2024年11月15日、三笠宮妃百合子さまが、東京都中央区の聖路加国際病院で亡くなられました。明治以降の皇室で女性皇族としても最高齢の101歳でした。産経ニュースによると、百合子さまは脳梗塞と誤嚥性(ごえんせい)肺炎のため、同年3月に同病院に入院されていたといいます。1923年6月4日生まれである百合子さまは、昭和天皇の弟で2016年に100歳で薨去(こうきょ)した三笠宮崇仁親王さま(以下、三笠宮さま)とご結婚後、寬仁親王殿下、桂宮宜仁親王殿下、高円宮憲仁親王殿下、甯子(やすこ)さま、容子(まさこ)さまの3男2女をご出産。三笠宮さまと75年に渡り連れ添われました。三笠宮ご夫妻また百合子さまは、歴史学者でもある三笠宮さまとともに国際親善に努め、中近東地域を史跡調査でご訪問。映画やスライドを撮影し、三笠宮さまの講義の資料収集に内助の功を発揮されたといいます。そのほか、恩賜財団母子愛育会の総裁を就任し、母子保健に関する活動にご尽力されたほか、日本赤十字社名誉副総裁や、公益社団法人東京慈恵会総裁、国際柔道連盟アンバサダーなど、各分野の普及や発展に貢献されてきました。百合子さまは料理にも強くご関心があり、2冊のレシピブックを出版されています。ご著書においては、被災地である福島県などの生産者の人々への思いやりのお気持ちがつづられていたといいます。晩年、百合子さまは、東京都港区にある赤坂御用地の三笠宮邸で、孫やひ孫の成長を楽しみに過ごされていたそうです。激動の時代を生き抜き、国民の幸福を祈り尽力されてきた、百合子さまの安らかな旅立ちを、多くの人々が願っているでしょう。[文・構成/grape編集部]
2024年11月15日・なんと…。皇族のようだ。・大仏っぽさもちょっと感じられる。・ご利益がありそうで、つい拝んでしまいました。こうしたコメントが寄せられているのは、チンチラのくまおくんと一緒に暮らす、飼い主(@neko_no_hanatan)さんがXに公開した1枚の写真です。くまおくんの姿が皇族や大仏に重なるとは一体、どれほどの気品があふれているのでしょうか。飼い主さんが奇跡的に写真に収めた、くまおくんの姿をご覧ください。まるで仏のよう…!当時、くまおくんは強い眠気に襲われていたのでしょうか。両目をほそぼそと開いています。うっすらと両目を開きながら、肉球を外側に向ける形で右前脚を掲げる様子からは、どこか『神々しさ』を感じませんか。「我、チンチラなり…」と心の中でつぶやきながら、無言の圧を飼い主さんに送っているようにも見えますね。こんな『神々しい姿』で大量のエサを求められたら、大人しく差し出すしかなさそうです…![文・構成/grape編集部]
2024年10月06日日本時間2024年6月26日、イギリスを訪問中の天皇皇后両陛下が、バッキンガム宮殿で行われたチャールズ国王夫妻主催の公式晩さん会に臨席。イギリス王室の歓迎が豪華だと、ネット上で話題になっています。チャールズ国王「イギリスに『お帰りなさい』」産経ニュースによると、晩さん会には、王室や政府、各界の関係者ら約170人が出席し、天皇陛下はチャールズ国王から贈られた、イギリス最高位の『ガーター勲章』を着用して会場に入られたとのこと。チャールズ国王は「イギリスに『お帰りなさい』」とスピーチを切り出し、天皇陛下にほほ笑みかけたそうです。続けてチャールズ国王は、両国が「諸外国とは異なる絆を共有しています」と説明し、「カンパイ」と日本語で杯をあげました。次に、天皇陛下は「両国には、友好関係が損なわれた悲しむべき時期がありました」と語り、「両国の未来の友好のために力を尽くしてこられた人々に、皇后と共に深い敬意と感謝の念を表します」と英語で言葉を述べたといいます。天皇陛下とチャールズ国王の写真にネット反響晩さん会の前日である25日には、『ザ・マル』と呼ばれる大通りでパレードに参加された天皇皇后両陛下。天皇陛下はチャールズ国王と、天皇皇后はカミラ王妃と同じ馬車に乗り、沿道に集まった人らに手を振って応じられました。大勢の砲兵隊と馬車が集まったパレードの光景に、さまざまな声が上がっています。・歓迎ムードで嬉しい。・パレード、圧巻すぎる!・ここまで豪華にしてくれたのがすごい!イギリス王室に感謝。・美しくて、かっこいい。素晴らしい国のつながりですね。戦争を経て、現在は天皇皇后両陛下がここまで歓迎されるようになった、日本とイギリスの関係。これからも、両国の良好な交流が続くことを願います。[文・構成/grape編集部]
2024年06月26日小室圭さん。一刻も早く、合格して妻の眞子さんを安心させたいところだ。「結婚や恋愛において自由は尊重されるべきですが、眞子さんは将来的には天皇の姉となるのですから、国民に納得されるような結婚生活が送れるのが理想。まだまだ、小室さんはその途上だと思います」皇室ジャーナリストの近重幸哉さんはこう語る。過去にも、降嫁した女性皇族の夫が話題になることはあった。これまでの事例を振り返りつつ、その後の経歴を追ってみよう。■千政之さん(容子さん夫)三笠宮家次女の容子さんが結婚したのは、千政之さん。現在、千利休を祖とした茶道裏千家の家元である16代千宗室を名乗っている。「容子さんが4歳上の姉さん女房ということも当時は話題になりました」(近重さん)長男の妊娠が判明したときの本誌取材に、政之さんは《(生まれてくる子供の性別は)どちらでも……。ただ理想をいえば、男の子だと裏千家17代目ということになりますから、私も安心して飛行機に乗ることができます》と語った。願いはかなったが、「自由な発想をお持ちになっている」(皇室担当記者)という容子さんの性格を受け継いでか、長男は裏千家を継がずに詩人に。次男が家元修業中だ。■黒田慶樹さん(清子さん夫)「上皇陛下の長女、清子さんの夫・黒田慶樹さんは、秋篠宮さまの学習院初等科からのご学友。とはいえ、サラリーマン家庭に育ち、庶民感覚をお持ちです」(近重さん)三井銀行にいったん入行したが、31歳で退職し、東京都庁の職員に。「カメラが趣味で、都庁のある新宿のカメラ店に立ち寄ることもあるそうです」(近重さん)都内“億ション”を購入した際の、3000万円の住宅ローンも完済。都庁では都市整備部門を担当し、2021年に統括課長職へ出世した。■千家国麿さん(典子さん夫)「高円宮家次女の典子さんと、出雲大社の権宮司・国麿さんとの結婚は2014年。千家家は、皇室と同じように古い歴史をもつ家。歴史的な慶事と話題に」(近重さん)國學院大學文学部神道学科卒の国麿さんは、乃木神社、石清水八幡宮を経て、’05年に出雲大社へ。「結婚後、公の場で国麿さんの姿はあまりお見かけしません。でも、元気で仕事をしているという話も聞きます」(地元関係者)■守谷慧さん(絢子さん夫)高円宮家の三女・絢子さんと結婚した守谷慧さんは、日本生まれのフランス育ち。帰国後は私立高輪中学・高校、慶應義塾大学文学部を経て、2009年に日本郵船に就職。NGO「国境なき子どもたち」での活動を通じ、絢子さんの母・久子さまと慧さんの母・季美枝さんにご交流があった縁で2人は知り合った。2015年に季美枝さんは亡くなるが、母の遺志を継ぎ、慧さんは「国境なき子どもたち」理事に。2018年、2人は晴れて結婚する。仲むつまじく、8月には第2子が生まれる予定と報じられている。3人が旧華族、4人が学習院出身と同質的だった元皇族女性の結婚相手も時代を経るごとに多様になっている。新時代の小室圭さんと眞子さん夫婦がどのような道を歩むか温かく見守りたい。
2022年07月29日「皇宮警察は『週刊新潮』報道の対応に追われています。もちろん皇族の方々も衝撃を受けられたことと思います。皆さまが外出する際には、必ず皇宮護衛官が同伴しますし、ときには個人的な会話をすることもあるわけですからね……」そう言ってため息をつくのは宮内庁関係者。皇族方や皇居などの皇室施設を護衛する皇宮警察の職員は1千人ほど。武道以外にも和歌や茶道などの教養も必須で、高い倫理観も求められている。そんなエリート集団の“劣化”を、6月16日発売の『週刊新潮』が報じたのだ。「皇宮警察内部で皇族方への悪口が横行しているというのです。幹部職員が、初等科時代の愛子さまを口汚く罵っていたり、三笠宮家の彬子さまや瑶子さまの容姿に関する誹謗を口にする職員もいるという証言などが掲載されています」(皇室担当記者)前出の宮内庁関係者も、皇宮警察官が吐露した不満について耳にしたことがあるという。「ある皇族がご公務のために外出され、護衛を担当したそうですが、公務が終わった後にも、別の要件で皇族が夜遅くまで居残られることになったのです。思わぬ残業に、護衛官は思わず『何でだ!』と、不満を口にしてしまったそうです。人間だから仕方がないとも思いますが、任務に関する自覚が薄いといわれても仕方がないですね。そうした護衛官たちの態度が当の皇族に伝わり、更迭されたケースもあったと聞いています。少し前ですが、陰で悪口を言われていたことを知ったある皇族が、こんなことをおっしゃっていました。『悲しくなりましたが私たちは“皇警さん”がついていないと外に出られないので、静かに事実を受け入れるしかありません』と……」問題は悪口ばかりではない。「最近も天皇ご一家を担当する護衛第一課所属の男性護衛官が、金銭苦のためにパチンコ店でジャケットなどを盗んでいたことが発覚しました。また一部の皇宮警察官による、皇族方の外出に関する“情報漏洩”も宮内庁内で問題視されています。ある幹部職員が懇意にしているマスコミの記者に外出情報を伝えており、その会社ばかりが、皇族のお姿を撮影していたというものです」(前出・皇室担当記者)こうした“裏切り”に愕然とし、いちばん怒っていらっしゃるのが紀子さまだという。「『週刊新潮』の記事にも、渋滞にはまると機嫌が悪くなるという紀子さまのお顔について、皇宮警察官が揶揄しているという証言がありました。しかしそれ以上に紀子さまが憂慮されているのは、情報漏洩について。悠仁さまの外出に関する情報が漏れたことにより、危険な事態になったらどうするのか、ということです。当該職員らの更迭を含めて“粛清”を求められていると聞いています」(前出・宮内庁関係者)皇宮警察が、失ってしまった皇族方からのご信頼を取り戻すことはできるのか。
2022年06月21日6月9日は雅子さまご成婚記念日。’58年の創刊以降、『女性自身』が見届けた皇族のご結婚は13回。プリンセスの美しいドレス姿やはにかむ笑顔、描く家族像は国民の関心の的であり、日本社会の結婚観をも左右した。ドラマチックなご結婚の数々を振り返りますーー。【’59年】上皇后 美智子さま上皇陛下との“テニスコートの恋”から、初めて民間から皇室へお輿入れされ「世紀のご成婚」と言われた。美智子さまは当時「ミッチー」と呼ばれ、多くの国民が魅了された。リボンが印象的なローブ・デコルテは、クリスチャン・ディオールがデザインしたものだった。【’60年】昭和天皇の五女 島津貴子さん称号の「清宮(すがのみや)」と名前の頭文字から「おスタちゃん」と親しまれた貴子さん。21歳で薩摩藩主の末裔で旧伯爵家の島津久永さんと結婚。当時、会社員の花嫁となったことも話題に。【’64年】常陸宮妃 華子さま旧伯爵家の津軽家から上皇陛下の弟宮、常陸宮さまと結婚された華子さま。一度のお見合いで決めた旧伯爵家からのお輿入れは、皇族や旧華族などの要望が強かったと言われた。【’66年】三笠宮家の長女 近衞甯子さん三笠宮崇仁さま(故人)の長女。熊本・細川家から母の実家の近衞家に養子に入った忠煇さんと結婚。学習院女子中・高等科の同窓会「常磐会」の会長を務めたことも。【’80年】寛仁親王妃 信子さま「ヒゲの殿下」と親しまれた寬仁さま(故人)からは、高校生のときにプロポーズを受けられ、8年後にご結婚。「トモさん」「ノンチ」と呼び合う仲だった。寬仁さまと兄の麻生太郎自民党副総裁は若いころからの友人。【’83年】三笠宮家の次女 千容子さんスイスの学校やパリのソルボンヌ大学で学び、奔放な宮様と言われた容子さん。帰国後、年下の茶道裏千家宗家16世、千宗室さんと結婚。現在、2男1女の母である。【’84年】高円宮妃 久子さま高円宮さま(故人)から「Will you marry me?」とプロポーズされ、「Yes.」とお受けしたことで有名。高円宮さまは夜中に久子さまのお父さまに会い、結婚の了承を得たという。【’90年】皇嗣妃 紀子さま秋篠宮さまとは学習院大学で出会い、“キャンパスの恋”として話題に。プロポーズは、大学近くでの信号待ちのときだった。昭和天皇の崩御から1年たたずのご婚約に批判する声も出たが、紀子さまの笑顔が人気となり、ご結婚は平成最初の皇室の明るいニュースとなった。記念写真の撮影合間に、秋篠宮さまの御髪を整えられる紀子さま。有名な一枚だが、撮影が許された時間外での写真だったため当初は宮内庁が公開を拒否していた。【’93年】皇后 雅子さま’86年に東宮御所で催されたスペイン・エレナ王女の歓迎レセプションで出会われたお二人。天皇陛下はそのときの会話で心をつかまれ、雅子さまを一途に思い続け7年越しでプロポーズされた。ご結婚当日のドレスは美智子さまから贈られた絹地「明暉瑞鳥錦(めいきずいちょうにしき)」から作られ、森英恵がデザインした。芦田淳デザインのドレス姿の雅子さま。ご結婚後、6回催された宮中饗宴の儀では、優美なドレス姿で世界中からの賓客を魅了された。【’05年】上皇陛下の長女 黒田清子さん秋篠宮さまの学習院時代からの友人で、都庁職員の黒田慶樹さんと結婚。帝国ホテルでの披露宴の装いは、清子さんが好きだった映画『ルパン三世カリオストロの城』のヒロイン、クラリスのドレスを模しているといわれる。【’14年】高円宮家の次女 千家典子さんお母さまの久子さまと親交のある出雲大社の宮司を務める千家家の長男、国麿さんと結婚。出雲大社での結婚式でお召しの大正天皇の后・貞明皇后ゆかりの袿袴(道中着)の装いが注目された。【’18年】高円宮家の三女 守谷絢子さん日本郵船勤務の守谷慧さんとの結婚は、ハンサムなエリートとの理想的な結婚と言われ、国民から支持された。明治神宮で挙式の後、ホテルニューオータニで披露宴が催された。【’21年】秋篠宮家の長女 小室眞子さん小室圭さんと国際基督教大学で出会い’17年に婚約が内定したが、小室家の金銭問題が発覚し結婚が延期に。この間、多くの国民に心配されたが、’21年、皇室の一連の儀式を執り行わずに結婚。当日、記者会見を開いた。
2022年06月04日2021年12月5日、天皇、皇后両陛下の長女である愛子さまが、成年行事に臨まれました。東京都千代田区にある皇居の宮殿『鳳凰(ほうおう)の間』で両陛下にあいさつを行い、報道陣に姿を見せた愛子さま。美しい純白の『ローブ・モンタント』を身にまとい、ティアラと勲章を着けた、女性皇族の正装姿で「おはようございます」と述べました。愛子さまが身に着けているのは、この日に天皇陛下から親授された、『宝冠大綬章(ほうかんだいじゅしょう)』。授与が女性のみに限定された日本唯一の勲章であり、古代の女帝の冠を模した宝冠を中心に、周囲には真珠と竹枝、桜の花葉がデザインされています。愛子さまの気品あふれるお姿に、ネットからは「お美しい」「凛としたたたずまいが素敵」といった声が上がりました。産経ニュースによると、両陛下は、愛子さまが成年皇族として健やかに歩まれることを願われているといいます。同月1日に20歳の誕生日を迎えられた、愛子さま。両陛下は1人の親として、我が子の幸せな人生を心から祈っていることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年12月05日ついに皇室を離れ、新しい世界への一歩を踏み出した小室眞子さん。はたして、先人たちは皇室の外でどのような人生を歩み、どう生きているのだろうか。元女性皇族たちの今を追ったーー。「小室眞子さんの結婚は、義母となった佳代さんの金銭問題もあり、祝福ムードとは言えない状況でした。これまで降嫁した元女性皇族のお相手の男性は、旧華族や旧家出身であったり、親や本人が皇族方と交流がある人ばかりでしたので、今回のような問題は起きなかったのです。また“皇室利用されない”という観点から、皇族のお相手は公的職業や、競争社会から距離を置いた人が多いのも特徴です。生き馬の目を抜くようなニューヨークで弁護士生活をスタートさせる小室さんの今後も、注目されるのではないでしょうか」そう語るのは、皇室ジャーナリストの近重幸哉さんだ。この先、小室眞子さんはどのような生活を送るのか。そのヒントとなる、天皇の娘であったかつてのプリンセスたち3人の“今”を追った。【黒田清子さん(52)】続柄:上皇陛下長女、紀宮結婚時期:2005年11月15日一時金:1億5,250万円夫:黒田慶樹さん(56)門閥:−結婚時の夫の仕事、その後の主な経歴:東京都職員結婚に至る経緯:兄である秋篠宮さまのご学友である慶樹さんとは顔見知りだった。清子さんが33歳のころに久しぶりに再会し、仲が深まり結婚に至った。「’17年から伊勢神宮の祭主をされており、お祭りのときはその姿を目にすることができます」皇室ジャーナリストの久能靖さんはそう語る。“サーヤ”の愛称で親しまれた清子さんは美智子さまのよき理解者でもある。「上皇后が失声症に悩まされたときもメモを介して、相手との間に入ってコミュニケーションをとったのが清子さんです」(久能さん)’05年、兄の秋篠宮さまの学習院時代のご学友で、東京都職員の黒田慶樹さんと結婚。’06年には都内の高級マンションを夫婦で共同購入した。購入額は1億円といわれ、清子さんが持ち分3分の2、慶樹さんが3分の1で、慶樹さんのみ3,000万円の住宅ローンを組んだ。「清子さんは、ごく普通に地元商店街で買い物をしています。また、コロナ禍以前はご自分で車を運転して、上皇上皇后両陛下へ会いに行き、身の回りの世話や、お話し相手をされていたそうです」(近重さん)今年、夫の黒田さんは都市整備局の都市計画課長から同統括課長へと昇進した。3月には住宅ローンも完済している。夫婦ともに生活は充実しているようだ。【池田厚子さん(90)】続柄:昭和天皇四女、順宮結婚時期:1952年10月10日一時金:700万円夫:池田隆政さん(享年85)門閥:旧岡山藩主池田侯爵家結婚時の夫の仕事:実業家その後の主な経歴:池田動物園園長など結婚に至る経緯:2人ははとこにあたる。厚子さんの岡山県訪問時に初対面し、文通で仲を深めたという。結婚後、池田動物園を開園。夫の没後は厚子さんが園長を務めている。「昭和天皇の第4皇女の池田厚子さんは、非常に穏やかで奥ゆかしい方です」(久能さん)夫の池田隆政さんは、旧岡山藩主・池田家の子孫。結婚翌年の’53年、厚子さん夫婦は地元のために池田動物園を開園した。「厚子さん自ら動物園のチケットもぎりをしたり、売店にも立ち、苦労もされたそうです」(近重さん)近年、全国の動物園が経営難に直面しているが、池田動物園も例外ではない。コロナ禍でさらに危機に瀕する。園の存続に、厚子さんが私財を投じているという話も。「池田動物園をおうえんする会」の事務局によると、「かつて来園した子どもたちが親となり、子どもたちを連れてきてくれます。思い出をつないでいく場所なのでなんとか残したい。池田さんも同じ気持ちだと思います」また、厚子さんは伊勢神宮の祭主を長年務めてきたが、’17年に黒田清子さんに継承している。【島津貴子さん(82)】続柄:昭和天皇五女、清宮結婚時期:1960年3月10日一時金:1,500万円夫:島津久永さん(87)門閥:旧薩摩藩主島津伯爵家結婚時の夫の仕事:日本輸出銀行その後の主な経歴:ソニー取締役→山階鳥類研究所理事長(現在は退任)結婚に至る経緯:こちらもはとこ同士の結婚。前年には上皇陛下と美智子さまがご結婚さ れており、相次ぐ皇室の慶事に世間はにぎわった。「昭和天皇の第5皇女。『清宮(すがのみや)貴子内親王』の『す』と『た』をあわせた『おスタちゃん』の愛称で親しまれていました」(近重さん)夫の島津久永さんは、上皇陛下の学習院時代のご学友だった。「貴子さんは明るく活発な方です。上皇陛下が美智子さまと出会われたのは軽井沢のテニスクラブですが、テニスのトーナメントがあるからと、軽井沢にお兄さまの上皇陛下をお誘いしたのが貴子さんです」(久能さん)結婚後、ブティックの仕事に就くなど、働く女性の先駆けだった。「このように活動的である半面、誘拐未遂事件が起きたことがあります。それを機に、降嫁された元皇族にも、一定期間、警備がつくようになりました」(久能さん)それでも、貴子さんは働く女性のスタイルを守り続け、’05年までプリンスホテルの取締役を務めた。
2021年10月28日「小室眞子さんの結婚は、義母となった佳代さんの金銭問題もあり、祝福ムードとは言えない状況でした。これまで降嫁した元女性皇族のお相手の男性は、旧華族や旧家出身であったり、親や本人が皇族方と交流がある人ばかりでしたので、今回のような問題は起きなかったのです。また“皇室利用されない”という観点から、皇族のお相手は公的職業や、競争社会から距離を置いた人が多いのも特徴です。生き馬の目を抜くようなニューヨークで弁護士生活をスタートさせる小室さんの今後も、注目されるのではないでしょうか」そう語るのは、皇室ジャーナリストの近重幸哉さんだ。この先、小室眞子さんはどのような生活を送るのか。そのヒントとなる、かつてのプリンセスたちの“今”を追った。4人は、みな故・三笠宮崇仁親王の子や孫であるが、生き方はそれぞれだ。【近衞寧子さん(77)】続柄:三笠宮家長女結婚時期:1966年12月18日一時金:2,790万円夫:近衞忠輝さん(82)門閥:旧五摂家近衞公爵家結婚時の夫の仕事:日本赤十字社勤務その後の主な経歴:日本赤十字社社長→同社名誉社長結婚に至る経緯:忠煇さんの母方の祖父は近衞文麿。近衞家の当主が不在になったため、養子に。甯子さんは夫の転勤にあわせ海外生活も経験。三笠宮崇仁親王と百合子さまの間に生まれた第1女子。学習院大学在学中に近衞忠輝さんと結婚。「近衞家といえば、公家の名家中の名家といえる五摂家の一つ。忠輝さんは、総理大臣を務めた細川護煕さんの実弟です」(近重さん)結婚後、寧子さんは本誌の取材に対し、皇籍離脱について、「感慨?そうね……それよりむしろ、結婚するという感慨のほうが強かったから、あんまり感じませんでした。(中略)それは内親王だからというより、女の子が結婚するとき、だれでもいだく複雑な気持ちじゃないかしら?」と、すき焼き店で答えている。「会合などに出席すると、寧子さんの周囲には自然と人が集まるそうです。こうした求心力もあり、長年、学習院女子部の同窓会『常磐会』会長を務め、今年6月に名誉会長に就任しました」(近重さん)【千容子さん(70)】続柄:三笠宮家次女結婚時期:1983年10月14日一時金:9,180万円夫:千政之さん(65)門閥:裏千家結婚時の夫の仕事:裏千家次期家元その後の主な経歴:裏千家家元結婚に至る経緯:フランスでの留学生活も経験した容子さん。当時としては遅めの31歳のときに、政之さんと結婚。2男1女に恵まれた。三笠宮崇仁親王と百合子さまの間に生まれた第2女子。近衞寧子さんの妹にあたる。「’83年に嫁いだ先は、千利休を祖とする茶道の流派・裏千家。5歳下の夫の千宗室さん(本名・政之)が現在の家元です」(近重さん)’18年、本誌は容子さんの詩人として活動している長男を取材している。そこで母親のことを「宮さまはじめ、皇族の方々は大きな声ではなく、聞きやすいように一定の調子で、美しく、穏やかにお話しになられる。母も同じで、日常で使う『ごきげんよう』『ごめんあそばせ』など、古いおうちなら珍しくない言葉ですが、板についているというか、絶対的な“何か”がありました」と語っている。また、長男が家元を継がず、詩人の道を歩むことに対しての母の反応は、「すごく自由な人で、子を尊重してくれました。母が皇室という世界から降嫁してきたからこそ、一人の人間として、自由に生きたいという思いを強く持っているためかもしれません」現在は、家元である夫、次期家元の次男を支えているという。【千家典子さん(33)】続柄:高円宮家次女結婚時期:2014年10月5日一時金:1億675万円夫:千家国麿さん(48)門閥:出雲国造結婚時の夫の仕事、その後の主な経歴:出雲大社権宮司結婚に至る経緯:古くから出雲を治めた出雲国造の子孫であり、出雲大社の宮司・千家家に嫁いだ。結婚式は出雲大社で行った。高円宮家の第2女子である典子さんと、大国主大神を祀る出雲大社の権宮司・千家国麿さんの結婚は、“歴史的慶事”と報じられた。だが、夫婦の目撃情報は乏しく、心配する声もあると、千家家と交流のある関係者が語る。「’16年に夫婦の家が新築されましたが、国麿さんをお見かけすることはありません。お母さまの久子さまが島根を訪問されたときは、典子さんと近くのワイナリーで焼き肉を楽しまれたそうですが、その席にも国麿さんはいらっしゃらなかったようです」一方、夫の実家との仲は良好だ。「何かの会合や集まりに、典子さんが国麿さんのご両親と一緒に参加しているのを見かけます。国麿さんのお母さまと仲がよく、一緒に買い物をされたり、音楽を聴きに行ったりしているようです」(前出・関係者)出雲大社で犬を遊ばせているジーパン姿の典子さんも目撃されており、出雲の土地にすっかりなじんでいるようだ。【守谷絢子さん(31)】続柄:高円宮家三女結婚時期:2018年10月29日一時金:1億675万円夫:守谷慧さん(35)門閥:−結婚時の夫の仕事、その後の主な経歴:日本郵船社員(国境なき子どもたち理事)結婚に至る経緯:社会福祉士の資格をもつ絢子さん。NGO団体「国境なき子どもたち」の副会長だった慧さんの母と、絢子さんの母の久子さまにご交流があった縁で知り合った。高円宮家の第3女子・絢子さんが’18年に結婚した守谷慧さんは日本郵船社員。NGO法人「国境なき子どもたち」の副会長だった慧さんの母・季美枝さん(故人)と、絢子さんの母である久子さまは同団体の活動を通じて交流があった。「母の遺志を継ぎ、この団体の評議員をしていた慧さんを、久子さまは絢子さんに紹介されたのです」(近重さん)こちらの“けいさん”は最初から親公認だったのだ。「絢子さんは福祉分野に興味を抱き、城西国際大学の福祉総合学部で学ばれました。子どもたちを支援する守谷さんの活動にも思いを寄せたのでしょう」(近重さん)’19年11月には2人の間に長男の穣くんが誕生。絢子さんに顔立ちがそっくりだという息子の育児に奮闘しているという。これまで結婚して一般人となった元皇族は、天皇の娘であった黒田清子さん(52)、池田厚子さん(90)、島津貴子さん(82)の3人をあわせて7人。それぞれが違う人生を懸命に生きている。8人目の眞子さんはどんな道を歩むのか。第二の人生は始まったばかりだ。
2021年10月28日日本選手のメダル獲得が続く東京オリンピック。日本中がスポーツの素晴らしさを実感しているが、天皇皇后両陛下、上皇ご夫妻、皇族方も同様に、選手たちの活躍を応援されている。実は皇族方もスポーツに親しまれているが、残念ながらそのお姿に接することは難しい。貴重な写真とともに、皇族方の“スポーツ愛”が伝わるエピソードを振り返ろう。スポーツ好きと知られているのが、雅子さまだ。今回の東京オリンピックでも、ソフトボールに強い関心を持たれていたという。皇室担当記者はこう語る。「雅子さまは、中学高校時代にはソフトボールに熱中されていました。母校の田園調布雙葉学園中等部にはソフトボール部がなかったのですが、学校と粘り強く交渉して、ソフトボール部を新たに立ち上げられたのです。アメリカの高校に転校されてからもソフトボールチームに所属され、強打者として活躍していました。小学生時代に軽井沢で初めてゴルフをされている写真が残っているのですが、そこからもスイングの力強さが伺われます」■天皇陛下はソフトボールの試合でヒットを連発東京五輪名誉総裁を務められている天皇陛下も、小学校時代には野球やソフトボール、テニスなどを楽しまれていた。「天皇陛下はジャイアンツファンで、特に末次選手がお好きでした。また、小学校5、6年生の夏休みには、ご静養先の奥浜名湖で、地元の小学生とソフトボールをして交流されています。なかなかお上手で、ヒットを連発されたことは当時話題になりました。また、奥浜名湖では、上皇陛下のご指導で水泳の特訓も受けられていました」(前出・皇室担当記者)天皇皇后両陛下の愛娘である愛子さまにも、スポーツ好きは受け継がれている。バスケットボールやソフトボールがお好きで、中学高校時代にはクラス対抗試合で活躍をされていた。さらに、幼いころから乗馬にも雅子さまとご一緒に親しまれている。■上皇ご夫妻、秋篠宮ご夫妻はテニスで絆を深められて秋篠宮さまと紀子さまは、テニスをなさる姿が新婚のころからよく報じられていた。軽井沢では上皇ご夫妻や天皇陛下とプレイされ、鎌倉のテニスコートでも地元の方達と楽しまれている。「秋篠宮殿下はテニスをお始めになったころからセンスがよく、とても強かったそうです。それから眞子さまと佳子さまは小学校時代、お二人ともかけっこが速かった。さらに佳子さまは、初等科の運動会の障害物競走で一位になるなど機敏さもお持ちのようです」(前出・皇室担当記者)テニスといえば、印象深いのは上皇陛下と美智子さまだ。お二人の出会いは夏の軽井沢のテニスコートでのトーナメントだった。「出会いとなった試合では、上皇陛下と早大生のペアが、美智子さまとカナダ人の少年ペアに惜敗しています。試合後、上皇陛下は『あんなに粘り強く正確に返されたらかなわない』と、ご友人にお話しになったそうです」(前出・皇室担当記者)また、上皇陛下は乗馬好きとしても知られる。学習院在学中には馬術部に所属され、高校時代には主将として関東リーグ戦で優勝もされているのだ。まだまだ続く東京五輪。両陛下は、お住まいの赤坂御所で、会場で観戦できなかった種目も含め多くの競技をご覧になっているそう。日本選手の活躍には、愛子さまと歓喜の声を上げていらっしゃるという。今後も日本選手の活躍に、大いに期待が高まる。
2021年08月07日7月22日は海の日。天皇ご一家の海辺でのご様子といえば、神奈川県の葉山御用邸と静岡県の須崎御用邸が思い浮かぶ。なかでも皇族方が例年8月、夏の海を楽しまれるのが、静岡県の伊豆・下田にある須崎御用邸だ。伊豆半島南東のほぼ先端、下田市須崎の岬の上に建っている御用邸は、太平洋を見渡せる絶好のロケーション。敷地内には三井浜と呼ばれる小さな海岸があり、その浜で上皇ご夫妻、天皇ご一家、秋篠宮ご一家は海水浴を楽しまれてきた。皇室の方々は公の場で水着になられることはなく、基本的には唯一泳ぐことのできる海岸であるのだ。皇室担当記者はこう語る。「平成の頃のご滞在中には、上皇ご夫妻と両陛下始めご一家がお揃いになり、海岸でくつろがれるご様子を拝見できました。まだ涼しい早朝には、海岸沿いを上皇ご夫妻、両陛下、秋篠宮ご一家がよく散策されていました。そして午後、日差しが柔らかくなってから海に入られていたように思います」96年には、本誌は美智子さまが泳がれる姿も目撃している。その翌日には、上皇陛下がシュノーケリングを楽しまれていた。「魚類の研究者でいらっしゃる上皇陛下は、シュノーケリングで魚の調査などもされていたようです。その近くに美智子さまが水着でいらしたときには、ご一緒に海を楽しまれている雰囲気が伝わってきました。また、眞子さまと佳子さまは須崎のヤドカリを東京の宮邸にお持ち帰りになり、一年間育て、また須崎御用邸内の浜にお返しになったことがありました。皆さんの思い出の詰まった海岸なのです」(前出・皇室担当記者)天皇皇后両陛下と愛子さまは、雅子さまのご体調が悪くなってからは一時期、須崎御用邸から遠ざかっていた。「しかし、愛子さまが初等科3年生のときに久しぶりに滞在されました。さらに5年生になって以降は毎年のように須崎御用邸で夏休みを過ごされ、愛子さまは浜で水泳の練習をされています。帰京されるときには、いつも真っ黒に日焼けされていて、休日を満喫されたのが伝わってきますね。平成最後の夏に須崎御用邸に滞在されたときには、両陛下と愛子さまがそれぞれ貝殻を手にされ、それらの貝の名前を愛子さまがお答えになりました。雅子さまも生き物がお好きなだけに、こうした海辺の生物についても滞在中にお調べになっているのでしょう」(前出・皇室担当記者)また、海外ご訪問では、ご公務のハードスケジュールの合間に、海辺でのリラックスした表情を拝見することも。秋篠宮ご夫妻は、97年にメキシコを訪問された際、リゾート地・カンクンのビーチで恋人同士のような自然な笑顔をお見せになっていた。だが、20年以降はコロナ禍のためにご静養や海外訪問の機会はなくなっており、今年の夏も予定されていない。再び皇室の方々が海岸でくつろがれる日が訪れることを願うばかりだ――。
2021年07月22日「内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することを可能とすること、もう一つが皇族の養子縁組を可能とし、皇統に属する男系男子が皇族となることを可能にすることが中心となる」安定的な皇位継承策を議論する有識者会議の座長・清家篤氏は、6月30日の第8回会合のあと、記者団にこう語った。有識者会議はすでに21人の専門家らへのヒアリングを終え、論点整理に入っている。皇室担当記者が解説する。「有識者会議は、“男系男子による継承の尊重”と“現在定まっている皇位継承順位の維持”という方針も固めました。つまり女性天皇の容認は見送りとなり、愛子さまが天皇になられる道はほぼ途絶えたということです」そして、有識者会議の方針は、結婚を目指されている眞子さまと小室さんの将来も大きく左右する可能性がある。現在の皇室典範では、女性皇族は結婚すれば皇室を離れることになっている。このままでは、皇族数の減少に歯止めがかからないため“内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することを可能とする”という案が浮上したのだ。さらに、ここで争点となっているのが、配偶者の一般男性、そして子供の扱いだ。たとえばヒアリングに呼ばれた漫画家の里中満智子氏は、有識者会議で次のように発言した。「女性皇族が結婚なさってその夫も皇族となれば、権威を得る手段として女性皇族を利用する男性が出現しないとは限らない」また櫻井よしこ氏も「女性皇族が一般の男性と結婚して女性宮家ができて、一般の男性が皇族になるというのは、今まで本当にどういう方か分からなかった方が皇族になるということだ」と危惧を表明した。「もし女性宮家という制度が創設されれば、小室さんが皇族となる可能性は十分にありました。しかし、菅政権が選出した有識者会議では反対論が続出。仮に有識者会議が女性宮家創設を提言するとしても、女性皇族が皇室に残るだけにして、夫は民間人のまま、子供が生まれても皇族にはならないという形にするでしょう」(前出・皇室担当記者)つまり、菅政権が“小室さんが皇族になる資格を剥奪する”という最終結論を出したといっても過言ではないのだ。有識者会議は8月までに見解をまとめ、政府が秋までに国会に報告する予定。眞子さまと小室さんは年内に結婚できるか微妙な状況となっており、お二人の動向が国会での議論を左右してしまう可能性も否定できない。
2021年07月06日皇族数の確保策、2案に絞り込み――。菅政権が設置した皇位継承のあり方に関する有識者会議は、皇族数の確保策として“女性皇族が結婚後も皇室にとどまる案”と“旧皇族の男系男子を養子に迎える案”を中心に議論する方針を固めたという。現在の皇室典範では、女性皇族は結婚に伴って皇室を離れることになっている。そのため女性皇族も「宮家」の当主として結婚後も皇室にとどまれるようにすることが検討されているのだ。ここで争点になっているのが配偶者となる一般男性と、子供の扱い。もし女性宮家が制度化されたあとに眞子さまと小室さんが結婚したなら、小室さんが皇族になるのでは――。そのような危惧が一部報道やSNS上でみられたが、有識者会議でも次のような発言があった。ヒアリングに呼ばれた漫画家の里中満智子氏は「女性皇族が結婚なさってその夫も皇族となれば、権威を得る手段として女性皇族を利用する男性が出現しないとは限らない」と発言。さらに櫻井よしこ氏も「女性皇族が一般の男性と結婚して女性宮家ができて、一般の男性が皇族になるというのは、今まで本当にどういう方か分からなかった方が皇族になるということだ」と危惧を表明した。「ヒアリングで反対論が続出したことを踏まえれば、仮に有識者会議が女性宮家創設を提言するとしても、女性皇族が皇室に残るだけにして、夫は民間人のまま、子供が生まれても皇族にはならないという形にするでしょう」(皇室担当記者)だが、宮内庁関係者は次のように語る。「小室さんが皇族になることに強い反発がありますが、“内親王の夫の一般人”となるのも問題です。皇族ならば品位を保持する義務がありますが、一般人であれば宮内庁が行動をコントロールすることは原則的にできません。一方で“内親王の夫”というポジションは手にするわけですから、その肩書を仕事に利用されてしまう可能性は十分にあります」イギリス王室に目を向ければ、メーガン妃は王室での経験を語る“暴露インタビュー”で注目を集め、“サセックス公爵夫人”という肩書で絵本も出版している。小室さんも、フォーダム大学入学時に“眞子内親王のフィアンセ”と大学のウェブサイトで紹介されていた。約650万円の学費が免除されたため“皇室利用”ではないかとの疑惑も浮上したほどだ。■眞子さまと小室さんの財布は別々にそんな小室さんが“自分も子供も皇族になれない”となれば、“皇族の夫”という肩書を最大限ビジネスに利用することに方針転換してもおかしくないだろう。さらには小室さんが皇族方のプライバシーの暴露にいたるような危険性があることは否めない。しかも “夫と子供を皇族にしない”という案には問題点が山積みなのだ。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんは語る。「女性皇族が皇室に残るということは、皇室の戸籍にあたる皇統譜に登録されたままということです。一方で夫や子が皇室に入らないということは、我々と同じ一般の戸籍に登録されることになるでしょう。つまり、戸籍は別々という“事実婚”になってしまいます。また、皇族の家族であっても、一般国民である夫や子が、国が用意した宮邸に住むことや、国家公務員である宮内庁職員にお世話されることは問題があります。さらに、皇族には国から“皇族としての”品位保持のために皇族費が支給されますが、これを一般国民である夫や子の生活のために使用することも問題です。夫婦間、親子間で財布を別々にする必要も出てくるでしょう」また、近現代の皇室に詳しい静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは「女性宮家の創設を認めても本来の課題はまったく解決されない」と指摘する。「皇室の喫緊の課題は、皇位継承者を確保することです。内親王や女王が結婚後も皇室に残ることになっても、皇位継承者の増加にはつながりません」小田部さんは、女性宮家や女系天皇反対論に小室さんの存在が利用されていることに警鐘を鳴らす。「小室さんは特殊な事例だと思います。女性皇族が結婚相手に選んだ一般男性が皇室に入るのはダメで、旧宮家の男系男子なら問題ないという発想は、一般国民に対する差別と言っていいでしょう。民間の男性が全員小室さんのように国民に不信感を与える人だという図式で語るべきではありません。小室さんをめぐるトラブルを利用した女系天皇反対論は政略的だと思います」皇室の存続に関わる議論さえ、1人の男性の存在に左右される現状に慄然とせざるをえない――。
2021年07月06日「女性皇族の婚姻などによる皇族数の減少等については、皇族方のご年齢からしても、先延ばしすることはできない重要な課題だと認識しています」11月24日、加藤勝信官房長官(65)は定例会見でこう明言した。女性皇族が結婚によって皇籍を離れた場合、「皇女」の尊称を贈り、公務への協力を委嘱する新制度の創設を政府が検討していることが判明した。女性皇族の結婚による相次ぐ皇籍離脱や現役の皇族の高齢化で、皇室活動の担い手の不足は深刻な問題になっている。女系天皇の容認につながる可能性があるとして“男系維持派”からの反発が強い「女性宮家」の創設ではなく、民間人のまま一代限りの「皇女」とすることでこの問題を先送りしようという政権の意図がみえる。皇女は“特別職の国家公務員”となり、公務に参加することになるという。だが、この報道には、ツイッター上でこんなツッコミが。《「皇女は特別職の国家公務員」だとすると、総合的俯瞰的な観点から突然政府が任命拒否したりできるのかな?》《皇女を特別職公務員にするということは学術会議会員の例にならうと、内閣総理大臣の考え一つで任免が可能になるということかね》日本学術会議の会員も“特別職の国家公務員”。会員は学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命することが日本学術会議法で定められている。同法は任命拒否を想定しておらず、総理大臣による任命はあくまでも形式的な任命というのが、中曽根康弘元首相(故人)をはじめ、過去の政府がとってきた立場だった。しかし、菅義偉首相(71)はこう強弁した。「憲法第15条第1項は公務員の選定は国民固有の権利と規定している。(国民を代表している内閣総理大臣は)日本学術会議の会員についても必ず推薦の通りに任命しなければならないわけではない」公務員の選定罷免権が国民にあると定めた憲法15条を根拠に、菅首相は6人の候補者の任命拒否を正当化した。だが、なぜこの6人だったかという理由については「総合的、俯瞰的な観点」などとしか言わず、詳細な説明は“個別の人事に関わること”を理由に拒んできた。全国紙政治部記者が解説する。「憲法15条はあくまでも公務員の選定罷免権が“国民”にあると定めたもので、“総理”にあると定めているわけではない。総理大臣といえども、国民の代表者である国会議員で組織される国会で定められた法律や、国会で確認された法解釈に反して任命権を行使することができるはずはありません。それを無視すれば、それこそ憲法15条に違反することになる。しかし、菅首相は与党・自民党の圧倒的な議席数を背景に、過去の法解釈を無視して任命拒否を正当化しているのです」《皇女は特別公務員。特別公務員になれば日本学術会議会員と同じように、政権の介入になる》《ついに皇族まで直接支配する意向を示してきているわけですか》ツイッター上では「皇女」創設検討のニュースを見て、こんな懸念を漏らす人も多い。確かに、“任命拒否”も可能な実質的な任命権を時の政権が握ることになれば、皇籍離脱後の身分を懸念する女性皇族やその親族の皇族に対して、政権の影響力が増すことも考えられる。前出の政治部記者はこう指摘する。「菅首相は憲法15条を根拠に、国民の代表者である内閣総理大臣は任命権を行使できるはずだとして、学術会議の会員の任命拒否を行いました。『皇女』も国家公務員になるとすれば、総理大臣によるのか、その他の国務大臣によるのか、内閣によるのかはわかりませんが、任命が行われなければなりません。菅首相のロジックでいえば、その任命権は、皇籍離脱した女性皇族であればだれでも自動的に任命されるような形式的なものではなく、“任命拒否”も可能である内実を伴った任命権でなければなりません。そうではなくては学術会議会員に関しての主張と矛盾することになります」だが、実際に“任命拒否”のようなことが行われる可能性は低いと続ける。「国民の反発も大きいでしょうから、任命拒否のようなことが行われることは考えづらい。実際には本人が辞退でもしない限り、皇籍離脱した女性皇族が自動的に皇女に任命されるような運用が行われることになると思います。ただ、国会で『皇女は任命拒否できるのかどうか?』と聞かれた場合、菅首相はどう答えるのでしょうか。『できる』と答えれば保守派から“不敬”と批判されるでしょう。『できない』と答えれば、学術会議の件との整合性を問われることになってしまいます。任命拒否もできないような形式的な任命権は憲法15条を根拠にダメだというのが菅首相の主張ですから。いずれにせよ、このような懸念は菅首相が自ら招いたことですから、ちゃんと答える必要がありますね」小室圭さんとの結婚が取りざたされる眞子さまも「皇女」の候補者のおひとり。まさか、“任命拒否”なんてことはないと思うが……。
2020年11月25日