夫側の実家にとっては初孫となる長女が誕生したときの話です。出産直後、お見舞いにきてくれた義父が私の両親に言った第一声は、「やっぱり内孫はかわいいですか?」でした。長女は私の実家にとっては4人目の孫。私の両親が内孫と外孫などと言っていることを聞いたことがなく、非常に驚きました。同じ孫にかわいさの違いがあるの?と産後間もない私は、うまく理解できずモヤモヤした気持ちになりました。義父にとっての孫とは義父にとって待ちに待った孫の誕生だったようですが、本当は男の子を望んでいたようです。妊娠中に性別がわかりそのことを伝えると、「そっか女の子か、まぁ元気ならええなぁ」とあまりうれしそうではない返事をされてしまう始末。電話口での会話だったので、こちらも「そうですね」としか返事ができず、歯切れの悪い会話になりました。 60代半ばの義父は、思ったことを悪びれもなくすぐ口にするところがあり、このときもわかっていたとはいえ、ショックは隠しきれません。孫の誕生を心待ちにしてくれていると思っていたので、何とも言えない気持ちになってしまいました。 昔ながらの慣習が根強く残っている?土地柄なのかわかりませんが、義実家は昔の慣習をとても重んじているように思います。結婚直後、夫の仕事の都合で引っ越しまでの1カ月ほどお世話になったことがあったのですが、ことあるごとに私は義父から「もう嫁にきたんだからな」「里帰りはそう簡単にできるものではない」と言われていました。 いつの時代の話なんだろうと、義父から言われるたびに私はうんざり。義実家の地方では、嫁に対してはもらい物扱い、孫も内孫・外孫と区別をする風習があるそうで、義父もそのように言っているようでした。 うまく甘えてみる孫である長女が生まれてからは、義父は荷物を頻繁に送ってくるようになりました。「かわいい洋服見つけたから」「こんなん似合うと思うから」と、自分たちではあまり買わないようなハイブランドの数々。 また、「離乳食はこんなんがいいらしい」「こういうお菓子が赤ちゃんは好きやろ」と食品もいろいろと送ってくるようになりました。はじめは頻繁に送られてきて戸惑いましたが、義父が孫の誕生を心から喜んでいるからこその行動だと理解し、ありがたく受け取っています。 義父が初孫の誕生を心から喜んでくれていることは、よく伝わります。うれしくてうれしくて、心の声が溢れ出ているのだと私は解釈するようになりました。私や私の両親に悪気があるわけではないようなので、初孫、内孫としてかわいがっていいただく部分はうまく甘えて、子育てに対して口を出す面倒な部分はうまくかわして付き合っていくようにしています。 著者:中野あや11歳、9歳、2歳の母。転勤族で各地を転々とした後、九州に移住。ヨガインストラクターとしても活動中。
2022年09月10日祖父母にとって、孫の誕生や成長は大きな喜び。初孫となれば、喜びはひとしおでしょう。main(@tenteco_diary)さんの息子さんは、1歳の誕生日に祖母からプレゼントをもらったそうです。初孫の誕生日を楽しみにしていたことが分かる、画像4枚をご覧ください!私の母から息子へのお誕生日プレゼント、あほみたいにクオリティ高いので見てあげてください…初孫パワーすごすぎる…… pic.twitter.com/5PiDFVsLEa — main1y (@tenteco_diary) May 4, 2022 祖母からの誕生日プレゼントは、フェルトで作ったおままごとセット。『お品書き』には、たくさんの野菜や果物が並んでいます。こんなにも作るのは大変だったはず…ですが、初孫のお祝い用に作っている間は、何も苦ではなかったのでしょう!初孫へのとめどない愛情が感じられるプレゼントは、多くの人の心を温めています。・売り物並みのクオリティ。天才か?・とても素敵。何年かかるかは分からないけど、私も孫に作ってあげたい。・きれいな字で手書きされた『お品書き』がジワる。・愛を感じます。2色のキウイがかわいいですね!投稿者さんによると、息子さんは祖母からのプレゼントを喜んでいたそうです。優しさが詰まったおもちゃで遊び、成長していってほしいですね![文・構成/grape編集部]
2022年05月09日みなさんは義実家の方々とは上手く付き合えているでしょうか? 大なり小なり義実家トラブルは皆さん経験があるみたいです…。 今回は実際に募集した義実家トラブルエピソードをご紹介します!タイトル義両親が初孫でもある子どもをとっても可愛がってくれるのは嬉しいのですが、何かあるごとに大げさに「かわいそう、かわいそう」と言うので、聞いてて辛いです。私の姉の子が着ていたお下がりを貰って着せていたら「新品を着れないなんてかわいそう」。私の実家では姉と妹に両方子どもがいるため「初孫として喜んでもらえないからかわいそう」などなど…。なんで義両親の物差しで全てかわいそうと決めつけられなきゃいけないんでしょうか…。(32歳/会社員)タイトル義実家に子どもを遊びに連れていったとき、たいして子どもたちと遊んでくれない義父。子どもが泣くと「泣くなー。泣くなー」と大きな声で言っていて、そんな大声で「泣くなー」って言われると余計泣いちゃいます…。内孫と嫁の私が産んだ子どもとの接し方があからさまに違う義両親…。さすがに子どもも気付きだす年齢なので、あからさまに差別するのはそろそろやめてほしいです…。(39歳/アルバイト)いかがでしたか?こんな義両親と付き合うとなると骨が折れそうですね。子どもの為にも義実家とはいい関係でいたいものです…。以上、義実家トラブル体験談でした。次回の「トラブル体験談エピソード」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを記事化しています。"
2022年03月24日夫側の実家にとっては初孫となる長女が誕生したときの話です。出産直後、お見舞いにきてくれた義父が私の両親に言った第一声は、「やっぱり内孫はかわいいですか?」でした。長女は私の実家にとっては4人目の孫。私の両親が内孫と外孫などと言っていることを聞いたことがなく、非常に驚きました。同じ孫にかわいさの違いがあるの?と産後間もない私は、うまく理解できずモヤモヤした気持ちになりました。義父にとっての孫とは義父にとって待ちに待った孫の誕生だったようですが、本当は男の子を望んでいたようです。妊娠中に性別がわかりそのことを伝えると、「そっか女の子か、まぁ元気ならええなぁ」とあまりうれしそうではない返事をされてしまう始末。電話口での会話だったので、こちらも「そうですね」としか返事ができず、歯切れの悪い会話になりました。 60代半ばの義父は、思ったことを悪びれもなくすぐ口にするところがあり、このときもわかっていたとはいえ、ショックは隠しきれません。孫の誕生を心待ちにしてくれていると思っていたので、何とも言えない気持ちになってしまいました。 昔ながらの慣習が根強く残っている?土地柄なのかわかりませんが、義実家は昔の慣習をとても重んじているように思います。結婚直後、夫の仕事の都合で引っ越しまでの1カ月ほどお世話になったことがあったのですが、ことあるごとに私は義父から「もう嫁にきたんだからな」「里帰りはそう簡単にできるものではない」と言われていました。 いつの時代の話なんだろうと、義父から言われるたびに私はうんざり。義実家の地方では、嫁に対してはもらい物扱い、孫も内孫・外孫と区別をする風習があるそうで、義父もそのように言っているようでした。 うまく甘えてみる孫である長女が生まれてからは、義父は荷物を頻繁に送ってくるようになりました。「かわいい洋服見つけたから」「こんなん似合うと思うから」と、自分たちではあまり買わないようなハイブランドの数々。 また、「離乳食はこんなんがいいらしい」「こういうお菓子が赤ちゃんは好きやろ」と食品もいろいろと送ってくるようになりました。はじめは頻繁に送られてきて戸惑いましたが、義父が孫の誕生を心から喜んでいるからこその行動だと理解し、ありがたく受け取っています。 義父が初孫の誕生を心から喜んでくれていることは、よく伝わります。うれしくてうれしくて、心の声が溢れ出ているのだと私は解釈するようになりました。私や私の両親に悪気があるわけではないようなので、初孫、内孫としてかわいがっていいただく部分はうまく甘えて、子育てに対して口を出す面倒な部分はうまくかわして付き合っていくようにしています。 著者:中野あや11歳、9歳、2歳の母。転勤族で各地を転々とした後、九州に移住。ヨガインストラクターとしても活動中。
2021年09月29日初めての妊娠で生まれた娘は、両家にとって初孫でした。強面であまり笑うタイプではなかった義父が、孫が生まれると同時に親である私たちがびっくりするほど変化しました。目に入れても痛くないほど溺愛し、一気に孫フィーバーしたときの体験談を紹介します。 妊娠中の義父のこと 夫と結婚後、義母は穏やかな性格の人だったため、問題もなく良好な関係を続けていました。一方で、義父はもともと強面で、あまりニコニコしているタイプではありません。そのため、少し距離を感じていた私。娘を妊娠したときに報告をした際も、義父は喜ぶどころか私たち夫婦がまだ若かったため、今後の生活の心配ばかりしていました。また、妊娠初期はつわりがひどかったため、義父とはほとんど関わっていませんでした。 やっとつわりが落ち着き、体調が良くなったときにはおなかも大きくなっており、そのころから義父の様子が少しずつ変わっていきました。おなかの中の子を気にして、何度も様子を聞いてくれて、生まれるのを楽しみにしていたようです。出産準備の買い物にも一緒に行きましたが、「孫のため」と張り切ってなんでも買ってくれたのでとても助かりました。 なかなか来ない陣痛大きな問題もなく妊娠期間を過ごし、出産予定日の月になりました。両家の初孫だったこともあり、みんながおなかの子に会えるのを待ちわびていました。ところが、出産予定日が来ても生まれる気配がありません。その間も何度か義母から連絡が来ていましたが、変化はないまま。出産予定日から1週間が経過したとき、おしるしがありました。私も夫も、わが子の誕生を楽しみにしていたので、あと数日でやっと会えるのかとうれしくなりました。 仕事中の夫へ「おしるしが来たよ!」と連絡し、私は里帰り中の実家でゆっくり過ごしていました。その後、1時間くらい経つと、なぜか出産する予定の産院から電話がかかってきました。その日は健診もなかったし、驚いて電話に出ると「生まれそうなの? 大丈夫? 一旦診させて」と言われました。なぜかと聞くと、義父が産院を訪れていたのです。おしるしがあるとすぐに生まれると思ったようで、孫に会える楽しみからか仕事を抜けて「うちの孫が生まれそうだ」と病院に駆け付けたとのこと。 「一応診察しましょう」と産院に呼ばれたものの、「まだ陣痛もないし、もう少しかな」と言われ、実家へ戻りました。そして、出産予定日から9日経過し、無事陣痛が来ました。また義父が産院に来ても困ると思い、ギリギリまで夫にも連絡せず、実家で耐えていた私。陣痛の間隔も短くなり、病院に行くともうすぐ生まれると言われたので、慌てて夫を呼び、その後無事出産しました。義実家にも出産したことを連絡し、深夜だったこともあってその日は眠りにつきました。 初めての面会出産後、面会時間になると早々に義両親が訪れました。義父は初めて見るようなやさしい顔をして、赤ちゃん言葉で「じいじでちゅよ~♡」と言って、何度も写真を撮影。あまりの変貌ぶりに驚きました。退院後、里帰り中も毎日「写真や動画を送って」と連絡が……。 出産直後のわが子は小猿のようでしたが、わが子なのでかわいいと思う私たち夫婦に対し、義父は「世界で一番かわいい。こんなかわいい子見たことない!」と親ばかならぬ、“じじばか”がさく裂。その後も送った写真には、ハートのスタンプや、「かわいすぎ!!!」といったコメントで加工された写真が届き、親以上の溺愛っぷりでした。 LINEのプロフィール写真ももちろん孫とのツーショット。毎週末には連絡が来て、会いに行ったり来たりしていました。その後も「この子は絶対美人になる!」と豪語し、いつの間にか義実家やわが家は義両親が買い与えたおもちゃだらけになりました。義父の娘の結婚式のときには、「主役は○○ちゃん(私の娘)だからね!」と謎発言。毎日寝る前に「○○ちゃん~♡」と孫の名前を呼びながら寝ているほど、義父は娘を溺愛してくれています。 孫が生まれ、かつて見たことがないほど溺愛している義父。あまりの孫フィーバーっぷりに、私は親ばかになりすぎず、冷静でいられました。娘も親だけではなく、親以上に義父母にも大切にされており、今のところ素直な良い子に育ってくれているのでありがたいです。目に入れても痛くないほどかわいい孫のようですが、甘やかしすぎる義父母なので、娘がわがままにならないようメリハリをつけて育てていきたいです。 イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:金本ゆきこ4歳と2歳の姉妹の母。学生結婚をし、出産後に専業主婦を経験。育児を満喫しながら、新たな働き方のできるライターへ転向。自身の経験をもとに記事を執筆している。
2021年01月01日上皇陛下は12月23日、87歳の誕生日を迎えられた。いま上皇陛下にとって一番の心配事は、初孫である眞子さまの結婚問題かもしれない。眞子さまは11月13日《結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です》と、小室圭さんとの結婚の意思を示した文書をご公表されている。眞子さまはその文書を、《天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっていることに、深く感謝申し上げております》という謝辞で締めくくられている。文書公表にあたって、上皇陛下も眞子さまのお気持ちを「尊重」されているというのだ。眞子さまが誕生したのは、’91年10月23日。その翌日、上皇陛下と美智子さまは、産後の紀子さまをお見舞いされ、生まれたばかりの眞子さまにも対面されている。このとき上皇陛下は「とても嬉しい気がしました」とおっしゃっていた。そして’93年、還暦を迎えられた上皇陛下は、誕生日に際して記者から「眞子さまからどのように呼ばれていますか?」との質問にこうお答えになった。「今は確か、『おじじさま』と呼ばれているように思います」それから17年が経ち、眞子さまが国際基督教大学に入学された’10年。上皇陛下は78歳の誕生日に際して、眞子さまへの期待を述べられた。「眞子は、国際基督教大学に入学し、学生生活を楽しく過ごしているようでうれしく思っています。夏には海外英語研修プログラムに参加し、アイルランドで、ほぼ40日間、国の異なる人々と生活を共にしています。帰国後、写真を見せて丁寧に説明してくれました。将来、大学生活を振り返り、有意義なときだったと思えるような日々を送ってほしいと願っています」その国際基督教大学での学生生活で小室さんと出会われ眞子さま。’17年9月3日にお二人の婚約は内定となる。「当時天皇だった上皇陛下が裁可されたことで、眞子さまと小室さんの結婚が内定しました。上皇陛下と美智子さまは、皇居の御所で秋篠宮夫妻と眞子さまからごあいさつを受けました。その時に初めて、小室さんとも対面されたのです。天皇陛下は初孫の慶事に、始終和やかなご様子でした。秋篠宮ご夫妻にも、『おめでとう、良かったね』と声をかけられました」(宮内庁関係者)上皇陛下は同年、84歳の誕生日に際しても「私たちの初孫である、秋篠宮家の長女眞子と小室圭さんとの婚約が9月に内定し、来年11月に結婚いたします。大変喜ばしく、二人の幸せを願っています」と、眞子さまを祝福されていた。眞子さまの結婚内定から3年余り――。その間、小室さんの母・佳代さんの金銭トラブル、小室さんのニューヨーク行きなどさまざまなできごとがあったが、お二人の結婚の意志は揺らがなかった。来年には小室さんがアメリカから帰国し、結婚に向けた準備が本格化するとみられているが、お二人の結婚に批判的な声も根強く、先行きは見えない。高輪の仙洞仮御所で87歳の誕生日を迎えられた“おじじさま”は、初孫・眞子さまの幸せを静かに願われていることだろう――。
2020年12月23日初めての妊娠で生まれた娘は、両家にとって初孫でした。強面であまり笑うタイプではなかった義父が、孫が生まれると同時に親である私たちがびっくりするほど変化しました。目に入れても痛くないほど溺愛し、一気に孫フィーバーしたときの体験談を紹介します。 妊娠中の義父のこと 夫と結婚後、義母は穏やかな性格の人だったため、問題もなく良好な関係を続けていました。一方で、義父はもともと強面で、あまりニコニコしているタイプではありません。そのため、少し距離を感じていた私。娘を妊娠したときに報告をした際も、義父は喜ぶどころか私たち夫婦がまだ若かったため、今後の生活の心配ばかりしていました。また、妊娠初期はつわりがひどかったため、義父とはほとんど関わっていませんでした。 やっとつわりが落ち着き、体調が良くなったときにはおなかも大きくなっており、そのころから義父の様子が少しずつ変わっていきました。おなかの中の子を気にして、何度も様子を聞いてくれて、生まれるのを楽しみにしていたようです。出産準備の買い物にも一緒に行きましたが、「孫のため」と張り切ってなんでも買ってくれたのでとても助かりました。 なかなか来ない陣痛大きな問題もなく妊娠期間を過ごし、出産予定日の月になりました。両家の初孫だったこともあり、みんながおなかの子に会えるのを待ちわびていました。ところが、出産予定日が来ても生まれる気配がありません。その間も何度か義母から連絡が来ていましたが、変化はないまま。出産予定日から1週間が経過したとき、おしるしがありました。私も夫も、わが子の誕生を楽しみにしていたので、あと数日でやっと会えるのかとうれしくなりました。 仕事中の夫へ「おしるしが来たよ!」と連絡し、私は里帰り中の実家でゆっくり過ごしていました。その後、1時間くらい経つと、なぜか出産する予定の産院から電話がかかってきました。その日は健診もなかったし、驚いて電話に出ると「生まれそうなの? 大丈夫? 一旦診させて」と言われました。なぜかと聞くと、義父が産院を訪れていたのです。おしるしがあるとすぐに生まれると思ったようで、孫に会える楽しみからか仕事を抜けて「うちの孫が生まれそうだ」と病院に駆け付けたとのこと。 「一応診察しましょう」と産院に呼ばれたものの、「まだ陣痛もないし、もう少しかな」と言われ、実家へ戻りました。そして、出産予定日から9日経過し、無事陣痛が来ました。また義父が産院に来ても困ると思い、ギリギリまで夫にも連絡せず、実家で耐えていた私。陣痛の間隔も短くなり、病院に行くともうすぐ生まれると言われたので、慌てて夫を呼び、その後無事出産しました。義実家にも出産したことを連絡し、深夜だったこともあってその日は眠りにつきました。 初めての面会出産後、面会時間になると早々に義両親が訪れました。義父は初めて見るようなやさしい顔をして、赤ちゃん言葉で「じいじでちゅよ~♡」と言って、何度も写真を撮影。あまりの変貌ぶりに驚きました。退院後、里帰り中も毎日「写真や動画を送って」と連絡が……。 出産直後のわが子は小猿のようでしたが、わが子なのでかわいいと思う私たち夫婦に対し、義父は「世界で一番かわいい。こんなかわいい子見たことない!」と親ばかならぬ、“じじばか”がさく裂。その後も送った写真には、ハートのスタンプや、「かわいすぎ!!!」といったコメントで加工された写真が届き、親以上の溺愛っぷりでした。 LINEのプロフィール写真ももちろん孫とのツーショット。毎週末には連絡が来て、会いに行ったり来たりしていました。その後も「この子は絶対美人になる!」と豪語し、いつの間にか義実家やわが家は義両親が買い与えたおもちゃだらけになりました。義父の娘の結婚式のときには、「主役は○○ちゃん(私の娘)だからね!」と謎発言。毎日寝る前に「○○ちゃん~♡」と孫の名前を呼びながら寝ているほど、義父は娘を溺愛してくれています。 孫が生まれ、かつて見たことがないほど溺愛している義父。あまりの孫フィーバーっぷりに、私は親ばかになりすぎず、冷静でいられました。娘も親だけではなく、親以上に義父母にも大切にされており、今のところ素直な良い子に育ってくれているのでありがたいです。目に入れても痛くないほどかわいい孫のようですが、甘やかしすぎる義父母なので、娘がわがままにならないようメリハリをつけて育てていきたいです。 イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:金本ゆきこ4歳と2歳の姉妹の母。学生結婚をし、出産後に専業主婦を経験。育児を満喫しながら、新たな働き方のできるライターへ転向。自身の経験をもとに記事を執筆している。
2019年11月08日ウーマンエキサイト読者のみなさま、こんにちは。koyomeです。長女を妊娠したことが分かったとき、もちろん嬉しかったのですが、周りの人たちが喜んでくれたこともとても嬉しかったことを覚えています。安定期まで、広くは報告しませんでしたが、近くにいる家族には悪阻(つわり)等でお世話になることも多いと思い、わりと早く報告しました。元々クール(?)なところがある私の母。いつも通りのテンションで、淡々とした反応を見せてくれたのですが、内心とても喜んでくれていたみたいです。ツンデレですね。実家にはちょくちょく帰っていましたが、あまり顔を合わせることが無かった父。心拍確認できたあと、母づてに報告してもらいましたが、直接何か言ってくるわけでもなく。ただ、母を通して、色々と気にかけ、心配してくれていることがひしひしと伝わってきました。直接言ってくれてもいいんだよ…!?(笑)はい。父もツンデレでした。そんな両親でしたが、産まれたムスメに対してはツンデレではなく、むしろデレデレ! 隠せない!孫たちはとっても可愛がってもらっています。
2019年04月20日ユアン・マクレガーと共演の主演作『フィリップ、きみを愛してる!』が13日(土)から日本公開になるジム・キャリーに先月26日、初孫が誕生していた。ジムの娘で22歳のジェーンさんはミュージシャンで、ロックバンド「The Jane Carrey Band」を率いているが、夫も同じくミュージシャンで、アレックス・“ニトロ”・サンタナと名乗り、バンド「Blood Money」でシンガーを務めている。生まれたのは男の子で、ジャクソンと名づけられ、生後24時間経たないうちにジムは「僕の孫、ジャクソン・ライリー・サンタナが今日誕生しました!これが体重7ポンド11オンスのカリフォルニアのダイナマイト」とTwitter上でつぶやき、写真も公開()した。少し前まではセレブ・カップルに誕生した赤ちゃんのお披露目写真は高額で取り引きされるもの、と決まっていたが、これからはジムのように商売抜きで新しい家族を紹介するケースも出てくるかも。『フィリップ、きみを愛してる!』では、服役中に出会った同性愛カップルの数奇な道のりをユアンと共に怪演していたジムだが、実生活では最初の妻との間に誕生したジェーンを溺愛、現在のパートナーで女優のジェニー・マッカーシーが元夫との間にもうけた7歳の息子も彼になついていて、実に子煩悩な性格のようだ。(text:Yuki Tominaga)2月にパリで開催された『フィリップ、きみを愛してる!』プレミア。© AFLO■関連作品:フィリップ、きみを愛してる! 2010年3月13日より新宿ピカデリーほか全国にて公開Photos:Patti Perret © 2009 EUROPACORP■関連記事:愛には“嘘”も必要?『フィリップ、きみを愛してる!』に見る、カップル意識調査ジム・キャリー×ユアン・マクレガー『フィリップ、きみを愛してる!』カップル限定試写会に25組50名様ご招待ジム・キャリーとユアンがカップルに!『フィリップ、きみを愛してる!』画像到着
2010年03月04日