歌舞伎俳優の市川海老蔵が、2018年に注目されたブログに贈られる「BLOG of the year 2018」の最優秀賞に選出され8日、都内ホテルで行われた授賞式に登壇。2017年6月に乳がんで亡くなった妻・小林麻央さんも「BLOG of the year 2016」の最優秀賞を受賞しており、「妻と同じ賞をいただけたことは本当にうれしいことだと思います」と喜んだ。海老蔵は、受け取った金のトロフィーを見ながら、「実はもう1個あるんですよ。妻が受賞していたのでうちに1個あり、とった気でいました」と話し、「並べて家に飾れることが一番うれしいです」と笑顔を見せた。そして、ブログについて「日々何気なく自分のことや子供たちのこととか、思いをつづらせていただいていて、一番大事だなと感じているのは、書いたものが将来残っていく。私が何十年後かにいなくなっても、子供や家族が、私がどういう生活を送っていたのか、どんなことを考えていたのか、後にもわかるのことが続けている価値があるのではないかと感じています」と続ける意味を熱く説明。「今日はこのような賞を、私も妻と同じ賞をいただけたことは本当にうれしいことだと思います」と語った。「BLOG of the year」は、著名人から一般の方まで、「Ameba」の中でその年に最も注目されたブログを表彰するアワード。2006年に日本記念日協会から認定を受け、2月6日を“ブログの日”に制定し、その年より2月6日“ブログの日”の前後に受賞者を発表してる。2018年度は、最優秀賞は市川海老蔵、優秀賞は俳優の稲垣吾郎、タレントで女優の岡田結実、日本テレビ系ドラマ『今日から俺は!!』、元モーニング娘。の工藤遥、タレントの杉浦太陽、アイドルグループ・NMB48、元『あいのり』出演者でブロガーの桃の7組が選出され、『今日から俺は!!』は代表して鈴木伸之、NMB48は代表して川上千尋、川上礼奈、谷川愛梨が授賞式に登壇した。司会はお笑いコンビのニッチェが務めた。
2019年02月08日長男、次男、長女と3度の出産を経験しました。毎回、退院して家に帰ってきたときに夫が用意してくれていたものに、私はいつも元気をもらっていました。■夫が用意してくれたもの夫は私が入院中、毎日長男と次男を連れて、長女ももの顔を見に来てくれました。長男が産まれた時は仕事帰りに毎日来てくれてました。次男と長女が生まれた時は、仕事を休んで上の子の面倒を見てくれていました。退院の時は毎回私の母が迎えに来てくれたので、夫は家中をピカピカに掃除して、「退院おめでとうポスター」を貼って、私が帰ってきてすぐに横になれるように布団を敷いてくれていました。いや~~もう感謝でいっぱいです!
2019年02月07日《この角度、麻央かな?とふと思う。楽屋入りでございます》新春、長女・麗禾ちゃん(7)の後ろ姿をブログで公開してこうつぶやいた市川海老蔵(41)。現在、海老蔵は東京・新橋演舞場『初春歌舞伎公演』に、麗禾ちゃんと長男・勸玄くん(5)とともに親子3人で初共演している。麗禾ちゃんは小学1年生だ。「舞台の稽古で多忙でしたが、冬休みの宿題も遅れることなく提出していました。平日は学校に通ってから劇場に来ています。麻央さんに似て、学校の成績も優秀なんです」(後援会関係者)公演中の海老蔵一家が特に気を配っているのは2点。風邪をひかないこと、そして怪我しないこと。「公演時の海老蔵さんには“定番”メニューがあります。朝はステーキ、サーモンに山盛りサラダ。昼は鶏だんご鍋。毎日『風邪の予防にはねぎがいいから!』と、山ほど鍋に入れて楽屋で子供たちと一緒に食べています。 子供たちが出番を終えてひと足先に自宅に帰ると、麗禾ちゃんが手料理を用意してくれる日もあるようです。卵焼きを作ったり、料理は本当に好きみたいですよ。“少しでも麻央さんの代わりを”という意思があるんだと思います」(歌舞伎関係者)海老蔵は親子3人で同じ舞台に立つことに感無量だという。「子供たちは2人とも本当にお芝居が大好き。ほかの人のせりふも自然に体に入っていて、帰宅後も海老蔵さんの前で“歌舞伎ごっこ”をしています。麗禾ちゃんが勸玄くんのせりふを言って、役を交代して演じる日もあるそうです」(前出・歌舞伎関係者)海老蔵の今の悩みは勸玄くんの体力。昼の部を終えて食事をした勸玄くんが昼寝をして、そのまま熟睡して起きない日があるという。「弟子たちが必死で『坊ちゃん、坊ちゃん!』と起こしています。勸玄くんの目の下のクマが消えないようで、海老蔵さんも“さすがに疲れているのかな”と心配していました」(前出・後援会関係者)海老蔵は子供2人の歌舞伎の実力を認め、“自分の幼少期をもう超えている”と感じているそうだ。「初日に衣装をまとった子供たちを見た海老蔵さんは“つくづく麻央さんに見せたかったな”と感じ入っていたそうです。初日を終えた勸玄くんも『ママもお空で見てたよね!』とほほ笑んでいました。楽屋の床の間には麻央さんの笑顔の写真が飾られており、子供たちは、お母さんの見守るなか、鏡台を仲よく並べて一緒に支度をしています」(前出・歌舞伎関係者)麻央さんの遺影が、親子3人共演の最大の活力源のようだ――。
2019年01月16日「EXILE」のAKIRAと小林直己(「EXILE/三代目J Soul Brothers from EXILE TRIBE」)が、日本の魅力を海外に発信するジャパン・ハウスとのコラボ「ショートショート フィルムフェスティバル in ハリウッド」(共催:在ロサンゼルス日本国総領事館)のアンバサダーに就任したことが分かった。本イベントは、米国アカデミー賞公認・アジア最大級の国際短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル&アジア」(SSFF&ASIA)が映画祭20周年を迎えたことを記念し、現地時間の1月17日、ロサンゼルスのTLC チャイニーズシアターにて開催。現地では、「SSFF&ASIA 2018」のグランプリ作品(ジョージ・ルーカス アワード)に輝いた『カトンプールでの最後の日』や、第90回米国アカデミー賞メイクアップ&ヘアスタイリング賞受賞の辻一弘を追ったドキュメンタリー作品『The Human Face』。LDHと「SSFF&ASIA」によるコラボレーション企画『ウタモノガタリ -CINEMA FIGHTERS project-』の一篇『カナリア』。河瀬直美監督&脚本、別所哲也が主演する『嘘 -LIES-』などの上映が行われる。そして今回アンバサダーに就任した2人は、「SSFF&ASIA」代表の別所哲也や様々なセレブリティと共に、レッドカーペットやイベントを彩ることに。AKIRAさんは「この度は、LAでのショートショート フィルムフェスティバル&アジアの開催に際して、アンバサダーとして就任させていただいた事、また、映画の原点でもあるハリウッドで開催されるこの映画祭に参加させていただける事を光栄に思います」とコメント。小林さんも「ショートフィルムの魅力をお伝えできるよう尽力しつつ、また、自分も映画に携わる俳優の一人としても、日本を発信するJAPAN HOUSEの皆さんとともに、ハリウッドにおいてショートショート フィルムフェスティバル&アジアを盛り上げていけたらと思います」と話している。(cinemacafe.net)
2018年12月18日市川海老蔵(41)が41歳の誕生日を迎えた12月6日の午後5時半ごろ。長女の麗禾ちゃん(7)、長男の勸玄くん(5)と海老蔵の3人がビル内のステーキハウスに入店するやいなや、「お誕生日おめでとう!」という歓声が店外まで聞こえてくる――。この日、終日オフだった海老蔵は、子どもたちから“帰宅禁止令”を言い渡されたという。「子どもたちがサプライズパーティを計画していたんです。2人の子どもたちは“お仕事で忙しいパパを祝ってあげたい”とおばあちゃんに相談。お店やプレゼントの手配をしてもらいながら、当日は麗禾ちゃんからはケーキを、勸玄くんからはバースデーソングのプレゼントをしてあげたといいます」(市川家の知人)宴もたけなわになったころ、海老蔵は20人余りの参加者にむけて、「これからも麗禾、勸玄共々よろしくお願いいたします」と挨拶をしていた。約3時間の誕生日会を終えて店から出てきた海老蔵は、目に涙をためていた。そんな一家は、1月3日から東京・新橋演舞場で行われる「初春歌舞伎公演」で親子3人の初共演を控えているが――。「麗禾ちゃんはデッキが壊れてしまうほど公演のDVDを何度も見ていました。それほど歌舞伎に憧れているんです。ただし、女性は歌舞伎役者になれません。昨年7月の公演で、弟の勸玄くんが海老蔵さんと一緒に“宙乗り”を披露しました。それを見た麗禾ちゃんは『今度は私も一緒に出たい!』と舞台への思いを強くしたといいます」(梨園関係者)そこで海老蔵は、子どもたちが出演できる舞台を演目選びから必死で考え、準備してきたという。「女性でも子役なら舞台にあがれますからね。過去には波乃久里子さん(73)や松たか子さん(41)も歌舞伎の舞台に立ちました。梨園ではやはり、長男の勸玄くんが何かと優遇されます。でも、海老蔵さんは父親として『2人を平等に育てたい』と考えています。それは、小林麻央さん(享年34)と共に築いてきた教育方針だそうです。だからこそ麗禾が出られるうちに、もっと舞台に出してあげたいのでしょう。2人はいま、猛稽古中だといいます」(前出・梨園関係者)天国の母への思いを胸に、麗禾ちゃんが立つ貴重な舞台――。今度は海老蔵がデッキを壊すほど繰り返し見ることになるだろう。
2018年12月12日「今でも、がん=死とイメージする人は少なくありません。しかし確実に、がんと共に生きていく時代が近づいています」とは、医療ガバナンス研究所理事長で腫瘍内科の上昌広医師。国立がん研究センターが9月11日、がん患者の「3年生存率」を初めて公表した。写真の表は、日本人に多い「5大がん」のステージ別のデータだ。上医師が解説する。「これは11年にがんと診断された全国約30万人のデータから算出したもので、がん全体の3年生存率は71.3%にものぼることが分かりました。これまでは約10年前に診断されたがん患者の5年生存率が一般的だったので注目を集めています。3年生存率の公表には、5年分のデータが揃うのを待たずして、最新治療を受けた患者の状態を把握するためのデータが算出できるという利点があるのです」今回公表されたデータのなかで、とりわけ3年生存率が高いのが乳がんだ。ステージ1では100%、全体でも95%を超えている。だが気がかりなのは、もっとも助かりやすい乳がんであっても、がん細胞がほかの部位に転移するステージ4になると生存率が54.4%に急落してしまうことだ。熊本大学乳腺内分泌外科の岩瀬弘敬教授は“生死を分ける境目”をこう語る。「まず、転移した部位がどこかによって生存率の明暗が分かれます。リンパ節や骨ならば3年後も70%以上の生存率が見込めますが、肝臓や肺などほかの臓器に転移した場合は3年後で50%を切ってきます。また進行が速いか遅いかというがんの性質によっても変わります。ステージ4と一口に言っても、小林麻央さん(享年34)の場合は発症してから亡くなるまでが短かったので進行の早いがんだったと考えられます。半面、再発しても10年以上生きている人も少なからずいます。とはいっても、やはり早期発見がもっとも大切です」女性の11人にひとりがかかるといわれる乳がんは、がんのなかでも唯一、自分で発見できる病気。乳がんで死なないためには、日常生活のなかでいかに自分の体をケアするかが重要だ。女性のがんのなかで最も死亡者が多いのが、大腸がん。ステージ4になると一気に生存率が下がり、30・3%になる。だが、東京女子医科大学病院がんセンター長の林和彦医師は「ステージ4でも絶望的になってはいけない」と語る。「ステージ4のがんは以前までは“末期がん”と呼ばれていましたが、今の医療現場ではもうそんな言葉は使われていません。医療の進歩により、ステージ4で転移がある進行がんでも、薬物療法でがんを縮小させたり、症状を抑えたりすることが可能になりました。その結果、ステージ4から3に下がることもあります。もはや、ステージ4は“死の境目”ではないのです」3年生存率のデータをひも解くことで見えてきた、がんに克つ希望。しかし、東京医療保険大学の副学長で外科医の小西敏郎教授は“3年生存率データへの過信”にこう警鐘を鳴らす。「3年生存率といっても、がんの部位ごとに治るまでの期間が異なります。つまり、“3年生きたからがんが治った”と安心してしまうのはとても危険です。たとえば、胃がんや大腸がんは5年が判断の目安。乳がんの場合は10年以上経ってから再発することがいくらでもあるので油断できません」06年に胃がん、09年に前立腺がんを経験している小西教授。2度の生還から“がんに克つ境目”を知る小西教授の話には生存率を上げるヒントが多い。「今は、私のように何種類ものがんにかかる時代。よく陥りがちなのが、1度がんになったときの担当医に定期的に経過を診てもらっているから安心だと思い込んでしまうこと。専門医は他のがんに気がつかないことも多いのです。私は体全体のがん検診を受け続けたことで、前立腺がんを早期発見することができたのです」がんの啓蒙活動を行っている、東京大学医学部附属病院・放射線科の中川恵一准教授は最後に言う。「実は先進国のなかで、がんで命を落とす人が増えている国は日本だけなんです。がん検診受診率の低さが主な理由といえます。また、がんのことを知らずに効果のあやしい代替医療や民間医療に走る患者が多いのが現状です」「がんに克つ」には、まずは早期発見。ステージ3や4でも過度な不安を抱かず、冷静な判断で適切な治療を選ぶことが重要なのだ。
2018年09月20日小林麻耶(39)が8月3日、自身のブログで引退を発表。麻耶といえば、先月24日に一般男性と入籍したばかりだ。同ブログ記事で「私、小林麻耶は8月3日をもって所属事務所(株)セント・フォースとの契約が終了致します」と報告。「今後は大好きなメディアの仕事を離れ、全身全霊、家族のために日々たくさん働きたいと思います」としている。また結婚や退所は突然の決定だったようで、今年11月に出版される予定の自著「しなくていいがまん」について「全く想像もしていなかったことが起きたので 今、書き直しをしている最中です」と明かしている。交際期間が半年未満というまさに電撃婚。彼女をよく知るテレビ局関係者は本誌の8月14日号で「今年の5月にはもう結婚が決まっていたそうですが、そんな素振りはまったくありませんでした」とし、驚きを表している。また入籍日である7月24日は麻耶が熱心な数秘術にちなんでいるようだ。前出の本誌で占い師のLove Me Doさんは「2+0+1+8+7+2+4=24→2+4=6」とし、「『6』という数字にはサポートする・奉仕する・尽くすという意味があります」と説明している。引退を機に“将来”のサポートに専念するというが、それはあまりに急な方向転換だったようだ。
2018年08月03日《私、小林麻耶は7月24日に入籍致しました》7月26日、公式ブログで結婚を発表した小林麻耶(39)。自身も今回の電撃婚を“ミラクル”と表現しているが、「本当に予想外だった」と話すのは麻耶をよく知るテレビ局関係者だ。「お相手が一般男性ということもあって、麻耶さんサイドは事前に情報が漏れないように細心の注意を払っていたようです。今年の5月にはもう結婚が決まっていたそうですが、そんな素振りはまったくありませんでした」市川家の知人によると、お相手は優良企業に勤める会社員ということだが、交際期間は半年未満という超スピード婚だったという。そんな2人の入籍日は7月24日。麻耶の誕生日は7月12日のため、なぜこの日を選んだのか疑問の声も上がっているのだが――。「麻耶さんが資格を取るほどにハマっている“数秘術占い”で入籍日を導き出したといいます。数秘とは自分の誕生日をもとに“運命数”を導き出し、運勢を占うものです」(前出・テレビ局関係者)2018年7月24日の運命数は、「2+0+1+8+7+2+4=24→2+4=6」。占い師のLove Me Doさんはこう解説する。「『6』という数字にはサポートする・奉仕する・尽くすという意味があります。見返りを求めない、深い愛情や絆。試練を乗り越えてお互いに成長するという意味もあるので、お2人にぴったりの結婚記念日と言えるでしょう」《たくさんの愛と光に満ち溢れた生活を送っていきたいと思っています》と、ブログにつづっていた麻耶。素敵な家庭を築いてほしい!
2018年08月02日デミ・ロヴァートがヘロインの過剰摂取とみられる症状で救急搬送されてから、約1週間が経過した。しかし、いまだ「退院」の知らせは届かない。健康、社会復帰のためにリハビリが不可欠だが、現時点では「リハビリなんて考えられない」ほど状態が悪いという。「TMZ.com」が伝えた。関係者によれば、デミは医師たちが退院の目安も予想できないほどひどい吐き気と高熱に苦しんでいるのだそうだ。とはいえ、「医療関係者による治療で、完全に回復する見込み」はあるもよう。トップ歌手の薬物過剰摂取事件ということで世間の反響は大きく、デミのバックダンサーに責任を問う声も上がった。デミは薬物を過剰に摂取した数時間前に、バックダンサーのダニーの誕生日会に出席していたため、「デミが薬物に走ったのはあなたの責任!」とネットでファンから“口撃”被害に遭ってしまった。しかし、ダニーは「事件当時、私はデミと一緒にいなかった」と関与を否定。「いまは一緒にいるし、これからもずっと一緒にいる。だって、みんなにとってそうであるように、デミは私のかけがえのない人だから」とコメントしている。この事件により、多くのセレブやファンから激励を受けているデミ。過去に6年間交際したウィルマー・バルデラマは事件以来、時間がある限り毎日病院を訪れデミを励ましている。(Hiromi Kaku)
2018年08月01日《私、小林麻耶は7月24日に入籍致しました。お相手は4歳年下の優しい男性です》7月26日、公式ブログで結婚を発表した小林麻耶(39)。最愛の妹・小林麻央さん(享年34)の逝去から、13カ月が経つ。麻耶はこれまで、麻央さんの残した長男・勸玄くん(5)と長女・麗禾ちゃん(7)の“母親代わり”として奮闘してきた。この子たちのママは私しかいない――。そうした重圧のなかで、彼女は自ずと自分の幸せを後回しにしてきたのだという。「幼稚園の行事に参加したり、習い事などの送り迎えのためにペーパードライバー講習を受けたりと、麻耶さんは率先して子供たちの世話をしてきました。まだ自分もショックから立ち直れていないのに、『子どもたちが元気でいてくれれば私のことは二の次でいい』と、頑張り続けてきたんです。そうは言いつつも、仲の良い友人家族を見て『やっぱり結婚っていいな……』と漏らすこともあったそうです」(芸能関係者)そんな揺れる女心を抱えた彼女を支える意外な人物がいた。市川海老蔵(40)の母・希実子さん(65)だ。「多忙な海老蔵さんに代わって孫たちの面倒を見てくれている麻耶さんに、海老蔵さんの母・希実子さんはとても感謝しているんです。でも同時に頑張りすぎてしまう麻耶さんをずっと心配していました。『あなたにもちゃんと幸せを掴んでほしい』と、希実子さんは麻耶さんのためにお見合いをセッティングしてあげたそうです。具体的には昨年12月から今年2月までに、何人かの男性を紹介したと聞いています」(市川家の知人)一部報道では海老蔵と麻耶の再婚も取沙汰されてきたが、そのことも希実子さんの“婚活サポート”を後押ししたのだという。「海老蔵さんの團十郎襲名は東京五輪前の19年に予定されているそうです。そうした大事な時期に麻耶さんとの関係を面白おかしく報道されることに対して、成田屋の後援者たちは当然快く思っていませんでした。海老蔵さんも麻耶さんも“再婚説”が報じられるたびに困っていて……。それを案じた希実子さんが『これ以上麻耶ちゃんを振り回すのは良くない!』と奮起したのだと思います」(梨園関係者)希実子さんの努力の甲斐あって実った、麻耶のゴールイン。彼女を射止めた男性とはどのような人物なのだろうか。「希実子さんは麻耶さんに“とっておきの男性”を紹介していたそうです。成田屋の後援者の子息が多く、どの男性もお金持ちで将来有望な好青年だったとか。その中から最終的に麻耶さんが選んだ人なので、最高の結婚相手だったのは言うまでもありません」(前出・市川家の知人)そんな素敵な男性と手を取り合って、今後は自分自身の幸せも追い求めてほしい――。
2018年07月31日「お相手が一般男性ということもあって、麻耶さんサイドは事前に情報が漏れないように細心の注意を払っていたようです。今年の5月にはもう結婚が決まっていたそうですが、そんな素振りはまったくありませんでした。亡き妹さんのことを思い出して突然泣き出してしまうなど精神的に不安定な状態が続いていたので、正直意外でしたね」(麻耶をよく知るテレビ局関係者)7月26日、公式ブログで《妹がいなくなり、あまりにも私が悲しみ続けていたので、天国でみかねた妹からの最高のプレゼントだと感じています》と結婚を発表した小林麻耶(39)。最愛の妹・小林麻央さん(享年34)の逝去から、13カ月が経つ。麻耶はこれまで、麻央さんの残した長男・勸玄くん(5)と長女・麗禾ちゃん(7)の“母親代わり”として奮闘してきた。この子たちのママは私しかいない――。そうした重圧のなかで、彼女は自ずと自分の幸せを後回しにしてきたのだという。「幼稚園の行事に参加したり、習い事などの送り迎えのためにペーパードライバー講習を受けたりと、麻耶さんは率先して子供たちの世話をしてきました。まだ自分もショックから立ち直れていないのに、『子どもたちが元気でいてくれれば私のことは二の次でいい』と、頑張り続けてきたんです。そうは言いつつも、仲の良い友人家族を見て『やっぱり結婚っていいな……』と漏らすこともあったそうです」(芸能関係者)“結婚できないキャラ”といわれ、39歳まで独身を貫いた彼女を射止めた男性とはどのような人物なのだろうか。「優良企業に勤める、真面目な会社員だと聞いています。交際期間も半年未満の“スピード婚”だったそうですが、短期間ながらも順調に愛を育んでいったのでしょう」(市川家の知人)とはいえ、最初は結婚に消極的だったという麻耶。そんな彼女が結婚を決意したのは彼からの“思いがけないひと言”だった。「交際当初はどちらかと言うと、彼の方から麻耶さんにアプローチしていたんです。麻耶さんも徐々に気持ちを開いていったのですが、なかなか結婚には踏み切れませんでした。でもある日、いろんなことを1人で抱え込んでしまう麻耶さんに『もう頑張らなくていいんだよ』という言葉をかけたそうです。それを聞いて、麻耶さんは号泣。いままでの不安が一気に解れたのでしょう。『この人となら大丈夫』と、プロポーズを快諾したといいます」(前出・市川家の知人)麻耶の幸せをだれよりも願っていた麻央さんは、きっと天国で微笑んでいることだろう――。
2018年07月31日歌舞伎俳優の市川海老蔵(40)が29日、自身のブログを更新し、昨年6月に亡くなった妻・小林麻央さん(享年34)の姉であるフリーアナウンサーの小林麻耶(39)の結婚を祝福した。海老蔵は「おはようございます」と題した投稿で、「千穐楽の朝です」と書き出し、「麻耶さんの結婚は当然おめでたいし嬉しいことです」と祝福。27日に麻耶がブログで結婚を発表してから、海老蔵はその件について触れていなかったが、「あまり私から発信する事でもないかなと少し控えていました」と説明した。麻耶はブログで、「私、小林麻耶は 7月24日に入籍致しました。お相手は4歳歳下の優しい男性です」と報告。「結婚はしないと思っていた私がまさかの結婚をすることになったこのミラクルは、妹がいなくなり、あまりにも私が悲しみ続けていたので天国でみかねた妹からの最高のプレゼントだと感じています」と記し、周囲の人たちやブログ読者への感謝もつづっていた。
2018年07月29日小林麻耶(39)が7月27日、自身のブログ上で結婚を発表した。お相手は「4歳歳下の優しい男性」で、結婚について「このミラクルは、妹がいなくなり、あまりにも私が悲しみ続けていたので天国でみかねた妹からの最高のプレゼントだと感じています」とつづるなど最愛の妹・麻央さん(享年34)に感謝の思いを伝えている。麻耶といえば、「結婚できないキャラ」として取り上げられることが多かった。もともと結婚願望は強かったが、16年5月に発売された著書「まや道」では「結婚が怖い」としてこんな“トラウマ”も明かしていた。「妹家族や友だち家族を見て『結婚っていいな』と思っていたのに、深層心理では結婚することに恐れがあったのです」同書では梨園妻となった麻央さんと独身の自分を比較する箇所もあり、結婚への焦りもあったようだ。同書の出版直前には過呼吸となり、病院へ緊急搬送。休養モードのさなか、17年6月には麻央さんの死という悲しいできごともあった。そうしたなか、本誌では姪の麗禾ちゃん(7)や甥の勸玄くん(5)を支える麻耶の姿をたびたび目撃してきた。“母変わり”の奔走をすることで、麻耶もまた元気を取り戻していった。そして麻央さんの一周忌を機に、自身の幸せを見つめ直したようだ。今年6月に「今夜くらべてみました2時間SP」(日本テレビ系)へ出演した小林は、今後の番組出演についてこう答えている。「妹の一周忌が終わったので、いつまでも暗い気持ちでいるのはよくない。前を向いて歩いて行こうと思います」これからは夫婦二人三脚で、歩んでほしい!
2018年07月27日昨年6月22日に乳がんのため亡くなった小林麻央さん(享年34)のブログ「KOKORO.」の英訳版が、命日であるきょう22日19時21分に最後の投稿を迎えた。小林麻央さん夫の歌舞伎俳優・市川海老蔵は、英訳版の最後の投稿後に自身のブログを更新し、「先程英訳のオレンジジュース、投稿終わりました。麻央の誕生日の7月21日にちなんで7時21分の投稿も今日で最後です」と報告。「ありがとうございました。麻央もきっと最後まで読んでいただき様々な事を皆さまが各々感じていただけて喜んでいると思います」とつづり、「私のブログはまだまだ終わりませんのでよろしくお願いします。あはは」とユーモアを交えて呼びかけた。麻央さんの英訳版ブログは、昨年6月30日に「Being myself」というタイトルで初投稿。2016年9月1日に麻央さんが初めて投稿した「なりたい自分になる」というタイトルの投稿を英訳したものだった。当時、海老蔵は「まおのことやブログに、日本だけでなく海外の方も関心を持っていただいていると聞きました。世界中の私たちと同じように乳がんで苦しんでいらっしゃる方やそのご家族の力に少しでもなれたらとまおが綴った日々のブログを英語に訳して世界中の方に 読んでいただければと思いました」と説明し、「世界の方々へ麻央の想いが届きますように…」と思いを込めていた。
2018年06月22日歌舞伎俳優の市川海老蔵(40)が、妻・小林麻央さん(享年34)が亡くなってから1年となる22日、自身のブログを更新し、麻央さんとの思い出を振り返った。市川海老蔵海老蔵は、この日最初のブログで「今日です。一年が経ちました」と報告し、「おはようございます」とあいさつ。「今日も多くの方々が幸せで愛を感じる素敵な1日でありますように」と記した。そして、麻央さんのブログの記事を引用してブログを何度も更新し、昨年3月29日の「血液検査」と題した記事も紹介。麻央さんは「血液検査の結果、思っていたより悪かった。身体によいことしかしてないのに何故だろう。がびちょーーーーんっ!!と言ってみる。気が明るくなった。有難い言葉だ」とつづっていた。海老蔵は「ガビンチョーンよく口にしてました」と振り返り、「深刻な時も麻央のガビンチョーンに私自身も何回も助けられました。そして麻央のガビンチョーン。可愛かったです」と懐かしんだ。
2018年06月22日歌舞伎俳優の市川海老蔵(40)が22日、自身のブログを更新。昨年6月22日に妻・小林麻央さん(享年34)が亡くなって1年が経ったことを報告した。市川海老蔵海老蔵は「今日です。一年が経ちました」と書き出し、「おはようございます」とあいさつ。「今日も多くの方々が幸せで愛を感じる素敵な1日でありますように」とつづった。麻央さんが亡くなった際、麻央さんから教わったものは「愛」であり、「今後も教わり続ける」と語っていた海老蔵。日々のブログで麻央さんから受け継いだ「愛」を感じるが、この日も愛あふれるメッセージを送った。きのう21日には「明日は麻央が旅立ってから一年です」と空の写真を添えて投稿。「去年の明日もこんな空に似ていましたが、もっと赤くピンクに染まっていました」と麻央さんが亡くなった当日の空を振り返り、「六月の空ってこうなのだなと去年今年で知りました」とつづっていた。
2018年06月22日歌舞伎俳優の市川海老蔵が10日、自身のブログを更新し、昨年6月22日に亡くなった妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34歳)の一周忌法要にあたる「一年祭」を行ったことを報告した。市川海老蔵海老蔵は10日の午後、「行ってきます」と題してブログを更新し、黒いネクタイ姿で車に乗っている写真を公開。「今日は一年祭です」と明かしていた。その後、「一年祭」と題した投稿で、「滞りなく無事に終わりました」と報告。「まだまだ悲しみは癒えませんが麻央が残してくれた2人の子供と懸命に生きていきたい。そう思いました」と心境をつづった。
2018年06月10日「麻央さんの命日である6月22日、海老蔵さんはご家族だけでお墓参りに行くつもりだそうです。さらに、仏教の一周忌にあたる一年祭も27日以降に予定しています。梨園のそうそうたる方々が出席するでしょう」(歌舞伎関係者) 小林麻央さん(享年34)が亡くなってまもなく1年がたつ。夫の市川海老蔵(40)は長女の麗禾ちゃん(6)や長男の勸玄くん(5)を育てながらも市川宗家の当主として多忙な日々を過ごしている。 そんななか、驚きのニュースが伝えられた。『女性セブン』4月26日号で、海老蔵が麻央さんとの思い出の自宅を売却しようとしていると報じられたのだ。たしかに海老蔵自身も、3月28日付けのブログでこう綴っていた。 《なんとなく引っ越そうかな、と思う朝でございます》 闘病中だった麻央さんのため、生活しやすい賃貸マンションに引っ越していた海老蔵。売却が報じられたのはこのマンションではなく、麻央さんとの結婚にあたって購入した地上2階、地下1階の約2億円の豪邸だという。だが、別の歌舞伎関係者は本誌にこう語る。 「記事では“不動産会社勤務の知人に価格などを相談している”と書かれていました。でも実は海老蔵さん、最終的に売却を拒否したんです。海老蔵さんが都内の一等地にこの自宅を購入したのは10年前。今売ればかなりの高値がつくはずです。実際、買い手も出てきていたといいます。それでも彼は『売らない』と決めました」 いったいなぜなのか。そこには、麻央さんへの思いがあったという。 「一年祭の前に売却することに、実母の季実子さん(65)が反対するという考えもあったのでしょう。でもそれ以上に『麻央さんとの思い出がたくさんつまった家を手離せない』という思いが強いようです」(前出の歌舞伎関係者) 一家が現在暮らしているマンションでも、こんな光景が見られている。 「海老蔵さんは今も家のところどころに麻央さんの写真を飾っているそうです。麻央さんのことを子供たちが忘れてしまわないようにという思いがあるようです。子供たちも『このアニメ、ママと見たよね』と麻央さんとの思い出を口にすることがあるといいます。だから海老蔵さんは『子供たちがもう少し大きくなるまでは、あの家をそのままに』と考えているのかもしれませんね」(前出の歌舞伎関係者) 7月5日から始まる東京・歌舞伎座での座頭公演に勸玄くんとともに出演する海老蔵。その活躍ぶりを、麻央さんは今も空から見守っている――。
2018年06月05日「私があまりに明るく病気のことを話すので『すごいね』と言われますけど、私を見てみなさんが前向きになっていただけたらいいなと思います」 乳がんのため、左乳房全摘とリンパ節切除の手術を受けたことを4月13日、自身のブログで公表した、元SKE48でタレントの矢方美紀(25)。4月2日に無事、手術を終え、仕事を再開したばかりの矢方が、乳がん発覚からの激動の日々を明かした――。 「きっかけは、昨年12月。テレビで乳がんの特集を見て、自分もチェックしてみたら、左の胸にポコッとした“しこり”があったんです。正直、乳がんというのは小林麻央さんが亡くなった病気ということしか知らなかったので、もっと調べてみようと。麻央さんの報道がなければ、調べようとも思わなかったでしょうね」 決心して病院を訪れたのは、新年間際の昨年末だった。 「病院に行って精密検査を受けると、検査結果は乳がんかどうか“半々”ということでした。年明けにさらに詳しく検査した結果が、“乳がん”だったんです。宣告された瞬間、受け入れられない気持ちが強かった。まさか自分ががんになるとは思ってもいなくて。自覚症状もないし、“本当に私が乳がん?”と」 まさかの“乳がん宣告”を受け入れられず、呆然となった矢方。後日、別の病院で改めて検査すると、リンパ節への転移の可能性も告げられた。当初、受け入れられなかった矢方だが、しだいに闘病に向けて“心の整理”がついていったという。 「先生から『矢方さんと同じように20代で乳がんになってしまう人もいるけど、みなさん前向きですよ』と言われました。そう言われて、手術後の人を待合室などで見かけると、普通に歩いて生活されているんです。その姿を見て、少しずつ受け入れられるようになりました。“病気になってしまったからには治さなきゃいけないんだ”って」 だが“左乳房全摘”を決断するまでには、25歳の未婚女性として心は大きく揺れ動いた。 「手術なしで治療をする方法もあったのですが、年齢が若く、再発率や将来を考えると『全部、取ったほうがいい』ということになりました。自分では“全部なくなるのは嫌だ!”という気持ちがありました。それでも“全摘”を決断したのは、取っても“再建”できることを知ったのと、“全摘”しても多くの方が前向きにされていることを知ったから。私は今後の人生のほうが長いので、リンパ節を含む悪い部分を“取ってから作る”ほうが納得できると思いました」 手術を前に病院通いをしながら仕事を続けていた日々は、孤独で重苦しいものだった。 「家に帰って1人になると、落ち込んでいましたし、寝る前には泣いていました。お風呂に入って自分の胸を見て“これがなくなるの?”って……。毎日、“なんでこうなってしまったの!?”と悲しくて。診断から手術までの3カ月が、いちばん辛かった」 そして4月2日、矢方は4時間にもわたる手術に臨んだ。 「手術が終わり、初めて胸を見たとき“ない!”って。今まで見てきた景色と違っていました。やっぱり、“あるものがない”という違和感が……。思った以上に傷が大きかったのも、とてもショックでした」 10日間の入院中、リンパ節切除の影響で手が上がらなかったり、痛みもあった。が、術後の身だからこそわかる、新たな“気づき”が――。 「病室から楽しそうにお花見している人たちを見ていたら、“普通って素敵だな”と思いました。また、入院しているみなさんが、生きるために本当に一生懸命に立ち向かっている。その姿を見ていて、私は胸がなくなったけど“生きる”という大きな目標へ前向きに頑張れる!と思えたんです」 手術から1カ月あまり。晴れて芸能活動も再開したが、今後も長期間の治療を続けねばならない。 「これからのことですか……。私、結婚できるかな。胸もないし、病気とつきあってかないといけないし。でも、こんな私を通じて、がんが決して他人事じゃないと女性たちに気付いてもらえたら嬉しい。がんに立ち向かう私の存在が、少しでも“希望”になれたらいいなと思います」 25歳の女性には重すぎる試練を経験した、矢方。それでも前だけを見つめて歩き出した姿は、まぶしいほど輝いている。
2018年05月25日音楽プロデューサーの小林武史らが出演するコンサート「小林武史:交響組曲『円奏の彼方(Beyond The Circle)』~based on 柴田南雄『ゆく河の流れは絶えずして』~」が、7月28日・29日に開催することが決定した。15日よりチケット先行受付もスタートしている。同コンサートは、小林の他、安藤裕子・桐嶋ノドカ・Salyu・TOKUなど個性豊かなアーティストが出演。指揮者・寺岡清高率いるオーケストラととも音楽を奏でる。また小林は、世界最大級の国際芸術祭「大地の芸術祭2018 オープニングコンサート」のために、8楽章からなる交響組曲を新たに書き下ろす。この交響組曲は、日本の音楽に偉大なる足跡を残した作曲家・柴田南雄氏の「ゆく河の流れは絶えずして」をベースにしたもの。「ゆく河の~」は鴨長明の随筆「方丈記」をもとに、日本の音楽家の回顧を試みるものとして作られたと言われている。小林は「柴田南雄さんの作品をあらためて観て、ある種の"触媒"のようなあり方を感じたんです。柴田南雄という人にはインスピレーションを表現する天才的な表現者の部分もあるのですが、日本/欧米、日本/アジアなどを世界を相対化して考えた音楽の研究者という"知"の側面があった」と評する。「ゆく河の~」については「僕らの時代はいよいよAI が登場するまでになって、でも一方では東日本大震災のように自然の前ではまだ無力であることを思い知らされたりもする。そんな"無常"という大きなベクトルのなかで鴨長明が感じたこと、それを継いで柴田南雄さんが作った交響曲」と語っていた。
2018年05月17日3月から好天が続いたために、すでに桜は散ってしまっていた東京都内。だが都営バスでのなかでは、4つの笑顔の花が咲いていた。バスに乗っていたのは、篠原涼子(44)・市村正親(69)夫妻と2人の息子たち。4月上旬のこの日は、6歳になる次男の入学式だったのだ。 4年生となった長男(9)と新入学の次男が通う学校は、芸能人たちにも大人気の名門私立小学校。篠原一家と前後して現れたのは、長谷川京子(39)とポルノグラフィティ・新藤晴一(44)夫妻と、長女(6)。実は篠原と長谷川は、芸能界でも同じママ友グループに入っている。 「昨年5月に井川遥(41)がテレビ番組で、仲の良いママ友として、篠原涼子、長谷川京子、そして板谷由夏(42)の名前を挙げて話題になりました」(テレビ局関係者) 本当なら、篠原や長谷川とも同級生ママになるはずだった小林麻央さん(享年34)は昨年6月に逝去している。夫・市川海老蔵は『源氏物語』公演のため、福岡に滞在しており、長女・麗禾ちゃん(6)の入学式には、麻央さんの母親が付き添っていた。 入学式終了後も、帰宅にはバスを利用したという篠原・市村一家。 「入学式の日、市村さんは次男に“将来の夢”を聞いたのですが、彼は『歌舞伎役者になりたい』と答えてお父さんを驚かせたそうです。篠原さんは息子さんたちを市村さんの出演している舞台にはすべて連れていくことにしています。そのほかにも歌舞伎なども見せる機会もあるそうですから、『歌舞伎役者』と答えたのもそのせいかもしれませんね」(市村の知人) この日、市村と海老蔵は“同級生パパ”となった。もしかしたら将来、海老蔵のもとに市村の次男が“弟子入り”したりすることもあるのだろうか。
2018年04月12日フリーアナウンサーの小林麻耶(38)が4月10日、自身のブログを更新。昨年6月にがんで亡くなった妹・麻央さん(享年34)に思いをはせ、「妹ではなく、私を召せばよかったと思う」と吐露。ファンから心配のコメントが寄せられている。 麻耶はブログで、「昨日、NHKのニュースで19歳でがんのため余命半年を宣告された山下弘子さんのVTRが放送されていました」と、生命保険会社のCMにも出演していた山下弘子さんが、3月25日に肝臓がんのため25歳で亡くなったことついて言及した。 そして「結婚して幼い子供が2人もいる妹と独身の私。神様がいるならば、妹ではなく、私を召せばよかったと思うのです」と複雑な心境を告白。しかし、山下さんが伝え続けた“今を生きる”というメッセージから「生かされているこの命を最大限輝かすためには『今を生きる』しかないですね」と記事を結んだ。 読者からは「あまり自分を責めないでください」「そんなこと絶対に思ったらダメです!」「大丈夫ですか?自分を大切にしてください」といった心配の声が寄せられている。
2018年04月10日前回に続き、小林さんの文房具コレクションをご紹介。レトロで可憐なパッケージが素敵な空き缶は彼女のイメージにもぴったり。いただきもののお菓子の箱もつい集めてしまうと笑う。 書くことで永遠に生き続けられると気づけた。この世界を目指すきっかけは、幼少期に読んだある1冊の本だったと小林さん。 「小さい頃に、アンネ・フランクの『アンネの日記』を読んだんです。本の中で、彼女が作家かジャーナリストになりたいと書いてるんですが、10歳の私には、こんなにかっこいいお姉さんがいるんだと衝撃的で。そのときから私も作家になりたいと思っていました。〝私の望みは、死んでからもなお生き続けること〟と彼女は書いているんですが、書くことによって〝そうか! 死なないんだ〟ということが初めてわかって。作家を志すきっかけがこの1冊でした」 テンプレートを使ったドローイング風景。和紙、Gペンやインクも、小林さんの大切なパートナーだ。 自宅にあったこの『アンネの日記』が、彼女の運命を変えていくことに。 「しばらくそのことは忘れていたんですが、私が30歳を過ぎて父が80歳の誕生日を迎えた時に、その父が16〜17歳の頃につけていた日記をたまたま見つけて。それがちょうど戦時中の日記で、そこでアンネ・フランクと父が同じ年の生まれだったことに気づきました。そこで、アンネの日記と父の日記を持って旅をしてその二冊の同じ日の日記を読みながら、私自身も日記を書き記した本が『親愛なるキュリーたちへ』です。作家になりたい、何かを書きたいという私にとって、大きな転換点でしたね」 近年は、目には見えない放射能を題材にした作品も多く、膨大な知識も必要になる。一体何が、彼女の興味を駆り立てるのだろうか。 「よく社会的なことが好きと思われがちですが、なぜ自分が今を生きているのかを知りたいだけなんです。この時代のこの場所でこんな風に生きているということが、私にとってすごく不思議なことで。自分の半径5メートルくらいのことを突き詰めていくと、家族のことだったり、過去のことを考えざるを得なくなっていきます。戦争のこともですし。今につながる時間の中で何があったのかを調べる過程が続いているだけなんですよね。歴史に興味があるのではなくて、なぜ今があるのかっていうことへの疑問ですね。そういう目に見えないことを見たい、どうやったらそれを紙の上に描きつけられるんだろうといつも考えています」 小林さんの仕事デスクには、今まで手がけた作品が並んでいた。 この目に見えないものに興味が湧き始めたのは、ごく最近のことだという。どうやったら紙の上で表現できるのか、それを探りながら描くことはとても楽しいと小林さん。以前は、夜遅くまで仕事することも、土日に作業することも多かったというが、約2年前の出産を機にその生活は一変。お子さまを保育園に預けるようになってからも、今の生活のリズムを掴むまでには約1年かかったという。 「10ヶ月くらいの時から入園できたんですが、保育園の先生方のありがたさを、本当に実感しています。だいたい朝8時半〜9時くらいで保育園に連れて行き、お迎えに行く18時までが仕事の時間です。もう、すぐに時間が過ぎていってしまいます(笑)。やっぱり気持ちは焦りますね。時間の作り方も、まだわからないことがたくさんあって。いつも時間が足りないと感じていて、もっともっとやりたいという気持ちもあります。放射能の名付け親でもあるマリ・キュリーとか、子どもを2人も育てながらいったいどうやって研究を続けたんだろう、すごすぎる……とか考えたり。特に小説やマンガが佳境をむかえたときや展覧会前などは、家がカオスな状態に(笑)。そんなときは、〝でも、みんながみんなノーベル賞2度も受賞するような科学者級じゃないんだから!全部完璧じゃなくても、まあいいか〟っていう気持ちで過ごすようにしています」 優しい空気を纏っている小林さんのイメージからは、想像できない意外な一面。こんな風にときには力を抜くことも、働く女性には大切なことなのかもしれない。女性から憧れる対象である小林さんだが、ご自身の憧れる女性像とは? 「賢く、美しい女性ですね。10歳のときに出合ったアンネ・フランクがまさにそう!本がすごく好きなので、憧れる女性像も本の中の人物であったり、女性の作家さんだったり。その時々で変わっていますが、賢く美しい女性にはいつも憧れています」 自宅は本だらけという小林さん。タイトル買いをしたり、自分の好きな本をオススメしている方の推薦本をこまめにチェックしたりしているそう。そこで、彼女のオススメの本をいくつか教えてもらった。 「池田澄子さんという俳人の方で、『思ってます』という句集がおすすめです。あたりまえにある日常から、一気に過去や宇宙や魂へつながるような句に、いつも心打たれます。他にも、津島佑子さんの絶筆である小説『狩りの時代』や、ジュリー・オオツカさんの『屋根裏の仏さま』という、20世紀初頭に写真だけを見てアメリカ大陸へ渡っていった〝写真花嫁〟を題材にした小説も面白いですよ」 先頃まで、軽井沢ニューアートミュージアムで行われていた『Trinity展』では、初めてガラス作品に挑戦した。美しさに惹かれるというウランガラスで作ったドルマーク。 今描きたいのは、目に見えないこと。最後に、小林さんの今後の活動について率直に語ってもらった。 「コミックと小説、展示という表現で、目に見えない歴史のようなものを、今の私が生きているところから繋がっているように描いていけたらと思っています。特に、コミック『光の子ども』でも題材にしている放射能は、良いとか悪いと言った時点で、何か見えなくなってしまうものが大きいと思うんです。私は、そこからこぼれたものを見たいという気持ちなんですよね。 放射能って、それこそ発見された当時は夢みたいなエネルギーだったと思うし、それと同時にすごく恐ろしいものでもあって。でも、私たちは綺麗なモノに、心から惹かれていきますよね。例えば、ガラスにウランを少し混ぜると蛍光グリーンに光るんですけど、その姿がすごく綺麗なんです。当時は、電力や火力でもない光り輝く何かってすごくレアな存在で。それを見たときの感動たるや、すごいことだったんじゃないかと思っていて。自分自身もそこに惹かれちゃうなっていうのがわかるから、それを含めて描いていきたいと思っています。美しさと恐ろしさが一体化したものへ、一番興味が湧いています。 もう、勝手なミッション感ですね(笑)。描きたいっていう気持が大きすぎて、それは多分一生解決しないことだから、自分の中で見えないゴールに向かって励むという感覚です。自分が知りたい、納得できないことを解決したいという気持ち。それを誰かに観てもらえたり、読んでもらえたりして、その人にとってこういう見方もあるんだなって思っていただけたら嬉しいですね」 小林さんの原動力は、純粋に〝見えないモノを知りたい〟という気持ち。文字だけ並ぶと少し仰々しく感じるかもしれないけれど、それは私たちが日々感じている気持ちとなんら変わらないのかもしれない。クリエイターとして、そして母としてもますますパワーアップするであろう彼女の今後の活動も見逃せない。 【Profile】小林エリカ(こばやし・えりか)漫画家・作家・アーティスト。著書に、アンネ・フランクの日記と実父の日記をモチーフにした小説『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)、小説『彼女は鏡の中を覗きこむ』(集英社)など多数。今年の春には、第27回三島由紀夫賞候補、第151回芥川龍之介賞候補になった小説『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)の文庫が発売に。連載も多数で、現在WEB『MilK JAPON』では「おこさま人生相談室』、雑誌『&Premium』では「文房具トラベラー』を担当中。放射能の歴史をめぐるコミック『光の子ども』は、リトルモアWEBで不定期連載。コミック本『光の子ども1,2』(リトルモア)も発売中。
2018年03月23日歌舞伎俳優の市川海老蔵(40)が3月12日に放送されたテレビ朝日系『徹子の部屋最強夢トークスペシャル』に出演。妻・小林麻央さん(享年34)が17年6月22日に亡くなる直前に送った最後のLINEについて明かした。 麻央さんが旅立った日は舞台や撮影などで忙しかったと回顧した海老蔵。「麻央が逝くのが夕方から夜にかけてでした」と話し、「そのときに最後のLINEをしました。なんでこんなLINEを送ったのか分からないけど、“愛してるよ。結婚してください”と。それが彼女との最後のやりとりだったんです」としみじみ振り返った。 また、以前出演したドキュメンタリー番組で、現在でも麻央さんにLINEを送っていると明かしていたが、最近麻央さんから返信が届いたと告白。「びっくりしました。誰かがやったに決まってるのに、すべての思考が止まりました」とパニックになったという。 返信を送ったのは娘・麗禾ちゃんだったそうで、海老蔵の「麻央げんき?」というLINEに対し、ハートマークが送られてきたという。海老蔵は「文面が明らかに麗禾でした。もうドキっとした麗禾と返しました」と親子の微笑ましいエピソードを披露した。
2018年03月13日歌舞伎俳優の市川海老蔵が12日、自身のブログを更新。昨年6月に亡くなった妻・小林麻央さんとのバレンタインにまつわるエピソードを明かした。市川海老蔵海老蔵は、麻央さんが昨年2月14日に投稿した「バレンタイン」と題したブログの英訳をリブログ。麻央さんはこの投稿で、「主人にはいちごのチョコレートフォンデュをしたかったのですが、今年はチョコレートを溶かすこともあきらめてしまいました。でも、昨夜、娘と一緒に手紙を書きました」などとつづっていた。海老蔵は「今年のバレンタインは麻央にチョコレート買おうそう思いました」と書き出し、「チョコレート好きでしたから去年は麻央からチョコレート貰いました珍しく全て食べた記憶が御座います」と昨年のエピソードを告白。「普段は少し残しておくと化石となって現れるのですが笑笑とっておけば良かったと後悔してます。残しとけば良かったな、、」と後悔を打ち明けた。
2018年02月13日歌舞伎俳優の市川海老蔵(40)が2月11日夜、自身のブログを更新。風邪で体調を崩していた娘の麗禾ちゃん(6)が無事に退院したことを報告し、「本当に嬉しいホッとする」と心境をつづった。 5日のブログで麗禾ちゃんと弟の勸玄君(4)が体調不良で病院の診察を受けたことを明かしていた海老蔵。この日は『やっぱり嬉しそう』と題した記事で「二人とも!なんとも言えない顔で遊んでます互いが互いを求めていたのだなぁ〜」と手作りのおもちゃで遊ぶ麗禾ちゃんと勸玄君の写真を公開した。 海老蔵は「本当に嬉しいホッとする。これで私も元気七万倍です」と安堵する親心をにじませるいっぽうで、「本当にここ1週間は病院の連絡くるたびにダメ男な私がいました、、精神的に強い方と思っていましたが甘かった!と痛感した1週間でした」と入院中は心配で気が休まらなかったことを明かした。 同日の昼頃には「お家のご飯。食べたいのは納豆ごはん」と帰宅し、納豆ごはんを食べる麗禾ちゃんの様子をアップ。つづけて「幸せを見入ってる私」と麗禾ちゃんを見つめる自身の姿を公開するなど、喜びを伝えた。 読者からは「麗禾ちゃんおかえりなさい!」「退院よかったですね!」「気が弱くなるのは親の証ですよ」「本当に良きパパですね」というコメントが寄せられている。
2018年02月12日2月8日、元SMAPの稲垣吾郎(44)が8日、自身のアメブロを更新。2017年に最も活躍したアメーバブロガーを表彰する『BLOG of the year 2017』で最優秀賞を受賞したことを報告した。 稲垣はブログで《「BLOG of the year 2017」最優秀賞を受賞いたしました》と報告。「去年の11月にブログを始めさせていただき、わずか3カ月でこのような賞を頂けるのは読者の皆様のお力と愛情以外の何物でもありません・・心より感謝申し上げます」とファンにお礼を述べた。 また、《「新しい地図」スタート以来SNSを通じてNAKAMAの皆様とよりリアルに通じ合え、その時心に芽生えたほやほやの気持ちや言葉をスピーディーに交換し合えるこのシステムはもはや欠かせないものになりましたね。たくさんのコメントを励みに毎日楽しく過ごしております》とファンとのコミュニケーションの大切の場であると伝えた。 『BLOG of the year 2017』は、2月6日「ブログの日」にちなみ、2017年に最も活躍したアメーバブロガーを表彰するアワード。稲垣は2017年11月のブログ開始から約2ヶ月半で読者が50万人を超えたことが大きく評価されたとみられる。 また、『BLOG of the year 2017』の最優秀賞は稲垣のほか、アレクサンダー(35)&川崎希(30)夫妻が受賞。特別栄誉賞は小林麻央さんに贈られた。
2018年02月08日タレントのアレクサンダー&川崎希夫妻が、「Ameba」の中で2017年に最も注目されたブログを表彰する「BLOG of the year 2017」の最優秀賞に選出された。運営するサイバーエージェントが8日、発表した。アレクサンダー&川崎希夫妻「BLOG of the year 2017」は、著名人から一般の人まで、「Ameba」の中で2017年に最も注目されたブログを表彰するもの。昨年インターネット上で実施した一般投票では約8,000件の投票が寄せられ、その結果および、話題性、ブログ活用の先進性、独自性などの観点で審査を行い、「最優秀賞」「優秀賞」「特別栄誉賞」が選出された。アレクサンダー&川崎希夫妻は、夫婦ともにアメブロランキングの常に上位にランクインする「Ameba」不動の人気ブロガー。アレクサンダーが川崎希に作る料理のレシピや夫婦の日常をつづる記事に加え、不妊治療に取り組む日々の記録から、念願の妊娠、そして出産、育児と、人生の大切な出来事をブログで発信し続け、夫婦2人で積極的に育児に取り組む様子に称賛の声が寄せられている。アレクサンダーは「この度、最優秀賞いただきありがとうございました」と感謝。「まあー 去年は色々あったからな、、、フライデーはされた時はまじで人生終わった!!て思ったもんね。おかげさまで今は女の子恐怖症だ!!エッヘンのんちゃんおちびーぬ産んでくれてありがとうねこんな可愛い奴ほかにいないよエッヘンだ!!」と不倫報道と第1子誕生を振り返った。川崎も「アレクと夫婦でブログオブザイヤー最優秀賞を受賞できてとても光栄です」と受賞を喜び、「新しく家族も増えて日々の息子の成長をブログで見返したりしてます。ブログで見返すと出産した日のことがよくわかって、とってもハッピーな気持ちになってます。これからも家族でハッピーに過ごしたいと思います」とコメントした。最優秀賞には、元SMAPの稲垣吾郎も選出。優秀賞は、タレントのぺこ、俳優の瀬戸康史、女優の平祐奈、元大関琴欧洲の鳴戸勝紀親方、お笑いタレントのブルゾンちえみ、歌手・俳優の横山だいすけら。また、昨年6月22日に亡くなったフリーアナウンサーの小林麻央さんが特別栄誉賞を受賞した。(C)Ameba
2018年02月08日元SMAPの稲垣吾郎が、「Ameba」の中で2017年に最も注目されたブログを表彰する「BLOG of the year 2017」の最優秀賞に選出された。運営するサイバーエージェントが8日、発表した。稲垣吾郎「BLOG of the year 2017」は、著名人から一般の人まで、「Ameba」の中で2017年に最も注目されたブログを表彰するもの。昨年インターネット上で実施した一般投票では約8,000件の投票が寄せられ、その結果および、話題性、ブログ活用の先進性、独自性などの観点で審査を行い、「最優秀賞」「優秀賞」「特別栄誉賞」が選出された。稲垣は2017年11月からブログを開始し、開設から約2カ月半で読者は50万人を超えるなど瞬く間に人気ブロガーとなり、2017年最も読者数の伸び率が高かったブログに。このたびのユーザー投票では最も多くの投票を獲得。舞台の観劇や美術鑑賞などアートや芸術に造詣が深い稲垣のプライベートな一面や感性が垣間見え、また、美しい文章に多くの支持が集まった。稲垣は「ブログを始めて間もないにも関わらず、長く続くこのような賞を受賞できて本当にうれしく思っています、ありがとうございます」と受賞を喜び、「ファンの方とのつながりをよりリアルに感じられるようになりましたし、そのつながりがありがたいです」とブログへの思いを告白。「これからもブログを読んでいただけたらうれしいです」と呼びかけている。最優秀賞には、アレクサンダー&川崎希夫妻も選出。優秀賞は、タレントのぺこ、俳優の瀬戸康史、女優の平祐奈、元大関琴欧洲の鳴戸勝紀親方、お笑いタレントのブルゾンちえみ、歌手・俳優の横山だいすけら。また、昨年6月22日に亡くなったフリーアナウンサーの小林麻央さんが特別栄誉賞を受賞した。(C)Ameba
2018年02月08日2018年の抱負や願いを「漢字1文字」で表すと?調査対象:あんふぁんWebのメルマガ会員調査実施時期:2017/12/27 〜2018/1/9集計数:570件2017年の「今年の漢字」(日本漢字検定協会発表)は「北」でしたね!毎年実施している、あんふぁんWeb読者に聞く、「今年の漢字1文字」。今年も、2018年の抱負や願いを漢字1文字で表すと何になるかを聞いてみました。■2017年はこうだった!2017年の抱負や願いを「漢字1文字」で表すと、はコチラ1位は「笑」。笑う門には福来たる!1位「笑」、2位「健」、3位「楽」、4位「穏」と、昨年1位の「健」、2位の「笑」が、僅差ですが今年は逆転する結果になりました。1位の「笑」を選んだ理由を見ると、「子どもに笑顔で接したい」「笑って楽しく過ごしたい」というものが多数。ママが「笑顔」でいることが、家族みんなで笑って1年を過ごせる秘訣かもしれません。「2017年は体調を崩すことが多かった」「健康でいる大切さを実感した」という人は「健」を、「楽」を選んだ人は、「楽しく、かついい意味で気持ちをラクにして生きたい」という意見が多くありました。この1文字を選んだ理由はコレです<1位:笑>・忙しくてもピリピリせずに、子どもたちと笑って過ごしたいなぁ。いつもいつも怒鳴ってばっかりの鬼ばばになっちゃってるので…。笑う門には福来たる!(Queen、37歳)・年明けに出産予定なので、産まれてくる赤ちゃんにたくさんの笑顔を見せて育てたいと思ってるからです。(あいる、29歳)・昨年は不機嫌な顔や愚痴が多かったように思う。笑顔でいれば周りも嫌な気持ちにならないだろうし、自然と愚痴をこぼすこともなくなるように感じたから。(みにごん、47歳)・2017年は、娘が転んで歯の神経が死んでしまい、歯科に通ったり、兄妹ともに喘息になったりと、病院通いが多い年でしたが、2018年は健康でいつも笑っていたいので、「笑」にしました。(なっぱまま、49歳)・イライラで怒ってばかり。「ママ怖いっ」と言う娘たち。もっと心を広く、親の目を気にして、ママの顔色を窺わずに、のびのびとした環境で子どもたちの成長を促したいと思う。ので笑う。(のりさん、36歳)<2位:健>・夫が入院手術して5歳の息子が精神的に不安定になりました。命に別状はありませんでしたが家族の健康が1番大事だと実感した年でした。来年は家族全員が健康であるようにこの文字にしました。(紫野、36歳)・身内の病気が発覚したり、子供が保育園に行きだしてから病院通いばかり。健康に勝るものはない!と実感したから(とも、40歳)・年末年始を家族全員で風邪リレーしてしまった。やっぱり健康は大事だし、全ての基本と実感。福袋、見に行きたかったなー。(うさポンママ、41歳)・今年は風邪を3回もひき、家族みんな胃腸炎にかかって大変でした。来年こそは家族みんな健康に暮らしたいです。(みみりん、38歳)・皆さんと同じ考えかもしれませんが、健康の「健」です。 2017年は長女が突然のてんかん発症に始まり、小林麻央さんがお亡くなりになられたのもあり、健康を意識する年になりました。意識するとやはり身体も頑張るのか、親子で風邪や病気をしなくなったように思います。長女のてんかん発作も今の所ないです!なので、てんかん発作が起こらないようにとの願いも込めて健康でいられますようにと、この漢字を選びました。(SAORI、29歳)<3位:楽>・末っ子が幼稚園に通うからです。 やっとこの日がきました…!(ゆみてぃ、32歳)・慎重で心配性な性格のため、考えすぎて気が重くなることが多いので、2018年は楽観的に、気楽に生活できるようにとの願いを込めました。そうすればどんなことも楽しくなるはず。(ぴっころりん、39歳)・マイホームが出来上がるから楽しみ! でも、住宅ローンが始まり節約もしなければ… 。節約も家族で楽しんでやりたいなという願いをこめて。(もちこ、37歳)・去年は、足を骨折して手術…体が自由にきかなくて… やっと、少し、走ったりできるようになりました! 子供たち3人の習い事や、家のこと、怪我のことなどで、 心に余裕が無くて…疲れてしまったことも、多々ありました! なので、新年!今年は、心を楽に!子どもたち、旦那と、楽しく!楽々に何でもこなしたい!ということで、今年の目標は、楽です♪(funwari8、33歳)<4位:穏>・2017年は怒ってばかりだった気がするので、2018年はもっと穏やかでありたい…。(ハク、24歳)・子どもに対して周りを気にしすぎて叱りをとおりすぎ、怒りすぎてしまったので、来年はしっかり子どもを見守り、穏やかに過ごしたい。(ヴィヴィ660、37歳)・毎日バタバタな我が家にとって、穏やかに過ごすことが私達の願いかと思います。(ゆーゆーミュージック、34歳)<5位:幸>・家族みんなが幸せに笑って暮らせるように、この漢字を選びました。(プーさん、35歳)・2015年に結婚、2016年に第一子、2017年に第二子が誕生し、どんどん幸せに加速がかかっています!2018年も益々幸せに過ごしたいです!(たまちゃん、31歳)・3月に4人目の子どもが生まれました! 三姉妹の後に、待望の男の子。 毎日かわいくて幸せいっぱいなので。(しのー、38歳)<6位:挑>・2018年は息子は幼稚園にチャレンジ!私も何か新しいことを始めたいなと考えています! 失敗や結果を気にせず、まずは挑戦してみることを目標にしたいです!(焼き林檎、33歳)・いつも同じような日々を過ごすのではなく、新しいことにどんどん挑戦していきたいと思ったので。子供たちにもできないことにたくさん挑戦して努力してほしいです。(しゅうのん、33歳)<7位:安>・3人目を出産予定なので安産を祈願して。また、上の子供たちや夫にも極力、心安らかに接することができるようにとの願いを込めて。(さお、40歳)・家族みんなが安心して過ごすことができる環境を作ることを抱負にしたいと思ったからです。(さや、28歳)<8位:新>・2018年には子どもたちが、小学校新入学、幼稚園新入園すること。新居に引っ越しする等、新しいことが多いから。変化の「変」とも思いましたが、一字では良い連想がなかったので、「新」としました。(よさく、42歳)・息子が1年生になるのと、私自身も資格取得など新しいことを始めたいと思っているので。(すずはは、41歳)<9位:動>・今年はだらだらしないで家事もしゃきしゃき動きたい。子供ともたくさん遊んで動きたいから。(ざわさゆ、31歳)・とにかく行動したいから。 気になったことはどんどん自ら動く! 動きまくって、最近気になるお腹まわりも スッキリすると良いなぁ…。(ハピママ、38歳)<10位:産>・今年は出産を控えているので。 安産祈願の思いをこめて。 また生産性を意識しながら、家事や仕事に 取り組むため。(Max、28歳)・4月に2人目の出産を控えています。 無事に出産できるように「産」。 そして、出産後保育園探しと 就活が待っています。 新たな一歩を踏み出す、 新たな自分の可能性を産み出したい! ということで、今年の自分は 「産」がいいかなと思いました。(マァチァ、28歳)
2018年01月19日