女優の藤原紀香さんが6月28日にブログを更新し、自身が46歳の誕生日を迎えたことを報告しました。紀香さんは、両親やファン、仕事仲間など周囲の人々に感謝の気持ちを述べつつ、これからも公私ともに頑張っていきたいと決意表明。記事の最後には『おっちょこちょいでドジで、なんだかんだあほな私ですが』という言葉とともに、ブログを読んでくれている読者に向けて感謝の言葉を伝えています。普段であればおめでたい話題となっていたかもしれないこの報告。しかし、同じく自身が身を置く歌舞伎界では、市川海老蔵さんの妻・小林麻央さんの訃報が報じられたばかり。梨園の妻という立場でありながら、自らの誕生日を祝うブログ記事をアップしたことに対し、批判の声が集まっています。●藤原紀香はあいかわらず自分大好き?小林麻央さんの訃報があったばかりにも関わらず誕生日の報告をした紀香さんに対しネット上では、『こんな記事をこの時期にアップするとか神経疑う。やっぱりこの人のことは好きになれない』『いくらなんでも今言うことじゃないだろ。身内と言ってもいい人が亡くなったばかりだというのに…。麻央さんへの配慮はないのか』『「おっちょこちょいでドジであほなわたし」と言えば何でも許されると思ってるのか?』『空気読め。暗くなりすぎる必要はないけど、今じゃないことぐらい分かるだろ』『このタイミングで誕生日アピールとかなに考えてるの?おかしいでしょ!』『46歳にもなって周りのことを見ることができないなんて恥ずかしいにもほどがある』『無神経すぎる…。最後に添えた自虐セリフもただただイタい』『こんな時期ですら「私を見て!」がとまらないとか呆れてモノも言えない。周りに配慮するということを知らないのでしょうか』『ホントもう…なんと言っていいか…この人は…』『梨園の中でも失笑ものだろうね。自分の立場がわかってないにもほどがある』『ドジとあほに加えて、KY、自己中、非常識も入れてください』『そもそも、46にもなっていまだに「誕生日です!」とか言ってるのが嫌だ』など、自分のことしか考えていないという声が多く見られました。日頃から奔放な言動が取り沙汰される紀香さんですが、今回はあまりの非常識さに哀れみの声すら聞こえてきます。結婚当初から「梨園の妻失格」という声が少なくなかったものの、この一件で再び評価を下げてしまうことになりそうです。※画像はイメージです。●文/ぶるーす(芸能ライター)
2017年06月29日フリーアナウンサーの小林麻耶(37)が29日、自身のブログを更新。妹の小林麻央さん(享年34)が亡くなって1週間たった今の心境を明かした。麻耶は「おはようございます!」というタイトルで更新。「たくさんのコメントありがとうございます。ブログの存在に支えられています。ありがとうございます」と感謝の気持ちを伝えた。そして、「新しい一日が始まりました。時が過ぎていく実感はないのに、確実に日は進んでいるんですよね」としみじみ。「妹はどこか遠くの病院に入院していて、今は会えない... そんな感覚になっています」と自身の心境を表現し、「私のことが心配で、そばにいてくれているのかな。ありがとう」とつづった。
2017年06月29日「最後の最後まであきらめない麻央さんの強い気持ちに、私はいつも支えられました」と語るのは、自身もステージIIaのがん闘病を経験したAさん(43)だ。 亡くなる2日前まで352回も更新し、闘病の様子を自身のブログ「KOKORO.」に綴り続けた麻央さん。母親が絞ってくれたオレンジジュースを飲んだという、6月20日の投稿が最後になった。 《朝から笑顔になれます。皆様にも、今日笑顔になれることがありますように》 苦しさをおして、こう感謝の気持ちを記していた。彼女が「KOKORO.」を開設したのは昨年9月1日。 《ブログという手段で、陰に隠れている自分とお別れしようと決めました》 乳がんという病の重みに負けそうだった麻央さんが、はじめての投稿で示した決意。するとまたたく間に共感の声が広がり、フォロワー数は100万人を突破した。前出のAさんも、彼女のブログに励まされた1人だ。 「私が入院していた病院にはいろんながん患者さんがいらっしゃいました。その中で再発した方や亡くなった方がいると、私はそれだけでパニックを起こしそうになりました。そんな弱い自分を包み込むやさしさが、麻央さんのブログにはあるんです」 堂々とウィッグ姿を披露したり、ときおりユーモアを交えながら、麻央さんはがんという病と向き合っていた。ステージIの状態から寛解した、40歳の女性もこう語る。 「どう見ても苦しいはずなのに余裕があって、すごいです。その気持ちの強さを、私も真似したいなと感じました」 姉である麻耶さんの存在を《本当にかけがえのない愛そのもの》と記していた麻央さん。いつも見守ってくれる家族への、感謝の言葉を忘れなかった。ステージIIbのがんと闘う46歳の女性は言う。 「私はそんな考え方にとても感心したんです。私も感謝の気持ちは持っているだけじゃなくて、ちゃんと伝えなきゃいけないと思いました」 《暗いことや悲しいことだって、誰かの心にプラスでつながれる瞬間がある》と綴っていた麻央さん。彼女の言葉は、大勢のがん患者の心に響いたはずだ。
2017年06月29日22日に妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)を乳がんで亡くした歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が29日、自身のブログを更新し、癒えることのない悲しみをつづった。海老蔵は「おはようございます」と題して更新。「胸がしめつけられ目覚め胸を抑えると大きな大きな穴が空いている言葉に文字に出来ない喪失感、あの日から涙のでない日がないです、、」とつらい思いを吐露した。そして、「おはようございます。今日も素敵な1日をお過ごしくださいませ。朝からごめんなさい」とお詫び。「全ての方を愛しています。全ての方が幸せになることを願います」とつづった。
2017年06月29日6月22日に亡くなった小林麻央さん(享年34)。夫・市川海老蔵は23日の会見で「麗禾はずっと麻央のそばを離れませんでした。勸玄は今日の朝も麻央の横になっているところに立って、麻央の顔を触ったり、足をさすったり……」と残された子供たちについて語っていた。 勸玄くん(4)にはこれから、数々の試練が待ち受けている。来月には七月大歌舞伎で史上最年少の宙乗りに挑戦、またその後は数十億円規模ともいわれる襲名披露興行が控えているのだ。 母亡きなかで背負う“梨園の宿命”。だが勸玄くんはすでに、梨園入りのための修行を開始。周囲も驚くほどの“歌舞伎役者としての覚悟”をみせているという。 そして長女の麗禾ちゃん(5)もまた、周囲も驚くほどの成長ぶりを見せている。 「麗禾ちゃんは6月中旬、七夕の短冊に『早くママがよくなりますように』と願いごとを書いたといいます。優しさは麻央さん譲りですね」(歌舞伎関係者) さらに麗禾ちゃんは、すでに成田屋の“型”も体得し始めているという。 「彼女は海老蔵さんを真似て見得を切ったりもしています。麗禾ちゃんが望めば、海老蔵さんの妹・市川ぼたんさん(38)のように日本舞踊の道に進むこともできます。また寺島しのぶさん(44)のように、女優として活躍する道もあります。今から『将来が楽しみだ』と期待する声も出てきています」(前出・歌舞伎関係者) 亡き母が安心できるほど、しっかりと育っている子どもたち。家族もそれを支えていくつもりだ。 「麻央さんの闘病中、海老蔵さんの“梨園妻”としての代役は母親の希実子さん(64)が勤めてきました。今後も親子襲名披露までは、希実子さんがサポートしていくつもりだといいます。また麻耶さんもこれまで、妹の代わりになって子供たちの世話をしてきました。今では2人とも彼女にすっかり懐いています。今後もきっと、彼らの“母代わり”として精神的な支えになってくれると思います」(前出・歌舞伎関係者) 麻央さんが見守る天国まで届く名声を――。海老蔵と子供たちの奮闘は続く。
2017年06月29日「勸玄はまだわかっているんですけど、わかっていないところもあって。今日の朝も麻央の横になっているところに立って、麻央の顔を触ったり、足をさすったり……」 23日の会見でそう語った市川海老蔵(39)。小林麻央さん(享年34)の訃報に大人たちが悲しみにくれるなか、まだ4歳の勸玄くんはその意味を完全には理解できていないという。だがそんな勸玄くんにはこれから、数々の試練が――。まず来月、勸玄くんはさっそく七月大歌舞伎で“史上最年少の宙乗りに挑む”という大役が待ち受けている。 「勸玄くんはしっかりしていても、まだ子ども。母の死を本当に実感したとき、舞台に立てなくなるかもしれません。それを周囲は心配しています。しかし、公演に穴をあけることはできない。幼いながらも彼は“梨園の宿命”を背負っているのです」(舞台関係者) 彼が背負うのは、それだけにとどまらない。実は早くも名門「成田屋」を背負う一大興行が目前まで迫っているというのだ。 「海老蔵さんは、2020年の東京五輪委員を務めます。そこで松竹サイドはオリンピックイヤーに華を添えるべく“ある計画”を考えています。それは海老蔵さんが十三代目・市川團十郎を、勸玄くんが八代目・市川新之助を襲名する“親子同時襲名興行”です。『団菊祭』を皮切りに、全国を回る超目玉興行になるでしょう。通常、襲名披露の発表は1年以上前。つまり19年初めごろまでには詳細を決めなければなりません」(歌舞伎関係者) 実現すれば、おそらく数十年に一度の規模になるであろうこのイベント。当然、そこにはとてつもない額のお金が動くことになる。 「前回の東京五輪2年前の62年4月に十一代目・市川團十郎の襲名披露公演が行われました。当時も松竹が全面バックアップ態勢をとって、『世紀の大興行』『1億円襲名』などと言われるほどの大成功を収めました。それから約半世紀、今回は親子同時のイベントですからね。規模はさらに大きなものとなるはずです。チケット代だけでも10億円、グッズの売上も合わせれば数十億ものお金が動くともいわれています」(前出・舞台関係者) その重責を、父子で担っていく――。麻央さんがいないなか、勸玄くんはあまりに大きな重圧と闘っていかなくてはならないのだ。 「勸玄くんの修業は、すでに始まっています。本来6歳からスタートするものですが、勸玄くんの場合は4歳から日本舞踊などを始めています。習いごとは今後も増えていくことでしょう。それでも彼ならきっと乗り越えてくれるはず。今回の七月大歌舞伎で勸玄くんが宙乗りに挑戦するのも、麻央さんを元気づけるために企画されたものでした。麻央さんは『危ないから』と息子の出演に反対しましたが、彼自らが『出たい』と申し出たそうです。勸玄くんには歌舞伎役者としての心構えができていますよ」(前出・歌舞伎関係者)
2017年06月29日22日に妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)を乳がんで亡くした歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が28日、自身のブログを更新。長女の麗禾ちゃんの遊び相手をしてくれた俳優の山田純大(44)に感謝した。海老蔵と長男の勸玄くんはこの日、7月3日より東京・歌舞伎座で行われる「七月大歌舞伎」の稽古へ。家を留守にしている間、『第四回 自主公演 ABKAI 2017~石川五右衛門 外伝~』で共演した山田が、麗禾ちゃんの相手をしてくれたという。海老蔵は、「麗禾」と題した投稿で、麗禾ちゃんと山田がブランコを楽しんでいる写真をアップし、「お願いしました。純大さん。ありがとう涙」と感謝。「すごく嬉しいがってると、本当に優しい方です」とつづった。また、稽古に参加した勸玄くんの写真もアップし、「稽古はまだまだ終わりませんが、今日はカンカンよくやってくれた涙、お疲れ様」と勸玄くんへのねぎらいの言葉も記した。
2017年06月28日歌手のGACKT(43)が自身の公式ブログを更新し、MALICE MIZER(マリス・ミゼル)のメンバーで1999年にくも膜下出血で亡くなったKami(享年26)のお墓参りに訪れたと明かした。 GACKTは『アイツがいなくなってもう18年…』と題したブログを更新し、「1999年当時、MALICE MIZERのメンバーと絶縁状態にあったボクに、彼が亡くなった報せがその直後に届くことは当然のことながらなかった。その報せを受けたのはスタジオでVANILLAのレコーディングをしているときのことだった。」と振り返った。 その後、居ても立っても居られなくなったというGACKTは、「彼の実家の場所も墓の場所も知りもしないのに早朝にたたただクルマを走らせ茨城に向かった。」とし、「彼の実家の玄関先でご両親が出て来て顔を見た時、何も言葉が出て来ず、急に涙が止まらなくなったことを鮮明に覚えている。」と当時の状況を明かした。その後、Kamiさんの誕生日と命日には実家を訪れ、両親へ現状報告をしているという。 また、「麻央さんのことがあったからか【人との別れ】についてこの数日ずっと頭の中をグルグルと回るまとまらない思考。」と22日に亡くなった小林麻央(享年34)についてもふれ、「どれだけ考えても今のボクに出来ることは、そんな人たちをけっして忘れないこと、そして、『今日もしっかり頑張ってるよ』と、胸を張って言える生き方を自分がしっかりすること。」と想いをつづった。 これに対しファンは「もう18年も経つんですね…」「温かくて優しいGACKTさん。素敵です」「心に染みました」「ありがとうGACKTさん!」「今もファンです。お父さん、そっくりで泣けました。」などコメントが寄せられている。
2017年06月28日22日に妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)を乳がんで亡くした歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が28日、自身のブログを更新。7月3日より東京・歌舞伎座で行われる「七月大歌舞伎」の稽古がこの日から始まることを明かした。同公演には、長男の勸玄くんも出演する。海老蔵は「おはようございます」という題して更新し、「今日から七月大歌舞伎の稽古になります」と説明。「倅との時間が多くなると思います。逆に麗禾との時間がすくなくなる。そこら辺よく考えないとならないと思ってます」と長女の麗禾ちゃんを気遣った。そして、「今日からまた七月公演休みなく、そのままエビ森。六本木歌舞伎とつづきます」と今後の公演について記し、「心折れぬように、自分も大切にしなければならぬ。と思ってます」とつづった。また、「カンカンは今日から」と題したブログでは、「お稽古です」と後ろ姿の勸玄くんの写真を掲載。「互いに頑張ろうね。ママが見守ってくれてるから一緒に頑張ろう」と呼びかけ、「お空から見ててくれるはず、私もシッカリしなくては、麻央に かっこ悪いところ見せられないですからね、踏ん張ります」と気合を入れた。
2017年06月28日22日に乳がんで亡くなった小林麻央さん(享年34)の姉でフリーアナウンサーの小林麻耶(37)が27日、自身のブログを更新。妹がいない喪失感や悲しみを打ち明け、「不思議と今まで以上に妹を感じています」という感覚も明かした。麻耶は「はじまり。」というタイトルで更新し、励ましの声に感謝。「昨日で執り行わなくてはならないこと終え、今日から日常が始まっています」と報告するも、「寝ているのか、寝ていないのか、よく分からない状態の夜が続いていますが、妹がいないという喪失感で目が覚めるのは耐え難いものです」と悲しみが消えることはない。そして、「不思議と今まで以上に妹を感じていますし、そばにいるのかもと思える瞬間も数々あるのですが、もう... 目を合わせて話せないし、声も聴けないし、触れることができない。悲しいです。寂しいです。辛いです」と吐露。「一日一日悔いなく過ごせるようにしてたけれど、でも、もっともっともっと... ... という想いが出てきてしまいます」と打ち明けた。また、「子供たちは、大丈夫かな、、、。大丈夫ではないですよね。私の出来る限り、寄り添いたいと思います」と麻央さんと歌舞伎俳優・市川海老蔵の子供である麗禾ちゃんと勸玄くんを心配。海老蔵とドラマや舞台で共演した俳優の山田純大が連日家に来て子供たちと遊んでくれていることも明かし、「どれほど救われているか分かりません」と感謝した。さらに、「姪っ子甥っ子2人とも純大さんが大好きで大好きで大好きで大好きで大好きで、純大さんの話しをするだけで、顔色も声色も変わるくらいそんな純大さんが遊んでくださるので、それはそれは楽しそうで嬉しそう。大はしゃぎタイムです」と2人の様子をつづり、「純大さんという存在が現れてくれたこと、奇跡だと思います。それくらい有り難いです。人は人に救われますね。山田純大さん、本当にありがとうございます。心から感謝いたします」と感謝の言葉を重ねた。
2017年06月27日6月22日に逝去した小林麻央さん(享年34)。悲しみに沈む家族を、支え続ける男がいる。俳優の山田純大(44)だ。 《ありがとう!純大さん。純大さんとはなんか一昨年の冬に初めてお会いしたのですが、あっという間に深い絆が人は共にした時間も大切ですが、時間を越えて深くなる絆もある。そんな事を感じさせてくれました》 6月27日、市川海老蔵(39)はブログを更新し感謝を綴った。いっぽう麻央さんの姉の麻耶(37)も、6月27日のブログでこう綴った。 《テレビ東京のドラマ、舞台で海老蔵さんと共演されていた俳優の山田純大さんが、連日、大変お忙しい中、家に来てくださり、子供たちと遊んでくださっています。どれほど救われているか分かりません...姪っ子甥っ子2人とも純大さんが大好きで大好きで大好きで大好きで大好きで、純大さんの話しをするだけで、顔色も声色も変わるくらい(≧∀≦)》 市川家に寄り添う山田純大は歌手で俳優の杉良太郎(72)の息子だ。杉は1999年に演歌歌手の伍代夏子(55)と再婚したが、純大は前妻との子。1997年に映画『CUTE』で俳優デビューした純大は、12歳から約10年間米国に留学していた異色の経歴を持つ。 「名門ペパーダイン大学でアジアについての研究をしていました。父の杉さんは、卒業後は国際弁護士になってほしかったそうですが、本人は芸能界入りを強く希望。大学時代にサークルを立ち上げ、芝居や歌の勉強もしていたそうです。そんな息子の熱意に折れて、杉さんも芸能界入りを後押ししました」(芸能プロ関係者) デビュー年には『毛利元就』で大河ドラマへの出演も果たした。主役ではないが、ドラマや映画を支える名脇役としてキャリアを積んできた。さらに、純大はノンフィクション作家の顔を持っている。13年には『命のビザを繋いだ男 小辻節三とユダヤ難民』(NHK出版)を上梓している。 「第二次世界大戦中、ナチスドイツに迫害されたユダヤ人らのために、リトアニアの領事館にいた杉原千畝が大量のビザを発行したことは知られていますが、訪日したユダヤ人の保護に奔走したのがユダヤ研究者だった小辻節三です。現在、小辻の墓はエルサレムにあります」(大学講師) 純大は米国で出版されていた小辻節三の自伝に衝撃を受け、300ページあまりの本をわずか2週間で翻訳した。出版社に持ち込むが“まず小辻のことを紹介する本を出したい”という言葉を受け、自ら取材を開始。イスラエルや米国に飛び、5年の歳月をかけ本を出した。弱者に寄り添う小辻の姿に純大は心を揺さぶられ、その偉業を多くの人に知ってほしいと思ったからだ。 「お父さんの杉さんは100人以上のベトナムの子供たちの里親になっています。東日本大震災でも大量の支援物資を被災地に届けた。これまで慈善活動に数十億の私財をつぎ込んだといわれています。純大さんのやさしさもお父さん譲りでしょう。特に海老蔵さんとは同じ2世俳優として、シンパシーを感じているのだと思う。そんな友とその家族が悲しみに打ちひしがれているとき、純大さんは動かずにはいられなかったのでしょう」(前出・芸能プロ関係者) 山田純大はこれからも海老蔵と子供たちの心の傷を癒すために、市川家のインターフォンを押すのだろう。
2017年06月27日22日に妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)を乳がんで亡くした歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が27日、自身のブログを更新。ブログを更新しすぎとの批判があることを明かした上で、「ブログが1つの支えになってます」と理解を求めた。海老蔵は「朝の一服とお許しを」と題して更新し、「朝の一服私は今こころの頼りはこうしてブログでも皆様も繋がっている事も私の支えになっています。ありがとうございます」と読者に感謝。「更新しすぎという意見もあるとか、確かにその通りです」としながらも、「ごめんなさい御理解してくださいとは言いません。居ても立っても居られないとき、私はブログが1つの支えになってます」とつづった。そして、「皆様のコメントやこころの在りようを表す事で少しだけ気を取り戻せるような気もするのです」と続け、「お許しくださいね。人それぞれですから、私は私のやり方で許してください」と理解を求めた海老蔵。最後に、長男・勸玄くんの写真もアップし、「倅は朝から花と対話してます」と様子を記した。
2017年06月27日「6月21日の朝までは話せていたのが、夜には痛がって、22日の朝には話せなくなってしまったそうです。それまでずっと麻央さんのお母さんと姉の麻耶さん(37)が看病していましたが、お医者さんを呼んで痛み止めを入れてもらうことにしました。少し落ち着いて眠ったのか、夕方に意識がなくなって。子どもたち2人もずっと横にいて、励まし続けていたそうです」(医療関係者) 「愛している」――。6月22日夜、市川海老蔵(39)にそう言い残して小林麻央さん(享年34)が亡くなった。 「子どもたちはずっと麻央さんのそばを離れようとしませんでした。特に麗禾ちゃん(5)は亡くなってからも一緒に寝ると言い張って、横に布団を敷いてもらって一緒に寝ていました」(前出・知人) 翌23日の朝、勸玄くん(4)はいつものように、麻央さんの足をさすっていたという。父はそんな子供たちの姿を見て涙した。――だが、それから数時間後の昼、歌舞伎役者・市川海老蔵は舞台上にいた。 《こういう時だからこそ、より厳しく、より深く己に喝を私が役者として良くなる事を誰よりもまおがよろこぶから、私はやる》(6月22日の海老蔵のブログより) 「満員御礼を申し上げます」 東京・シアターコクーンでの主催舞台『ABKAI』は、この日も海老蔵のアナウンスで幕が開いた。 「絶景かな、絶景かな」 石川五右衛門に扮した海老蔵は名文句を発しながら、華々しく登場する。いつもと変わらない舞台に見えた。だが、観客の多くは、報道で麻央さんが亡くなったことを知っていた。この日はコミカルなシーンでも観客たちの笑い声は遠慮がちだ。 すると海老蔵が「(客が)静かだなぁ、今日は」と笑みを浮かべて言う。それにつられて観客も笑い始めた。舞台がクライマックスを迎えるころ、観客はみな大声で笑っていた。 「絶景かな、絶景かーなー」 冒頭と同じセリフを海老蔵は息が続く限り伸ばしていう。海老蔵の高笑いで幕が下りるなか、両目には涙が溜まっていた。終幕後、会見を開き海老蔵は麻央さんの逝去を伝えた。 《まおの思い元気になったらこうありたい!という気持ちを私も引き継ぎ。生きます。私では力不足ですが、私はまおの生きたかった 行いたかった事をしていきます。まおと私は共に生きます。私の中にいつもある》 6月24日、海老蔵は子供たちと相撲をとる写真とともにブログにそう綴っている。「まおがよろこぶから」。市川海老蔵はこれからも舞台に立ち続ける。
2017年06月27日「私は父を病院で亡くしてるので。病院のときとは違う、家族の中で、家族と共に一緒に居られた時間というのは、本当にかけがえのない時間を過ごせたと思います」 会見で夫の市川海老蔵(39)は涙ながらにそう語った。 小林麻央さんが逝ってしまった。まだ34歳。7月21日の誕生日は目前だった。6月22日夜、海老蔵に、長女・麗禾ちゃん(5)と長男・勸玄くん(4)。そして麻央さんの両親と姉・麻耶(37)。愛する人たちに見守られて、麻央さんは静かに息を引き取った。 今年1月に一度は退院するものの、4月22日に容体が悪化し、緊急入院した麻央さん。市川家に近い知人は「こどもの日までには退院したいというのが麻央さんの希望でした」と言う。だが、容体は日に日に悪くなった。 「ゴールデンウィーク中にも、麻央さんは危篤状態に陥ったそうです。すぐに、家族全員が病院に呼び出されました。呼ばれるということは“最悪”を覚悟せよということです。團菊祭の真っ最中だった海老蔵さんも飛んできたそうです」(前出・知人) “ママ”“麻央”。それぞれの言い方で、家族は麻央さんを呼び続けた。そして、呼びかけに応えるように彼女は再び目覚めた。 「麻央さんの容体が安定し始めたんです。もう一度、海老蔵さんや子供たちと一緒に暮らいて、生きていきたい。そんな強い思いで、麻央さんは持ち直したに違いありません」(前出・知人) 「家に帰りたい」。意識を回復した麻央さんは強くそう希望していた。快適でも病室にはない家族の温もりが自宅にはあった。 「いつ危篤になってもおかしくない状態でしたが、麻央さんは懸命に耐えた。比較的容体が安定し、5月29日に帰宅することがかないました。海老蔵さんが迎えにきて、仲よく帰っていったと聞いています」(医療関係者) 「家族といたい!」。麻央さんの強い思いが奇跡を生んだ。退院して1カ月、麻央さんにとって、苦しくとも幸せな日々だった。子供たちにとっても夢のような時間だった。遠くから子供たちの声が聞こえてくる。部屋にやって来ては、新しい宝物を見せてくれたり、足をさすったりしてくれる。朝、麻央さんの容体を主治医に報告するのは海老蔵の仕事だ。舞台や稽古を終えて帰宅すると、真っ先に麻央さんの顔を見に来る。はかなくも幸せな時間だった。 「がんの顎への転移のために、しゃべることがつらく、筆談をしなければならないことも多かったそうです。自宅の中を移動するときも車椅子に頼っていました。想像を絶するような苦しい闘病でしたが、家族の側にいれて、麻央さんは本当に幸せだったそうです」(歌舞伎関係者) だが、6月22日の夕方に容体が急変する。義母は海老蔵に連絡するが、稽古の真っ最中だった。稽古後に連絡に気付いた海老蔵は家に急いで飛んで帰ると、麻央さんは帰りを待っていた。 「愛している」 いまわのきわ、麻央さんは海老蔵にそう伝え、旅立っていった。麻央さんの家族愛が生んだ奇跡の1カ月は子供たちにとってかけがえのない宝になった。
2017年06月27日歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が26日、自身のブログを更新。22日に乳がんで亡くなった妻でフリーアナウンサー・小林麻央さん(享年34)の追悼特番『小林麻央さん追悼番組~優しく強く生きた34年~』(日本テレビ系 21:00~22:54)を見ていることを明かし、「まお、…あいたい、あいたいよ」と悲痛な思いを吐露した。海老蔵は「テレビ拝見してます、」と題して更新し、「涙」と告白。「そして私は完全にまおがくっついた食欲がおかしい」とテーブルに複数並ぶピザの写真をアップし、「ダメです…私こういうのたべないので笑まおは大好きでした!」と記した。そして、長男の勸玄くんに加え、長女の麗禾ちゃんも写り込んだ写真をアップ。「起きて見てます」と2人の子供も番組を見ていることを明かし、「今日もありがとう純大さん、ありがとう」と、前日に続き自宅に来てくれた俳優・山田純大に感謝した。その後、「まお、」というタイトルで更新し、「まお、…あいたい、あいたいよ、」と麻央さんへの思いを吐露。「人生は転んだかどうかが重要ではないどうやって立ち上がったかが重要だ」という言葉が映った画面を添えて、「おれ、がんばるよ、」と天国の妻へ誓った。
2017年06月26日22日に乳がんで亡くなったフリーアナウンサー・小林麻央さん(享年34)の姉でフリーアナウンサーの小林麻耶(37)が26日、麻央さんが亡くなってから初めて自身のブログを更新し、現在の心境をつづった。麻耶は「たくさんのコメントありがとうございます。ゆっくり読ませて頂きます。本当にありがとうございます。ご心配していただいたのにもかかわらず、今日までブログの更新できず、申し訳ありません」と感謝とお詫びを伝えた上で、「6月22日最愛の妹が旅立ちました」とあらためて報告。「生まれた時から可愛くて可愛くて、どうしてこんなに妹が好きなんだろうと自分でも不思議に思ってしまうくらい心の底から大好きでした。世界一愛しい存在です」と麻央さんへの思いを明かした。続けて、「いつも優しくて、穏やかで、あたたかくて、自分のことより人を気遣う妹。私の絶対的な味方で、一番の理解者。そんな存在がこの世からいなくなってしまった寂しさ、悲しさは計り知れません。正直、この現実を私は受け止めることができずにいます」とつらい胸中を吐露。「もっと一緒にいたかったもっと一緒に話したかったもっと一緒に笑い合いたかったもっと一緒に...もっと一緒に...いろんな思い出を作りたかった一緒に、生きていきたかった」と無念さをにじませつつ、「これまで妹が教えてくれた...当たり前のことなど何ひとつない日常の有り難さ命の輝き、尊さ愛に生きるということひとつひとつ噛み締めながら妹がいない現実とともに生きていきたいと思います」と前を向いた。そして、「妹は、ブログを始めたことで多くの方々と繋がらせていただき、たくさんの励まし、勇気、力をいただきました。本当に本当に本当にありがとうございました。心から感謝しています。ブログの写真を楽しそうに撮る妹の姿が私は好きでした」と麻耶。「これまで妹を応援してくだった皆様妹が力強く前向きに生きた証のブログ、これからも時々訪れていただけたら幸いです」と呼びかけ、「本当に本当にありがとうございました」と締めくくった。
2017年06月26日歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が26日、自身のブログを更新。乳がん闘病の末、22日に亡くなったフリーアナウンサー・小林麻央さんと最後のお別れをしたことを明かした。海老蔵は「本日は様々な行事を」というタイトルで更新し、「滞りなく終える事が出来ました。まおとの最後のお別れでした」と報告。「子供達も全て立会いました」と長女の麗禾ちゃんと長男の勸玄くんも立ち会ったことを明かし、両手に白い花を持った勸玄くんの写真をアップした。そして、「2人がどう感じたのか…わかりません。が、、常に2人に愛を注ぎたいと思います」と決意を記した。25日には、仏式の通夜で行われる儀式「みたまうつしの儀」を終えたことを報告していた。
2017年06月26日乳がん闘病中だったフリーアナウンサーの小林麻央さんが22日、34歳の若さで亡くなった。 夫で歌舞伎役者の市川海老蔵(39)は23日記者会見を行い、麻央さんが最期の瞬間に「愛してる」と言って旅立っていったことを明かした。さらに闘病中の麻央さんとはプロポーズの言葉通り「来世も一緒にいよう」と話したという。その深い夫婦愛に多くの人が感銘を受けている。 しかしそんな彼らが交際6カ月でゴールインした、いわゆる“スピード婚”だったことはあまり知られていない。 2人の出会いは08年12月。麻央さんがキャスターを務める『NEWS ZERO』(日本テレビ系)でのインタビューでのことだった。その後、麻央さんが海老蔵の出演する歌舞伎の観劇に赴くなどのデートを重ね、09年11月に交際が発覚。10年3月に入籍した。 “慎重派”なイメージの麻央さんが出会いからすぐに結婚を決めた理由について、彼女が語っていたことがあった――。 10年4月放送の『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)に姉の小林麻耶(37)と出演。番組放送の1カ月前に海老蔵と入籍したばかりの麻央さんは、出会いから結婚にいたるまでのエピソードを告白していた。 中居正広(44)が「お付き合いしてどのくらいでしたっけ?」と訊ねると、麻央さんは照れくさそうに「半年くらい」と答えた。この“スピード婚”には麻耶も驚いたようで、「びっくりしました。そんなに早く決めちゃっていいのかなって思ったんですけど」と語った。 すると麻央さんは結婚の決め手について「4カ月でも、ぴたっと合えば運命の人で、結婚できるって聞いたんです」と説明。中居は「でも、4カ月って怖くない?」と話していた。 当時麻央さんが語っていたように、一緒に過ごした時間の長さと愛情は必ずしも比例しないのかもしれない――。
2017年06月26日歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が26日、自身のブログを更新し、「しっかりしろ!海老蔵!」と自身を奮い立たせた。妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)が乳がん闘病の末、22日に亡くなり、23日に会見を開いて涙ながら報告した海老蔵。その後もブログを更新し続け、「かなしささみしさがより現実的になっていく朝です」「やはり耐えられないかなしさが…」などと悲しみを吐露し、「今日からパパ ママもやります」と麻央さんの分も役割を果たす決意も記している。そして、この日はブログでは、さまざまな麻央さんの写真を掲載。結婚式での2ショットや、長男の勸玄くんに食事を食べさせている写真、海老蔵と麻央さんが2人の子供を抱っこしている家族写真、海老蔵の父・十二代目市川團十郎も写った一門での集合写真などを振り返り、最後に「しっかりしろ!海老蔵!と奮い立たせます」とつづった。
2017年06月26日歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が25日、自身のブログを更新し、22日に亡くなった妻でフリーアナウンサー・小林麻央さん(享年34)の「みたまうつしの儀」を行ったことを報告した。海老蔵は「みたまうつしの儀をおえ」というタイトルで更新し、「帰宅。娘も倅もみたまうつしの儀に参列しました」と長女の麗禾ちゃんと長男の勸玄くんも参列したことを明かした。そして、「家に戻り子供の事をというかお世話?タイムです、その前の腹ごしらえ」と続け、自身の写真を添えて「私顔が疲れてるのかな笑…」とコメント。「パパママちょっとしたら寝て勉強しよと思います」とつづった。
2017年06月25日歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が25日、自身のブログを更新。22日に亡くなった妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)への追悼メッセージが世界中から届いていることを明かした。海老蔵は、「世界中から」というタイトルで更新。「ロンドンの知り合いから中国でもアメリカからもみんな連絡をしてくれます」と報告。「まおどうして皆様ご存知なのかはわかりませんが、私改めてすごい妻を天から授かったのだと、おもうばかり、おもうばかりです、」と麻央さんの存在の大きさを改めて実感したという。また、「コメントありがとうございます」と題した今朝の投稿では、「朝起きてまおのところへ行きしばし話して、、、それから台本です。しかしこんなにも台本が頭に入らないのは初めてで、焦りを超えて愕然としています」と胸中を告白。「色々振り返ると振り返ると思い出すとやはり耐えられないかなしさが…耐えられないかなしさが、、涙で台本みれないし、見えたところで覚えられないしもう笑うしかないんです」と打ち明け、「多分まおも大変だねゴメンねと言いつつ真剣なわたしを観て可愛いとクスクスしていると思います、あはは」とつづっていた。
2017年06月25日ダウンタウンの松本人志(53)が6月25日放送の「ワイドナショー」(フジテレビ系)に出演し、22日夜に亡くなったフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)について言及。麻央さんは14年10月に乳がんの告知を受けて闘病中だった。 これまで同番組を通じて麻央さんの容態を案じてきた松本。麻央さんが闘病のさなかに開設したブログについても、「麻央さんのブログはよくニュースになっていた。すごく明るく、でもそればっかりやなくて、つらいときはつらいときで正直にブログに載せていて……」と、振り返った。 続けて松本は、「ああ、なんとか乗り越えてほしいなと思っていたんですけどね。本当、こういう人を“美しい人”というんじゃないですかね……」と、麻央さんの健闘をたたえた。松本は、麻央さんの夫である市川海老蔵(39)の会見の映像を見ながら目を潤ませ、ときおり指で涙を拭うような所作も見せていた。 いっぽう、この日出演していたHKT48の指原莉乃(24)は、麻央さんの訃報に対する報道のあり方に言及。麻央さん夫妻の自宅前を帰宅途中に通りかかった際、公表前にもかかわらず報道陣がいたと明かし、「身内が亡くなったかもしれないという状況で、なぜそこまで執着して……」と、苦言を呈した。 指原のこの苦言に対し、芸能リポーターの長谷川まさ子(54)は、「マスコミが事実確認をとるため、夜通し家の前にいる状況になってしまったことは確か」と、補足した。
2017年06月25日歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が、乳がん闘病中だった妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)を亡くしたことを明らかにした会見から一夜明けた24日、ブログを更新。麻央さんがいない悲しみをしたためながらも、「私は2人に恩を何十倍にもしてかえします」と子どもたちを支える決意をつづった。 「かなしささみしさがより現実的になっていく朝です」と心境を吐露した海老蔵。「今日から少しづつですが、おにぎりつくり40の手習い?今日からパパママもやります」と父として覚悟を記した。 続けて更新した記事では、長女・麗禾ちゃん(5)、長男・勸玄くん(4)と相撲をとる写真を公開。「とても辛いです。そんな時子供達の笑顔が皆を救ってくれる」と悲しみのなかでも気丈に振舞う子供たちに支えられていることを明かした。 つづけて「しかし2人にはお母さんがいません。これから2人には大きな心の戦いが待っています。2人の笑顔で救われていますが、私は2人に恩を何十倍にもしてかえします。そう決めました」と決意を新たにした。 そして「まおの思い元気になったらこうありたい!という気持ちを私も引き継ぎ。生きます。私では力不足ですが、私はまおの生きたかった行いたかった事をしていきます。まおと私は共に生きます。私の中にいつもある。そう思ってます。いついつまでも」と愛妻・麻央さんへの思いをつづった。 麻央さんは在宅治療中だった22日に容態が急変。同日夜に家族に見守られる中、息を引き取った。海老蔵は23日午後に会見を行い、報道陣に向けて「息を引き取る瞬間、『愛してる』と言って、本当にそのまま旅立ちました」と語った。
2017年06月24日歌舞伎俳優の市川海老蔵が23日、都内で東京・渋谷のBunkamura シアターコクーンで開催中の自主公演の合間に会見を行い、妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)が乳がん闘病の末、22日に亡くなったことを報告。約400人の報道陣の前で、麻央さんの最期の様子や麻央さんへの思いを、涙を流しながら語った。以下、会見での一問一答(3)――子供さんへの言葉で印象に残っていることは?心残りだったと思います。2人のことについては、どうすればいいんだろうと考えても、答えは出なかったことだと思います。ですから、いろんなことがあり、今回も子供たちが出演したり、7月にせがれが出るんですけど、見に来ることを1つの目標として、いろんなものを作ったんですけど。でも、きっと見ていると思うんでね。心配で心配でしょうがないんじゃないでしょうか。――海老蔵さんに託されたことは?多すぎて言葉に出せないですね。このあとも舞台もありますし、来月も舞台ありますし子供の舞台もありますし、勸玄の稽古、麗禾の成長のことも考えますし、5歳と4歳ですから、これからお母さんという存在が彼女や彼には非常に重要な存在なわけではないですか。それを失った。僕は代わりにはなれないですけど、できる限りのことをやっていこうと思っています。――麻央さんからよく聞いた言葉で思い出される言葉はありますか?やはり、言葉というか、お姉さまの麻耶さんが調子悪くなったとき、私が舞台で非常に疲れたときも、彼女自身はもっと重い病にかかっている、麻央の方が大変なのに、自分よりも相手のことを心配する優しさ、言葉ということではなくて、どこまでも自分よりも相手のことを思う気持ち…これがね、一番大きかったですね。――どんな奥さんでしたか?わかりませんね。僕を変えた奥さんなんじゃないですかね。――プロポーズのときに「来世も、その来世も」と。そのつもりです。その話もしました。僕が愛想を尽かされないように頑張らないといけない。――改めて今、麻央さんに伝えたいことは?まだ、昨日の今日なので、こういところも聞いていると思うんで、全部聞いていると思うんで、言うことは言わなくても伝わると思うんで。「いつも想ってる」ということですよね。(最後のあいさつ)麻央のブログや麻央の存在で励まされた方々がいらっしゃるということで、今回のこのような形もとらせていただいた。実際そういうことがなければ、このようなことをご報告する自体が形としてはどうかと思います。ですがそういう多くの麻央のことを応援してくださった方、また、麻央と共に戦っている方々、昨日先に旅立ちましたけど、ずっと麻央はきっと皆さんの側にもいると思うので。本当にいろいろ、ありがとうございました。
2017年06月24日歌舞伎俳優の市川海老蔵が23日、都内で東京・渋谷のBunkamura シアターコクーンで開催中の自主公演の合間に会見を行い、妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)が乳がん闘病の末、22日に亡くなったことを報告。約400人の報道陣の前で、麻央さんの最期の様子や麻央さんへの思いを、涙を流しながら語った。以下、会見での一問一答(2)――闘病の中で、笑顔、勇気、愛情を忘れずに闘ってこられた。おっしゃる通り、本当に笑顔と勇気と愛情、そして、決してブレない自分、そして、どんな状況でも相手のことを思う気持ち…愛ですよね。そういう力が最後までブレず、一昨日まで笑顔で話していて、昨日はちょっと調子が悪かったので。我々家族も急にそういう風になってしまったので、とまどった部分も多かったです。――お亡くなりになって麻央さんにどんな言葉を送ったか。この世にある、ありとあらゆる言葉を耳元で話していました。――麻央さんはどんな存在か。とにかく私を、どんな部分も、どこまでも愛してくれていた存在。できれば、ずっと一緒にいて、私の方が先に逝って、彼女にはもっと幸せにもっと楽しく、家族やお友達やご家族…麻耶さんやお父さまやお母さまといて、そして私が役者として成長する過程をずっと見守ってもらいたかった存在です。――麗禾ちゃんと勸玄くんの様子は?麗禾は昨日はずっと麻央の側を離れませんでした。そして彼女の横でずっと寝ると言って、寝てました。認識はしていると思いますね。勸玄はまだ、わかっているんですけど、わかっていないところもあって。今日の朝も麻央の横になっているところに、2人が麻央の顔を触ったり足をさすったり手を握ったり、そういうところを見ると、私が今後、背負っていくもの、やらなくてはならないこと…子どもたちに対してとても大きなものがあるなと痛感しました。勸玄はまだ、わかってますけどわかってないと思います――奥様からから学んだことは?元気になったら彼女は自分が歩んできた過程の病、乳がんやそれに伴う病に対して、自分が治ったらああしたい、こうしたい、多くの人の救いになれる存在になりたいと一生懸命闘病しました。それでブログも始めました。マスコミさんのおかげで公になって、ある意味、ありがたかったと思います。それでブログを始めて同じ病の人たちや苦しんでいる方々と苦しみや喜びを分かり合う姿は、私からするとなんか、人ではないというか、何というんですかね…すごい人だなと。言い方おかしいですけど、とにかく総合的に教わったこと、そしてまた、今後も教わり続けることは、愛なんだと思います。――思い出す麻央さんの表情は?全部です。始めて会った時の彼女から今日の朝まで全部ですね。――笑顔が多い?そうですね。多かったと思います。
2017年06月24日歌舞伎俳優の市川海老蔵が23日、都内で東京・渋谷のBunkamura シアターコクーンで開催中の自主公演の合間に会見を行い、妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)が乳がん闘病の末、22日に亡くなったことを報告。約400人の報道陣の前で、麻央さんの最期の様子や麻央さんへの思いを、涙を流しながら語った。以下、会見での一問一答(1)(冒頭のあいさつ)わざわざご報告をするようなことではないかもしれませんが、今朝、家の前にも多くのマスコミの方がいらっしゃいました。ご報告するということも一つの義務なのかと思いました。昨日夜に妻・麻央が旅立ちました。それによりいろいろとございます中で、家族の時間や、家族でしなくてはならないこと、家族で話すべきこと…そういった中で思った以上にみなさまに伝わったのが早かったということで、急きょこのように時間をつくっていただいたのは、多くの方にご迷惑のかからないように、そしてブログや、アナウンサー時代から妻のことを応援してくださった方々にご報告ということで、このような時間を設けさせていただきました。――麻央さんの最期はどのように看取られたのか。私は昨日も舞台で、それまで麻耶さんと麻央のお母さんが看病していました。私は昨日、舞台が終わった後にここで別の撮影がございまして、そのあとにロビーで別の稽古がありまして、そのときにお母様からLINEが来ていたんですけど僕は見る事ができませんでした。1時間半ほど遅れて見た内容が、「具合が悪い」と。「お医者様も来ていて、家族を呼んだ方がいい」というような内容で、私も慌てて急いで家に帰ったわけです。帰りますと、麻央はまだこの世にいてくれて、本当にたまたまなんですけど、私が妻の前に座って呼吸が苦しそうだったので大丈夫かなと。一昨日までしゃべれたんですけど昨日はずっとしゃべれずにいたので、これは不思議な話ですけど、息を引き取る瞬間、私は見ていました。その時、不思議なんですけども「愛してる」と言って…彼女がその一言を言って…泣いちゃいますよね(泣き笑い)、その一言。「愛してる」と言って、それでそのまま旅立ちました。「る」が聞こえるか聞こえなかったか、ちょっとわからなかったんですけど、「愛してる」と言って旅立ったのがちょっと…。なんというんでしょうか、こんなに愛されていたのはよくわかっていたんですけど、最後の最後まで愛してくれていたことに…。なんともいえませんね。すいません。どうしても昨日の今日で、何も準備もできていなくて、お見苦しいところをご覧入れて。――最期ご自宅で送ってあげることができたのは良かったと思いますか?それはとても良かったと思います。お母様もお父様も、私も、麻耶さんも、子供たちもずっとそばにいられたのですごく良かったなと。私は父を病院で亡くしているので…病院の時とは違い、家族の中で、家族と共に一緒にいられた時間は、本当にかけがえのない時間を過ごせたと思います。――お子さんも含めてご家族で送ることができた?そうですね。子供たちも見ていました。
2017年06月24日歌舞伎俳優の市川海老蔵が(39)が24日朝、自身のブログを更新。妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(去年34)が22日に亡くなったことを報告した会見から一夜明け、今の心境を打ち明けた。「おはようございます」というタイトルで更新した海老蔵は、「かなしささみしさがより現実的になっていく朝です」と悲しみを吐露。「おはようございます。皆様。今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ」とつづった。その後、「少しでも長くママのそばに」というタイトルでも更新し、「まおのところへ部屋は寒いのですが、布団をかぶり少しでも長くママのそばにいたいと」と麻央さんの近くで布団をかぶって横になっている長女・麗禾ちゃんの写真を掲載した。それでも、続いての投稿では、「ぶれずに」と題してトレーニングしている自身の写真をアップし、「今日も二回公演トレーニングします」とコメント。きょうも「第四回 自主公演 ABKAI 2017~石川五右衛門 外伝~」の舞台に立つ。海老蔵は23日の会見で、涙ながらに麻央さんの死を報告。「『愛している』と言ってそのまま旅立ちました」と最期の言葉を明かし、子供たちの様子や麻央さんへの思いなどを語った。
2017年06月24日フリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)が22日に亡くなったことを受け、所属事務所セント・フォースの代表取締役・久保地美晴氏が23日、公式サイトを通じてコメントを発表した。同氏は、「昨年6月の病の公表以降も、ご家族の身を尽くされたご看病のもと、懸命に病と闘って来られましたが、昨日22日、誠に残念ながら逝去されました」と報告。「いつも周囲のスタッフや出演者の方々に温かい心配りを忘れない、そして自然と周りを笑顔にする、本当に心優しいお人柄でした」と生前の麻央さんを偲ぶ。「アナウンサーとしての活動は7年余りでしたが、皆様に愛され、たくさんの素晴らしいお仕事に恵まれ、充実した時間を送られたと思います。また、そのような時間を共に過ごさせて頂いたのは、本当に幸せでした」と回顧し、「病を公表してからの皆様の温かい励ましのお言葉、改めて本当に有難うございました」と周囲の支えに感謝した。以下、全文。○所属事務所コメント皆様へ平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申しあげます。弊社所属の小林麻央さんは、昨年6月の病の公表以降も、ご家族の身を尽くされたご看病のもと、懸命に病と闘って来られましたが、昨日22日、誠に残念ながら逝去されました。いつも周囲のスタッフや出演者の方々に温かい心配りを忘れない、そして自然と周りを笑顔にする、本当に心優しいお人柄でした。アナウンサーとしての活動は7年余りでしたが、皆様に愛され、たくさんの素晴らしいお仕事に恵まれ、充実した時間を送られたと思います。また、そのような時間を共に過ごさせて頂いたのは、本当に幸せでした。また、病を公表してからの皆様の温かい励ましのお言葉、改めて本当に有難うございました。皆様におかれましては、どうぞご家族の御心情をお察し頂き、今はどうか静かに見守って頂けますよう、心よりお願い申し上げます。平成29年6月23日株式会社セント・フォース代表取締役久保地美晴
2017年06月23日ものまねメイクで人気のタレント・ざわちんが23日、自身のブログを更新し、22日に34歳で死去したフリーアナウンサーの小林麻央さんの優しさに感激したエピソードを明かし、感謝の思いをつづった。ざわちんは「小林麻央さんがお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈り致します」と追悼。「小林麻央さんとは直接お会いできなかったのですが、実は大変お世話になったことがあります」と切り出し、2014年に海老蔵からブログを通して本人のものまねメイクのリクエストを受け、12月6日の海老蔵の誕生日にプレゼント代わりにものまねメイクを公開しようとしたときのエピソードを書き出した。その際、「目元を似せれてもあのヘアは厳しい」と悩み、麻央さんと以前から知り合いだったというマネージャーが麻央さんに相談。すると、「ご丁寧に海老の家紋のある海老蔵さんの手ぬぐいをわざわざ二枚も送ってきて戴きました」と、麻央さんから海老蔵の手ぬぐいが届いたという。ざわちんは「麻央さんから送って戴いた手ぬぐいで頭をおおって、市川海老蔵さん風ものまねメイクが完成したのです」と振り返り、「その時、本当に優しい方だな、今度お会いしたときにお礼を言わないと、思っていました」とつづった。続けて、「麻央さんからマネージャーを通して海老蔵さんの歌舞伎もお誘い戴いていたのですが、スケジュール合わず行けず、お礼を言うことができませんでした」と明かし、「麻央さん、お礼の言葉が遅くなりました。本当に本当にありがとうございました」と感謝。「海老蔵さんのものまねメイクは麻央さんから戴いた手ぬぐいがあったからこそ完成できましたよ」と話しかけるように記し、「常にまわりのことを考えて気配りされるお優しさが心にしみました。あらためて小林麻央さんのご冥福を心からお祈り致します」と悼んだ。
2017年06月23日本日6月23日(金)、乳がんで闘病中だったフリーアナウンサーで歌舞伎役者・市川海老蔵の妻の小林麻央さんが、亡くなったことが報じられた。この度日本テレビでは、小林さん死去の一報を受け、26日(月)に緊急特番「小林麻央さん追悼番組~優しく強く生きた34年~」を放送することが分かった。昨年乳がんを公表し、闘病を続けてきた小林さん。海老蔵さんの妻として、2人の子どもの母として、そしてキャスターとして世の中の人たちに多くの勇気を与えてくれた。番組では、小林さんがその34年の生涯を通じて、何を伝えようとしてきたのか。これまでの日本テレビの取材、そして新たな取材を加えて、彼女の強さ、そして優しさを描くという。26日(月)は、スタジオから生放送。「NEWS ZERO」のメインキャスター・村尾信尚を始め、ラルフ鈴木アナウンサー、鈴江奈々アナウンサーらが出演する。「小林麻央さん追悼番組~優しく強く生きた34年~」は6月26日(月)21時~日本テレビ系29局ネットにて放送。(cinemacafe.net)
2017年06月23日