「訃報」について知りたいことや今話題の「訃報」についての記事をチェック! (1/11)
歌手の小柳ルミ子が17日に自身のアメブロを更新。11日に甲状腺機能低下症のため亡くなった歌手で俳優のいしだあゆみさんの訃報を受け追悼した。この日、小柳は「今テレビを見ていたら いしだあゆみさん死去の速報が」と驚いた様子で説明。いしださんについて「同じプロダクションの先輩後輩でお仕事も何度もご一緒させて頂きました」と明かした。続けて「あまりに突然で気が動転しています」とコメント。「落ち着きましたら又書かせて頂きます」と述べ「あゆみさんのご冥福を心よりお祈り致します」と追悼し、ブログを締めくくった。
2025年03月18日お笑いタレントの山田邦子が3月1日に自身のアメブロを更新。80歳で亡くなったフリーアナウンサーでタレントのみのもんたさんの訃報を受け追悼した。この日、山田は「みのさんが………逝ってしまった。ご冥福をお祈りいたします」と追悼。みのもんたさんについて「奥様が亡くなられてからずーっとかなり寂しそうだった」といい「逗子・鎌倉などでお会いしてもかつての黒光りするような粋で豪快な感じはなく、1人じゃ1本飲めないから一緒に飲んでよ、って白ワインをあけてくれたりした」と振り返った。続けて「仕事もたくさんご一緒させていただいた」と述べ、みのもんたさんの人柄について「キレが良くて、番組の回しが上手く客いじりも適当のように見えてあたたかみがあった」と説明。最後に「お疲れ様でした。寂しいです。もう一回会いたかった」とコメントし、ブログを締めくくった。
2025年03月01日俳優の梅沢富美男が3月1日に自身のアメブロを更新。“師匠”の訃報に悲痛な心境を吐露した。この日、梅沢は80歳で亡くなったフリーアナウンサーでタレントのみのもんたさんの訃報に言及。「『いや~梅ちゃん元気?久しぶりに飲みに行こうよ』っていつものように突然電話がくるんじゃないかってずっと思っていました」と述べ「僕に粋な大人の飲み方を教えてくれた師匠みのさん いろんな所に連れて行ってもらって沢山話を聞かせてもらいました」と振り返った。続けて、みのもんたさんの人柄について「あんなに才能溢れて豪快でかっこいい男はもう出て来ないんじゃないかな」と説明し「憧れてました」とコメント。最後に「寂しいです」と悲痛な心境を吐露し、ブログを締めくくった。
2025年03月01日中日ドラゴンズの公式マスコット・ドアラが22日、公式ブログを更新。ヤクルトスワローズが、つば九郎を支えてきた社員スタッフの訃報を伝えて以降、初となるブログで胸中をつづった。「まえをむいて」とのタイトルで「どうもドアラです。今日からオープン戦が始まります。いろんなことがあります。いろんな思いがあります。ありがとう。みんなもありがとう。まえをむいて自分のできる事を。みんなの笑顔のためになにかしら頑張ろう」としたためた。ヤクルトスワローズは19日に「球団からのお知らせ」として、「これまで、つば九郎を支えてきた社員スタッフが永眠いたしました」と報告。「球団マスコットとして、ここまで育ててくれた功績に感謝と敬意を表します」とつづった。続けて、「体調不良の発表以来、温かい励ましのお言葉をたくさん頂戴し、誠にありがとうございました」とし、今後について「今後の活動については、しばらくの間休止となることをお知らせいたします」と伝えた。
2025年02月22日俳優で歌手の田中健が13日に自身のアメブロを更新。1月29日に亡くなった俳優の下條アトムさんの訃報を受け追悼した。この日、田中は「下條アトムさんの訃報に接し大変寂しく残念に思います」とコメント。「僕はアトムさんの父上、下條正巳さんに大変可愛がっていただきました」と明かし「正巳さんのご趣味のひとつは篆刻」だったといい「僕が30代の頃だったか御一緒したドラマの最終撮影日に『君の事を思いながら昨夜も彫りました』と手渡し下さったことは貴重な思い出です」と振り返った。続けて「僕は、そんな姿に心を打たれ」「芝居を究めながらも自分の心を律するような趣味を持ちたいとケーナ演奏に辿り着きました」と説明。「アトムさんとドラマなどで御一緒するとそんな僕の自慢話を毎回聴いていただいたように思います」と回想し「沢山のエディ・マーフィの吹き替えの数々も大変楽しませていただきました」とつづった。最後に「最近は御一緒する機会に恵まれませんでしたがとても寂しく思います」とコメント。「ご冥福を心よりお祈りします」と追悼し、ブログを締めくくった。
2025年02月14日歌手の平原綾香が10日、自身のインスタグラムを更新。【画像】平原綾香、現代社会への想いを綴る「それでも私は、何も知らない」家族の訃報を受けた心境を綴った。「昨日、お知らせがあった。まだ信じられないし、信じたくない」と書き出し、大切な「おじちゃん」が亡くなったことを報告。「電話帳に"ああや"と登録していたから、よく間違い電話がかかってきた」と生前の思い出を振り返った。最後のLINEには「お疲れ様でした。楽しく、アーヤの生の歌声聞けて嬉しい時間でしたよ。身体に気をつけて下さい」とのメッセージが残されていたという。「まだ私の中では生きてるんです。ずっと」と締めくくり、喪失の中にも変わらぬ愛情を滲ませた。 この投稿をInstagramで見る 平原綾香 (AYAKA HIRAHARA) A-ya(@ayaka_hirahara_official)がシェアした投稿 この投稿には「おじ様のご冥福をお祈りします」「突然の訃報に心が痛みます」「愛に触れた人はずっと傍にいるよ」といった温かいコメントが寄せられている。
2025年02月10日ロックバンド・X JAPANのYOSHIKIが18日に自身のアメブロを更新。尊敬していた人物の訃報を受け心境を吐露した。この日、YOSHIKIは「とても悲しいです」というタイトルでブログを更新。映画『エレファント・マン』やテレビドラマ『ツイン・ピークス』などで知られる米映画監督デビッド・リンチさんの訃報に言及し「自分が尊敬し、一緒に仕事をした素晴らしい監督でした。とても悲しいです」と心境を吐露した。続けて「貴方の並外れたビジョンと優しさをいつまでも忘れません。デヴィッド安らかにお眠りください」とリンチさんを追悼。最後に、英語でもリンチさんへの追悼のコメントをつづり、ブログを締めくくった。
2025年01月18日タレントの薬丸裕英が10日に自身のアメブロを更新。帰国して数時間後に飛び込んできた先輩の訃報に驚愕したことを明かした。この日、薬丸は「帰国して数時間後に飛び込んできた訃報」と切り出し「事務所の先輩」で9日に膀胱がんのため亡くなったフリーアナウンサーの小倉智昭さんについて「突然のご逝去の報に接し、驚愕しております」とコメント。小倉さんとはLINEや電話で連絡を取っていたといい「いまだ信じられません」と心境をつづった。続けて「ご遺族の皆様もお気持ちを強く持ち、ご自愛ください」と述べ「ご冥福を心よりお祈り申し上げます」と小倉さんを追悼し、ブログを締めくくった。
2024年12月10日演歌歌手の藤あや子が10日に自身のアメブロを更新。同郷の大先輩の訃報を受け、追悼のコメントをした。この日、藤は9日に膀胱がんのため亡くなったフリーアナウンサーの小倉智昭さんの訃報に言及し「同郷の大先輩」であることを説明。「4年前お食事にお誘い頂き大好きな音楽のことや故郷の思い出など沢山」「話してくださいました」と振り返り、小倉さんとの2ショットを公開した。続けて「その時も闘病中ということでしたがとてもお元気そうで次回は美味しいステーキにしようと約束してくださいました」と明かし「闘病から8年本当にお辛い日々だったと思います」とコメント。「どんなに苦しくても負けない小倉さんの強い意志を決して忘れません」と述べ「どうか安らかに天に召されますように祈ります」と追悼した。
2024年12月10日歌手のアグネス・チャンが10日に自身のアメブロを更新。ニュースを見て知った訃報に心境を吐露した。この日、アグネスは9日に膀胱がんのため亡くなったフリーアナウンサーの小倉智昭さんの訃報に言及。「番組で何回もお会いして、インタビューもされました」と振り返り「私たち世代にとって、小倉さんは親しみのある名司会者です」とつづった。続けて「長い闘病生活を耐えて、最後まで社会の問題点を指摘、ジャーナリストの魂を貫いたと思います」と述べ「安らかにおやすみください」と追悼。「また一人輝かしい方が天に召されました。寂しい思いです」と心境を吐露し、ブログを締めくくった。
2024年12月10日2024年12月9日に息を引き取った、アナウンサーの小倉智昭さん。2016年に膀胱がんを公表していました。【訃報】小倉智昭さんが逝去『とくダネ!』朝の顔に「お世話になりました」の声小倉さんが司会を務めていた朝の情報番組『情報プレゼンター とくダネ!』(フジテレビ系)で長年共演していた、アナウンサーの笠井信輔さん。自身も、2019年に悪性リンパ腫が発覚し、治療に励んだ結果、2020年に完全寛解したことを明かしています。笠井さんは、自身のInstagramで小倉さんとのツーショット写真を公開し、思い出をつづりました。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 笠井信輔official(@shinsuke.kasai)がシェアした投稿 小倉さんお疲れ様でした長い長いがんの向き合いほんとに頑張りましたね小倉さんとの出会いで、私の人生は大きく変わりました大きく上向きました感謝しかありません今日は、1番弟子として「めざまし8」でしっかりと小倉さんのことを伝えます天国から見ていてくださいねいつまでも、安らかにありがとうございましたshinsuke.kasaiーより引用小倉さんの一番弟子だったという、笠井さん。『情報プレゼンター とくダネ!』では、サブMCとして小倉さんを支えてきました。師匠の訃報に悲しみをあらわにし、感謝の言葉をつづっています。小倉さんと笠井さんの写真に、コメント欄にはこのような声が上がっていました。・お互いが信頼し合っている関係性が素敵でした。・朝の番組での印象がとてもよく残っています。2人の掛け合いが好きでした。・本当に2人は名コンビだったと思います。名コンビでもある2人を、もう一緒に見ることができなくなってしまうのは、とても悲しいですね。きっと、笠井さんが誰よりも悲しく思っていることでしょう。一番弟子でもある笠井さんは、小倉さんの思いも受け継ぎ、今後も私たちに情報を丁寧に的確に発信してくれることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2024年12月10日2024年12月10日、アナウンサーの小倉智昭さんが亡くなったことが分かりました。77歳でした。サンケイスポーツによると、小倉さんは同月9日の午後に息を引き取ったとのことです。2016年に膀胱がんを公表し、転移が明らかになる中でも仕事と闘病を続けていた、小倉さん。一時は休養を挟むも、2022年には仕事復帰の会見を開き、闘病生活や現在の体調について明るい様子で語っていました。2022年、仕事復帰の会見にて小倉さんといえば、およそ20年にわたってMCを務めていた、情報番組『とくダネ!』(フジテレビ系)を思い出す人が多いでしょう。番組終了が発表された際に、小倉さんは「やっぱり人は、歳をとるとダメだなあ」と加齢に対する考えを明かすも、「でも、まだ最終回まで騒ぎます!」と笑顔でコメントしていました。長年『朝の顔』として、多くの人に情報を発信してきた小倉さんの旅立ちに、幅広い世代から偲ぶコメントが寄せられています。・長くご闘病をしていましたね。病状について積極的に発信していて、本当に強い人だと思いました。・自分にとって、小倉さんは学生時代の『朝の顔』でした。・『とくダネ!』以外でも、いろんな番組に出ていましたね。さびしいです。アナウンサーとして活躍するその背中は、多くの後輩に影響を与えたことでしょう。小倉さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年12月10日歌手でタレントの早見優が7日に自身のアメブロを更新。女優の中山美穂さんの突然の訃報を受け追悼のコメントをした。この日、早見は「中山美穂さんの突然のご逝去の報に接し、ただただ信じられない思いと悲しい気持ちでいっぱいです」と心情を吐露。「はにかむような笑顔が愛らしい美穂さん」と中山さんの印象を振り返りつつ「お食事をご一緒する機会があり、その時もとても優しい笑顔でお話しされていたのを鮮明に覚えています」とつづった。続けて「ロスに滞在していて、ちょうど日本に帰国した時、美穂ちゃんと入れ違いになったことがありました」と回想。共通の友人が中山さんに「さっきまで優がいたのよ」と話したそうで「美穂ちゃんがとても嬉しそうに夏色のナンシーを口ずさんでくれたという話を聞きました」と明かし「その光景を思い浮かべると、胸がいっぱいになります」とコメントした。最後に「ご家族の皆さま、そして美穂さんを愛するファンの皆さまのことを思うと、胸が痛むばかりです。心からご冥福をお祈り申し上げます」と中山さんを追悼し、ブログを締めくくった。
2024年12月08日脚本家の北川悦吏子が7日の深夜に訃報が報告された中山美穂の追悼をXを更新した。悲しみのあまりか現在、投稿は削除されている。【画像】EXILE TAKAHIROが生涯〇〇宣言!ファンから喜びの声殺到!「忘れないでよね。天国行っても忘れないでよね。」と綴り、6日に訃報が発表された女優で歌手の中山美穂と映画監督の岩井俊二とのスリーショットを公開した。中山美穂と北川悦吏子はTBSドラマ「LoveStory」、映画「新しい靴を買わなくちゃ」で作品を共にしている。北川悦吏子氏の投稿は本人により削除されており、突然の訃報に受け止めきれない心境があるようで削除後に自身の思いを「見ると悲しくなって無理だった。昨日から伏せってて、心の整理つかない。」と語っている。多くの関係者も突然の訃報に驚きが隠せず、スリーショットに写っている岩井俊二氏も英語、中国語、韓国語、日本語で世界中に対して追悼コメントを発表している。We had promised to make a pilgrimage to the snow-covered Otaru together in 2025 - for your 40th debut anniversary and the 30th anniversary of "Love Letter."And then this news of your sudden passing.With so many emotions swirling inside - frustration, deep regret…I am yet…— iwai Shunji 岩井俊二 (@sindyeye) December 6, 2024 追悼コメントには多くの返信が集まり、突然に訃報に悲しむ声が届いている。
2024年12月08日歌舞伎俳優の片岡愛之助が6日に自身のアメブロを更新。手術を終えたことを報告し、女優の中山美穂さんの訃報を受けコメントした。片岡は1日に更新したブログで、同日から京都・南座で開幕している『吉例顔見世興行』の舞台稽古中に負傷し『當る巳歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎』を当面休演することについて、心境を明かしていた。6日に更新したブログでは「手術を終え,安静にしています」と報告。「ご心配、応援のお声など家族からも聞いています。たくさんのお優しさ、お気遣い、ありがとうございます」と感謝の言葉をつづった。続けて、稽古中に起きた事故の詳細について「えび反り体勢のところに、かなり速いスピードで顔面に降りてきたセットに驚き咄嗟に数センチよけることが精一杯でした」と説明。「目が見えること、身体が動くこと、命があることは、当たり前じゃない、 ほんまに感謝しなきゃ、そんなことを考えながら、毎日を過ごしています」と心境を明かした。また「今は神様がくれたおやすみなんだと思い」「人生、まだやりたいことがあるし、まだまだ頑張っていきたいので、しっかり療養して1日も早く治したいです」と前向きな様子でコメントした。最後に、中山さんの訃報を受けたことについて「いまはまだ信じられないです 信じたく無いです」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年12月06日2024年12月6日、俳優で歌手の中山美穂さんが亡くなったことが分かりました。54歳でした。産経ニュースによると、中山さんは東京都渋谷区の自宅で亡くなっていたところを発見され、警視庁が詳しい状況を調べているとのことです。また、中山さんのウェブサイトでは、同日に大阪府での開催を予定していたクリスマスコンサート『Miho Nakayama Christmas Concert 2024 in Billboard Live』を体調不良で中止することが伝えられていました。1985年に歌手デビューし、90年代には数々のヒット曲を出すほか、俳優としても話題の映画やテレビドラマに出演し、活躍をしてきた中山さん。中山さんのご冥福をお祈りいたします。また、ニュースを読んでつらい気持ちになった人は、厚生労働省が行っている電話相談を頼ってください。厚生労働省[文・構成/grape編集部]
2024年12月06日2024年11月27日、ロックバンド『ペトロールズ』のメンバーである、河村俊秀さんが亡くなったことが分かりました。45歳でした。同バンドは、ウェブサイト上で「「『ペトロールズ』を応援してくださっているみなさまへ」」という文言とともに、河村さんの突然の訃報に対する心境をつづっています。突然のお知らせとなりますが、ペトロールズの河村俊秀が、11月26日に自宅で倒れているところを家族・友人に発見され、その後病院に搬送されましたが、残念ながら死亡が確認されました。この突然の悲報に接し、メンバーおよびスタッフ一同、深い悲しみの中におります。12月6日(金)神奈川での出演を予定しておりました「Montreux Jazz Festival Japan 2024」につきましては、関係各位と協議の上、出演を見送ることといたしました。楽しみにしてくださっていた皆様、並びに関係者の皆様には、多大なるご迷惑とご心配をお掛けすることとなり、誠に申し訳ございません。なお、ペトロールズ出演見送りによる対応については、また改めてお伝えいたします。また、葬儀に関しましては、ご遺族のご意向により、近親者のみで執り行う予定ですので、ご了承いただきますようお願い申し上げます。河村俊秀に対する生前のご厚情に対し、心より感謝申し上げます。そして、心より彼のご冥福をお祈り申し上げます。2024年11月27日ペトロールズ / 花岡無線電機 / ENNDISC BY WKKペトロールズーより引用『ペトロールズ』は、2005年に結成された、3人組のバンド。ロックバンド『東京事変』のギターとして知られる、長岡亮介さんが所属しており、河村さんはドラムとコーラスを担当していました。同バンドは、2024年9月1日に始まった全国ツアー『DE LUXE』を同年11月3日に終えたばかりです。河村さんの早すぎる逝去にファンからは「心の整理が付かない」「突然の別れに残念で仕方ない」「つらすぎる」といった悲しみの声が寄せられています。多くのファンが愛した、河村さんのサウンドは、音楽を通じて人々の心に刻まれ続けるでしょう。河村さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年11月28日2024年11月25日、声優の堀絢子さんが亡くなっていたことを所属事務所が明かしました。89歳でした。堀さんは、老衰のため同月18日に息を引き取ったとのことです。弊社所属俳優 堀 絢子 儀(89歳)令和6年 11 月 18 日 老衰のため永眠いたしましたここに生前賜りましたご厚誼に深く感謝いたしますとともに謹んでご通知申し上げますなお 通夜及び告別式は近親者のみにて執り行われました誠に勝手ながら ご弔問やご供物等につきましてもご辞退申し上げます故人ならびにご遺族のご意向により ご通知が遅くなりましたことご諒恕のほどお願い申し上げます株式会社 ぷろだくしょんバオバブ株式会社 ぷろだくしょんバオバブーより引用堀さんは、テレビアニメ『忍者ハットリくん』(テレビ朝日系)の主人公・ハットリカンゾウ役や、テレビアニメ『新オバケのQ太郎』(日本テレビ系)のQ太郎役を演じていました。また、今もなお愛され続けているテレビアニメ『ムーミン』(フジテレビ系)のミィや、アニメ映画『トムとジェリー』シリーズでは、いたずら好きのネズミ・ジェリーに声で命を吹き込んでいた堀さん。海外作品の吹き替えにも多数出演しており、多くの人が一度は、キャラクターを通して堀さんの声を耳にしたことがあるのではないでしょうか。そんな堀さんの訃報に、ネット上では悲しみの声が寄せられていました。・『忍者ハットリくん』、よく見ていたな。また大声優が1人いなくなってしまった…。・哀しいですね。本当にたくさんの作品に出ていた声優さんだと思います。・堀さんが当てた声のキャラクターで育ちました。たくさんの思い出をありがとうございました。多くの人が子供の頃から慣れ親しんでいた堀さんの声は、これからも作品を通して人々に愛され続けるでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年11月25日タレントの堀ちえみが24日に自身のアメブロを更新。7年7か月闘病していた友人の訃報を明かした。この日、堀は7年7か月闘病していた友人の訃報を明かし「彼女と知り合ってからの5年と半年余り。がん患者同志として、気持ちをわかち合いながら繋がってきました」とコメント。「共に励まし合って、お互いの目標をそれぞれに持ち、歩んできた」と述べ、友人について「笑顔を絶やすことなく、いくつもの山を乗り越えました」とつづった。続けて「やさしい旦那さまと可愛い小学生のお嬢さま、お父様とご兄弟に見守られながら、旅立たれた」と説明。「さようならという言葉では見送らないで、行ってらっしゃい!と声を掛けて送って欲しいという、彼女の遺志を守り…皆さんで行ってらっしゃい!とお見送りをしました」と明かした。また、亡くなる10日前に会っていたそうで「彼女から歌い出して、一緒に私の歌を歌いました」と回想。「怖くて不安で心が折れそうだと、時々そう言った内容のLINEが、送られてきたりもしました」と明かしつつ「会えば必ず、『ちえみさんお身体に気をつけてください』と自分のことより周りのことを気遣う、思いやりの心とやさしさを持った女性でした」とつづった。最後に「『最後まで生ききる』という意味を私に教えてくれた彼女に、心から感謝しています」と述べ「ありがとう!もうゆっくりしてね。またね」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「辛い別れですね」「ご冥福をお祈りいたします」「無理しないでくださいね」などのコメントが寄せられている。
2024年11月25日2024年11月23日、歌舞伎俳優の市川團蔵さんが亡くなったことが分かりました。73歳でした。サンケイスポーツによると、團蔵さんは同月19日に誤嚥性肺炎による敗血症性ショックのために亡くなったとのこと。葬儀などは親族のみで執り行ったそうです。1951年5月29日に生まれた、團蔵さん。祖父は8代目市川團蔵で、1987年に9代目市川團蔵を襲名しました。日本舞踊柏木流十代目宗家を兼ねており、菊五郎劇団の重鎮としても、なくてはならない存在だったといいます。国立劇場養成事業の歌舞伎俳優研修の講師も務めた團蔵さんは、芝居だけでなく生き方も含めて、後輩の指針となる存在であったとか。2024年5月の歌舞伎座『四千両小判梅葉』が最後の舞台となりました。團蔵さんの訃報を受け、ネットでは悲しみの声が広がっています。・歌舞伎界に貢献された功績は素晴らしかったです。ご冥福をお祈りいたします。・ショックです。もっと見たかった。・渋くて太い演技が好きでした。味わいがあってよかった。・ついこの間、元気な姿を拝見したばかりなのに。さびしいです。堂々とした風格で舞台に立ち、人々を魅了してきた團蔵さんの姿は、多くの人の心に残り続けるでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年11月23日2024年11月22日、落語家の桂雀々さんが亡くなったことが分かりました。64歳でした。所属事務所の株式会社ラルテによると、糖尿病からの肝不全により、同月20日に亡くなったとのこと。葬儀は近親者のみで執り行われたそうで、後日『お別れの会』を予定しているといいます。弊社所属落語家 桂雀々は、糖尿病からの肝不全により、去る11月20日、64歳で永眠いたしました。入院中も最後まで高座復帰を目指し療養に努めて参りましたが、残念ながらその願いは叶いませんでした。これまで多くのお客様、また関係者の皆様に愛され親しまれ、幸せな落語家人生であったと存じます。株式会社ラルテーより引用1977年に故・桂枝雀さんに入門し、『桂枝雀独演会』で初舞台を踏んだ、雀々さん。落語のほか、テレビドラマや映画、舞台など、多方面で活躍していました。芸暦40周年を記念して行われた公演では、お笑いタレントの明石家さんまさんや、ミュージシャンの桑田佳祐さんが出演したことで大きな話題に。2020年には、映画監督の山田洋次さんが原作・脚本を務めるドラマ『贋作 男はつらいよ』(NHK BSプレミアム)で車寅次郎を演じたことも、記憶に新しいでしょう。2024年11月15日には、糖尿病により入院し、年内出演予定の落語会を休演すること、復帰に向けて療養中であることが発表されていました。突然の別れに、ネットでは悲しみの声が広がっています。・まだお若いのにビックリ…。たくさん大笑いさせていただきました。・ショックすぎる。いつも元気をいただいていて、大好きでした。・ウソでしょ。あまりにも早い…。たくさんの笑顔を届けてきた雀々さんの姿は、多くの人の心に残り続けることでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年11月22日2024年11月14日、自宅で家族に見守られながら亡くなった俳優の火野正平さん。同年5月に公開された劇場版『鬼平犯科帳 血闘』などの人気作に出演していました。歌舞伎役者で俳優の松本幸四郎さんが主演を務める『鬼平犯科帳』シリーズで、相模の彦十役を演じていた、火野さん。同作は、Xで『訃報』とつづり、追悼のメッセージを公開しました。【訃報】 pic.twitter.com/PlnysMduXw — 「鬼平犯科帳」「仕掛人・藤枝梅安」時代劇パートナーズ (@jdigk_partners) November 20, 2024 “相模の彦十”役の火野正平さんが亡くなられました。火野さんは、1949年5月30日東京都生まれ。12歳のころから劇団 「こまどり」に所属し、1962年にドラマ 「少年探偵団」に出演。1973年からは池波正太郎が名付けた現芸名で活躍し、NHK大河ドラマ「国盗り物語」での羽柴秀吉役が当たり役に。その後も数多くの時代劇や、ドラマ、映画などに出演。色気のある渋さと人懐っこさをあわせもつ名脇役として、数々の作品で強い印象を残しました。近年では、自転車で日本を縦断する紀行番組、「にっぽん縦断こころ旅」の親しみやすい人柄でも人気を博しました。松本幸四郎主演「鬼平犯科帳」シリーズでは、平蔵の昔なじみであり、裏の世界の酸いも甘いも噛み分けた密偵 “相模の彦十”役を演じ、「新たな鬼平」には欠かせない存在感を示してくださいました。火野正平という芸名は、池波正太郎先生につけていただいたことに触れ、「やっと池波先生の作品にレギュラーとして参加できた。そんな縁があるから、これは大切にしたい作品です」と作品への想いを語ってくださいました。火野さんは以前、「鬼平犯科帳」の撮影現場で、「皆があんまり悲しそうだったら笑わせてやろうとか、笑いが多いなと思ったらトーンをちょっと落としてみようとか、そんなことをずっと考えて演じていきました」と話し、物語の中ではもちろん、撮影現場においても心の支えでした。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。鬼平犯科帳 キャスト・スタッフ一同@jdigk_partnersーより引用『火野正平』という芸名は、『鬼平犯科帳』の作家でもある池波正太郎さんに付けてもらったことから「大切にしたい作品です」と語っていたのだとか。また、撮影現場では、シーンの盛り上がりを考えて演じていたといい、心の支えだったとつづっています。主演の松本さんも追悼文を発表。【松本幸四郎さんコメント】 pic.twitter.com/TydDBtyY1b — 「鬼平犯科帳」「仕掛人・藤枝梅安」時代劇パートナーズ (@jdigk_partners) November 20, 2024 無念です。たくさん泣きました。火野さんには役者の色気を強烈に感じ、その佇まいと匂いに僕は魅了されていました。大きな存在感にピリッとした緊張感を味わえる気持ちよさ。お会いしたすべての時間は僕の誇りです。火野さんとのことが過去形でしかないことに、これからがないことに悲しみでいっぱいです。心よりご冥福をお祈りいたします。松本幸四郎@jdigk_partnersーより引用また、同年8月に公開された映画『ラストマイル』にも出演していた、火野さん。『ラストマイル』のXアカウントでも、追悼文が投稿されました。『ラストマイル』に佐野昭役でご出演頂いた、火野正平さんが11月14日に逝去されました。撮影中は沢山の楽しいお話をしてくださり、現場はいつも笑いに包まれていました。火野さんには本当にたくさんのことを学ばせて頂き、感謝しかありません。ご冥福をお祈りいたします。— 映画『ラストマイル』公式【大ヒット上映中】 (@last_mile_movie) November 20, 2024 撮影現場でのエピソードが多く、火野さんがカメラの裏でも制作陣を支えていた俳優ということが伝わってきますね。火野さんの姿を見てきたキャストやスタッフが、これまで火野さんが現場で大切にしていたことを後世に残していってくれることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2024年11月20日2024年11月20日、俳優の火野正平さんが亡くなったことが分かりました。75歳でした。この日、所属事務所のシーズ・マネージメント株式会社は、ウェブサイトを通して火野さんの逝去を報告。火野さんは同月14日、自宅で家族に見守られながら、穏やかに人生の幕を下ろしたといいます。同年4月から、火野さんは持病の腰痛を治すため闘病生活を送っていました。しかし夏頃、腰部骨折によって体調を崩してしまったそうです。子役として早くから活躍し、1966年放送のテレビドラマ『わんぱく砦』(テレビ朝日系)にて、旧芸名の『二瓶康一』名義でブレイクを果たした、火野さん。その後は現在の芸名に変更し、数多くのテレビドラマや映画で幅広く活躍しました。俳優以外の活動で特に有名なのは、2011年から出演していた旅番組『にっぽん縦断 こころ旅』(NHK)。自転車で全国各地を回る『旅人』としての姿は、幅広い世代の視聴者から高い人気を博していました。火野さんの闘病を受け、2024年10月から放送の『にっぽん縦断 こころ旅2024秋の旅』は、代役を立てて放送。多くの番組ファンから心配する声が上がる中の、訃報となりました。ネットでは同番組のファンを中心に、たくさんの声が寄せられています。・『旅人』としての姿も大好きでした。天国でもまた自転車に乗ってくださいね。・いつまでも若々しくて元気そうだったので、驚きを隠せません。・腰を治して戻ってくると思っていたのに…。旅番組での嬉しそうな姿が忘れられない。火野さんの葬儀は、すでに家族葬にて執り行われたとのこと。『にっぽん縦断 こころ旅』は、およそ14年間にわたって、1200日を超える旅を続けた火野さんに追悼の言葉を捧げています。俳優として、さまざまな役を演じる姿。そして、『旅人』として自転車で駆け抜ける姿は、多くの人の心に残り続けることでしょう。火野さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年11月20日2024年11月19日、詩人の谷川俊太郎さんが亡くなっていたことが分かりました。92歳でした。産経新聞によると、谷川さんは老衰のため、同月13日に息を引き取ったといいます。10代で詩作を始め、1952年に詩集『二十億光年の孤独』を発表した、谷川さん。生きている人類の孤独の姿を、みずみずしい感性でうたい、デビュー作ながら大きな注目を集めました。1962年には、作詞を手がけた童謡『月火水木金土日のうた』で『第4回日本レコード大賞』作詞賞を受賞。1967年には、初の訳書となる『あしながおじさん』を出版しました。そのほか、教科書にも掲載されている『スイミー』や、犬のキャラクター・スヌーピーで知られる『ピーナッツ』など、数多くの翻訳作品を手がけています。詩人としてだけではなく、翻訳家や絵本作家など、多彩な才能を発揮し、活躍してきた、谷川さん。突然の訃報に、ネット上では悲しみの声などが寄せられています。・谷川さんといえば、国語の教科書に載っていた『朝のリレー』。いまだに覚えているので、よっぽど印象が深かったんだろうな。・『生きる』の言葉たちを、僕は何度でも思い出すのだと思います。・『天才バカボン』で谷川さんが書いたバカボンの言葉にどれほど救われたか…。・『夜のミッキー・マウス』が好きでした。この世にたくさんの詩を残してくれて本当にありがとう。親しみやすい言葉で、魅力的な世界観を生み出してきた、谷川さん。谷川さんの作品は、これから先も多くの人に読み継がれることでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年11月19日2024年11月15日、三笠宮妃百合子さまが、東京都中央区の聖路加国際病院で亡くなられました。明治以降の皇室で女性皇族としても最高齢の101歳でした。産経ニュースによると、百合子さまは脳梗塞と誤嚥性(ごえんせい)肺炎のため、同年3月に同病院に入院されていたといいます。1923年6月4日生まれである百合子さまは、昭和天皇の弟で2016年に100歳で薨去(こうきょ)した三笠宮崇仁親王さま(以下、三笠宮さま)とご結婚後、寬仁親王殿下、桂宮宜仁親王殿下、高円宮憲仁親王殿下、甯子(やすこ)さま、容子(まさこ)さまの3男2女をご出産。三笠宮さまと75年に渡り連れ添われました。三笠宮ご夫妻また百合子さまは、歴史学者でもある三笠宮さまとともに国際親善に努め、中近東地域を史跡調査でご訪問。映画やスライドを撮影し、三笠宮さまの講義の資料収集に内助の功を発揮されたといいます。そのほか、恩賜財団母子愛育会の総裁を就任し、母子保健に関する活動にご尽力されたほか、日本赤十字社名誉副総裁や、公益社団法人東京慈恵会総裁、国際柔道連盟アンバサダーなど、各分野の普及や発展に貢献されてきました。百合子さまは料理にも強くご関心があり、2冊のレシピブックを出版されています。ご著書においては、被災地である福島県などの生産者の人々への思いやりのお気持ちがつづられていたといいます。晩年、百合子さまは、東京都港区にある赤坂御用地の三笠宮邸で、孫やひ孫の成長を楽しみに過ごされていたそうです。激動の時代を生き抜き、国民の幸福を祈り尽力されてきた、百合子さまの安らかな旅立ちを、多くの人々が願っているでしょう。[文・構成/grape編集部]
2024年11月15日2024年11月8日、声優であり、俳優の喜多道枝さんが亡くなっていたことが分かりました。89歳でした。産経ニュースによると、喜多さんは同月6日、東京都にある自宅で息を引き取ったといいます。『世界名作劇場』シリーズの1つとして知られている、アニメ『フランダースの犬』(フジテレビ系)の主人公・ネロ役を演じた、喜多さん。ほかにも、『オバケのQ太郎』(TBS系)や『鉄腕アトム』(フジテレビ系)、『リボンの騎士』(フジテレビ系)といった、数々の人気作品で活躍しました。また、大河ドラマ『徳川家康』(NHK)や、1994年に放送されたテレビドラマ『時をかける少女』(フジテレビ系)にも出演。声優だけでなく、俳優として、演技でも多くの人を魅了してきました。突然の喜多さんの訃報に、ネット上では、悲しみの声などが寄せられています。・子供の頃、喜多さんの声が大好きで、いつも癒されていました。・喜多さんの演技力が素晴らしくて、子供ながら真似していました。・ネロの優しい声が忘れられません。素敵なキャラクターを演じていただき、ありがとうございました。なお、葬儀と告別式は近親者のみで執り行う予定だといいます。喜多さんの功績は、これからも数々の作品とともに輝き続けることでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年11月09日11月5日、中川翔子が公式Xで楳図かずお氏の訃報に対する追悼メッセージを投稿。【画像】「めちゃめちゃ素敵ー!」中川翔子が”ラスボス”とライブで共演!凄すぎる2ショットにファンも大興奮タレントの中川翔子が、漫画家・楳図かずお氏の訃報を受け、公式Xで深い悲しみと感謝の意を表明した。中川は「大好きな大尊敬する本当の神様 楳図かずお先生 もうお会いできないなんて信じられないです」と心境を綴り、2年前に会った際の写真を添えて追悼の意を示した。また、楳図氏の作品『漂流教室』の登場人物「翔ちゃん」から自身の名前をいただいたことや、楳図氏の言葉に救われた経験を明かし、「わたしの人生は楳図かずお先生のおかげで今があります」と感謝の気持ちを伝えた。楳図かずお氏は、ホラー漫画の第一人者として知られ、多くの名作を世に送り出した。中川はその作品に影響を受け、絵を描くことが好きになったと語っている。大好きな大尊敬する本当の神様楳図かずお先生もうお会いできないなんて信じられないです2年前のこの時がお会いできた最後になってしまいましたとても純粋で優しくてあたたかくてあまりにも大きな存在です楳図かずお先生の美しくて怖い漫画があったから絵を描く事が大好きになりました… pic.twitter.com/HEZp2vQIpJ — 中川翔子⬛ (@shoko55mmts) November 5, 2024 中川翔子の投稿には、多くのファンから「楳図先生のご冥福をお祈りします」「翔子さんの思いが伝わります」といったコメントが寄せられ、楳図氏の作品と人柄が多くの人々に愛されていたことが伺える。
2024年11月05日2024年11月5日、漫画家の楳図かずおさんが亡くなったことが分かりました。88歳でした。楳図さんは、1936年和歌山県生まれ。1955年に漫画家デビューすると、『まことちゃん』『漂流教室』『わたしは真悟』などの作品を発表しました。ホラーやSF、ギャグなど、さまざまなジャンルで代表作を生み出し、『まことちゃん』に登場する『グワシ』というギャグは、社会現象に。また、作品だけでなく、楳図さん本人のキャラクターも多くの人に愛されました。赤と白の横じまシャツがトレードマークで、メディアにも多く出演。トレードマークが描かれた、東京都の吉祥寺にある自宅、通称『まことちゃんハウス』の建築でも話題を呼びました。楳図さんの突然の訃報に、SNS上では悲しみの声が広がっています。・子供の頃から、怖い漫画も笑える漫画もたくさん楽しませていただきました。悲しみでいっぱいです。・『まことちゃん』を初めて読んだ時の衝撃は、今でも忘れられません。・ストーリーや表現方法、いろいろな点で天才漫画家だったと思います。お悔やみ申し上げます。株式会社小学館集英社プロダクションは、楳図さんが新作『JAVA(ジャワ)洞窟の女王』を制作中であることを2024年10月に発表していました。最後まで漫画家として、筆を持ち続けていた、楳図さん。作品は、これからも多くの人の心に残り続けることでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年11月05日2024年10月28日、絵本作家のせなけいこさんが、同月23日に亡くなったことが分かりました。92歳でした。産経ニュースによると、せなさんは、老衰のため神奈川県にある自宅で息を引き取ったといいます。葬儀は近親者のみで執り行い、後日、お別れの会を開く予定です。逝去したせなけいこさんの娘・黒田かおるさんがコメント1969年、『いやだいやだの絵本』4冊シリーズで作家デビューを果たした、せなさん。貼り絵を用いた、ユーモアと温かさに富んだ作風は、多くの子供たちを惹きつけました。特に、同年に発売された、表紙に描かれた白いおばけが特徴の『ねないこだれだ』は、せなさんの代表作。世代を超えて、現在まで読み継がれています。せなさんの本を出版してきた、株式会社福音館書店は、Instagramアカウントでせなさんの逝去を発表。投稿には、せなさんの娘で同じく絵本作家である、黒田かおるさんのコメントが添えられています。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 福音館書店です(@fukuinkan_pr)がシェアした投稿 「母は、大好きなおばけに本当に会いに行ったのかもしれない」とつづった、黒田さん。「これからも母の作品を愛していただくと、きっと母は空からニッコリ笑うでしょう」とファンに感謝の言葉を添えています。突然の訃報に、SNS上では悲しみの声が広がっています。・絵とストーリー、すべてが大好きです。素敵な作品をありがとうございました。・大好きな作家さんが天国に旅立たれました。ご冥福をお祈りいたします。・ずっと子供たちに読み続けてほしい作品ばかり。大切な思い出です。・幼かった頃に読んでいました。本当にお世話になりました。せなさんの作品は、これからも多くの人の心に残り続けるでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年10月28日2024年10月20日、双子のタレント『おすぎとピーコ』として活躍した、ピーコさんが亡くなったことが分かりました。79歳でした。産経ニュースによると、ピーコさんは同年9月3日に敗血症による多臓器不全で亡くなったとのこと。葬儀は、すでに近親者のみで執り行われたといいます。『おすぎとピーコ』のピーコさんが逝去ピーコさんは、双子の弟である、おすぎさんと一緒にタレントとしてデビューし、バラエティ番組『笑っていいとも!』(フジテレビ系)などで活躍。ファッション評論家としても知られており、街の人々の服装に辛口でコメントをする『ファッションチェック』が人気を博していました。メガネがトレードマークのピーコさんが、メディアで活躍する姿は、多くの人が目にしていたはず。ネットでは、ピーコさんを惜しむ声が多数上がっています。・さびしい…。子供の頃にファッションチェックをしてもらったことがあります。・当時、ファッションチェックが斬新で面白くて、よく観ていました。・79歳は早いですよピーコさん…。『笑っていいとも!』に出ていた姿をよく覚えています。・番組で見せる、愛のある毒舌が大好きでした。また、『おすぎとピーコ』のモノマネをしていたお笑いコンビ『ザ・たっち』の、たくやさんとかずやさんも、それぞれ追悼のコメントをXに投稿。ピーコさん何度も共演させていただき、お世話になりました辛口のダメ出しのようで、実はアドバイスをくれている、そんな優しいピーコさんが大好きでしたご冥福をお祈りします— たくや(ザ・たっち) (@takthetouch) October 20, 2024 ご冥福をお祈りします。大好きなピーコさん。本当に本当に残念でなりません。— かずや(ザ・たっち) (@kazthetouch) October 20, 2024 ほかにもさまざまな著名人が、ピーコさんを偲ぶ言葉をつづっていました。ピーコさんの明るくてパワフルなキャラクターに、元気をもらっていた人はたくさんいたことでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年10月21日