女優で声優の戸田恵子が25日に自身のアメブロを更新。12日に亡くなった声優の小原乃梨子さんの訃報を受け悲痛な心境を吐露した。この日、戸田は小原さんの訃報に言及し「ご冥福を心よりお祈りいたします」と追悼。自身が新人だった頃から「外画の吹き替えでたくさんご一緒しました」と回想し「アンパンマンの初代監督とも仲良しで、外画収録後に3人でぶらぶらしていたこともありました」と当時を振り返った。続けて、小原さんが「アンパンマンでも氷の女王、黒バラ女王、ナンドバット」を演じたことを明かし「ここ数年はお目にかかっていませんでしたが、いつもエレガントでした」とコメント。最後に「本当に残念です」と悲痛な心境を吐露し、ブログを締めくくった。
2024年07月25日2024年7月23日、声優の小原乃梨子さんが亡くなっていたことが分かりました。88歳でした。所属事務所である株式会社81プロデュースは、同月12日に息を引き取ったと報告しています。弊社所属俳優小原 乃梨子 儀(本名 戸部 法子)令和6年7月12日病気療養中のところ薬石効なく、88歳にて永眠致しました。尚、葬送の儀につきましては、ご遺族の意向により親族のみにて執り行われました。ここに生前中の御厚誼を深謝し、謹んでお知らせ申し上げます。株式会社81プロデュースーより引用アニメ『ドラえもん』のテレビ朝日版で、初代・野比のび太役を務めた、小原さん。ほかにも、アニメ『ヤッターマン』のドロンジョ役、『アルプスの少女ハイジ』のペーター役など、数々の人気作で活躍しました。突然の訃報に、ネット上では悲しみの声が相次いでいます。・小原さんは私にとって大好きな声優の1人でした。・またレジェンド声優が…。さびしいです。・数々の名演技、本当にありがとうございました。・子供の頃からたくさんのキャラクターで楽しませていただきました。数々のキャラクターたちに命を吹き込んできた、小原さん。その魅力的な声は、演じたキャラクターを通じて、これからも多くの人に愛され続けることでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年07月23日タレントの小川菜摘が14日に自身のアメブロを更新。10日に急性心不全のため亡くなった俳優・中村靖日さんの訃報を受け悲痛な胸中を吐露した。この日、小川は「俳優の中村靖日さんがお亡くなりになったと、役者仲間から知らせを受け、ただただ驚いています」と中村さんの訃報に言及。2015年に放送されたドラマ『別れたら好きな人』(フジテレビ系)で共演したといい「いつもニコニコ穏やかで優しくて、可愛らしくて」と中村さんの人柄について述べ「役のあだ名の'チュンチュン'って撮影以外でも呼ばれてました」と明かした。続けて「唯一無二の役者さん。近年は中々お会いする事がありませんでしたが、SNSで繋がっていて、活躍されていたのに」とコメントし、中村さんと共演した時の写真を複数枚公開。「とても楽しかった現場でした。いつも皆んなで笑ってました」(原文ママ)と振り返った。最後に「寂しいです 残念です」と悲痛な胸中を吐露。「心よりご冥福をお祈りします」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年07月15日2024年7月14日、俳優の中村靖日(なかむら・やすひ)さんが亡くなったことが分かりました。51歳でした。所属事務所である有限会社ザズウは、SNSを通して中村さんの逝去を報告。同月10日、急性心不全により息を引き取ったことを明かしています。51歳という、あまりにも早すぎる旅立ち。所属事務所側も、突然の別れを受け止めきれずにいるといいます。テレビドラマ『医龍-Team Medical Dragon-』シリーズ(フジテレビ系)の野村博人や、テレビドラマ『闇金ウシジマくん』シリーズ(毎日放送系)の小堀豊、映画『運命じゃない人』の宮田武など、さまざまな役を演じてきた、中村さん。高い演技力と強い存在感から、世間では『名脇役』として高い評価を得ていました。所属事務所は、生前の中村さんを振り返るとともに、ファンに向けてこのようにコメントを述べています。中村靖日は、歳を重ねてきても清く透明感がある稀有な存在の役者でした。役者として多くの作品に恵まれましたこと、故人にかわり御礼申し上げます。生前に皆様から賜りました多大なる応援とご厚情に深く感謝し、哀悼の意を表するとともにお知らせ申し上げます。@zazous_staffーより引用関係各位並びにファンの皆様 pic.twitter.com/bd4p0whuwS — zazousオフィシャル (@zazous_staff) July 14, 2024 通夜や葬儀は、すでに近親者のみで執り行われているとのこと。同社は、遺族の気持ちに寄り添うよう呼びかけています。俳優としてさまざまな役を演じ、物語を通して感動を与えてきた中村さん。訃報に対し、ネットからは「大好きな俳優だった」「まだまだ活躍が見れると思っていたのに」といった声が上がりました。中村さんの姿は、今後も作品の中に残り続け、俳優として輝き続けることでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年07月14日2024年7月8日、芸能事務所である株式会社エス・オー・プロモーションがウェブサイトを更新。同社の取締役会長であり、フリーアナウンサーの押阪忍さんが、同年6月29日に亡くなったことを報告しました。89歳でした。1958年、現・テレビ朝日へ第1期生として入社し、1965年に民放テレビ初のフリーアナウンサーとなった、押阪さん。フリー転身後もバラエティ番組『ベルトクイズQ&Q』(TBS系)を始め数多くのテレビ番組やラジオ番組に出演し、昭和を代表するアナウンサーの1人として、長きにわたって日本をけん引してきました。また、grapeでは2016年より『残しておきたい日本語』をテーマに、コラム『美しいことば』を連載。若者に向けて、言葉の大切さを伝えてきました。写真提供:SOPromotion押阪さんの妻は、同じくフリーアナウンサーの栗原アヤ子さん。そして息子の押阪雅彦さんは株式会社エス・オー・プロモーションの代表を務めつつ、『DJ OSSHY』として『高齢者ディスコ』の企画を行うなど、音楽業界でも活躍しています。過去には、トーク番組『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に一家そろって出演し、タレントの黒柳徹子さんとさまざまな話を繰り広げました。『徹子の部屋』に出演そのときに気づいた黒柳徹子さんの優しい気遣い押阪さんの活躍で特に有名なのは、1964年に開催された東京オリンピックでの、女子バレーボールの試合実況。聞き取りやすい声と迫力の伝わる実況によって、その素晴らしい試合は全国の人へと届き、熱戦の末に見事金メダルを獲得した日本代表は『東洋の魔女』と呼ばれるようになりました。当時について、押阪さんは連載で「魔女たちの奮闘ぶりは、鮮烈にまぶたに焼き付いている」と思い出をつづっています。東洋の魔女歓喜、感動の金メダルアナウンサー押阪忍の『美しいことば』写真提供:SOPromotionたくさんの人に感動と笑顔を届けてきた、押阪さん。訃報に対し、ネットからは「押阪さんの声が大好きでした」「自分の中で『アナウンサー』といえばこの方だ」といった声が上がっています。65年以上にわたって活躍し、生涯の大半を『アナウンサー人生』に捧げてきたその姿は、多くの後輩アナに、『アナウンサーとして大切なもの』を教えてくれたことでしょう。押阪さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年07月09日俳優で歌手の田中健が6日に自身のアメブロを更新。2日に前立腺がんのため亡くなった俳優の浜畑賢吉さんの訃報を受けて心配していることをつづった。この日、田中は浜畑さんと4日に食道がんのため亡くなった赤塚真人さんの訃報に言及し「悲しいです」と心境をコメント。浜畑さんについて「芝居をしっかりとご一緒させていただいた記憶が無い」と述べつつ、浜畑さんの妻で女優の上村香子とは「たくさん共演してきた」と明かし「ご縁で浜畑さんの芝居をよく観劇に伺うなどしてきました」と説明した。続けて「存在感、気品、基礎から構築された何の過不足も感じない芝居から生まれる迫力は今でも忘れられません」と回想。「香子さんとは、おしどり夫婦」だったといい「大丈夫だろうか???かなり辛いだろう…」と心配そうに述べ「しっかり!気丈にね!と願うばかりです」とコメントした。最後に「心よりご冥福をお祈りします」と浜畑さんと赤塚さんを追悼し、ブログを締めくくった。
2024年07月08日2024年7月1日、声優の三輪勝恵さんが、亡くなっていたことが分かりました。80歳でした。所属事務所の株式会社青二プロダクションによると、三輪さんは同年6月19日に急性肺塞栓のため、永眠したとのことです。弊社所属 三輪勝恵 儀 (80 歳)去る令和 6 年 6 月 19 日に急性肺塞栓のため永眠いたしましたここに生前賜りましたご厚誼を深謝し謹んでご通知申し上げますなお 通夜及び告別式は ご遺族のご意向により家族葬にて執り行われましたご通知が遅くなりましたこと ご諒恕のほどお願い申し上げます株式会社青二プロダクションーより引用三輪さんは、昭和を代表するアニメ『パーマン』のパーマン1号をはじめとし、『あさりちゃん』の浜野あさり、『カリメロ』のカリメロなど、数多くの人気作で活躍。ナレーターとしても活動しており、多くの人に親しまれてきました。ネット上では、追悼の声が多数上がっています。・『パーマン』を見ていた世代なので、とてもさびしいです。ご冥福をお祈りいたします。・また偉大な声優さんが…。多くの人がこの人の声を聞いて育ったはず。・子供の時から知っている声優さんが亡くなるとさびしい。大好きな声でした。多くの作品を通して、人々に笑顔を与えてきた、三輪さん。三輪さんの声は、演じたキャラクターを通じて、これからも愛され続けることでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年07月01日女優で声優の戸田恵子が27日に自身のアメブロを更新。26日に右大脳出血により亡くなった声優の松野太紀さんの悲しすぎる訃報に心境をつづった。この日、戸田は「悲しみは突然に、容赦なくやってくる」と切り出し、松野さんの訃報について言及。「New York時間の昨日の朝、すでに訃報は届いていた」と明かし、同じくニューヨークに来ていた声優の三ツ矢雄二に電話をしたことを説明。「同時刻に耳に入っていたようだ」と述べ、三ツ矢と松野さんについて「師弟関係であり兄弟のようであり仲良しこよしだ」とつづった。続けて、自身と松野さんも三ツ矢のミュージカルに出演したことがあるそうで「思い出はありすぎて」「10代の頃からあまりに長く親しくしてきたので、本当に筆舌に尽くし難い」と悲痛な胸の内を吐露。「皆んなそうだと思う」(原文ママ)と述べ「New Yorkの空が急にどんよりして、昨日一日、ふわふわ地に足がつかない感じで過ごしてました」と明かした。また、松野さんへ「今夜は厳しいステージになるよ。それだけは伝えておく!せめて見守っててほしい」と呼びかけ「悲しすぎる。早すぎる。やり切れない。ご冥福を心よりお祈りします。合掌」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「お若いのにショックです」「突然で驚きました」「早過ぎますね」「ご冥福をお祈りいたします」などのコメントが寄せられている。
2024年06月28日2024年6月27日、声優の松野太紀さんが亡くなったことが分かりました。56歳でした。所属事務所である、株式会社青二プロダクションによると、松野さんは同月26日に右大脳出血により息を引き取ったとのこと。通夜および告別式は、近親者のみにて執り行うそうです。弊社所属松野太紀儀(56歳)令和6年6月26日に右大脳出血により永眠いたしましたここに生前賜りましたご厚誼を深謝し謹んでご通知申し上げますなお通夜及び告別式はご遺族のご意向により近親者のみにて執り行わせていただきますご諒恕のほどお願い申し上げます株式会社青二プロダクションーより引用アニメ『金田一少年の事件簿』の金田一一(きんだいち・はじめ)役、『スポンジ・ボブ』の2代目・スポンジ・ボブ役、『犬夜叉』の鋼牙役など、数々の人気作で活躍した、松野さん。56歳というあまりにも早い旅立ちに、多くのファンから悲しむ声が上がっています。・まさか…早すぎますよ。・ショックすぎる。この前、動画で元気な姿を見たばかりなのに。・まだ信じられない。松野さんが演じる金田一が大好きでした。松野さんが命を吹き込んだキャラクターは、今後も多くの人に愛され続けることでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年06月27日女優で声優の戸田恵子が17日に自身のアメブロを更新。16日に肝細胞がんのため亡くなった女優の山田昌さんの訃報を受け追悼した。この日、戸田は山田さんの訃報に言及し「つい先日の春日井公演にお祝いのお花を頂いたばかりなので、本当にびっくりでした」と驚いた様子でコメント。「私が中学生群像に出てた頃、私のお母さん役でもありました」と明かし「実際、私の母と同い年です。大河ドラマ『真田丸』にもご出演、ネイティブな大政所に感動しました!」と振り返った。続けて「奇しくも三谷作品で私も大政所を演じたことがあります」と述べ「三谷さん曰く、昌さんがベスト!私は次点ということでした」とコメント。「昌さんは昨年に先立たれたご主人の天野鎮雄さんと名古屋で劇団もやってらして演劇にも力を入れてらした」と明かし「ご縁のある大好きな俳優さんが亡くなるのは本当に寂しいです」と心境をつづった。また「天国でもお二人で素敵なお芝居をされてくださいね」と呼びかけ「右も左も分からない子供時代からたくさんお世話になりました。ありがとうございました。合掌」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「驚きました」「寂しいですね」「残念です」「ご冥福をお祈り致します」などのコメントが寄せられている。
2024年06月18日女優の三田佳子が14日に自身のアメブロを更新。9日に誤えん性肺炎のため亡くなった女優の久我美子さんの訃報を受けコメントした。この日、三田は自身が主演を務めた大河ドラマ『いのち』(NHK)で共演した久我さんの訃報に「寂しさとともに、不思議な感慨でいっぱいになりました」と心境を吐露。「長期ロケで久我さんを背中におぶって、階段を上った時の、あの重みと、体の暖かさを今でも忘れられません」とコメントし「とてもやさしい、気品のある久我さんは、私の憧れでした」とつづった。続けて『いのち』の制作発表での写真を公開し「主人公未希のお母さんとして、特別に参加してくださいました」「この時は私が44歳、久我さんが55歳でした」と説明。「私もまた、82歳を過ぎて、一生懸命俳優として、生きています」と述べ「私の母との別れまで再び思い起こさせていただきました。久我美子さんとの共演を誇りに思います。ありがとうございました」と感謝をつづり、ブログを締めくくった。
2024年06月15日タレントのデヴィ夫人が12日に自身のアメブロを更新。芸能事務所『稲川素子事務所』の社長・稲川素子さんの訃報を受け悲痛な心境を吐露した。この日、デヴィ夫人は稲川さんの訃報に言及し「公益財団法人『日本ボールルームダンス連盟』の連盟会長も務められ、毎年3月に行われる『スーパー・ジャパン・カップ・ダンス』でも大変お世話になっておりました」とコメント。「今年の3月に私がスペシャル・デモンストレーションとして踊った際には」「お姿を見ることがなく、大変残念に思っておりました」とつづった。続けて「そのままお会いすることが叶わず、訃報を聞き、とても悲しい気持ちでいっぱいです」と悲痛な心境を吐露し、稲川さんとの2ショットを複数枚公開。稲川さんについて「芸能事務所を設立され、147ヵ国、5000人以上の外国人の登録を得て、映画・テレビ他様々なメディアに紹介・派遣を行ってきました」と明かし「国際化の向上にも尽力されました」とつづった。また「もうお会いできないのだと思いとても寂しく悲しいです」と述べ「心よりご冥福をお祈り申し上げます。どうぞ安らかにお眠りください」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年06月12日2024年6月12日、落語家のタレントの桂ざこばさんが、ぜんそくのため亡くなりました。76歳でした。桂さんが所属していた株式会社米朝事務所は次のようにコメントを発表しています。弊社所属桂 ざこば(本名・関口 弘)が、喘息のため、6月12日(水)午前3時14分、自宅にて息を引き取りました。通夜・葬儀は、故人及びご家族のご意向により家族葬とさせていただきます。ご親族の心中をお察しいただき、静かに見守ってくださいますよう伏してお願い申し上げます。我々スタッフにもお気遣いくださる、とても素敵な師匠でした。追ってお別れの会を執り行う予定ですが、取り急ぎお世話になった関係者の皆様、応援してくださった皆様に深く感謝しますと共に、謹んでお知らせ申し上げます。株式会社米朝事務所ーより引用葬儀は近親者のみで執り行い、後日お別れの会などが開かれる予定だといいます。桂さんは1963年に落語家で人間国宝の三代目桂米朝さんに入門し、1988年に二代目桂ざこばを襲名しました。バラエティ番組『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送系)に長年『顧問』として出演するなど、テレビやラジオで活躍しお茶の間の人気を集めるほか、上方落語の振興にも貢献しています。2017年には、脳梗塞で緊急搬送され長期入院を余儀なくされましたが、その後リハビリを経て復帰。精力的に活動をしていました。突然の訃報に、ネット上では悲しみの声が相次いでいます。・ざこば師匠、あまりにも突然で驚いた。子供の頃からテレビで見ていたので、さびしい。・落語家で一番好きだったので、ショック…。ゆっくり休んでください。・好きだった噺家がまた1人、旅立ってしまった。ご冥福をお祈りします。桂さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年06月12日歌手の小柳ルミ子が8日に自身のアメブロを更新。6日に乳がんのため亡くなった歌手の門倉有希さんの訃報を受け悲痛な胸中を吐露した。この日、小柳は門倉さんの訃報に言及し「享年50歳でした」と説明。「若過ぎる旅立ちです」とコメントし「仕事は勿論」「ボイトレが一緒でした レッスンで何度もお会いしました」と明かした。続けて、門倉さんについて「一時期とても痩せてらして『体には気を付けてね 頑張ってね』と励ました」といい「何時も社長が(現ご主人)愛情たっぷりに付き添ってらして幸せそうでした」と回想。「なのに…あまりにも早過ぎます」と悲痛な胸中を吐露し「今は痛みから解放され大好きな歌を歌っている事でしょう」とつづった。最後に「安らかにお眠り下さい 心よりご冥福をお祈りいたします」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「お若いだけに、本当に残念無念です」「驚きで言葉がありません」「門倉さんのご冥福をお祈りいたします」などのコメントが寄せられている。
2024年06月08日2024年6月3日、声優の増山江威子さんが亡くなったことが分かりました。享年89歳(満88歳)でした。所属事務所である株式会社青二プロダクションによると、増山さんはかねてより病気療養中でしたが、肺炎のため同年5月20日に息を引き取ったといいます。通夜および告別式については、すでに近親者のみで執り行われたとのことです。弊社所属増山江威子儀(享年89)かねてより病気療養中のところ薬石効なく肺炎のため去る令和6年5月20日に永眠いたしましたここに生前賜りましたご厚誼を深謝し謹んでご通知申し上げますなお通夜及び告別式はご遺族のご意向により近親者のみにて執り行われましたご通知が遅くなりましたことご諒恕のほどお願い申し上げます株式会社青二プロダクションーより引用1977年から2011年まで、長年にわたって、アニメ『ルパン三世』で2代目・峰不二子役を務めたことで知られている、増山さん。ほかにも、アニメ『天才バカボン』のママ役や、『キューティーハニー』の初代・ハニー役など、さまざまな人気作品で活躍していました。増山さんの訃報を受け、『ルパン三世』のXアカウントでは、峰不二子の画像とともに、追悼のコメントが公開されています。声優の増山江威子さんが、5月20日にご逝去されました。「ルパン三世」ではPART1でのゲスト出演をはじめ、PART2からは峰不二子役としてTV、映画と多くの作品をご担当いただきました。長年のご活躍への感謝と共に、お悔やみを申し上げます。ありがとうございました。 pic.twitter.com/kWZ0QXa1ih — アニメ「ルパン三世」公式 (@lupin_anime) June 3, 2024 また、同作でルパン三世役を務める、声優の栗田貫一さんもコメントを公開。「私にとっていつもエレガントで憧れの不二子ちゃんでした」と、増山さんとの思い出を振り返りました。 pic.twitter.com/MEGRwDjF9C — 栗田貫一 (@kurikan0303) June 3, 2024 増山さんの訃報を受け、ファンからも悲しみの声が上がっています。・あのセクシーな声がもう聴けないのはさびしいですね。・驚いた。そしてショック。私は『キューティーハニー』が大好きでした…。・色気とかわいげのある唯一無二の声で長年楽しませていただきました。ありがとうございました。たくさんの作品に関わり、人々を感動させ続けてきた、増山さん。その魅力的な声は、増山さんが命を吹き込んだキャラクターとともに、これからも多くの人の心の中で生き続けることでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年06月03日お笑いコンビ・ハイヒールのモモコが28日に自身のアメブロを更新。27日に膵がんのため亡くなったお笑い芸人の今くるよさんの訃報を受け追悼した。この日、モモコは5人組グループ・SUPER EIGHTの村上信五と丸山隆平の2人が生み出す新感覚作品『らふらふ ~Rough-Laugh~』の公演に足を運んだことを報告。「ホンマにみんな頑張ってる」と感心した様子でコメントし「舞台で名前出してくれてありがと」と感謝をつづった。続けて更新したブログでは、くるよさんの訃報に言及し「当時は少なかった女漫才師を可愛がってくれはってありがとうございます」とコメント。「3月3日のお笑い女子会が懐かしいです」と女性芸人らとの集合ショットを公開し「大好きないくよ姉さんと漫才してください ご冥福をお祈りします」と追悼した。
2024年05月29日2024年5月28日、お笑いコンビ『今いくよ・くるよ』の、今くるよさんが亡くなったことが分かりました。所属事務所の吉本興業株式会社によると、同月27日に膵(すい)がんのため、大阪府大阪市内の病院で逝去したとのこと。通夜は同月30日、告別式は翌31日に同市内にある『公益社 天神橋会館』で執り行われる予定だそうです。『今いくよ・くるよ』の今くるよさんが逝去京都府京都市出身の今くるよさんは、1970年、めおと漫才で知られる故・今喜多代さんに入門した後、故・今いくよさんとお笑いコンビ『今いくよ・くるよ』を結成しました。高校の同級生かつ同じソフトボール部だった2人は、体を張った軽やかな掛け合いで人気を集めることに。1980年代に漫才ブームが巻き起こるとコンビで一世を風靡し、女性漫才師のパイオニアとして、劇場だけでなくテレビ番組や映画など、多方面で注目を浴びました。2015年に相方の今いくよさんが亡くなってからも、今くるよさんは後輩のお笑いタレントが活躍する姿を温かく見守っていたそう。2022年、笑いの殿堂とも称される劇場『なんばグランド花月』で開催された、『吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」』への出演が、生前最後の舞台でした。訃報に対し、ネット上では悲しみの声が相次いでいます。・また巨星がいなくなってしまった。・とても悲しいです。ご冥福をお祈りします。・今いくよさんと一緒に、天国で仲よく暮らしてください。今いくよさんとともに、たくさんの人を笑顔にしてきた今くるよさんの功績は、これからもきっとファンの記憶に深く刻まれ続けることでしょう。今くるよさんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年05月28日ロックシンガーのダイアモンド☆ユカイが25日に自身のアメブロを更新。慕ってくれたロックバンド『LORAN』のボーカルでシンガーソングライターのYASSさんの訃報を受けコメントした。この日、ユカイは「YASSのバカヤロウ早すぎるよ!!」と訃報に言及し「陣内大蔵くんと3人で新しいユニットでデビューする約束してたじゃないか」とコメント。「LORANの時から俺を兄貴のように慕ってくれた」と振り返り「バンドを解散して音楽を止めようかと迷ってた君がソロ歌手としてアコギ一本で新しい世界を創り出し渋谷公会堂を満杯にした時は友としてどんなに誇らしかった事か」とつづった。続けて、YASSさんについて「その後はHY,サスケ、あたらよ、チョーキューメイ他数々の売れっ子アーティストをプロデュースして育てた君はアジア1の大プロデューサーだったよ」とコメント。「あの誰にも飾らない屈託のない笑顔が忘れられない」といい「一緒に酒を酌み交わしたあの夜が今となっては懐かしくて愛おしくて切な過ぎる」とつづった。最後に「一緒にステージで歌う夢は叶えられなかったけど天国にいる君の分まで俺はまだまだロックするぜ」と述べ「ロックのソウルブラザーYASSご冥福をお祈りします。安らかに眠れロックンロール」とYASSさんとシンガー・ソングライターの陣内大蔵との3ショットとともに追悼し、ブログを締めくくった。
2024年05月26日歌手でタレントの森口博子が23日に自身のアメブロを更新。まだ信じられない16日に心不全のため亡くなった俳優・中尾彬さんの訃報に心境をつづった。この日、森口は中尾さんの訃報に言及し「突然は淋しすぎます…」と心境を吐露。「現場で放つその存在感。優しさ、厳しさ、愛がありました」と述べ「ウィットに富んだ会話と、色っぽさと、大人な魅力でいっぱいの中尾さん。いつも私がふざけて『アキラー!』って呼び捨てにすると、照れた笑顔で、受け止めて下さった懐の深い偉大な大先輩」とつづった。続けて「何よりも正義感と、奥様、志乃さんへの愛、思いやりに溢れていて、本当に素敵でした」といい「もう、お会いできない事がまだ、信じられません」とコメント。「お食事に連れて行って下さったり、中尾さん企画の『母への手紙』朗読CDにお声をかけて下さったり、大変可愛がっていただきました」と中尾さんとの思い出を振り返った。また「『お母さんへの親孝行になれば』と、家族の存在にも、気持ちを向けて下さった事も忘れられません」と述べ「たくさんの愛情を本当にありがとうございました。心より、ご冥福をお祈りいたします」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「びっくりしました」「本当に残念です」「信じられないです」「心よりお悔やみ申し上げます」などのコメントが寄せられている。
2024年05月24日俳優の川崎麻世が23日に自身のアメブロを更新。22日に虚血性心不全のため亡くなった振付師でダンサーの真島茂樹さんの訃報に心境をつづった。この日、川崎は「今朝はかなりショックな訃報を耳にした」と切り出し、真島さんの訃報に言及。自身について真島さんから「ジャン ミッシェル」と呼ばれていたことを明かし「今から38年前の1986年 23歳の時に出演したミュージカル『ラ・カージュ・オ・フォール』で共演した時の俺の役名がジャン ミッシェルだったのだ」と説明した。続けて「2006年にそのミュージカルで父親役だった岡田真澄さんがお亡くなりになった時に」真島さんと「恵比寿のバス通りで偶然会いパパが亡くなりかなりショックを受けた話」をしたことを説明。別れ際に「ジャン ミッシェルも私もくれぐれも体に気をつけようね」と言われたそうで「写真は2017年に」「舞台でご一緒した時のものだ」と舞台で共演した時の真島さんとの2ショットを公開した。また「優しい方だった」と回想し「ダンスで鍛え上げた馬の様な足で踊る姿は迫力と哀愁があった」とコメント。「マジさん長年可愛がってくれてありがとうございました」と感謝を述べ「ご冥福をお祈りします」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「ビックリしました」「信じ難かったです」「本当に残念です」「心よりご冥福をお祈りします」などのコメントが寄せられている。
2024年05月24日タレントの小川菜摘が22日に自身のアメブロを更新。16日に心不全のため亡くなった俳優・中尾彬さんの訃報を受け悲痛な胸中を吐露した。この日、小川は中尾さんの訃報に言及し「お稽古場に向かう車の中で訃報を知り」と説明。「お元気でいらっしゃるとばかり思っていたのでショックでした悲しいです」と悲痛な胸の内を吐露し「1番の思い出は私がまだ結婚前バラエティのロケでラスベガスに行き、2週間近くご一緒した事です」と中尾さんとの思い出を振り返った。続けて、中尾さんについて「優しくてダンディで、おしゃれで気さくで、ダジャレを言ってはスタッフさんや、私を笑わせてくれました」と明かし「凄く楽しかったので今でも鮮明に覚えております」とコメント。「番組でご一緒した時もずっとずっと変わらず優しくしてくださいました」と回想し「私が結婚してからも夫婦共に可愛がって頂きました」と振り返った。最後に「本当にありがとうございました」と感謝を述べ「ご冥福を心よりお祈り致します 中尾さんゆっくりおやすみくださいね」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年05月23日俳優の高橋英樹が22日に自身のアメブロを更新。16日に心不全のため亡くなった俳優・中尾彬さんの訃報を受け悲痛な心境を吐露した。この日、高橋は「本当に突然のことで大変!大変!驚いています」と中尾さんの訃報について言及。「昨年の三月、WBCで優勝したそ日に二人で雑誌の対談をしていました」(原文ママ)と振り返り「とても盛り上がった時間でした」とつづった。続けて「日活の入社も同期 奥さん同士とも共演しあって心は近い存在でした」と説明。「この頃テレビで観ないなあと思っていましたらこの突然の訃報」と述べ「長く長く付き合いたかったなあ!逝ってしまうのはまだ!早いぜ!!」とコメントした。最後に「寂しくて涙もでないよ」と悲痛な心境を吐露。「心よりご冥福をお祈りいたします」と中尾さんとの2ショットとともに追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「とても寂しい気持ちです」「テレビで知って、びっくりでした」「本当にお辛いですね」などのコメントが寄せられている。
2024年05月22日2024年5月22日、俳優の中尾彬(なかお・あきら)さんが亡くなったことが分かりました。81歳でした。サンケイスポーツによると、詳細に関しては、事務所である株式会社古舘プロジェクトからいずれ正式発表されるとのこと。1978年にテレビドラマ『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系)で初代徳川宗春役を演じ、俳優として一躍有名になった中尾さん。その後も『GTO』シリーズをはじめ、さまざまな作品に出演するだけでなく、ユーモアあふれる性格を生かしてバラエティ番組でも活躍しました。1978年に再婚した俳優の池波志乃さんとは、芸能界きっての『おしどり夫婦』として知られています。夫の旅立ちを受け、今後、池波さんが想いを明かすこともあるかもしれません。日本の芸能界の重鎮として、多くの人に影響を与えてきた中尾さん。それだけに、訃報は多くの人に衝撃を与えた模様です。ネットからは、「本当にすばらしい俳優だった」「こんなにも温かみのある演技をできる人は、そういない」といった声が上がっています。中尾さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年05月22日2024年5月15日、作曲家のキダ・タローさんが同月14日に亡くなったことが分かりました。93歳でした。所属事務所の発表によると、葬儀、告別式は近親者のみで執り行われたとのことです。弊社所属の作曲家 キダ・タロー先生が2024年5月14日逝去しました生前のご厚誼に深謝し謹んでご報告申し上げます葬儀告別式につきましては故人の遺志により近親者のみで執り行いましたなお 誠に勝手ながら御香典 御供花 御供物につきましてはご辞退させていただきますこれまでお世話になった関係者の皆様 応援してくださったファンの皆様に心より感謝 お礼申し上げますこれからもキダ・タロー先生の作品が皆様に愛され続けることを切に願います株式会社オフィスとんでーより引用兵庫県宝塚市生まれのキダさんは、作曲家として歌謡曲はもちろん、クイズ番組『バラエティー生活笑百科』(NHK)やテレビドラマ『プロポーズ大作戦』(フジテレビ系)などのテーマ曲を手掛けました。インスタントラーメン『出前一丁』や飲食店『かに道楽』などのCMソングも作曲し、多くの人にキダさんのメロディーは親しまれたことでしょう。また、『浪花のモーツァルト』の愛称で、タレント活動でも人気を博した、キダさん。バラエティ番組『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送テレビ)では、『最高顧問』の肩書で定期的に出演していましたが、同年4月19日の放送が、最後の出演となりました。『探偵!ナイトスクープ』はX(Twitter)で、キダさんの逝去を報告するとともに、このように想いを明かしています。最高顧問キダ・タロー先生が、お亡くなりになりました。4月19日の放送が、最後の出演となりました。これまで最高顧問として、上岡さん、西田さん、松本さんという3人の局長を、そして、探偵たちの働きぶりを、我々スタッフを、優しく、厳しく、見守っていただきました。ご冥福をお祈りいたします。 pic.twitter.com/TJMduyrDxj — 探偵!ナイトスクープ【公式】 (@abc_knightscoop) May 15, 2024 キダさんの訃報に、ネット上でも多くの驚きと悲しみの声が上がりました。・素晴らしい音楽と、たくさんの笑いを、小さい頃から楽しませていただきました。ありがとうございました。・関西出身の自分は、生まれた時からキダさんの音楽に触れて育ってきました。ずっとファンです。・『探偵!ナイトスクープ』での、最高顧問のコメントが大好きでした!お悔やみ申し上げます。軽妙な語り口で、作曲家の枠にとらわれず多くの人を笑顔にしたキダさん。心よりご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年05月16日タレントのデヴィ夫人が2日に自身のアメブロを更新。4月21日に92歳で亡くなったピアニストのフジコ・ヘミングさんの突然の訃報に心境をつづった。この日、デヴィ夫人はフジコ・ヘミングさんの訃報に言及し、フジコさんとの2ショットを公開。「2021年に行われた私が主催する音楽コンテスト『イブラ・グランド・アワード・ジャパン』の第1回大会ではオブザーバーを務めていただきました」と明かし「第4回を迎え、フジコさんにもご報告をさせていただこうと思っていた手前、突然の訃報、残念でなりません」と心境をつづった。続けて「逆境に負けず強く生き抜いてきた姿と、慈愛に満ちたフジコさんの人柄がにじみ出る豊かな演奏は長年、多くの人々を魅了し続けてきました」と述べ「ファンとして、友人として、急な訃報は 大変悲しく、寂しさが募ります」とコメントした。最後に「素晴らしい音楽を本当にありがとうございました」と感謝をつづり「心よりご冥福をお祈り申し上げます」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年05月03日2024年5月2日、ピアニストのフジコ・ヘミングさんが同年4月21日に亡くなったことが分かりました。92歳でした。ウェブサイトの発表によると、ヘミングさんは同年3月にすい臓がんと診断され、療養を続けていたそうです。フジコ・ヘミング(本名:ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ、GEORGII HEMMING INGRID FUJIKO)は、2024年4月21日未明、92年の生涯を終え、永眠いたしましたことを謹んでご報告申し上げます。2023年11月に自宅で転倒した後、一日も早い復帰を目指し治療とリハビリに励み順調な経過をたどっていたところ2024年3月におこなった検査の結果すい臓がんと確定診断され療養を続けておりましたが、4月21日に容態が急変し、神の御許に旅立たれました。葬儀はフジコ・ヘミング本人及び親族の遺志により、近親者のみですでに執り行い、とても美しく穏やかな表情での旅立ちでした。診断後は、皆様に心配をかけたくないという本人の希望により公表は差し控えさせて頂いておりました。公演を楽しみにして頂いていたファンの皆様、主催者様等には、多大なるご迷惑ご心配をおかけしましたこと、心よりお詫び申し上げます。フジコ・ヘミングオフィシャルサイトーより引用ドイツのベルリンで日本人ピアニストの母親とスウェーデン人の建築家である父親の間に生まれた、ヘミングさん。ベルリン音楽学校に留学し、著名な指揮者に才能を認められるものの、キャリアにおいて重要なコンサート直前に風邪をこじらせ、耳が聞こえなくなってしまう悲劇に見舞われます。しかし、ピアノ教師をしながら欧州各地で演奏活動をするなど、挑戦を続けました。そんなヘミングさんの苦難と再起の人生を描いたドキュメンタリー番組が、1999年にNHKで放送されると反響を呼び、同年に発売されたファーストアルバム、『奇蹟のカンパネラ』が200万枚を超える大ヒットを記録。フランツ・リストやフレデリック・ショパンの演奏で高く評価され、特に、リストの難曲『ラ・カンパネラ』の演奏は、世界中の人々の心をつかみました。これまで数々の演奏活動を精力的に行い、動物愛護や被災者へのチャリティ活動にも積極的だった、ヘミングさん。訃報に対し、ネット上では「素敵な演奏をありがとうございました」「残念でならない。これからも聴き続けます」「味のある演奏と人柄が大好きでした。ずっと聴きたかったな」など多数の追悼の声が寄せられていました。ヘミングさんの葬儀は本人や親族の遺志により、近親者で行い、関係者がお別れの会を検討しているといいます。多くの困難を抱えながらも、希望を捨てずに美しい音楽を奏で続けた、ヘミングさん。その功績は、この先も人々の心の中で輝き続けることでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。[文・構成/grape編集部]
2024年05月02日タレントのキャシー中島が4月30日に自身のアメブロを更新。4月26日に亡くなったデザイナー・桂由美さんの訃報に心境を吐露した。この日、キャシーは「桂先生に初めてお会いしたのは、女の60分と言う番組で取材をさせていただいた時です」と初対面した日を回想。「それからかれこれ50年!!私の結婚式のドレス、娘2人の結婚式のドレスと公私共におつきあいさせていただきました」と明かした。続けて、桂さんがキャシーの夫で俳優の勝野洋の舞台を必ず観に来てくれていたそうで「大きな拍手をくださいました」とコメント。「いつも心に留めてくださいました。先生、寂しい!」と心境を吐露し「2月にサファイア婚のイベントをしていただいたのが最後になりました。その時にこんなに早くお別れが来るとは思いもしませんでした」とつづった。また、一緒に食事をする約束をしていたことを明かし「実現しなかったですね。寂しい」と述べ「ただただご冥福をお祈りするばかりです」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年05月01日2024年4月30日、ブライダル関連のサービスを展開する株式会社ユミカツラインターナショナルは、ウェブサイトを更新。同社でクリエイティブディレクターを務めた、ブライダルデザイナーの桂由美さんが亡くなったことが明かしました。94歳でした。桂さんの逝去を報告するにあたって、このように想いを明かしています。並外れたクリエイティブさと情熱を持つ桂由美は、花嫁の夢を叶えるため奔走し続け、日本人女性にぴったりのウエディングドレスや打掛をはじめとする婚礼衣装の開発をしました。1965年には着用率がたったの3%だったウエディングドレスも、現在では90%以上の花嫁が着用するようになり、その活動は婚礼衣装にとどまらず、結婚式のスタイルに強く影響を与えてきました。数々の困難を乗り越えながら、実業家として、変革者として、”婚礼衣装の選択肢を増やしたい”とブライダル革命を起こし続けた桂由美の功績に触れることなしには日本のブライダルは語ることが出来ないでしょう。株式会社カツラユミインターナショナルーより引用ブライダルデザインの第一人者として、活躍した桂さん。新婦の夢を叶えるために、日本人女性にぴったりのウェディングドレスや打掛などの婚礼衣装を開発したといいます。また、ウェディングドレスの普及にも貢献。1965年当時は、ウェディングドレスの着用率がわずか3%だったのが、2024年現在では、90%以上の花嫁が着用するようになったそうです。さらに、桂さんの活躍は国内だけにとどまらず、1981年で開かれた、アメリカでのショーを皮切りに、イタリアやフランスなど30か国以上で日本の技術を用いたコレクションを発表しています。ネット上では「桂さんのウェディングドレスを選んだばかりだったので、驚いています」「素敵なドレスを作っていただきありがとうございました」といった追悼の声が上がっていました。ブライダルデザイナーとして、花嫁の幸せの瞬間に寄り添い続けてきた桂さん。その功績は、数々の美しいドレスとともに、人々の記憶の中で輝き続けることでしょう。桂さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年04月30日1972年に行われた札幌オリンピックのスキージャンプ70メートル級(現・ノーマルヒル)にて表彰台を独占し、『日の丸飛行隊』と呼ばれた同競技の日本代表。その中心選手として、日本初の冬季五輪金メダリストに輝いた、笠谷幸生(かさや・ゆきお)さんが、虚血性心疾患のため亡くなったことが、2024年4月26日に分かりました。80歳でした。サンケイスポーツによると、笠谷さんが息を引き取ったのは同月23日。葬儀は近親者のみですでに行われており、後日お別れの会を開くそうです。北海道出身の笠谷さんは、明治大学から日本の洋酒メーカーであるニッカウヰスキー株式会社(以下、ニッカウヰスキー)に入社。その後、1970年の世界選手権70メートル級で2位に輝くなど、力強い踏み切りと美しい空中姿勢を武器に活躍しました。自身4度目の出場となった1976年のインスブルック五輪を終え引退した後も、ニッカウヰスキーの社員を続ける傍ら、コーチとして後進育成に励みました。2010年のバンクーバー五輪では、日本選手団副団長を務め、2018年には文化功労者として表彰されています。訃報に対し、ネット上では多くの人から「『日の丸飛行隊』の活躍は、決して忘れません!」「とても残念です」といった声が上がりました。笠谷さんの輝かしい活躍は、人々の記憶に深く刻まれていることでしょう。笠谷さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年04月26日女優で声優の戸田恵子が21日に自身のアメブロを更新。11日に亡くなったアニメ『フランダースの犬』のハンス役などで知られる声優の村松康雄さんの訃報を受けコメントした。この日、戸田は「大先輩声優の村松康雄さんのご冥福をお祈りいたします」と追悼し「吹き替えの草創期からご活躍でした」とコメント。劇団薔薇座時代では、村松さんが劇団講師だったことを明かし、当時の授業について回想した。続けて、村松さんから「私のことは当時のニックネームでグリコ」と呼ばれていたといい「村松先生のニックネームはタメさん」と説明。最後に会った時には「貴女は頑張ったねぇ」と言われたことを明かし「嬉しかった」と述べつつ「淋しいです」と心境を吐露した。最後に「たくさんの教えをありがとうございました。心より感謝申し上げます」とコメントし「お疲れ様でした。どうか安らかにお眠りください」とつづった。この投稿に読者からは「大切な恩師だったんですね」「寂しくなりますね」「心中お察し致します」などのコメントが寄せられている。
2024年04月21日