パワースポットに関するQ&Aの数々。今さら聞けない素朴な疑問からディープな疑問に至るまで、江原啓之さんが教えてくれました!Q. 写真やや絵だけでも力をお借りすることはできますか。A. もちろんエナジーを受け取れます。もちろん、それは可能です。むしろ、何も感じないとしたら、パワーダウンしているサイン。本当にエナジーがある場所を切り取ったものなら、そこにパワーがこもっているものだからです。ご朱印やお守りを見ても同様に感じ取れるはず。ただし、巷によくある開運・赤富士の絵など、ご利益を求める邪心が透けて見えるものからは、受け取れません。Q. パワースポットのエナジーはいつも一定なのでしょうか。A. エナジーは枯れなくても、受け取れる量は受け取り手次第です。パワースポット自体のエナジーは一定で、変わらないでしょう。違いが出ることがあるとしたら、それは行く側の問題。つまり、受け取り手の「器」によります。「一升のマスには、一升の水しか入らない」のです。感謝や畏敬の念を持たずに参拝する人は、当然、その器ではエナジーを受け止めきれないでしょう。パワースポットやスピリチュアルスポットに行って、まったく変化が起きなかったなら、まず自分の器を見直す必要がありそう。Q. パワー負けすることってありますか?A. 集まる人の念にあてられることはあります。基本的にパワーが強すぎて負けるということはないでしょう。ただ、例外があるとしたら、スピリチュアルスポットの場合。「ご利益が欲しい」という自己中心的な思いを持った人が集まる場所は注意。そこに渦巻く欲得の念にあたってしまうことはありえます。神様のエナジーそのものに善し悪しがあるわけではなく、あくまでもそこに行く側の念の問題。私自身も実際、「欲の念が強すぎて行けないな」と感じてしまう場所があります。Q. パワースポットは都会にもありますか。A. 公園や植物を探してみてください。土地にエナジーが宿っているかどうかというのが、パワースポットの条件でしたね。それに当てはめて考えて。土が残っているところ、川辺など、自然のエナジーを感じる場所は、都会にもあります。そういう意味では近くの公園もパワースポットになりえますし、観葉植物を置けば、あなたの家や職場だって、パワースポットとなるでしょう。都会暮らしほど自然と離れるため、エナジーが枯渇しやすいので、身近なパワースポット探しを大切に。Q. パワースポットのような人、物というのも存在しますか?A. あります。あなた自身もパワースポットになれるのです。たとえば、あなたのお母さんがあなたのためにいつも手料理を作って元気づけてくれているなら、その存在自体が「パワースポット」といえますね。それに加え、お母さんがご先祖様を大切にし、お墓参りをしたり、あなたのことを想って祈っていたり、あなたに人生にまつわる教訓を教えたりしてくれているなら、「スピリチュアルスポット」でもあります。あなた自身もそうなれますし、人に限らず、「物」にも同様のエナジーが。えはら・ひろゆきスピリチュアリスト、オペラ歌手。ロングセラーの『江原啓之神紀行』シリーズや『今、いくべき聖地』(共に小社刊)などで、長くパワースポットやスピリチュアル・スポットについて説いてきた。※『anan』2021年9月22日号より。写真・小川朋央文・湯川久未(by anan編集部)
2021年09月20日今さら聞けない素朴な疑問からディープな疑問に至るまで、パワースポットに関するQ&Aに江原啓之さんが答えてくれました。Q. たくさんの場所に行ってもよいのでしょうか。A. 何か所行ってもよいですが、一回一回きちんと感謝しましょう。あちこちの神社にお参りして、エナジーがケンカしないかが気になるのかもしれませんね。基本的に、真摯にお参りするのであれば、いくつ行ってもかまいません。ただし、「ご利益が欲しいから」と、その“効能”にだけ目を向け、スタンプラリーのようにご利益あつめをするのはダメ。その神社の由緒を見て、叡智をあなたの中に取り入れ、役立たせることが大事。あやかった叡智ひとつひとつに感謝し、調和させましょう。Q. 行くだけで何もしなくてもよいのでしょうか。A. 学んだこと、受けたことを毎日に活かしましょう。「行くだけで何もしなくてよいか」を尋ねること自体、受け身の姿勢であると気づく必要がありそうです。スピリチュアルスポットであれパワースポットであれ、そこからエナジーをいただいたなら、感謝の気持ちが湧き、毎日の生活に活かそうと思うはずです。たとえば、利他愛の御神威(みいづ)を宿している神社にお参りしたなら、そのエナジーに少しでも近づけるよう、実践していきましょう。身近な人にやさしくするなど、行動を起こして。Q. 海外のパワースポットに行ってもいいのでしょうか。A. 畏敬の念をもってうかがいましょう。今はコロナ禍ですから海外に行くこと自体が難しいときですが、いつか行ける日が来たら、行くこと自体は問題ありません。ただ、ミーハーな気分で出かけないように気をつけて。聖地と呼ばれるところにお邪魔するのですから、失礼がないようにふるまうことを忘れてはいけません。海外では文化風習の違いもありますから、「郷に入れば郷に従え」の言葉の通り、その地のマナーは守ること。畏敬の念をもってうかがいましょう。Q. 相性ってあるのでしょうか。A. 相性よりも自分が今何を必要としているのかを見極めて。相性より気にしてほしいことがあります。それは、あなたが必要としているパワーに合ったところかどうか。たとえばもし、パワーに満ちた状態のときなら、“体力不足を補える御神威”を宿した神社を選ばなくてもいい、ということです。まずはそこに祀られているご祭神がどんなエナジーを宿しているかを由緒などでチェックし、それが自分のあやかりたいエナジーかどうか見極めて。そこが一致すれば、“ご縁のある聖地”といえます。Q. こういうときには行かないほうがよいなどありますか?A. 日が暮れたら、行くのはやめましょう。スピリチュアルスポットにお参りするときは、特に注意が必要です。基本的に、「日が暮れてから」は行かないほうがいいでしょう。私たちが神社にお参りするのと同じように、実は亡くなった人たちにとってもスピリチュアルスポットは心の支え。夜の時間帯は、亡くなった方たちが行く時間なのだと認識し、避けるほうがいいのです。ただし、例外として、夜にお祭りがある場合は、御神威が働き続けているので、お参りしても問題ありません。えはら・ひろゆきスピリチュアリスト、オペラ歌手。ロングセラーの『江原啓之神紀行』シリーズや『今、いくべき聖地』(共に小社刊)などで、長くパワースポットやスピリチュアル・スポットについて説いてきた。※『anan』2021年9月22日号より。写真・小川朋央文・湯川久未(by anan編集部)
2021年09月19日コロナ禍で思うように旅に行けない。リフレッシュしたいけれど、遠出できない。でも、こんなときだからこそ、あなたの近くにあるパワースポットを訪れるチャンス。パワースポットは、日本全国にあるもの。あなた自身で見つける秘訣、お教えします!まずはパワーを得たいと願うなら、本当のパワースポットとは何かを知ることが大事。実は定義があいまいな人が多いのです。ここでは江原啓之さんがパワースポットの条件を教えてくれました。自分だけのパーソナル・パワースポットを探すためにも、パワースポットの定義を知りましょう。よく混同されるのが、「パワースポット」と「スピリチュアルスポット」。「パワースポット」は、その土地自体にエナジーがある場所。そこにプラス、“信仰や祈り”がある場所を「スピリチュアルスポット」と、私は定義しています。巷には、エナジーがまったくないのに「パワースポット」ともてはやされているところも…。正しく見極めて訪れるためにも、まず条件に照らし合わせて、判断を。すべて当てはまらずとも、ひとつでも当てはまったらあなたのパーソナル・パワースポットです。パワースポットの条件1、立派な木やきれいな花が咲いている。パワースポットは、その土地自体に力がみなぎっています。そのエナジーを受けて、その土地に生(な)るものまでみな大きく育つのです。立派な木が生い茂っていたり、花がみずみずしく咲いていたりする場所は、まさにパワースポットです。そのよい例が、ハワイ。ハワイは観光地としても人気ですが、生き物すべてが大きくて元気!「食べ終えた果物の種を落としただけで、そこから実が生る」なんて言われるほど、土地そのものに強いエナジーがあります。もちろん、日本にもそうした場所はたくさんあるので、パワーを感じる場所を見つけて。2、とれる作物がおいしい。パワースポットは、エナジーの宝庫。たとえば海なら、そこでとれる魚も豊富で“漁場”として栄えています。生き物が元気に育つうえ、パワーがある場所でとれるものはどれもおいしい。もちろん、野菜や果物も同じ。実がぎゅっと詰まって大きく、濃い味がするのは、それだけ土地のパワーが強く、太陽や土、水、風など、自然のエナジーをいっぱいに受けて育っている証拠です。山の幸や海の幸など、あなたの地元でとれる作物にも、その土地のエナジーが詰まっているはず!見た目が整っていなくても、パワーはふんだんに。3、自然豊かな場所。私はよく、「海は浄化」「山は癒し」と伝えています。海の浄化力はすさまじい。太古の昔から、海には浄化のパワーが宿っていました。そして、山にはおおらかな癒しの力があります。大自然に身を包まれると元気が出るのは、それだけパワーが豊富な場所だから。渓流など水の流れがあるところも、海ほどではないものの、流すエナジーがあります。いま私が住んでいる熱海は、海、山に加え、温泉もありますが、三種の神器さながら、パワースポットが勢ぞろい。こうした豊かな自然が感じられる場所にはエナジーが満ち、観光地としても人気。4、明るく元気な気持ちになれる。パワースポットと聞くと、誰しも場所を連想するでしょう。でも、実はそれだけには限りません。「そばに行くと、不思議とすごく元気になれる!」と感じる人。そういう「人」もまた、広義のパワースポット。充電スポットのように、会うだけで力を分けてもらえる家族、友達、恋人など、あなたにとってのパワースポットを見つけてください。加えて、あなたの話にやさしく耳を傾け、癒してくれる存在なら、その人は“生きたスピリチュアルスポット”でもあります。あなたを想う「祈り」の気持ちがそこに込められているからです。5、御神威(みいづ)が働いている。ここからは、「スピリチュアルスポット」の条件について、伝授しましょう。パワースポットに加え、そこに「信仰や祈り」があるのがスピリチュアルスポットと伝えましたが、見分けるポイントは、その場所の「由緒」を知ること。神社であればどんな神様が祀られているのか、どんな神話が残されているのかをチェックしてみましょう。そこに語り継がれる歴史があったり、人知を超えた“奇跡”が起きた聖地には、必ず神様の叡智・御神威が宿っています。御神威が働いている場所こそが、スピリチュアルスポット。真摯な気持ちでお参りを。6、集まる人が穏やか。スピリチュアルスポットで「どこかいいところはありませんか?」とおすすめを尋ねられたとき、私はいつも「そこに集まる人を見ればわかりますよ」と答えています。たとえば神社ならば、まず宮司さんを見れば、一目瞭然なのです。スピリチュアルにいうと、類は友を呼ぶという「波長の法則」が働くので、穏やかで素朴なお人柄であれば、そのお社も同じエナジーを宿しているといえるからです。宮司さんの心の姿勢が、そのままお社のエナジーを映し出していますから、よく見極めて。もちろん、参拝客、氏子さんたちも同じ波長で引き寄せます。7、長く愛されてきた。誤解を恐れずに言いますが、人気がある神社が必ずしも「エナジーがある」「御神威を感じられる」とは限りません。立派な本殿を構えていても、話題になった場所でも、「だから素晴らしい」と断言はできないのです。むしろ、その逆で、まったく華美ではなく、ひっそりとしているけれど、すさまじいほどのエナジーに満ちたお社は、各地に存在しています。規模や見た目にとらわれず、地元の人から崇敬されているか、長く愛されているかを見て。当番できれいに掃除するなど、そこに集う人がどんな実践をしているかを見れば、本物かどうかわかります。えはら・ひろゆきスピリチュアリスト、オペラ歌手。ロングセラーの『江原啓之神紀行』シリーズや『今、いくべき聖地』(共に小社刊)などで、長くパワースポットやスピリチュアル・スポットについて説いてきた。※『anan』2021年9月22日号より。写真・小川朋央文・湯川久未(by anan編集部)
2021年09月19日江原啓之さんがご縁に導かれた土地、沼津。そこには土地のエナジーに満ちた聖地がたくさんありました。今回、江原さんが出合った“特別な場所”をご紹介。祈りの聖地・スピリチュアルスポットへ、いざ!諸口神社(もろくちじんじゃ)導かれるようにして出合ったのは、今こそ必要な“御神威”を宿す神社。利他愛にあふれ、力強く輝くエナジー。去年の夏、初めて戸田(へだ)を訪れたとき、引き寄せられるようにお参りしたのが、諸口神社でした。“諸々の幸せの入り口”という名を持つお社の佇まいは、実に素朴。けれども、地元の皆さんの信仰も厚く、私は計り知れないエナジーを感じました。その後、ご祭神の橘姫命(たちばなひめのみこと)が、日本武尊(やまとたけるのみこと)の妻である弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)と同一と知り、すべては導きと悟ったのです。実は私は熱海にて日本武尊と弟橘姫命を夫婦でお祀りしています。“利他愛”にあふれた女神は、女性が力強く生きるためのヒントをくださるでしょう。よく晴れ渡った日には海の向こうに富士山が。「日本の中心、日本の心である富士山。自然遺産ではなく、世界“文化”遺産なのは、信仰のお山だから」と江原さん。冒険気分で登る山ではなく、本来、禊潔斎(みそぎけっさい)をして詣でるべき聖地だと警鐘を鳴らす。「この国を育む祈りと御神威がある」とも…。透明度が高い戸田の海に朱色の鳥居が美しく映えて。漁師さんたちが航海の安全を祈り、大切にしている諸口神社。鳥居の向こうに美しい海が広がる。海の恵みによって栄えた土地柄だけに、「港の入り口が幸せを運ぶ」と考えられていたそう。「海には浄化のエナジーがあり、これぞパワースポット」(江原さん)“夫婦和合”や“縁結び”に加え海上の安全を守る神様。『今、いくべき聖地』(小社刊)で訪れた走水神社のご祭神も弟橘姫命。夫である日本武尊を救うため、荒れ狂う海に身を投じた神話がある。夫婦愛にあやかるだけでなく、海神(わたつみ)の怒りを鎮めたことから、「航海の安全を守る神様」としても崇敬を集めている。宮司さんがひとつひとつ心を込めたご朱印。霊峰富士のお姿を手元に置き、いつでも富士山に想いを馳せることができる。諸口神社静岡県沼津市戸田2710沼津駅からは、東海バスおよび予約制乗合タクシー(戸田・江梨線)などで、「御浜口」下車約120分。伊豆箱根鉄道修善寺駅から東海バス50分。車では、東名沼津ICから国道414号経由43km80分。新東名長泉沼津ICからも同程度。TEL:0558・94・3115(戸田観光協会)部田神社(へだじんじゃ)大国主命(おおくにぬしのみこと)をお祀りし、こぶ付き大楠が有名。子孫繁栄への祈りとエナジーがこもった神社。地域の人たちに崇敬されている部田神社。諸口神社の宮司さんの“本務社”です。規模は決して大きくないものの、清潔に整えられた様子に、地元の人々がこのお社をいかに大切にしているかが伝わってきます。そして、見どころは何といっても、こぶ付きの大楠。大きなこぶに宿る生命力は、子孫繁栄を願う人にパワーを授けてくれるでしょう。また、女性特有の病気に悩む人もこの生命力にあやかり、写真からエナジーを受け取って。どんなご神木にも居住まいを正して向き合うことを忘れてはいけません。地元の皆できれいに整えて大切にしていく。戸田港から少し離れ、周りには緑も多い部田神社。住民の皆さんが氏子ということもあり、地域でお世話をしているそう。宮司さんは常にはいらっしゃらないけれど、いつも美しく整えられているのも、住民の皆さんの努力のたまもの。地元に愛されていることがひしと伝わってくる。さりげない彫り物にも意味が隠されている。参拝させていただいた本殿で見つけた「大根とねずみの彫り物」。子だくさんなねずみにあやかりたい、子孫繁栄を願う人々の心がそこにこもっているよう。神社に出かけたときは、あなたもぜひ細部にいたるまで目をこらしてみて。こんなふうに、特別な意味合いを持つ意匠を見つけることも。ご神木に向き合う敬いの心を忘れずに。「こぶ付き大楠のエナジーは本当に見事」と、生命力のすさまじさに驚く江原さん。パワーを分けてほしいと願う人に伝えたいことがあるそう。「以前紹介したとある神社のご神木に抱きつく人が続出した結果、ご神木を守るための柵ができたと知り、心を痛めました。敬う心は絶対に忘れずに」こぶ付き大楠で有名な部田神社のご朱印。宮司さんがいないときは、自ら初穂料を所定の場所にお納めして、ご朱印をいただいて。部田神社静岡県沼津市戸田1585伊豆箱根鉄道修善寺駅から東海バス「宮の前」下車45分。車では、東名沼津ICから国道414号経由38km75分。新東名長泉沼津ICからも同程度。TEL:0558・94・3115(戸田観光協会)えはら・ひろゆきスピリチュアリスト、オペラ歌手。ロングセラーの『江原啓之神紀行』シリーズや『今、いくべき聖地』(共に小社刊)などで、長くパワースポットやスピリチュアル・スポットについて説いてきた。※『anan』2021年9月22日号より。写真・小川朋央文・湯川久未(by anan編集部)
2021年09月18日江原啓之さんと探す、運を高めるパーソナル・パワースポット。今回、江原さんがご縁に導かれた土地は、沼津――。大瀬神社(おせじんじゃ)ビャクシン樹林や神池など、神秘的なエナジーにあふれた聖地。人知を超えた力を感じさせてくれるお社。ビャクシン樹林や神池など、自然が織りなす神秘ととてつもない生命力を感じられる大瀬神社。かつては神仏習合で、仏教とも深い縁があったからでしょう。強い念力が宿っていて、私の目には“カラス天狗”のお姿も視(み)えました。天狗に縁があるところは全国にありますが、ここはまさに体力勝負が必要なとき、その力にあやかるのにぴったり。コロナ禍の今、ハードワークなエッセンシャルワーカーの人や虚弱ぎみで悩む人にも御神威が届くはず。人知を超えた力を発揮したい人は、まずは写真からエナジーを受け取って。国の天然記念物でご神木は樹齢1300年以上。大瀬崎一帯に生い茂っているビャクシン樹林。その数は100本をゆうに超えているそう。なかでも、写真の巨大な木は周囲7m 、樹齢1300年以上にもなる岬随一の大木。ご神木として、ここには“引手力命(ひきてちからのみこと)”の分霊が祀られている。力強いエナジーを宿す日本でここだけの神様。大昔、土佐国(現在の高知県)で大地震が起こったとき、「大瀬崎まで土地を引っ張って島を作った」という神話があるそう。そこからご祭神に“引手力命”という名がついたのだとか。全国的にも珍しいご祭神で、「力強く大きいエナジーを感じる」と江原さん。自然の畏怖を感じさせる海のそばの神秘的な淡水池。すぐそばには海があるにもかかわらず、この池の水は淡水!鯉やフナがゆうゆうと泳ぐ神池は、“伊豆七不思議”のひとつに数えられているのだとか。江原さんも「まるで奥深い森の中にいるみたい。いつも誰かが見ているような“畏怖”を感じる神池」と感嘆。フェアリーが宿る木々。木立を歩きパワーチャージ。ビャクシン樹林の木立を歩けば、マイナスイオンもたっぷり。「この世に姿を持ったことがない自然霊(フェアリー)の存在が随所に感じられ、まさに楽園」と江原さん。三方を海に囲まれた環境でありながら枯れることなく生きる木々に、いのちの息吹を感じて。ご祭神と縁が深い天狗のいろんな意匠も必見!大瀬神社はいたるところに“天狗”にまつわるものが。本殿には見事な天狗が彫られていたり、鳥居のたもとに下駄が奉納されていたり…。はたまた、天狗の葉団扇も。引手力命に仕えていたのが天狗で、神道と仏教が融合していた時代(神仏習合)の名残だそう。大瀬神社静岡県沼津市西浦江梨329JR沼津駅南口から東海バスで「江梨」下車、予約制乗合タクシー(戸田交通)に乗り換え「大瀬岬」下車90分。車では、東名高速沼津ICから国道414号経由35km1時間。TEL:055・942・2603えはら・ひろゆきスピリチュアリスト、オペラ歌手。ロングセラーの『江原啓之神紀行』シリーズや『今、いくべき聖地』(共に小社刊)などで、長くパワースポットやスピリチュアル・スポットについて説いてきた。※『anan』2021年9月22日号より。写真・小川朋央文・湯川久未(by anan編集部)
2021年09月18日パワースポットやスピリチュアルスポットって何でしょうね!?行ったことはありますか?物の本によれば「人を癒やすとされる自然の水や岩があったり、あるいは磁力を発する断層があったりする。」「大地の力(気)がみなぎる場所である」などなど色々な説があります。 静かな空気の流れを感じる。神聖で厳かな気持ちになる。ゾクゾクっとした風が頭から肩にかけて流れる気持ちがする。こんな経験が何度かあります。(霊感など全然無いんですけどね、、、) 以前ハワイに行きはじめた時でした。ドライブしていてノースショア方面に向かった時に途中にスピリチュアルスポットらしき所があるみたいなので軽い気持ちで寄ってみることにしました。 「クカニロコ・バースストーン」行かれた方もたくさんいらっしゃると思いますが有名な場所だったんですね。かつてのハワイ王族の出産場所だった所です。ユーカリと椰子の木に囲まれて大小18個の神聖な石が点在している赤土の大地が広がっています。 ふ〜ん、何だ何だ、と思って歩いて入って行くと、ス〜っと頭の左側から肩にかけて気を感じました。おだやかな風とともにユーカリの微かな香りも漂っていました。何かの警告とか神の啓示とか、そんな大げさな感じ方ではなく、ただ静かな気の流れを何度か感じました!ゾクゾク! 一緒に行った人達はカメラ片手に忙しそうで特に何も感じていないようでしたが、、、。(笑)簡単には行きにくい場所だとは思いますがハワイに行かれた時には一度「気」を感じに行って見ても良いかもしれません。(赤土なので履き物は気軽なビーチサンダルなどが良いかも、、、) 身近な例だと、ある年の春、5月くらいだったかな!?草木も芽吹きはじめる良い季節の頃でした。(表参道のケヤキ並木も一番綺麗な季節ですね) 新宿御苑に行って、のんびり寝転んで日光浴でもしようかと思い久々の訪問でした。東京も結構緑豊かな都市ですよね、思えば!鮮やかな緑の芝生や木々が静かに出迎えてくれていました。 奥のあまり人が多くない方にと歩いていて大きな樹の下を通り抜けようとした時です。来ました!感じました!また何故か頭の左側から左の肩にかけてス〜っと「気」の流れを! 何か伝えようとしているのかな!?とすこし立ち止まりましたが特に何もお知らせ等は無く、ただすこし神聖な気持ちがしたのを憶えています。(でもきっと何かコンタクトしたかったんですよね、きっと) 記憶に新しいのはパリ・ファッションウィークの出張中の事です。定宿にしている小さなホテルのすぐそばに厳かというか外見は重厚(暗い!?)教会があります。 Eglise Saint-Rochサン・ロック教会 後になって知ったのですが、あのイヴ・サンローランさんのお葬式もした由緒ある、歴史ある有名な教会だったんです。日頃は入り口に続く広い石の階段の上に旅行者(たまにホームレスの方々達)が所在なげに座ってバケットサンドウィッチか何かを齧っているような、特別な存在とは思えない通りに溶け込んだ古い建物という印象でした。とてもそんな特な素晴らしい教会とは思っていませんでした。スミマセン、、、。本当に。 である時、展示会も無事終わってホット一息。たまには近所でも散策しようかなという時に、気になっていたこの教会がすぐの第一候補になったのは当然の成り行きで運命的なものだったのです。(大げさですね) でも入って良いのかな!?入れるのかな!?と半信半疑で閉じられたままの大きな重い木のドアを恐る恐る押してみると、何とすんなりと開くではありませんか!更に中のドアを開けて入ると何やら弦楽器の音も聞こえてきます。そこは厳かな高い天井の素晴らしい大きく広い教会でした。壁画や天井画がその歴史を物語っています。 奥の方の大きな祭壇前のステージらしき所では週末か何かにある小さなコンサート(多分)のリハーサルなのかクラシックのミュージシャン達が練習をしています。じゃまをしないように静かに中に入り、木のベンチにそっと座りしばらくは様子見をしていました。 さて場の雰囲気に慣れてくると、いつもの好奇心がわいてきて中を歩いて見ることにしました。左右の通路沿いに小さな祭壇がいくつも備え付けられていてロウソクが灯り、沢山の花々がいけられています。お祈りをしている方達もいらっしゃいます。 その前を通る時でした。ゾクゾク!!何度か感じた事のあるあの「気」がまた頭の左側からス〜っと流れてきました。(何故かいつも左側です、、、。) お〜〜っと思い、歩いて行くと次の祭壇の前でも感じます。次々に小さな祭壇の前を通る度に「気」が降臨してきました。でもやはり重い感じは無く、いやな感じも無く、ただ「気」を感じるだけではありましたが、でも確かに厳かな何かを一身に感じ、何かを引き受けた一時だったのです。 しばらくして外に出るとすっかり厳かな気持ちも忘れ、ショッピングをしてカフェでワインと食事といういつものパリに戻ってしまいましたが、、、。 Bilitis dix-sept ans
2018年11月05日