2024年3月18日、イラストレーターの、いのまたむつみさんが亡くなったことが分かりました。いのまたさんの妹さんが、本人のX(Twitter)アカウントを通じ、イラスト付きの書面で伝えています。いのまたむつみは2024年3月10日永眠いたしました。あまりに突然の事で…描きかけのラフもあり、いまも天国で描いているでしょう。だいすきな猫たちに囲まれて、可愛い、強い瞳のキャラたちをどんどん生み出しているはずです。いのまたむつみを愛して応援していただきました全ての方々に心から感謝を申しあげます。そしてこれからも変わらず愛していただける事を願いまして、ここに謹んでご通知申しあげます。@inomatanekomataーより引用ファン、関係者の皆さまへいのまたむつみの妹です。 pic.twitter.com/yp6BCTzXcS — いのまたむつみ (@inomatanekomata) March 18, 2024 投稿によると、いのまたさんは同月10日に亡くなり、葬儀はすでに近親者のみで執り行ったとのことです。長年にわたって人気ゲーム『テイルズ オブ』シリーズのキャラクターデザインを担当していたことで知られる、いのまたさん。1970年代末よりアニメーターとして活動を始め、テレビアニメ『プラレス3四郎』『幻夢戦記レダ』のキャラクターデザインや『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』のキャラクター原案、『ブレンパワード』のメインデザインを手掛けるなど、活躍しました。突然の訃報に、ファンからはこのような声が上がっています。・いのまた先生の作品が本当に大好きです。頭がついていきません…。・素晴らしいキャラクターたちをありがとうございました。・先生の作品が大好きで、憧れで、絵を描いていました。まだ信じられません。・いのまた先生に背中をいっぱい押してもらったから今の自分がいます。たくさんの素敵な作品を本当にありがとうございました。これまでたくさんの人に影響を与えてきた、いのまたさんの作品。今後も多くの人の心に残り続けることでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年03月18日2024年3月13日、静岡県の名物店『炭焼きレストランさわやか』の創業者であり前代表取締役の、富田重之さんが、逝去したことが分かりました。同レストランを運営している、さわやか株式会社によると、富田さんは同月12日に亡くなったとのこと。87歳でした。同社は富田さんの逝去を受け、同月14日は全店を臨時休業とし、スタッフ一同で想いを馳せることを発表しています。さわやかです3月12日 炭焼きレストランさわやかの創業者である富田重之が永眠いたしました3月14日 全店休業して スタッフ一同 創業者を偲び 想いを馳せるお時間をいただきますご不便をおかけしてしまい恐縮ですが少しだけの間 静かに見送らせてください pic.twitter.com/luEOCURi0M — 炭焼きレストランさわやか 公式 (@Go_Sawayaka) March 12, 2024 富田さんは、1976年に、さわやか株式会社の前身となる、グリーン観光株式会社を設立。翌年、1号店として『コーヒーショップさわやか 菊川本店』をオープンしました。1989年には社名を『さわやか株式会社』に変更するとともに、店名を『コーヒーショップさわやか』から『炭焼きレストランさわやか』に変更。その後店舗数を増やし、2024年3月現在は、静岡県内で34店をチェーン展開しています。地元民のみならず、全国各地のファンから支持されるハンバーグレストランへと成長しました。同社のウェブサイトには、『創業者の想い』として、富田さんが店名に込めた想いが掲載されています。社名、店名の『さわやか』には、自然に生かされ、生きる力をいただいている食材への感謝の心、そして、その食材の力を最大限に活かした野趣豊かな愛情料理を提供し、「笑顔や元気の広がるふるさとの店を実現していきたい」という想いを込めました。げんこつハンバーグの炭焼きレストランさわやかーより引用訃報を受け、ネットでは「静岡の誇る味を生み出していただいたことに感謝します」「たくさん食べてきた故郷の味、悲しいです」「人生に『炭焼きレストランさわやか』のある幸せをありがとうございました」「地元の誇りです」など、悲しみとともに、感謝の声が相次いでいます。富田さんの逝去後も、『炭焼きレストランさわやか』は、多くのファンから愛され続けることでしょう。富田さんのご冥福を、お祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年03月13日タレントで映画コメンテーターのLiLiCoが12日に自身のアメブロを更新。訃報を受け悲痛な胸中を吐露した。この日、LiLiCoは「昨日の夜、スウェーデンのニュースサイトからその訃報が流れて来た」と切り出し、11日に亡くなった陶芸家のリサ・ラーソンさんの訃報に言及。「心が痛くて」と心境を明かし「日本のニュースで流れるまで信じたくなかった」と悲痛な胸の内を吐露した。続けて、自身について「リサ・ラーソンさんのコレクションがとても好きで」と述べ「いただいたものも、購入したものもある もちろんカプセルトイも」とコメント。「わたしが11歳のときに母と陶器で有名なグスタフスベリにも行ったほど」だといい「その街でリサさんが本格的にキャリアをスタート」と説明した。また「縁あってリサさんの娘さんとも出会えて」と述べ「実は去年スウェーデンへ帰ったときリサさんに会うことになってたけど、体調が悪く、会えなかった」と告白。「でも電話でお話し出来たよ」と報告し「優しい声で、“今度は会いましょうね”と言ってくれた」と明かし「永遠の宝物」とリサさんとのエピソードを紹介した。最後に「ずっと新作を作り続けるパワーがすごい」と述べ「子年のときにかなり珍しい色のねずみをプレゼントしてくれた」とプレゼントされた品を写真で公開。「わたしのリサさんのコレクションのほんの一部だけど....」とコレクションの一部も公開し「リサさんのラベルのワインもあるからあの優しい声を思い出しながら...」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年03月13日お笑いタレント・アントニオ小猪木が11日に自身のアメブロを更新。本当に言葉にならない訃報についてつづった。この日、小猪木は「まさかの訃報が入り込んできた!」と切り出し「西口プロレスのメンバーのよしえつねおの弟であり、プロレスラーの吉江豊選手が急死してしまった」と10日に亡くなったプロレスラーの吉江豊さんの訃報に言及。「プロレスの大会に出場していたらしく、試合後に倒れられたとか」とつづった。続けて「吉江豊選手は西口プロレスの大会にも出場してもらったこともあった」と振り返り「色んな現場で同じ大会に出場した時もとてもよくしてもらった!東北沖地震の時の岩手の大船渡へのボランティア活動も一緒に行ったこともあった」と回想。「思い出は少なくない」と明かした。また、吉江さんについて「西口プロレスの仲間のつねおの弟ということで限りなく身内に近い存在の選手」とコメントし「ホント言葉にならない」と心境を吐露。最後に「ご冥福をお祈り申し上げます」と追悼し「吉江豊選手ありがとう」と吉江さんへ感謝をつづり、ブログを締めくくった。
2024年03月12日女優で声優の戸田恵子が10日に自身のアメブロを更新。仲間の訃報に感じた怒りをつづった。この日、戸田は「『20世紀号に乗って』今日からはメイク・衣裳をつけての舞台稽古」と明かし「朝から夜まで長い時間、道具の出ハケ、オーケストラ、我々の登退場etc.細かく合わせながら進行していきました」と舞台稽古での様子を報告。「まだ全部は終わってないです」と述べ「ココがいつも、頑張りどころ!なかなか大変な時間帯です」とつづった。続けて「そんな一日でしたが、やはり今日はツライ、しんどい」といい「今朝、TARAKOちゃんの訃報を知って、劇場に向かう足取りは俄然、重い」とアニメ『ちびまる子ちゃん』で、主人公・まる子の声優を務めてきたTARAKOさんの訃報に言及。「私たちの仲間を!こんなに早く連れてってしまうなんて!」と述べ「鶴ひろみさんの時と似た感情が、怒りが胸に押し寄せた」とつづった。また「TARAKOちゃんとは古い付き合いで、以前はご近所さんでもありました」と明かし「会えばいつもニコニコ、グリコしゃん、おはようございます!元気ですか?って」と回想。「お芝居もたくさん観てくれました。うちの商品も知らぬ間によく購入してくれてました」と述べ「TARAKOちゃん、写真が大好きで皆んなともたくさん撮りましたね」(原文ママ)とTARAKOさんとの2ショットを公開した。さらに「鶴ひろみさんが亡くなったとき、鶴さんが好きだったお店にTARAKOちゃんが連れてってくれて」と明かし「一緒に飲んで偲んだのがついこの前のような気がします」とコメント。「今度は私が、鶴さんが亡くなる数日前に一緒に行ったお店に連れていくね!という約束は…果たせてないままです」と残念そうに述べ「ご冥福を祈るばかりです。ですが、どこに何を祈れば良いのか全く分からんよ」と悲痛な胸の内を吐露し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「辛いですね」「とても大きな寂しさを感じます」「ショックが大きいです」「早すぎます」などのコメントが寄せられている。
2024年03月11日俳優の的場浩司が9日に自身のアメブロを更新。訃報を受け追悼のコメントをつづった。この日、的場は「『鳥山明さん』が亡くなられた…」と3月1日に急性硬膜下血腫のため亡くなった漫画家の鳥山明さんの訃報に言及し「ショックだよ…」と心境を吐露。「『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』は誰もが知ってる名作中の名作だろ?」と述べ「初めて『Dr. スランプ』を読んだのは…たしか小学生だった…」「どのキャラクターもお茶目で魅力的だったよなぁ…」とコメントした。続けて、自身について「『ドラゴンボール』も…スキンヘッドにした時にピッコロに似てるって言われて嬉しかったもんね」と振り返り「タヒチに行ったときに」「タヒチの人が悟空の真似してカメハメ波ポーズを披露してくれた」と回想。「『ドラゴンボールってスゴいな』って心から思ったよ…素敵なマンガだよな…」と述べ「ガキの頃から今まで…『鳥山明さん』から、たくさんのワクワクとハラハラとドキドキを頂いた」とつづった。最後に「悲しいな…本当に1つの時代が終わっちまう気がするよ…」とコメント。「少しずつ昭和が遠くなっていく…」と述べつつ「心から御冥福を御祈りします」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「鳥山明さんのニュースはびっくりしました」「もっと新作を読んでみたかったです」「ご冥福をお祈りします」などのコメントが寄せられている。
2024年03月10日お笑いコンビ・NON STYLEの井上裕介が8日に自身のアメブロを更新。衝撃的だった訃報に悲痛な胸中を吐露した。この日、井上は「鳥山明、大大大大大先生」というタイトルでブログを更新し、3月1日に急性硬膜下血腫のため亡くなった『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』などのヒット作を生んだ漫画家の鳥山明さんの訃報について「ショック過ぎる。まだまだ、楽しい漫画を見せて欲しかったのに」とコメント。「今日『鳥山明先生』が、お亡くなりになったという衝撃的なニュースが飛び込んで来た」といい「収録の1本目と2本目の間に、このニュースを知って、もう心の中がグチャグチャだった」と悲痛な胸中を吐露した。続けて「僕が、マンガとアニメをハマるキッカケとなった『ドラゴンボール』と『Dr.スランプ』の2作品」(原文ママ)と述べつつ、鳥山さんについて「ゲーム『ドラゴンクエスト』のデザインだったり、マンガ『SAND LAND』だったり、僕ら世代の男の子で『鳥山明先生』の影響を受けてない人なんて居ないんじゃないかっていうくら偉大なる漫画家さん」(原文ママ)と説明。「この方が居なかったら、日本がここまで面白いマンガ大国にはなっていなかったかもしれない」とつづった。最後に「何度読んでも色褪せない面白さの『ドラゴンボール』今、連載中の物も読んでいるので、本当に色々な感情が押し寄せて来る」とコメント。「ただ、ただ、悲しいの一言」と述べ「心よりご冥福をお祈りします」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「悲しいですね」「寂しいですね」「本当に驚きましたよね」「ご冥福をお祈りします」などのコメントが寄せられている。
2024年03月10日俳優の杉浦太陽が8日に自身のアメブロを更新。訃報を受けてコメントした。この日、杉浦は「鳥山明先生」というタイトルでブログを更新し、3月1日に急性硬膜下血腫のため亡くなった漫画家の鳥山明さんの人気作『ドラゴンボール』について「小学生の頃から、ずっと…今でも愛してやまない」とコメント。「かめはめ波も、元気玉も、舞空術もいろんな技を、こどもの頃にいつか出来るかもと思って、いっぱい練習しました」と振り返り「ずっと大好きで何度も読み返してきました。世代を超えて、こどもたちもドラゴンボールが大好きです」とつづった。続けて「ずっと、ずっと大好きな作品です」と述べ「Dr.スランプ アラレちゃんやドラクエなど、全ての作品が大好きです」とコメント。「好きだった年月が長過ぎて…言葉に出来ないくらいです」と明かし「本当に、本当にありがとうございました。謹んでご冥福をお祈りいたします」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年03月09日2024年3月9日、声優のTARAKOさんが亡くなったことが分かりました。63歳でした。アニメ『ちびまる子ちゃん』(フジテレビ系)の主人公である、さくらももこ(通称:まる子)を筆頭に、特徴的な声を生かして多くの作品で活躍してきた、TARAKOさん。サンケイスポーツによると、TARAKOさんは2024年に入ってから、闘病しながら仕事に励んでいたのだとか。しかし、同月4日に息を引き取ったといいます。葬儀はすでに近親者のみで済ませていますが、後日『お別れの会』を予定しているとのことです。『ちびまる子ちゃん』スタッフもTARAKOさんを追悼TARAKOさんは、1990年にテレビアニメ『ちびまる子ちゃん』の放送が始まって以来、34年にもわたって、まる子を演じてきました。この日、同番組はウェブサイトを更新し、TARAKOさんを追悼。長年ともに作品を世に送ってきた、関係者のコメントを発表しています。『ちびまる子ちゃん』スタッフ一同「放送開始から34年間、まる子を演じていただいたTARAKOさんは、『ちびまる子ちゃん』そのものでした。TARAKOさんは、収録現場でも常に周りを思いやり、温かく、明るく元気に場を和ませてくださる方で、"ちびまる子ちゃん"の天真爛漫で、家族や友達から愛される姿、そのものでした。最後まで病棟でも収録をしたいと意欲的で、大きな愛情をもって『ちびまる子ちゃん』に向き合ってくださいました。急な訃報に驚きを隠せませんが、TARAKOさんが演じてくださった"ちびまる子ちゃん"をこれからも温かく、大切に描き続けていきたいと思います。TARAKOさん、長い間、本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします」ちびまる子ちゃん オフィシャルサイトーより引用お父さん役・屋良有作コメント「タラちゃん、突然のお別れに言葉が見つからず、ただ茫然とするばかりです。つい最近まで、毎週収録の度、スタジオでお会いしていたのに。長い間、どんな状況の時にも番組の座長として、気丈で優しく、そしてしなやかに、私達を牽引して下さいましたね。もう、あなたの明るくお茶目なあの笑顔に出会うことは出来なくなりましたが、いつまでも私達の心の内に、いくつもの思い出と共に残り続けます。タラちゃん、今まで本当にたくさんありがとう!どうか安らかにおやすみ下さい」ちびまる子ちゃん オフィシャルサイトーより引用お母さん役・一龍斎貞友コメント「唯一無二の存在が旅立ってしまいました。いつも誰にも気を配る心遣いの達人だったタラちゃん。この喪失感を埋めるすべを見つけられません」ちびまる子ちゃん オフィシャルサイトーより引用おじいちゃん役・島田敏コメント「胸つまる『何だい?まる子』言えなくて友蔵タラちゃんに捧ぐ心の俳句」ちびまる子ちゃん オフィシャルサイトーより引用おばあちゃん役・佐々木優子コメント「明るくて、楽しくて、人にも動物にも、命あるすべてに愛をふりそそぐ人でした。でも、こんなに急に、突然、婆さんより先に逝ってしまうなんて...そこだけは親不孝者だよ、まる子や...」ちびまる子ちゃん オフィシャルサイトーより引用お姉ちゃん役・豊嶋真千子コメント「大好きなTARAKOさん、突然のお別れとなりまだ信じられない気持ちでいっぱいです。アフレコの時、あったかい笑顔で「楽しいね~」と言っていたあの優しい声に励まされてやってきました。話したいことや、一緒にやりたいことが沢山ありました。「お姉ちゃん」として「まる子」と過ごした時間はまだ思い出には出来そうにありません。『さよなら』の代わりにTARAKOさんの好きだった言葉を。『ありがとう、またね~!』」ちびまる子ちゃん オフィシャルサイトーより引用たまちゃん役・渡辺菜生子コメント「TARAKOさんとは、番組のまるちゃんとたまえのように、より近く心を通わせて、公私共に過ごさせて頂きました。共有した大切な時間は、私の中で、今でもきらきら輝いています。心より感謝しています。ご冥福をお祈りいたします」ちびまる子ちゃん オフィシャルサイトーより引用同じ作品に関わる仕事仲間としてだけでなく、1人の人間としても、『ちびまる子ちゃん』の関係者はTARAKOさんに感謝の気持ちを伝えました。発表によると、TARAKOさんがまる子として出演する最後のエピソードは、同月24日に放送予定の『「まる子、水の味がわかる?」の巻』なのだとか。以降は当面の間、過去の作品を放送する予定であり、まる子の後任の声優や、後任による放送開始時期は未定とのことです。『ちびまる子ちゃん』が国民的人気アニメとして、長年にわたって放送されてきたのは、素晴らしい演技でまる子の魅力を伝えたTARAKOさんの功績でもあるでしょう。今後も多くの作品を通して、TARAKOさんの声はたくさんの人に笑顔を与えてくれるはずです。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年03月09日女優で声優の戸田恵子が9日に自身のアメブロを更新。とても大きな喪失感がある訃報についてつづった。この日、戸田は「同じ名古屋の出身です。年齢も同世代です。鳥山明さんのご冥福を心よりお祈り致します」と3月1日に急性硬膜下血腫のため亡くなった『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』などのヒット作を生んだ漫画家の鳥山明さんを追悼した。続けて「野沢雅子さんや小山茉美さん、たいへん悲しんでおられるとお察ししております」とアニメ『ドラゴンボール』で主人公・孫悟空役を担当している野沢雅子とアニメ『Dr.スランプ アラレちゃん』で、主人公・則巻アラレの声優を務めた小山茉美についてコメント。「私たちにとって、声を担当したキャラクターの生みの親である作家さんは、本当に本当に特別なものですから」と説明した。最後に「とても大きな喪失感。埋めるのには時間がかかります…」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「ご冥福を心よりお祈り致します」「本当に残念です」「辛いです」「お悔やみ申し上げます」などのコメントが寄せられている。
2024年03月09日2024年3月8日、漫画家の鳥山明さんが亡くなったことが分かりました。68歳でした。漫画雑誌『週刊少年ジャンプ』の代表作の1つといえる、『ドラゴンボール』をはじめ、多くの名作をこの世に生み出してきた、鳥山さん。人気ゲーム『ドラゴンクエスト』ではキャラクターデザインを担当しており、世界中でイラストレーターとしても高い評価を得ていました。日本の漫画界の巨匠・鳥山明さんが逝去この日、『週刊少年ジャンプ』はウェブサイトを更新し、鳥山さんの逝去を報告。鳥山さんのプロダクションである株式会社バード・スタジオによると、鳥山さんは同月1日、急性硬膜下血腫によって息を引き取ったといいます。同社は、全世界のファンに向けて、このように想いを明かしました。熱心に取り掛かっていた仕事もたくさんあり、まだまだ成し遂げたいこともあったはずで、残念でなりません。ただ、故人は漫画家としていくつもの作品を世に残して参りました。多くの世界中の方々に支持していただき、45年以上にわたる創作活動を続けることができました。これからも鳥山明唯一無二の作品世界が、末長く皆様に愛され続けることを切に願います。生前のご厚誼に深く感謝し、ここに謹んでお知らせいたします。集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイトーより引用日本の漫画界をけん引するクリエイターとして、長年活躍してきた鳥山さん。あまりにも突然の旅立ちは、多くの人に衝撃を与えたようです。同じクリエイターとして鳥山さんに影響を受けたり、ともに作品を生み出してきたりした人たちが、追悼のコメントを寄せています。『ドラゴンクエスト』ゲームデザイナー・堀井雄二コメント本当に、あまりに突然な鳥山さんの訃報で、まだ信じられない気持ちでいっぱいです。鳥山さんとは、ボクが少年ジャンプのライターをやっていた頃からの知り合いで、担当編集者の鳥嶋さんの勧めもあり、ドラゴンクエストを立ち上げる時に、彼にゲームの絵を頼むことにしました。あれから37年余り、登場人物のキャラクターデザイン、モンスターデザイン、とても数えきれないほどの魅力的なキャラを描いていただきました。ドラゴンクエストの歴史は、鳥山さんのキャラデザインとともにありました。鳥山さん、故すぎやま先生は、ドラゴンクエストを長きに渡って作ってきた仲間でした。亡くなってしまうなんて‥‥。これ以上、なんて言えばいいのか言葉になりません。本当に、本当に、残念です。集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイトーより引用漫画家・桂正和コメント力がぬけて気力が出ません。こんな事のコメントはしたくないですね。けど、何か書きます。書き出したら、言いたい事だらけなんで、めちゃくちゃ長文になりそうだけど、できるだけ、コンパクトにまとめます。ただ、気持ちがまとまらないので、乱文お許しを。思い返しても。大袈裟でなく、お宅に遊びに行った時、うちに泊まりに来てもらった時、遊びに出掛けた時、全部が楽しい思い出しかなくて、電話をする度に、疲れるほど笑ってました。面白い人だった。すけべで、可愛くて、毒舌で、謙虚で。本職の漫画では、合作とかもしたけど、あれも楽しかった。でも、99%漫画の話をした事はない付き合いでしたね。漫画家として、見てる風景、作家のレベルも違いすぎて、偉大さを意識した事が無かったです。わかってはいます。けど、本人と接する時は微塵もそれは感じなかった。人柄ですね。だから偉大な漫画家というより、今も友人としてとしか考えられない。去年の夏、私が手術をする前に、どこかで聞いたらしく、メールくれました。本当ーーに、メールなんて珍しく、心配そうに私の体を気遣う内容。40年来の付き合いだけど、鳥山さんから、あんなに優しくされたのは初めてだったかも。雪が降るかと思いましたよ。いつもは冗談か、くだらない話しかしないっすからね。なんすか、人の心配してる場合じゃないじゃん、全く。そのちょっと前だったか電話した時、その頃、色々具合が悪かった私は「多分先に逝くんで、お別れ会とかやってくださいね、鳥山さん仕切りで!あと、箔がつくからスピーチして下さいね!」と約束したのに、守ってもらえなかった。メールをくれた後、なんで電話しなかったのか、それが、すごく後悔です。もうくだらない話で長電話ができない事が、残念でしかたないです。話したい事が沢山溜まってます。いろんな話があるんです。興味のない話は、いつものように、うわの空に聞いてもらってもいいんで、もう一度話したいです。私の、また連絡くださいとのメールの返事に、軽くOKって書いてあったのが最後なんて、ダメです。心底辛いです。集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイトーより引用漫画家・尾田栄一郎コメントあまりに早すぎます。空いた穴があまりに大きすぎます。もう二度と会えないと思うと、悲しみが押し寄せてきます。子供の頃から憧れすぎていて初めて名前呼んで貰えた日の事も覚えています。我々に「友達」という言葉を使ってくれた日の帰り道岸本さんと盛大にはしゃいだ日も懐かしいです。最後に交わした会話も覚えています。漫画なんて読むとバカになるという時代からバトンを受け取り大人も子供も漫画を読んで楽しむという時代を作った一人でもあり漫画ってこんな事もできるんだ世界に行けるんだ、という夢を見せてくれました。突き進むヒーローを見ているようでした。漫画家に限らずあらゆる業界で活躍するクリエイター達の少年時代にドラゴンボール連載当時の興奮と感動が根付いているでしょう。その存在は、大樹です。同じ舞台に立った僕ら世代の漫画家にとって鳥山作品は近づく程により大きな存在と気づかされました。怖いくらいに。でもまた、飄々としたご本人に会えるとただ嬉しい。僕らは血液レベルで鳥山先生が大好きだから。鳥山先生の残された創造性豊かな世界に敬意と感謝を込めて、心よりご冥福をお祈りいたします。天国が先生の想い描いた通りの愉快な世界でありますように。集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイトーより引用漫画家・岸本斉史コメント突然のことで何をどう書けばよいのか正直わかりません。ただ今は鳥山先生にいつか聞いて欲しかった事、想いをお伝えさせて頂きたく思います。小学生低学年でDr.スランプ、高学年でドラゴンボールとずっと先生の漫画と一緒に育ち、生活の一部で先生の漫画が隣にあるのが当たり前でした。嫌なことがあっても毎週のドラゴンボールがそれを忘れさせてくれました。何もなかった田舎少年の僕にとってそれは救いでした。本当にドラゴンボールが楽しすぎたからです!大学生のときです。突然、僕の生活に長年当たり前にあったそのドラゴンボールが終わりました。とてつもない喪失感に襲われ何を楽しみにすればいいのか分からなくなりました。でもそれは同時にドラゴンボールを生み出してくれた先生の偉大さを心から知る事ができるきっかけでもありました。僕も先生のような作品を作りたい!先生のようになりたい!と、先生の後を追いかけるように漫画家を目指すうちにその喪失感もなくなっていきました。漫画作りが楽しかったからです。先生を追いかける事で新しい楽しみを見つける事が出来ました。先生はいつも僕の指針でした。憧れでした。先生にはご迷惑かもしれませんが勝手に感謝しています。僕にとってはまさに救いの神であり、漫画の神様でした。初めてお会いした時、緊張し過ぎて一言も喋れませんでした。ですが手塚賞の審査会で何度もお会いするうち話せるようになりました。ドラゴンボールチルドレンとして尾田さんと2人して子供に戻りまるで競争するかのようにいかにドラゴンボールが面白かったのかをはしゃいで話した時、まんざらでもない様子で少し恥ずかしそうな笑顔をされていたのが忘れられません。今、先生のご訃報を受けたばかりです。ドラゴンボールが終わった時以上のとてつもない喪失感に襲われ...まだこの心の穴にどう対処すればよいのか分かりません。今は大好きなドラゴンボールも読めません。先生へお伝えしたいこの文章もまともに書けている気がしません。世界中の皆んながまだまだ先生の作品を楽しみにしていました。もし本当にドラゴンボールの願いが1つ叶うなら...すみません...それはわがままな事なのかもしれませんが、悲しいです先生。鳥山明先生、45年もの間たくさんの楽しい作品をありがとうございました。そして本当にお疲れ様でした。残された家族のみなさまにおかれましては今はまだ深くご傷心のことと思われます。ご自愛くださいませ。鳥山明先生の安らかな眠りをお祈り申し上げます。集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイトーより引用追悼のコメントから伝わってくるのは、鳥山さんへの尊敬の念や親愛。同じクリエイターとして、そして1人の人間として、鳥山さんには人を引き付ける魅力があったのでしょう。令和の時代になってもなお、『ドラゴンボール』をはじめ、鳥山さんの作品は全世界で愛されています。今後も長きにわたって、人々に笑顔を届け続けるに違いありません。鳥山さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年03月08日歌手の今陽子が3月1日に自身のアメブロを更新。訃報を受けて心境を吐露した。この日、今は「3月に入りましたがまだまだ寒いですねぇ~」と切り出し「このところの訃報続きに心まで寒いです」と心境を吐露。「クールファイブの小林さん、仲宗根美樹さん…昭和の同じ頃、よくご一緒しました」と15日に老衰のため亡くなったクール・ファイブの小林正樹さんと24日に肺がんのため亡くなった歌手の仲宗根美樹さんについて言及した。続けて「八代亜紀さんは本当に元気で明るい人で100歳まで歌う…と言っていたのに…」と2023年12月30日に亡くなった演歌歌手の八代亜紀さんとの2ショットを公開し「人生は、いつ何が起こるかわかりません」とコメント。「そんな今、大谷翔平さんの明るいニュースは救いですね」と述べ「与えて頂いた人生(寿命)を大切にしなくては…亡くなられた方たちのご冥福をお祈りします」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年03月02日お笑い芸人の南野やじが2月29日に自身のアメブロを更新。訃報が届き、物凄く後悔していることを明かした。この日、南野は「ホーキング青山さんが去年の12月12日に都内の病院で亡くなった事を、友人からのLINEで知りました」とお笑いタレントのホーキング青山さんの訃報に言及し「50歳でした。御冥福を心よりお祈りいたします」と追悼した。続けて「11月27日に平和島の映画館で北野武監督作品『首』を観ました」と報告し「ホーキング兄さんも重要な場面で出演されてました」と説明。「あの時に『兄さん。映画観ましたよ!あの役、ホーキング兄さんだったんですね!エンドロールで名前出てビックリしました!』ってメールすれば良かったです」と述べ「随分、御無沙汰してしまったので、メールするのを遠慮してしまいました。物凄く、後悔してます」とつづった。また「グレート義太夫さんのブログにもホーキング青山さんの訃報について書かれていました」と明かし、ブログには「会おうか、と思った時に会っておかないと2度と会えなくなっちゃう…。」とつづられていたことを説明。「御世話になった先輩方が、次から次へと亡くなっていきます」と述べ「辛いです」と悲痛な胸の内を吐露した。最後に「明日から3月」といい「一日一日を一生懸命、大切に生きていく事を心がけているのですが、あまりにも時の流れが早いです」とコメント。「今月も3分の2は羽田空港での労働の日々でした」と明かしつつ「もう一度、芸人として戦いたいという思いでTikTokの撮影を再び始めました」と報告。「ライブも出たいです。自分が生きた証を残したい」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年03月01日女優の三田佳子が28日に自身のアメブロを更新。強いショックを受けた突然の訃報に心境を吐露した。この日、三田は「先日、カナダへ行く知人の手土産に美味しい海苔をと、日本橋の山本海苔店本店に立ち寄りました」と報告し「店先では、いつもの通り山本陽子さんの立派な看板が出迎えてくれました」と説明。「同世代で活躍している仲間への、特別の敬意をこめて思わず記念撮影です」と20日に亡くなった日本を代表する女優の山本陽子さんの看板の横に立つ自身の写真を公開した。続けて「その僅か一か月後に、突然の訃報を聞くとは」と驚いた様子でコメント。「1973年の大河ドラマ『国盗り物語』で、斎藤道三を巡る側室・深芳野と正室・小見の方で共演したあの日から、51年」と振り返った。最後に「強い強いショックに、言葉を失いました」と悲痛な胸の内を吐露し「ご冥福をお祈りいたします」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年02月29日元フジテレビアナウンサーの笠井信輔が25日に自身のアメブロを更新。本当に驚いた突然の訃報に心境をつづった。この日、笠井アナは「劇場からもらってきたチラシを整理していた」と述べ「山本陽子さんの出演予定のチラシが出てきました」と20日に亡くなった日本を代表する女優の山本陽子さんが出演予定だった舞台のチラシを発見したことを報告。「4月5日から7日にかけて、上演する舞台」と説明し「既に台本を覚える段階に入っていて、稽古も近かったということです」と明かした。続けて「本当に驚いたのですが」と述べ「やはり突然の訃報だったということが、このチラシからもよくわかります」とコメント。「山本さんとは、以前お仕事でご一緒したりバーで一緒に飲ませていただいたこともありました」と交流があったことを明かし「本当に、素敵な方で」「かっこいいんですよ」とその人柄についてつづった。また「話しぶりも、話す内容も声のトーンも低くて、しっかりしてますしね」と述べ「いつまでも美しくてこんなふうに、歳を重ねるのは素敵だなと思いながらご一緒させていただきました」と回想。「2008年ごろ 今から15年ほど前の、『放浪記』のパーティーの時のものです」と山本さんや女優の森光子さん、芸能リポーターの武藤まき子さんとの集合ショットを公開した。最後に「皆さんに天に召されてゆきました」と明かし「『陽子さん、待ってたのよ』そんな会話を、今頃されているかもしれません」とコメント。「『そして誰もいなくなった』写真を見ながら、本当にそうだとな、と感じています」と述べ「お世話になった方々が次々と亡くなられて、寂しい思いをしているのは私だけはありません」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「寂しいですね」「本当に残念です」「ご冥福をお祈り致します」などのコメントが寄せられている。
2024年02月26日タレントのモト冬樹が22日に自身のアメブロを更新。驚いた突然の訃報に心境を吐露した。この日、モトは「女優の山本陽子さんが熱海市の病院で亡くなったことが報じられた」と20日に亡くなった日本を代表する女優の山本陽子さんの訃報に言及。「突然の訃報に驚くばかりだ」と心境を明かし「山本陽子さんとは2012年と2013年に舞台『あるジーサンに線香を』で長い間ご一緒していただいた」と振り返った。続けて「コメディで山本陽子さんは俺の亡くなった女房で突然あらわれて俺のことを諭していくという役だった」といい「気風がよく男前でサバサバした方だったな」と回想。「それ以来お会いしていなかったんだけど」と述べ「先日放送された徹子の部屋でお元気そうにしてらしたので安心していたのに、、」と残念そうにつづった。また「こうやって俺の周りの方々がどんどん亡くなっていってしまう」といい「これが年をとるということなのか」とコメント。「山本陽子さん大変お世話になりましたそしてお疲れ様でした」とつづり「謹んでご冥福をお祈りいたします」と追悼した。この投稿に読者からは「驚きました」「信じられないです」「辛いですよね」「素晴らしい女優さんでした」などのコメントが寄せられている。
2024年02月23日俳優の高橋英樹が22日に自身のアメブロを更新。あまりにも突然で驚いた訃報に心境を吐露した。この日、高橋は「山本陽子ちゃん!!!」というタイトルでブログを更新し「突然のニュースに大変!驚きました」と20日に亡くなった日本を代表する女優の山本陽子さんの訃報に言及。「つい先日徹子の部屋でご一緒したばかりでした」と述べ、山本さんとの2ショットを公開した。続けて「日活映画時代の話で盛り上がり」と明かし「熱海にお住まいなので私もよく熱海に行きますので今度一緒に食事をしましょう!とラインも交換しました」と説明。「あまりにも突然なことで息もつまりました」と心境を吐露し「ご冥福をお祈りいたします」と追悼した。この投稿に読者からは「驚きました」「ショックです」「言葉が見当たらないです」などのコメントが寄せられている。
2024年02月22日歌手で俳優の黒沢年雄が22日に自身のアメブロを更新。過去に共演した人物の訃報を受け追悼した。この日、黒沢は「陽子ちゃんが亡くなった!」というタイトルでブログを更新し、20日に亡くなった日本を代表する女優の山本陽子さんの訃報に言及。「山本陽子ちゃんとは,何度か共演した…」と振り返り「見ためはお淑やかな女性だが…全然?…さっぱりした,ハッキリした男性的な性格だった」と山本さんの人柄について明かした。続けて「女優さんの方々は皆さん素敵だが性格が男っぽい…男優は繊細で気遣いの方が多かった…(僕も…笑)」と述べつつ「運命とは言え…次から次と高齢の素敵な俳優さんが亡くなって行く」とコメント。「人間の宿命だが…。いつか自分も訪れる…目いっぱい充実して生きているので感謝こそあれ…後悔はない!」と自身の考えをつづり「陽子ちゃんに…合掌」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年02月22日2024年2月19日、100円ショップ『ダイソー』を運営する株式会社大創産業の創業者である、矢野博丈さんが亡くなっていたことが分かりました。80歳でした。同社のウェブサイトによると、矢野さんは同月12日に心不全のため、広島県東広島市で息を引き取ったとのことです。弊社創業者である矢野博丈は、2024年2月12日(月)、広島県東広島市にて、心不全のために永眠いたしました。生前のご厚誼に深謝し、謹んでお知らせ申し上げます。通夜および葬儀はご家族のみで執り行われましたので、訃報のご連絡も法要後とさせていただきました。何卒ご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。ダイソーーより引用矢野さんは、1972年に家庭用品を販売する『矢野商店』を立ち上げ、後に100円均一販売を導入。1977年に『矢野商店』を株式会社大創産業として法人化し、1987年から『ダイソー』の展開に着手したといいます。1991年、最初の直営店を香川県高松市に出店してから、チェーン展開を本格化。『ダイソー』は全国に広まりました。矢野さんは、2018年の2月末まで同社の社長を務めていましたが、同年3月に会長に。翌年、会長からも退任したとのことです。2024年現在、多くの人の生活を支えている存在である『ダイソー』。創業者である矢野さんの訃報には「『ダイソー』にはいつもお世話になってます。本当にありがとう」「一時代を築いた方ですね」などの声が上がりました。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年02月19日映画コメンテーターの有村昆が17日に自身のアメブロを更新。落ち込んでいる時に笑い飛ばしてくれた人物の訃報に心境をつづった。この日、有村は「叶井俊太郎さん安らかにお眠りください」と16日に亡くなった映画プロデューサーの叶井俊太郎さんを追悼。「僕が1番落ち込んでいるときに唯一笑い飛ばしてくれた人でした」と振り返り「2ヶ月前に、最後に連絡した時も常に笑い飛ばしてました。かっこいい兄貴の後ろ姿をずっと見れて、僕は光栄です」とつづった。続けて「アリコンは落ち込んでねーで、キラーカブトガニを見ろ」と言われたそうで「よくYouTubeでもコラボさせていただき感謝です」とコメント。「叶井俊太郎さんの映画を見つけてくる才能は世界一だと思っています」と述べ「写真はいつかの忘年会で、笠井アナと叶井俊太郎さんと有村昆」と叶井さんや元フジテレビアナウンサーの笠井信輔との3ショットを公開し、ブログを締めくくった。
2024年02月19日タレントのモト冬樹が17日に自身のアメブロを更新。映画やドラマでとても世話になった人物の訃報を受け心境をつづった。この日、モトは「映画プロデューサー叶井俊太郎さんが16日亡くなってしまった」と16日に亡くなった映画プロデューサーの叶井俊太郎さんの訃報に言及。「膵臓がんで余命半年の宣告を受けたが抗がん剤、手術を拒否し一年八ヶ月生き続けた後とうとう力尽きてしまった」と説明した。続けて、叶井さんについて「映画やドラマで大変お世話になった」と明かし「男気があって格好いい人だったなぁ」と回想。「叶井さん本当にありがとうございました」と感謝を述べ「謹んでご冥福をお祈りいたします」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年02月18日元フジテレビアナウンサーの笠井信輔が17日に自身のアメブロを更新。訃報を受け複雑な胸中を吐露した。笠井アナは、2019年12月に悪性リンパ腫と診断されたことを公表。入院生活を送りながら抗がん剤治療を受けてきたが、2020年4月30日に退院、5月には仕事復帰を報告していた。この日は「『あきらめるな』と言えなかった自分」というタイトルでブログを更新し「ベテランの映画宣伝担当者なら知らない人はいない伝説の映画宣伝マンと言える叶井俊太郎さんが、天に召されて逝きました」と16日に亡くなった映画プロデューサーの叶井俊太郎さんの訃報に言及。「56歳、若すぎます」とつづった。続けて、叶井さんについて「膵臓がんの末期がんでした」と述べ「1ヵ月ほど前にお会いして覚悟はしていた」と説明。「深い悲しみの一方で、ある種の安堵感とでも言うのでしょうか 叶井さん、やっと逝けたねと言う複雑な思いが交差しています」と複雑な胸中を吐露した。また「最近は連絡をとっていなかったのですが、二人ともがんのステージ4になった 気にならないわけがありません 久しぶりに会って話がしたい」と思っていたことを明かし、叶井さんが手がけた映画の試写会の会場に訪れた日に撮った叶井さんとの2ショットを公開。叶井さんから「もう治療はやってない」と言われたそうで「末期なので抗がん剤治療をすれば、最後まで入院は確実という状況から、自らどう生き抜くかを考えたのだと思いました」と推察した。さらに「もう、早く死にたいんだよね」とも言われたそうで「どう、答えていいかわかりませんでした」「叶井さんの『それ』は、あきらめからくる『それ』ではないとわかったから」と説明。「叶井さんは、自分の人生を十分生き抜いた」「自分の人生の着地をしっかりと見据えていると感じました」と振り返り「人生を自分自身の決断で全うすることを尊重して」「あげなければと、その時、私は強く感じた」といい「だから…『あきらめないで』と言えなかった」とつづった。最後に「叶井さん、山あり谷ありでしたが素晴らしい映画人生でした」とコメント。「天国からいつものように豪快に笑って、僕ら映画人のことを長く見守っていてください これからは、安らかに」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「最期までやりたいことをやり切る選択をしたのでしょう」「お辛い心情お察しします」「ご冥福をお祈りします」などのコメントが寄せられている。
2024年02月18日俳優の窪塚俊介が15日に自身のアメブロを更新。訃報が届くも後悔していることを明かした。この日、窪塚は「昨年の12月22日に神山清子さんが亡くなられました」と陶芸家の神山清子さんの訃報について言及し「滋賀県信楽の女性陶芸家で、若かりし当時、女性が歓迎されなかった作陶の世界でその大きな壁をはねのけ、後進に道を開いた草分け的存在の先生です」と説明。また「息子の賢一さんが29歳で慢性骨髄性白血病を発症し」と明かし「骨髄バンクの設立に尽力した方でもあります」とつづった。続けて「神山先生の訃報が昨年末に届き、晩年はなかなか連絡も取らずにいたことを後悔しています」と述べ「関西に行った際にふらっと顔を出すこともできたのに」と後悔した様子でコメント。「高橋伴明監督の『火々』という映画があります」「僕の映画デビューであり、自分にとってかけがえのない経験と今日までの指針を与えてくれた作品です」と明かし「田中裕子さん演じる神山清子の息子・賢一役に抜擢してもらいました」と振り返った。また「もう20年近く前の作品ですが、神山先生との思い出を書いておきたいと思いました」といい「撮影までの準備、台本の読み方、役作り、現場での立ち居振る舞い等々、ほぼ何も分からない素人の僕が最も心を寄せさせてもらった人が神山先生でした」と回想。「亡くなられた賢一さんを重ねて見てくれたのだと思います」と述べ「一ヶ月半ほどの撮影期間ずっと一緒に居させてもらえて、本当の母のように感じられる瞬間が何度もあり」とつづった。さらに「実際の母ではない人に対してこういう気持ちになることと『芝居をする』ということはとても関係があることなんじゃなかろうかと素人ながらに感じた」といい「役者として試行錯誤してきた中で、それは『核』なる部分でした」とコメント。「一生懸命に頑張ること、自分のできなさを認めること」「自分の知らない世界を学ぶこと、この映画を通じて、生涯大切にしなくちゃいけないことをたくさん教えてもらいました」とつづった。また「神山先生の作品は、火によって生命が与えられたのだと疑う余地もないほど力強いものでした」と回想し「本当に目を奪われたなぁ」とコメント。「のちの個展の際に頂いた信楽焼の湯飲みで毎日コーヒーを飲んでいます」と述べ「焼いてくれた僕の初めての作品は現在6歳になる息子のご飯茶碗になっています」と明かした。最後に「二児の父となり、不十分ながらも親としての務めを果たしていく中で、神山先生の、仕事に対する向き合い方や子供との関わり方を思うと、一層その凄みを感じます」といい「歯を食いしばって生きて、話せば冗談ばかり言って笑ってる。すごいなあ」とコメント。「こころから尊敬している先生。ありがとうございました」と感謝をつづり「どうぞ安らかに休んでください」と追悼した。
2024年02月16日歌手のクミコが10日に自身のアメブロを更新。“特別の存在”だと思っていた人物の訃報に心境を吐露した。この日、クミコは「世界に誇れる日本人というと、今はまあ大谷さんが出てきそうだが」と切り出し「やはり、小澤征爾さんは特別の存在だった」と6日に心不全のため亡くなった世界的指揮者の小澤征爾さんについて言及。小澤さんについて「私は二度、見たことがある」と述べ「お会いしたのではなく、街角で『見た』ことがある」と補足した。続けて「その一が都心の交差点」と明かし「なんだか得をした気持ちになった」と回想。「そのニが、地下鉄。当時いつも乗っていた、自宅近くの地下鉄ホームに立つと、機嫌の良い会話が聞こえ」「そちらを見ると、なんとそこに小澤征爾がいた」と振り返り「世界の小澤征爾がなんでここに。あまりのことに呆然。おそらく、周りの人もそうなんだろう」と当時の心境をつづった。また「小澤さんはなんてことなく、白いシャツの上下で、連れの女性と話している」「教え子かなにかだろう若い女性と、小澤さんは熱い喋り方のまま、やってきた電車に乗り込んだ」と当時の小澤さんの様子を明かし「小澤さんにとって世界はいつも『そこ』なんだなあと思った」とコメント。「世界は広いけど、どこでも世界」「小澤さんは、きっとこうしてなんの仕切りもないまま生きてこられたのだろう」と推測した。最後に「自由も愛も、仕切りなんかないよ、世界に仕切りなんかないよ。そんなのあったりまえだよ。ニンゲンのことだもの」と述べつつ「また一人、ニンゲンを愛した自由人の音楽家がいなくなってしまった」とコメント。「とびきりチャーミングな小澤征爾さんに、合掌」と追悼し「なんだかさみしいなあ」と心境を吐露した。
2024年02月12日歌手の秋元順子が10日に自身のアメブロを更新。世界中で活躍していた人物の訃報に心境を吐露した。この日、秋元は「小澤征爾さんご逝去の報。」というタイトルでブログを更新し「指揮者『世界のオザワ』と呼ばれて、世界中で御活躍されました」と6日に心不全のため亡くなった世界的指揮者の小澤征爾さんについて説明。「ひと言ではとてもご紹介の説明が出来ない程、凄い方です」と述べ「残念です」とつづった。続けて、小澤さんについて「才能と情熱が融合したお人柄」と明かし「大病に見舞われた後も、精力的にマエストロとして、また後輩の育成にも関わられ、ご自分流の音楽を貫かれました」と説明。「本当に残念です」と心境を吐露し「世界中から、哀しみ惜しむ声が届いているご様子、心からご冥福をお祈り申し上げます」と追悼した。この投稿に読者からは「速報ニュースで知りショックでした」「ゆっくりとお休み下さい」「長い間のご活躍、本当にお疲れ様でございました」などのコメントが寄せられている。
2024年02月11日女優で声優の戸田恵子が9日に自身のアメブロを更新。本当に残念でならない訃報についてつづった。この日、戸田は「いつかなんてないのだ。」というタイトルでブログを更新。「小澤征爾さんのご逝去」と6日に心不全のため亡くなった世界的指揮者の小澤征爾さんの訃報について言及し「心よりお悔やみ申し上げます」と追悼した。続けて「本当に残念でならないのは、一度もタクトを振る姿を拝見していないことだ」と明かし「何度かチャンスはあった。中でもNew York郊外で行われたコンサートに行き損ねた事は本当に悔いが残ってます」とコメント。「いつかなんて無いのだ。絶対、行かなければならなかった!」と述べ「残念。無念」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「ご冥福をお祈りいたします」「いつかなんてない…最近ひしひしと感じます」「私もそう思います」などのコメントが寄せられている。
2024年02月10日2024年2月9日、世界的な指揮者の小澤征爾(おざわ・せいじ)さんが亡くなっていたことが分かりました。同月6日、都内の自宅で、心不全により逝去したとのこと。88歳でした。産経ニュースによると、葬儀は近親者で執り行っており、後日お別れの会を開くことを検討しているといいます。小澤さんは、1935年に満州国奉天(現・中国瀋陽市)で誕生。幼い頃からピアノを学び、音楽家の斎藤秀雄さんから指揮を学びました。20代前半で渡欧し、1959年には『ブザンソン指揮者コンクール』で1位を獲得。その後、ボストン交響楽団の第13代音楽監督や、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任し、新日本フィルハーモニー交響楽団の創立にも携わるなど、数々の活躍を通して名を広め、『世界のオザワ』と評されました。訃報を受けて、人々からは「こんなに愛された指揮者がいたか?」「魅力的な指揮が忘れられない」などの声が上がっています。小澤さんが音楽に注いだ情熱は、多くの人々に感動を与えたことでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年02月09日2024年2月9日、漫画家の丸川トモヒロさんが虚血性心疾患のため亡くなっていたことが分かりました。53歳でした。丸川さんは、同年1月25日に息を引き取ったとのこと。株式会社KADOKAWAが発行している、月刊漫画雑誌『月刊少年エース』と『ヤングエース』がX(Twitter)アカウントで伝えています。【丸川トモヒロ先生 ご逝去のお報せ】「成恵の世界」「魔砲少女四号ちゃん」の作者・丸川トモヒロ先生が、2024年1月25日に虚血性心疾患のため、ご逝去されました。心温まる物語を描き続けていただいた丸川トモヒロ先生に感謝を表しますとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。2024年2月9日… pic.twitter.com/T0qioDdTHc — 少年エース (@shonen_Ace) February 9, 2024 丸川さんは『月刊少年エース』で漫画『成恵の世界』を、『ヤングエース』で『魔砲少女四号ちゃん』を連載した後、新作を構想中だったとか。編集部は「心温まる物語を描き続けていただいた丸川トモヒロ先生に感謝を捧げるとともに、その早すぎる逝去を悼み、心よりご冥福をお祈り申し上げます」とつづっています。丸川さんの逝去には、作品を愛読していたファンからも悲しみの声が上がりました。・『成恵の世界』が大好きでした。ご冥福をお祈りいたします。・天国に行くには早すぎます…。・『成恵の世界』『魔砲少女四号ちゃん』ともに読んでいました。ショックです。丸川さんの作品により、心を動かされた読者はたくさんいるはず。きっと、丸川さんが描いた物語は今後も人々の心の中で生き続けることでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年02月09日歌手のアグネス・チャンが8日に自身のアメブロを更新。訃報が続き、落胆していることを告白した。この日、アグネスは「今日姉が心配して電話をしてくれた」と明かし「優しいね。いろいろ話したよ。お互いに頑張ろうね、と」と説明。「訃報続きが私はちょっと落ち込んでいます」と訃報が続き、落胆していることを告白しつつ「でも周りに私を大事にしてくれてる方々が居て、私が大事にしてる方々が居て、とっても感謝しているのです」とつづった。続けて「『だからやるべき事をやろうよ』と姉がいいます」と明かし「その通りです!!頑張ります」とコメント。「感謝しています」と姉への感謝をつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「お姉さん、優しいですね」「いつも応援しています」「お身体大切になさって下さい」などのコメントが寄せられている。
2024年02月09日歌舞伎俳優の坂東彌十郎が2月1日に自身のアメブロを更新。訃報を受け悲痛な胸中を吐露した。この日、坂東は「明日は初日通り舞台稽古」があることを明かし「演目の順番も本順通り 早起きが始まります」とコメント「先ずはプハーッで気合いを入れて」とビールを堪能する自身の動画を公開した。続けて「ショックです。」というタイトルでブログを更新。「幾つかの役をお稽古していただきました。豊竹咲太夫さんが亡くなられました」と1月31日に肺炎のため亡くなった人形浄瑠璃文楽の太夫で人間国宝の豊竹咲太夫さんの訃報について言及し「ショックです」と悲痛な胸中を吐露し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「残念ですね」「ご冥福をお祈りします」「稽古頑張っていますね。応援します」などのコメントが寄せられている。
2024年02月03日