で話すようにと、愛子内親王にアドバイスされているのではないでしょうか」3月の愛子さまの会見では、陛下ゆずりのユーモア返答術が見られるだろうか――。
2022年02月11日俳優の三浦翔平が2日、都内で行われた「サイバーセキュリティクラウド新CM発表会」に出席した。“世界中の人々が安心安全に使えるサイバー空間を創造する”という理念のもとサイバーセキュリティサービスを開発・提供するサイバーセキュリティクラウドは、三浦を起用した新CMを2月2日より公開。新CMは、近年急速に増えているサイバー攻撃に対してハッカー対策を啓発するというコンセプト。三浦は、完成したCMについて「ハッカーが身近に潜んでいるところを、わかりやすく作れたんじゃないかなと思っています」と感想を述べた。インターネットで怖いなと感じたことを聞かれると「怖いなというより、迷惑メールがよく来ることがありまして、嫌だなという思いはあります。(個人情報が)どこから流れているんだろうと思います」と答え、対策について「知らないアドレスは開けないです。すぐ削除する。見ないですね」と話した。これまで情報流出の被害に遭ったことはないという。流出したら困るものを聞かれると、「特にないです。もちろん仕事のメールとかスケジュールとかが漏れたらあまりよくないですよね。あと、家族の写真とかも嫌です。そんなにないですね」と答え、妻に漏れたらマズいことも「特にないです」と笑顔で返した。
2022年02月02日新年恒例の宮中行事「歌会始の儀」が、1月18日に皇居・宮殿「松の間」で行われた。愛子さまは学業優先で出席は控えられたが、初めて和歌を寄せられた。今年のお題は「窓」。皇族方は、どんな情景を、思いを詠まれたのだろうか。本誌皇室担当・近重幸哉記者が解説ーー。■雅子さま《新しき住まひとなれる吹上の窓から望む大樹のみどり》昨年9月に赤坂御用地から皇居の御所に引っ越しされた天皇ご一家。「昨秋からお住まいの御所の窓からは、上皇ご夫妻が大切にされてきた木々が望まれます。雅子さまは御所や周辺の林が、上皇ご夫妻によって美しく維持されていることに感謝し、そのお気持ちを詠まれたと感じました」(近重記者・以下同)■愛子さま《英国の学び舎に立つ時迎へ開かれそむる世界への窓》高校2年生の夏休み、ロンドン郊外のイートン校への短期留学のためイギリスへ。愛子さまはイートン校敷地内の寮で3週間お過ごしに。帰国時の笑顔に、充実ぶりが表れていた。「愛子さまは大学に通うことを控え、御所で勉学を中心とした生活をされています。こうした日々でもイートン校での思い出を大切にされ、コロナ禍の収束後には広く見聞を広めたいとの希望をお持ちなのだと思いました」■佳子さま《窓開くれば金木犀の風が入り甘き香りに心がはづむ》昨年10月、姉の眞子さんが結婚。佳子さまは眞子さんの結婚を応援されていた。「金木犀には『初恋』という花言葉があります。昨年10月、初恋を実らせ結婚した姉の眞子さんの心情を思われ、佳子さまは秋の深まりを知らせる金木犀の香りにも、喜びをお感じになったのではとの印象を受けました」歌会始の儀にグリーンのローブ・モンタントでご出席。今年は佳子さまのご婚約も注目される。
2022年01月29日1月18日に開催された歌会始の儀。天皇皇后両陛下の長女・愛子さまは《英国の学び舎に立つ時迎へ開かれそむる世界への窓》と、高校2年生の夏にイギリスのサマースクールに参加された思い出を詠まれた。愛子さまの初めてのお歌が披露された歌会始の儀で、ある方のお歌も注目を集めていた。《成人を姫宮むかへ通学にかよふ車窓の姿まぶしむ》なんと三笠宮家の寛仁親王妃信子さまが、愛子さまの成年を祝うお歌を詠まれたのだ。宮内庁が公表した解説文には、信子さまの愛子さまへの思いが熱烈に記されていた。《寛仁親王妃信子殿下には、愛子内親王殿下を、ご幼少時より深い敬意と愛情を持って見守ってこられました。昨年、愛子内親王殿下におかれましてはご成年を迎えられ、寛仁親王妃信子殿下のお喜びは誠に大きいものであります。ご立派に成長された愛子内親王殿下には、これまでにも増して、より一層学問に邁進されておられます。ご通学のため、お車にてお住まいの御所を颯爽と御発になる際の、お髪も綺麗に整われて健やかな愛子内親王殿下のご様子を車窓越しにご覧になった寛仁親王妃信子殿下のご心境をお詠みになったお歌です》宮内庁関係者は驚きを隠さない。「そもそも歌会始の儀で皇族方が、天皇家の長子とはいえ他家のお子さまを題材にお歌を詠まれるのは、かなり異例のことです。また、これまで信子さまは、天皇家と深い交流はなかったはずです。その信子さまが、愛子さまへのあふれ出る思いをお歌にこめられたということは、愛子さまにそれだけ大きな期待を寄せられているということでしょう」実は20年前、愛子さまご誕生時にも皇族方からお祝いの歌が贈られたことがあった。故・高松宮妃喜久子さまが『婦人公論』(’02年1月22日号)への寄稿で、《御生誕の日、胸に湧く思いを三首の歌に託しました》と綴られている。そのうちの一首は次のようなお歌だった。《あれましし内親王すこやかに育ちませ待ちに待ちたる今日のよろこび》お歌で愛子さまのご誕生を祝福された喜久子さまは、さらにこう綴られていた。《女性の皇族が第百二十七代の天皇さまとして御即位遊ばす場合のあり得ること、それを考えておくのは、長い日本の歴史に鑑みて決して不自然なことではないと存じます》喜久子さまは、“愛子天皇待望論”を語っていらしたのだ。「信子さまの熱烈な敬愛の念をこめたお歌は、20年前の喜久子さまの思いにも通じます」(皇室担当記者)■皇位継承問題は“政争の具”になってしまうのか一方で、愛子さまの人生に関わる皇位継承問題には、暗雲が立ち込めている。自民党内にもこの問題に関する懇談会が設置され麻生太郎副総裁が座長に就いたのだが……。「麻生氏は一貫して“男系男子”に固執しています。自民党としては、女性・女系天皇には触れないという方向で意見の集約を図るのでしょう。もう一つ、麻生氏が座長になった背景には、岸田首相の“大宏池会構想”があるといわれています。岸田首相は自民党最古参の派閥である宏池会の会長を務めていますが、麻生派も宏池会から分離独立した派閥。首相には、この機にもう一度“大宏池会”として団結し、安倍元首相が率いる清和会に対抗しようという狙いがあるのです。権力強化のために皇室の問題が利用されているという印象があります」(政治部記者)皇位継承問題は皇室のあり方、そして愛子さまの将来に関わる問題にもかかわらず“政争の具”になっているのだ。「皇室はただでさえ、眞子さんと小室さんの結婚問題で大きく揺れました。しかも政権与党は皇室の危機に真剣に向き合おうとしておらず、この状況を憂慮する声も少なくありません。そんななかで成年を迎えられた愛子さまを、全力でお支えしなければーー。皇室の中で、そういった機運が高まっているのです」(前出・宮内庁関係者)以前から、天皇陛下や雅子さまと関係が近かったのが、高円宮妃久子さまだ。「高円宮ご夫妻は、陛下と雅子さまのキューピッド役でもありました。’02年11月に高円宮憲仁親王が亡くなられてからも、久子さまは雅子さまが関心を持たれていた児童福祉問題に関する本を贈られるなど、親交を持たれていらっしゃいます。最近でも、’20年2月に「世界らん展」を両陛下と久子さまは一緒にご覧になっていますが、笑顔で歓談されていたのが印象的でした。国際派でさまざまなスポーツの振興にも取り組まれる久子さまのご活動は、愛子さまのご関心と重なります。久子さまは、いずれは愛子さまともご公務の席でご一緒することを楽しみにされているといいます」(前出・皇室担当記者)愛子さまへの声援は、皇室と関係の深い旧皇族や旧華族の人々からも聞こえてくるという。旧華族の女性はこう語る。「天皇陛下への尊敬の念は私の周りの人たちからも強く感じられます。そのご長女である愛子さまに天皇になっていただきたいという声もあるのです。けれども、いま心配なのは秋篠宮家の評判です。眞子さんの結婚の件だけでなく、秋篠宮家の職員は辞めていく人が多いという話も聞きます。秋篠宮家にまつわる問題で皇室にマイナスイメージがついてしまったいま、愛子さまに新たな“皇室の顔”になっていただきたいという声は、日に日に大きくなっているのです」力強い後押しを受けて、愛子さまは令和皇室の中で、ますます存在感を増していかれるだろうーー。
2022年01月26日《英国の学び舎に立つ時迎へ開かれそむる世界への窓》1月18日に皇居・宮殿で開催された歌会始の儀。愛子さまは学業を優先されて出席なさらなかったが、初めてお歌を披露された。高校2年生の夏休みに、イギリスのサマースクールに参加されたときの情景を詠まれたのだ。歌人の梅内美華子さんは「読む者の心にすっと届く和歌に感動を覚えました」と語る。「イギリスの学校での日々がいよいよ始まるという期待感が、清冽な言葉の響きと調べをもってうたわれています。まだお若いのに和歌の形式をご自分のものにしていらっしゃいます。愛子さまは古典文学をご専攻と伺いましたが、『学び舎』『開かれそむる』という和語、古語が用いられていて、言葉選びに品のよさ、センスが表れています」天皇陛下は、昨年に引き続き新型コロナの感染拡大の収束を願うお気持ちを詠まれた。《世界との往き来難かる世はつづき窓開く日を偏に願ふ》コロナ禍という、まさに現在進行形で世界の人々を苦しめる問題をテーマにされたお歌だが、梅内さんは、このお歌も伝統を踏まえたものだと語る。「天皇は古来、国土安寧、民の幸福を願い歌に詠んできました。そうした伝統を意識された和歌だと思いました。愛子さまは、未知のものに出合い、新しい交流が生まれ、ご自分の世界が広がっていくことを『窓』が開き始めるとうたってらっしゃいます。窓を比喩として詠まれているのは天皇陛下のお歌と共通していて、スケールの大きさと知性を感じました」これまでも、中学1年生のときに執筆された「看護師の愛子」の短編小説や、中学校の卒業作文「世界の平和を願って」などで、類まれなる文才をみせられていた愛子さま。初めて披露されたにもかかわわらず、和歌でもその才能をいかんなく発揮されたのだ。
2022年01月26日俳優の三浦翔平が20日、公式YouTubeチャンネル『三浦屋の翔へいへ~い』を開設した。同チャンネルは、インフルエンサーマーケティング企業であるMIHAの支援のもと、三浦のプライベートや仕事の舞台裏など、今まで見られなかった姿をコンテンツとして配信する。第1弾の配信動画として、三浦とスペシャルゲストが参加するライブ配信を30日(21:00~)に行う予定だ。コメントは以下の通り。■三浦翔平今回、MIHAさんとの取り組みを大変嬉しく思っております。今後YouTubeを通じて、私のプライベートや趣味、仕事の舞台裏などのコンテンツを、ゆる~く配信していく予定ですので、ぜひ楽しみにしていてください!!
2022年01月20日1月18日、新春恒例の宮中行事「歌会始の儀」が皇居宮殿・松の間で行われた。今年のお題は「窓」。成年皇族となられたばかりの愛子さまは、大学の期末試験中で出席は控えられたが、次の和歌を寄せられた。「英国の学び舎に立つ時迎へ開かれそむる世界への窓」愛子さまは学習院女子高等科2年生だった’18年の夏休みに、約3週間の英国短期留学をされた。愛子さまは留学当時に感じられた思いを、“初和歌”で表現されたようだ。「愛子さまはロンドンにあるイートン校のサマースクールに参加し、寮生活を送りながら英会話やイギリス文化を学ばれました。これは愛子さまにとって初めての留学経験となりました。約600年の歴史を持つイートン校の立派な建物を前に、愛子さまは『今、ここから世界が開かれようとしている』と期待に胸を膨らませていらっしゃいました」(宮内庁関係者)英国から帰国後、宮内庁を通じて「すべてが新鮮で、とても楽しく充実した滞在になりました」と感想を述べられていた愛子さま。留学に意欲的なのは、父である天皇陛下の影響もおありなのだろう。陛下は42年前の’80年2月、成年式を前に開いた宮内庁記者会で次のようにお考えを述べられていた。「海外へ出るってことは、これは非常に重要なことだと考えていますから、できるだけ機会があれば出たいと思ってます」その後、’83年から2年間にわたって英国留学をされた陛下は、出発前の会見で「広く世界に学ぶことに大きな意義を見出しています」と述べられていた。続けて「ヨーロッパという離れたところから日本を見つめてみたいと思っています」と、視野を広げる意欲も示されていた。新型コロナウィルスの影響で、大学のキャンパスにさえ足を運ぶこともできない日々を過ごされている愛子さま。海外で学べる機会が再び訪れることを、両陛下も願われていることだろう。
2022年01月20日日本全国で120万人の新成人が、大人としての門出を祝った1月10日。昨年12月、一足先に皇族として成年の祝賀行事を執り行われた天皇皇后両陛下の長女・愛子さまも、旧友たちと顔を合わせたのだが――。学習院関係者が残念そうに話す。「この日、都内のホテルで学習院女子高等科の卒業生による『二十歳の会』が催されました。2年前の卒業時の謝恩会もコロナ禍で中止になっており、彼女たちは再会を楽しみにしていました。愛子さまも、当初は出席される方向で調整されていたようです。しかし年明けから、オミクロン株の大流行で新型コロナの感染者数は再び急増。愛子さまが会場にお出ましになることはかないませんでした」それでも卒業生の8割ほどは会場に来ていたが、愛子さまはビデオ通話アプリのZoomで参加。会場のスクリーンにはZoomでの参加者の顔が映し出されたという。「画面に登場された愛子さまは純白に金の模様が入った振り袖をお召しになっていました。髪も着物に合わせてセットされていたのです。愛子さまのお姿が映し出されると、会場中が一瞬、息をのみ、そして歓声が上がりました。会場の出席者は色鮮やかな振り袖姿が目立ちましたが、それとは対照的な愛子さまの雰囲気に『まるで巫女さんみたいだね』といった声も聞こえました」(前出・学習院関係者)残念ながら愛子さまがお話しになる場面はなかったというが、在学時から人気者だった愛子さまは、いまも同級生から慕われていることがよくわかる。この同窓会でのエピソードに、宮内庁関係者は驚いた様子で語る。「愛子さまはこれまで、公の場で着物をお召しになったことはないはずです。会場にお越しになれないにもかかわらず和装で登場されたということで、愛子さまが旧友たちを大切にされるお気持ちが伝わってきます」これまで、「着袴の儀」でお召しになった童形服や、新年の挨拶に着用される「御地赤」をお召しになったことはあったが、そういった儀式の際の特別な着物を除けば、愛子さまにとって今回が“初”の着物姿といえそうだ。「会の催し物としては、有志による歌や演奏がありました。また中止となった謝恩会で流れるはずだったビデオも放映されたのです。このビデオは生徒が作ったもので、生徒全員が登場しているといいます。会場はたいへん盛り上がり、涙を流す出席者もいました」(前出・学習院関係者)高校卒業に際して、愛子さまは《多くの素晴らしい友人たちに恵まれて、とても楽しく充実した学校生活を送ることができました》とコメントを発表されていた。画面越しではあったが、旧友との再会を喜ばれたことだろう。
2022年01月18日俳優の三浦翔平が、7日(23:00~)にABEMAで配信されたバラエティ番組『私たち結婚しました 2』第6話に出演し、夫婦のペアルックについて語った。同番組は、韓国で2008年から約9年間レギュラー放送された国民的大ヒット番組『私たち結婚しました』を日本版にリメイクしたABEMAオリジナル番組。番組MCを千鳥のノブと三浦翔平が務め、シーズン2では、俳優・浅香航大とモデルで女優・トリンドル玲奈ペア、俳優・塩野瑛久と女優・足立梨花ペアの疑似結婚生活に密着する。7日の配信では浅香とトリンドル夫婦が赤のリンクコーデをしていたことを受けて、スタジオでは「夫婦でペアルックはありか?」がトークテーマとなった。MCの三浦は「全然着る分には大丈夫ですよ」と答え、「家の外でも?」と尋ねられると、「全然。(大丈夫)」「これが三浦家だけど逆になに? みたいな」と堂々とした様子で話した。また、ペアルックをためらわずにできるのは「結婚しているから」という意見でまとまると、ゲストの小島瑠璃子が「そうなんですよ、(付き合っていることがバレないように)なるべく街に溶け込もうとする」と同意。三浦からの「やっぱ、溶け込むの?」に小島は「溶け込めないから(週刊誌に)撮られる」と自虐モードで、さらにノブから「(撮られた枚数は)30枚でしたっけ?」と問われると「60枚です」と返して笑いを誘った。
2022年01月11日三浦大知が、全国ツアー『DAICHI MIURA LIVE TOUR 2019-2022 COLORLESS』を開催することを発表した。『COLORLESS』は2019年に無期限延期となった全国ツアーで、今回2年の時を経て2022年3月31日の埼玉・戸田市文化会館を皮切りに全国22会場・33公演が開催される。併せて、三浦は自身のInstagramでメッセージを投稿しており、待望のツアー開催ということが伺えるメッセージとなっている。■三浦大知 Instagramメッセージ「遂に、やります無期限延期になっていた「DAICHI MIURA LIVE TOUR 2019-2022 COLORLESS」2年かかりましたが、2022年3月31日から再開催する事を決断しましたタイトルは2年前と同じ、年号部分だけ2019-2022に変更しました内容は2年前から楽曲も増えていますのでもちろんブラッシュアップします誰もが予想しなかったこの2年みんな乗り越えてきましたよねそしてこの2年を通して、オフラインじゃなくても、オンラインでも、どんな形でも、音楽はエンターテイメントは全てを超えて、人と人を、心と心を繋げてくれるんだなと改めて強く感じましたでもだからこそ、オフラインライブがどれほど特別なものだったかという事も改めて強く感じましたそろそろ直接皆さんの元へ、COLORLESSツアーを届けに行っても良いでしょうか??もちろんまだまだ予断を許さない状況だと思いますしっかり感染対策をしながら、一緒に最高のライブを作っていけたら嬉しいです皆さんに"会場"でお会いできる日を心から楽しみにしています」<ライブ情報>『DAICHI MIURA LIVE TOUR 2019-2022 COLORLESS』『DAICHI MIURA LIVE TOUR 2019-2022 COLORLESS』告知画像3月31日(木) 埼玉・戸田市文化会館4月9日(土) 新潟・新潟県民会館4月10日(日) 新潟・新潟県民会館4月20日(水) 愛知・名古屋国際会議場 センチュリーホール4月21日(木) 愛知・名古屋国際会議場 センチュリーホール4月29日(金・祝) 熊本・熊本城ホール メインホール4月30日(土) 鹿児島・川商ホール 第1ホール5月6日(金) 石川・本多の森ホール5月7日(土) 石川・本多の森ホール5月13日(金) 岡山・倉敷市民会館5月14日(土) 鳥取・米子コンベンションセンター BiGSHiP5月18日(水) 東京・J:COMホール八王子5月19日(木) 東京・J:COMホール八王子5月24日(火) 福岡・福岡サンパレス ホテル&ホール5月25日(水) 福岡・福岡サンパレス ホテル&ホール6月1日(水) 広島・上野学園ホール6月2日(木) 広島・上野学園ホール6月7日(火) 宮城・仙台サンプラザホール6月8日(水) 岩手・岩手県民会館 大ホール6月13日(月) 大阪・フェスティバルホール(大阪)6月14日(火) 大阪・フェスティバルホール(大阪)6月20日(月) 京都・ロームシアター京都 メインホール6月21日(火) 京都・ロームシアター京都 メインホール6月29日(水) 東京・東京国際フォーラム ホールA6月30日(木) 東京・東京国際フォーラム ホールA7月6日(水) 青森・リンクステーションホール青森7月7日(木) 秋田・能代市文化会館7月14日(木) 香川・レグザムホール 大ホール7月15日(金) 愛媛・松山市民会館7月20日(水) 静岡・アクトシティ浜松 大ホール7月21日(木) 静岡・アクトシティ浜松 大ホール7月25日(月) 北海道・札幌文化芸術劇場 hitaru7月26日(火) 北海道・札幌文化芸術劇場 hitaru※全22会場・33公演【チケット料金】全席指定:7,700円(税込)ファミリー席:7,700円 ※ファンクラブ先行受付のみ※3歳未満入場不可 / 3歳以上のお子様はチケットが必要となります。オフィシャルHP:<リリース情報>三浦大知 DVD / Blu-ray『Choreo Chronicle 2016-2021 Plus』2022年1月26日(水) リリース●DVD:5,500円(税込)●Blu-ray:5,500円(税込)※初回スリーブ仕様【収録内容】01. Cry & Fight -Music Video-02. Cry & Fight -Dance Edit Video-03. Yes & No, Forever & Always -Choreo Video-04. (RE)PLAY -Music Video-05. (RE)PLAY -Dance Edit Video-06. Look what you did -Choreo Video-07. EXCITE -Music Video-08. Darkest Before Dawn -Music Video-09. U -Music Video-10. Complex -Choreo Video-11. DIVE -Music Video-12. Be Myself -Music Video-13. Blizzard -Music Video-14. I’m Here -Music Video-15. COLORLESS -Choreo Video-16. Antelope -Music Video-17. Yours -Choreo Video-18. Backwards -Music Video-19. Backwards -Dance Edit Video-20. About You -Choreo Video-21. Spacewalk -Music Video-22. Didn’t Know -Performance Video Front Row Ver.--Bonus-23. Not Today -Choreo Video-24. Le Penseur -Choreo Video-【店舗別特典】・ポストカード(A5サイズ)【DAICHISHIKI CD・DVD OFFICIAL SHOPオリジナル特典】・2022年 卓上カレンダー予約リンク:<配信情報>「Le Penseur」配信中配信リンク:三浦大知「Le Penseur」Choreo Video「新呼吸」配信中配信リンク:関連リンク三浦大知 オフィシャルサイト:三浦大知 オフィシャルファンクラブ「大知識」:三浦大知 YouTube:三浦大知 Twitter:三浦大知 Instagram:
2022年01月09日12月1日に20歳の誕生日を迎えられ、成年皇族となられた愛子さま。誕生日に公開されたお写真のグレンチェックのジャケットをお召しになった姿が、「大人っぽくなられた」と注目を集めた。「愛子さまはウェーブとナチュラルの間ぐらいの、スイート甘辛ミックスタイプの骨格の方。大きめのチェック柄がとてもよくお似合いになっていますね」このように愛子さまの骨格を分析するのは、パーソナルカラーや骨格タイプの診断を行う株式会社カラークチュールの高橋利予先生(高ははしごだか)。「大人っぽい雰囲気になられましたが、骨格から分析すると基本的には可愛らしいファッションがお似合い。ですからお誕生日のときのジャケットは、ダブルのジャケットで大正解。逆に、シングルのジャケットは苦手かもしれません」天皇陛下は、愛子さまと同じソフトタイプ。雅子さまは骨格ストレートのクールタイプだという。「愛子さまはグレンチェックのジャケットにフレアスカートを合わせられていますが、クールタイプの雅子さまだったら、タイトスカートやパンツを合わせるでしょう」天皇陛下譲りの骨格の愛子さま。ただ、雅子さま譲りのクール要素もお持ちだという。「可愛らしいなかにも少し“辛口”が入るとベスト。お顔立ちも日本的な美人さんなので、フリフリというよりは、シックさを意識した、“甘辛ミックス”が洗練スタイルにお約束です」【監修】
2021年12月29日12月1日に20歳の誕生日を迎えられ、成年皇族となられた愛子さま。誕生日に公開されたお写真では、ナチュラルメークを施され、美しく成長された姿が注目を集めた。「愛子さまは目の下から唇までの“感情ゾーン”が大きいです。一般的に“感情ゾーン”が大きい人は、“他者から認められること”を重視する傾向があります。褒められれば褒められるほど伸びていくという特徴があるので、周囲から『綺麗』『お美しい』と言われることでさらに輝いた女性になっていかれるでしょう」愛子さまの美しさの理由をこのように分析したのは、日本で唯一、相貌心理学の教授資格を持つ佐藤ブゾン貴子先生。11月29日には『あなたの顔には99%の理由がある』、12月23日には『ビジネスは顔が9割』と、2冊続けて新刊が発売された。相貌心理学とは、顔の輪郭やパーツ、肉付きなどからパーソナリティーを分析するものだ。「肉付きは他者に対する寛容性を表しますが、唇やまぶた、涙袋もふっくらとされている愛子さまは、おおらかな性格の持ち主。いっぽうで、目元は切れ長で涼やかな印象。これは繊細さを表すので、愛子さまは“おおらかさ”と“細やかさ”を併せ持つ女性と言えます」歯列矯正をされて整った歯並びが注目されていた愛子さま。歯列矯正は顔相に影響があるのだろうか。「歯列矯正の直後には顎の周りにちょっとした変化が出ることはありますが、表情筋の動きによって肉付きは再形成されます。顔立ちには内面が出てくるので、歯列矯正によって分析結果が大きく変わるということはありません」また、愛子さまの優しげな目元は、カメラでいうと“フォーカス機能”と同じような働きをするという。「まぶたはふっくらと柔らかな印象。さらに目頭の切れ込みもキリッと入ってらっしゃる。これらの特徴は、“目の前の出来事で何が重要なのか”を見極める能力に、非常に長けてらっしゃるということです。さまざまな判断力が試されるリーダー向きと言えるでしょう」世間では、愛子さまが天皇になることを望む“女帝待望論”が聞かれるが、もし実現すれば、きっと立派に務められることだろう。
2021年12月28日「19年まで3連連続して『紅白』に出場していた三浦大知さんですが、2年連続落選。それでも来年は確実視されているんです」(音楽関係者)歌手・三浦大知(34)といえば圧巻のパフォーマンスで知られる。「19年2月24日の『天皇陛下御在位三十年記念式典』では天皇陛下が作詞、皇后陛下が作曲された琉歌「歌声の響」を歌唱したことでも有名です」(音楽関係者)プライベートでは、今月9日の自らのインスタで第3子誕生を報告。《いつの間にやら五人家族になりましたが、忙しない日々を丁寧に愛をもって過ごしていきたいと思いますまだまだ精進します》と決意表明していたが、人気や実力があっても必ずしも出られるとは限らない『紅白』。2年連続で選ばれなかった彼が「来年は確実視」されている理由とは――。「三浦さんは新曲『新呼吸』がNHK『みんなのうた』の今年12月~来年1月の放送曲に決まっています。ただ、これが理由ではありません。実は来春からの朝ドラ『ちむどんどん』の主題歌に内定しているようなのです」(前出・音楽関係者)沖縄が本土復帰50年を迎える2022年。連続テレビ小説 第106作『ちむどんどん』は、沖縄に生まれ育ったヒロインと兄妹たち家族が描かれる。主演は黒島結菜(24)で10月中旬にクランクインしている。「沖縄が舞台ということもあって、ヒロインは同県出身の黒島さんが選ばれています。そのため、主題歌も沖縄出身のアーティストが担当することになり、三浦大知さんが最有力候補だといいます。半年ほど前から打診しており、すでに楽曲もできあがっているようです」(NHK関係者)今年の『紅白』では朝ドラ第104作『おかえりモネ』の主題歌『なないろ』を歌ったBUMP OF CHICKEN、第105作『カムカムエヴリバディ』の主題歌『アルデバラン』を歌ったAI(40)がともに出場する。「朝ドラ主題歌に選ばれた場合は、『紅白』は内定しているも同然。よほどのアクシデントがない限りは、出演することになるでしょう」(芸能プロダクション関係者)来年は改修済みとなる新たなNHKホールで大晦日、三浦の熱唱姿は見られるのだろうか。
2021年12月27日12月1日に成年を迎えられた愛子さま。《本当にお綺麗》《まさしく皇族の品格と美しさ》と、SNS上には絶賛の声があふれ「愛子さまを天皇に」と期待する識者も少なくはない。だが、“天皇の娘”としてお生まれになった愛子さまも、一人の少女であったことに変わりはない。皇室、そして日本を背負うというご覚悟は、いったいどのように芽生えたのか。苦難を乗り越えた20年を追うと、そこにはどんなときも支え合う家族の姿があった――。愛子さまが2歳の誕生日を迎えられた直後の‘03年12月、雅子さまは帯状疱疹を発症されて入院。療養生活に入られ、翌年には適応障害と診断された。雅子さまの適応障害は、すぐには回復せず、大半のご公務は陛下が単独で出席される状況が続いていた。ご公務への欠席が続くと、雅子さまへの風当たりはますます強くなっていく。「適応障害の療養のためには、ストレスの原因となっている環境から離れ、楽しめること、自信を持って取り組めることを増やしていくことが大切だといわれています。そこで乗馬や国連大学での聴講といった活動を始めたり、ご友人と食事をしたりされたのですが、こういった“私的外出”が批判の的とされてしまったのです」(皇室担当記者)そんな中、愛子さまにも異変が起こる。学校に登校することができなくなってしまったのだ。’10年3月、初等科2年生のころだった。教室を走り回ったり、大声を上げたり、物を投げたりするといった乱暴なことをする児童がいて、愛子さまは強い不安を感じられたという。腹痛といった身体的な不調もあった。雅子さまは、学校に不安を抱く愛子さまの登下校に付き添うことを決められた。初めは授業を受けるのは1時限だけ、昼食は別室で雅子さまと一緒に、というような不規則な形ではあったが、雅子さまのサポートのおかげで愛子さまはだんだんと登校の頻度や、学校にいられる時間も増えていった。「その一方で、一緒に登校される雅子さまと愛子さまは“母子密着”などと評され、批判的に報じられることが増えていきました。とくに波紋を呼んだのが’11年9月、2泊3日の山梨県・山中湖村での校外学習への付き添いでした」(前出・皇室担当記者)このとき雅子さまは児童のバスとは別車両で追いかけ、ハイキングにも30分ほど遅れて同じコースを付いていかれた。同じ場所にいることで、愛子さまが少しでも安心して過ごせるようにという思いからだった。だが、この行動に批判の声はさらに大きくなる。校外学習を終えた数日後に開かれた東宮大夫の会見では、宮内庁担当記者たちから「付き添いの形があまりにも異常」「極めつけの茶番」などと、厳しい苦言が発せられたという。■愛子さまを守る“唯一の方法”だった雅子さまはこの年の誕生日のご感想で、愛子さまへの付き添いについて自ら説明されている。《昨年から、皇太子殿下とご相談をしながら、どうすれば愛子が安心して学校に通うことができるようになるか、そのために、親として何をしてあげられるのか、日々考え、力を尽くしてまいりました。学校とも相談を重ねてまいりましたが、愛子の学校への付き添いは、与えられた状況の中で唯一取れる可能性として続けてきたものでした》雅子さまはご自身の行動が愛子さまを守る“唯一”の方法であったと、きっぱり主張されたのだ。そして山中湖での校外学習についても《お友達の皆さんととても楽しく参加できたことが、学校生活に戻っていく上での大きな自信と励みになったように感じております》と、その意義を強調された。精神科医で立教大学教授の香山リカさんは、雅子さまのサポートは不可欠だったと語る。「とにかく何があっても両陛下が、親として娘を絶対に守るということを身をもって示されたことで、愛子さまは『何があっても私は大丈夫』という安心感を得ることができたのではないでしょうか。それが、愛子さまが自信を取り戻すことにもつながったのではないかと思います」雅子さまの、まさに身を挺したサポートが実を結び、愛子さまはお一人での登校ができる日も増えていった。《天皇皇后両陛下には、これまで愛情深く大切に育ててくださり、どのようなときも一番近くで支えてくださいました》成年にあたってのご感想に、ご両親への感謝を綴られた愛子さま。そして《一つ一つのお務めに真摯に向き合い、できる限り両陛下をお助けしていきたいと考えております》と、成年皇族としての決意を表明された。両陛下の愛に応えるように、これからは愛子さまが両陛下を支えていかれることだろう。
2021年12月25日純白のローブ・デコルテをお召しになった愛子さまが、皇居・宮殿の車寄せにお出ましになると、一斉にカメラのシャッターが切られ、フラッシュがたかれた。一歩一歩、慎重な足取りではあったが、視線を一身に浴びてもその表情は晴れやかだった。頭上のティアラよりも、愛子さまの笑顔は輝いていた──。12月1日、天皇皇后両陛下の長女・愛子さまは20歳の誕生日を迎えられた。そして、5日の祝賀行事では陛下から勲章を授与され、成年皇族の一員となられたのだ。《天皇皇后両陛下には、これまで愛情深く大切に育ててくださり、どのようなときも一番近くで支えてくださいました》成年にあたってのご感想に、ご両親への感謝を綴られた愛子さま。そして《一つ一つのお務めに真摯に向き合い、できる限り両陛下をお助けしていきたいと考えております》と、成年皇族としての決意を表明された。長引くコロナ禍で、皇族方は外出を控えられている。愛子さまも、昨年4月に入学された学習院大学のキャンパスに、いまだ一度しか足を運んでいない。愛子さまも皇族である前に“一人の大学生”として、友人たちとのキャンパスライフを心待ちにされていたはずだが、皇族の中で誰よりも慎重に、外出自粛を続けられている。そんな状況にあって、愛子さまは国民に向けて《全ての方に、平穏で彩り豊かな暮らしが一日も早く訪れることを願うとともに、また以前のように皆様とお会いし、お話しできるようになる日を楽しみにしております》とメッセージを送られたのだ。近現代の皇室に詳しい静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは「愛子さまはすでに、国民に寄り添う姿勢をお持ちになっている」と語る。「成年のご感想もご立派でしたし、新調すれば数千万円かかるティアラも、コロナ禍の国民生活に配慮して叔母の黒田清子さんから借りられました。国民が困難な状況にあるときこそ心を寄せるという皇室の役割を、愛子さまはしっかりと理解されているのだと思います」12月9日に58歳の誕生日を迎えられた雅子さまも、母としての万感の思いを綴られている。《あの幼かった愛子がもう成年かと思いますと、信じられないような気持ちもいたします。皆様には、これまで愛子の成長を温かく見守っていただき、心から感謝しております》だが、お生まれになってから成人されるまでの20年間、愛子さまに届いた国民の言葉は、はたして「温かい声」ばかりだっただろうか。愛子さまが笑顔を失いかけたときは何度もあった。母と娘の20年は苦難の連続だった──。■「生まれてきてくれてありがとう」と涙を「初めて私の胸元に連れてこられる生まれたての子供の姿を見て、本当に生まれてきてくれてありがとうという気持ちで一杯になりました……。今でも、その光景は、はっきりと目に焼き付いております」ご懐妊からご出産までを振り返りながら、雅子さまは時折言葉をつまらせ、涙ぐまれた。’01年12月に愛子さまがお生まれになって4カ月後、ご夫妻そろっての会見でのことだった。このとき天皇陛下(当時・皇太子)は「敬宮愛子」という名前に込められた思いをこう語られていた。「愛子には一人の皇族として立派に育って欲しいですし、名前のように、人を愛して人からも愛され、人を敬い人からも敬われるような人に育って欲しいです」ご夫妻が二人でお考えになったというお名前は、中国の古典「孟子」が出典。お印は「ゴヨウツツジ」で、純白の花のように、純真な心を持って育ってほしいという願いが込められていた。ご成婚から実に8年。雅子さまは不妊治療にも取り組まれ、一度は稽留流産も経験されて、ようやく授かった第1子だった。愛子さまには「世の中を広く知って育ってほしい」とお考えになり、お忍びで都内の公園に愛子さまを連れて行かれることもあった。笑顔があふれるご一家は、幸せそのものに見えた。だが’03年12月、40歳の誕生日を前にして雅子さまは突然、帯状疱疹で宮内庁病院に入院される。「愛子さまご誕生後も、皇太子妃として“お世継ぎを産まなければならない”という重圧が非常に大きかったのだと思います。当時の湯浅利夫宮内庁長官は、会見でも『やはりもう一人は欲しい』『多くの国民もそう考えているのではないか』などと、第2子への期待を率直に述べていました。数年がかりでようやく第1子を授かったばかりなのに、男子を産むまで皇太子妃としての役割を果たしたとは認められない─―。そんな虚無感が、雅子さまの心を蝕んでいたのではないでしょうか」(皇室担当記者)翌年6月には、雅子さまが「適応障害」と診断されたことが公表される。精神的に追い詰められた雅子さまにとって、大きな支えとなったのは愛子さまの存在だった。だが、このころ愛子さまに“言葉をお話しにならないのでは”“笑わないのはおかしい”といった噂が立つようになった。インターネット上で広まった噂を海外メディアが報じると、日本の雑誌にも書きたてられるようになった。■陛下がミルクを作ろうと台所へ…雅子さまは’04年の3月下旬から約1カ月間、東宮御所を離れ、愛子さまとご一緒に軽井沢に滞在される。ご実家・小和田家の別荘で転地療養されたのだ。小和田家のお手伝いさんだった皆川薫さんはこう振り返る。「当時、愛子さまについていろいろな噂があったことは私も知っていました。しかし、軽井沢で過ごされていたときの愛子さまのご様子は、普通のお子さんと変わらず、元気にお歌を歌ったり、お庭で遊んだりされていたと伺っていました。ですので、小和田家の方も、どうしてそんな噂が立つのかわからないといった感じでした」皆川さんには、幼少期の愛子さまについてとても印象に残っている出来事があるという。「小和田家へお里帰りされた、’03年9月のことです。ご一家の滞在中、皇太子さまが愛子さまのミルクを作ろうと台所に向かわれたのです。結局、別の方が代わりに作ったのですが、皇太子さまはふだんから愛子さまの子育てに携わっておられることがわかりました。愛子さまは、オムツを替えてもらったことを喜ぶように、おしりを自分の手でトントンとたたいていらっしゃったお姿が印象的でした。初対面の私にも人見知りをなさらず、はつらつとしたお子さまだと思ったことを覚えています。たしかに物心がついたころから、少し恥ずかしがりな一面が出ていらしたかもしれません。ただ、駅頭などでは大勢の人が集まって愛子さまのお名前を呼び、手を振ります。そういった場面で表情がこわばってしまうのは、幼少期には自然なことではないでしょうか」皇太子ご夫妻に“男子のお世継ぎ”を期待する声があった一方で、当時の小泉政権は「女性・女系天皇容認」を本格的に検討し始めていた。“愛子さまが天皇になられる”という道が模索されていたのだ。だが、有識者会議の報告書こそできあがったものの、国会での議論が始まることはなかった。紀子さまが第3子を懐妊され、そして悠仁さまがお生まれになったのだ。小泉氏のあとに首相となったのは安倍晋三氏だった。安倍氏は女性・女系天皇に関する議論をすべて白紙に戻してしまった。だが、悠仁さまのご誕生で皇室の存続の危機が解消されたわけではなく、愛子さまの運命はその後も、政治に翻弄され続けていく。
2021年12月25日半年ほど前、宮内庁はある写真を公開した。それは愛子さまがお住まいで育てられた蚕の写真だった。なんと愛子さまは学習院初等科3年生のころに授業で蚕を育てて以来、毎年、卵から孵化させ、何世代にもわたって飼育を続けられているのだという。「宮内庁担当記者でさえ、愛子さまが10年以上も前から蚕を飼育されていたとは誰も知らず、驚きの声が上がりました」(皇室担当記者)養蚕は、明治以降の皇后が代々受け継いできた皇室の伝統であり、雅子さまも美智子さまから引き継いで、皇居の紅葉山御養蚕所に通われている。蚕業技術研究所の代田丈志さんによれば、蚕の保護には手間と知識が必要だという。「卵から育てる場合には、適切な時期に孵化させる必要があり、温度管理がたいへん重要になります。孵化してからもこまめに掃除をして衛生的な飼育環境を整えたり、5月の給桑の時期には毎日様子を見て1日に1回をやったりといった手間が不可欠です」登校不安が報じられて以降の愛子さまは、精神的な不安定さばかりがクローズアップされてしまった印象が強い。だが、実はこのころから皇室の伝統に関心を抱き“皇族としての自覚”を深めていらしたのだ。課外活動にも取り組まれるようになり、4年生のころには管弦楽部へ入部。5年生からはバスケットボール部での活動も始められた。’13年の演奏会では、ビオラを演奏される天皇陛下ともオーケストラで共演を果たされた。このとき指揮をした学習院OB管弦楽団の音楽監督・福田一雄さんは「オーケストラでともに練習するお友達ができたことが、愛子さまが抱えられていた問題の解決に結びついたのでしょう」と語る。女子中等科に進学されると、’16年には神武天皇山陵を参拝され、両陛下と一緒にご公務として「山の日」制定記念式典にも出席された。雅子さまもこの年、誕生日のご感想で《皇族としての自覚と役割を学びつつあるようにも感じます》と記されていた。その“自覚”が感じられる、一つの作文がある。女子中等科卒業にあたって記念文集に寄せられた「世界の平和を願って」と題された、広島への修学旅行での経験を綴られた文章だ。《何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない》広島で原爆ドームや平和記念資料館を見学された愛子さま。そこで、原爆被害の甚大さ、悲惨さに衝撃を受け、怒りと悲しみを覚えたという。《日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか。そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「平和」は人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから》両陛下は愛子さまに「感謝と思いやりを大切に」と、言い聞かせてこられた。その“感謝と思いやり”は、この作文のキーワードにもなっている。「愛子さまは、その言葉が皇族としての心がけにとどまらず、平和の礎でもあると、ご自身の思索の中で気がつかれたのです」(宮内庁関係者)■「家族から社会を知る」両陛下の子育てにあった信念令和への御代替わりが近づくにつれ、雅子さまの体調は適応障害の療養を続けるなかで上向いていった。そして皇后となられてから、通訳なしで海外の要人や王族をもてなされるお姿に、国内外から注目が集まった。ただ、完全に復調されたわけではなく、十二単などの装束で長時間にわたる儀式に臨まれるのは大きな負担であったはずだ。「実は、愛子さまは早朝と深夜、儀式に向かわれる両陛下をお見送りされていたそうです。雅子さまにとって、何よりも心強かったでしょう」(前出・宮内庁関係者)成長された愛子さまが、今度は皇后となられた雅子さまをお支えになったのだ。雅子さまは、ご公務にお出ましになれない時期に愛子さまの付き添い登校をされたことで“国民よりも家族優先”などと批判されたこともあった。なぜ、雅子さまはそれほどまで一心に愛子さまを守り抜かれたのか─―。そこには、天皇陛下の揺るぎないお考えがあった。「私は、家族というものは社会の最小の単位であると思います。家族を理解することによって社会を知るということ、これはとても大切なことではないかと思います」陛下は、愛子さまのご誕生に際しての会見で、家族の大切さをこう述べられていた。愛子さまに、皇族として国民を愛することができる人になってもらいたい─―。そのためにはまず、家族から“愛し、愛されること”を知る必要があると、天皇陛下と雅子さまはお考えになったのだ。《様々な方と出会い、関わることを通じて、人と人とが互いに手を取り合い、交流の輪が広がっていく素晴らしさを学び、全ての経験が、今、私の財産となっています》そう成年のご感想に綴られた愛子さま。この20年は愛子さまにとって、楽しい経験ばかりではなく、つらく、悲しい経験も少なくはなかったはずだ。それでも「私の財産」と受け入れ、国民に優しいまなざしを向けられるようになった陰には、天皇陛下、そして雅子さまが注ぎ続けた、大きな大きな愛情があったのだ。コロナ禍に見舞われ、先の見えない不安な時代。愛情深く優しいプリンセスのはつらつとした姿が、日本を、世界を明るく照らす─―。
2021年12月25日「“スーパー大学生”という人がいるなら、愛子さまはそうなのではないかと思います」こう語るのは、愛子さまの学習院大学の同級生。弊誌『女性自身』12月28日号に掲載された記事「教授を驚愕させた愛子さまの○神質問」内の証言だ。同記事では、愛子さまの“秀逸な課題レポート”と“鋭すぎる質問”に教授が驚き、授業で参考例として取り上げたことを報じている。「内容は論理的で、新しい視点も盛り込まれていますし、素晴らしいとしか言いようがありません。レポートを拝見する限り、関連する学術書などもお読みになっているようです」(前出・同級生)実は、弊誌はそんな愛子さまの“レポート作成力”の原点ともいうべき“短編小説”を2015年に独占キャッチしていた。’14年、中学1年生のときに愛子さまが学内で執筆されたもので、翌年に学習院女子中等科、高等科の生徒に配布された『生徒作品集』(平成26年度版)の中に収められていた。当時の記事では、学習院関係者が「筆力はもちろん、深い想像力と小さな命に対する慈しみがある。何より読後に感じたのは、愛子さまの鋭い感性が、文学少女だった美智子さま譲りのものだろうということです」と絶賛している。さらに、立教大学教授で精神科医の香山リカさんもこう分析していた。「この物語には真っ白なカモメが最初に出てきますが、白い鳥は清純で理想的なものへの憧れ。思春期の少女の自立心の表れです。(中略)また、傷ついた動物たちに喜んでもらうというのは、愛子さまが常に立場の弱い者、小さき者へお心を寄せているということ。自分の思いを伝えられない。主張できない人々の力になりたいと――」絶賛された小説執筆から7年、「スーパープリンセス」へと成長された愛子さまの活躍からますます目が離せない。■愛子さまが書かれた物語全文私は看護師の愛子。最近ようやくこの診療所にも患者さんが多く訪れるようになり、今日の診療も外が暗くなるまでかかった。先生も先に帰り、私は片付けと戸締りを任されて、一人で奥の待合室と手前の受付とを行き来していた。午後八時頃だろうか。私は待合室のソファーでつい居眠りをしてしまった。翌朝眩しい太陽の光で目が覚め、私は飛び起きた。急いで片付けを済ませて家に帰ろうと扉をガラッと開けると、思わず落っこちそうになった。目の前には真っ青な海が果てしなく広がっていたのだ。診療所は、一晩でどの位流されたのだろうか?いや、町が大きな海へと姿を変えてしまったのかもしれない。助けを呼ぼうとしたが、電話もつながらない。私は途方に暮れてしまった。あくる朝、私は誰かが扉をたたく音で目を覚ました。扉の外には片足を怪我した真っ白なカモメが一羽、今にも潮に流されてしまいそうになって浮かんでいた。私はカモメを一生懸命に手当てした。その甲斐あってか、カモメは翌日元気に、真っ青な大空へ真っ白な羽を一杯に広げて飛び立っていったのであった。それから怪我をした海の生き物たちが、次々と愛子の診療所へやって来るようになった。私は獣医の資格は持っていないながらも、やって来た動物たちに精一杯の看護をし、時には魚の骨がひっかかって苦しんでいるペンギンを助けてやったりもした。愛子の名は海中に知れ渡り、私は海の生き物たちの生きる活力となっていったのである。そう。愛子の診療所は、正に海の上の診療所となったのだ。今日も愛子はどんどんやって来る患者を精一杯看病し、沢山の勇気と希望を与えていることだろう。
2021年12月17日「12月に入ってから、授業によってはテストも行われました。それで私たちの間では、“愛子さまがキャンパスにいらっしゃるのでは”という期待も高まっていたのです。でも結局はお見かけできませんでした。考えてみれば、万が一愛子さまがコロナに感染されれば、天皇陛下や雅子さまにうつってしまうかもしれません。お立場もありますし、仕方がないですよね」そう残念そうに話すのは、東京・目白にある学習院大学2年生、愛子さまの同級生だ。2月5日に、ティアラを着け、ローブ・デコルテをお召しになった愛子さまのお姿が報じられたこともあり、学習院の学生たちの間では、“愛子さまにお会いしたい!”という気持ちが高まっているようだ。愛子さまは昨年の4月に学習院大学文学部日本語日本文学科にご入学。学習院女子高等科からの同級生はこう語る。「愛子さまは、お友達からは、“トシちゃん”“愛ちゃん”と呼ばれています。大学から学習院に入学した学生たちも、『愛子さまとキャンパスで会うことができるのが楽しみ。お近づきになれたりしないかな』などと、心待ちにしていました。しかしコロナ禍のため、昨年は入学式も行えませんでした。現在はコロナも少し落ち着き、授業も対面かオンラインかを選ぶことができますが、愛子さまはずっとオンラインで受けられています」ご入学からすでに20カ月が過ぎた。しかし、その間に愛子さまがキャンパスに登校されたのは、新入生ガイダンスが開催された昨年10月24日の1日のみ。当時、ガイダンスに出席した学生はこう語っていた。「会場で学生は、学籍番号の近い人たちと1席ごとにスペースを空けて座りました。青いカーディガンを着ていた愛子さまも同級生たちと同じ列に並んで着席し、周辺に座っていた語学クラスごとに分けられている同級生たちと話をされていました。スマホでの撮影に応じたり、初対面の人には『お名前はなんといいますか?』などと、フレンドリーに交流されていたのです」それ以来、通学の機会をお持ちになれなかった愛子さまだが、実は着実に存在感を示されているという。■小学生から発揮されていた「優秀すぎるレポート作成力」前出の女子高等科からの同級生は次のように語る。「愛子さまが提出されたレポートが、授業のなかで教授に“参考例”として取り上げられることも少なくないのです。内容は論理的で、新しい視点も盛り込まれていますし、素晴らしいとしか言いようがありません。レポートを拝見する限り、関連する学術書などもお読みになっているようです。学生たちの間でも『愛子さまの課題のレポートすごいね』と、話題になることもあります」愛子さまの“レポート作成力”について本誌が初めて報じたのは’14年3月。学習院初等科の文集『小ざくら』に「藤原道長」というタイトルの4ページの歴史研究レポートが掲載されていたのだ。《授業で藤原道長について学習している時に、「御堂関白記」に少し触れ、また、学習する前にも新聞で「御堂関白記」がユネスコの記憶遺産に登録されたという記事を見たので、一度実物を見てみたいと思った》12歳で書いたとは思えないしっかりした文章だ。愛子さまは、大学2年生から「日本語日本文学系」を選択し、平安時代から近代にかけての日本文学を読みながら、文学を理解するうえでの知識を身につける日本文学講義などを履修されているというが、日本の古典へのご興味は小学生のころから芽生えていたのだ。愛子さまは学習院女子高等科の卒業に際しても、「平安時代の猫と犬—文学作品を通して—」と題したレポートを提出。400字詰め原稿用紙60枚近くという大作だったといわれている。愛子さまが才能を発揮されているのはレポートばかりではないという。前出のレポートについて教えてくれた同級生によれば、「愛子さまの履修されていた授業で、“課題図書を読んで感じた疑問を質問としてまとめてくるように”という宿題が出たそうです。そのときも愛子さまが提出された質問が授業で取り上げられたと聞きました。ほかの学生は思いつかないような“的確かつ鋭い質問”で、授業を担当している教授も驚いていたそうです。鋭いだけではなく文章も丁寧で、その飾らないお人柄が伝わってくるようだったとか。“スーパー大学生”という人がいるのなら、愛子さまはそうなのではないかと思います」レポートや“神質問”で、お姿を現さないまま、教授を驚かせている愛子さま。ご通学の日を待ち望む同級生たちの思いもますます募っているという。
2021年12月17日12月9日、58歳の誕生日をお迎えになられた雅子さま。愛子さまがご立派に成年を迎えられるまでの20年、振り返ればご自身の適応障害や愛子さまの登校不安などと闘いながら、母としての務めも果たされてきた。お二人の20年を写真で振り返ります。【’01年】宮内庁病院をご退院。生後1週間の愛子さまを穏やかに見つめられて。【’02年】那須御用邸に向かうご一家。駅頭では、愛子さまに教えられるように、手を持たれてご挨拶。【’04年】3歳ごろの愛子さま。このころ無表情などと噂されたが、明るいご様子のビデオなども公開された。【’05年】夏の高原に向かう長野駅。雅子さまのお隣で、愛子さまは笑顔で集まった人々と会話を。【’06年】5歳を前に健やかな成長を願う「着袴(ちゃっこ)の儀」で上皇ご夫妻から贈られたはかまなどを身に着けられて。【’12年】学習院初等科5年生、葉山御用邸へご静養に。2年生終盤から4年生までの登校不安も解消された。【’15年】小さなころからリンクコーデがお得意。那須塩原駅で、そろって淡い緑と白のコーデでお手振りを。【’16年】母娘で白いハイネックのセーターに厚手のコートをお召しに。中等科3年生を前に愛子さまは少し大人びた装いで長野のスキー場へ。【’18年】ブルー系と白の色合わせで、須崎御用邸の海岸に。愛子さまはこの夏、イギリス留学も経験された。【’20年】年々背丈も雅子さまに近づかれてきた。和服とワンピースの色みを合わせられて大相撲初場所に。愛子さまの相撲好きは有名。つらい時期も二人三脚で乗り越えられて……そこには母娘の強い絆がありました。
2021年12月11日12月1日に20歳の誕生日を迎え、成年皇族となられた愛子さま。誕生日当日は大学の授業があったため、ご成年儀式の大半は5日に執り行われた。愛子さまは午前中に皇居・宮中三殿を参拝された後、宮殿で天皇陛下から「宝冠大綬章」の勲章を授けられた。午後には天皇皇后両陛下に成年のあいさつをされ、その後、報道陣が待つ宮殿の西車寄に姿を見せられた。正装の白いロングドレス「ローブ・デコルテ」姿を、初めて披露された愛子さま。この日のために上皇ご夫妻の長女・黒田清子さんから借りたティアラと、陛下から授けられたばかりの勲章を身につけ深々と一礼をされた。記者から「おめでとうございます」とお祝いの言葉をかけられると、愛子さまは「ありがとうございます」と笑顔で返答されたのだった。「成年を迎えるにあたって、愛子さまは3種類のドレスを新調されました。宮中三殿での参拝は『参拝服』、陛下による勲章親授では肌の露出が少ない長袖の『ローブ・モンタント』をお召しになられました。そしてティアラとともにお召しになられた『ローブ・デコルテ』は、公式行事で着用される最も格式の高いドレス。元日に行われる『新年祝賀の儀』や宮中晩餐会で着用され、ティアラや勲章とともに“公務の必需品”とされています。一方、コロナ禍での国民の暮らしを案じる愛子さまは、ティアラは新調しないことを決意されたのです」(皇室ジャーナリスト)成年皇族となられた愛子さまの正装姿は、誕生日が近づくにつれて多くの国民の間で期待が高まっていた。待ちに待った愛子さまの「ローブ・デコルテ」姿に、SNS上では歓喜の声が広がっている。《「麗しい」という言葉は、こういうお姿を形容するんだなぁ…と心から思ったよ。天皇陛下、皇后陛下も感無量だろうなぁ。本当に素晴らしい愛子内親王殿下、万歳!》《本当にお美しい凛とした、品位とはこういうことだと納得です。天皇皇后両陛下の面影にも、嬉しくて涙が出てきました。本当におめでとうございます》《面差し、歩の進め方、皇后陛下に良く似ていらっしゃいます。瑞々しくたおやかな成年皇族の誕生。愛子さま、これからもお健やかに》宮内庁を通じて公表された文書では、《全ての方に、平穏で彩り豊かな暮らしが一日も早く訪れることを願うとともに、また以前のように皆様とお会いし、お話しできるようになる日を楽しみにしております》と綴られた愛子さま。学業がひと段落する来年3月には、成年にあたっての会見に臨まれる見通しだ。多くの国民がその日を待ち侘びていることだろう。
2021年12月07日《成年という一つの節目を無事に迎えることができましたことを嬉しく思います》天皇皇后両陛下の長女・愛子さまは12月1日、20歳の誕生日を迎えられ、ご感想を公表された。その中で愛子さまは《成長を見守り、温かい声をお寄せいただいている国民の皆様に、この場をお借りして厚く御礼申し上げます》と、国民への感謝の言葉を綴られた。皇室担当記者は感慨深げに語る。「愛子さまのお言葉は皇族としての自覚を強く感じさせるものでした。育ててくださった両陛下、見守ってくださった上皇ご夫妻、さらには学校の先生や友人に丁寧に感謝を伝え、コロナ禍の国民生活を案じるお気持ちをしっかりと記されています」さらに注目を集めたのは、誕生日に公開されたお写真だった。ツイッター上では愛子さまの“変貌ぶり”に《綺麗になられてうっとりしてしまった》《ますます気品高いお顔立ちに》と、驚嘆の声が続出したのだ。ブラウンのワンピースに、グレンチェックのジャケットを羽織られた愛子さま。フォーマルな装いに合わせて、メークもバッチリされていた。「外部からヘアメークの専門家を呼んでいるはずですが、愛子さまご自身、あるいは雅子さまのご要望にそってスタイリングがされていると思われます」(宮内庁関係者)すっかり大人びた印象になられた愛子さま。その変化をもたらした秘密は“口元”にあった。《愛子さま歯列矯正されてる!》《歯が綺麗になって笑顔が素敵になられてる》昨年のお写真では八重歯がちょっぴり目立っていた愛子さまだが、1年の間にすっかり歯並びが整っており、ツイッター上でも驚きの声が上がったのだ。歯科矯正を専門にする麻布十番矯正歯科室院長の菊池香織さんによれば「昨今のマスク生活中に歯並びを直そうという人は増えている」という。「歯を抜く場合は2~3年かかりますが、抜かない場合は数カ月で治療が終わることもあります。矯正器具もいまは選択肢が増えていて、一般的なワイヤを使ったブラケットだけでなく、歯の裏側につける目立たない装置や、取り外しができる透明なマウスピースもあります。歯科矯正は、虫歯や歯周病予防、滑舌の改善にもつながります。また、歯並びに心理的なコンプレックスを抱えていた方からは、自然に歯を見せて笑えるようになり、矯正で気持ちが前向きになったという話も聞きます。海外ではよい歯並びが身だしなみのひとつと考えられていますが、日本でも歯並びに対する意識が変わってきているように感じます」■乗り越えた“激ヤセ”のトラウマ愛子さまも今後、海外からの賓客をもてなしたり、海外訪問をされる機会が増えてくるだろう。「実は、八重歯がチャームポイントの雅子さまも、ご婚約当初、アメリカの雑誌から歯並びについてあれこれと論評を受けたことがおありです。そういった経験もあって、雅子さまが歯列矯正を勧められたのかもしれません」(前出・皇室担当記者)この1年で急激に愛子さまが女子力を向上されたのはなぜなのか。前出の宮内庁関係者は、5年ほど前の“激ヤセ事件”が思い出されると語る。「愛子さまが中学3年生のころ、一気に15kgほどお痩せになったことがありました。思春期の愛子さまはこのころダイエットに取り組まれていたようですが、摂食障害に近い状態にまでエスカレートしてしまったといわれています。雅子さまもたいへん心配され、それ以来愛子さまがダイエットを試みることはなかったそうです。しかし、コロナ禍でご家族や職員以外と顔を合わせる機会がなくなり、他人の視線がプレッシャーにならない状況になりました。そこで雅子さまのサポートを受けつつ、愛子さまは“自分磨き”にチャレンジされたのでしょう。いま、若い女性の間では“自己肯定感”がキーワードになっています。かつてのトラウマを乗り越えてダイエットを成功され、歯列矯正もされたことで、愛子さまはこれまで以上に自信を持ってさまざまな活動に取り組むことができるようになられるはずです」立教大学教授で精神科医の香山リカさんは「ご自分の役割を自然に自覚されているのでは」と語る。「若い女性がオシャレになりたい、綺麗になりたいと思うのは自然なことですが、愛子さまの場合はそれだけではないと思います。成年皇族として人とお会いしたときに、より受け入れられる、いい印象を持ってもらえるにはどうすればいいかとお考えになっているのではないでしょうか。ファッションやメークにも愛子さまの“利他的”なご姿勢が垣間見えました。いまはコロナ禍ということもあり、さまざまなことを遠慮されていると思いますが、いずれはもっと自分らしさを発揮されてもいいのではないかと思います」雅子さまと二人三脚の“美活”で、さらに自信を深められた愛子さま。その笑顔はきっと、日本中を明るくするはず――。
2021年12月07日12月1日に20歳の誕生日を迎えられ、成年皇族となられた愛子さま。天皇家の皇族が成人を迎えるのは、上皇ご夫妻の長女・黒田清子さん以来32年ぶりとなった。成年に当たってのご感想で、愛子さまは《これからは成年皇族の一員として,一つ一つのお務めに真摯に向き合い,できる限り両陛下をお助けしていきたいと考えております》と綴られている。今後は学業を優先しつつも、本格的にご公務にも臨まれることとなる愛子さま。《日頃から思いやりと感謝の気持ちを忘れず,小さな喜びを大切にしながら自分を磨き,人の役に立つことのできる大人に成長できますよう,一歩一歩進んでまいりたいと思います》と意欲を示されている。成年皇族としての心構えを綴られた愛子さまだが、その変化は“外見”にも表れていた。宮内庁が公開した近影では、ブラウンのワンピースにグレンチェックのジャケットをお召しになられていた愛子さま。ナチュラルなメイクをされ一層大人っぽくなられた印象だが、最も注目を集めたのは口元だった。愛子さまの柔和なスマイルは以前とは変わらないものの、歯並びが整えられていたのだ。昨年のお誕生日の際に公開された近影では、笑顔の愛子さまの口元からは八重歯が少し覗いていた。そのことからTwitter上では、「歯列矯正をされたのでは?」といった声が上がっている。《愛子さま矯正したのかな。内側から美しい感じになったね》《愛子さまお綺麗になられて、横顔がお母様の雅子さまそっくり歯の矯正もされたみたいで一気に大人っぽく気品に溢れる女性になってる》《愛子さま矯正してたんだ〜!八重歯も可愛いかったけど、すごく上品で綺麗な雰囲気になってて良い笑顔》ご成年行事に臨まれるにあたり、コロナ禍であることに配慮しティアラを新調されないご決断をされた愛子さま。成年皇族として歩まれるその足取りを、多くの国民が見守っている。
2021年12月06日2021年12月5日、天皇、皇后両陛下の長女である愛子さまが、成年行事に臨まれました。東京都千代田区にある皇居の宮殿『鳳凰(ほうおう)の間』で両陛下にあいさつを行い、報道陣に姿を見せた愛子さま。美しい純白の『ローブ・モンタント』を身にまとい、ティアラと勲章を着けた、女性皇族の正装姿で「おはようございます」と述べました。愛子さまが身に着けているのは、この日に天皇陛下から親授された、『宝冠大綬章(ほうかんだいじゅしょう)』。授与が女性のみに限定された日本唯一の勲章であり、古代の女帝の冠を模した宝冠を中心に、周囲には真珠と竹枝、桜の花葉がデザインされています。愛子さまの気品あふれるお姿に、ネットからは「お美しい」「凛としたたたずまいが素敵」といった声が上がりました。産経ニュースによると、両陛下は、愛子さまが成年皇族として健やかに歩まれることを願われているといいます。同月1日に20歳の誕生日を迎えられた、愛子さま。両陛下は1人の親として、我が子の幸せな人生を心から祈っていることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年12月05日12月5日に成年皇族としての行事に臨まれる愛子さま。先だって、12月1日の誕生日に写真と映像が公開されると、《こんなに立派に成長した愛子さま。泣ける。》《愛子さまって内面からの美しさが溢れ出過ぎていて見ているだけで涙がでてくる》など、SNS上では愛子さまのご成長ぶりに感動の声が多く上がった。成年皇族となられたことで、今後は皇室行事やご公務などにも取り組まれることとなる。これまでは、天皇皇后両陛下のお出ましに同行された際など、お姿を拝見できる機会は限られていた。そんななか、リラックスされたお姿を拝見できたのがご静養だ。皇室担当記者は語る。「天皇ご一家が夏の海を楽しまれるのが、静岡県の須崎御用邸です。愛子さまはよく浜で水泳の練習をされていて、帰京されるときには真っ黒に日焼けされているほど。また、御用邸近くの三井浜では、幼少期に上皇ご夫妻や秋篠宮ご一家と散策をされたり、平成最後の夏にもご一家で貝殻を拾って歓談されたりと、たびたび報道陣にお姿を公開されています。また、栃木県の那須御用邸でも例年のんびりとした時間を過ごされています」(皇室担当記者)また、ご静養の際に利用されるJR那須塩原駅や伊豆急下田駅では、集まった人々とお話しされるのも恒例行事だ。「一時期は笑顔が少なかったり、人見知りをされることもありましたが、高校生になられたころから明るいご様子で交流されるようになりました。愛子さまの高校最後の夏休みには、那須塩原駅で同学年の女子高生と盛り上がったことも。大学受験に向け勉強しているという女子高生に対し、夏休み明けに試験を控えていた愛子さまは『私も8科目くらいテストがあります。お互い頑張りましょうね』と励まされていました」(前出・皇室担当記者)こうしたご交流やご静養は、コロナ禍である現在は自粛されている。次回ご静養に向かわれる際には、愛子さまが成年皇族となられたことも相まって、駅頭は大いに盛り上がりそうだ。
2021年12月05日12月1日、20歳の誕生日を迎えられた愛子さま。宮内庁を通じて公表された文書では、《天皇皇后両陛下には、これまで愛情深く大切に育ててくださり、どのようなときも一番近くで支えてくださいました。また、上皇上皇后両陛下には、幼い頃より私を優しく包み込み、お導きくださいました。心より有り難く思っております》と、感謝の気持ちを綴られた。愛子さまは現在、学習院大学の2年生。今後は学業を優先しつつ、成年皇族としてご公務を担われることとなる。これからのご活躍が楽しみな愛子さまだが、これまで学業と両立して続けてこられたものがある。それは蚕の飼育だ。養蚕は明治以降の歴代の皇后に受け継がれる皇室の伝統だが、愛子さまも美智子さまと雅子さまに倣って10年以上も続けてこられたのだ。「愛子さまが養蚕を始められたのは、学習院初等科3年生のころ。学校の授業で育てた蚕を持ち帰られて以来、学業の合間を縫って続けてこられたのです。幼いころから生き物好きだった雅子さま譲りなのでしょう、卵から孵化させるなどとても大切に育てられています。蚕が病気にならないよう、2つのグループに分けるといった工夫もされていると聞きました。愛子さまの蚕は今年も無事に成虫となり、卵が採取されました」(皇室ジャーナリスト)愛子さまが熱心に取り組まれている養蚕だが、日本国内では蚕糸業は衰退傾向にある。今年6月に農林水産省が発表したデータによると、平成元年には57,230戸あった養蚕農家が昨年は228戸にまで激減している。「おもな理由は生産者の高齢化や後継者が不足していることです。蚕糸業者の間では、『皇室を最後の養蚕農家にしてはいけない』との声も上がっていると聞きました。愛子さまはそんな危機を目の当たりにして、皇室だけではなく日本の伝統をも守り抜こうという責任感をお持ちなのかもしれません」(前出・皇室ジャーナリスト)成年皇族を迎えるにあたって、《人の役に立つことのできる大人に成長できますよう、一歩一歩進んでまいりたいと思います》とも綴られていた愛子さま。10年以上も続けられている養蚕の“キャリア”は、将来、日本の伝統を紡ぐ希望となるはずだ。
2021年12月05日「本当に生まれてきてありがとう、という気持ちでいっぱいになりました」雅子さまは、生まれたばかりの愛子さまを目にしたときのことを、ご出産後初の記者会見でかみしめるように語られていた。一人娘の立派な成長ぶりに、万感の思いを抱かれていることだろうーー。12月1日、天皇皇后両陛下の長女・愛子さまは20歳の誕生日を迎えられる。当日は大学の授業があるため、ご成年の儀式の大半は5日に行われる。「学習院大学では対面授業が再開されつつありますが、愛子さまはいまも登校を控えられ、もっぱらリモートで受講されています。ほかの学生と違い、愛子さまが登校すれば複数人の護衛官も同行する必要があります。感染リスクを抑えるためにも、外出は控えられているのでしょう。それでも、学業はおろそかにしないというご姿勢を貫かれているのです」(宮内庁関係者)コロナ禍で迎える成年という節目、愛子さまは大きな決断をされていた。ティアラを新調しないことにされたのだ。新調しない代わりに、愛子さまは上皇ご夫妻の長女・黒田清子さんからティアラを借りることになった。公費で作られたティアラは結婚に伴って国に返すことになっているが、清子さんのティアラは上皇ご夫妻の私費で作られたため、いまも清子さんの所有となっていた。「清子さんには、愛子さまご本人が相談され、快諾の返事をいただいたそうです。清子さんは愛子さまが3歳だった’05年11月に皇室を離れたため、これまで深い交流はありませんでした。しかし、“天皇の娘”として成年を迎え、上皇ご夫妻を支えた清子さんの半生は、愛子さまの今後の指針ともなるでしょう。清子さんとしても、姪であり“後輩”でもある愛子さまをサポートしたい思いがあったのでしょう」(皇室担当記者)愛子さまは清子さんと同じ学習院大学文学部に通われている。また、9月に赤坂御所から引っ越しされた皇居の御所では、清子さんが使っていた部屋に愛子さまがお住まいだといわれている。■清子さんが切り開いた“働く内親王”の生き方皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんも「愛子さまの“お手本”になるのは清子さん」と語る。「同じ天皇の娘という立場だった清子さんから心構えを学ばれる、よい機会になったでしょう。清子さんは4年制大学に進学した初の内親王です。海外への公式訪問は8回を数え、盲導犬のチャリティ支援など、社会的な活動にも力を入れました。一方で、山階鳥類研究所に、結婚まで13年間にわたって勤務し、社会人としてのキャリアも築いています。以前は内親王や女王は20歳前後で結婚して皇室を離れるのが当たり前でしたが、ご公務と自分の仕事を両立するロールモデルを示したのが清子さんなのです」清子さんは元祖“働く内親王”だったのだ。政府が設置した皇位継承に関する有識者会議は「女性皇族が結婚後も皇室に残る案」を国会に提言するという。この案が実現すれば、愛子さまは生涯、皇室に残られることに。また“愛子さまを天皇に”という期待の声も根強い。「愛子さまは10年以上前から蚕の飼育を続けられています。養蚕は、明治以降の歴代皇后が引き継いできた皇室の伝統です。愛子さまはこのように、小学生のころから皇室の歴史や文化に関心を持たれてきたのです。それは“天皇の娘”としての自覚と矜持ゆえでしょう。今回、清子さんにティアラを借りる“直談判”をされ、その思いはさらに強まったのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)清子さんは、皇室を離れる前、36歳の誕生日に際してこう綴っていた。《両陛下の、お立場に対する厳しいご自覚や国民の上を思い、平和を願われるお姿、そして昭和天皇や香淳皇后に対する深い敬愛のお気持ちなどは、日常の様々なところに反映され、自然に皇族であることの意味を私に教えたように思います》清子さんが上皇ご夫妻のお姿を見て“皇族の役目”を学んだように、愛子さまも天皇陛下や雅子さまのなさりようを、20年間しっかり目に焼き付けてこられたはずだ。清子さん、そして両陛下に学び、愛子さまは成年皇族として歩みだされる。
2021年12月03日12月1日、20歳の誕生日を迎え、成年皇族となられた愛子さま。宮中三殿へのご参拝や、ティアラを付けローブデコルテをお召しになっての両陛下へのご挨拶など、主な成年行事は誕生日当日ではなく12月5日に行われる。宮内庁によると、このご日程となったのは、誕生日当日は平日であり、愛子さまの大学の授業があるからとのことだった。学業優先の姿勢を、いち早く示された形となった。愛子さまは現在、学習院大学文学部日本語日本文学科の2年生。ご入学直前に深刻化したコロナ禍の影響で、一度も大学で講義を受けられていないが、現在はどのような学生生活を送られているのだろうか。「愛子さまは、学習院幼稚園時代から名簿などには敬宮(としのみや)愛子と記されていて、お友だちからは敬ちゃん、愛ちゃんと呼ばれています。それは大学生になってもお変わりありません」と明かすのは、学習院の生徒。愛子さまは、皇族というよりも同級生の一人としてご友人たちとお付き合いされてきたのだ。■TPOに合わせてお召し替えを授業をオンラインで受けられるなか、学習院大学の目白キャンパスに登校されたのは新入生のガイダンスに出席された昨年の10月24日のみ。登校時には、グレーのスカートに紺のジャケットを合わせたややかしこまった装いで報道陣の取材をお受けになった。愛子さまは、「大学では新しい知識を得たときに感じられる喜びを大切にしながら、様々なことに取り組んでいければと思っております」と、マスクをされていても笑顔とわかる表情で学生生活の抱負を語っていらした。その後、ガイダンスに出席された際には、紺のジャケットではなく淡いブルーのカーディガンにお召し替え。学生らしいカジュアルな装いで臨まれた。「ガイダンス会場では、学生は1席ごとに空けスペースをとって座りました。愛子さまもほかの新入生と同じ列に並んで着席し、周辺に座っていた何人かの同級生と話をされていました。記念撮影に応じたり、初対面の人には『お名前はなんと言いますか?』などと話しかけて交流するなど、フレンドリーに接されていました」(前出・学習院生)学生たちにも心を配られながら、交流を楽しまれていた愛子さま。愛子さまが通われている日本語日本文学科は2年生になると日本文学系と教育系に分かれる。学部のHPの説明を見ると、〈本学科では、古代から現代に至る日本語・日本文学を中心とする日本の文化(日本語日本文学系)、及び日本語教育(日本語教育系)に関心のある学生を受け入れ、研究と教育を行っています〉とある。愛子さまは日本文学系を選択されたという。■課題からもわかるスーパープリンセスぶり授業はオンラインでも、課題やレポートの提出に真剣に取り組まれているようで、愛子さまの“スーパープリンセス”ぶりが発揮されているそう。「愛子さまが提出したレポートが、授業のなかで教授に取り上げられることも少なくないです。内容は論理的で新しい視点も盛り込まれていますし、素晴らしいとしか言いようがありません。その上、文章から謙虚なところもうかがえるのです。真面目な生徒の間でも『愛子さまの課題のレポートはすごいね』と話題になることもあります」(前出・学習院生)こうしたところにも、誠実でまじめな一面がうかがえる。また、勉強にかける時間が長く、コロナ禍で外出も完全にお控えになっているため、時間のあるときには、職員たちとバレーボールやバドミントンなどをされ、軽い運動を心がけているという。「新型コロナウイルスの感染拡大が終息し、みなさまが普段通りの生活や活動ができるようになることを心より願っております」昨年10月、こう話されていた愛子さま。1日も早く、大学に自由に通い、新しいご友人たちと過ごせる日が来ることを願いたい。
2021年12月01日俳優の三浦春馬さんが、30歳という若さで旅立ったという衝撃的な出来事から、7月18日で1年になる。生前の三浦さんについては、誰もが口をそろえて、「どんな人にも真摯に接する純真な人」と評した。三浦さん自身、かつてこんなことを語っている。「自分で言うのも何ですが、僕はちょっと人に優しすぎるとこがあって(笑)」(『からだにいいこと』’19年10月号)超多忙な芸能活動の傍ら、常に弱い立場にいる人たちに心を寄せ、ときには難病患者と、ときには被爆者と語り合い、元気づける姿があった。エイズの啓発を行う「Act Against AIDS」(現:Act Against Anything)に積極的に参加していたことは、ファン以外にはあまり知られていないかもしれない。その支援金などをもとにラオスでは小児病院が設立されているが、彼が病院建設中から現地を訪れ、HIVポジティブの子供たちとふれ合う光景は、本誌でも報じている。そんな三浦さんとじかに接した多くの人の証言から、真面目で心温かい彼の人物像が浮かび上がってきた。■広島へ被爆者を訪ね、直筆の手紙を――「以前、広島を訪ねたとき、ある被爆者の方から、『人間は想像力が欠如したときにむごいことをする』というお話をうかがいました」三浦さんは’20年7月8日、戦時中の新型爆弾開発を題材にしたNHKドラマ『太陽の子』のプロモーションで広島を訪れた際に、こう語っていた。彼が突然、亡くなったのは、その10日後のことである。「三浦さんが広島を再訪したあのとき、会って、『がんばっとるのう』とひと言でも話しておれば、という後悔が今もあるんじゃよ」梶矢文昭さん(82)は、三浦さんが「ある被爆者の方」と口にしたその人だ。6歳で被爆し、教員を定年退職後、「ヒロシマを語り継ぐ教師の会」を設立、現在も語り部活動などを続けている。三浦さんは、47都道府県を訪ね歩いての交流をまとめた著書『日本製』(ワニブックス)の広島編の取材で「改めて平和について考える機会にしたい」と熱望し、梶矢さん宅を訪問していた。「三浦さんがうちに取材でやってくる前から女房の輝實は末期の乳がんで入院中じゃったが、病室で尋ねたら、『会いたい、会いたい』と。わしが主治医と交渉して10分だけの帰宅が許されたのじゃった」映画好きの夫妻は、特攻隊員と家族の葛藤を描いた『永遠の0』(’13年)を見て以来、三浦さんの大ファンになっていた。ところが取材当日の’17年3月13日、一行は遅刻してきたのだという。「こりゃ、だまされたわいとも思っておったが、20分もして、三浦さんが車から降りてきたときは、一目見た瞬間からオーラが輝いておって、まぶしいようじゃった」まず、三浦さんは車いすの輝實さんと向き合った。「『がんばってください、がんばってください』と、末期がんのおばあちゃんの目をまっすぐに見て、手を握りながら言ってくれました。あれは演技ではできんこと、彼の人柄でしょう。女房は、帰りの介護タクシーの中で『満足、満足』と繰り返したそうじゃ」続いて、三浦さんと梶矢さんの会話は、予定を大幅に超えて3時間近くに及んだという。「三浦さんからも彼の曽祖父の戦争体験を聞いて、わしも驚いた。過去から学ぼうとする探究心が、あの演技にもつながるんじゃね。女房が息を引き取ったのは、三浦さんと会った3日後じゃった」さらに1カ月後、三浦さんから手紙が届いた。「いまどき教え子からの手紙もワープロ文字じゃが、三浦さんのは直筆で驚いたし、うれしかった。ただ、これには前段があっての。取材で、三浦さんがカーディガンを忘れてな。聞けば、仕事に集中するあまり、けっこう忘れ物をするタイプじゃと。で、それを送り返してあげたら、お礼の手紙が届いたんじゃった」便せん2枚に、端正な文字でつづられた手紙には、こうあった。《まずは家族から忘れてはいけないことを繋げていくことがどんなに大切か身を持って感じました。三浦春馬》「彼と話をできたことは、わしの人生の宝じゃ。だから余計、なんで死んでしまったんじゃと思うんじゃよ。あんなに、うちの女房に『がんばってください』と繰り返していた男がなぜ、と。あの優しさが、死につながったのかもわからん。今の世の中、ちいとこすい(ずるい)くらいがエエのかもしらんが、彼はそんなこすさとは真逆の人じゃったから」■徹底的にASLの情報を学び、命をテーマに演じた「春馬さんがお亡くなりになって、それは本当に悲しいことですが、“拓人”として、いまだに多くの患者さんが生きるための支援を続けているんです」東京都立神経病院リハビリテーション科の本間武蔵さん(59)は語る。芸能関係者やファンの間で、’14年の『僕のいた時間』(フジテレビ系)を、三浦春馬さんのドラマにおける代表作として挙げる人は多い。三浦さん演じるALS(筋萎縮性側索硬化症)を患った大学生の主人公・澤田拓人の壮絶な闘病の日々を通じて、「今を生きる」ことを社会に問いかけた秀作。制作には日本ALS協会も協力した。三浦さん自らドラマの企画を立ち上げ、プロデューサーにも、「“命”を題材にしたドラマをやりたいんです」 と掛け合って番組を実現させたという。本間さんが三浦さんと出会ったのは、自身が開発した“マイボイス”(声を失ったALS患者などのためのコミュニケーションツール)の使い方の演技指導の場だった。「19時のお約束が、撮影が延びて実際に春馬さんがやってきたのは23時過ぎ。第一印象はとても痩せていて、もう体力も収録で使い切り、スタッフに肩を支えられるようにして入ってこられた姿に驚いたのを、鮮明に記憶しています。それが、いざ指導が始まると、パッと表情が一変して、そこにいたのは、“生きていこうとする拓人”だったんです」放映から7年が過ぎた今も、『僕のいた時間』の影響は大きいと本間さんは語る。「ALSに関する情報収集など下準備を徹底していた春馬さんの演技があまりにリアルで、ドラマを見ていて“もしや自分も”と気付き、病気を早期発見できた患者さんもいらっしゃいます。三浦春馬という役者さんは、拓人として、今も患者さんを救いながら生きているんですね」ドラマの最終話、拓人が語るセリフは、今となっては、そのまま命について真剣に考え続けた三浦さんの言葉として胸に響く。「僕が僕であり続けるにはどうしたらいいんだろう。そうなったとき、僕を支えてくれるのは、それまでの生きた時間、僕のいた時間 なんじゃないか」■三浦さんの愛は、今なお続いている彼が生前にさまざまな活動を通じて注いできた愛情は、ここにきて実を結びつつある。今年5月、アミューズから「三浦春馬支援」に関して報告がなされた。これは、彼の死後、新たに設立されたラオス支援等の基金だ。《このたび第一回目の支援として、フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN様を通じ、ラオ・フレンズ小児病院内にて使用される以下の医療物資を購入・寄贈させていただくことを決定いたしました》リストには、注射器、新生児血液採取用針、マスクなどが並ぶ。同時に、フレンズJAPAN代表の赤尾和美さんのコメントから、三浦さんの生前の活動の様子がうかがえる。《春馬さんはご多忙の中、年に1度は必ずラオスの現地へ赴き、(略)同じ目線で「何ができるだろうか」と真剣に考えてくださったことにラオス人スタッフも感動していました》4,000キロ離れたラオスの地でも、子供たちを笑顔にしていたのは、何より三浦さんの「温かいお気持ち」だったそうだ。三浦さんは遠くへと旅立ったが、「人間・三浦春馬」が出会いの場で残した言葉や思い出は、これからも人々の心に寄り添い、励まし続けるだろう。(文:堀ノ内雅一/取材:堀ノ内雅一、小野建史、鈴木利宗)
2021年07月18日突然の訃報から早くも1年。7月18日に三浦春馬さん(享年30)が一周忌を迎える。真摯な人柄と、役に対して誠実な演技で視聴者を魅了してきた三浦さんの輝きは多くの人々の胸に刻まれていることだろう。そこでそんな彼の人生観を、本誌に語っていた言葉から振り返っていく。【理想の大人の男性像?仕事に対して誠実な人かな】(2011年2月1日号より)ドラマ『大切なことはすべて君が教えてくれた』(フジテレビ系)で、実年齢より5歳年上の教師を演じるにあたり、理想の男性像について、こう語っていた三浦さん。さらに、「仕事だけじゃなくて、同時にプライベートな時間も自分らしく楽しめる人が、僕の憧れる“大人の男”ですね」ともいい、理想の男性として同じ事務所の先輩である福山雅治(52)を挙げている。また、プライベートについては「いつか自分の子供たちと笑顔で食卓を囲むような、そんな温かい家庭を築けたらいいなって思っています」と理想の家庭像も語っていた。【今は、自分の仕事をたくさんの人に観てもらうことが、すごく気持ちいい】(2012年12月25日号より)22歳を迎え、念願だった「劇団☆新感線」の舞台『ZIPANG PUNK~五右衛門ロックIII』への出演が決まった取材では、こんな言葉が。11歳から15歳ごろまで、養成所でダンスを特訓していたものの、当時は苦手だったという三浦さん。しかしその結果、“動ける役者”が求められる舞台への出演につながったこともあり、「頑張っておいてよかった!(中略)次の舞台でいいものを作れたら、またひとつ、いい景色が見られるんだと思います」とさらなる成長にむけて意気込んでいた。【目標があるとモチベーションが全然違います】(2015年9月1日号より)映画『進撃の巨人ATTACK ON TITAN』で主演を務めた際には、「今までぶつかってきた壁」というテーマに、語学の習得や、役者としてのキャパシティの“壁”を挙げていた。「映画のために中国語を学びましたけど、語学に限らず、目標があるとモチベーションが全然違います」と壁を越える原動力について熱弁。また「19歳のとき、仕事で悩んだ時期がありました。それからまた、役者を頑張ろうと思えたのは20歳になってからです。役の幅が広がり、いろんな挑戦ができるようになったんです」とかつての悩みを明かす姿も。【計画性と努力を継続的に続けられる忍耐力と探求心を持っている人でありたいと思いますね】(2017年11月28日号より)いつもの三浦春馬のイケメンぶりとは一変、残念すぎる男子を体当たりで演じる姿が話題になった、ドラマ『オトナ高校』(テレビ朝日系)。“オトナ”ってどんな人?というインタビューには、「スケジュール帳に記したものに忠実に生きるってことかな」「自分が設定したビジョンに対して妥協せずに頑張れる人、きちんと目標を決めて毎日努力して目標の達成に近づいていける人」と、2011年の取材時とはまた違った““オトナ観”を教えてくれた。【役者としての人生を振り返ると、生意気な時期もあったように思います】(2019年3月26日号より)亡くなる1年前、本誌では最後となったインタビューで、「生意気な時期」があったと明かしていた三浦さん。「たぶん当時は気が大きくなっていたんだと思います。いまの自分だったら、“そんなことをしても得るものなどなかったよ”と言ってあげますよ」と若いころの自分へアドバイスを送っている。また、「僕も今年で29歳。人間の苦悩や後悔、嘆きを表現する機会が重なって。そういう芝居に挑戦させてもらえる年齢になったということかな」と、役の幅が広がっていくことを喜んでいた。実直で誠実な彼の言葉は、今も私たちの胸に残り続けている――。
2021年07月18日