舞台『Fight For F』が5月12日、池袋・あうるすぽっとで開幕した。それにあたって、演出・遠山晶司とプロデューサー・天野一輝からコメントが到着している。劇場での主催公演を中心に嵐やAKB48等のアーティストのサポート 、ドラマ『今日から俺は!!』や『NHK紅白歌合戦』等のTVメディア、宝塚歌劇団や2.5次元舞台等での振付・演出でも活躍するダンスエンタテインメント集団「梅棒」。『Fight For F』は2020年12月にサンシャイン劇場で上演された『成井豊と梅棒のマリアージュ』での上演作品『End ofF Story』の本編だ。作品では櫻井竜彦(梅棒)や阿部丈二、高見奈央、伊藤彩夏の4名を中心に無骨で泥臭い世界観が展開される。上演は5月16日(日)まで。この機会をお見逃しなく。『Fight For F』作・演出:遠山晶司(梅棒)・コメントこの作品は今から10年程前に思いついたものです。当時、表現者としての道に迷い、もがき、夢を諦めかけていました。そんな荒んだ心に響いたのは「BUMP OF CHICKEN」の楽曲達でした。とても立派とは言い難いそれまでの生き方の中にも、大切な物が生まれていることに気がつかされ、もう一度自分の旗を立て前に進むことができました。『Fight For F』の楽曲は全て「BUMP OF CHICKEN」のものです。擦り切れる程聞きいた曲からインスピレーションを受けて生まれてきた物語。苦節10年、この間に出会ってきたもの全てのおかげでこうして形に出来ました。仲間達と共にお客様に感動をお届けできれば幸いです。プロデューサー:天野一輝(梅棒)・コメント2019年10月に脱サラしてdynamizeという会社を立ち上げ、これまでも「梅棒」としての公演はやってきましたが、単独主催のプロデュース公演は今回が初めてとなります。今日までの出会いや縁がこの公演を創ってくれました。幕を上げるまで、一筋縄ではいかないことも沢山ありましたが、その過程で自分がいかに周りに恵まれているかを改めて気付かされ、感謝する日々でした。期せずして『Fight For F』は絆を描く物語です。私が出会ってきたこの素晴らしい人たちの絆に、少しでも多くの方と出会ってもらえたらと強く思います。劇場にお越しいただくことが容易ではない世の中ですが、いつか誰しも気軽にエンタメを楽しめるときが戻ってくることを信じて、その時まで歩み続けていく第一歩をよろしければご覧ください。■公演情報dynamizeプロデュース『Fight For F』/『おしゃれ紳士×梅棒』会場:池袋・あうるすぽっと『Fight For F』5月12日(水)~5月16日(日)『おしゃれ紳士×梅棒』5月19日(水)~5月24日(月)
2021年05月13日令和の山口百恵ブームが止まらない。1月31日に放送された『伝説のコンサート“山口百恵1980・10・5 日本武道館”』(NHK総合)は再放送ながら8.6%という高視聴率を記録。往年のファンだけでなく、若者も魅了し、放送時にTwitterのトレンドでも関連ワードが1位に入る事態となった。さらに、09年に発売した引退コンサートを収録したDVDが2月15日付のオリコン週間DVDランキングで10年7カ月ぶりにトップ10入り。18年発売のBlu-ray版も自身初となるトップ20入りし、令和になった今も“伝説”を更新し続けている。引退コンサートが行われた80年10月5日、本誌も開演前から終演後まで現地で徹底取材を敢行。そこでの秘蔵エピソードを写真とともに振り返りたい――。■「友和さんと末永く!」会場を埋め尽くした横断幕約1万人の観客が目撃した百恵の引退コンサート。百恵の最後の舞台とあって、即完売するプラチナチケットに。惜しくもチケットを手に入れることができなかったファンも、会場に詰めかける事態となった。また会場外には親衛隊の面々や、百恵グッズを売るファンが集い、開演前から異様な雰囲気に。会場の中では有志のファンによる「友和さんと末永く!」「百恵ちゃん幸せになって!」といった横断幕がいたるところにかけられる熱気。公演中はほとんど席を立つことなく、百恵の最後の雄姿を見守っていた。■最後の舞台を見届けにきた豪華すぎるゲストたち同時代を生きた芸能人からも愛された百恵。当然、引退コンサートには親交のあった多数の芸能人も駆け付けた。和田アキ子(70)、岩崎宏美(62)、小柳ルミ子(68)、谷村新司(72)といった錚々たる顔ぶれが一堂に会したことからも、以下に百恵の存在が大きかったかわかるだろう。また、故人となった森光子さん(享年92)や西城秀樹さん(享年63)の姿もあった。涙ながらにラストの『さよならの向う側』を歌い上げ、マイクをステージに置いてファンの前から姿を消した百恵。そんな百恵を出迎えたのが、夫の桑名正博さん(享年59)とともに訪れていたアン・ルイス(64)だった。すべての人から愛されたまさに“伝説の最後”となった――。
2021年02月21日「百恵さん本人は口数が少なくて、僕ら自身もとても緊張してたといました。これまでいろんなインタビューで聞かれたのですが、実は百恵さんとどんな話したかなとかという記憶もあまりないくらいなんです」当日の様子をこう振り返るのは演出家の宮下康仁さん。宮下さんは山口百恵が80年10月5日に行った引退コンサートで、構成を担当していた人物だ。引退コンサートの様子をおさめた『伝説のコンサート“山口百恵1980・10・5 日本武道館”』(NHK総合)が1月31日に再放送され、8.6%という異例の高視聴率を記録。引退から41年経てもなお、色あせる様子はない。伝説的なエピソードばかりが取り上げられがちな百恵だが、一人の歌手としてもその実力は規格外だったと宮下さんはいう。「百恵さんはやっぱり歌が何よりすばらしい。今、いろんなアーティストさんが『秋桜』や『いい日旅立ち』をカバーしているけど、敵う人はいないと思ってしまいます。そういうことを考えると、本当にすごかったんだなと」引退コンサートでは曲目選びから舞台の構成まで企画段階から関わったという百恵。“演出家”としても百恵の才能は図抜けていたようだ。「衣装に関しては百恵さんが全部自分で決めてきて、僕らスタッフは一切タッチしなかったんです。当時のアイドルは演出家にすべて委ねるのが普通だったのですが、百恵さんは“最後は自分で”ということでいろいろ決めたのでしょう。引退コンサートには百恵さんがすべてのメッセージを込めて作ったのだと思います」やはり引退コンサートで特に印象的なのが、ラストとなった『さよならの向う側』を涙ながらに歌い終えた後、百恵がステージ中央にマイクを置いて去っていったことだろう。一部では、振付師が考案したともいわれている伝説の“マイクパフォーマンス”だが、宮下さんは“演出じゃない”と語る。「僕らがこうしろみたいに言った覚えがないんです。だから、僕らスタッフも“まさかステージ上に置いていくとは”という感じで、驚いた記憶があるんですね。よく“演出がそうさせたんですか?”と聞かれるのですが、『そうじゃない』と常に答えています。あれは“百恵さん自身の最後の気持ちだ”と、僕は今も思っていますね」最後に宮下さんは、今も消えることのない百恵への思いをこう口にする。「約50年、この世界にいますが、やっぱり本当に出会えてよかったと思います。百恵さんは年下ですが、本当に尊敬してます。僕が“今までに誰が一番印象に残ったんですか?”と聞かれたときに必ず、『百恵さんとユーミンです』と答えています。僕は2人がいちばん大好きです。本当に一緒に仕事ができて、40年経っても輝いてる百恵さんは自分の誇りです」
2021年02月20日1月30日に放送された『伝説のコンサート“山口百恵 1980.10.5 日本武道館”』(NHK総合)の視聴率が8.6%と高視聴率を記録するなど、今も日本中から愛される山口百恵(62)。73年にデビューしてから次々とスターダムを駆け上がり、78年の『第29回NHK紅白歌合戦』では10代で紅組のトリを務めるなど日本を代表する歌手に。この記録は未だ破られていない。しかし人気絶頂の80年3月、三浦友和(69)との婚約を突如発表し、芸能界引退も決断。冒頭の番組で放送された日本武道館でのコンサートをもって、表舞台から去っていったのだ。引退後は山口百恵ではなく“百恵さん”として、第2の人生をスタート。84年に長男・三浦祐太朗(36)、翌年には次男・三浦貴大(35)を出産。友和はもちろん、祐太郎は歌手、貴大は俳優業でそれぞれ活躍するなど、母親として家族の芸能活動を支えてきた。そこで本誌が目撃してきた百恵さんの姿を写真とともに今振り返りたい――。■数少ない公の場!原監督の結婚式に夫婦で出席引退後、幾度となく復帰説が囁かれた百恵さん。メディアの出演依頼もすべて固辞してきたが、報道陣の前に姿を現すことも。そんな貴重な機会の一つが、86年に行われた原辰徳(62)の結婚式だ。当時、読売ジャイアンツで不動の4番を誇っていた原とプライベートでも親交のあった友和と百恵さん。全身黒のシックな装いで出席した百恵さんは、友和とともに笑顔で報道陣の前に。百恵さんが公の場に久しぶりに現れるとあって、報道陣も殺到した大賑わいの結婚式となった――。■長男夫妻の正月帰省を笑顔でお見送り引退後の百恵さんの日常を彩った趣味がキルト制作。87年ごろからキルト制作をはじめ、キルト作家の鷲沢玲子氏に師事し、19年には作品集を販売するまでに。そんな百恵さんが手塩をかけて作ったリングピローを渡した相手が長男の祐太朗だ。昨年6月に祐太朗は声優・牧野由依(35)との結婚を発表。その際、発表した妻との2ショット写真では、百恵さんからもらったリングピローが大切に抱えられていた。牧野と頻繁にLINEをするなど、嫁姑関係も良好な百恵さん。そして本誌は今年1月、実家に帰省した祐太朗と牧野の姿を目撃。祐太朗夫婦の帰り際、百恵さんは玄関口まで笑顔で2人を見送っていた。
2021年02月11日1月30日に放送された『伝説のコンサート“山口百恵 1980.10.5 日本武道館”』(NHK総合)の視聴率が8.6%と高視聴率を記録するなど、今も日本中から愛される山口百恵(62)。73年にデビューし、次々とスターダムを駆け上がった百恵だが、80年3月に突然の芸能界引退を公表する。その契機となったのが、三浦友和(69)との結婚だ。74年の主演映画『伊豆の踊子』での共演以来、親交を深め次第に惹かれていった2人。79年10月にはリサイタル中に友和との“恋人宣言”を行い、世間に衝撃を与えた。そして、翌年3月には婚約会見を行い、引退興行を行うと発表した。その締めくくりが、冒頭の番組でも放送された日本武道館での引退コンサートだ。コンサートの企画からかかわった百恵は全30曲を披露。最後には、マイクをステージ中央に置いて去っていくという“伝説”を残して表舞台から去っていった。■1,800人が出席した“伝説の披露宴”引退コンサートから約1カ月後の、80年11月19日に百恵と友和は結婚式を執り行った。披露宴の会場となった東京プリンスホテル・鳳凰の間には約1,800人の招待客が出席。仲人を故・宇津井健さん(享年82)が務め、メイン司会は故・岡田真澄さん(享年70)、サブ司会に徳光和夫(79)という超豪華な面々が顔を揃えた。また披露宴の様子はテレビで生中継され、平均視聴率30%という驚異的な数字も記録していた。■空港にマスコミが殺到!超厳戒態勢の新婚旅行日本中の祝福を受けて新たな人生をスタートさせた百恵と友和だが、なんと披露宴の翌日に新婚旅行を敢行!2人が選んだハネムーンの行き先はハワイ。20日の出発日には披露宴の興奮も冷めやらぬマスコミ各社が空港に殺到することに。空港内で即席の会見が行われる事態となった。厳戒態勢のままハワイへ旅立った2人だが、マスコミ各社も現地へ大挙して追跡する。一生に一度の新婚旅行を守るべく、友和の事務所は“驚きの一手”を打つ。当時を知る芸能リポーターはこう語る。「ハワイにはマスコミが何十社も潜入していたので、すべての追跡から逃れるのはなかなか難しい。そこで友和さんの事務所は、マスコミ各社に『最終日に取材する場を設けるからそれまではそっとしておいてほしい。もし一社でも破ったら、取材はなしにします』と事前に告げたんです。2人の貴重な新婚旅行を正式に取材することができるわけですから、これにはさすがに各社も従いましたね」マスコミ対策も“伝説的”だった百恵と友和夫妻だった――。
2021年02月07日昭和を代表する伝説の歌姫・山口百恵(62)。1月30日に放送された『伝説のコンサート“山口百恵 1980.10.5 日本武道館”』(NHK総合)の視聴率が8.6%を記録した。昨年10月に同番組がNHK BSプレミアムで放送されるやいなや、大反響となった。そして、NHK総合に移す形で今回の再放送が実現し、異例の高視聴率となったのだ。芸能界を引退してから41年経った今も、日本中の人々を魅了し続ける山口百恵。本誌はデビュー当時から現在にいたるまで、数々の“百恵伝説”を目撃してきた。わずか7年半の芸能生活となった百恵だが、現役時代の彼女を支えた“キーパーソン”との思い出を写真とともに振り返りたい。■先輩・和田アキ子との絆72年12月にオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)で注目を集め、73年にデビューを果たした百恵。そんな百恵の頼れる先輩として君臨していたのが、68年に同じ事務所からデビューした和田アキ子(70)だ。百恵のデビュー作となった映画『としごろ』では和田が主演を務め、右も左もわからない百恵を支えていたという。本誌も事務所のパーティで和田が百恵にケーキを食べさせる“愛の指導”を目撃している。■百恵を変えた夫・三浦友和との出会いデビューから破竹の勢いでブレイクしていった百恵。そんななか、74年に運命の出会いを果たす。将来の伴侶となる三浦友和(69)だ。同年、百恵が主演した映画『伊豆の踊子』で友和が相手役を務めると、次々と他の映画でも共演していき“ゴールデンコンビ”と呼ばれるまでに。次第に百恵も共演相手ではなく、友和を一人の男性として意識していくことに。80年9月に刊行された自叙伝『蒼い時』(集英社刊)で百恵は友和へのビビッドな気持ちをこう綴っている。《晴海埠頭のロケーションがあった時だった。彼の胸に顔を埋めるシーンで、厚手のセーターを通して、私の耳に響いてくる彼の鼓動を聞きながら、「この鼓動を特別の意識を持って聞くことのできる女性に……私がなれたら」と思った。それは、まぎれもない、恋の実感だった》
2021年02月06日昨年10月にNHK BSプレミアムで放送されるやいなや反響が殺到し、1月30日にNHK総合で異例の再放送が行われた『伝説のコンサート“山口百恵1980・10・5 日本武道館”』。わずか7年半の活動で芸能界を引退した山口百恵だが、その“伝説”は今も決して色あせていない。引退コンサートでは企画会議から携わったという百恵。なかでも、選曲には強いこだわりを見せていたという。当時、構成を担当した演出家の宮下康仁さんはこう明かす。「宇崎竜童さん(74)、阿木燿子さん(75)夫妻と初めてタッグを組んだ『横須賀ストーリー』ができたとき、百恵ちゃんが『宮さん、聞いて!次、すごい歌ができたから』って言うんです。百恵ちゃんはそこから変わっていきましたね。引退コンサートで百恵ちゃんが『とにかく私はこの1曲が歌えればいいの』と言っていたのも、宇崎さん夫妻が提供した『曼珠沙華』でした」その選曲を巡って、百恵ファンの間で噂されている“都市伝説”がある。往年のファンは言う。「引退コンサートで百恵さんは、デビュー曲から最新曲まで網羅した全30曲を披露しました。でもその裏で、ベスト盤的な選曲を求めた総合演出のTBS・山田修爾プロデューサーに対して’80年発売のアルバム『メビウス・ゲーム』の曲目を中心に構成したかった百恵さんが猛反発していたそうなんです」宮下さんは噂を「それは本当です」と認めたうえで、“開催危機”があったことまで明かしてくれた。■「私の友達をなんだと思ってるの!」百恵が激怒した理由「百恵ちゃんは、『横須賀ストーリー』より前の歌はあまり歌いたくなかったんです。ですから当初、デビュー当時の曲はまったく入っていませんでした。そこでTBS側が百恵ちゃんと親しい人を介して説得しようとしたんです。すると百恵ちゃんを『私の大事な友達をなんだと思ってるの!』と余計に怒らせてしまって。百恵ちゃんは『もう放送はいらない』とまで言ったんです。最終的に私がなんとか説得して百恵ちゃんも『わかった』ということで収まりました」語り草となっているのがやはり最後。ラスト1曲の『さよならの向う側』を涙ながらに歌い終え、深々とファンにお辞儀をし、ゆっくりとマイクをステージ中央に置く百恵。そして、悠然と客席を見回して、静かにステージから去っていった。この間、約150秒で百恵は永遠に人々の記憶に刻まれることとなったのだ。その場で目撃していた盟友・野口五郎(64)はそのときの様子を本誌にこうコメントする。「ラストコンサートの隣の席は(西城)秀樹でした。彼女が最後にマイクを置いたとき、僕も秀樹もアーティスト席の皆が、客席のファンの方たちより率先して、スタンディングオベーションをしたように僕は記憶しています」この“伝説の150秒”にも百恵の強い意思が込められていたのではないかと、宮下さんは言う。「よく『演出でマイクを置かせたのですか?』と聞かれるのですが、常に『そうじゃない』と言ってるんです。やっぱり百恵ちゃんの“最後の気持ち”だと私は思うんです。彼女のメッセージをあの舞台に込めて作っていたのでしょう。とにかく21歳にして心から尊敬できる女性でした」令和になった今も、百恵は日本の“夢先案内人”として導き続けていくことだろう――。「女性自身」2021年2月16日号 掲載
2021年02月03日《“山口百恵”という時代を作ってきた彼女の最後のステージ。同じ時間を共に出来たよろこびを感じながら武道館にいました。その存在感と圧倒的なオーラは今でも心の中にしっかりと残っています。その潔い去り方と共に彼女の存在は「永遠」になったと思います》本誌にこうコメントを寄せたのは、名曲『いい日旅立ち』の生みの親である谷村新司(72)。1980年に芸能界を引退してから41年。山口百恵(62)が令和に“奇跡の復活”を果たした。昨年10月にNHK BSプレミアムで放送された『伝説のコンサート“山口百恵1980・10・5 日本武道館”』が1月30日にNHK総合で再放送されたのだ。これは百恵の最後の舞台となった引退コンサートを収録したもの。往年の歌手のコンサート映像をBSから総合に移して再放送するのは極めて異例のこと。NHKの広報担当者は、こう明かす。「百恵さん最後のコンサートの再放送を希望される方々のお問い合せを200件あまり頂きました。20代以下の方も含めて、幅広い世代の方々からございまして、全世代の方々からお問い合わせを頂いたという形です」引退から41年たった今も人々の心をつかんで放さない百恵。令和の若い世代をも魅了する彼女の魅力について、当時、レコード会社で百恵の担当を務めた音楽プロデューサーの酒井政利さんはこう語る。「初めて百恵さんに接した若い人も彼女の表現力、品性に感銘を受けたのでしょう。素晴らしいものは時代を超えて伝わりますから」■久米宏を大慌てさせたハプニング’73年にデビューし、瞬く間にスターダムを駆け上がった百恵。しかし人気絶頂の’79年10月、ご存じ、三浦友和(69)と突然の“恋人宣言”。’80年3月には三浦との婚約を発表し、芸能界引退も宣言した。そして迎えた“最後のステージ”が10月5日に行われた日本武道館でのコンサートだった。酒井さんは当日の様子を興奮気味にこう振り返る。「あのときの百恵さんはいつも見ている何倍ものオーラがあふれ出していました。彼女は今、全身全霊を観客にぶつけて、さよならを告げているんだなと感じました」その様子はテレビでも生中継され、視聴率27%を記録。舞台裏で起こったハプニングを明かしてくれたのは引退コンサートの構成を担当した演出家の宮下康仁さんだ。「TBSで中継していたのですが、割とすらすら進んで予定より30分早く終わってしまったんです。司会の久米宏さん(76)が大慌てでつないでくれたのですが、終わったあとに『大変だったよ!』と笑いながらぼやいていました」百恵の伝説的な芸能生活を象徴するように“駆け抜けた”コンサートだったのだ。「女性自身」2021年2月16日号 掲載
2021年02月03日お笑いコンビ・キャイ~ンの天野ひろゆきが30日、一般女性との結婚を発表した草なぎ剛をツイッターで祝福した。草なぎはこの日、婚姻届を提出。所属事務所を通じ、「これからも、今までと変わらぬスタンスで仕事を続けていきたいと思っておりますので、皆様にも応援していただけるよう、日々精進してまいります」とコメントを発表した。天野は相方・ウド鈴木と共に撮った思い出のスリーショットをアップし、「うぉー、今つよぽん結婚!」と興奮。「こんな嬉しいサプライズは、なんぼあってもいいですからね」と喜び、「本当におめでとう」とメッセージを送った。天野が投稿した写真は、昨年11月に草なぎが行ったライブイベント「草なぎ剛のはっぴょう会」後の一枚。当時のブログでは会場まで足を運んだことを明かし、「歳をとると、失敗を恐れたり、なるべく恥をかきたくないという気持ちが強くなり、次第に自分で挑戦を諦めたり、限界を決めたりしてしまうものだ」「しかし、つよぽんにはそれがない」「その姿を見ていたら人生を楽しんで生きてるかい?とお尻を叩かれたような気持ちになったりした」と感想をつづっていた。
2020年12月30日「僕もうれしいです。ああいう父母みたいな仲のいい夫婦になれたら本当にいいな、と僕らも思っているので」誇らしげにこう語るのは三浦友和(68)と百恵さん(61)の長男で歌手の三浦祐太朗(36)。友和&百恵さんは明治安田生命が行っている「理想の有名人夫婦ランキング」で15年連続1位に輝き、殿堂入りを果たしたのだ。11月下旬、パーソナリティを務めるラジオ番組の生放送後に両親の快挙について語ってくれた祐太朗だが、彼自身も今年6月に人気声優・牧野由依(34)と結婚したばかり。幸せな新婚生活を送っているようだ。「祐太朗さんのラジオ番組に牧野さんが出演したことで出会い、交際に発展。もともと祐太朗さんがアニメオタクだったこともあり由依さんにはベタぼれ。共働きではありますが、合間をぬって定期的にデートをしては2人の時間を作っていますよ」(祐太朗の知人)本誌も8月、仕事終わりに自宅近くのすし店でデートする2人の姿を目撃している。結婚後も着実に絆を強めている祐太朗だが、目標にしているのはやはり11月に結婚40周年を迎えた偉大な両親だ。「百恵さんは人気絶頂だったにもかかわらず、結婚を機に芸能界から完全に身を引いて主婦業に尽くしてきました。友和さんもそんな百恵さんへ感謝を常に伝えていますし、結婚してから1度も夫婦げんかをしたことがないそうです。また月に1回は必ず2人でデートに出かけるという結婚当初からの夫婦ルールもいまだ健在。祐太朗さんが奥さんと2人きりで食事に出かけているのは、間違いなくそんな百恵さん夫婦の影響でしょう」(芸能関係者)8月31日に放送された『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演した際、祐太朗はこう語っていた。「『夫婦げんかは犬も食わない』と父がよく言っているので、その教えを忠実に守っていますね」結婚を機に芸能界から身を引いた百恵さんと、結婚後も精力的に仕事を続ける牧野。立場の違う2人だが、嫁姑仲は良好なようだ。「昔から子供の判断を尊重してきた百恵さんですから、働きながら家庭を支える由依さんのことも応援しているそうです。由依さんとよく連絡を取り合っていて、今ではLINEのスタンプを送り合う仲だと祐太朗さんも話していました」(前出・祐太朗の知人)今も寄り添い続ける両親の背中を追う祐太朗。しかし、かつては“百恵さんの息子”と呼ばれることへの葛藤を抱いていた。「歌手デビュー当時の祐太朗さんは、“七光り”と呼ばれることを嫌い、三浦という姓を隠して活動していました。大きすぎる両親の存在がプレッシャーになっていたそうです。しかし、年を重ねるにつれ両親のすごさを実感し、最近では百恵さんのカバーアルバムも発売。“百恵さんの息子”としての覚悟ができたのでしょう」(音楽関係者)今回、目撃した祐太朗の左手薬指にはきらりと光る結婚指輪が。実は、この指輪にも両親との絆が宿っているという。「祐太朗さんの結婚に際して、百恵さんは両家のイニシャルである“M”の文字がデザインされた純白のリングピローを手作りしてプレゼントしました。また、百恵さん夫婦は結婚10周年ごとにペアリングを作って贈っています。そんな姿を見て育った祐太朗さんにとって指輪というのは“家族愛”を象徴するものなのでしょう」(前出・芸能関係者)そして、祐太朗が両親から受け継いだものがもう1つあった。「10月20日に祐太朗さんは生まれ育った国立市の観光大使に就任しました。『国立の“落ち着き”と“品”というよさを発信できたら』と意欲を見せています。友和さんも地元への思いは強く、今年は国立市のシルバー人材センターの設立40周年を祝う記念冊子に登場して『しみじみいい所だよねって思うわけです』と“郷土愛”を語っていました。祐太朗さんとしては、これからは“父に続き、僕も国立を盛り上げていく”という思いなのでしょう」(前出・祐太朗の知人)最後に記者が祐太朗の“理想の夫婦像”について尋ねると、顔をほころばせながらこう語った。「両親が僕ら夫婦の手本ですから。本当に仲よしなんです」両親から“2つの愛心”を継承した祐太朗。祐太朗夫婦が、令和の「理想の夫婦」としてランキング入りする日を両親も願っているはずだーー。「女性自身」2020年12月15日号 掲載
2020年12月03日お笑いコンビ・キャイ~ンの天野ひろゆきが13日、YouTube公式チャンネル「キャイ~ンのティアチャンネル」で、さんまとダウンタウンを前にしたときの緊張感の違いについて語った。「芸能界30年キャイ~ン、ダウンタウンさんとの思い出を語ります!!」と題した動画で、天野は、「いつも思うんだけど、ダウンタウンさんの前では、『こいつ面白くない』って思われたくない気持ちがものすごい出てくるの。だから、普段だったらポロッと軽く言えそうなことが言えなかったりするわけ。ここは絶対来るっていうときにしか発言できないし、蛇ににらまれた感じがあるのよね」と、ダウンタウンに対する気持ちを告白。一方で、「さんまさんとかは、『この人に面白いと思われたい』っていう気持ちが出るから、積極性が出るわけ。何とかしてくれるっていう安心感もあるし」と言い、「でもダウンタウンさんのときは、『この人たちに面白くないって思われたら嫌だな』っていう気持ちの方が勝つから、結局、初めて出会ったときと同じくらいの距離感だと思う」「こんなに会っても、いまだに緊張する方々」と、バラエティ番組『リンカーン』(TBS系)で長年共演しているにも関わらず、距離が縮まっていないことを明かした。さらに、ダウンタウンの松本人志に関して、「面白いことしか言えない病気だと思う」とポツリ。あるとき、フォークが曲がる手品を見た出演者たちが「うわーっ!」と驚くなか、松本だけが驚く前に、「スパゲッティ食べにく」とつぶやいたそうで、「驚くことができないんだと思って。笑いの方の脳が勝っちゃうのよ。驚かされたよりも、『面白いことを言わなきゃ』がフル回転なんだよね」と、松本のお笑いへの執念に感嘆した様子だった。
2020年09月17日お笑いコンビ・キャイ~ンの天野ひろゆきとウド鈴木が13日、YouTube公式チャンネル「キャイ~ンのティアチャンネル」に出演。「芸能界30年キャイ~ン、ダウンタウンさんとの思い出を語ります!!」と題した動画内で、ダウンタウンの浜田雅功と初めて会ったときのエピソードを披露した。「浜田さんと一番初めに会ったのが、すごく印象に残ってて」という天野。テレビ番組のロケで浜田がいるスタジオに行くことになり、気合いを入れてドアを開けたところ、「天野!」「オイッ!」と声をかけられたそうで、「気づいたら俺、正座してたよ。ビックリした。自分でがなんで正座してるのか分からなかったよ」と思い出して苦笑い。ウドから「俺には土下座に見えたね」とツッコまれると、「土下座兼正座だったね。怖かったわ~。何されたわけでもないのよ」と振り返った。また、ファンクラブに入るほどダウンタウンに憧れていたというウドが、「俺はすごく会いたかったね」と言う一方で、天野は、「我々第4世代、ナイナイとかそこらへんは、ダウンダウンさんと一切絡みたくなかったんですよね。絡みたくないというか、いないもんだと思って過ごしてましたよ。とにかくダウンタウンさんに会うのが怖かった」「あんな瞬時に土下座したことないくらい、怖いというか。とんねるずさんとかもそうなんだけど、あまりにも大き過ぎて、いないもんだと思って。『僕たちはのびのび行こう!』って思ってたから」と、当時の心境を吐露。それでも、初めて会えたときは「うれしかった」ようで、「若手の頃に本を書いてるんですよ。三村さんとかやべっちとか、浜田さんのツッコミがいかにすごいかっていうのを書かせてもらって。そうしたら、浜田さんが読んでくれてて。『書いてくれてたな。ありがとな』って」と、優しく声をかけてくれたことを告白。さらに、初対面する前には、テレビ番組で、浜田が「キャイ~ンのポーズを連発してくれてた」ことを明かし、「松本さんが横で『それなんやねん!』って言ってたけど、『今、来てんねやー』みたいな感じで浜田さんがやってくれてて」と、後輩思いの一面に感激した様子だった。
2020年09月16日改札口から出てきた三浦祐太朗(36)の姿を見て、新妻は顔をほころばせる。2人は肩を寄り添わせながら夜道を歩きだした――。三浦友和(68)と百恵さん(61)の長男で歌手の祐太朗が入籍を発表したのは6月12日のこと。お相手は牧野由依(34)。「『ツバサ・クロニクル』のサクラ役をはじめ、話題のアニメ作品のキャラクターを数多く担当している人気声優です」(芸能関係者)本誌が東京都内で2人を目撃したのは7月下旬。この夜、祐太朗はレギュラー出演しているラジオ番組を埼玉県で収録し、東京へと戻ってきたところだった。「1時間ほどかかるはずですが、祐太朗さんはもっぱら電車通勤で、そのことを知ったときは少し驚きました。“二世タレント”というと派手な生活をしているイメージもありますが、祐太朗さんは全然違うようですね」(ラジオ局関係者)落ち合った祐太朗と牧野がデート先に選んだのは、駅の近くにあった、すし店。とはいっても、夜でも1人前3千円ほどのリーズナブルな店で、新婚夫婦の地に足の着いた生活ぶりが垣間見えた。実は“見えを張らずに、自分の身の丈に合った生活を”は、母・百恵さんのモットーでもある。友和は以前、本誌のインタビューに、仕事に恵まれなかった時期のエピソードを語っていた。バブル期に一軒家のために高額のローンも組んでしまい、「このままでは家を売るしかない」と、悩んでいた彼に、百恵さんは泰然自若とした様子でこう言ったという。「(収入が)10万円なら10万円の、千円なら千円の生活をするだけよ」そんな言葉に救われたという友和は最近、週刊誌のインタビューで長男の結婚についても言及している。《(お相手は)素敵な方でした。結婚式はしていませんが、やりたいでしょう。特に女性はね》(『週刊新潮』’20年7月30日号)挙式や披露宴について、本人たちはどう考えているのだろうか。本誌は祐太朗を直撃取材した。――ご結婚おめでとうございます。「ありがとうございます!」――牧野さんをご両親に紹介したのは3月と伺っていますが、お母さまからはどんなお言葉を?「そうですね。ふつうですが『おめでとう』と、言ってくれました」――挙式や披露宴については検討中と報じられていましたが?「実は考えていないんです」きっぱりと答え、その理由についても語る。「いちばんの理由は、こういった(コロナ禍という)時期だということです。皆さんに集まっていただくのも申し訳ないので、そう決めました」屈託のない笑顔を見せると、深々と一礼し、祐太朗は歩いていった。たとえ“逆境”にあってもめげず、動ぜず……。母の教えは、見事なまでに長男の血肉となっていた。「女性自身」2020年8月18・25日合併号 掲載
2020年08月11日今、SNSでは興奮した若者たちのメッセージが次々とつづられている。《百恵ちゃんの曲が好きすぎてダウンロードしまくってる世代というわけじゃないけど大好き!!!》《山口百恵がトレンド入りしてたからサブスクで聞いてみたけど、結構歌える曲があってビビる…音楽の教科書に載ってた曲もあったよね。私20歳なのに、、笑やっぱすごいや》5月29日、百恵さん(61)がこれまでに発表した600曲以上にのぼる楽曲のサブスクリプション配信が“解禁”された。若い世代から大きな反響を呼んでいる――。「サブスクリプション配信とは、定額制の音楽聴き放題サービスのこと。日本では10社以上の配信元があります。それぞれ配信曲数や内容は異なりますが、月額千円前後を支払うことで、数千万曲以上の世界中の楽曲がスマートフォンやパソコンでいつでも聴けます。若者の間で“サブスク”と呼ばれ、大人気のサービスです。今回の解禁で『秋桜』『イミテイション・ゴールド』といった全シングルからライブアルバムまで配信されました」(レコード会社関係者)なぜ、このタイミングで配信を開始したのか。その狙いについて音楽評論家の富澤一誠氏はこう推測する。「百恵さんサイドはこれまで、機をうかがいながら全集や映像作品を発表することで、“山口百恵の希少価値”を高め、往年のファンを大切にしてきました。サブスク全盛期の今、解禁することで若者たちにも販路を開き、マーケット的にも取り込みたいということでしょう」その狙いどおり、当時、熱狂した世代だけでなく、若者たちも殺到しているというのだ。「配信元の1つで、多くの若者が利用するSpotifyでは、百恵さんの人気曲ランキング1位が『プレイバック part2』、2位が『さよならの向う側』、3 位が『いい日 旅立ち』でした。すべての配信元の再生回数を合わせると解禁されてから3日間で100万回以上再生されたと聞いています。百恵さん世代の歌手では異例の数字です」(音楽ジャーナリスト)夫・宇崎竜童(74)とのタッグで数々の名曲を百恵さんに提供した作詞家・阿木燿子(75)も喜んでいるという。阿木をよく知る音楽関係者は言う。「百恵さんの時代から比べてCDの売り上げはかなり下がっています。しかし、こうした形で若い世代が百恵さんの楽曲に触れ、阿木さんも『本当にありがたいです』と言っていたそうです」サブスクが巻き起こす“令和の再ブーム”の要因について前出の富澤氏はこう分析する。「CDやレコードでは聴かないけど、“サブスクで昔の曲を聴いてみよう”という若者が増えています。百恵さんの楽曲を家や車で聴いていた親も多く、“ちゃんと聴いてみたらよかった!”という若者が続出していると思います」さらに、現在の人気楽曲との親和性も。「百恵さんは『横須賀ストーリー』や『プレイバック~』といった楽曲によって“歌謡ロック”を生み出しました。その流れが’80年代に入りアン・ルイスや中森明菜へ続き、さらには若者の間で支持を集める“Jロック”の基にもなっているといえるでしょう」(富澤氏)楽曲が破竹の勢いで再生回数を増やしていくだけに百恵さんへの“印税”も期待できそうだが……。「サブスク配信は1再生あたりレコード会社に1~2円ほど入ります。そこから作曲家などに分配されるのですが、歌唱のみの百恵さんに入るのは全体の約1%。3日間で100万回再生されたそうですが、百恵さんには1万円ほどしか入らないでしょう……」(前出・音楽ジャーナリスト)引退後、芸能界復帰を固辞し、沈黙を貫いてきた百恵さん。今回の解禁には、本人もかかわっているのだろうか?「契約的にはレコード会社とアーティストの所属事務所が了承すれば、本人の承諾がなくてもサブスク配信は開始できます。しかし、本気で嫌がっていればこう大々的に解禁されないはずでしょうから、本人も了承していると思います」(富澤氏)名実ともに昭和・平成・令和と“世代を超えたスター”となった百恵さん。今年の『紅白歌合戦』での劇的復活の声も上がりそう!?「女性自身」2020年6月23・30日号 掲載
2020年06月12日お笑いコンビ・キャイ~ンの天野ひろゆきが8日、オフィシャルブログを更新し、香取慎吾の感動エピソードを明かした。日本テレビ系『天声慎吾』共演以降も香取のことを「王子」と呼ぶなど、親しい間柄で知られる天野。8日付のブログでは、「昨日のななにーも、近くにはいたけど、リモート状態で会えずかと思ったら、ライブへの移動で少しだけ王子と話せた(これはもはや出待ちするファンだ(笑))」と直接の会話が久しぶりだったことを明かした。香取に会いに行った天野が「ドラマ宣伝してくれてありがとう」「おかげで好評うちに完走出来たよ!!」と伝えたところ、香取から「僕の宣伝のおかげだなんて」「じゃなくて楽しく面白く沢山の人が観たくなる作品だったんだよ。楽しい時間をありがとう!」と逆に感謝されてしまったのだそう。「久しぶりに王子に会えた」と題したこの日のブログは、「泣けるじゃねぇか王子」と天野の感情がにじみ出る一文で結ばれている。「ドラマ宣伝」というのは、天野が出演したドラマ『隕石家族』(東海テレビ・フジテレビ系)を、香取がTwitterなどで告知していたこと。先月30日、香取の「いよいよこの後23時40分から隕石家族 最終回!!」に対して天野はTwitterで「おい!ついに俺を経由しないで直接ツイートしとるやないかいっ!!(笑)」「気付かないでメール待ってたよ」「ありがとう王子!!」と反応。ブログでは度々感想メールが送られてきたことを明かし、最終回後にも届いたようで、翌日には「王子からのメールが『STAY HOMEに楽しい時間をありがとう!諦めたら人生そこで終わり 明日の人生に懸けてみるか どんとこいだね!!』その通りだよ!! 王子~!! ありがとう」と感謝のメッセージを送っていた。
2020年06月10日5月29日、山口百恵さんの600曲以上におよぶ楽曲のサブスクリプション(定額制)ストリーミング配信が解禁された。今回サブスクの対象となる作品はデビューシングル「としごろ」をはじめ、「プレイバックpart2」「いい日旅立ち」「秋桜」「さよならの向う側」といった名曲を含む全シングル。さらには22枚のオリジナルアルバムと、女優として出演した作品のサウンドトラックアルバム8作品の収録曲を含めた計600曲以上がApple Music・Spotifyなどの主要ストリーミングサービスで一斉に配信される。発表を受け、ネット上では往年の百恵さんファンから歓迎の声が続出。また現役時代の百恵さんを知らない多くの若者からも、改めて“アイドル・山口百恵”が残した功績を絶賛するコメントが相次いでいる。《山口百恵がトレンド入りしてたからサブスクで聞いてみたけど、結構歌える曲があってビビる…音楽の教科書に載ってた曲もあったよね。私20歳なのに、、笑やっぱすごいや》《山口百恵さんが引退したのって40年も前なんだね。。テレビで今でも普通に時々でてくるから全然そんな前な気がしない。実働7年で600曲、人気絶頂の21歳で結婚するから引退…今のアイドルは絶対真似できないだろうなぁ、、まさに伝説!!》百恵さんは、オーディション番組『スター誕生!』から14歳でアイドルデビュー。芸能界での活動は7年半ほどであったが、レコードシングル31作で累計1630万枚を売り上げ1970年代の歌手で最大のセールスを記録した。また人気絶頂の20歳の時に、リサイタルで「私が好きな人は、三浦友和さんです」と俳優・三浦友和(68)との交際を宣言。翌年三浦との婚約発表と同時に芸能界引退を公表。1980年10月5日に日本武道館で開催されたファイナルコンサートで、マイクをステージの中央に置いたまま舞台裏に去ったあのシーンは今でも伝説となっている。衝撃的引退から40年。令和の時代となった今でも百恵さんの楽曲は多くのアーティストにカバーされ、若い世代へと歌い継がれている。まさに記録と記憶に残るアイドルだった百恵さん。サブスク解禁により、さらに多くのファンに歌声が届くことになりそうだ。
2020年05月30日引退から40年経った2020年現在も、日本の歌謡史に名を残す伝説の歌姫、山口百恵さん。活躍していた時代を知らない人も、一度は彼女の楽曲を耳にしたことがあるでしょう。そんな山口百恵さんの楽曲が、同年5月29日より、『サブスクリプション』と呼ばれる定額制での音楽配信サービス(以下、サブスク)が解禁となり、話題になっています。山口百恵の楽曲600曲以上を一斉配信解禁された楽曲は、デビューシングル『としごろ』からラストを飾った『一恵』までの全シングルに加えて、22枚のオリジナルアルバム、6枚のライブアルバム、女優として出演したサウンドトラックアルバム8作のなんと600曲以上!Apple Music、Spotify、LINE MUSIC、Amazon Music Unlimited、Google Play Music、AWA、そのほか主要なストリーミングサービスで聴けるようになるといいます。『ひと夏の経験』『プレイバック part 2』『いい日 旅立ち』『秋桜』を始め、数々の名曲をサブスクで聴けるとあって、ネット上では多くのファンから感激の声が寄せられていました。・本当に嬉しい!待ってたよー。・最高。早速ダウンロードします!・名曲ばかり。引退時が21歳だったなんて信じられない。・素敵すぎる!私が一番好きなのは『絶体絶命』。聴いてみて~!時代が変わっても色あせない名曲を気軽に楽しんでみてはいかがでしょうか。[文・構成/grape編集部]
2020年05月29日「最近の百恵さんは毎年恒例のキルト展に向けて、仕上げの真っ最中です。昨年に発売したキルト作品集が20万部以上売り上げて話題になったこともあり、今回はいっそう力が入っているみたいですよ」(キルト仲間の女性)1月17日に誕生日を迎えたばかりの百恵さん(61)。百恵さんが’80年に夫・三浦友和(67)との結婚を発表し、芸能界を引退してから今年で40年。毎年11月22日の「いい夫婦の日」に発表される“理想の夫婦”アンケートでは、14年連続で1位に輝くなど、今でも時代を超えて愛されている。そんな百恵さんの素顔をよく知るのが友和の実姉であり、山梨県・清里でペンション「ら・べるでゅーら」を営む篠塚弘子さんだ。本誌の取材に快く答えてくれた弘子さんは、百恵さん夫妻の変わらぬ親密ぶりについてこう語る。「私たち夫婦はしょっちゅう口げんかしますが、弟夫婦は結婚以来一度もけんかしたことないんじゃないかしら。それくらい今でもあの2人は仲よし。私はいつも百ちゃんと呼んでいて、本当に飾らなくて気さくで優しい人。それでいてとっても気の利くかわいい妹です」最近も百恵さんと会ったばかりだという。「百ちゃんたちに両親の面倒を見てもらっていますし、今年のお正月に夫と2人で百ちゃんのお家に行きました。お屠蘇で乾杯して、彼女が手作りしたお節料理なんかを食べながら、両親と友和夫婦との3組で新年のお祝いをしました」(弘子さん)93歳の義父、92歳の義母と二世帯住宅で暮らす百恵さん。高齢の2人を常日ごろから献身的に気遣っているようだ。「毎年、母の日や誕生日といった記念日には必ず百ちゃんや友和が『そろそろうちに来てご飯食べませんか?お義母さまのお誕生日ですから』と必ず声をかけてくれるんです。そんなときは友和の家へ行って、百ちゃんと2人で台所に立って、両親の好きな食べ物を一緒に作ったりしているんですよ」(弘子さん)そんな百恵さんへの強い感謝の気持ちを弘子さんもこう語る。「私がそばにいてあげられないので、今の両親には百ちゃんのほうが私以上に娘らしいんじゃないかな(笑)。病院の送り迎えや薬のことなどは、私の代わりに百ちゃんが全部やってくれていますから。だから、百ちゃんがいてくれて本当に安心ですし、助かっています」賢妻として主婦業と介護を上手に両立させている百恵さん。しかし、彼女にも一つだけ悩みがあるようだ。「百ちゃんの今の心配ごとは一つだけ。“いつ息子たちが結婚して、孫の顔を見せてくれるかな?”ということ。私にも息子がいますが、男の子は結婚すると実家にあまり寄りつかなくなるから、私も百ちゃんも娘は欲しかったんです。私に『お義姉さん、私たちに娘がいたら絶対ベタベタでしたよ』と笑いながら言ってましたよ。百ちゃんはよく『息子が結婚すれば、いつかは孫を連れてきてくれますから』と希望を持っていますよ」(弘子さん)しかし、しばらくはその夢も叶いそうにないようだ……。弘子さんは続ける「残念ながら今年も両家そろってその兆候はいっさいありません!この前は2人で顔を見合わせて『どうなるんでしょうね、私たち』って、嘆き合っていました。百ちゃんも私も心の中では『いいかげん早く結婚しろよ』って思っていますけど(笑)」(弘子さん)2人の息子が百恵さんの“夢先案内人”となれる日は果たして――。「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月22日1月17日に61歳の誕生日を迎えたばかりの百恵さん(61)。今でも女性たちの憧れであり続ける彼女は、賢妻として主婦業とともに90歳を超える義父母の介護を両立させる生活を送っているようだ。百恵さんの知人は語る。「ご両親とも認知症などはありませんが、90歳を超えていることもあり“要介護1”の状態です。百恵さんは今までどおりの主婦業と並行して、デイサービスなども活用しながら義父母の身の回りのお世話を完璧にこなしていると聞いています」義姉の弘子さんによると「初孫が見たい」と独身の息子たちに頭を悩ませながらも、義父母一家と良好な関係を築き続けている百恵さん。介護コンサルタントの伊藤亜記さんは、百恵さんの“完璧な介護生活”の秘訣をこう分析する。「一般的に、一人で介護を抱え込んで、思い詰めてしまう人が多いんです。百恵さんが介護に励めるのは、おそらく友和さんや親族の方たちが『ありがとう』と感謝の気持ちを日常的に伝えているからなのでしょう。そうした周囲の協力も得ながら、キルトといった趣味の時間をきちんと取れているのもいいですね。また、デイサービスといった仕組みをうまく活用することも大切です。手を借りるところは借りて、病院の送り迎えなどはしっかり自分でやる。役割分担をはっきりさせることは重要なんです」夫の三浦友和(67)も本誌のインタビューで、百恵さんへの気持ちをこう明かしている。《介護で自分の時間が削られるだけでもストレスになっているはずですから、ここは相性ですませず『ありがたく思っている』と、言葉に出して伝えています。なるべく妻が楽に介護できるようにしたい。それが夫の務めです。下の世話が始まったら、施設に入れることも今から考えています》(’19年1月1日・8日合併号)百恵さんが孫を切望する裏側にも、義父母への“愛”があるようだ。伊藤さんは推測する。「百恵さんはお母さんを60歳と早くに亡くしています。自分の親にひ孫の顔を見せられなかった分、『友和さんの両親にはちゃんと見せてあげたい』という気持ちがあると思います。それだけ、友和さんの両親も百恵さんのことをかわいがっていたのでしょう。ひ孫の顔を見せたいと言えるのも、お子さんたちとの関係もうまくいっているということだと思いますよ」昭和はスーパーアイドル、平成は賢妻として生き抜いた百恵さん。令和に“カリスマばあば”になる日も近いかも!?「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月22日「昔から百恵さんの生き方に憧れていたんです。あれだけのスターだったのに、引退後はほかのタレントのように中途半端に復帰したりしませんでした。自分の考えをしっかり持っている方で、すごく尊敬しています。その百恵さんの新しい本が発売されたと聞いて買いにやって来たんです」そう語るのは、東京都内の書店を訪れた50代女性。彼女が持っていたのは購入したばかりのキルト作品集『時間の花束Bouquet du temps』(日本ヴォーグ社)だった。’80年10月に歌手・山口百恵として引退してから39年。いまは三浦百恵さんとなった彼女が刊行した著書が話題を集めている。結婚してから制作を始めたという70点ものキルト作品などを紹介した写真集で、本人の近影も掲載されているのだ。300万部を突破した自叙伝『蒼い時』刊行からも39年。百恵さんは決断の理由を、あとがきで次のように書いている。《日々の軽い雑談の中で、夫にそんな話(※キルト作品集刊行を勧められたこと)をしたところ、「30年以上続けてきたことだし、還暦のいい記念になると思う。やってみたらいいんじゃない」という言葉が背中を押してくれました》結婚して以来、自分の仕事を支えてくれ、2人の息子を育て上げ、さらに老親の介護にも励んでくれた妻。そんな百恵さんが還暦を迎えることについて、夫・三浦友和(67)も深い感慨を抱いていたのだ。友和は本誌のインタビューで次のように語っていた。《60歳は妻にとっては母親が亡くなった年齢でもあります。それだけに60歳への思いが強いのか、すごく重く捉えているようです。誕生日には何かしてあげようと思っています。息子たちもそのつもりでいるようです》(’19年1月1・8日合併号)『時間の花束Bouquet du temps』には、子供たちの手提げバッグや体操着袋なども掲載されており、作品のバリエーションの多様さ、そして込められた愛の深さには驚かされる。また著書では、百恵さんが“もう一つの針仕事”と呼んでいるビーズ織りとの出会いについても紹介されている。百恵さんはデパートで鑑賞したビーズ織りの作品展に感動し、自身も習うようになったという。いまも百恵さんを指導している佐古孝子さんが、本誌の取材に応じてくれた。「百恵さんが、私の教室に通いたいと言ってくださったのは、もう15年ほど前のことでしょうか。月に1度のペースでマンツーマンでお教えしています。彼女は時間にも几帳面で、1度も遅刻したことがないのです。最初はアクセサリーをいくつか作り、慣れたころからハンドバッグなどに挑戦されるようになりました。特に色彩感覚に優れているのと、キルトもそうなのでしょうが、“自分が作りたいもの”よりも“作ってあげる相手が喜ぶもの”を優先しているような方です」マンツーマン指導の2時間で、よく雑談もするという。「ご家族のお話をされることも多いですね。ご次男が寮で生活している時期もあったそうですが、『これは息子が作ったお弁当なんです』と携帯電話の写真を見せてくださったこともありました。息子さんもお料理が得意なのだそうです」いつもは自分で運転して教室にやってくるという百恵さんだが、ときには友和が送迎をしてくれることもあるようだ。そんなときは、まるで新妻のように少しソワソワした様子になるという。「『今日は主人が迎えに来るんです』と、とても嬉しそうにされています。百恵さんもご主人を大切に思っていますし、ご主人も百恵さんをとても大事にされているようです」ファイナルコンサートでは「皆さんの心を裏切らないように、精いっぱい、さりげなく生きていきます」と語り、芸能界を去った百恵さん。彼女は二度とステージに立つことはないが、これからも数々の作品に家族への愛情を“精いっぱい、さりげなく”注ぎ込んでいくのだろう。
2019年08月01日天野喜孝展「春夢譚(しゅんむたん)」が、2019年4月10日(水)から5月18日(土)まで、東京・市ヶ谷のミヅマアートギャラリーにて開催される。天野喜孝展「春夢譚」では、天野喜孝が様々な手法で描いた春の表現を紹介。変わりゆく季節と時代を感じさせる、物語性に満ちた作品が展開される。淡い色彩で繊細に描かれた《Lady Blue》は、刹那の感情を見せることなく静かな存在感を放つ女性を描いた絵画。少女から大人へと成長していく過程の、瞬間的な生の輝きを切り取った作品からは、春の夢のごとく儚い美しさを感じられる。15歳でアニメ制作会社タツノコプロに入社した天野喜孝は、「タイムボカン」シリーズや「科学忍者隊ガッ チャマン」など数多くのキャラクターデザインに関わった。独立後「ファイナルファンタジー」シリーズのキャラクターデザインで話題を呼び、90年代後半以降はファインアート中心の活動に移行。個展の開催など国内外で活躍を見せる。天野喜孝展「春夢譚」に先立って、3331 Arts Chiyodaでは4月2日(火)から「ラフ∞絵展」を開催。タツノコプロを原点に持つ天野喜孝をはじめ、秋本治、大河原邦男、高田明美の“ラフ絵”を紹介し、作品が生まれる過程に迫る。【詳細】天野喜孝展「春夢譚」会期:2019年4月10日(水)~5月18日(土)時間:11:00~19:00 ※日・月・祝日休廊会場:ミヅマアートギャラリー住所:東京都新宿区市谷田町3-13 神楽ビル2FTEL:03-3268-2500
2019年03月30日「夫婦割で2枚、お願いします」映画館のチケット売り場で、こう口にした三浦友和(66)。隣にそっと寄り添うのは、妻の百恵さん(60)だ。友和が財布から“夫婦割”の料金2,200円を取り出しチケットを受け取ると、百恵さんと2人で館内に消えていった――。実はこの1月17日は、百恵さんの60歳の誕生日だった。「友和さんは、百恵さんの誕生日とその前日の2日間、オフを取ったそうです。かなり前からスケジュールを調整していたみたいで、この2日間をどうしても百恵さんのための特別な日にしてあげたかったのでしょう」(三浦家の知人)百恵さんにとって“60歳”という年齢には特別な意味がある、と友和は今年1月の本誌のインタビューでこう明かしている。《60歳は、妻にとっては母親が亡くなった年齢でもあります。それだけに60歳への思いが強いのか、すごく重く捉えているようです。誕生日には何かしてあげようと思っています。息子たちもそのつもりでいるようです》(19年1月1日・8日合併号)亡き母の享年と同じ年齢になる誕生日。還暦を無邪気に喜べない百恵さんを少しでも明るく祝ってあげたいと、友和はデートに連れ出したに違いない。とはいえ2,200円の映画デートは、“還暦祝い”にしてはカジュアルな気が――。「21歳の若さで結婚・引退した百恵さんは当時、『稔さん(友和の本名)と幸せな家庭を作って、普通のおばさんになりたいんです』と語っていました。それから現在に至るまでずっと“普通であることがいちばん幸せ”という強い思いがあるんです。そんな百恵さんの信念を深く理解している友和さんは、還暦祝いでもあえていつもどおりのデートにしたのでしょう。それこそ百恵さんがいちばん喜ぶことですからね」(前出・知人)特別な記念日だからといって、大々的なサプライズパーティーを用意したり、高価なプレゼントを贈ったりといった派手なことはいっさいしない。さりげなく過ごせる姿に、三浦夫妻のゆるぎない絆の強さが伝わってくる。こうした友和の気配りには、自分の両親を献身的に介護してくれる百恵さんへの感謝の気持ちがあった――。「ともに90歳を超えたご両親はいま、友和さん夫妻の自宅に同居しています。百恵さんは義父母のために介護の勉強も始め、食事や身の回りの世話などすべて百恵さんが担ってきました」(前出・知人)友和は前出のインタビューでこうも語っている。《妻は大変ですよ。病院は、妻が車で連れていっています。介護で自分の時間が削られるだけでもストレスになっているはずですから、ここは相性ですませず『ありがたく思っている』と言葉に出して伝えています》(同)誕生日や記念日などの特別な日だけではなく、友和は“何でもない日”でも百恵さんへの恩返しを忘れない。「家事や介護のストレスを少しでも和らげようと、休みの日は以前に増してデートに出かけるように心がけているようです。家にいる日も晩酌をしながら夫婦で語り合う時間は必ず作るようにしているといいます。最近2人は日本酒にハマっていて、料理上手な百恵さんがおいしいおつまみを作ってくれるのだとか。友和さんはこういうときも『いつもおいしいよ、ありがとう』とさりげなく百恵さんを褒めているそうです」(前出・知人)この日、映画を見終わり、お互いの感想を楽しそうに語り合っていた三浦夫妻。その左手薬指には、10年に1度新調するというおそろいの結婚指輪が、真冬の夕日を浴びて光っていた――。
2019年01月23日「声が似ているんですよね。目をつむって聞いていると、百恵さんを彷彿とさせる。なんとも言えない湿り気、シャドウというか、陰影があるというか……」作詞家・阿木燿子さん(73)は、百恵さん(59)の長男・祐太朗(34)について、目を細めながらこう語ってくれた。近松門左衛門の代表作をフラメンコの音楽と踊りで表現した舞踊劇『Ay曽根崎心中』が12月12日から、新国立劇場で始まる。プロデュースと作詞を阿木さん、夫の宇崎竜童さん(72)が音楽監督として作曲を手がけるこの公演は今年で18年目になる。祐太朗は14年に初参加。今年は阿木・宇崎夫妻が作詞作曲した、新曲の『菩提樹』も劇中で歌うことが決まった。「それにしても、本当に不思議ですよね。気が付いたら親子2代にお世話になることになって……」と阿木さんは続ける。百恵さんは現役時代、阿木燿子作詞・宇崎竜童作曲で大ヒットを連発。宇崎夫妻の作品は、百恵さんが国民的歌手へと上りつめる“道しるべ”でもあった。出会いから42年が経ったいまでも、年に1~2回は4人で食事に行く仲が続いている三浦夫妻と宇崎夫妻。百恵さんは「覚悟が決まった人」だと、阿木さんは言う。「息子さんお2人が、お父さんお母さんと同じ道を歩まれることについて、どう思われたんですか?」と阿木さんが聞いたとき、百恵さんはこう答えたそうだ。「好きなことをすれば良いと思っていました。もう私のときとは時代が違うので、この世界のことはよく分からないし、何にも手助けできないんです。私ができることは、家族にご飯を作ることくらいなんですよ」引退から38年――。来年1月の誕生日には還暦を迎える百恵さんだが、ずっと変わらず大切にしてきたものがある。それは、「主婦こそ天職!」という誇りだ。「あれだけの大スターだった人が普通の主婦に徹しているんです。『国立の家を売ろうかって、夫婦で真剣に話し合ったこともあったんですよ』と、百恵さんがさりげなくおっしゃったことがあって」友和と百恵さんが国立に家を建てたのは88年。90年代半ばになって友和の両親を呼び寄せ二世帯住宅に改築したが、その後、友和の仕事が激減。過去のインタビューで、友和は当時の思いをこう語っている。《そんなときでも、ウチの妻は腹が据わっていました。十万円なら十万円の生活、千円なら千円の生活をするだけだ、と言って》(『婦人公論』14年11月22日号)「百恵さんが1本CMに出れば済む話だと思うんですが、そんな発想すら出てこないこと自体、すごいことでしょう。かつての山口百恵は絶対に出てこない。あんなに潔い人ってそういないと思います。その息子さんと一緒に仕事をさせていただける。私たちにとっては、奇跡の二乗という思いです」公演が終わったら、4人で食事会をしたいと、阿木さんは微笑んだ。2組の夫婦の絆は深まるばかりだ──。
2018年11月09日「FINAL FANTASYと天野喜孝の世界展」が、2018年8月10日(金)から9月2日(日)まで、東京・池袋のサンシャインシティ 展示ホールCにて開催される。世界的人気を誇るロールプレイングゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズのイメージイラストをはじめ、装幀画、舞台美術と多方面で活躍するイラストレーター・天野喜孝。その繊細で妖艶・幻想的な作風から国内外で高い人気を博し、日本だけではなくパリ、ニューヨーク、ドイツなどでも個展が開催されている。本展では、ファイナルファンタジーの世界をモチーフにした約150点の原画とCG、立体造形から、90年代後半より天野が制作を続けるファインアートの大型作品まで、約200点の作品を展示。天野喜孝のファンタジー世界と現代のテクノロジーを融合した、大規模な体感型の展覧会となる。なお、一般前売り券は5月26日(土)より各種プレイガイドにて取扱いスタート。また、全国のファミリーマート、サークルKサンクスでは天野喜孝のサイン入り限定ポスターが付属する特典付き入場券が発売される。【開催概要】「FINAL FANTASYと天野喜孝の世界展」開催期間:2018年8月10日(金)〜9月2日(日)時間:11:00〜18:00 ※入場は閉館の30分前まで会場:池袋・サンシャインシティ文化会館ビル3F 展示ホールC入場料:一般 2,000円(1,800円)、中学生以下 1,000円(800円)、特典付き入場券3,500円※( )内は前売り料金、3歳未満無料。<前売りチケット>発売日:2018年5月26日(土) 各種プレイガイドで発売<前売りチケット(特典付き入場券)>発売日:2018年5月26日(土) 全国のファミリーマート、サークルKサンクスで発売※前売りチケット(特典付き入場券)は特典のポスターがなくなり次第、販売終了。【問い合わせ先】TEL:03-5777-8600(ハローダイヤル)時間:全日/8:00~22:00
2018年05月21日「天野喜孝展 天馬」が、横浜・馬の博物館および府中・JRA競馬博物館にて開催される。期間はそれぞれ2018年4月21日(土)から6月24日(日)、5月12日(土)から6月24日(日)まで。天野喜孝は、妖艶で幻想的な絵柄で知られる日本を代表するアーティスト。半世紀に渡る活動の中で、人気ゲームシリーズ「ファイナルファンタジー」のキャラクターデザインや、イラスト、舞台美術、衣装デザインなどを手掛けており、幅広いジャンルで名作を生み出してきた。90年代後半以降は活躍の場を広げ、パリ、ニューヨークなど世界各都市で個展を開き、世界でも高い人気を誇っている。「天野喜孝展 天馬」の両会場では、ファンタジー小説の挿画として数多く描かれてきた騎馬をはじめ、ペガサスやユニコーン、ケンタウルスといった馬をモチーフに創造された幻獣、騎獣など"馬"をテーマにしたイラストが展開される。この個展のために描き下ろした新作・初公開作品合わせて30点以上を並べるほか、「ファイナルファンタジー」シリーズからも馬が登場する作品を展示する。なお、両博物館で展覧会を観覧、または馬の博物館で天野喜孝展図録を購入した人には、描き下ろし絵柄のオリジナルポストカードが数量限定でプレゼントされる。【詳細】「天野喜孝展 天馬」■第1会場 馬の博物館 第2・3展示室住所:神奈川県横浜市中区根岸台1-3 根岸競馬記念公苑会期:2018年4月21日(土)~6月24日(日) ※月曜休館、ただし4月30日(月)は開館。開館時間:10:00~16:30(入館は16:00まで。)入館料:大人200円、小中高校生30円、団体(20名以上)半額※毎週土曜日は小中高校生無料。障がい者手帳を持参者は無料(付き添いは半額)。■第2会場 JRA競馬博物館 2階 第3展示室住所:東京都府中市日吉町1-1 東京競馬場内会期:5月12日(土)~6月24日(日) ※月・火曜休館。開館時間:東京競馬開催日 10:00~17:00/その他の日 10:00~16:00入館料:無料(ただし東京競馬開催日は競馬場への入場料200円が必要。)■図録 600円(税込)仕様:A4横長版、総計68ページ取扱店舗:馬の博物館ミュージアムショップ、東京競馬場タフィーショップ(メモリアルスタンド店)、GateJ.新橋及び梅田、ターフィー通販クラブ※数量限定。※両博物館で展覧会を観覧、または馬の博物館で天野喜孝展図録を購入者を対象に、オリジナルポストカードをプレゼント。【問い合わせ】馬の博物館TEL:045-662-7581
2018年04月19日「百恵が贈ってくれたキルトですか?ええ、いまでもここの2階に飾ってありますよ」 そう言いながら三浦友和(66)の実姉・篠塚ひろ子さん(67)が指さす先には、壮大なキルト作品『大地』があった。ひろ子さんの義妹にあたる三浦百恵さん(59)の作品だ。 「百恵は、自分の息子たちにも20歳の記念にキルトを作っているんですね。長男の祐太朗(33)は『空』、次男の貴大(32)は『海』、うちの建太(30)には『大地』をテーマに、それぞれが20歳になるタイミングで順番に作ってくれた3部作。その気持ちがとってもありがたかったですね。だって、1枚作るのに2年もかかるものなんですから」 10年経ったいまでも、ひろ子さんが経営する山梨県・清里のペンション『La VERDULA』に飾られてある。記者が高原の清里を訪ねたのは、まだ雪が残る3月27日のこと。夫の篠塚健次郎さん(69)も同席し、夫婦仲良くインタビューに答えてくれた。 篠塚さんは97年のパリ・ダカール・ラリーで日本人初の総合優勝を果たした、日本屈指のラリードライバーだ。このペンションのオープンは86年。始めたのは、ひろ子さんと友和の両親だった。当時、タレントとして活躍していたひろ子さんも、友和や両親から内装の相談などを受けるうちに巻き込まれていったという。友和にとっては思い入れも深く、両親がいる実家のような場所。以後、三浦家は頻繁に清里を訪ねるようになっていた。 「子どもたちは、“3人兄弟”のようでした。主人は仕事柄ほとんど家にいなくて、建太にとって主人はものすごく可愛がってくれるお父さん。半面、ビシッと叱ってくれるのが弟(友和)でした」 建太さんは現在、絲木建汰の芸名で舞台中心の役者をしているが、そこには友和の影響が。00年、篠塚さんがパリで活動することになり、一家はペンションを休業し移住した。 「パリに行って3年目、主人がパリ・ダカのレース中に大事故を起こしたんです。テレビに『篠塚、危篤』とテロップが流れて。これはもうダメなんだと思い、建太に『覚悟しなさい』と言ったんです。彼は中学3年生でしたが、真剣に頷いていました。でもそれから2~3日して、篠塚本人から電話がかかってきたんです。『俺、事故起こした?』って(苦笑)」 篠塚さんは「あちこち骨折していたし、顔は負けたボクサーみたいに腫れ上がっていましたが、命に別条はなかったんです」と補足する。そして、ひろ子さんはこう続けた。 「それで、篠塚の治療・療養のために一時帰国したんですが、その機内で15歳の建太がこう呟いたんです。『僕、役者になりたい』って。父親の死を覚悟したとき、きっと彼なりに考えたんでしょうね。それにね、怖い叔父さん(友和)の仕事ぶりや生きざまを息子なりに見ていたんだと思うんです。だから『役者になりたい』と」 19歳のとき、学習院大学の学園祭で大手芸能プロダクションにスカウトされた建太さんは、すぐに友和に相談している。 「弟からは『やりたいなら、やればいい。その代わり覚悟してやりなさい』って言われたらしいです。 百恵も、建太を3番目の息子みたいに思ってくれていて、『どう、建太は?』って、時々、電話をくれるんですよ」
2018年04月05日「百恵の長男の祐太朗(33)と次男の貴大(32)は『もう寝なさい』って言われると、ちゃんと言うことを聞くんです。ところがうちの建太(30)だけは『イヤだもん、僕』って(苦笑)。しょっちゅう弟から『わがまま言わずに食べろ』って、怒られていましたね」 そう語るのは三浦友和(66)の実姉・篠塚ひろ子さん(67)。三浦百恵さん(59)の義姉だ。夫の篠塚健次郎さん(69)は97年のパリ・ダカール・ラリーで日本人初の総合優勝を果たした、日本屈指のラリードライバー。長男の建太さんは現在、絲木建汰の芸名で舞台中心の役者をしている。 今回夫妻同席のもと、経営する山梨県・清里のペンション『La VERDULA』について夫婦でインタビューに答えてくれた。 このペンションは友和にとっては思い入れも深く、両親がいる実家のような場所。86年のオープン以来、三浦家は家族そろって頻繁に清里を訪ねていた。だが最近では、篠塚夫妻が国立の三浦家を訪ねる機会が多くなっているという――。 「両親は弟夫婦と二世帯で住んでいますからね。 両親がもっと元気で動けていたときは清里まで連れて来たりしたんですが、もう父も90歳、母は91歳になりましたから……」 友和と百恵さんが東京郊外に家を建てたのは88年。当初、百恵さんの母・正子さんと妹が同居していたが、89年に正子さんが早逝。妹も独立して行った。90年代半ばになって、三浦夫妻は正子さんたちが使っていた部屋を二世帯住宅に改築し、清里のペンションをひろ子さんに任せて引退した両親を迎えている。 「篠塚も若くして両親を亡くしていますし、百恵のところもそうですからね。2人とも、うちの両親を中心に動いてくれる。それで両家(三浦家と篠塚家)がまとまっている。だから、両親は本当に幸せです」 ひろ子さんがしみじみと言った。そして06年、本誌は百恵さんが義父母のために介護の勉強を始めたことを報じた。以来12年間、百恵さんは同居する義父母を献身的に介護してきたのだ。 「両親にとっても、百恵は私以上に娘らしいんじゃないですか。私以上に、両親のことを知っていますしね。薬や病院のことなどは私にはわからないけれど、百恵は全部わかっています。定期的に行く病院も百恵が付き添って、車で連れて行ってくれています。百恵がいてくれて、本当に安心。家族みんな、助かっているんです」 過去のインタビューで、友和は国立の二世帯住宅を建てた後に仕事が激減し、不安にかられたときのことをこう語っている。 《そんなときでも、うちの妻は腹が据わっていました。十万円なら十万円の生活、千円なら千円の生活をするだけだ、と言って。いい女房を選んだなとしみじみと感じたのは、あの時期でした》(『婦人公論』14年11月22日号) 義父母が元気なときも、介護が必要な高齢になっても、百恵さんはその状況に応じた生活を楽しもうとする人なのだろう。だからこそ、介護の苦労など微塵も見せずに淡々と自然体で続けている。 「だから、私たちも少しは助けてあげないと。ずっと任せきりでは、百恵も息が詰まっちゃうと思うのもあって。最近は何かと理由をつけてしょっちゅう行っています。父の日や母の日は、必ず百恵や弟から『そろそろ集まらない?』って声がかかります。道路が空いていれば1時間半で着いちゃいますからね」
2018年04月05日1月25日から31日まで東京ドームで開催された『第17回東京国際キルトフェスティバル』。毎年出展されている三浦百恵さん(59)の作品を一目見ようと、会場はファンの女性たちでごった返していた。 今年のテーマは『若草物語』。百恵さんの新作キルトは、ピンクの縁取りと真ん中の大きなハートマークが可愛らしいタペストリーだ。『私の人生~メグの場合~』と題したそのタペストリーに、百恵さんはこんな言葉を添えている。 《四人姉妹の長女メグ。自分の大切なものをひとつひとつきちんと選択し、人生を丁寧に紡いでゆく女性。そんなメグの最良の日『結婚』をイメージした優しく華やかなキルトに、旅先で出合ったヴィンテージの布やリボンをふんだんに使い、私自身人生の時間も、ほんの少し重ねられました》 ’80年、21歳の若さで結婚・引退した百恵さん。貧乏ながらも幸せな結婚生活を何よりも大事にするメグに、自身と夫・三浦友和(65)の人生を重ね合わせたのだろう。 「この前も百恵さんは近くのコンビニで柿ピーとチョコレートを買ってきて、『これをおつまみに、今夜は旦那さんとワインで乾杯するんです』って教えてくれたんですよ」(近所の住人) 結婚から38年の月日が経ったいまも、2人の結婚生活は平穏で揺るぎない。夫婦円満の秘訣はどこにあるのだろうか。 「息子の祐太朗(33)さんと貴大さん(32)がともに独立して夫婦2人だけの生活になったとき、“新ルール”を作ったそうです。そのひとつが、年4回以上は2人で温泉や海外旅行にいくこと。『健康なうちに2人でいろんな場所に行きたい』という思いがあるのでしょう」(夫妻の知人) 第二の人生をこれまで以上に仲睦まじく二人三脚で歩んでいるようだ。そして来年1月17日の誕生日で60歳になる百恵さん。還暦を迎える百恵さんのために、一家はこんな旅行計画を立てているという。 「息子さんたちが費用を出し合って、両親を国内の温泉にでも連れて行ってあげようと考えているそうです。旅先では、百恵さんの還暦祝いにふさわしいサプライズプランも練っていると聞きました」(夫妻の知人) 新作キルトに“38年目の感謝”を込めた百恵さんと、その計り知れない愛に応え続けてきた友和。2人の愛は何年経っても色あせることはないだろう。
2018年02月01日「11月20日から都内でキルト展が開かれていたのですが、淡いピンクのワンピースを着た百恵さんが笑顔で接客していました。でも来場客は彼女と気づかずに話しかけていて、本当に普通の主婦におさまっているんだなと感慨深かったです」(居合わせた客の1人) 80年、21歳の若さで結婚・引退した三浦百恵さん(58)。東京郊外で夫・三浦友和(65)と第2の人生を楽しんでいる。引退当時、記者に「私は稔さん(友和の本名)と幸せな家庭を作って、普通のおばさんになりたいんです」と語っていた百恵さんは立派に夢をかなえていたのだ。 そんな三浦夫妻を落ち込ませた“事件”があった。友和のマネージャーを40年間務めたAさんが、定年で辞めることになったのだという。 「友和さんは“引き止め作戦”を展開したと聞きます。その甲斐なくAさんは定年になり、百恵さんは感謝を込めたプレゼントを贈ったと聞ききました」(芸能プロ関係者) 友和は、Aさんがいなければ百恵さんと結婚できなかったと深く感謝しているという。Aさんを直撃した。 「2人とも僕の定年についていろいろと心配してくれて。でも2人に迷惑はかけられないからね。2人は今も本当に仲が良くてね。2人が“理想の夫婦”に12年連続で選ばれたことは僕の自慢のひとつ。いまも“愛し合う2人”という感じで、誰も見ていないと腕を組んで歩いていますよ(笑)」 決してかなわぬ夢だけど、もう一度だけ、百恵さんに本誌の表紙を飾ってほしい――。
2017年11月30日映画初主演の渡邉剣とBL映画初挑戦の天野浩成で、“名作”と評される日高ショーコの人気コミックを実写映画化する『花は咲くか』。このほど、『鋼の錬金術師』でアル役の声及びモーションキャプチャーを務めることでも話題の水石亜飛夢をはじめ、ドラマや2.5次元舞台で活躍している若手イケメン俳優による全キャストが解禁、場面写真&ポスタービジュアルが公開された。初めて人を好きになった、あの胸が締め付けられるような切ない想い。誰もが一度は経験する「恋」の葛藤を描く、年の差カップルの純愛ラブストーリーとなる本作。恋愛に身を焦がす時代はとうに過ぎ、いまは仕事漬けの日々を送るサラリーマンと、他人に興味を持てずに生きてきた大学生が、ひょんなことから出逢い、想いを育ててゆく――。■原作のイメージに合ったフレッシュな俳優が勢揃い!蓉一の大学の同級生で、蓉一に興味を抱く藤本浩輝役には、「獣電戦隊キョウリュウジャー」のキョウリュウグリーンで注目を集め、舞台「純平、考え直せ」「戦国BASARA4 皇」、来年公開の映画『ちょっとまて野球部!』などにも出演する塩野瑛久。蓉一の従兄弟の1人で蓉一と一緒に暮らしている水川菖太役には、「あなたのことはそれほど」「愛してたって、秘密はある。」と注目のドラマに出演し、本作が映画初出演となる小原唯和。同じく蓉一の従兄弟で、蓉一、菖太と一緒に暮らしている岩崎竹生役を務めるのは、ミュージカル「テニスの王子様2ndシーズン」柳蓮二役で俳優デビュー、『鋼の錬金術師』ほか『いぬやしき』『笑いの枝折り』『飢えたライオン』の公開が控えている水石亜飛夢。さらに蓉一の父親の友人で、彼の家の管理人である吉富桔平役を、映画『藁の楯』『アウトレイジ 最終章』などの話題の映画に出演、「仮面ライダー剣」では天野さんの因縁の相手を演じていた本宮泰風が務める。■「こんな恋がしてみたい…」背中合わせの2人のポスタービジュアル完成!主人公・水川蓉一役を務める渡邉さんと、彼に惹かれていくサラリーマン、桜井和明役を演じる天野さんの2人の背中合わせの姿が、より切なく、募る思いを表現するポスタービジュアルに。原作ファンはもちろん、BL作品初体験の女性たちの心にも沁みる癒しのラブストーリーを紡いでいく彼らに注目だ。『花は咲くか』は2018年2月24日(土)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2017年11月21日