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現在1歳の息子をとてもかわいがってくれる義母ですが、アレルギーの怖さを理解せず食べさせたことのない食べ物を与えようとするため、私はヒヤヒヤする日々です。少し無神経な義母との食事で困ったエピソードをお伝えします。 初めは理解ある様子だった息子が生後9カ月のときに卵アレルギーが判明し、義母にもすぐに報告をしました。義実家で食事をする機会も多く、息子の離乳食を作ってもらったこともあったので、「今は卵を食べられないので、少しずつ慣れさせていきます」と伝えました。 そのときは「卵アレルギーの子は多いと聞くね。食べられるようになると良いね」と言ってくれたので、理解してくれているものと思っていたのですが……。 アレルギーを軽視している?しかし報告から1カ月ほどたって再会したときに、「卵食べられるようになった?」と義母。すぐに治るものではないので、何年かかけてゆっくり慣れさせていくものであることを再度説明しました。すると、「そんなにかかるの?」 とやや不満げな様子。そして別の日に義父母と食事をしたときには、息子用に義母が買ってくれたベビーフードの中に卵が入っていました。「義母はアレルギーを軽く考えているのか? それとも関心がなくて話をちゃんと聞いてないのか?」と私の不安は募るばかりでした。 母から驚きの発言が…義母は、私が見ていないときにまだ息子が食べたことのない海老入りのおせんべいや生の桃をあげてしまうこともありました。幸いどちらも息子の具合が悪くなることはなかったのですが、「やめてください」と伝えると、それ以来義母が息子に食べ物を与えることはなくなりました。しかし、義父母と私でおそばを食べているときに、「そばは食べられる?」 と聞かれ「もう少し大きくなるまではダメです」と伝えると「昔はあげていたけどね」という言葉が。その後も「伯父さん(義母の兄)はぶつぶつが出ても毎日生卵を食べていたよ」などとびっくりするような話が出てきて、息子と会わせるのが怖くなってしまいました。 夫から義母へハッキリ言ってもらうことにやはりアレルギーの怖さをわかっていないと感じたため、すぐに夫に相談。そして「昔は不用意にアレルゲンを与えて亡くなってしまう子もいた」「勝手なことをするなら信用して息子に会わせられない」と義母にやや厳しく言ってもらいました。 義母は反省してくれたようですが、やはり義実家で会うときは子ども用の食べ物を必ず持参し、私や夫抜きで長時間息子と義母を2人にしないようにしています。 義母は息子をつらい目に合わせたいわけではなく、おいしい食べ物を一緒に食べたいのだと思いますが、「ちょっとだけ」が重篤な結果を招くこともあるという意識が欠けているのは事実です。現在は、毎月受診している小児科でもらった食物アレルギーに関する資料を一緒に見たり、3カ月ごとの息子の血液検査の結果を共有することで理解を深めてもらえるようにしています。 著者:木下りん0歳男児の母。東京と長野を行き来する生活。お出かけ大好きな息子とのお散歩が日課。
2019年11月27日わが家の1人目の子が1歳半になるころ、だんだんと歩きがじょうずになったり、少しずつ言葉が出てきたりと、成長を感じられる場面が多くなり、同時に育児にもだいぶ余裕が出てきたと感じていました。そんなころに2人目を授かったのですが、2人目の育児は余裕には程遠いものでした。 イヤイヤ期と出産が重なって大変!上の子が1歳半になると、0~1歳前後のころと比べてだいぶ育児がラクになったと感じましたが、そのまま成長するに従って、さらにラクになっていくわけではありませんでした。 むしろ下の子を出産するころ、上の子は2歳でイヤイヤ期真っ盛り。0歳のころとはまた違った意味で育児が大変になってきました。上の子だけでも大変なのに、そこに出産や新生児育児が加わって本当にしんどい毎日でした。 下の子が大きくなるとぐっとラクになった子どもたちが小さいころは、2人それぞれに手がかかってとても大変でした。しかし、下の子が2~3歳くらいになると、ママが家事をしている間は、子ども同士で遊んでいてくれることも増えてぐっとラクに! そして、下の子の幼稚園に入園するときは、上の子と一緒に幼稚園に通えることがうれしかったようで、初めての集団生活でもほとんど泣くこともなく、スムーズに園生活をスタートすることができました。 一時は大変だけど、年が近いメリットも!育児の大変さは人それぞれではありますが、2人目を考えているママさんには、1歳半ごろに「育児がラクになってきた」と感じたとしても、そのあとのイヤイヤ期はかなり手強いことを知っておいてほしいです。 一方で、年が近いからこそのメリットも多々あるので、一時期の大変さは覚悟のうえで2人目が早めにほしいという方はぜひ応援したいです。 私自身、妹とは2歳差で、大人になった今でも友だち同士のように仲がいいので、2歳差でよかったと思っています。一方で、自分が2歳差のきょうだいを育ててみて、私たちが小さいころは母も大変だっただろうと思うようにもなりました。著者:奥田美紀二児の母。IT企業にてSE・プログラマーとしてシステム開発やWEBサイト運用等をおこなう。夫の転勤や子育てのために退職し、現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年11月27日私は2人目を妊娠しているときに切迫早産で緊急入院になり、上の子を預かってくれる保育園を探すのに苦労した経緯がありました。そして3人目を妊娠したときも、初期の段階で入院が必要になると診断されたのです。そのときに急きょおこなった保活の体験談についてお伝えします。 ママが専業主婦だと保育園入園は難しい私の住む地域は、ママが専業主婦だと基本的に認可保育園に入園させることはできず、申し込めても出産予定日の前後8週だけでした。もしくは母親が入院するなどで保育ができなくなった場合のみです。2人目を妊娠中のときは、親戚が勤める病院の職員用の保育園になんとか預けることができたのですが、決して簡単に入れたわけではありません。そして3人目の妊娠が判明したときは、医師が「初期の段階で入院になる可能性が高い。早めに保活したほうがいい」と、妊娠10週のときに診断書を書いてくれました。 どうしても入園先が見つからない先生にすすめられたこともあり、早めに保活を始めましたが、どこも空きがなかったのです。しかも相談していた自治体の方は、専業主婦と聞いた時点で保活の話を積極的には受け入れてくれず、家族のなかで保育をする人はいないのかという話ばかりで順調に進みませんでした。そうこうしているうちに妊娠13週のころに、医師から「今すぐにでも入院してほしい」と言われてしまい、どうしたらいいのかわからずに落ち込んでしまいました。 認可外保育園も検討した結果…困り果てていたとき、今まで相談していた自治体の方が「認可外保育園で検討してみてはどうか」と提案してくれました。もちろん視野にはあったものの、金銭的にも厳しかったため候補には入れてなかったのです。しかしそうも言っていられなくなり、いくつか問い合わせましたが、どこの保育園も空きがなく難航……。そんななか、一つの園が事情を察してくれて「空きがあるわけではないけれど、職員の増員も含めて検討させてほしい」と言ってくれたのです。その後、復職予定の保育士さんが早めに復職されることになり、わが家の子どもたちも無事に入園することができたのです。本当にホッとしました。 子どもを2人を保育園に預けることになり家計的には大打撃ですが、その保育園では子どもたちだけでなく、私の育児に対するフォローもしてくれました。産後の不安定な時期も支えていただき、本当に助かりました。 著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2019年11月27日私は妊娠39週のときに、妊娠高血圧症候群で入院しました。その日の夜に陣痛が始まり、自然分娩になるはずが緊急帝王切開に! 陣痛の痛さで何も考えられないなか、ストレッチャーで手術室に運ばれるときに言われた助産師さんの言葉が今でも忘れられません。 臨月に妊娠高血圧症候群で緊急入院つわりはほとんどなく、血圧も正常。むくみはあるけれど、それ以外は何の心配もなく迎えた臨月。高齢出産ですが、自然分娩で頑張れそう。あとは陣痛をどう乗り越えるか……と、私自身いろいろなことを考えていました。 妊娠36週を過ぎたあたりから、上の血圧が130を超えることがありました。医師と相談し様子を見ていたのですが、下がる気配はありません。妊娠39週で妊娠高血圧症候群と診断され、入院することになりました。 入院初日に下された決断病室で安静にしていると、いつも静かな赤ちゃんが頻繁におなかをポコポコ蹴ってきました。「陣痛が来る前触れ?」と思っていると、その日の夜に陣痛が始まりました。はじめは軽い腹痛でしたが、だんだんと背中に激痛が走るようになり、分娩室へ運ばれ、夫も呼び出してもらいました。 これからが闘いだ! となるはずが、先生の表情が曇っています。赤ちゃんの心拍がときどき下がることがあると言うのです。そして下された決断が「緊急帝王切開」でした。 ストレッチャーの上で聞いた助産師さんの言葉ストレッチャーに乗せられ、手術室へ運ばれました。途中、1人の助産師さんが私に声をかけてきました。「帝王切開も立派な出産ですからね!」。痛さで何も考えられず、夫も先生の言葉も耳に入ってこなかったのに、この言葉だけがスッと頭の中に入ってきました。 わかっているつもりでしたが、落胆した表情をしていたのかもしれません。無事に生まれた娘を目にして、「本来の目的を忘れないで!」と背中を叩かれたような気がしました。 無事に出産するためには、自然分娩も帝王切開も関係ない。そう教えられた気がしました。どちらも命がけで出産しているのですから。これから出産する妊婦さんやご家族の方に、改めて知っていただきたい私の体験談です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:永山たまこ1歳女児の母。3回の流産後、不育症の治療をえて高齢で娘を出産。現在は仕事と育児に奮闘中。愛犬と娘を連れて散歩に行くことが日課。
2019年11月27日現在2歳になったばかりの娘には、お気に入りのぬいぐるみがあります。寝るときは必ず抱きかかえ、おでかけするときも持って行きたがります。しかし、私はそのぬいぐるみに関して困っていることがあり、娘の愛着がわく前にやっておけばよかったと後悔していることがあるのです……。 いつも一緒のぬいぐるみ現在2歳の娘は、生後半年ごろに買ってあげたIKEAの犬のぬいぐるみを愛してやみません。お昼寝するときも、テレビを見るときも、夜寝るときもずっと持っています。外出する際も「ワンワン、持っていくー」と言い、公園などにもお供させます。 あまりにも愛用し過ぎて中の綿も圧縮され、見た目はクタクタ。色だって買ったときよりワントーン暗くなっています。それでもこのぬいぐるみが大好きで、他にかわいくて手触りの良いぬいぐるみを買ってあげても、IKEAのワンワンが娘の相棒です。 後悔していること① 洗い替えがないこのぬいぐるみは娘の精神を安定させてくれるようで助かっているのですが、困っていることが2つあります。1つは、なかなか洗えないということです。娘はお昼寝のときも夜寝るときもワンワンがいないと寝ません。その他のときもすぐに「ワンワンどこ?」と聞くので洗濯のタイミングが難しいのです。 娘が1歳ごろ、洗い替えが欲しくて同じぬいぐるみを購入したのですが、時すでに遅し。見た目もにおいも違う新品のワンワンには見向きもしませんでした。お気に入りになりそうだと思った時点でもう1つ買い、交互に使わせておけばよかったと後悔しています。 後悔していること② 大きいもう1つ困っていることは、ぬいぐるみの大きさです。40cmあるのでマザーズバッグに入れることができません。前述の通り、娘はどこにでも持って行きたがるのですが、その大きさゆえに結構邪魔になってしまうことも……。大きいからこそ気に入ったのかもしれませんが、最初に買い与えるぬいぐるみを15cmほどのものにしておけばよかったと後悔しています。 以前、お子さんのお気に入りのタオルの洗い替えがなく、半分に切って使っているという話を聞いたことがありますが、ぬいぐるみではそうもいきません。子どもが何を好きになるかはコントロールできないので、最初に買ってあげるぬいぐるみをもう少し小さいものにし、好きなんだなと思ったら、こだわりが出てくる前に買い足しておけばよかったと思いました。 著者:小川恵子5歳と1歳の姉妹の母。育児サークルの幹部や習い事、執筆活動など、精力的に育児を楽しんでいる。
2019年11月26日「会陰切開(えいんせっかい)」というワード、これから出産を控えている方にとっては気になりますよね。ここでは、初産で会陰切開をした私の体験をお話ししたいと思います。 会陰切開への不安私は妊娠するまで会陰切開を知らず、義母から教えられて、一気に出産することが不安になってしまいました。しかし、なかには会陰切開をせずに出産する方もいるそうです。自分もどうなるのかわからなかったので、周りの出産経験者に体験談を聞き心の準備をしました。今考えてみると、そのときに少し心の準備ができたので、いざとなったら強気でいられたのだと思っています。 会陰切開って痛いの? 流れと痛み私は事前に、もしも切開するときは一声掛けてほしいと先生に要望を出していました。しかし実際に声がかかったときは、恐怖よりも「早くラクにして!」という気持ちのほうが強かったです。切開の前に部分麻酔のための注射をしましたが、それもチクッとするだけで、痛みや恐怖は感じませんでした。 いよいよ切開の瞬間、パチン! という音が聞こえましたが、切られているという感覚はほぼなく、痛みはありませんでした。 会陰切開後の処置無事に出産が終わり、ほっとしたのも束の間、今度は会陰の縫合です。陣痛もほぼ終わったからか、少し痛く感じました。ただ、すごく痛いというより「イテテ」と声は出るものの、我慢できるくらいの痛さでした。 私の場合は、新人の先生がおこなってくれたのですが、ベテラン先生に指示を出されながらの縫合だったので痛みを感じたのかもしれません。 会陰切開後の生活で特に気をつかったこと会陰切開後に注意をしたことは、座る・立つ・トイレに関してです。座るときは、傷口が直接当たらないよう背もたれに寄りかかって座りました。ドーナッツクッションを使う方もいるそうです。立つ瞬間は、どうしてもとっさに力が入ってしまうので、引っ張られる感覚がありました。トイレのときは力をいれることが怖かったです。病院側からは、腟の中に水が入らないように注意しながらビデで傷口を洗い流して、清潔を保つようにとの指導がありました。最初はビデの強さも「弱」に調整しましたが、シャワーが当たる瞬間は少しドキドキしたものです。 私の場合、会陰切開は思っていたより痛くなかったけれど、縫合と傷口が治るまでは多少の痛みがありました。しかし、赤ちゃんが生まれた瞬間は本当に感動しましたし、初めて産んだわが子を見るたびに寝不足で疲れていても頑張ることができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:山﨑ゆい0歳男児の母。結婚を機に地方へ引っ越し出産。現在は新しい土地で、妊娠・出産・子育てに関する記事を執筆している。
2019年11月26日私の息子は右足が先天性内反足(せんてんせいないはんそく)で、右足首が内側に曲がって生まれてきました。最初は動揺して不安になりましたが、早くから治療をすれば治る可能性が高いといわれ、前向きに頑張れました。ここでは、息子の先天性内反足の治療や経過をお伝えします。 先天性内反足とはどんな病気? 原因は?生後6日目に息子の右足首から先が内側に曲がっていることに気付き、受診すると右足先天性内反足と診断されました。先天性内反足とは片足または両足が内側に曲がり、放っておくと歩いたり、走ったりすることが難しくなる病気と言われています。発症率は1,000人に1人ほどで、原因はいまだ明らかになっていないそうです。診断されたときはとても不安で自分を責めましたが、生まれて間もない子どもの頑張りを見守り、治ると信じて早期に治療を始めました。 先天性内反足の治療とギプス生活の始まり息子が生後3カ月になったころ、先天性内反足の治療を開始。初診でレントゲンを撮り、右足の太もも辺りからつま先までギプスで固定して右足首の矯正をしました。はじめのうち、息子はびっくりして泣いていましたが、週1回巻替えをおこなうと徐々に先生や施術にも慣れて落ち着いた様子に。ギプス中はお風呂に入ることができないので、温かいタオルで全身を拭いて体をさすってあげたり、マッサージをしてあげたりするととても気持ちよさそうでした。 アキレス腱を切る手術でつま先が上向きに ギプスでの矯正だけでは右足首が硬く、上下に曲げることが難しかったので生後4カ月のころにアキレス腱を切る手術をしました。局所麻酔をして、右足後ろのアキレス腱を横に1cmほど切って、尖足(せんそく/つま先立ちのような足の形)を矯正します。手術は1時間ほどで終わり、術後の右足はつま先が上に向いた状態になりました。手術室から泣き叫ぶ息子の声が聞こえるたび、とても胸が苦しかったですが無事に終わり、安心しました。 矯正装具の着用開始。お風呂がOKに 手術後から3週間はギプス固定をして、その後は再発防止のためにデニスブラウンという矯正装具をつけました。お風呂のとき以外はずっと装着ですが、ギプスのときには入れなかったお風呂にやっと一緒に入れたときは、とてもうれしかったです。その後、寝返りやハイハイも順調にできるようになり、つかまり立ちのころからは右足だけの短下肢装具になりました。そして歩くようになってから小学生になるまでは、昼寝中と夜間のみ装着を続けました。 息子の場合は早くから治療をしたおかげで今は元気いっぱい走り回り、運動も何の問題もなくできています。ただ、先天性内反足は再発することがあるそうなので、年に1度の定期健診を受けてこれからも経過を見守りたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:八木しほり二男一女の母。自身の体験をもとに、主に子育てやライフスタイルに関する記事を執筆している。
2019年11月25日私は1人目と2人目の子どもを無痛分娩で出産しました。その病院では、無痛分娩は子宮口の開き具合などから計画分娩になります。陣痛が始まる前から麻酔を入れるので、1人目では陣痛を経験していません。しかし2人目は、陣痛を経験した後の無痛分娩となりました。2人目にして初めての陣痛体験をご紹介します。 陣痛がわかるのか心配だった「2人目はお産の進みが早いから気を付けて」と、病院側から何度も言われていました。さらに、陣痛が10分間隔になるころには病院に連絡するようにとのこと。私は1人目では陣痛を経験していないので、陣痛が来たときに「これが陣痛だ」とわかるのだろうかととても不安でした。妊娠37週3日の朝に生理痛のような腹痛と少量の出血がありました。これがおしるしなのか、高位破水なのか判断がつかず、病院に連絡をし、入院準備品を持って病院へ向かいました。診察の結果、破水はしておらず、週数もまだ早いのでそのまま帰宅となったのです。 妊娠38週0日の夜に腹痛が! 妊娠38週0日、2歳の娘を寝かしつけたあと、下痢のような鈍い腹痛に襲われました。もしかすると陣痛かもしれないと思い、陣痛アプリで間隔を計測してみましたが、今ひとつよくわからず……。私の感覚としては、完全におなかをくだしたときの痛みでした。すぐさま陣痛と下痢の痛みは区別がつかないものなのかネットで検索。「陣痛は出してはいけない下痢を我慢するような痛みだった」という内容の体験談を見つけ、「今まさにそれだ! やっぱり陣痛なのか、いや、でも下痢っぽいしどっち!? 」と1時間ほど迷いました。でも、だんだん痛みが強くなってきたので、病院に連絡すると「すぐに来てください」とのことでした。 子宮口7cmで入院に!家ではわかりにくかったのですが、タクシーに乗ったあと、痛みが来たときと引いたときの差がはっきりわかり、これは陣痛だなと確信しました。このころには、下痢よりも生理痛のような、しめつけられるような痛みになっていたのです。病院に着いてすぐに内診をして、子宮口が7cm開いているとのことで入院に。7cm開いている割には、大きな声が漏れるほどの痛みではありませんでした。この時点で、医師から「本当に無痛にしますか? 麻酔が効いてくるまで時間がかかるし、無痛にしないほうがお産の進みが良くて早く生まれると思いますよ」と言われましたが、私は痛みが怖かったので迷わず無痛をお願いしたのでした。 子宮口が全開になるころに麻酔が効き始めその後、麻酔を入れて効いてくるまで陣痛に耐え、「いきんでいい」と言われたものの、痛くて腰が引けていました。そして、赤ちゃんが下りてくるさらなる痛みが怖くて、もういきめない状態になっていました。しかし、そこでちょうど麻酔が効き始めたのです!その後は陣痛の波を見て助産師さんからの指示でいきみました。波が引いたときはテレビを見たり助産師さんとお話ししたりしつつ。そして入院から3時間ほどで息子を出産しました。 私は2回とも無痛分娩でしたが、1人目のときも子宮口が3cm開いた状況で痛みがほとんどなかったので、もしかすると痛みに鈍い体質なのかもしれません。それで陣痛に気付かず、知らぬ間にお産が進んでしまうのではという不安がありました。しかし、下痢としか思えない痛みだったのでなかなか病院に連絡できず、お産の途中で便が出ることもなかったので、あれは完全に陣痛の痛みだったのだと後になって思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:ひらたかおる二児の母。趣味はメルカリと写真。自分の備忘録と、いつか誰かの役に立つことを願って妊活中からブログを続けている。2018年から、自身の妊活や子育てでの経験をさらに活かすべくライターとして活動している。
2019年11月25日初めての女の子のお世話。「お股はどうやって洗えばいい?」「うんちをしたあとの拭き方は?」など、お世話で気になることはたくさんありました。「お肌のきれいな子に育てたい!」と思うことも。今回は、気になる女の子のお肌ケアについて、私がおこなっていることを紹介します。 「清潔」「保湿」「紫外線対策」を徹底した!私が改めて感じていること。それは「清潔」「保湿」「紫外線対策」がきれいなお肌を保つためには欠かせないということです。特に赤ちゃんのお肌はデリケートなので、常に保湿を心がける必要があると感じています。 1日1回はよく泡立てた洗浄料で汚れをきれいに落とし、季節に適した保湿剤を塗るようにしています。お出かけ時には帽子をかぶせるなど、紫外線対策も意識しておこないました。 女の子のお股はこう洗った!女の子のお股の洗い方は、助産師さんから教わりました。まずは洗浄料をよく泡立ておきます。(泡で出てくるタイプの洗浄料だと便利です)。そして、ママの指でお股の割れ目を少しだけ開きながら、片方の指でなでるように泡でやさしく洗い、そのあと、肛門周辺や太ももの付け根を洗うようにしていました。 子どもが動き回って洗いにくいことも多いですが、汚れがたまりやすい箇所なので清潔にするよう心がけました。 うんちをしたあとはこう拭いた!女の子のうんちのときの拭き方は「前(外陰部)から後ろ(肛門)に拭いていくこと」を徹底しました。女の子は肛門と外陰部の距離が近いため、特に気を付けたいところ。男の子に比べるとちょっと神経を使いました。 また、太ももの付け根についた汚れもきちんと拭き取るよう意識。最後に腰を軽く浮かせておしりに残った汚れを拭き取ります。デリケートな部位なので、「やさしく拭くこと」も心がけました。 赤ちゃんのお肌のケアは、教わらないとわからないことがたくさん! 自分のやり方で合っているのか不安に感じたときはよく小児科などで相談しました。悩みを解決していくうちに、育児にも自信がついていきました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2019年11月25日息子が生後6カ月のころの話です。当時、私は育休中。息子の育児、家事をすべてひとりでおこなっていました。夫の帰りが遅いため、入浴もひとり。「夜中に目が覚めると翌日の仕事がきつい」と言う夫と寝室を分けていたので、夜泣きの対応も私がしていました。 息子は私が視界からいなくなると泣き出すので、トイレも落ち着いて入れない状態で、今振り返ると許容量を超えたストレスを抱えていたように思います。 夫は私の状況を理解していなかった!夫は文句を言わない代わりに家事を手伝うこともありませんでしたが、「働いてくれているから……」と、手伝ってほしいとは言えませんでした。そんななか、夫が私に「育休って言ってサボってるだろ? 俺もサボりたいよ」と言ってきたのです。 息子が生まれてからの日々を否定するような発言に私は言葉を失いました。育児も家事も思うようにいかず悩んでいましたが、夫にはそれが怠けているように見えていたらしく……。 涙をこらえながら「サボっているわけじゃないよ」と返しましたが、夫は笑いながら「じゃ、なぜ洗濯物が溜まってるの? ごはんのおかずひとつだけなの? 息子をサボる言い訳にしたらダメだよ」と言ったのです。 息子を言い訳になんてしていないのに「息子をサボる言い訳にする」⋯⋯一番悔しい言葉でした。私は我慢できずに泣き出してしまい、それを見た夫は「え??」と動揺。泣きながらなので時間はかかりましたが、自分の状況を説明することができました。 細切れの睡眠で合わせて5時間も寝られれば良いほうであること。トイレにゆっくり入れないこと。入浴も自分の体を洗う時間はなかなか取れないこと。家事が片付かないことにイライラしていること。今伝えたことがすべてではないということ。そして、家事が思うように進まないことを息子のせいになどしてきたつもりはないということ。 夫は黙って聞いていました。しばらく沈黙のあと「知らなかった、ごめん」と頭を下げてくれたのです。 夫は知ろうとしなかっただけ夫は私が日中のことを何も伝えてこないことで、何も問題はないと判断していたのだと言いました。そして、何も問題がないのに家事が片付いていないのはサボっているからと思い込んでいたのだとも。だからあえて、傷つく物言いで指摘したのだそうです。 たしかに私はこれまでのことを伝えてきていませんでしたが、状況の確認もせず、息子を言い訳にして家事をサボっていると一方的に言われたことが私は悲しくて悔しくて仕方ありませんでした。 「知らなかったからではなく、知ろうとしなかったからでは?」⋯⋯私は夫に尋ねました。夫は何も返事をしませんでした。結局、この日はそのまま会話がなくなってしまい、約1週間、私と夫は最低限の会話しか交わしませんでした。 土日の育児と家事は俺がやる金曜日の夜。夫が1枚の紙を私に渡してきました。 「土日に家のことや息子の面倒をみるから、流れを書き出してほしい」とのこと。そして「1週間考えてみた。お前の言うとおり、知ろうとしてなかったんだと思う。ごめん」と、再び頭を下げてくれたのです。 私としては夫のその姿勢がうれしいと感じた反面、本当にやれるのかな? と不安でもありましたが、まずは流れを書き出し、実際はこの通りには進まないことがある、と説明をしました。 そして夫は、実際に私の書き出した流れを参考に育児と家事に挑戦した結果、私のこれまでの状況を身をもって理解したのでした。 「息子をサボる言い訳にする」という言葉は今でも忘れられません。それほど私にとっては悔しかったのです。 しかし、それを言わせたのは自分でもあります。きちんと夫と普段の状況を話して、無理に我慢せず手伝ってほしいと言えていたら、夫もこの言葉を言うことはなかったと思います。 この一件以来、私はこまめに状況を伝えるようになり、夫も私に「手伝えることはある?」と聞いてくれるようになりました。おかげで、ストレスを溜めすぎることもなく、穏やかに日々を過ごせています。 著者:山田甜子夫と1歳の息子と3人暮らし。元アロマセラピスト。介護福祉士として福祉関連職でフルタイム勤務をしている。自身の経験や知識、体験を元にした記事を執筆している。
2019年11月25日1歳を過ぎたあたりから風邪を引きやすくなった息子。1歳7カ月になってもその様子は続いていて、この日も夕方ごろから咳をするようになり、「風邪引いちゃったかな?」と思っていました。熱もなかったので、咳が続くようなら翌日にでも受診をしよう、そう考えていたのです。 荒くなる呼吸…夜間外来へ夜になり、呼吸が普段の様子と変わってきて「これはただの風邪ではないのかも?」と思い始めました。明らかに呼吸が荒く、喉の奥から「ヒューヒュー、ゼィゼィ」といった音が聞こえるようになってきたのです。 また、普段は寝つきが良いのに、ベッドに横になることすらグズって嫌がるように。縦抱きであれば多少ウトウトするものの、ベッドにおろすと激しく泣いてしまうため、朝まで様子を見られる状態ではないと、夜間外来を受診することにしたのです。 肺炎で入院…付き添いで私も共に病院に行くまでの約30分間、呼吸はどんどん荒くなっていました。夜間外来に到着したのは23時を少し回ったころで、受付を済ませるとすぐに診察室へ呼ばれたので中に入ると、診察する前から先生が「呼吸、苦しそうだね」と一言。 聴診器で胸の音を確認された後に「レントゲンを撮ろう」と言われて撮影した結果、肺炎であることが判明。そのまま入院となりました。付き添いが必要ということで私が残り、 夫は一旦、入院に必要な物を自宅へ取りに帰ることに。そして夫が病室に戻ってきたのは夜中の3時でした。 1週間の入院生活入院中、息子は入浴ができませんでした。鼻には酸素を送るチューブを装着。24時間点滴をおこない、1日3回ほど呼吸をラクにするための吸入をするという生活で、ベッド上から降りられない状態でした。走り回るのが好きな息子にとってはとてもつらい1週間だったと思います。 最初の2日間は発熱も続き、呼吸も苦しそうでしたが、3日目を過ぎたあたりから熱が下がり、呼吸も落ち着いてきました。5日目には食欲もすっかり回復し、食事を完食できるほどに。普段と変わらない様子に戻り、安堵したことを覚えています。 ようやく退院!6日目の朝、先生の回診で呼吸音の確認をしてもらいました。そして聴診器で聴いても「ヒューヒュー、ゼィゼィ」という音がなくなったということで、「退院しても大丈夫でしょう」という話になり、翌日退院することに。 その日の午後には点滴も酸素チューブも外されました。 翌日まで問題なく過ごし、7日目の朝にようやく退院となりました。 1週間、息子が苦しい思いをしたのは最初に私が息子の不調を軽く考えていたからです。今回、それを思い知りました。不調のサインを見逃さず、軽く考えず、適切な対処ができていれば息子につらい思いをさせなくて済んだのでは? と思うと、とにかく申し訳ない気持ちでいっぱいです。息子がこれからも元気いっぱい遊びまわれるよう、不調のサインを見逃さないように生活していきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:山田甜子夫と1歳の息子と3人暮らし。元アロマセラピスト。介護福祉士として福祉関連職でフルタイム勤務をしている。自身の経験や知識、体験を元にした記事を執筆している。
2019年11月24日妊娠中、出産のエピソードをネットで検索していました。そのときに知ったのが「分娩中にうんちも出てきてしまう場合がある」という驚愕の事実。周りの先輩ママからは聞いたことがないけれど……。実際に私の出産ではどうだったのか、包み隠さずお伝えします! 出産前に浣腸私が出産をしたのは、地方の個人産院。前駆陣痛が来て受診すると、子宮口は3cm開いていました。卵膜剥離の処置をされ「このままお産が進むだろう」ということで入院しました。 産院の方針で、痛みが強くなる前に浣腸をしました。5分待って排便するよう言われましたが、強烈な便意に耐えきれず、1分程度でトイレに行ってしまいました……。出しきれたかはわかりませんでしたが、その後便意はありませんでした。 最初のいきみで…… 出た!それから順調にお産が進み、入院から約6時間で子宮口が全開大になりました。分娩台にあがり、助産師さんに「思いっきりいきむように」と促されました。気合いを入れて「うーん」といきんだところ……おしりに何かが流れる感覚がありました。 かなり少量でしたが、浣腸で軟らかくなっていたうんちが出てきてしまったのです。その瞬間「本当に出ちゃった!」とうんちのことで頭がいっぱいになりました。 静かに処理してくれた次の陣痛が来たからいきまなきゃ! でも、うんちが付いたままで気になる! と、痛みに耐えながらも慌ててしまった私。すると助産師さんが、看護師さんに小声で「拭いて」と指示を出し、さっと処理してくれたのです。 何ごともなかったように真剣な表情のままだったので、こちらも恥ずかしさを感じなくて助かりました。また出ないかと不安でしたが、何度かいきんでも出なかったので、その後は安心して出産に集中できました。 私は分娩中のうんちを夫に見られるのが怖くて、立ち会い出産を希望していませんでした。しかし、処置がスピーディだったので、おそらくそばにいても気づかなかったと思います。これなら立ち会ってもらえばよかったな、と少し後悔しています。 ※分娩の前に浣腸をする・しないは、産院・病院によって異なります。 著者:霧山いずみ結婚を機に販売職を退職し、地方で寡黙な夫とおしゃべりな娘と3人暮らし。子育てをしながら、ママさんコーラスの活動と記事執筆をおこなう。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー
2019年11月24日私は2年半の妊活の末に、第一子である娘を授かりました。通院しながらタイミング法や人工授精にトライしましたが、最終的には33歳のときに自然妊娠。 妊活中は、SNS上で同じ境遇の人たちと励まし合いながら過ごしました。その一方で、子どもが欲しくてできないことや不妊治療のことは、それ以外の誰にも話さないと決めました。 その上で、妊活中の人間関係はどうだったのか、子どもに関して言われたことなどをご紹介します。 話さないと決めた理由不妊は私の中でとてもデリケートな問題でした。かつての自分がそうだったように、経験がない人には渦中にいる者の気持ちはとても理解できないだろうと思ったのです。当事者の自分でさえ、妊娠できないことのあまりのつらさに戸惑っていました。経験がない人からの励ましも慰めもアドバイスも欲しくないと思ってしまい、とにかく触れてほしくなかったのが誰にも話さないと決めた一番の理由です。その代わり、私が妊活中であることを知らずに「子どもは早いほうが良いよ」などと言ってくる人がいることについては、「知らないのだから仕方ない」と諦めることにしました。 親や親族との関係私の実家も夫の実家も遠方なので、頻繁に会う機会もなかったのは幸いかなと思います。会ったときも子どもについて触れることはなく、静かに見守る姿勢だったのはありがたかったです。両家に孫はなく、みんな待ち望んでいたと思います。せめてぬか喜びをさせないようにと、誤解を招くような発言はしない、妊婦に見えそうな服は着ない、など密かに気をつかっていました。 難しい30代の友人関係30代の女の友人関係は、ただでさえとても難しいものだと思います。独身・既婚、子どものあり・なしで環境が大きく変わるため、今まで通りの付き合いも難しくなっていました。結婚以来、なんとなく友人と疎遠になるタイミングだったこともあり、妊活中も積極的に会おうとはしませんでした。意外と手強いのが独身の友人で、サラッと「子どもは欲しいの?」と突っ込まれることがありましたが、「あんまりそういうことは聞かないほうが良いよ」などと答えていました。今思えば、その返答で察してくれていたかもしれないと思うと恥ずかしいです。でも「欲しい」と答えていたら「作らないの?」と返されるだろうし、いまだに正解がわからずモヤモヤします。 職場の人との関係職場は男性が多く、そんなにフランクな仲ではなかったのですが、個人的なことはほとんど聞かれないので気楽でもありました。一度飲み会の席で「子どもは作らないの?」と聞かれたことがありました。「まあそのうち」など適当に流しましたが、不意打ちのダメージは大きかったです。 通院するときは、仕事が終わってから診察に向かいました。ところが人工授精では、急に「明日の朝に人工授精をしよう」と決まることがあります。そうなると仕事を遅刻しなければならず、不妊治療のことは職場には一切話していないので、「猫を病院に連れて行く」と嘘をついて遅刻していました。その罪悪感と、効果の出ない人工授精に打ちひしがれることもありました。 誰にも話さないと決めたのは、例えば、独身の友人に話したとして、その独身の友人が結婚して私より先に妊娠したとしたら、私もやり切れないし、友人のほうが申し訳なく思うだろうという理由もありました。今になれば、そこまで先回りしなくてもと思う部分があるのも本音です。でもそれは、2人の子どもを育てている今だからこそ言えること。当時の記録を読んでいると、正解が見えず苦しくなります。難しい問題と向き合い続けたのだなと、妊活中の自分を素直に労いたいと思います。 著者:ひらたかおる二児の母。趣味はメルカリと写真。自分の備忘録と、いつか誰かの役に立つことを願って妊活中からブログを続けている。2018年から、自身の妊活や子育てでの経験をさらに活かすべくライターとして活動している。
2019年11月23日結婚後すぐ、義理の実家に完全同居で生活していた私。何かにつけて義母は「ラクできていいわね〜」と言うばかり。産後すぐに私の顔を見るなり、「ラクでよかったわね」と言われ、怒りがこみ上げてきた私の体験談です。 ラクでいい? 同居嫁はラクじゃない!結婚してすぐに妊娠。それから夫の実家に同居していました。夫、義母、義祖母、私の4人での生活。快く受け入れていただき感謝していましたが、高頻度な親戚の出入りや、義母の姉夫婦が突然泊りにきたり、とにかく落ち着くことのない慌ただしい毎日。急に食事を作る量が増えたり、夜にお酒を飲み騒いだり、私の生活リズムやプライバシーはあってないようなものでした。 義妹は遠方で夫婦と子どもだけで生活していたので、何かと私と義妹を比較して「同居はいいわね〜手伝ってくれる人がたくさんいて」と高らかに笑うんです。全然ラクじゃないですよ! と言えるわけもなく、モヤモヤはどんどん増えていきました。 「ラクでいいね」はどんどん増える!おなかが大きくなるにつれ、思うように動かせなくなっていく体。お風呂掃除は義祖母が、トイレ掃除は義母が、と分担してやってくれました。実際代わりにやってもらえるのはとても助かりましたが、義母はまた私がラクをしていると言うんです。 身体的負担は減りましたが、「家事やらなくていいなんてラクね〜」と日々聞かされ、どんどんモヤモヤが増えていくばかり。夫に相談してみましたが、「俺に言う?」となかなか取り合ってもらえず、心苦しさと寂しさで、今にも潰れそうになっていました。 産後すぐにも「ラクでよかったね〜」妊娠37週目、陣痛が来ていることに気づかず過ごしていた私は、破水が起こるまで自宅にいました。夜中に破水してそのまま入院、病院到着から3時間で出産。産後すぐ会いに来てくれた義母は、到着から3時間で生まれたと聞くと、すかさず義妹と比較して「ラクに産めてよかったね〜」と、また私がラクをしたと言い始めたんです。 疲労困憊な私を目の前にして、「ラクをした」と言われるのはなんだか許せませんでした。義母も出産を経験しているのに、どうしてそんなことを言うんだ! と怒りがこみ上げ、なんとも言えない感情になってしまったんです。産後の里帰り中も、義理実家へ戻った後もモヤモヤはおさまらず、義母との関係は一方的にギクシャクしていきました。 私の義母との付き合い方義理の実家へ戻ってからは、生活に支障のない程度に避けるようになりました。義母を見るとまた「ラクできて〜」と言われる気がして、顔すら見たくない状態に。しかし、同じ家で生活している以上、リビングでは会うことになります。それまでできていたなにげない会話もできなくなっていきました。見かねた夫がフォローしてくれていましたが、正直気休めにしかなりません。 義母にやめてほしいことはたくさんありましたが、1つだけ「ラクできていいね」と言うのだけやめてほしいと夫から伝えてもらい、「ラクできて〜」を減らすことに成功。それでも時々言われましたが、言われたときはサッと自室に逃げると決めて、少し義母と距離を置く生活へ変えていきました。 義母や義祖母が、私の至らないところを快く補ってくれていたのは事実です。調べたり教わったりしながら日々奮闘していましたが、完璧主義な義母には敵いませんでした。力不足でイラっとさせてたのかもしれません。 確かに同居嫁は、夫婦だけで生活している家庭に比べるとラクに見えるかもしれません。でも、何かにつけて義妹と比較され、出産すら「ラクしている」と言われるのはやっぱりつらかったです。 本当はラクじゃないんだ! とあのとき言うことができていたら、義母との関係が良くなっていたのかな、とも思います。義母の性格、自分の性格に合ったおつきあいの距離が大切なんだと感じました。 著者:島崎あゆみ二男一女、3人の子どもを抱えるシングルマザー。自身の妊娠・出産・育児の経験をもとにライターとして活動中。
2019年11月23日1人目を妊娠しているときから、「子どもは2人欲しいよね」と夫婦の意見は一致。ですが1人目を不妊治療で授かったので、「2人目不妊になるのでは?」と心配に……。なぜなら1人目ができるまでに、3年かかっていたからです。1人目が落ち着いたら……と、そのときの私はのんびり考えていられませんでした。そのような状況で2人目を授かり、私が感じたことをお伝えします。 2人目不妊を想定して早めに妊活を開始1人目は不妊専門の病院に3年通い続けて、妊娠した経験があります。そのため、子ども同士の年の差を気にしていられませんでした。2人目も不妊となると、1人目を連れて頻回に病院に通わなければいけません。薬の副作用で思うように体が動かないことも……。万が一の事を考えると、私は1日でも早く妊娠できる体に整える必要があると考え、30歳で2人目の妊活をスタート。産後6カ月目のとき生理が再開したので基礎体温の測定を開始して、安定するのを待ちました。そして1人目が生後10カ月のころに断乳をして、葉酸摂取を開始したのです。 予想に反して2人目はすぐに妊娠!結果、1人目を妊娠するまでに3年かかったのですが、2人目は妊活を開始して2カ月で妊娠しました。一番心配していた不妊問題もあっさり解決して、私たち夫婦は晴れて年子を授かることができました。年子は大変だな……と思いましたが、子育てが落ち着いたら早めに再就職をしなければいけなかったので、早々に子宝に恵まれてよかったと一安心! 不妊治療には高額な治療費がかかるため、その分を教育費に回せられると考えると安心できました。 1人目に対してフォローしたこと子育ては1人だけでも十分大変ですが、子ども同士の年齢が近ければより手がかかるかもしれない、と感じていた私。早々に2人目を考えていたこともあり、1人目には自分でできることはなるべく自分でさせるようにしていました。 自分でごはんを食べる・簡単な脱ぎ着はもちろん、外では抱っこを極力せず「赤いボールまで歩こう!」「あっちにワンワンがいるよ! 見に行こう!」と声掛けをして、歩くことの楽しさを子どもに感じてもらえるよう工夫をしました。しかし1人目も1歳6カ月で、まだまだ甘えたい時期だったと思います。寂しい思いをさせないために、2人目の授乳中も1人目を一緒に抱っこをしたり、2人目が寝ているときは1人目との時間をたっぷりつくるよう意識しました。 私の場合は「不妊」の可能性があったため、2人目はかなり焦って妊活をしました。そのため子ども同士の年齢差も考慮できず、1歳6カ月差に……。ですが常にライバルであり心強い仲間になった子どもたちを見て、今は年子で本当によかったなと思っています。 著者:太田 いこ岡山県在住、年子姉妹の母。フルタイムで働きながらライターとしても活動中。主に、不妊・育児・ママ友などのテーマで記事を執筆している。
2019年11月22日5歳と1歳の子どもの子育て中です。子どもが2人になってからやることが増え、以前と比べて丁寧な育児ができなくなっています。今回は1人目と2人目を比べて、こんなところが変わったということを紹介したいと思います。 おむつを替える回数が少ない1人目のねんね期はおむつかぶれが心配で、1日に15回以上していたおむつ替え。何時に替えたかがわかるよう、育児日記もしっかりつけていました。でも意外と漏れないし、かぶれないということがわかり、2人目のおむつ替えの回数は1日10回未満に。お尻の状態はきちんと確認していましたが、わが子の肌が強いのか、特にトラブルはありませんでした。 ちょっとぐらい汚くても気にならない1人目の子が生後半年を過ぎ、動き回るようになったころは菌や汚れがすごく気になり、紙せっけんや除菌グッズを持ち歩いていました。「汚いから触っちゃだめ」など注意することも多かったです。それが2人目になると、「ちょっとぐらいじゃ死にはしない!」という感じで以前よりおおらかだったため、のびのびと砂遊びや粘土遊びをさせてあげることができました。注意することが多かったからか、1人目は神経質なところがありますが、2人目は細かいことは気にしません。そして、1人目と比べて風邪をひきやすいということもなかったです。 市販のベビーフードも利用する1人目のときは「なるべく手作りのものを食べさせたい」と思い、市販のベビーフードは離乳食期間を通して数回しか食べさせませんでした。おやつも市販のものではなく、甘さ控えめのプリンやクッキーを作っていました。でも、料理する時間がなかなか取れないうえに、1人目の付き添いで外出することが多い2人目。腐ることが心配で、外出先では市販のものをあげていました。市販品を取り入れることで、バラエティーに富んだごはんやおやつを食べさせることができてよかったです。 1人目のときに比べると2人目は丁寧な育児をしていません。でもそれは愛情がないということでは決してなく、周りのママたちの様子もたくさん見て、自分でも経験を積み、「これぐらいで大丈夫」というのがわかったからです。1人目のときは頑張っていた分、私に余裕がなく、笑顔で接してあげられなかったときもあります。2人目にして「いい加減な育児」ではなく「良い加減の育児」になり、それはそれで良いことなのかなとも思っています。 著者:小川恵子5歳と1歳の姉妹の母。育児サークルの幹部や習い事、執筆活動など、精力的に育児を楽しんでいる。
2019年11月22日赤ちゃんとの毎日がもっとラクに、もっと楽しくなる。ベビーカレンダーは、そんな毎日を応援するコラムを絶賛連載中! 今回は、出産前にドラム型洗濯乾燥機を導入した体験談をお話しします。高い買い物ではありますが、その価値はありました! 家事に余裕ができると、気持ちに余裕ができて笑顔が増えました。 一番高価な出産準備品わが家の出産前の一番高い買い物は、ベビー用品ではなく、ドラム型の洗濯乾燥機でした。出産前に15万円以上もする大きな出費は避けたいと渋っていたのですが、夫がぜひにと購入。結果的に大成功でした。 出産後の家事・育児は本当に大変で、洗濯機に入れるだけで大量のベビー服やタオルがふかふかに乾いて出てくる状態がどれだけ助かったことか! 冬の寒い日に外で干さなくて済み、購入する価値は十分ありました。いまだに夫に感謝しています。 実際に導入した洗濯乾燥機購入したのはパナソニックの「スピンDansing NA-VX3101L」です。電気代が比較的安いヒートポンプ型で、型落ちのセール品を購入しました。しかし性能は十分で、夜にセットしておけば、朝、乾燥した洗濯物が出てくるという夢のような状態! セットする毎に乾燥フィルターのほこりを取る手間はあるものの、ほんの30秒ほど。また、心配していた電気代はプラス5,000円になりましたが、電力会社を変更したため、購入前と変わらない水準です。 ラクできるところはどんどんラクをする子どもにとってママはひとりしかいません。そして、子どもが小さい時期は本当にあっという間です。家電は高い買い物ですが、子どもとの時間が増え、生活のなかで笑う余裕ができるなら、買う価値があると私は思いました。たとえるなら、家事のアシスタントがいつも家にいてくれるような感覚です。 ロボット掃除機や食器洗い乾燥機など、さまざまな家事に対応した家電、お手ごろ価格で購入できるものも増えてきました。苦手な家事のアシスタントとして、長い目で見ればお得かもしれません!著者:中浦明子一児(女の子)の母。結婚を機に書店員を退職。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は子どもと散歩、子どもと行けるカフェの開拓。
2019年11月22日Instagramで大人気、ニシカタさんの育児エピソードをご紹介! 退院後、実家にお世話になるも5日で切り上げ、夫の待つ自宅へ帰宅。 出産後、慣れない新生児の育児と家のことを頑張っていたところ、体に斑点が出てきてしまったニシカタさん。出産した産院の皮膚科を受診すると「おそらくアナフィラクトイド紫斑病だね」と言われ……?! 麻酔が本当に痛くてですね……声が出そうでした……。産後、痛みを我慢しなきゃいけないとき、陣痛出産を思い出しませんか?あのときはもっと痛かった、まだ耐えられる!って。 先生の入院になるかもしれないという言葉が頭をぐるぐるしてしまうのでした。 ニシカタさんのマンガはInstagramで更新中! ぜひチェックしてみてくださいね♪ ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 この投稿をInstagramで見る ニシカタさん(@c_nishikata)がシェアした投稿 - 2018年 6月月12日午後2時22分PDT 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター ニシカタ2018年1月、長女を出産。インスタで出産、産後、育児レポートマンガを更新し、人気に。ゲームと海外ドラマとデパ地下が好き。
2019年11月22日当時1~2歳、イヤイヤ期真っ只中。手に負えないわが子のわがままには、本当に悩まされました。イヤイヤ期を通して習得したのが「最初にかける言葉を変える」こと。これで、イヤイヤがその後早くおさまるようになったんです! 今回は、わが子のイヤイヤに効いた最初のひとことを、シーン別にご紹介します。 自分でできることを「ママやって!」 とイヤイヤ食事や着替えなど、自分でできるのに「ママがやって」と、やろうとしない日がありました。「自分でできるでしょ!」と言うと、イヤイヤが発生です。 こういったわが子の行動は、「甘えたい」メッセージであることに気付きました。「そっか、ママにやってほしいんだね」と最初に言葉をかけてから行動を促すと、すんなりやってくれたこともあります。まずは、甘えたい気持ちを受け止めてあげることが大切なのだと学びました。 おもちゃでうまく遊べなくてイヤイヤ一生懸命に組み立てていたブロックがくずれてしまう……。思うようにいかなくて、よくかんしゃくを起こしていました。最初のうちは「そんなに怒らないで、気にしないの」となだめていましたが、火に油を注ぐようにイヤイヤはますますエスカレート。 そこで「うまくいかなくて悔しいね」と言葉をかけると、イヤイヤがおさまりやすかったです。わが子の悔しい気持ちを共有する言葉をかけることがポイントでした。 手に負えない原因不明のイヤイヤ「どうして泣いているの?」「何が嫌なの?」……質問を投げかけてもイヤイヤがおさまらない。私は泣いている理由を探ろうとしましたが、そんなことは必要ありませんでした。 泣いている理由がなんであれ、「ママに注目してほしい」と信号を送っていたのは確かだったからです。「ちょっと一緒に遊ぼうか」と言って外へ出てみるなど、わが子と向きあう言葉をかけることが解決につながりました。 おさまらないイヤイヤに「うるさい!」と乱暴な言葉を発したこともありました。わが子の感情はエスカレートするだけです。わが子の気持ちに寄り添う言葉をかけることが、解決への近道でした。著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2019年11月22日わが家のやんちゃな5歳と2歳の男の子2人は、電車が大好きな子鉄です。ある日「プラレールで作った特設レイアウトの線路を、自分の電車で自由に走らせることができる」というイベントに参加。そこで他の子がわが子の電車を勝手に使っている! と思い込み、赤っ恥をかいたできごとが……。反省と後悔だらけのエピソードをご紹介します。 プラレールが大好きな子どもたち子どもたちは、私よりも駅や車両の名前に詳しい電車マニアです。おもちゃも電車関係の物が多くなり、なかでもプラレールには目がなく、珍しい車両をお店で見つけては「買って!」とおねだり。そんなある日、プラレールで作った特設レイアウトの線路を、自分の電車で自由に走らせることができるイベントがあるのを知りました。子どもたちにとっては夢のような企画。早速、お気に入りの電車を1台ずつ選ばせて会場に行きました。 よその子がうちの電車を使っている!?会場ではたくさんの子どもたちが楽しそうにプラレールの電車を走らせていました。早速、長男と次男もお気に入りの電車を走らせました。しばらく遊んでいると、自分の車両を持参していないお子さんが、長男や次男の電車を持って行こうとしたり、誤って落としてしまうことが続きました。こういったイベントではあるあるなので、お子さんたちに悪気がないのもわかっていますが、「これはうちの子の電車なんだ」「触りたくなっちゃうよね~」とやんわり伝えて返してもらっていました。そんなとき、また次男の電車を手に持っている子を見つけたのです。私はまた「ごめんね。うちの子のなんだ」と伝えると、そのお子さんのママが「うちのですよ」と言ってきたのです! 子どもとママさんに平謝り慌ててその子が持っている電車を見ると、車両は同じですがわが家のとは汚れ具合が違う……。実は次男の持ってきた電車は既に廃盤の電車でかなり珍しいものでした。そのため、まさか同じ車両を持っている子がいるとは思わなかったのです。名前入りのテープも貼っていたのですが、車輪側に貼っていたので気がつきませんでした。恥ずかしさと申し訳なさですぐに謝罪したところ、その子のママからは「全然大丈夫ですよ~」とやさしいお言葉。よく確認せずに、勘違いで注意してしまったことを後悔しました。 そのママさんがやさしい方で本当によかったです。そして勘違いで注意してしまったことは、思い出すと恥ずかしくなります。今後は思い込みではなく、よく確認してから行動に移そうと強く猛省したできごとでした。 著者:竹内優実5歳と2歳の男児を育児中。時短と節約が大好きなアラフォー母。簿記2級・MOSマスター・初級シスアド取得。パソコンを活かした育児グッズの作成が得意。夫は激務の為、ほぼ一人育児中。
2019年11月21日私の祖母が他界したのは、息子が生まれる2週間前のことでした。いつもやさしくしてくれた祖母に、ひ孫の顔を見せてあげられなかったことの他に、もう一つ私には心残りなことがありました。 大好きな祖母は筆まめな人でした「元気にしていますか」祖母からの手紙の書き出しには、いつもこう書いてありました。祖母は周囲への気配りがじょうずで、私のことを気づかいながらもこちらからの返信を求めるようなことはなく、「おばあちゃんのボケ防止だから、お返事はいいのよ」と言ってくれました。 私はその言葉に甘えて、電話したり遊びに行ったりはするものの、手紙を出すことはほとんどなく、妊娠してつわりが出始めてからは一度も書きませんでした。 元気だったのに…祖母との突然の別れ出産間近となり、私たち夫婦は子育てしやすい環境へ引っ越しをすることになりました。そのことを伝えると祖母は荷解きの手伝いを買って出てくれ、昼食まで用意してくれたのですが、まさかこのときの「きんぴら」が、最後の祖母の手料理になるとは……。 引っ越しから一週間ほどたち、祖母と同居する叔父から「祖母の具合が急に悪くなった」と知らされ、病院に運ばれたときにはすでに昏睡状態。祖母は二度と目を覚ますことはありませんでした。 祖母への最後の手紙すでに臨月を迎えていた私は、葬儀への参列は家族に止められてしまいました。せめて手紙だけでもと、たくさんの想いを込めて手紙を書きました。このときに感じた後悔は今でも忘れることができません。 それからというもの、私は手紙をたくさん書くようになりました。身近な人へのちょっとしたお礼のメールから、大好きな作家さんへのファンレターまで。手紙を書くうちに、祖母の気持ちがだんだんとわかるようになりました。大切な人にいつでも感謝を伝えられると思いがちですが、実際はそうではなく、相手と疎遠になったり、祖母のように突然亡くなることもあります。おそらく、祖母は自身が高齢なことを感じて、伝えられるうちにと私に手紙を書いてくれていたのだと思います。 育児で忙しいと友人と疎遠になることがあったのですが、祖母の手紙で得た教訓から、少し手があいたときになんてことのないメールを送ったりしています。字を書いたり、メールの文面を考えることで自分自身の息抜きにもなりました。これからも周囲の人への感謝の気持ちを忘れずに、手紙を書き続けていきたいと思っています。 著者:田丸あかね現在、小学校1年生と幼稚園年中の兄弟を子育て中。性格の違う子どもたちの成長を楽しみつつ、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年11月21日私は31歳のときに妊娠しました。順調に妊娠生活を送り、妊娠37週を迎えたある夜に破水! いよいよ、初めての出産というチャレンジが始まりました。なかなかお産は進まず、破水から12時間ほど経ったところで、やっと子宮口が全開大に。その後、意識がもうろうとするなかで聞こえた「パチン!!」という音……。今回は、私の会陰切開体験談をご紹介します。 初産、なかなか進まないお産31歳で初めての妊娠。おなかの赤ちゃんも順調に育ち、経腟分娩の予定で臨月を過ごしていました。妊娠37週のある夜に破水。両親と一緒にタクシーで病院へ向かいました。 規則的ではありませんでしたが、おなかの強い張りも感じていたため、そのまま陣痛室に入りました。しかし、なかなかお産は進まず、痛みに耐えながら12時間。体力的にも厳しくなってきたころ、やっと子宮口が全開大になりました。何度かいきむのを繰り返し、意識がもうろうとするなか聞こえた先生の声。「それじゃ、ちょっとお手伝いするね~」。 「パチン!!」これが会陰切開かぁ!先生の声のあとすぐに「パチンッ!」という大きな音が聞こえました。それこそ、会陰切開をした音だったのです。そのあまりの大きい音に、意識が薄れていた私も、怖くて目が覚める思いをしたことを覚えています。 かなり大きく切開されたように感じましたが、その場所が直接痛むという感じではなく、赤ちゃんが産道をグリグリと押して出てくる出産の痛みのほうが、断然つらいものでした。無事に長男を出産……闘いはやっと終わったのです。 会陰切開、その後の経過会陰切開後の処置は出産時と同じ体勢、つまり分娩台の上で足を広げたままおこなわれます。会陰切開の傷の縫合は、早くきれいに治るよう細かく丁寧に縫うそうです。また、なるべく縫い目が内側になるよう縫い合わせるため、「傷口も目立ちにくいよ!」と先生が教えてくれました。 出産の次の日にはシャワーも浴びることもでき、傷口がひどく痛むことはありませんでした。さらに、縫い糸は体に吸収される糸が使われていたため、抜糸の必要もなく、順調な産後の経過をたどることができました。 会陰切開時の「パチンッ!」という音と、大きく切られたような感覚に反し、あまり痛みを感じることもなく、産後も順調に回復しました。その瞬間はすごく恐怖を感じた会陰切開でしたが、安全な出産のためには必要な処置であったことを、身を持って体験しました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。産院・病院によって対応が異なることがあります。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 監修/助産師REIKO著者:鍜治すみの生後6カ月と2歳、2男の母。長男妊娠時の切迫早産により、9年続けた製薬会社のMR職を退職。前職では主に産婦人科領域製剤を担当。培った知識をフルに活かし執筆活動や育児に奮闘中。
2019年11月21日3人目の出産後は授乳も入院生活も慣れたもので、「早く自宅に帰って上の子どもたちに赤ちゃんを会わせたい」。そんなことを考えていました。でもそんなことを言っていられない事態に……。私たち家族にとって大きな試練となった、娘が“心室中隔欠損症”だと言われたときの体験談を紹介します。 切迫流・早産を越えて早く生まれた娘3人目の妊娠で切迫流・早産で長期入院をし、安定していたとは言えないものでしたが、夫と子どもたちとの面会時間を楽しみに約4カ月の入院生活を家族全員で乗り切ろうとしていました。そして迎えた妊娠36週5日。正期産を目前に、あと少しでおなかの子どもと上の子どもたちにも会える。楽しみなことしかない! と思ってワクワクしながら眠りにつきましたが、おなかの張りが痛みを伴うものになっていました。あっという間に帝王切開にて出産した私は、生まれたばかりの赤ちゃんに何も問題がないことを聞き、安心して眠ったことを覚えています。 え?「心室中隔欠損症」って何?娘が生まれて安心していたものの、生後5日目に小児科の先生から「心臓の音に雑音が聞こえる。追加の検査が必要」と言われ、改めて検査をすると「心室中隔欠損症」と診断されました。「心室中隔欠損症」は簡単にいうと右心室と左心室の間に穴が空いている状態。心室中隔欠損症は特に珍しくなく、たいていは小さな穴で自然と閉じることが多いそうです。しかし、娘は穴の位置が大動脈弁の近くにあり、穴自体は大きくはないけれど弁が変形しているとのことでした。弁が変形することで血液の逆流があり、本来なら送り出されるはずの血液が戻ってきてしまうそう。そのために「早い段階で手術が必要になる」との説明を受けました。 小さな体で挑んだ手術循環器小児科のある大学病院で心臓疾患の専門医が詳しい検査をしました。そして、泣きながら手術の説明を聞いていた私に先生は「お母さん。これは生き死にのための手術ではなく、元気に生活するために必要な手術だと考えてください。だからそんなに不安にならず、一緒に戦ってあげてください」と声をかけてくれました。この言葉でとても勇気づけられました。娘が生後8カ月のとき約6時間の手術の時間、不安な気持ちを抑えつつも無事に手術が終了。ICUへ移された娘はまだ意識こそ戻っていなかったものの元気だと教えてもらい、とても安心したのを覚えています。 手術後は2〜3週間の入院予定のところ、娘は1週間で退院という脅威の回復力を見せてくれて、1歳になった現在も元気に過ごしています。娘が心室中隔欠損症の診断を受けたことも手術を受けたことも、ショックなことでした。でも、家族全員で乗り越えられたこと、家族の笑顔や健康の大切さに改めて気づかせてもらえたことはかけがえのない経験になりました。身をもって教えてくれた娘にはとても感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2019年11月20日次子が2歳前後のある日、おやつを食べている最中に様子がおかしいと思ったら、あめを喉に詰まらせていました。とっさに背中を叩いてあめを吐き出させることができましたが、もしそれができずに詰まらせたままだったら……と恐ろしくなり、自分の油断を後悔しました。 お菓子が大好き長子の場合は、虫歯や甘いものを食べることが癖にならないように、「3歳まではチョコレートやあめ類は食べさせない」ことを徹底していました。さらに、3歳になってお菓子を食べるようになっても、棒付きのあめは食べ終わったあとの棒が危ないからとすぐに取り上げていましたし、口に含むタイプのあめは極力食べさせませんでした。 一方次子の場合は、長子が食べている同じものを欲しがるのに、あげないのもかわいそうと、1歳台からチョコレートやあめを食べていました。 「いつものこと」で油断最初のうちはおやつ、特にあめを食べるときは必ずそばについて注意していましたが、だんだん大きくなってきたことと、あめを食べることが当たり前になってきていて、すっかり「大丈夫」という気分になっていました。 ある日、台所で洗い物をしていると、次子があめの袋を持ってきて「開けてほしい」と差し出すので、1つ口に含ませてあげました。そのまま近くにいましたが、急にフラフラし出して、なんだか様子がおかしいのです。顔を見るとびっくりしたような表情で、苦しそうにしていました。 大泣きするわが子に反省「あっ、詰まらせたな」とピンときて、急いで背後にまわり、子育て支援センターの小児救急講習で教わった方法で、背中を手のひらで強めにドンと叩きました。幸運なことに、そのときはそれだけであめを吐き出させることができました。苦しかったし、痛かったのでしょう。ワーッと大泣きしたわが子を抱いて、心底ほっとし、自分の油断を激しく後悔しました。 支援センターで講習を受けたときは、知識だけあっても役に立つのかどうか……と半信半疑でしたが、教わっていたおかげでとっさの判断をすることができ、ありがたく思いました。 「小さな子はあめを飲み込んで喉に詰まらせてしまうことがあるから要注意」ということはわかっていたつもりでしたが、つい「いつものこと」で油断していました。救急講習を受けたことがあったので、いざというときに思い出すことができ、本当によかったです。今後は子どもが何か口に入れているときは、絶対に目を離すまいと強く思いました。 ※あめやチョコレートなどの甘いものは砂糖の量が多いため乳幼児期に与えるのは控えましょう。特にあめは、喉に詰まらせて窒息してしまう恐れがあるので、乳幼児期の後半までは与えないようにしましょう。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~5歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO著者:ライター 銀鏡あゆみ二児の母。生まれ育った町で、自身の父母・祖母・夫・子ども2人との大家族で暮らす。地元を中心に取材・撮影・執筆を行うライター。
2019年11月20日私の父親は、気に入らないことがあるとすぐに怒鳴り散らしたり暴力をふるったりする人でした。特に子どもに求める学力のレベルが高く、勉強が原因で叩かれることが当たり前の家庭で育ちました。自分が親になってみて、反面教師にしようと思うことがたくさんあります。 年齢以上のレベルを求める父父自身は家庭の事情でレベルの高い学校に通うことができなかったため、子どもである私と弟に過剰な期待をかけていたようです。 5歳になってひらがなが読めるようになると、新聞を毎日読み上げさせるようになりました。大人が読むものですから、もちろん漢字にふりがなはふっていません。漢字の読み方がわからないと1度は教えてくれますが、2度目に同じ漢字が読めないと頬を平手打ちです。小学校4年生くらいまで続いたと思います。つらくて泣きながら読みました。 弟への罪悪感私は女の子だったので、まだ手加減していたようです。男の子には容赦がなく、2歳下の弟は私よりも高い学力レベルを要求され、さらにひどい暴力をふるわれていました。恐ろしいのはそれが当たり前になってしまっていたことです。 私は進学し、弟よりも先に家を出ました。私がいなくなった家では、父のターゲットは弟ひとり。どんなにかつらい目にあったことだろうと思います。しかし、当時の私は進学できた安心感と家を出られるうれしさで、弟のことなど考えていませんでした。その罪悪感は、今でも持ち続けています。 母親との喧嘩がつらい一方、母は子どもに声を荒げたことがなく、とてもやさしい人でした。父と母の立場は対等だったようで、父は子どもには日常的に手を上げましたが、母を叩いているところは見たことがありません。母はよく父と大きな声で口喧嘩をしていましたが、それでも子どもへの暴力を止めることはできませんでした。慣れてしまっていたのだと思います。 子どもの私は、両親の喧嘩が嫌でたまりませんでした。2人は「親の責任」を果たすために、ののしり合いながらも一緒に生活し、弟が成人したあとに離婚しました。子どものせいにしないで、自分たちの責任でさっさと別れたらよかったのにと思います。 親ですから尊敬できる部分もあります。しかし、しつけと称して暴力をふるったこと、子どもへの過剰な期待、毎日のように起こる夫婦喧嘩という点に関しては、確実に毒親だったと思います。私は子育てに関して、何があっても絶対に暴力をふるわないこと、子どもの前で夫婦喧嘩をしないことの2つだけは、絶対に守ろうと思っています。 著者:武田沙季子自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年11月20日長男が1歳9カ月ごろの話です。私は39度の高熱が出て動けない状態に。夫は出張中、実両親も旅行中で頼れず、保育園への子どもの送迎を義母にお願いしました。しかし、グズる子どもを見て「連れて行けない」と拒否。そして義母から信じられない言葉を言われ、悲しくなったできごとをお伝えします。 高熱で育児ができない!長男が通っていた保育園は両親が病気のときも預かり可になっていたのですが、私は高熱でもうろうとしていたので送迎が難しい状態でした。出張中の夫に相談したところ、義母を呼べばいいと言われ、夫から義母に電話してもらうことに。そして、快く引き受けてくれるとのことだったので甘えることにしました。義父の運転で40分ほどかけて駆けつけてくれて、本当にありがたい思いでした。 グズって行きたがらない長男義父母が来る前に、なんとか保育園の準備は完了しました。あとは保育園に連れて行くだけだったのですが、長男が激しく嫌がり私のそばから離れません。保育園に行く前に泣くことはよくありましたが、行けばケロッと遊んでくれることはわかっていました。そのため、「泣いてもいいので連れて行ってくれませんか?」と義母に伝えると、「泣いている子を保育園に連れて行くなんて嫌よ!」と断られてしまったのです。仕方なく保育園に連れて行くのは諦めて、家で面倒を見ることに。義父母は「熱がひどいなら長男と一緒に家に来る?」と言ってくれましたが、私はもともと車酔いする体質で、熱もあり、とても車に乗れる状態ではなかったので断りました。 帰り際の義母からショックなひと言私が断ったことに腹が立ったのか、義母は「次から自分の親を呼びなさいよね!」と言い残し、帰ってしまったのです。その後、私が長男の相手をしようとしましたが、熱でもうろうとしてどうしても無理でした。結局フラフラしながら保育園に行き、事情を話し長男を預けることに。その後、お迎えの時間まで寝ることができました。どうやら義母は元から保育園に連れて行くつもりはなく、私も子どもも義実家に連れて行く気だったようです。私→夫→義母との伝言がうまく伝わっておらず、夫は義母が義実家に連れていくつもりと知っていましたが、私がラクができればどちらでも良いと思ったようです。うまく伝えてくれなかった夫にもイライラしてしまい、その後大喧嘩をしてしまいました。 後日、義母からこの件について謝罪を受けました。私も熱でイライラしてしまい、義母が保育園に連れて行かないとなったあと、態度が悪かったことを謝りました。また、義母に苦手意識があり直接連絡をせず、夫に伝言を頼んだことも反省。今は義母に頼みがあるときは夫から伝えてもらうのではなく、自分からお願いするようにしています。 著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年11月19日息子は生後すぐに肛門の周りが赤く腫れ上がり、おしりを切開することになりました。原因は「肛門周囲膿瘍」という病気でした。 おむつかぶれかと思っていたら…はじめにおかしいと思ったのは、生後20日も経たないころのこと。おしりを拭いているときに、肛門のすぐ近くに小さなおできのようなものがあるのに気が付きました。「おむつかぶれかな?」と思い、出産した病院でもらっていた亜鉛華軟膏を塗って様子を見ていましたが、あっという間に大きく赤く腫れ上がりました。 1カ月健診もまだだったのであまり外出はしたくなかったのですが、ただごとじゃないと思い、近所の小児科へ。すると、診察した内科医は表情を曇らせて、「外科の処置が必要かもしれない」と大学病院を紹介されました。 診察したその日に麻酔なしで切開その足ですぐに大学病院へ行って診察してもらうと、「肛門周囲膿瘍」だと診断されました。医師によると、なんらかの細菌感染で肛門の周囲に膿が溜まって腫れ上がってしまう病気だそう。決して深刻な病気ではないのですが、腫れている部分を切開して膿を出さなければいけないと言われました。 このとき、息子は生後20日ほど。こんなに小さな体で麻酔もなしに切開なんて……と、とても胸が痛かったです。 再発する可能性もあると言われ…切開の手術自体はほんの数分で終わりました。メスのようなもので溜まっていた膿を出し、切開した部分にガーゼを詰めて、この日は帰宅しました。 だけど、この病気は膿を出したら終わりではありません。肛門周囲膿瘍は一度かかると何度も繰り返してしまうため、自宅でも膿が溜まったらしぼり出すこと、うんちのあとは消毒・洗浄をして、おしりを清潔に保つようにと指導されました。 ホームケアを続けてようやく完治!自宅でのケアは思った以上に大変でした。息子はかなりの軟便で回数も多かったので、毎日10回以上は洗浄と消毒をしなければいけないのです。 まだ生後間もない首のすわらない赤ちゃん。毎回、お風呂場に連れていってシャワーをするのもひと苦労です。そこで私は「あったかいdeシュ」という霧吹きのような温水おしり洗浄器を使いました。まず排泄物を洗い流してからガーゼでやさしく拭いて、最後に病院でもらった消毒液をかけるようにしました。 それからも膿が溜まっては出すを繰り返し、病院にも毎週のように通い、それでも再び悪化して1カ月後にもう一度切開。ようやく症状が消えたのは生後3カ月後半になってからで、幸いそれ以降は再発することはありませんでした。 肛門周囲膿瘍は、1歳くらいまでの赤ちゃんには決してめずらしくない病気で、原因はわかりませんが男の子に多いのだそう。早めの処置が大事なので、肛門の近くにおできのようなものができていたら注意してみてあげたいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:高橋じゅんこ一児の男の子を育てるワーキングマザー。病気ネタやママ友ネタなど、ペンネームでリアルな体験談を執筆中。
2019年11月19日かわいい盛りの赤ちゃんを保育園へ預けるのは後ろ髪を引かれる思いですが、いいこともたくさんあります。筆者が長女を赤ちゃん時代から保育園へ預けてよかったこと、また長男を保育園に預けない理由などをお伝えします。 ママの子育てストレスも軽減保育園に通うとママの子育てストレスが軽減するというのは私にとって事実で、本音です。 赤ちゃんから保育園で過ごすことで、先生や周囲の大人の言うことをよく聞いてくれるようになるので、その後に待っている「イヤイヤ期」や「トイレトレーニング」「お箸のトレーニング」などのしつけが本当にラクだったと感じています。 そして、あくまで私の場合ですが、仕事を持つことで「24時間ママ業」という重圧感や閉塞感から開放されました。社会と接点を持つことで、「子育ても頑張ろう」という前向きな気持ちになりました。 同志のような、親しいママ友ができる働くママ同士では、仕事や家事・育児の両立の難しさや大変さが、お互い痛いほどよくわかるので、共感し合える部分が多いです。長くお付き合いが続く親しいママ友ができやすいと思います。 私の場合、自宅で長女を子育てしていたころはママ友がいませんでした。しかし、働き出してから、職場でも保育園でもわかり合えるママ友と出会い、仕事を離れた現在も助け合って親しいお付き合いが続いています。 第二子長男を保育園に預けない理由長女を約6年間保育園に預けましたが、その間に長女が大病を患ったことが、私自身の子育てに対する考え方を大きく変えました。いろいろな意味で、長女には感謝の気持ちでいっぱいです。子どもは親に実にいろいろことを教えてくれますね。 そしてやっと授かった長男は、なるべく近くで成長を見守りたいと思い、3歳まではどこにも預けないことに決めました。経済的には大変ですが、一時的なことと割りきって日々楽しく子育てしています。 赤ちゃんを保育園に預けるのに、「正しい」「間違い」はないと思います。大切なのは、ママやパパが「本心で」どうしたいのかです。ママとパパの選択なら、きっとわが子も納得してくれる、私はそう信じています。著者:伊川 遥女の子と男の子の二児の母。家事や子育てのかたわら、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は読書、音楽、料理、ボルダリング、絵を描くこと。
2019年11月19日現在、5歳と2歳児の子育てをしています。家族でファミリーレストランに行ったとき、隣の席に案内された年配の女性が、長男を一目見るなり店員さんを呼び「席を替えてくれない?」と言ったのです。とても悲しく、複雑な気持ちになった体験をお伝えします。 楽しみにしていた家族での外食長男が2歳のときの話です。共働きだったため、休日くらいはゆっくりしようと週末は外食になることが多かったわが家。子連れの外食は周りへの迷惑を考え、ファミリーレストランなどのできるだけファミリー層が多い店舗を選択していました。幸いにも長男も食事中は騒いだりせず、大人しい性格だったので、安心して外食を楽しめていました。もちろん、ぐずったり騒いだりしたらお店を出ないといけないと思っていましたが、そんなことは一度もありませんでした。 「席を替えてほしい」の言葉にびっくりその日も、いつも行くファミリーレストランで夫と長男の3人で食事をしていました。注文が終わって待っているとき、隣の席に年配の夫婦のお客様がいらっしゃいました。席に案内され一度は着席したのですが、奥様らしき方がすぐに店員さんを呼びました。そして、長男のほうを見ながら「子どもの隣の席はちょっと……」と伝えたのです。席の間隔が近かったため、話している会話はすべて聞こえていました。もちろん長男は大人しく待っていて騒いだりしていません。今までそんな経験はなかったため、とても驚き悲しくなりました。 子どもの隣は騒いでいなくても迷惑?結局、ご夫婦は空いている席に移動されました。もしかしたらご夫婦は静かにお話をしたく、過去に子連れの家族が隣席で嫌な思いをした経験があったのかもしれません。「いつ騒ぐかわからない子どもの隣は嫌だ」と思った可能性もあります。しかし、私は子どもと一緒の外食には人一倍気を使っているつもりだったため、とてもショックでした。それは、子どもというだけでうるさい、迷惑だと決めつけられたようで、自分の子育てが否定された気持ちになったからかもしれません。 人によってはささいなできごとかもしれませんが、当時は本当に悲しくて悔しい気持ちになりました。反面、子連れでの外食中に笑いかけてくれる人、話しかけてくれる人、応援してくれる人もたくさんいます。今は、見知らぬ人たちが隣席を気にしながら食事をする可能性があるなら、先に席を移ってもらって逆によかったのかなと思うようになりました。また、子どもには外食時には周りの迷惑にならないように、マナーをきちんと守らせようと改めて意識することができた体験でもありました。 著者:竹内優実5歳と2歳の男児を育児中。時短と節約が大好きなアラフォー母。簿記2級・MOSマスター・初級シスアド取得。パソコンを活かした育児グッズの作成が得意。夫は激務の為、ほぼ一人育児中。
2019年11月18日陣痛は痛かったですが、赤ちゃんに会えるうれしさのほうが強く、なんとか耐えられました。しかし出産時に会陰切開となったため、今度は産後の傷跡の痛みが待っていたのです。出産直後だけ痛いと思っていた私は、数週間ほど傷の痛みとたたかうことに……。会陰切開をして傷の痛みとたたかい、その後傷が回復するまでをお伝えします。 出産時、会陰切開が必要に!陣痛が始まって病院に着いたときにはすでに子宮口が7cm開いていたため、慌ただしく出産の準備がおこなわれました。こんなにも一気に子宮口が開くと思っておらず、出産が近づく緊張と激しい痛みに自分を保つのに精一杯で、軽いパニック状態に。あまりの激痛にとにかく早く痛さから開放されたいという気持ちが一番でした。そこで、医師から「赤ちゃんが出やすくするために会陰切開をします」と告げられ……。「出産時に会陰切開をする場合がある」と事前に説明を受けていたので、心の準備はできていました。 会陰切開をし、いざ出産!医師からの「切りますね」の声とともに会陰切開をしました。一瞬チクリとしましたが、陣痛の痛みほうがまさっていて会陰切開の痛みはさほど感じず、医師からも「少し会陰切開をしましたが、裂けてはないので最小限で済みましたよ」とのこと。ひとまず出産を終えてホッとし、喜びに浸っていました。出産後の処置も終わって2~3時間経ったころ、次第におしりに違和感が……。出産時は緊張と興奮で高まっていた気持ちが落ち着き始め、次第に痛みへと変わっていったのです。 退院後も1カ月近く続いた痛み出産後から会陰切開の傷が痛み、ドーナツ型の穴あきクッションに座る毎日でした。入院中、同じ日に出産した人でも会陰切開をしていない人は、普通に椅子に座ったり歩いたりしているのでびっくりしました。あとで経産婦の人に聞いた話では、会陰切開をしたのとしないのとでは出産後の痛みや傷の回復にかかる期間も異なるとのこと。産むまでのことしか考えておらず、出産後にこんなにも会陰切開の傷が痛いとは思いませんでした。それから1カ月近く違和感や痛みが続くことになったのです。 痛みの感じ方や長引き方は人それぞれと頭ではわかっていたつもりでしたが、実際に自分が経験することで、こうも違うのかと痛感しました。第二子のときには少しでも産後の痛みを軽減するために、会陰切開をしないで済むよう、妊娠後期から会陰マッサージしたりしました。その効果あってか、第二子は会陰切開をせずに出産し、第一子のときよりも出産後の痛みはなく、経過も順調で身動きがとりやすかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:福山あかね男一女の母。元幼稚園教諭、元保育園勤務。第二子出産を機に退職。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年11月17日