2019年に世界中で社会現象を巻き起こした映画『ジョーカー』で、驚異的な怪演ぶりを見せた名優ホアキン・フェニックス。次回作への期待が高まるなか、最新主演作『カモン カモン』では狂気とはかけ離れた人物に扮し、話題を呼んでいます。そこで、こちらの方にお話をうかがってきました。ウディ・ノーマンくん【映画、ときどき私】 vol. 474本作では、ホアキン演じるラジオジャーナリストのジョニーが、ある日突然9歳の甥・ジェシーの面倒を見ることになるところから物語が始まりますが、ジェシーを演じているのがウディくん。英国アカデミー賞助演男優賞にノミネートされたのをはじめ、さまざまな賞を受賞し、ホアキンにも衝撃を与えた新星の天才子役として注目を集めています。今回は、現場での様子やホアキンとの共演エピソード、そして13歳となったいま抱いている将来の夢などについて、語ってもらいました。―事前に行われたオーディションでは、マイク・ミルズ監督とホアキン・フェニックスさんは、ウディくんのアドリブに衝撃的な感動を覚えたそうですが、どんな演技を見せたのでしょうか。ウディくん僕はあまりはっきりとは覚えていないんですけど、即興というよりは、セリフのやりとりをするなかでちょっとセリフを足したぐらいだったかなと。ホアキンとは演技をするというよりも、セリフを言い合いながらなんとなく演じていくような感じて進めていきました。―撮影中もアドリブは多く取り入れていましたか?ウディくんいくつかの場面ではアドリブでセリフを足していますが、基本的には脚本に忠実です。でも、そのときどきで変化や追加が必要だと感じたときには、判断してアドリブを入れています。ホアキンは優しい人で、すぐに打ち解けられた―ウディくんはイギリス出身ですが、劇中では完璧なアメリカ英語で話されていたので、ホアキンさんもイギリス人であることに気がつかないほどだったとか。どうやって身につけたのですか?ウディくん実は、数年前に別の役のオーディションを受けるためにアメリカ英語のアクセントを練習したことがあったんです。そのときは役をもらえませんでしたが、当時の経験があったおかげで今回すんなりと入っていくことができたのだと思います。もちろんいくつかの“壁”はありましたが、繰り返し練習したので、いまでは第二外国語みたいに話せるようになりました。―すごいですね。では、思い出のシーンと言えば?ウディくんそれは、ニューヨークで撮影したレスリングのシーンです。というのも、僕が数年前にレスリングにハマっていた話をしていたら、じゃあ取り入れてみようとなったシーンなので。もともと脚本には書かれていませんでしたが、そういう経緯で追加されたので、僕にとっては特別で思い出深いシーンとなりました。―そのあたりは、ぜひ観客の方々にも注目してもらいたいですね。伯父役のホアキンさんはハリウッドでもトップクラスの俳優ですが、初共演で緊張しませんでしたか?ウディくん初めて彼と会ったのはオーディションのときでしたが、なんとパジャマ姿で現れたんです(笑)。そういったこともあって、すぐに打ち解けられたのではないかなと。すごく優しい人でもあるので、一緒に演じていてもまったく緊張することなく接することができました。共通点を見つけながら、役に入り込んでいった―ちなみに、彼の過去作は観たことがありましたか?ウディくん5歳くらいのときに、『ブラザー・ベア』というアニメーションを観ましたが、そのときはホアキンが声優をしていることは知らずに観ていました。そのほかの作品については、お母さんから「撮影が終わるまでは観てはいけない」と。なぜなら、ホアキンがスターであることを僕が意識してしまったら、圧倒されてしまうと考えたからです。―確かに、それはあるかもしれないですね。現場では彼からたくさんのことを教わったそうですが、具体的にはどんなことですか?ウディくんまず彼から学んだのは、共演者と打ち解けることの大切さです。どれだけ仲良くできるかによって、演じる際にいかにいろんなことがスムーズに運んでいくかを知りました。演技に関して具体的に何かを教わったりはしていませんが、彼を観察するなかで、カメラ前での振る舞いなどは参考にしています。―劇中のジェシーは、ちょっと変わった子どもとして描かれていますよね。普段のウディくんと似ているところもありますか?ウディくん答えは、イエスでありノーですね。共通点は音楽がすごく好きなところですが、内向的なジェシーと違って、僕はすぐに相手と仲良くなって自分を出すことができるので、そこは似ていないかなと。とはいえ、演じるうえでは、共通点を見つけていきながらジェシーという役に入り込んでいきました。今後20年で、いろいろなことが改善されていくはず―劇中ではラジオジャーナリストのジョニーが、取材として子どもたちにいろいろな質問をしていたので、いまから映画のなかで出てきたものと同じ質問をいくつかさせてください。まずは、ウディくんが怖いものは何ですか?ウディくんたくさんありますけど、一番怖いのは海。あとは、蝶々も怖いですね(笑)。―では、何に怒りを感じますか?ウディくん話を聞いている振りをして、内容を聞いていない人に対してです。特に、あとになってから、「そんなこと聞いてないよ」と言われると、イラっとしてしまうこともあるので。―わかります(笑)。ウディくんを幸せにしてくれるものといえば?ウディくん具体的には挙げられませんが、いま僕の周りにあるものはみんな僕のことを幸せにしてくれています。―素敵ですね。もし、スーパーパワーが1つ持てるなら何がいい?ウディくんテレポーテーションですね。いろんなところに、素早く移動できるようになりたいので。―自分の何かを1つ変えられるなら、変えたいものは何ですか?ウディくん僕は年齢のわりに背が低いほうなので、できればあと数センチは高くなりたいです!―これからの未来はどうなると思っているか、考えたことはある?ウディくん僕は地球が滅びることはないと思っていますし、未来はいい方向に進んでいるんじゃないかなと。たとえば、いま海にゴミを捨てている人たちも、それが間違いだと気がついているはずなので。今後20年でそういったことも改善されていくと感じています。俳優だけでなく、監督や脚本にも挑戦したい―ありがとうございます。今後も役者は続けていきたいということですが、もしほかにもやってみたい職業があれば、教えてください。ウディくん映画業界に関わるすべてのお仕事が楽しそうに見えるので、監督もやってみたいし、脚本も書いてみたいと思っています。実際、すでに脚本は書いているのですが、まだ自分が楽しむ程度のものなので、いつか本格的に取り組んでみたいです。―もう脚本を書かれているのですか!?ちなみに、どんなタイプの作品か教えてもらえますか?ウディくんすでに4~5本は書いているんだけど、最後に書いたのは1か月くらい前で、自分でも内容を忘れてしまいました(笑)。―いつか作品になるのを楽しみにしています。ほかには、どんなことに興味があるのでしょうか。ウディくん僕が一番ハマっているのは、音楽です。いまエレクトリックベースを弾いているのですが、いろいろなジャンルの根源をたどっていくと同じところにつながっていたりして、そういうところもすごくおもしろいですよね。ミュージシャンというのは、音楽によってその場の空間を満たすクリエイティビティを作り出しているので、すごく尊敬しています。日本にはいつか絶対に行きたいと思っている―ちなみに、いままで日本に来たことはありますか?ウディくんまだ行ったことはありませんが、 旅行するのが大好きですし、日本はいつか絶対に訪れてみたいと考えています。ロンドンと東京は似ているところがあるんじゃないかなと想像していますが、世界の反対側にあるくらい離れている都市なので、その違いを知るためにも行ってみたいです。映画のなかで見る日本や日本に行ったことのある友達から聞く話から、とても楽しそうな場所だなという印象です。―それでは最後に、日本の観客へ向けてメッセージをお願いします。ウディくんこの作品はロックダウンになる前に作ったものですが、それがこうして世界中の人に観てもらえるのは、とても光栄ですし、多くの方に届けられるのをうれしく思っているところです。ぜひ、日本のみなさんの感想も楽しみにしています。ありがとうございました!インタビューを終えてみて……。お茶目な笑顔を見せつつ、終始大人顔負けのしっかりとした受け答えをしてくれたウディくん。俳優としての実力はすでに名優からのお墨付きですが、計り知れない才能で将来は監督や脚本家、さらにはミュージシャンとしても私たちを楽しませてくれそうです。驚きと優しさに満ちたかけがえのない時間となるデトロイト、ロサンゼルス、ニューヨーク、ニューオリンズといった異なる景色を見せる都市を舞台に繰り広げられる心温まるロードムービー。年の離れた天才俳優による“奇跡のケミストリー”に魅了されるだけでなく、悩みも怒りもすべてを優しさで包み込んでくれる珠玉の感動作です。取材、文・志村昌美ストーリーNYに1人で暮らすラジオジャーナリストのジョニーは、妹から頼まれ、9歳の甥・ジェシーの面倒を数日間みることになる。LAにある妹の家で突然始まった共同生活は、戸惑いの連続。好奇心旺盛なジェシーは、ジョニーのぎこちない兄妹関係やいまだ独身でいる理由、自分の父親の病気に関する疑問をストレートに投げかけ、ジョニーを困らせる。そのいっぽうで、ジョニーの仕事や録音機材にも興味を示し、2人は次第に距離を縮めていく。そして、仕事のためにNYへと戻ることになったジョニーは、ジェシーを連れて行くことを決めるのだが……。愛おしさが詰まった予告編はこちら!作品情報『カモン カモン』4月22日(金)より、TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー配給:ハピネットファントム・スタジオ© 2021 Be Funny When You Can LLC. All Rights Reserved.Maggie Shannon
2022年04月20日・みんなが楽しんでいるのが伝わってくる!・音楽に言葉は不要だなと思いました。・たとえ言葉が通じなくとも音楽で伝わるものってあるんですね。ピアニストの中瀬真依(@mai_nakase)さんがTwitterに投稿した1本の演奏動画をきっかけに、感動の輪が広がっています。ロンドン駅で始まった合唱2022年3月現在、イギリスのロンドンに留学中の中瀬さん。ロンドンの駅に設置されたストリートピアノで、日本でもよく知られている『威風堂々』を演奏していました。『威風堂々』は、イギリスの作曲家エドワード・エルガーによる行進曲。イギリス人にとっては、馴染み深い1曲といえます。だからなのでしょうか…中瀬さんたちが演奏を始めると、通行人たちが加わり、素敵な展開になりました。ロンドンの駅ピアノで威風堂々弾いてたら偶然周りにいた人たちが歌ってくれたやはりイギリスでこの曲愛されているのかな❤️楽しかった〜!!! pic.twitter.com/1fkryRSudo — Mai Nakase 中瀬真依 (@mai_nakase) March 13, 2022 ピアニストである中瀬さんの演奏技術はもちろん、突如加わってきた男性たちの歌声も素晴らしいもの。さらに、後ろにいる着ぐるみのようなものを着た人物もノリノリで踊り始めるなど、その場にいる全員が『威風堂々』を通して音楽を楽しんでいることが伝わってきます。言葉は必要なく、音楽を介したコミュニケーションに心を打たれた人は多く、絶賛の声が寄せられました。寄せられているコメントに対して、「音楽でつながれる楽しさを改めて感じました」とも語っている中瀬さん。音楽の持つ可能性を実感できる、素敵な出来事ですね![文・構成/grape編集部]
2022年03月15日氷の上で行われるウィンタースポーツ、カーリング。2022年2月に開催された世界的なスポーツの大会では、日本を含め各国の代表選手が熱い戦いを繰り広げました。バケツを使ってカーリング?その大会中、イギリスのエイボン・サマーセット警察がカーリングのイギリス女子チームを応援しようと、Twitterに動画を投稿しました。すると、5千件近くリツイートされるほど反響が上がったのです。その動画をご覧ください。Good luck to @TeamGB in the curling today and tomorrow @evemuirhead pic.twitter.com/E6DJolqXxN — ASPoliceHorses (@ASPoliceHorses) February 18, 2022 真剣な表情で、ストーンならぬバケツを滑らせる人。続いて2人がデッキブラシで床をゴシゴシしています。実際のカーリングさながらのかけ声も上がり、緊張感はマックス。ところが最後は…標的となるハウスではなくウマが登場!予想外のオチに、見た人たちは大笑いしています。・オチが最高!声を出して笑ったわ。・天才かよ。この競技を考えた人に金メダルをあげたい。・最後でコーヒー吹き出した!エイボン・サマーセット警察は騎馬隊があり、Twitterにはしばしばウマたちの写真が投稿されています。ほっこりする結末で、多くの人を笑顔にした『バケツカーリング』。もし得点をつけるなら、間違いなく10点満点をあげたいですね![文・構成/grape編集部]
2022年02月25日世の中には知られざる驚きの実話が数多く存在していますが、今回映画化されたのは、名画盗難事件の真相。犯人でありながら、イギリス中を感動の渦に巻き込んだ男の嘘のような本当の話をご紹介します。『ゴヤの名画と優しい泥棒』【映画、ときどき私】 vol. 461イギリスが誇る“世界屈指の美の殿堂”として多くの人を魅了しているロンドン・ナショナル・ギャラリー。ところが、1961年にゴヤの名画「ウェリントン公爵」が盗まれ、前代未聞の大事件が発生する。その犯人は、60歳のタクシー運転手ケンプトン・バントン。孤独な高齢者にとってテレビが唯一の娯楽だった時代に、彼らの生活を少しでも楽にしたいと盗んだ絵画の身代金で公共放送の受信料を肩代わりしようと企てたのだ。しかし、事件にはもうひとつの隠された真相が……。本作は、残念ながら2021年9月に急逝した『ノッティングヒルの恋人』で知られるロジャー・ミッシェル監督にとって最後の長編映画作品。そこで、その思いを受け継いだこちらの方にお話をうかがってきました。ニッキー・ベンサムさん映画業界で長年キャリアを積み、本作ではプロデューサーを務めているニッキーさん。今回は、映画化にいたった経緯やロジャー監督から学んだことなどについて、語っていただきました。―もともとはケンプトンのお孫さんからニッキーさんに送られてきたメールがきっかけだったそうですが、どういった内容だったのでしょうか。ニッキーさん ある年のカンヌ国際映画祭のプロデューサーリストを見た彼から、「僕の家族に関するすごい話があります」と突然メールが送られてきたんです。私以外にも何名かのプロデューサーに送っていたようですが、書かれていた簡単なあらすじに魅了された私はすぐに返信をしました。―つまり、その時点で「これはいい映画になる」という手ごたえを感じていたと。ニッキーさん そうですね。家族モノで、実話に基づいていて、絵画の盗難もあるというのはおもしろいので、いい映画になる可能性はいくつも秘めているなと。しかも、それがあまり知られていないというのも大きかったですね。まずは自分で調査を始め、すべての事実がはっきりしてから企画に取り掛かることにしました。ロジャーの姿勢から学ぶことは多かった―その後、本作の監督としてロジャー・ミッシェル監督を指名した理由についてお聞かせください。ニッキーさん 彼の過去作には素晴らしい作品が揃っていますが、彼の映画はたとえ規模が大きくても必ずパーソナルな部分にフォーカスしているのが魅力だと感じていました。この物語も背景にあるのは当時大きく取り上げられたスキャンダルですが、核心となるのは家族の温かみやユーモア。そういった家族ドラマを作るには、ロジャーが一番だと思ったのが理由です。彼ほどバランスの取れる監督はなかなかいないので、完璧な人選だったなと思います。なぜ彼がそこまで温かいストーリーを描けるかというと、彼自身が人間や俳優を心から愛しているから。だからこそ、俳優たちの才能を引き出し、心地よく演技できるような演出ができるのです。―ananwebでは2021年に『ブラックバード家族が家族であるうちに』でロジャー監督へ取材をさせていただき、映画作りに対する興味深いお話をたくさん聞かせていただきました。実際にロジャー監督と一緒にお仕事をされてみて、感銘を受けたこともありましたか?ニッキーさん 企画が動き始めるといろいろな混乱に陥りやすいものですが、そのときにロジャーがよく言っていたのは、「何かあったら脚本に戻れ。答えはそこにあるから」ということ。どれだけ周りが騒いでいても、そういったノイズはすべて消して、脚本をガイドとして歩んでいけばいいんだと教えてくれました。そういう彼の姿勢から学ぶことは多かったですね。それからロジャーの撮影方法はすごく効率的で、だいたい1回撮ったらOK。私としてはクローズアップや別の角度からも撮り直さなくて大丈夫かなと思っていたのですが、ロジャーは「最初の純粋な演技が一番なんだよ」とつねに自信を持って言っていました。そんなふうに、何よりも脚本と俳優を信じることを彼から教えてもらいました。ゴヤの絵には何か惹かれるものを感じた―また、本作でもうひとつの主人公と言えば、ゴヤの名画「ウェリントン公爵」。ニッキーさんはこの絵に対してどのような印象を抱かれましたか?ニッキーさん 最初にこの絵を見に行ったとき、すでに事件についてすべてのことを知っていたので、まるで有名人にでも会えたような気分でしたね(笑)。正直言って、ナショナル・ギャラリーのなかで一番素晴らしい作品だとは思いませんでしたが、絵の存在感やパワフルさという意味では、何か惹かれるものがあるとは感じました。ゴヤの作品においても、もっとも素晴らしい作品とは言えませんが、インパクトはありますし、こういったストーリーのもとにもなっているので、魅力のある作品ではないかなと。依頼をした脚本家たちと初めて会うときに「事件の現場で会いましょう」と言って絵画の前で待ち合わせしたのもおもしろかったです(笑)。―では、何か日本にまつわるエピソードについても教えていただけますか?ニッキーさん 私はオーストラリア出身なのですが、子どものころに家族旅行として初めて訪れた東京や京都、そして富士山の横を通ったときの記憶はいまでも鮮明に覚えています。それから、オーストラリアでは有名なベン・リーというシンガーソングライターがいますが、大学の同級生であった彼が日本でツアーを行ったときに撮影担当として来日したことも。日本の食事はおいしいし、人々は優しいし、地方の景色は美しいので、いろんなJ-POPのアーティストたちと一緒にツアーを回るのは素晴らしい経験でした。最近、私の子どもが日本の文化にハマっているので、旅行ができるようになったらぜひ一緒に日本へ行きたいですね。女性たちに必要なのは、自分の体験談をシェアすること―ニッキーさんは育児や介護をしながらでも女性たちが映画業界で働けるような活動にも力を注いでいますが、ご自身もそういった困難を味わったことがあるのでしょうか。ニッキーさん もちろん、私自身の経験に基づいているところもありますが、周りの女性たちの声にも耳を傾けてみたら、「キャリアは積みたいけれど、この業界にいるのは難しい」という意見が多く上がりました。そういったことが発端となりこの活動を始めることになったのですが、問題はどうすれば女性が映画業界に来てくれるかよりも、どうすれば女性たちが映画業界に残ってくれるか。それに改めて気づかされました。実際、若い世代の男女比は半々ですが、監督や上のポジションになると女性の数は減ってしまいますからね。ただ、私は文句を言うだけで終わりにするのは嫌なので、解決策を見つけて変化をもたらしたいという思いから女性たちをサポートする方法を考えました。映画業界の未来のためにも、才能のある女性たちを失わないような活動をこれからも続けていきたいです。―日本の働く女性でもキャリアと家庭との両立に悩んでいる人は多いので、アドバイスをお願いします。ニッキーさん 私が育児や介護をしながら働く女性たちのための団体を立ち上げたとき、まず初めに作ったのは、女性たちがそれぞれの体験をシェアできるコミュニティ。そこで多くの女性たちが自分の失敗談や成功談を語り合っていたのですが、そうすることで「大変なのは自分だけじゃない」と勇気づけられたと聞きました。おそらく日本の女性のみなさんも、同じような苦労があると思うので、お友達や同僚、もしくはそういった話ができるコミュニティでそれぞれの体験をシェアし合うことが大切なのではないかなと。ただ、それが一部の間だけで行われるのではなく、より多くの人の間で語り合うことができるような社会になるための働きかけも必要だと考えています。笑って泣いて心まで盗まれる!他人に対して無関心になりがちな時代だからこそ、忘れたくないのは、互いを思いやる優しさと人が寄り添い合っていくことで生まれる温もり。何ものにも代えがたい夫婦や親子の絆だけでなく、弱者のために1人で戦うケンプトンの姿は、いまの私たちに大切なものは何かを教えてくれるはずです。取材、文・志村昌美驚きの詰まった予告編はこちら!作品情報『ゴヤの名画と優しい泥棒』2月25日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国公開監督:ロジャー・ミッシェル出演:ジム・ブロードベント、ヘレン・ミレン、フィオン・ホワイトヘッド、アンナ・マックスウェル・マーティン、マシュー・グード配給:ハピネットファントム・スタジオ©PATHE PRODUCTIONS LIMITED 2020
2022年02月24日街がネオンで色づきはじめるこれから時期、華やかで刺激的な体験を味わいたいと思う人も多いのでは?そこで、そんな気分にオススメの話題作をご紹介します。『ラストナイト・イン・ソーホー』【映画、ときどき私】 vol. 434ファッションデザイナーを夢見るエロイーズは、小さな田舎町を出て、ロンドンのデザイン学校に入学する。しかし、寮生活では周囲となじめず、孤立してしまう。そこで、ソーホー地区の片隅で一人暮らしを始めることに。新居のアパートで眠りに着くと、夢の中で60年代のソーホーにいたエロイーズは、歌手を夢見る魅惑的なサンディに出会い、身体も感覚も彼女とシンクロしていく。夢の中の体験が現実にも影響を与え、充実した毎日を送れるようになったエロイーズは、タイムリープを繰り返していたが、“ある殺人事件”を目撃したことで事態は徐々に変わり始める……。映画『ジョジョ・ラビット』のトーマシン・マッケンジーとNetflixシリーズ『クイーンズ・ギャンビット』で脚光を浴びたアニャ・テイラー=ジョイという映画界が注目する若手女優の共演でも話題の本作。今回は、こちらの方に見どころをうかがってきました。エドガー・ライト監督2017年に『ベイビー・ドライバー』で多くの観客を熱狂させ、世界中の映画ファンが新作を待ち望んでいたライト監督。本作では現代と60年代を行き来するタイムリープ・サイコ・ホラーを完成させています。そこで、物語が誕生したきっかけや撮影秘話について、語っていただきました。―まず本作の着想はどこから得たものなのか、教えてください。監督そもそも僕は、昔から60年代に取りつかれているようなところがあるんです。きっかけは両親が60年代の音楽のアルバムをコレクションしていたからでもありますが、両親は兄が生まれてから音楽を聴くことをやめてしまったため、70年代以降の音楽が家になかったんですよね(笑)。そういったことから60年代の音楽にハマり、徐々に映画やアート、ファッションを通して60年代への思いが強くなって行きました。―では、男性の主人公を多く描いてきた監督が、2人の女性を主人公にしようと思ったのはなぜですか?監督60年代を舞台にしたこれまでの映画では、小さい田舎の町から大きな夢を抱いて都会に出てくる若い女性が、どこか罰せられるように描かれている作品が多いと感じていました。わかりやすく言うと、進歩的な女性が大胆な夢を見ることを許さないというか、道徳観を押しつけられているように、僕には見えていたのです。そこで、「それをひっくり返したら面白いんじゃないか?」という発想から、この物語を思いつきました。つまり、現代のロンドンにいる女性が60年代に夢を持っていた女性と同じことをしたらどうなるか、というのを描いてみたいと考えたのです。そういった思いから、時代の違う2人の女性を主人公にしました。60年代を再現したムービーマジックを味わってほしい―ロンドンのソーホーが舞台となっていますが、監督自身にとっても思い入れの強い場所だとか。監督そうですね。僕も27年前にロンドンに出てきて以来、多くの時間をソーホーで過ごしました。それが今回舞台に選んだ理由のひとつでもありますが、ソーホーといえば、エンタメ業界やナイトライフの中心地でもありますから。それも大きかったとは思います。あと、僕が引っ越してきた当時はショウビズ界と裏社会がつながっている場所でもあったので、何かザワザワするような雰囲気も非常に興味深いところだと感じています。―本作には、過去の作品からインスパイアされた部分やオマージュが散りばめられています。そのなかでも、ご自身がこだわったシーンについてお聞かせください。監督今回は、特に60年代という時代に対してオマージュを捧げているところが多いですが、なかでもヘイマーケットといってロンドンの中心地で撮影したシーンでは、野心的なカットを撮れたと思っています。なぜなら、ロンドンのなかでも交通量も人通りも多い場所にもかかわらず、60年代の車を入れ、映画館も当時の装飾にすべて変えて、実際に撮影を行ったからです。このシーンを撮影するにあたって、5か月も前から許可を申請して撮影を実現させたのですが、許された時間はたった4時間だけ。時間的にやり直しはきかないという厳しい状況だったので、正直に言うと、僕のなかにも「はたしてこのシーンを撮れるのだろうか」という不安はありました。だからこそ、CGではなくリアルな60年代をとらえることができたシーンを撮れて、いまは誇らしい気持ちです。ソーホーのなかを車で走っているシーンも、外に見える景色は実際に建物の装飾をすべて60年代に変えて作り上げました。ぜひみなさんにも、このムービーマジックを味わっていただきたいです。姉妹のような関係性を築いて演じてくれた―エロイーズ役のトーマシン・マッケンジーとサンディ役のアニャ・テイラー=ジョイの現場での様子はいかがでしたか?監督最初に2人が一緒にリハーサルをしたのは、鏡を挟んで同じ動きをするシーン。すぐに姉妹のような関係性を築いていましたね。お互いの動きをコピーし合っていたこともありますが、2人の間に絆が生まれる様子を目撃したときは、まるで魔法が起きているのを見ているような気分でした。それが観た方にも伝わっていたのか、劇中で2人が言葉を交わすシーンはほとんどないにもかかわらず、世界中のファンの方々が作ってくれたファンアートを見ると、どれも彼女たちを1組のペアとして捉えてくれているものばかり。それくらい2人が心理的につながっているのを感じてもらえたのはうれしいです。―劇中で見どころのひとつといえば、エロイーズとサンディがダンスをしながら入れ替わるシーン。トリック撮影を駆使して撮影されたそうですが、撮影時の裏側を教えていただけますか?監督あのシーンは実際にワンカットで撮っていますが、いろいろなセクションのスタッフたちのコンビネーションのおかげで作り上げることができました。実は、脚本でも絵コンテでも、当初は2人が入れ替わるのは1回だけの予定だったんです。でも、VFX担当と振り付け担当、それぞれのスタッフからいくつかの提案があり、6回は入れ替えられるんじゃないかと。そこで、「じゃあ、全部の提案を入れてやってみよう!」となり、いまの形になりました。そのほうが観客のみなさんも「一体どうなってるの?」と楽しんでもらえるだろうという期待も大きかったですね。日本には仕事ではなく、ホリデーで遊びに行きたい―なるほど。実際、素晴らしいシーンに仕上がっていたと思います。監督あともうひとつ裏話があって、それは本番の前の夜に、2人の代役を務めてくれたダンサーによるリハーサル映像を僕のガールフレンドに見せていたときのこと。彼女が「ちょっと待って!2人がどこで入れ替わっているかわからない!」とすごいリアクションを見せたんです。ダンサーの2人は金髪と黒髪で髪の色が違っているにもかかわらず、よくわからないと。当初はエロイーズもサンディも、金髪にピンクのドレスを着せて撮影するつもりでしたが、その反応がすごく印象的だったので、2人に同じ格好をさせないほうがいいんじゃないかと気がつきました。そこで、メイクと衣装のスタッフに「本当に申し訳ないんだけど、トーマシンを元の茶色の髪とパジャマ姿に戻してほしい」と急遽お願いしたんです。直前での変更にはなりましたが、新しいアイディアを形にしたことで、よりよいシーンになったと思っています。―ぜひ、注目していただきたいですね。それでは最後に、まもなく公開を迎える日本に関して、どのような印象をお持ちなのか教えてください。監督東京にはすでに7回くらい行ったことがあって、これまでにフジロックフェスティバルやサマーソニック、クラブクアトロなどに行ったのをよく覚えています。そのなかでも、僕が好きなのはゴールデン街や小さなバー。渋谷のグランドファーザーズとか、オーナーがかける曲にこだわっているようなところはすごくいいですよね。とはいえ、日本には仕事でしか訪れたことがないので、次はぜひホリデーとして遊びに行きたいと思っています。スリリングな展開に、歓喜と悲鳴が交錯する!エドガー・ライト監督ならではの映画愛と音楽愛が詰め込まれた本作。妖艶な映像美と斬新なストーリーテリングで、観る者を一気に異世界へと誘ってくれるはず。夢と恐怖がシンクロする新感覚をエロイーズとともに、体感してみては?取材、文・志村昌美魅惑的な予告編はこちら!注目のシンクロダンスシーンをひと足先に解禁!作品情報『ラストナイト・イン・ソーホー』12月10日(金)、TOHO シネマズ日比谷、渋谷シネクイントほか全国公開配給:パルコ ユニバーサル映画© 2021 FOCUS FEATURES LLC. ALL RIGHTS RESERVED
2021年12月07日『イギリストースト』って何?ユニオンジャックに赤と青のラインがデザインされた、まさに「イギリス」なパッケージの『イギリストースト』。でも、イギリスで作られたものではありません。『イギリストースト』を製造しているのは青森県のパンメーカー、工藤パン(@kudopan_aomori)。テレビ番組でも紹介され、話題となっている『イギリストースト』。青森県民ならその名前を聞いただけで味が蘇ってくる、そんな県民のソウルフードなのです。どんなパンなのかというと、表面にマーガリンを塗り、グラニュー糖をかけた山型の食パンを2枚合わせたシンプルなもの。このシンプルなパンがどのようにして青森県民の誰もが知らぬ者がいないほどのソウルフードとなったのか。なぜ「青森」で「イギリス」なのか。『イギリストースト』の謎を紐解いていきます。『イギリストースト』の始まり〜「青森」で「イギリス」の謎『イギリストースト』を製造しているのは青森市の『工藤パン』。昭和7年に青森県むつ市の赤川駅前で開業した小さなパン店が始まりでした。そして、戦後もっと多くの人に美味しいパンを届けたいと昭和23年に青森市に移転。現在の株式会社工藤パンを設立したのです。『イギリストースト』が生まれたのはそれから20年近く経った昭和42年。創業者である工藤半右衛門氏によって考案されました。きっかけは、工藤パンが創業したむつ市の大湊地区にあった食習慣。この地域では食パンにバターを塗って砂糖をかけて食べるという習慣があったことを参考に、半右衛門さんが山型食パンにマーガリンとグラニュー糖をかけた商品を開発したのです。工藤パンの那須尚幸さんにお聞きしたところ、パンの厚さには特にこだわり、『イギリストース』を食べる上で一番美味しく食べられるよう研究して決められたとのこと。だから既存の8枚切りなどの厚さには当てはまりません。あえていうなら「8枚切りと10枚切りの中間くらい」です。もちろん、マーガリン、グラニュー糖の量もバランスに徹底的にこだわっており、なんとマーガリンは『イギリストースト』専用に開発(配合は秘密)。そして、現在でもマーガリンとグラニュー糖の量のバランスは変えていないといいます。工藤パンの那須さん:食パンは山型食パンを使用しています。山型食パンは「イギリスパン」とも呼ばれるため、創業者工藤半右衛門社主によって『イギリストースト』と名付けられました。ただ、トーストしていないのに「トースト」と名付けた理由は、当時の資料がないため定かではないとのこと。「トーストするとさらに美味しく食べられる」という意味が込められているという説があるそうです。なるほど。「青森」なのに「イギリス」なのは、「イギリスパンを使った商品」だからなのですね。『イギリストースト』の人気の秘密では、そんな『イギリストースト』がなぜこんなにも長い間支持されているのか。それは「青森県民が好きな味」にあるようです。工藤パンの那須さん:青森県民は甘いものを好む習慣があります。例えば赤飯は全国的にはごま塩などをかけて塩味で食べるのが一般的ですが、青森の特に津軽エリアでは甘い赤飯が食べられているんですよ。甘い赤飯!「それはもはやデザートでは?」と思いますが、れっきとしたご飯として甘い赤飯が好んで食べられているのだそう。ほかにも、全国的には塩味のものが甘くなっている食べ物があるようで…。工藤パンの那須さん:茶碗蒸しも甘いです。通常茶碗蒸しには銀杏が入ることが多いですが、青森では大粒の栗の甘露煮が入っています。「銀杏は邪道」という人もいるくらいです。塩味の出汁で作られたものしか食べたことのない身としては、試してみたいような怖いような気もしますが、このように甘い赤飯や茶碗蒸しを好む青森県民にとって、『イギリストースト』の甘いグラニュー糖とマーガリン、そして食パンのハーモニーはまさにツボにハマったのかもしれませんね。というわけで発売当初から人気商品だった『イギリストースト』ですが、さらに青森県内の中学高校の売店でも販売していたため、学生を中心に人気に火がつき、54年ものロングセラーとなったのです。また、発売当初は一枚の食パンの表面にグラニュー糖とマーガリンを塗っていましたが、昭和51年からはその食パンを2枚にスライスして間に挟むようになり、より食べやすくなりました。グラニュー糖がかかっていると聞くと、どれほど甘いのかと気になりますよね。実際に食べてみるとじゃりっとしたグラニュー糖とマーガリンがふんわりしたパンとマッチして、思いのほかあっさりとしています。薄い食パン2枚の量ですが、ペロリと食べられてしまいました。発売からずっと人気の秘密は、この「あっさり」にもあるようです。つまり「甘すぎず、専用のマーガリンがさらっとしていてくどくない」。だから毎日のように食べても全く飽きることがないのです。工藤パンの那須さん:そのまま食べても美味しいのですが、「トースト」という名前の通り少し焼くとグラニュー糖とマーガリンは溶け、パンはがクサクになって美味しいですよ。青森ではそのまま派とトースト派は50:50です。お勧めのトーストにして食べてみると、おっしゃる通りパンがサクサクで中がじゅわ〜。焼かないものとは全く違う食べ物に変身して、これまた美味!そのまま派とトースト派が拮抗するのも頷けます。『イギリストースト』製造のこだわりしっとりふわふわ食感のパンと、マーガリンとグラニュー糖のバランスが絶妙なハーモニーを奏でる『イギリストースト』には、製造過程にもこだわりがあります。2019年からはパン生地に自家製の発酵種ルヴァンを使用し、しっとりとした『イギリストースト』専用の山型食パンを製造しています。そして、2021年7月には生地のさらなるリニューアルを実施。ルヴァン種の量を増やすことなどによって、よりしっとり感が持続するようになりました。工藤パンの那須さん:看板商品のリニューアルはかなりチャレンジだったのですが、しっとり感が増して小麦の風味がより感じられると好評をいただいてホッとしています。また、食パンは切った瞬間から水分が飛んでいくために、製造ラインにも工夫があるとのこと。工藤パンの那須さん:食パンの乾燥を防ぐために通常より短い10mの製造ラインで全ての工程を行い、食パンをスライスしてから包装までを2時間半で仕上げています。歴代で200種類以上!『イギリストースト』のバリエーション発売当初は定番の味のみだった『イギリストースト』ですが、いつしかいろんな味を開発するように。これまで販売してきた味は200種類以上にもなるそうです。その中でもネットをざわつかせたのが、2017年に発売した『イギリスフレンチトースト(ピザ風)』。「イギリス?フランス?イタリア?多国籍すぎる!!」と話題になったのだそう。確かに「イギリスフレンチトースト」と聞くだけでも「ん?」と引っかかるのにさらに「ピザ風」。ざわつくのも当然です。この『イギリスフレンチトースト(ピザ風)』は、パンの間にピザソースとクリームチーズを挟んでから卵液をまとわせ焼いたもの。「とても人気でバカ売れだった」と那須さん。聞くだけで美味しそうですね。残念ながら「イギリスフレンチトースト」は現在販売していないのですが、工藤パンでは毎月2種類の新商品を開発、販売。2021年11月現在、販売している種類は10種類にも及びます。・イギリストースト・イギリストースト(ブレンドコーヒークリーム)・イギリストースト(小倉&マーガリン)・イギリストースト(ザクザクチョコクリーム&ホイップ)・イギリストースト(焼いもあん&マーガリン)・イギリストースト(ストロベリー&レアチーズ風味クリーム)・イギリストースト(ツナサラダ)・イギリストースト(たまごサラダ)・スペシャルイギリストースト(もっとジャリまし)・スペシャルイギリストースト(チョコスプレー&ホイップ)※歴代のイギリストーストはこちら。「ブレンドコーヒークリーム」と「小倉&マーガリン」「スペシャルイギリストーストもっとジャリまし」は、人気になったために定番化された味。中でも「もっとジャリまし」はお客様のご要望に応えた形で開発されました。グラニュー糖の量を減らしザラメ糖を入れることで、よりジャリっと感が増したスペシャルなイギリストーストです。これからも毎月、旬の食材や青森の地元の食材をアレンジした様々な味を展開していくとのこと。楽しみですね。ぜひ青森だけでなく全国でも販売してほしいと思いますが、それは難しいと那須さんはおっしゃいます。工藤パンの那須さん:時間が経つごとにどうしてもパンが乾燥してパサついてしまうため、製造日にプラス3日の消費期限を設定しています。でも本当は製造日当日か翌日くらいで食べていただかないと本当の美味しさは味わえません。だから東京より西で販売することは今のところ不可能なんです。東京のアンテナショップを除いては、青森を含む東北6県でしか手に入らない『イギリストースト』。これはぜひ青森に行って味わうしかありません。コロナ禍でなかなか県を跨ぐ旅行が難しい日が続いていますが、青森に行った際にはぜひ探してみてください。スーパーやコンビニなどの工藤パン取扱店で購入可能です。工藤パンの那須さん:青森といえば「りんご」「ねぶた」を思い浮かべる人が多いですが、『イギリストースト』を新たな青森の顔として浸透させていくのがこれからの目標です。工藤パン公式ウェブサイト工藤パン公式Twitterアカウント[文/ハラアキコ・構成/grape編集部]
2021年11月05日前回までの2回の記事をとおして、イギリスの妊娠・出産からは、「女性が自分自身で決める」という印象を受けました。言われるがまま検査を受け、よくわからないけど我慢して従うということはイギリスではありえません。イギリスは、世界130か国以上の「経口中絶薬の使用が認められている国」の一つです。しかも、郵送サービスを利用し、自宅で誰にも会わずに行えます。妊娠・出産すべて、女性が自分自身で決めるイギリスの医療現場では「インフォームドコンセント」が根付いています。これは「医療者が検討している医療行為について、患者・家族に十分説明・情報共有し、患者側が理解し、自ら選択し、最終的に皆で合意すること」です。受け入れるだけでなく、拒否することも患者の権利です。健診でさえ、妊婦自身が必要ない、受けたくないといえば受ける必要はありません。たとえ、自宅出産を勧められないハイリスク妊婦であっても、本人が自宅出産を希望するならば、助産師はその女性にリスクや可能性を説明し、本人が納得していることを確認したうえで自宅に出産をサポートします。イギリスでは出産時のPCR検査が女性に勧められますが、拒否することも認められています。ただし、医療者の安全を守るのは地方自治体の義務として定められているため、医療者が防護服を着るなど対応をします。日本での出産経験しかない私からすると、イギリスの妊婦さんはいささか自由すぎる気もしますが、長い年月をかけて「権利」を勝ち取ってきた歴史があるからでしょう。さすが、マグナカルタ(王の権利を制限)、権利章典(人権)の国です。この「権利を尊重」「自ら決める」がよく表れているのが、今回のトピック「中絶」と「避妊」です。経済的不安により35歳以上の中絶数が、近年増加(注1)2020年のすべての年代をあわせたイギリスの中絶率は、人口1000人あたり18.2人でした。1967年に中絶法が制定されてから、もっとも高い数値です。新型コロナウィルスの流行による経済的不安は、2020年の中絶の増加(特に30代後半の女性)の背景になっているとみられています。実際、2019年から2020年にかけて、18歳以下の中絶率は、1000人あたり8.1人から6.9人に下がりました。逆に、35歳以上では1000人あたり9.7人から10.6人へと増加しています。誰にも会わず、自宅で経口中絶薬(郵送)を服用できるイギリスは、世界130か国以上の「経口中絶薬の使用が認められている国」の一つです。電話問診、処方薬の郵送により、誰にも会わずに自宅で中絶することが可能です。このサービスは”Pills by Post”と呼ばれており、広く受け入れられているものです。妊娠10週までは中絶相談に電話をかけて問診を受ければ、自宅に経口中絶薬が1~3日以内に届きます。費用はすべてNHSがカバーします。この郵送物は内容が分からないように梱包されており、受け取りがあったか追跡は行われますが、受け取りのサインは不要です。郵送には詳しい説明書が同封され、ウェブサイトには服用方法の説明動画やガイドイラストが載せられています。経口中絶薬についての使用ガイド。Reproduced with the permission of British Pregnancy Advisory Service (BPAS) and Gough Bailey Wright(関係機関からの使用許可を得ています)ウェブサイトには、どのタイミングで服用するか、何%の確率でどんなリスクがあるか、何時間後に出血するか、などが細かく示されています。通常は2回服用ですが、成果が見られない場合は5回まで服用できるそうです。後日、妊娠検査薬を自分で使用し、中絶できたかを確認します。薬の服用中は、専門家に24時間電話相談できます。「何かあるかもと不安でも、電話で親身に相談にのってくれる体制があるため、自宅での中絶に大多数の人が満足しています」と、おざわさん。この中絶薬郵送サービスの普及により、中絶ケアに早めにアクセスする女性が増え、平均中絶週数が減ったという調査もあります。これは女性の心身への負担を減らす重要な一歩です。この薬の郵送サービス制度は、イギリスに限らずWHOも歓迎しています。出産後すぐに避妊処置を行ってから退院イギリスでは、出産直後に避妊処置を行ってから退院する人が多いそうです。新型コロナウィルス流行、イギリスの公的医療機構では出産後、入院中に女性に避妊処置を提供しています。例えば、出産直後に子宮や膣にコイルやリングを挿入する腕に避妊用インプラントを埋め込む、注射、など。産後すぐに処置できない場合は、避妊のための受診を予約してから退院します。前段で触れたように、中絶件数は増加傾向であり、女性の心身や人生設計に大きな影響を与えています。おざわさんは語ります。「人生の主役は自分自身です。避妊に前向き・自主的になることが、女性の自信につながります。『今は仕事や趣味を優先したい』『2人目は何年あけてからにしたい』など、皆さん考えますよね?やりたいことをやって、自分の人生を大切にしながら、計画的に避妊して、自分の身体・パートナーとの関係・妊娠・出産を思いきり満喫しましょう。自分の身体や人生のことは自分で決めよう、と女性達に伝えています」コロナ禍の夏、子ども達は元気に公園で水遊び(ハーバートひとみさん提供)(文:岡本聡子)監修・取材協力:おざわじゅんこさん岡山県出身。1998年 文系大学卒業。イギリスへ渡航後、2007年助産師資格取得。以来 Imperial College Healthcare NHS Trust で助産師として勤務。 現在は時短で継続ケアチームに所属。特定妊婦の継続ケア(自宅出産も含む)を助産師チームで進めている。 目下の目標は、医療界のヒエラルキーをなくすこと。 夢は『世界平和』。西川直子さんイギリス在住。日本で助産師として勤務後、駐在に付き添い、タイ、イギリス、スペイン、イギリスと10年間を海外で過ごす。現地での日本人ママ向け子育て支援を経て、オンラインで世界中のママ達をサポートするfacebookグループ『世界のママが集まるオンラインカフェ(せかままcafe)』立ち上げや、「助産師オンライン24時間マラソン」を主催。(この記事は、2021年9月1日時点のデータに基づいて執筆しました)
2021年10月22日英国王室のキャサリン妃が出産後すぐに退院した映像を観て、びっくりしました。しかも自然分娩で、すらりとしてメイクもばっちり! 同時期に出産してぼろぼろだった私は、特に打ちのめされました。彼女が特別なのでしょうか?実は、イギリスでは出産当日か翌日には、皆退院します。「最高にリラックスできるのは自宅」という考え方と、すぐに退院してもやっていける仕組みがあるからです。地域にあるチルドレンズセンター(公立)での親子遊び(ハーバートひとみさん提供)出産する場所、体勢は妊婦の好きなようにイギリスでは、妊娠34週に入ってから産む場所を決めます。自宅で出産する人の割合の全国平均は2%強。ロンドンでは年平均4%程度(注8)。おざわさんによると「国民保健サービスであるNHS(注2)としては、健康な妊娠をしている女性は、自宅か院内助産院で、助産師だけに支えられてお産をすること、つまりお産が始まったとき、問題がないかぎり産科病棟にはいかないことを勧めています。2011年の調査により、出産環境がお産に大きな影響を与えることが分かりました。病棟ではなく自宅や院内助産院での出産の方が時間は短く、医療的介入が必要になることも少ないと示されました(注1)」産婦人科病棟(ハーバートひとみさん提供)驚くことに、イギリスの病院には分娩台がありません。出産の姿勢は自由です。日本では「フリースタイル」と呼ばれていますが、これは和製英語。分娩台による制限がないので、皆さん好きなように過ごします。イギリスでは、自分好みの出産ができそうでワクワクしますね。イギリスの公立病院院内助産院。分娩台は無く、好きな姿勢で出産できる(おざわじゅんこさん提供)出産翌日までに退院通常イギリスでは、出産当日か翌日に退院します。明け方に出産すれば、夕方に退院することも可能です。帝王切開の場合は2泊程度。一番退院が早いのは、自然分娩だそうです。イギリスの公立病院で助産師として働くおざわじゅんこさんによると、「自然分娩は、鉗子や吸引、会陰のケガそして出血多量になることが少ないからなんです」退院翌日には、助産師が自宅を訪問し、ママへのケアを行います。そして、継続的な母乳育児サポートが必要かなどを見極めます。産後5日目に行われる、新生児スクリーニング検査や体重測定ももちろん自宅で。当然、検査や訪問を断ることもできます。これまでのところ、イギリス人は自宅で過ごすのが大好きなように思えます。イギリス人は、自宅の改造や庭いじりが大好きな国民、とも言われています。私などは「病院にいる方が、いつでも医療を受けられるし、安全安心」と考えてしまいますが……。公立病院の有料個室(アーベルさん提供)おざわさんは。「身体や心が一番休まるのは自宅。病院や他の施設では、無意識に刺激を受けて落ち着きません。家の方がリラックスできますし、回復も早まります。身体はどう感じるか、身体の声をきいてください」2020年にイギリスで出産した日本人ママ・こころさんによると、初産でも出産当日退院することがあるそうです。「母子共に問題が無かったので、『産後3時間以降なら、帰っていいよ、帝王切開じゃないから車の運転もOK! 母乳育児に不安なら産後病棟に移動して、24時間まではいてもいいけど』と言われました。『いやいやいや、さっき出産して会陰縫われたとこですけど! 赤ちゃん、まだふにゃふにゃですけど!!』と、びっくりしました」産後4時間で出された食事。税金でまかなわれているので、質素(ハーバートひとみさん提供)病院での食事、有料個室なので少し豪華?(アーベルさん提供)さらに私が驚いたのは、赤ちゃんの沐浴についての考え方の違いです。おざわさんは続けます。「最近の母乳育児支援の調査の進歩により、イギリスでは、沐浴はなるべくしないほうが良いとされています。誕生10日目以降になれば赤ちゃんを洗ってもいいけれど、それまでは洗わないで、と指導しています。羊水をまとい、バリア機能や母親の胎内の匂いに包まれていることに大切な意味があるのです。その後も、沐浴は1週間に1回程度まで。特にイギリスは硬水のため、皮膚が荒れやすいという事情もありますね」生まれてすぐの健康確認(ハーバートひとみさん提供)地域での産後サポートも充実イギリスでも産後うつは大きな問題です。5人に1人がかかり、そのうち10人に1人は投薬治療や専門家の介入が必要です。産後うつは女性本人も苦しみますが、その子供の発育に大きく影響を及ぼすことが立証されており、イギリスではそこを視野に入れたアプローチがなされています。NHSが関わる地域のカウンセリンググループでも相談ができ、地域かかりつけ医の予約も優先してとれるなど、国レベルで重点的に対応しています。さらに、ママだけでなく、パートナーの産後うつも対象です。「チルドレンズセンター」は医療施設ではありませんが、日常生活の中で助産師に相談できます。これは日本での公民館や児童館のような位置づけです。毎日、赤ちゃんの体重計測、予約なしの授乳相談など、赤ちゃんと保護者向けサービスたくさん行われています。育児中の仲間づくりがしやすく、ママ達パパ達を支えています。チルドレンズセンターでは毎日様々な企画が行われている。(ハーバートひとみさん提供)産後にこそダイヤを!産後はホルモン不安定になり、感情の揺れが激しくなりますよね。産後こそ、夫婦間のコミュニケーションを。産後1か月健診(ハーバートひとみさん提供)イギリスで、助産師や保健師が出産直後のカップルによくするアドバイスはこちら。「産後、身体はボロボロ、イライラする妻。そんな時こそ、夫は妻にチョコや花を贈り、抱きしめて労い、ダイヤモンドを贈りましょう。この時期に『夫に大切にされた』という記憶は一生残り、夫婦の絆を強めてくれます」確かに結婚10周年よりも、産後にダイヤを贈るほうが効果的な気がします!(文:岡本聡子)(注2)NHSとは:国民保健サービス(National Health Service, NHS)。イギリスに6か月以上滞在する場合、条件を満たせば誰でも、極めて低額もしくは自己負担なく医療サービスを受けられる。監修・取材協力:おざわじゅんこさん岡山県出身。1998年 文系大学卒業。イギリスへ渡航後、2007年助産師資格取得。以来 Imperial College Healthcare NHS Trust で助産師として勤務。 現在は時短で継続ケアチームに所属。特定妊婦の継続ケア(自宅出産も含む)を助産師チームで進めている。 目下の目標は、医療界のヒエラルキーをなくすこと。 夢は『世界平和』。西川直子さんイギリス在住。日本で助産師として勤務後、駐在に付き添い、タイ、イギリス、スペイン、イギリスと10年間を海外で過ごす。現地での日本人ママ向け子育て支援を経て、オンラインで世界中のママ達をサポートするfacebookグループ『世界のママが集まるオンラインカフェ(せかままcafe)』立ち上げや、「助産師オンライン24時間マラソン」を主催。(この記事は、2021年9月1日時点のデータに基づいて執筆しました)
2021年10月12日ロック界のスーパースターにして、稀代のアーティストでもあったデヴィッド・ボウイ。この世を去ってから5年が経ついまなお、多くの人の心で生き続け、各方面でさまざまな影響を与えています。そんななか、新たに誕生した映画『スターダスト』で描かれているのは、若き日のボウイ。そこで、こちらの方々に本作の見どころについて、お話をうかがってきました。主演ジョニー・フリンさん & ガブリエル・レンジ監督『スターダスト』メイキングより【映画、ときどき私】 vol. 417劇中でデヴィッド・ボウイを演じた俳優でミュージシャンのジョニーさん(写真・中央)と、ドキュメンタリー作品やTV映画を数多く手がけて高く評価されているレンジ監督(左)。今回は、ボウイの熱狂的なファンでもあるというおふたりに、ボウイの魅力や日本に対する印象について語っていただきました。―まずは、デヴィッド・ボウイのファンになったきっかけから教えてください。監督10代の頃、多くの人たちと同じように彼の大ファンになり、そこからすべてのアルバムを聴くようになりました。最初は音楽から入りましたが、大人になってから興味を持ち始めたのは、ボウイの人間的な部分。特に、自分をつねに生まれ変わらせようとする姿には、心をつかまれましたね。なかでも驚いたのは、あれだけ有名な人物であるにもかかわらず、彼の人生の初期段階についてはあまり知られていないところ。兄との関係や精神的な病を持ちやすい家系であること、病気に対する恐れを持ち続けていたことなど、ファンでも知らない方は多いのではないでしょうか。本作では、ボウイがたどっていたかもしれない悲劇的な影として兄の存在を描いていますが、そういった部分には、引き込まれるものがありました。演じるうえで興味深かったのは、ボウイと家族との関係デヴィッド・ボウイを演じたジョニー・フリン―では、ジョニーさんがボウイに惹かれたのは、どのようなところですか?ジョニーさん監督が話したことと重なってしまうんですが、僕にとっても興味深かったのは、家族との関係。ボウイも70年代にはあまりそういったことは語っておらず、自らその話題に触れ始めたのは、90年代くらいからだったと思います。この映画のなかでも描かれているように、彼はメンタルヘルスに対する恐怖があまりにも強かったため、語ることすらできなかったのです。そういった彼の姿は、僕にとっては準備の段階で重要なカギのひとつでもありました。当時は心の病には汚名を着せられている部分がありましたが、段々と理解をしようとする気持ちが世の中で高まってきているので、そういう意味ではいまの時代だからこそ響く物語になっていると感じています。ボウイのことを神のように慕っている人は多いと思いますが、そういった人でもこれほどのもろさを持っていたというのを知れることは大事なことかなと。それが彼のモチベーションとなっていたからこそ、あれだけの美しい音楽やアートを作れたんでしょうし、だからこそ私たちの心を動かすんだと思います。―なるほど。デヴィッド・ボウイといえば、親日家としても知られています。劇中でも装飾や衣装に日本の要素が垣間見れましたが、ボウイと日本との関係をどうご覧になりましたか?ジョニーさんこの作品のために監督とニューヨークで会ったとき、ちょうどボウイの展示会が開催されていたので、観に行ったことがありました。そこで目にした衣装から感じたのは、ボウイのなかに日本の影響がいかに色濃くあるかということ。彼は日本に対して本当に鋭い視点を持っていたんだと思います。僕はまだ訪れたことがありませんが、日本は行きたい場所のナンバーワンです。映画にもボウイが受けた日本の影響は取り入れている『スターダスト』のガブリエル・レンジ監督―ありがとうございます!ちなみに、劇中では浴衣のようなものを羽織っていらっしゃいましたが、着てみていかがでしたか?ジョニーさんほかの衣装もすべて気に入っていましたが、なかでもあの衣装はすごく着心地がよくて解放感があったので大好きな1着でしたね。俳優という仕事がおもしろいと思うのは、服を着ることで他人の人生を経験することができるところ。今回も素晴らしいドレスから女性用のブラウス、ヒール、そして日本の衣装までいろいろな服を着ることができました。それらを身につけているだけで、その人物が何をどう感じていたのかが肉体を通して感覚的に理解することができますからね。そういう意味でも、今回の衣装はどれも着るのが楽しいものばかりでした。―監督は演出するうえで、意識していたことがあれば、教えてください。監督確かに、当時の彼は熱狂的に歌舞伎にハマっていたこともあるくらいですからね。日本からは大きな影響を受けていたと思います。それは今回の映画のなかにも、取り入れているので注目していただきたいです。決められた物差しで自分を測らないのが魅力―劇中で、記者が本人に「デヴィッド・ボウイとは何者か?」と聞くシーンが非常に印象的でした。では、おふたりにとってデヴィッド・ボウイとは何者ですか?ジョニーさんおそらくボウイ自身も、この質問の答えはわからなかったんじゃないかなと思います。それくらいつねに自分を再生し続けていましたからね。あれほどまでに自分を見つめ、好奇心と探求心を持ち続けたアーティストは、ほかにはいないんじゃないかなと感じるほど。でも、そのおかげで私たちは彼からたくさんのレガシーをもらうことができたのです。さらに、彼がすごいのは新しいものや自分をワクワクさせてくれるものにもつねに敏感であること。亡くなる直前まで、いろいろなタイプの音楽に挑戦していましたよね。そんなふうに、彼は決められた物差しで自分を測ることをしなかったので、「デヴィッド・ボウイとは何者か?」という質問に自分でも混乱してしまったんでしょうね。でも、そのあとに「変化し続けることこそが自分である」と気がついたんじゃないかなと考えているところです。僕にとってもこの質問に答えるのは不可能ではありますが、だからこそ素晴らしい質問であるとも言えると思います。監督ジョニーがしっかりと答えてくれたので言うことはないけれど、唯一付け加えるとしたら、いまの問いに対する“謎”が少し明かされている部分こそがこの映画の見どころではないかなと。正直、この問いの答えを難しくさせているのは、何度も自分を変えている彼の生きざまそのもの。実際、彼はアルバムごとに新しいバージョンのデヴィッド・ボウイを発表していました。この作品では彼の“分身たち”が登場する前のデヴィッド・ボウイを描いていますが、それこそが何よりもおもしろいところだったと思います。大スターの内面を多くの人に見てほしい―最後に、日本で映画の公開を楽しみにしているファンに向けてメッセージをお願いします。監督劇中で描いているのは、みなさんが知っている曲が世に出る前、つまりボウイが有名になって名声を手に入れる前ですが、それは彼のキャリアにおいては重要なターニングポイントのひとつでもありました。僕にとっても、彼の人生における大きな一章を描けたことは本当におもしろいことだったと思います。さまざまなマスクや人格を作り上げる前のボウイを見ることができる貴重なチャンスでもありますし、誰もが知る大スターの内面をとても親密に描いた映画に仕上がっているので、ぜひアイデンティティが確立する以前のボウイをみなさんにも見ていただきたいです。インタビューを終えてみて……。ひと言ひと言に、デヴィッド・ボウイに対する熱い思いが伝わってくるレンジ監督とジョニーさん。本作には、そんなおふたりの情熱も込められているのだと感じました。劇中では、ジョニーさんが自ら作った楽曲も披露されているので、こちらにも注目です。華やかな舞台裏の孤独と苦悩に心が動かされる!才能あふれる世界のトップスターとして、いまなお名をはせるデヴィッド・ボウイ。成功を手にするまでの苦悩や知られざる一面に触れることで、彼のアーティストとして、そして人間としての魅力をより深く感じることができるはずです。取材、文・志村昌美ストーリー1971年、「世界を売った男」をリリースした24歳のデヴィッド・ボウイ。イギリスからアメリカヘ渡り、初の全米プロモーションツアーに挑もうとしていた。しかしこの旅で、自分が全く世間に知られていないこと、そして時代がまだ自分に追いついていないことを知るのだった。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやアンディ・ウォーホルとの刺激的な出会いがあるいっぽうで、つねに悩まされていたのは兄が抱える病。そして、いくつもの殻を破り、ついに彼は世界屈指のカルチャー・ アイコンとしての地位を確立する最初の一歩として、デヴィッド・ボウイの最も有名な別人格“ジギー・スターダスト”を生み出すきっかけとなった瞬間を迎えることに……。惹きつけられる予告編はこちら!作品情報『スターダスト』10月8日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国公開配給:リージェンツ©COPYRIGHT 2019 SALON BOWIE LIMITED. WILD WONDERLAND FILMS LLCAutumn de Wilde
2021年10月06日2021年8月、日本ではコロナ陽性による自宅療養者が激増しました。入院できない、自宅で死亡、などショッキングなニュースを目にしましたが、海外ではどのようなことが起きたのでしょうか?イギリスで、6月にコロナ自宅療養を終えた小林かおりさん(仮名)に話をききました。ご夫婦と小学生低学年のお子さんとの3人暮らしです。それは、ご主人のあやしい咳からはじまりました。陽性とわかるまでご主人の咳の様子から、かおりさんは「家族全員、コロナの検査を受けてみよう」と思ったそうです。早速、国民保健サービス(NHS*)が運営するウェブサイトにアクセス。指示に従って、自分で症状を入力し、フローチャート式に最後まで進みます。すると、歩いて5分程度のPCR検査施設が自動的に割り振られました。スマホに送られてきたQRコードが、検査のための確認証となります。イギリスでは、全国民(条件を満たせば一時滞在者もOK)がNHS番号を持っているため、国に一元管理され、居住地域でその時必要な医療サービスが受けられます。48時間以内に結果が分かると言われ、帰宅。PCR検査を受けた夜、かおりさんは少しだるさを感じましたが、翌日もリモートワークで働ける、大丈夫、と感じる程度の症状でした。(*)NHSとは:国民保健サービス(National Health Service, NHS)。イギリスに6か月以上滞在する場合、条件を満たせば誰でも、極めて低額もしくは自己負担なく医療サービスを受けられる。自宅療養開始しかし、かおりさんに、翌日からインフルエンザをひどくしたような症状があらわれました。寒気、背中の痛み、嗅覚異常、食欲の低下……。「すべてが臭い。お米も、水も臭くて食べたり飲んだりする気にならない」と、かおりさんは語ります。「酸っぱさはかろうじて感じるので、ライムをしぼった水を飲んでいました。そして、トムヤンクンスープがどうしても食べたくなって、友達に届けてもらいました。すべてが臭い中、あのトムヤンクンは美味しかった!」ライム入りの水。味覚があまり分からないなか、酸っぱさの虜になり、よく作って飲んだそう(かおりさん提供)お子さんは陰性でしたが、家族全員で10日間の隔離生活を送りました。実は、陰性の子ども(18歳6か月以下)の場合は、隔離ルールがやや複雑。・症状が出ている大人と同居の場合は、子どもも外出制限あり。・症状が出ていない大人と同居の場合は、子どものみの外出はOK。ピンとこない部分もありますが、子どもをむやみに家に閉じ込めてはいけない、ということでしょうか?夫の様子がおかしい、「救急車を!」ご主人は、元来とても楽天的な性格。しかし、コロナ陽性が判明してから、病的なほど不安症になりました。ご主人自身が、パルスオキシメーター(指先で酸素飽和度を測る医療機器)やイベルメクチンを通販ですぐ購入。「息が苦しい!息ができない!」と訴えるご主人。それって重症化のサインでは???さらに、「胸が苦しい!」もしかして、コロナで心臓に影響が?ということで、ご主人が何度もNHSに相談し、ついに自宅に救急車が到着。救急隊員が、血圧、体温、心電図などを計測し、救急搬送するべきかをチェックしました。結果は……、「病院に行きたいなら行ってもいいけど、救急車で搬送する必要は無い。行くなら、自力で行ってください」でした。ご主人がコロナ感染により不安状態にあるのを悟った救急隊員は、「大丈夫、家にいてください。あまり閉じこもると気がふさぐから、夜くらい散歩に出かけたらどうですか?」と声をかけて立ち去りました。かおりさんはそのやりとりを、「非常に信用できる」と評します。「必要がないのに病院に行っても、待たされるだけです。安心するかもしれないけど、身体には負担になりますから」自宅療養を支える仕組み陽性判明の翌日、NHSから「生活の助けは必要ですか?買い物サポートしましょうか?」という電話がかおりさん宅にかかってきました。かおりさんは必要ないと断りました。ちなみに、請求すれば、コロナに感染した低所得者には500ポンド(8万5000円程度)が支給されます。全員に一律に何かがもらえるというわけではないそうです。イギリス人は、「無料ならもらっておこう」ではなく、「税金でまかなわれているのだから、必要な人に届くように」と考える傾向があるそうです。かおりさんの場合は、ご近所や友人に助けられました。コロナ第一波の2020年4月頃、「何かあったら助け合おう」と近所の人達と電話番号の交換をしました。今回、様子がおかしいと感じた近所の人から「大丈夫?何か手伝おうか?」とテキストメールが届いたそうです。NHSからの電話は数日に渡り、かかってきました。まずは「ちゃんと家にいますか?」という隔離チェックの電話。隔離違反すると罰金だそうです。次に、医療職スタッフ達が「どんな容体ですか?」とかけてくる健康チェック。2~3日に一度くらいの頻度で、親身に相談にのってくれます。このサービスは、Covidクリニックと呼ばれます。個人の情報は引き継がれますが、毎回違う人がかけてくるので、個性があらわれ面白かったと、かおりさん。「健康管理アプリにあなたの体調が入力されていません。今すぐ、酸素濃度と体温をはかってください。え!結構悪い数値ですよ。部屋を70歩歩いて、また測ってみて?少しはよくなった?あなたねぇ、まじめに入力してくださいよ?」という調子。健康状態の入力は強制ではなく、断ることもできます。この他、コロナで自宅隔離になり寂しさを感じる人達と話すサービスもあるそうです。さて、病欠すると、会社に診断書を提出しなければいけませんよね。実は、コロナの場合は、診断書は不要だそうです。もし、コロナ感染の証明書が必要な時は、NHSナンバーを入力し、ウェブからダウンロードして使います。わざわざ病院に行かなくても済むシステムは、病後特に助かりますね。陽性判明から半年間は、コロナ(Covid)パスが有効順調に隔離生活を終えたかのように思われたかおりさん一家。しかし!なんと、すぐに2度目の隔離を経験。実は、会社の手続きの一環で、回復後1か月たたないうちにPCR検査を受けてしまったのです。新型コロナウィルスの場合、人に感染させる恐れがあるのは最初の10日間(その期間は隔離が必要)。でも、陽性になってから90日間は、PCR検査で陽性と出てしまいます。これはイギリス政府のウェブサイトにも記載されている事実です(注1)。もし、再度、陽性の検査結果が出れば、NHSナンバーで管理されている以上、また10日間隔離が必要になります。このパスを会社に提示すればよかったのですが、かおりさんはうっかりPCR検査を受けてしまいました。NHSにもかけあいましたが、新型株も流行っているので念のため隔離を、と言われ、一家はお子さんも含め、2度目の10日間隔離に入りました。後遺症?「コロナ前には、なかなか戻れない」現在、かおりさんには息切れ、眠気、頭がぼんやりする、鼻血、抜け毛などの症状があります。「思ったより影響が長引いています。在宅でのリモートワークはできるけど、対面の仕事はしていません。だるい、昼寝しなきゃ、という生活です」感染判明後、12週間たってもしんどさが残るなら「Long-Covid-Clinic(長期コロナクリニック)」を受診するようにと、イギリスでは指針が出ています。コロナ感染により、心身の状態が変化し、以前の仕事ができなくなった人達や生活の質が変わってしまった人達対象のZOOMおしゃべり会なども実施されています。コロナ回復後も、長く体調が戻らず悩む人は多いようです。(文:岡本聡子)(この記事は、2021年9月20日時点のデータに基づいています。9月20日現在、イギリスでは成人人口の9割近くがコロナワクチンを必要回数接種済。1日あたりの7日間平均感染者数は約3万人強、対して死亡者数は120~150人程度で推移)
2021年10月03日イギリス人は、調査が大好き。かのナイチンゲールは看護師であると同時に優秀な統計学者であり、データを分析して看護現場の改善に成功しました。現在は、妊娠・出産分野でも徹底的に調査が行われ、妊産婦にとって何が良い妊娠・出産につながるか、模索されています。イギリスの妊産婦さんはどのような意識で過ごし、どんな仕組みで支えられているかを、イギリス在勤助産師の力を借りて明らかにします。地域のチルドレンズセンターでは親子向けのイベントがたくさん。(ハーバートひとみさん提供)手厚い医療制度イギリスの公立病院での妊娠・出産は、条件を満たせば自己負担はほぼありません。では、あまり質が期待できないかというと、そんなことはありません。例えば、ほとんどの公立病院には院内助産院があり、陣痛用や水中出産用のプール施設が備え付けられています。これは、妊産婦のニーズや出産への影響をしっかり調査したうえでのことです。イギリスでは、9割以上の人が公立病院で出産します。このように、イギリスの医療サービスは、徹底した調査・検討を重ね、税金を合理的に配分して、国民のニーズに応えるという方針で設計されています。イギリスに住む人達の健康を支えるのは、国民保健サービス(National Health Service, 以下NHS)。イギリスに6か月以上滞在する場合、条件を満たせば誰でも、極めて低額もしくは自己負担なく医療サービスを受けられます。現在、国家予算の25%がこの制度に投入されています。ちなみに、イギリスの標準税率(消費税)は20%。「必ずかかりつけ医を決めなければならない」「混んでいて予約しづらい」など使いづらい点や批判もありますが、イギリス社会の根幹をなす重要な仕組みです。この制度に支えられ、女性達はどのようなマタニティーライフを送っているのでしょうか?イギリスの公立病院内助産院。水中出産用設備を持つ施設も多い。(おざわじゅんこさん提供)公立の総合病院外観(アーベルさん提供)最初の妊婦健診は、助産師としっかり相談イギリスでは正常な妊娠出産の場合、最後まで助産師が担当し、産婦人科医や小児科医が登場しないこともあるそう。特に初回の妊婦健診は、助産師がかなり長い時間をかけて妊婦への聞きとり、説明を行います。面談の中でアレルギーの有無、病歴、生活習慣などを把握し、もし手助けが必要なら担当につなげるのも助産師の役割です。この最初の面談で、助産師が伝える主な内容について、イギリスの公立病院で助産師として働くおざわじゅんこさんにうかがいました。「まずお伝えするのは、『妊娠出産は女性とその家族の人生においてとても重要な出来事。不安は助産師に相談し、一緒に歩みましょう。医療介入が必要な人達も一定数存在しますが、多くは問題なく出産します。妊娠期間を満喫しましょう』ということ。妊婦さんの判断が必要なことに関して、医療者はリスクやベネフィット両方の情報を提供し、選択肢を示します。妊婦自身が十分考え、判断するサポートをして必要な部署につなぐのも助産師の役割です」文字どおり、助産師は妊娠・出産の伴走者ですね。子どもの発育記録ノート(アーベルさん提供)イギリスでは、会陰縫合も助産師が行います。助産師による縫合と産婦人科医による縫合を追跡調査では、満足度、縫合後の経過ともに助産師縫合の方が良い、という結果が報告されています(注6)。また、健康な新生児の健診においても、助産師相手、小児科医相手で満足度調査をしてみると、助産師が対応したグループの満足度が圧倒的に高かったそうです(注7)。母子をトータルにみてアドバイスできるのは助産師であり、職業的誇りにつながっています。医師と助産師の職域がはっきり分かれており、互いに尊重するのがイギリス式。これは、双方が「お産はとても奥が深いもの」という共通の認識を持っているからこそ。両親学級の様子(ハーバートひとみさん提供)過度な検査・管理はしない日本では「何かあったら大変。お産は不安なもの。なるべくたくさん検査をしてリスクを減らそう」と考えますが、イギリスでは真逆です。おざわさんによると、「お産はたいがい大丈夫なもの。本来、人間の身体はとても上手に成し遂げるようにデザインされており、医療的介入は必要ありません」この方針は、健診方法にも表れています。日本では、健診の度にエコー検査を行いますが、イギリスでは異常がない限り12週頃(週数・予定日の確定)と20週(胎児異常を調べるため)の2回だけです。「子宮外妊娠など初期の異常は、90~100人に1人程度と確率が低いため、症状が出てから検査すればよいことです。ハイリスクの人を重点的にみればよくて、妊婦全員フルセットで検査するのは合理的ではありません。NHSは税金で賄われているわけですから、どこにお金と手間をかけるべきかよく考えられています」と、おざわさん。チルドレンズセンターという地域の公民館・児童館のような施設や妊婦の自宅で健診を行うことも多く、毎回チェックするのは尿・血圧・子宮底長・胎児が生きているか、くらいです。重要な判断につながらない、予防効果もない、女性の心身の健康と自信を損なうという理由で、妊婦の体重ははかりません。日本で妊娠・出産された方々は、体重に一喜一憂し、厳しく指導されたこともあるでしょう。あれは一体……?出産直後の赤ちゃんを健康確認をする助産師(アーベルさん提供)(文:岡本聡子)(第2回・第3回に続きます、筆者の記事一覧よりご覧ください()監修・取材協力:おざわじゅんこさん岡山県出身。1998年 文系大学卒業。イギリスへ渡航後、2007年助産師資格取得。以来 Imperial College Healthcare NHS Trust で助産師として勤務。現在は時短で継続ケアチームに所属。特定妊婦の継続ケア(自宅出産も含む)を助産師チームで進めている。 目下の目標は医療界のヒエラルキーをなくすこと。 夢は『世界平和』。西川直子さんイギリス在住。日本で助産師として勤務後、駐在に付き添い、タイ、イギリス、スペイン、イギリスと10年間を海外で過ごす。現地での日本人ママ向け子育て支援を経て、オンラインで世界中のママ達をサポートするfacebookグループ『世界のママが集まるオンラインカフェ(せかままcafe)』立ち上げや、「助産師オンライン24時間マラソン」を主催。(この記事は、2021年9月1日時点のデータに基づいて執筆しました)
2021年10月02日どこか重たい空気が漂う日常生活を送るなか、上質な笑いを求めているときはありませんか?そんな気分のときにオススメするのは、長年にわたって愛され続けてきた名作戯曲を映画化した一風変わったコメディです。『ブライズ・スピリット~夫をシェアしたくはありません!』【映画、ときどき私】 vol. 412ベストセラー作家として名を馳せるチャールズ。自作の小説を映画化するため、脚本を書こうとするが、重度のスランプに陥っていた。そこから抜け出すため、チャールズは霊媒師マダム・アルカティに頼んで、7年前に事故死した最初の妻エルヴィラを呼び戻そうとする。なぜなら、実は彼の小説はすべてエルヴィラのアイディアを書き留めただけのもので、チャールズは彼女の力なしでは無理だと悟ったからだった。蘇ったエルヴィラは夫との再会を喜んだものの、自分が幽霊で、チャールズには新しい妻がいると知り、ショックを受ける。それでもチャールズに頼まれるままに“共同”制作するエルヴィラ。しかし、この世にいられる期限は刻一刻と迫っていた……。原案は、俳優・作家・戯曲家・脚本家・演出家・作曲家・歌手・映画監督といくつもの顔を持つ天才ノエル・カワードが手掛けた戯曲「陽気な幽霊」。発表された1941年当時には、なんと2000回も上演されたほどの人気を博した作品です。そこで、80年の時を経て本作を現代に蘇らせたこちらの方にお話をうかがってきました。エドワード・ホール監督世界中で大ヒットを記録したテレビシリーズ『ダウントン・アビー』で、監督を務めたこともあるホール監督(写真・右)。今回はドラマや舞台演出まで幅広く手掛ける監督に、本作の見どころや自身のクリエイティブ活動の秘訣などについて、教えていただきました。―「不朽の名作」と言われる原作を映画化するうえでプレッシャーもあったと思いますが、意識したことはありましたか?監督まず一番にあったのは、「オリジナルのスピリットに忠実でいたい」という思い。今回はノエル・カワード財団のサポートも非常に手厚かったので、写真や手紙を読んだりする時間をかなり取って準備しました。そうやっていくことで、ノエルがどんな意図を持って綴った戯曲なのか、ということを掘り下げていきたいと思ったからです。映画にするうえでストーリーやキャラクターを広げているところはあっても、作品のDNAは変わっていないと自負しています。―監督が思うこの作品の魅力とは、どんなところでしょうか。監督これは死についてのコメディですが、普通だったら「死」と「コメディ」の両方を成立することはなかなかできません。しかし、それをダークに描くことなく、見事にやってのけたのがノエルの素晴らしさだと思います。だからこそ、喪失を描いているにもかかわらず、「死が終わりではないんだ」ということが伝わる作品になっているのではないかなと。誰もが死に対して居心地の悪さを抱いているとは思いますが、あくまでも死によって私たちの“状態”が変わるだけなんだと感じていただけるはずです。表現力とカリスマ性が備わっている俳優だと感じた―そんななかで、この作品を体現しているのは、『ダウントン・アビー』でも知られているチャールズ役のダン・スティーヴンスさんです。彼を起用した決め手について教えてください。監督ダンを初めて見たのは、彼が演劇学校を卒業してすぐの頃。ノエルの別の戯曲で、ジュディ・デンチと共演している舞台を見たときでした。そのときから、コメディを自然に演じるのがうまくて、どんなに長いセリフでもきちんと表現できる俳優だなと感じていたんです。なので、舞台での彼の仕事ぶりに惹かれていたというのが大きかったと思います。あと、彼は映画でコミカルな役をあまりやっていなかったので、ぜひそれを見てみたいというのもあったかもしれません。実は最初は、「ダンで大丈夫なの?」と言い出す人もいましたが、そのときは「ああ、まだ彼の良さをみんな知らないんだな」と思っていました。でも、撮影が始まったときに、彼がいかに役にはまっているかを誰もが感じたはずです。―確かに、彼が演じることでよりキャラクターが魅力的になったと感じました。監督チャールズは決していいやつではないですが、だからこそ必要だったのはチャーミングさ。それがないと、みんなが彼の嘘に騙される説得力がなくなってしまいますし、観客も入り込めなくなってしまいますから。ダンにはそれを表現できる力と周りを惹きつけるカリスマ性が備わっているので、彼を起用して正解だったと思っています。―そして、何と言っても霊媒師役の大女優ジュディ・デンチさんの存在感も素晴らしかったです。監督は昔から家族ぐるみでお付き合いがあったそうですが、旧知の仲だからこそ引き出せた部分もあったのではないでしょうか?監督それができていたかどうかは、僕よりもジュディに聞いてもらったほうがいいかもしれないですね(笑)。ただ、以前からお互いのことを知っていたので、必要以上に気を遣ったり、どう思われるかに緊張したりすることなく、仕事を進められたのはよかったなと思っています。実際、彼女とは馬が合うというか、通じ合っているような感覚を味わうことができましたから。そして、今回の仕事を通して、ジュディは俳優のなかでも本当に傑出した存在だと改めて気づかされました。その彼女と現場で関係性を深められたのは、素晴らしいことだったと思います。最悪なのは、スランプよりも諦めてしまうこと―劇中では、スランプに陥るチャールズの姿が描かれていますが、監督自身はスランプを経験したことはありますか?監督僕はスランプにあまり気がつかないタイプかもしれません。なので、状況が険しくなってきたときでも、とにかく仕事をし続けるようにしています。それで乗り越えられるというわけではないのですが、僕はクリエイティブであるうえで必要だと考えているのは、99%の努力と1%のインスピレーション。仕事に対しては、何よりも努力が大切だと信じています。僕にとってスランプよりも最悪なのは、壁にぶつかって諦めてしまうこと。そうならないために、問題が起きても、そこに向かって突き進んで行くしかないんですよね。なぜなら、クリエイティブな仕事において、“方程式”はありませんから。難しい状況に陥ることがあっても、諦めない心の準備をして、仕事に真摯に向き合って行くのが一番だと思っています。最悪なことが起きても最終的に素敵な瞬間を味わえる可能性もたくさんあるので、僕のモットーは「最後まで気持ちを切らさずにいられた人が勝利できる」です。―素晴らしいお言葉をありがとうございます!ちなみに、監督にはチャールズにとってのエルヴィラのようにインスピレーションを与えてくれる存在はいますか?それとも、降霊会で蘇らせたい人がいますか?監督個人的に会いたい人はたくさんいますが、この仕事をするうえで興味があるのはシェイクスピア。ぜひ、会って話をしてみたいですね。―確かに、興味深いお話が聞けそうです。監督が創作活動をするうえで原動力となっているものがあれば、教えてください。監督僕は鳥がいろんなところを突くように、周りにあるさまざまなものから影響を受けていると思います。ただ、自分ではあまりそういったことを分析しないほうなので、できあがった作品を観て、あとでどこからインスピレーションを受けているかに気づかされることが多いですね。たとえば、僕は1990年代に日本に1年間住んでいたことがありますが、そのときにもたくさんのことを学びました。日本人から教えられたのは、相手を思いやる気持ち―日本からはどのような影響を受けているのでしょうか?監督当時、僕は日本の文楽や歌舞伎、能、狂言といったものを勉強していたので、日本の俳優さんたちとお芝居を作ったり、坂東玉三郎さんのお芝居を見たりして過ごしていました。そういったこともあり、イギリスに戻ってから作った自分の作品のなかに、日本で味わった感情や“シンボリズム”みたいなものから影響を受けている部分があると感じることはありますね。―いま振り返ってみて、日本での忘れられない思い出などがあれば、教えてください。監督たくさんありすぎて選べないですが、日本での生活や文化には尽きないほどの興味があって、その思いは前よりも増している気がします。なかでも素晴らしいと思っているのは、日本語という言語。ひらがなとカタカナと漢字の3つを合わせて使っているだけでなく、漢字は使い方によって読み方や意味も変わってくるのが本当におもしろいですよね。あと、日本で生活していたときに学んだのは謙虚な気持ち。日本のみなさんは他人のことをよく見ていて、自分よりも先に相手を思いやる心を持っていると感じました。僕は「プロペラ」という演劇集団を手掛けていますが、このカンパニーで大切にしていることは「ひとりひとりの仕事がすべての人の助けにならなければいけない」というもの。ほかの人のことも考えながら一緒に作っていこうという意識を持つようにしています。そうすれば、自分が何かを必要としたとき、必ず周りが助けてくれるはずですから。そんなふうに内側だけではなく、外側にも目を向けるという考え方は、日本で生活しているときに教えられたものです。ほかにも、日本人の「本音と建前」はおもしろいなと思っていますし、とにかく語りつくせないほど、日本には興味を持っています。―ありがとうございます。それでは最後に、観客へメッセージをお願いいたします。監督まさに現実逃避というか、あっという間にシャンパンを飲んだような感覚を味わえる作品だと思うので、みなさんにもそういう気分になってほしいです。たとえ自分の人生において暗い時期があったとしても、「そこには笑いがある」と感じ取っていただけたらと。それこそがこの物語の本質と言えるでしょう。そして、登場人物をどん底に押しやりながらも、それをとってもおもしろく表現しているので、みなさんにも生きる希望を与えられるものになっているはずです。観終わったあと、観る前よりも幸せな気分になってもらえることを願っています。時代を超えて届く名作で笑顔が蘇る!キャストたちの軽快なやりとりと刺激的でユーモアあふれるストーリー展開に、一気に引き込まれる本作。現実世界を忘れて、いつまでもこの世界観に浸っていたいと思ういまにぴったりの1本です。1930年代の豪華な衣装やインテリアにも、心が躍ること間違いなし!取材、文・志村昌美続きが気になる予告編はこちら!作品情報『ブライズ・スピリット~夫をシェアしたくはありません!』9月10日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー配給:ショウゲート© BLITHE SPIRIT PRODUCTIONS LTD 2020
2021年09月08日働く女性たちのなかには、キャリアと恋愛の間で悩んだ経験がある人も多いのでは?そこで今回ご紹介するのは、世界的に著名な父を持ち、公私ともに激動の人生を送ったある女性の知られざる真実を描いた注目作です。『ミス・マルクス』【映画、ときどき私】 vol. 4111883年、イギリス。19世紀を代表する哲学者で、経済学者のカール・マルクスが亡くなり、その末娘であるエリノア・マルクスは、父親の葬式で思い出を語っていた。そんななか、エリノアが出会ったのは劇作家のエドワード・エイヴリング。2人は恋に落ちるが、不誠実なエドワードの裏切りに献身的な愛を捧げていたエリノアは深く傷つき、苦しめられていた。社会主義とフェミニズムを結びつけた草分けとして時代を先駆ける存在でありながら、エドワードへの愛と政治的信念との狭間でエレノアの心は引き裂かれていくことに……。2020年のヴェネツィア国際映画祭でベストサウンドトラックSTARS賞を含む2冠に輝き、脚光を浴びた本作。今回は、こちらの方に見どころを教えていただきました。スザンナ・ニッキャレッリ 監督2009年に長編監督デビューを果たして以来、本国イタリアでさまざまな賞を受賞しているニッキャレッリ監督。本作でも見事な手腕を発揮し、高く評価されています。そこで、映画を通して現代の女性たちに伝えたいことや日本に対する思いなどについて、語っていただきました。―エリノアの存在は、マルクス家の資料を読んでいる際に偶然知ったそうですが、最初はどのような印象を受けましたか?監督エリノアは19世紀当時の一般的な女性たちとは違い、非常に現代的な女性だと感じました。なぜなら、彼女はパートナーと結婚することなく、子どもを持たない選択をし、キャリアを追求。さらに男性から養ってもらうのではなく、むしろ自分が経済的に男性を支える側になっていたのです。いろんな意味で、本当に独立した女性だったと思います。―とはいえ、これだけ波乱で複雑な人生を送った方なので、どういう形で映画にするかは苦労されたのではないでしょうか。監督確かに、私にとっては大きなチャレンジだったと思います。彼女の人生のなかでも、いまの私たちに強く訴えかけるものがあると感じたのは、パートナーであったエドワードとの関係性。そういった部分を中心にしながら、この映画では「エリノアは私たちと近い女性である」ということを伝えたいと考えました。だからこそ、そのなかで重要だったのは、エリノアを十分に理解し、私のことをそばで助けてくれるようなキャストを選ぶこと。どんな女優にこの役を演じてもらえるかが、大きなポイントだったと思います。愛とは複雑でコントロールできないもの―実際、エリノアを演じたロモーラ・ガライさんは素晴らしかったです。監督私はこれまで彼女が演じてきた作品を観て、彼女ならこういう役でも十分に牽引できると信じていました。エリノアは非常に知的で、自分をコントロールできている女性のように表面的には見えていましたが、実は非常に暗い側面があり、重いエネルギーを持っている女性。それらを表現するためには、彼女が笑ったり泣いたりする瞬間ひとつひとつをきちんと演じられる女優である必要がありました。なぜなら、細かい動きすべてが“運命的なラスト”へ全部つながっていかなければならなかったからです。―エリノアは公ではフェミニストとして活動していたにもかかわらず、私生活では男性に苦しめられる生活を送っていたため、彼女は矛盾を抱えて生きていた人物と言えます。彼女がそういった状況に陥ってしまった原因について、どう解釈されましたか?監督エドワードはクレイジーで自由で、父親とは違う種類の“軽さ”を持って生きていたので、彼女はそういうところに惹きつけられたのだと思います。さらに、彼は大人の男なら持っているであろう恐れや後悔がない人物。そういう強いエネルギーを彼女は深く愛していたんだと思いますが、同時にそれが彼女を傷つけてもいたのです。そして、彼女のなかで矛盾を生み出したもうひとつの理由は、彼女の母性。劇中にも「あなたって子どもみたいだから、私が面倒みないといけないのよ」といったセリフがあるように、外でどんなに悪いことをしても、帰ってきたら受け入れてしまう。彼女はフェミニストではありましたが、彼を前にすると理屈では説明できないような行動を取ってしまっていたので、「愛とは本当に複雑でコントロールできないものなんだ」と改めて気づかされました。―そんな2人の関係性を描くうえで、気をつけたことはありましたか?監督エリノアはいつでも彼を捨てることができたのに、最後まで別れることができませんでした。でも、彼女は決して被害者ではなかったので、そういった部分はしっかりと描きたいなと。こういう女性になりたいと思ってなったわけではないけれど、彼女自身がああいう男性を選んで自分の人生を歩んでいったのだという彼女の姿は見せたかったところです。いまの私たちなら乗り越えられる―同じような矛盾を抱えている女性は、現代でも意外と多いのではないかなとも感じました。監督だからこそ、彼女の物語はいまの若い女性たちにとっても、大きな意味を与えてくれる物語になるだろうという確信があったんです。ただ、あの当時と違うとすれば、「いまの私たちなら乗り越えられる」ということ。つまり、決められた社会の構造から自分の力で抜け出すことが、あのときは無理でも、いまならできるという意味です。彼女はああいう時代に生きていたため、自ら舞台を降りることになってしまいましたが、いまならひとりでそういう選択をすることなく、みんなと手を取り合って進むことができるのではないでしょうか。何かを変えたり、戦ったりするとき、誰かが与えてくれるのを待つのではなく、自分たちで勝ち取っていかなければならないものですが、いまの私たちにそれができるはずです。それこそがこの映画のなかでも、もっとも大事なメッセージのひとつ。特に、最後の20分で彼女が踊りながら思いを表現する姿に答えがあるので、注目してほしいです。―ぜひ、観ていただきたいシーンですね。そして、ラストではエリノアが子ども時代に家族と「好きな美徳は?」「幸せとは?」「不幸とは?」「好きな格言とモットーは?」と質問しながら言葉遊びをしている様子が印象的でした。もし監督なら、どのように答えますか?監督これは本当のことなんですが、私はエレノアの父であるカール・マルクスとすべて同じ答えになりました。特に好きなのは、「幸せとは?」への答え。彼は「闘うこと」と返しますが、私自身も勝つことよりも闘うことが大事だと思っています。そして、彼はすべてにおいて人間としてどうするかということも訴えていますが、そういった彼の考えにも私は賛成です。ラストで繰り広げられる彼らの会話すべてにも、伝えたいメッセージを込めています。日本から強い影響を受けて育った―それぞれの人物がどんな答えを出すのかも、観客の方々には楽しみにしていただきたいところですね。では、まもなく公開を迎える日本についておうかがいしますが、監督は日本に対してどのような印象をお持ちですか?監督黒澤明監督の大ファンということもあり、私にとっては非常に大きな意味を持つ国のひとつです。黒澤監督の作品のなかで好きなのは、原爆のことを描いている『八月の狂詩曲』。私の前作『Nico,1988』でも戦争に触れていますが、私の心のなかには、第二次世界大戦の記憶や歴史がつねにあるように感じています。そういったこともあり、日本の歴史には以前からとても興味を持っているのです。そのほかにも、私は日本のアニメとともに育ち、そこでいろいろなことを学んできたので、言葉やビジュアルにおいて、日本から強い影響を受けていると言っても過言ではありません。『アルプスの少女ハイジ』や『キャンディ キャンディ』にはじまり、ロボットの漫画など、本当にたくさん観ましたが、なかでも宮崎駿監督は私にとって大きな存在です。いまでは、娘と一緒に日本のアニメを観て楽しんでいます。―ありがとうございます。それでは、観客へメッセージをお願いします。監督エリノアが最後にした選択の本当の答えは、誰にもわからないかもしれません。でも、彼女は決してあきらめることなく闘った人。たとえ結果的にそう見えなかったとしても、私にとっては、最後まで社会を変えるという希望を持ち続けていた人なのだということは伝えたいと思います。何があっても、前に進み続ける!激動の運命に見舞われながらも、最後まで自らの意思と変わらぬ愛を貫き通したエリノア。パンクロックの音楽に乗せて届く魂の叫びは、現代に生きる私たちにとっても、さまざまな問いと向き合うきっかけを与えてくれるはずです。取材、文・志村昌美心に訴えかける予告編はこちら!作品情報『ミス・マルクス』9月4日(土)よりシアター・イメージフォーラム、新宿シネマカリテほか全国順次公開配給:ミモザフィルムズPhoto by Emanuela ScarpaPhoto by Dominique HoucmantPhoto by Eniko Lorinczi
2021年09月03日気軽に海外旅行へ行けない今、世界のグルメを堪能できることからコストコの商品に人気が集まっています。今回は、イギリス気分を味わえる「フィッシュ&チップス」をご紹介。おうちご飯がマンネリ化している人必見ですよ。コストコにイギリスの国民食が登場!出典: Instagram「フィッシュ&チップス」は、白身魚のフライにポテトフライを添えたイギリスを代表する料理。イングランドではファストフードとして親しまれ、国民食として愛されている料理です。加熱するだけで本場の味が堪能できる出典: Instagramコストコのデリカコーナーに新作として登場した「フィッシュ&チップス」は、白身魚のフライ・ポテトフライ・タルタルソース・レモン・パセリがセットになっています。何も用意することなく、白身魚のフライとポテトフライを加熱するだけで、本格的な味わいを楽しむことができますよ。ビッグサイズでボリューム満点出典: Instagram白身魚に使用されているのは「パンガシウス」という魚。淡水に生息するナマズの仲間で、ヨーロッパや中東では、白身魚として一般的に食されているのだそう。淡白な味わいでさっぱりと食べられるのが特徴で、フライにぴったりの魚です。1枚約200gのフリッターが、3枚も入っていてボリュームも大満足!ピクルスたっぷりのタルタルソース出典: Instagramフィッシュ&チップスに欠かせないタルタルソースは、ピクルスがたっぷり入っています。マヨネーズにピクルスの酸味と食感がアクセントになって、クセになるおいしさ。意外とあっさりしていて、ピクルス好きにはたまらないソースです。大容量なので、惜しみなく使えるのが嬉しいですよね。コストコグルメで海外旅行気分を楽しもう出典: Instagramフィッシュ&チップスとして食べるのはもちろん、パンにはさんでサンドイッチ感覚で食べるのもおすすめ。冷凍保存も可能なので、食べきれない分はラップで包んでフリーザーバッグに入れて、冷凍しておくいいですよ。自宅でいつでも海外旅行気分を楽しめる「フィッシュ&チップス」。コストコで見つけたら、ぜひ購入してみてくださいね。本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※こちらの記事では、ittoku_channel様の投稿をご紹介しております。記事内の情報は執筆時のものになります。価格変更や、販売終了の可能性もございますので、ご了承くださいませ。また、店舗ごとに在庫が異なるため、お立ち寄りの店舗へお問い合わせください。"
2021年06月30日日に日に暑さが増していくなか、次々と話題作が公開を迎え、映画界も熱く盛り上がっているところ。そのなかでも、じっくりと味わいたい映画としてオススメしたいのは、コリン・ファースとスタンリー・トゥッチという映画界が誇る名優がダブル主演を務めた1本です。それは……。『スーパーノヴァ』【映画、ときどき私】 vol. 392古いキャンピングカーで旅に出るピアニストのサムと作家のタスカー。車内で繰り広げられる皮肉たっぷりのジョークは、20年来のパートナーである2人にとってはお決まりのやりとりだった。かけがえのない思い出とともに添い遂げようとしていた2人だったが、タスカーが抱えている病がそれらを消し去ろうとしていた。そんななか、サムはタスカーのある秘密を見つけてしまう。大切な愛を守るため、それぞれが下した決断とは……。実際に20年来の親友であるコリンとスタンリーだからこそ、本物の絆が映しだされている本作。今回は、そんな2人がほれ込んだ脚本を生み出したこちらの方にお話をうかがってきました。ハリー・マックイーン監督もともとは俳優としてキャリアをスタートさせていたマックイーン監督。2013年から製作も手掛けるようになり、本作が監督、脚本を務めた2作目となります。そこで、作品誕生のきっかけや現場での様子、そして日本への思いについて語って頂きました。―まずは、本作のアイデアから教えていただけますか?監督ストーリーの着想を得たのは、いまから5~6年前のこと。僕は絵に描いたような売れない俳優だったので、複数のバイトに明け暮れながら人生の選択を見直していたんです。そんなときバイト先の1つで、ある女性と同僚になりました。最初は社交的で楽しくてすてきな人だった彼女ですが、1年後には気難しくて怒りっぽい人になり、仕事ができなくなってクビになってしまったのです。でも、その半年後、車いすに乗っている彼女を見かけ、若年性認知症を患っていたことを知りました。そんなふうに認知症によって人格が崩壊していくさまを目の当たりにした僕は、病気や周囲への影響について、もっと知りたいと思うように。それくらい心を動かされた経験でしたし、以前から死に直面したときの選択肢や権利についても興味があったので、これらのテーマを融合させて本作のアイデアを育てていきました。―この作品は、サムとタスカーのキャスティングがまずは大きなカギだったと思いますが、最初に決まっていたスタンリーさんが監督には秘密でコリンさんに脚本を送っていたそうですね。それを聞いたとき、どう思われましたか?監督はじめは、スタンリーが冗談で言っているのではないかと思っていたんですが、そうではないとわかったときは信じられない気持ちでした。でも、喜びのほうが大きかったですね。というのも、コリンは地球上でもっとも素晴らしい俳優のひとりだとずっと思っていましたから。キャスティングは最大にして最高の判断だった―監督にとって、おふたりの俳優としての魅力はどのようなところだと感じていますか?監督スタンリーもコリンも、幅広い役どころを数多く演じていますが、どんな役でも責任と思いやりを持って演じているところに、僕はつねにインスピレーションを受けていました。今回の現場でも、自分たちが持っているものすべてを注ぎ込むことでキャラクターをひとりの人間として作り上げてくれたほどでしたから。―当初はおふたりの役どころが逆だったそうですが、最終的にはどのようにして決定したのでしょうか?監督まずは2人が読み合わせをしていたときに、「ちょっと逆で読んでみようか?」となったそうです。その後、おふたりから読み合わせを聞いてほしいと話があり、僕のところに来てくれました。自分の脚本をあの2人がそれぞれの役で2回も読んでくれるのを聞くことができるなんて……。本当に光栄なことでした。もちろんどちらでも素晴らしかったのですが、関係性やリズムを考えてみると、逆にしたほうが自然に感じたので、最終的には僕が決めました。いま考えると、準備段階で最大にして最高の決断だったんじゃないかなと思っています。―確かに、完璧な配役だったと思います。俳優として世界でもトップクラスにいるおふたりと実際にお仕事をしてみて、いかがでしたか?監督今回、俳優としても、フィルムメイカーとしても彼らからはたくさんのことを学ぶことができたと思います。この作品で一番おもしろい要素のひとつは、2人の関係性が複雑であることですが、そのあたりは3人でいろいろと考えながら準備をしました。本当に興味深いコラボレーションができたと感じています。それから、何よりも彼らは人柄が素晴らしく、他人の意見に対してもすごくオープンで寛大なので、たくさんの刺激をもらうことができました。あと、スタンリーはカクテルを作るのがすごく上手なので、それが長い一日の最後に癒しを与えてくれました。見たことのないキャラクターを作り出したい―それだけでなく、撮影期間中はスタンリーさんがコリンさんに毎晩ご飯を作ってあげていたそうですね。監督そうなんですよ。コリンの料理の腕に関しては、あえてコメントしませんが、どちらが料理上手かと言ったら、その答えはスタンリーでしょうね(笑)。2人ともとても楽しい人たちなので、よくお互いにふざけあったり、からかいあったりしていました。本当に大親友なんですよ。―そういうおふたりだからこそ、撮影中もあうんの呼吸で演技をされていたところもありますか?監督今回は実際に運転をしながら撮影をしていましたし、ロードムービーという作品の性質上、その場の状況に合わせてリアクションを取るようなこともありました。それがこの作品を作るうえで、ユニークだったところじゃないかなと。ただ、完成した作品で見ることができるシーンの大半は脚本に書かれていたことなので、アドリブはほとんどないんですよ。もし作品を観ていて「アドリブかな?」と感じることがあるとすれば、それは2人の演技がうまいからですね。―なるほど。また、サムとタスカーのキャラクターを作り上げるだけでも2年ほどかかったそうですが、こだわっていたのはどのあたりでしょうか?監督僕はなるべく自分を投影するようなキャラクターは書かないようにしているんです。なぜなら、自分のことはそんなに興味深い人間だと思っていないので(笑)。そういったこともあって、なるべくオリジナルで有機的なキャラクターを作り上げるように意識しています。そのうえで、できるだけ同じような経験をしている人の真実に迫れるようなものにできたらいいなと。すごく難しい作業ではありますが、観客の方々がこれまでにあまり観たことのないようなキャラクターを目指しています。今回は2人の状況が状況なだけに、重要だったのは深くてヘビーな部分と喜びがある軽い部分とのバランスをいかに取るか。気持ちを抑えきれないところや軽妙なところは、カップルとしての彼らから出てこなければいけないものだったので、そのバランスをどうするかは挑戦でもありました。定義づけできないのが愛の美しいところ―同性カップルという設定にした意図はありますか?監督僕が映画を作るとき、つねに心がけているのは、進歩的で先進的であること。なぜなら映画であれ何であれ、それが芸術の仕事だからです。本作の根底にあるテーマは、主人公たちの性的志向にはまったく関係のない愛の普遍性。重要で独創的なことだからこそ、挑戦すべきなのではないかと。性的指向に言及すらしない映画を作ることで、同性愛をごく自然で普通なものにしたいと思いましたし、そういう映画がまだまだ足りていないと感じています。―改めて愛の尊さを感じましたが、監督にとって愛とはどんな存在ですか?監督愛にはいろいろなものが含まれているんじゃないかなと僕は思っています。愛を定義づけるのはなかなか難しいけれど、定義づけられないところがまた愛の美しさでもあるのかなと。そして、愛はとても親密で、ほかの人には見せられない部分を自分にだけ見せてくれるものだからこそ、貴重なんですよね。本作では認知症を描いた物語ということもあり、病によって少しずつ自分が奪われていきますが、だからこそその過程で愛の本質が重要な問いとして訴えてくるものがあると考えています。そして、彼らのように相手のことを深く理解することも愛のひとつかなと。ぼくにとっての愛は何かまだわからないですが、これがこの作品を通して出た答えだと思います。日本は世界でもっとも好きな国のひとつ―日本の観客も本作の公開を非常に楽しみにしていますが、監督は日本から影響を受けているものはありますか?監督実は日本がすごく好きで、日本の文化は僕の人生の大きな一部だと言ってもいいほど。決して、日本の取材を受けているから言っているわけではありませんよ(笑)。本当に、世界でもっとも好きな国のひとつなんです。実際、日本には何度も行っていますし、大学で書いた論文も「黒澤作品に見られるシェイクスピア劇」みたいな感じで、すべて日本映画に関するものにしていましたから。僕が世界で一番好きな映画監督は、小津安二郎監督。好きな日本映画を選べと言われたら決められないくらいたくさんありますが、小津監督の『麦秋』、『晩春』、『東京物語』をはじめ、是枝裕和監督の『幻の光』、黒澤明監督の作品も全部好きです。そんなふうに、日本の映画からはつねに多くのインスピレーションをもらっています。あとは、写真家の杉本博司さんも僕にとっては、刺激を与えてくれる存在です。―ありがとうございます。ちなみに、次はどのような作品を考えていらっしゃいますか?監督ちょうどいま3作目の脚本を書いているところなんですが、もとになっているのは、2017年に徳島の祖谷渓谷に滞在していたときの僕自身の経験。実は、日本を舞台にした作品なんです。なので、早く日本に戻りたいなと思っています。今回も『スーパーノヴァ』と一緒に来日できなかったことがとても残念です。―次の来日と次回作の両方を楽しみにお待ちしています。それでは最後に、観客に伝えたい思いを教えていただけますか?監督主人公たちは胸をえぐられるほどつらい状況に直面していますが、ありのままを描写したいと考えました。それに、追い詰められたからこそ、愛は想像以上に美しく、すべてを超越するものだと気づけたのかもしれません。つまり、お互いに思いやりを持って誠実に向き合えば、人はどんな大きな困難も乗り越えることができるのだと。この作品には、そういった希望があるロマンチックなメッセージが込められているので、みなさんにもそれを受け取っていただきたいです。愛の深さに胸が張り裂けそうになる!星が進化の最後に起こす大爆発である「超新星」という意味を持つ『スーパーノヴァ』に映し出されているのは、まさに愛が持つ星の瞬きのような美しさと消えゆく儚さ。名優たちによる繊細な演技とともに、心の奥で愛が輝きを放つのを感じてみては?取材、文・志村昌美真に迫る予告編はこちら!作品情報『スーパーノヴァ』7月1日(木)TOHO シネマズ シャンテ 他 全国順次ロードショー配給:ギャガ© 2020 British Broadcasting Corporation, The British Film Institute, Supernova Film Ltd.
2021年06月30日ステイホームが続くなか、家族と過ごす時間が増えたことで、改めて家族としっかり向き合った人も多いのではないでしょうか?そこで、今回ご紹介するのは、ある決断をした母親と家族の姿から生き方や家族のあり方について考えさせられる話題作です。『ブラックバード家族が家族であるうちに』【映画、ときどき私】 vol. 387ある週末、医師のポールと病を患っている妻リリーが暮らす海辺の家に集まってきたのは、娘たちとその家族。彼らの目的は、安楽死を決意したリリーが家族と最後の時間を過ごすためだった。母の意思を受け入れてはいるものの、苛立ちを隠せない長女ジェニファー。いっぽう、次女のアナは母の決意を受け入れられず、姉と衝突を繰り返していた。複雑な思いを抱えながらも、一緒の時間を過ごす家族たち。徐々にそれぞれが抱えていた秘密が明らかになるのだった。そして、ジェニファーとアナは、母の決意を覆そうと試みるのだが……。アカデミー賞受賞経験のあるスーザン・サランドンとケイト・ウィンスレットをはじめ、実力派俳優が顔を揃えていることでも注目の本作。そこで、こちらの方にその舞台裏についてお話をうかがってきました。ロジャー・ミッシェル監督『ノッティングヒルの恋人』や『恋とニュースのつくり方』など、さまざまな人気作を手掛けてきたミッシェル監督。今回は、本作の現場で初めて経験したことや俳優陣から感銘を受けた瞬間などについて、語っていただきました。―オファーをもらってすぐに決断したそうですが、普段から作品の題材を決めるときは、即決するタイプなのでしょうか?それとも、この作品は特別でしたか?監督普段はわりと頭で物事を考えるタイプではありますが、作品に関しては直感が一番正しいガイドになることが多いですね。今回も、すぐに魅力を感じました。ただ、直感なので、オファーを受けたときは自分と題材とがどうしてつながっているのかわからないことも。撮り終わって数年経ってから、「ああ、こういうことだったんだ!」とわかることもけっこうあるくらいなんですよ(笑)。―では、本作に関しては、どのような部分に監督の直感が働いたのか答えは出ていらっしゃいますか?監督題材はもちろんのこと、ひとつの家に家族全員がほぼ丸3日間一緒にいなければいけないという設定がおもしろいと思いました。それはまるでアガサ・クリスティの作品のように、容疑者たちが集まる週末に誰かが死んでしまうことがわかっているような展開だなと。登場人物も、それぞれのキャラクターに踏み込みやすい物語なので、そういった部分に惹かれました。スーザンの存在と演技に助けられた―母のリリーを演じたスーザン・サランドンさんの存在感は、この作品の大きな柱になっていたと思いますが、ご一緒されてみていかがでしたか?監督この映画では死よりも、生を描いているので、スーザン自身の魅力をリリーにも吹き込んでいきたいと考えていました。彼女は機知に富んでいて、洗練されたユーモアを持ち、本当にタフでイキイキとした人なんですよね。撮影中、彼女のアイディアを取り入れながら最終的な脚本を完成させていきました。スーザンのおかげでリリーはセンチメンタルになることなく、リアルでありながらエッジの効いたユーモアのあるキャラクターにすることができたのではないかなと。題材が重いので、なるべくそういった軽妙さを出したいと思っていましたが、アドリブも含めた彼女の素晴らしい演技に助けられました。―対する娘のジェニファー役を務めたケイト・ウィンスレットさんも、素晴らしかったです。監督今回、一番初めにキャスティングされたのは彼女でしたが、「ケイト・ウィンスレット」という名前が自分の企画につくだけでまるでハチミツのようにほかの俳優たちを引きつけてくれました(笑)。そうやって素晴らしいキャストに集まってもらうことができ、より魅力的な作品になったと思います。―ケイトさんの役との向き合い方は、どのようにご覧になっていましたか?監督この役はいままでの彼女が演じてきた役とは違うタイプのキャラクターだったと思いますが、そういう醍醐味も感じながら演じてくれました。実は、公開前に私の知人に作品を見せたところ、驚くことに最後のクレジットになるまで、ジェニファーがケイトであることに気がつかなかった人もいたくらい。つまり、それだけ彼女が役になりきっていたということだと思います。彼女の冒険心や喜びは周りにも影響を及ぼしていて、みんなのお母さんのようでもありました。そんな彼女が言い出しっぺで、キャストも含めたみんなでブラックバードの柄のタトゥーを入れたことも。私にとって人生で初めてのタトゥーとなりましたが、それくらいみんなの仲がいい現場でした。映画作りは予期せぬ出来事を見つける作業の連続―その一体感は、作品からも伝わってきました。監督撮影中はみんなで現場に近くに泊まっていたこともあり、つねに一緒の時間を過ごしていたので、ある種のストックホルム症候群のような状態に陥っていたのかもしれませんね(笑)。ただ、それによって、お互いのことを思いやれる関係性を築くことができました。―舞台となった家にも、そういった空気感を生み出す力があったのではないでしょうか?監督今回は家もキャラクターのひとりと言ってもいいほど、重要な存在となりました。当初はイギリスのあらゆる場所を探しても見つからなかったんですが、そんなときにケイトから「うちの近くにいい家があるから見に来てほしい」と。それを聞いた私は、「現場と自宅が近ければ遅く起きても行けるから、すすめているんだろう」くらいに考えていたんです(笑)。でも、その場に足を踏み入れた瞬間に、「ここで撮影したい」と思うほど素晴らしい場所でした。イギリスにも関わらず、家のデザインはアメリカ的で、海沿いの景色もアメリカの東海岸を思い起こさせるような雰囲気。リリーのキャラクターとも呼応する家になると感じました。―実際に現場では、監督も予期しないような瞬間が生まれたこともありましたか?監督映画作りというのは、毎日現場で自然発生的に起こる予期せぬ出来事を見つける作業でもあると私は思っています。俳優たちの演技に関して言うと、そういった“化学反応”のような瞬間はたくさんありました。特にテーブルを囲んでのランチやディナーのシーンでは、俳優にアドリブを入れてもいいと伝え、長回しにしているので、そこで生まれたものは多かったですね。監督としてはつねに網を持って待ち構え、突然飛び出してきた蝶々をつかまえるような感覚だと言えると思います。そのためには、準備もきちんとしなければいけないですけどね。―とても素敵な表現ですね。監督あと、もうひとつ気がついたことは、本作のようにシリアスでエモーショナルな作品のときほどジョークが飛び交ったりして笑いの絶えない現場になりますが、逆にコメディのときはすごくダークな雰囲気になることも……。そこが反比例するのはおもしろいですが、人生というのはそういうものかもしれないですね(笑)。安楽死の持つ複雑な側面を知ることとなった―なるほど、非常に興味深いお話です。こういった作品と向き合ってみて、監督自身の死生観に影響を与えたことはありましたか?監督この映画を作るにあたって、すごく考えたのは安楽死について。特に、いろんなリサーチをするなかで、「世界中で安楽死を合法にすべき」と主張することがいかに難しいことかを知りました。なぜなら、安楽死には複雑な面がたくさんあり、悪用されてしまう可能性があることもわかったからです。この作品は安楽死に関する政治的な映画ではありませんが、リリーの選択については、誰もが考えさせられるとは思います。英語で安楽死を意味する「Euthanasia」の語源がギリシャ語の「良い死」から来ていることも、興味深いことだなと感じました。―監督にとって、この作品で一番の挑戦だったことは?監督挑戦でもあり利点でもあったのは、家のなかというひとつのロケーションで少人数の俳優たちと撮影したこと。なぜなら、カーチェイスやファイトシーンのような刺激的なカットを入れることができないだけに、俳優とストーリーだけで観客の関心をずっと引き続けなければいけなかったからです。それだけに、どうやって新しい形で撮影できるかをつねに考えながら撮影していました。―これまでに日本の作品や文化で、監督が感銘を受けたものがあれば教えてください。監督黒澤明監督をはじめとする日本映画を築いた方々の作品が非常に好きで、影響を受けています。とはいえ、これは私だけではなく、世界中の方が同じように感じているのはないでしょうか。私はまだアジアを訪れたことがありませんが、近いうちに日本にはぜひ行きたいです。―お待ちしております。それでは、日本の観客に向けてメッセージをお願いします。監督観たら気持ちが落ち込んでしまうような物語だと身構えてしまう人もいるかもしれませんが、「ぜひ観てください」と心の底から言えるような作品になりました。死についてではなく生についての映画になっているので、コロナ禍を経験したいまの時代にぴったりの1本だと思います。家族だからこその葛藤と秘密に震える静かでありながら、心の奥に鋭い問いを突きつける本作。家族との向き合い方や目に見えない絆、そして生きるうえで自分が譲れないものについて、思いを巡らせずにはいられないヒューマンドラマです。彼らとともに、濃密な時間を過ごしてみては?取材、文・志村昌美胸が熱くなる予告編はこちら!作品情報『ブラックバード家族が家族であるうちに』6月11日(金)より、TOHO シネマズシャンテほか全国ロードショー配給:プレシディオ、彩プロ© 2019 BLACK BIRD PRODUCTIONS, INC ALL RIGHTS RESERVED
2021年06月10日世界中で流行している、新型コロナウイルス感染症。多くの国が、感染予防対策のためマスクの着用を推奨しています。イギリスでは、公共交通機関でのマスク着用を法律で義務付けていて、違反すると罰金を取られる場合もあるそうです。イギリスに住むイセキアヤコ(tinycrown_ltd)さんは、駅で電車待ちをしている紳士たちを撮影。InstagramやTwitter上に投稿したところ、反響が寄せられました。思わず二度見してしまう、その姿とは。マスクが斬新すぎる…!なんと動物のかぶりものをして、通勤していた2人の紳士。口元どころか頭全体をすっぽり覆ったかぶりものは、マスクの代わりにぴったりかもしれません…。シュールな光景に、ネット上では多くのコメントが寄せられました。・英国らしいオシャレな装いとのギャップに吹き出しました。・最高。遊び心にあふれていて好き。・逆境でも楽しむ余裕があるところが、さすがジェントルマン。イセキアヤコさんいわく「思い切って写真を撮らせてもらったけど、何の仕事をされているのかまでは、聞く勇気がなかった」とのこと。ルールは守りつつも、ユーモアを忘れないイギリス紳士は、素敵ですね。[文・構成/grape編集部]
2021年04月22日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「孤独・孤立対策担当室」です。孤独は社会問題。官民協力体制で根本的解決を。長引くコロナ禍で、大学では休講やオンライン授業が続き、アルバイト先の休業や閉店で経済的に困窮。休学・退学する学生が多く出ているというニュースがありますが、実は前年同期比でいえば、中途退学者は2割減。休学者は1割減です。学校側が授業料の納付期限を猶予したり、困っている生徒の授業料の減額や免除を行ったため、この1年は持ちこたえました。ところが今後はどうなるかわかりません。注視しなければいけないのは、学生たちのメンタルヘルスです。日本では新型コロナウイルスによる死者数よりも自殺者数の増加率が高く、とくに若い世代や女性の自殺が増えています。2020年1月~11月の統計では、増減率では20代が最も高く17%増、19歳以下の未成年は14%増。小中高生は479人と1980年以降で最多となりました。人に会えないこと、将来の不安、経済的困窮などが要因になっていると考えられます。コロナ禍で、世代を超え孤立している人が増えている現実を踏まえ、政府は内閣官房に「孤独・孤立対策担当室」を新設。省庁横断で本格的な対策に動きだすことにしました。参考にしたのはイギリスです。イギリスでは、孤独が身体に及ぼす影響を科学的に証明。死亡リスクは26%、脳卒中を発症する率は32%アップ、認知症発症率にも影響があるという数字が。これを機に2018年、孤独担当大臣を設置。約28億円規模の予算を組み、どういう人が孤独を感じ、支援の対象になるかの指標を算出し、相談体制の強化、職の支援や低所得対策を行いました。以前より孤独担当相の創設を訴えていた国民民主党の昨年11月の資料によると、東京23区の単身高齢者の孤独死は10年間で1.7倍に。全国の単身世帯数は34.5%、生涯未婚率は男性23.37%、女性14.09%でどちらも増加中。高齢者の親と無職の子供の“8050”世帯は2013年時点で推計約60万世帯、引きこもりは推計約61万人、シングルマザーは約123万世帯、うち半数が相対的貧困というように、日本には孤独があふれています。これらに対処することが、経済、医療福祉、少子化対策の一助になると思います。堀潤ジャーナリスト。市民ニュースサイト「8bitNews」代表。「GARDEN」CEO。報道・情報番組『堀潤モーニングFLAG』(TOKYO MX平日7:00~8:00)が4/1スタート。※『anan』2021年4月14日号より。写真・中島慶子イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2021年04月10日2021年4月9日、イギリス王室はエリザベス女王の夫、エディンバラ公フィリップ殿下が99歳で亡くなったことを発表しました。フィリップ殿下は同年2月16日、体調不良で入院し心臓病の処置などを受けた後、3月に退院していました。イギリス王室は公式サイトで殿下の訃報を次のように公表しています。女王陛下は深い悲しみとともに、愛する夫エディンバラ公フィリップ殿下の死を発表しました。殿下は今朝、ウィンザー城で安らかに亡くなりました。今後、さらに発表が行われます。王室は世界中の人々とともに、殿下の冥福を祈ります。The Royal Familyーより引用(和訳)フィリップ殿下は1947年に当時王女だったエリザベス女王と結婚。エリザベス女王が1952年に父ジョージ6世の死去を受け即位して以来、配偶者として史上もっとも長い年月、女王を支えてきました。産経ニュースによると、フィリップ殿下が単独で行った公務は2万2千件以上にのぼり、日本にもたびたび訪れていたそうです。世界自然保護基金(WWF)総裁を長く務めるなどし、環境保護や科学・スポーツ振興などに尽力。高齢のため、2017年に公務から退いた。単独で行った公務は2万2000件以上にのぼる。最近は慈善活動や社会奉仕運動にも注力した。優れた技能を持つ若者を表彰して支援する「英国エディンバラ公国際アワード」を創設し、世界100カ国以上に普及させた。1975年に女王ととも初来日。89年には昭和天皇の大喪の礼にも参列していた。公務の一環でたびたび訪日し、WWFの活動のため北海道や沖縄を訪れたこともあった。産経ニュースーより引用ネット上では「お元気なイメージだったので、驚きました。ご冥福をお祈りします」「女王が気を落として体調を崩されないといいけど…。どうぞ安らかに」などお悔みの言葉が寄せられています。イギリス王室に生涯を捧げた、フィリップ殿下。その死を世界中の人が悼んでいるでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。[文・構成/grape編集部]
2021年04月10日2018年、イギリスのヘンリー王子と元女優のメーガン・マークルさんの結婚式で、世界中の注目を集めた、故・ダイアナ元妃の姪である、キティ・スペンサー。そうそうたる参列者の中でも、圧倒的なオーラと美貌で「あの美女は誰?」と大きな話題となりました。イギリス王室の結婚式で話題謎の美女の正体に「面影を感じる!」ダイアナ元妃もまた、その美しさと類まれなセンスで今もファッションアイコンとして高い人気を誇ります。そんなダイアナ元妃の親戚は、美人ぞろい!ダイアナ元妃の双子の姪、つまりキティの妹たちであるアメリア・スペンサーと、イライザ・スペンサーもまた、「美貌の令嬢」と注目されています。ダイアナ元妃の双子の姪が美しすぎるキティとともに『美しい三姉妹』と呼ばれている、アメリア&イライザ姉妹。過去にはファッション誌の表紙も飾ったことがある話題の美貌をご覧ください。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る Eliza Spencer(@elizavspencer)がシェアした投稿 この投稿をInstagramで見る Eliza Spencer(@elizavspencer)がシェアした投稿 この投稿をInstagramで見る Eliza Spencer(@elizavspencer)がシェアした投稿 この投稿をInstagramで見る Amelia Spencer(@ameliaspencer15)がシェアした投稿 ダイアナ元妃を彷彿とさせる美貌で注目を集める2人。日本でも徐々に名前が知られるようになり、さまざまなコメントが寄せられています。・ダイアナ元妃の親族はすごいな。・キティ・スペンサーの時もすごい衝撃だったけれど、双子の姪たちもすごい美人!・さすが、ダイアナ元妃の姪。かなりの美人。姉のキティとともに、ファッション業界はもちろん、さまざまな業界から熱い視線が寄せられるアメリア&イライザ姉妹。今後、イギリスの美人姉妹としてさらに注目度が高まりそうな予感です![文・構成/grape編集部]
2021年03月22日東京・丸の内の三菱一号館美術館で、イギリスを代表する画家、コンスタブルの大回顧展が開かれています。日本では35年ぶりとなる本展では、イギリスのテート美術館から多くの貴重な作品が来日。見逃せない傑作と会場の様子をご紹介します!どんな展覧会?【女子的アートナビ】vol. 196『テート美術館所蔵コンスタブル展』では、19世紀のイギリスで活躍した画家ジョン・コンスタブル(1776-1837)の風景画や肖像画などの油彩画や水彩画、素描が集結。さらに同世代のライバル画家J.M.W.ターナー(1775-1851)や他の画家たちの作品も含め、全85点の作品が紹介されています。これらの展示作品のうち、60点がテート美術館から来日。コロナ禍の影響で、最近は海外から貸し出された作品を見る機会が少なくなっているので、本展はとっても貴重。コンスタブルとターナーが対決したといわれる展示会を再現した部屋もあり、見どころ満載の内容です。コンスタブルって?コンスタブルは、イギリス南東部にあるサフォーク州で製粉所を経営する家の第4子として誕生。16歳で家業の手伝いをはじめ、1799年、23歳のときに両親の許しを得てロンドンのロイヤル・アカデミー美術学校に見習い生として入学します。ちなみに、のちにライバルとなるターナーはすでに14歳で同美術学校に入り、26歳のときにロイヤル・アカデミーの正会員になっています。コンスタブルもロイヤル・アカデミー展に出品し、正会員になることを目指しますが、なかなか高い評価を得られません。彼は故郷など自分の愛する土地を描いていたのですが、当時、絵画の格付けは歴史画や肖像画が上位レベルで、風景画は格下扱いされていました。コンスタブルは肖像画を描いて収入を得ながら、風景画の制作にこだわり続け、1829年、53歳でようやくロイヤル・アカデミーの正会員に選出されました。12歳の少女と出会い…恋に落ちる!会場に入って最初の部屋に展示されているのは、コンスタブルの自画像や家族の肖像画。ひときわ目立つのが、女性の肖像画です。小さな作品ですが、斜め45度のお顔がとにかく美しい!少しうるんだ大きな瞳とかわいらしい巻き毛、お肌はハリがあってツヤツヤしています。モデルはコンスタブルの妻、マライア。この絵は結婚する3か月前に描かれたとのこと。作品から、妻への愛情がビシビシ伝わってきます。ふたりは1800年、コンスタブル24歳、マライアが12歳のときに出会い、その後恋に落ちますが、彼女の家族に反対され、なかなか結婚できませんでした。1816年、コンスタブルが40歳のときに彼の父親が亡くなり遺産を相続。経済的に自立したことで、この年、ようやくふたりは結婚しました。ターナーと対決!本展で見逃せないのは、コンスタブルとターナーの対決を再現した展示室です。1832年に開かれたロイヤル・アカデミー展で、彼らの作品は並んで展示されました。コンスタブルの作品は、ナポレオンに勝利した「ワーテルローの戦い」を記念する橋の開通式を描いたもので、サイズも大きく、色彩も鮮やかです。いっぽうターナーの作品は、シンプルな海景画でサイズもそれほど大きくなく、寒色系ですっきりとまとめられています。このふたりの対決には、おもしろい逸話が残されています。負けず嫌いの性格で知られるターナーは、華やかなコンスタブル作品のほうが注目されるのではないかと心配し、自作をより目立たせようと画策。開幕前の最終手直し期間に、鮮やかな赤色の塊(ブイ)を絵の前景に描き加えました。後日、コンスタブルは「ターナーはここにやってきて、銃をぶっ放していったよ」とこぼしたそうです。二作品が並んで展示されるのはロンドン以外では初めてとのこと。ぜひ、この空間でふたりの作品を見比べてみてください。神々しい…! 最晩年の人気作最後にご紹介するのは、《虹が立つハムステッド・ヒース》。中央に風車が描かれ、コンスタブルが得意とした表情豊かな空に美しい虹がかかっています。この絵の主題は収集家の間でかなり人気が高かったとのこと。神々しい光が差し込む描写も美しく、作品の前に立つと心が洗われていくような感じがします。本作品は、コンスタブルが亡くなる前年に描かれました。イングランドの美しい風景を描き続け、イギリス人に最も愛された画家が最晩年に描いたこの傑作は、最後の展示室にあります。ぜひ、ゆっくりとご覧になってみてください。会期は5月30日まで。Information会期 : ~5月30日(日) 時間 : 10:00〜18:00※入館は閉館の30分前まで※緊急事態宣言発令中の夜間開館は中止休館日 : 月曜日(※ただし、祝日・振替休日の場合、会期最終週と3月29日、4月26日は開館)入館料(税込): 一般¥1,900、大学・高校生 ¥1,000、中学生以下無料会場:三菱一号館美術館
2021年03月17日アンティーク家具ならびにアンティーク調家具を展開するクラシックデモダン(所在地:滋賀県甲賀市信楽町勅旨1181)は、イギリスアンティークの香りを感じるソファチェスターフィールドソファブランド「クラブマン」の1人掛けを発表した。今回ご紹介したアイテムを含んだソファ一覧■BrandClubmanクラブマン風格ある英国伝統のチェスターフィールドソファ。その中でもアームレストに特徴のあるクラブマンスタイルを着目したジェントルマンの選ぶチェスターフィールドソファモデル。サイズはヨーロピアンサイズより一回りにコンパクトしつつ、貫禄を感じさせるアームレストや背もたれの意匠はそのままに。また、シートも2タイプ用意しており、従来のクッションタイプならびに、ボタンダウンシートモデルをラインアップしています。■クラブマンは、送料無料クラブマンチェスターフィールドソファは、北海道・沖縄を除く全国送料無料を特典とさせていただいております。送料が必要な他モデルと合わせてのご注文の場合、クラブマンだけが送料無料となります。■今回の新作製作背景従来は2.5人掛け-3人掛けをフォローする1サイズで展開していましたが、どうしてもセットとして活用したいというお声を多数いただき、バリエーション化を進めることに。今回はまず1人掛けから入荷した。■今回の入荷したアイテムクラブマンチェスターフィールドソファ 1人掛け ボタンダウンシート vxb1p92 58,300円重厚感のあるアームレストに加え、他ではなかなか目にしないボタンダウンシート。書斎や応接間などかっこよく引き締めてくれます。ダークブラウンフェイクレザー仕様商品の詳細はこちらクラブマンチェスターフィールドソファ 1人掛け ボタンダウンシート vxb1p94 58,300円空間に馴染みやすい、ライトブラウンフェイクレザー仕様商品の詳細はこちらクラブマンチェスターフィールドソファ 1人掛け ボタンダウンシート vxb1p93 58,300円落ち着いたバーガンディ(ワインレッド)フェイクレザー仕様商品の詳細はこちらクラブマンチェスターフィールド 1人掛け 本革モデル vx1ls7126 110,000円ゆったりとした座り心地を楽しめるクッションモデル。存在感が一層際立つウォッシュオフブラウンレザーを採用した上位仕様。商品の詳細はこちらクラブマンチェスターフィールド 1人掛け vx1p92 55,000円深みのあるダークブラウンフェイクレザー仕様商品の詳細はこちらクラブマンチェスターフィールド 1人掛け vxp94 55,000円どんなインテリアシーンにも馴染んでくれるライトブラウンフェイクレザー仕様商品の詳細はこちらクラブマンチェスターフィールド 1人掛け vxp93 55,000円視線を集める主役が座るための色合いバーガンディ(ワインレッド)フェイクレザー仕様。商品の詳細はこちら今回ご紹介したアイテムを含んだソファ一覧【クラシックデモダンについて】お店や暮らしを特別な空間へ。30年以上の経験を持つアンティークバイヤーが、お届けする西洋アンティークスタイルインテリア什器専門店“クラシックデモダン”【心をくすぐる愛され家具】をテーマに、アンティークテイスト家具とマッチするアンティーク家具を業販価格にてご紹介しています。チェスターフィールドソファや女性に人気のエレガントな猫脚ロココ調アイテムをはじめ、豪華絢爛な装いでプリンセスになれるイタリースタイルに、モダンな空間に合わせやすいシャビーシックなアイテムまで幅広く取り扱っております。ごゆっくりと、店内をご覧いただければ幸いです。滋賀県甲賀市信楽町勅旨1181TEL.0748-64-9027FAX.0748-83-1184E-Mail:info@classicdemodern.com公式サイトへ公式コンテンツ Cla-labO クララボへ楽天市場店へ企業プレスリリース詳細へ TIMESトップへ
2021年01月31日誰かのちょっとした気遣いが、周囲の人を笑顔にすることってありますよね。ある日、イギリスのとあるレコード店で、商品を購入したという、次七(@hoipolloi__)さん。商品と一緒に、こんなメッセージカードが同封されていたといいます。イギリスのレコード屋さんから pic.twitter.com/T8tVKE4X4F — 次七 (@hoipolloi__) January 24, 2021 空欄部分には、日本語で書かれた「ありがと」の4文字が…!注文を受けた店員は、客の母国語である日本語を使って、感謝の気持ちを表そうとしたのでしょう。懸命に書かれた「ありがと」という言葉からは、一人ひとりの客を大切にする姿勢が伝わってきますね。【ネットの声】・素敵なエピソード。心が温まった。・こういう対応はとても好き。・すごく頑張って、感謝の気持ちを表そうとしてくれたんだろうな。また、同じ店を利用したことのある人からは「自分も同じように日本語でお礼の言葉をもらった」といった声も。海を越えて届いた、想いのこもったメッセージは、多くの人の心をギュッとつかみました。[文・構成/grape編集部]
2021年01月28日イギリスのロンドンに住む、ミュージシャンの布袋寅泰さんが2020年12月20日、自身のInstagtamを更新。「果たして僕は日本に帰れるのだろうか」と不安な胸中を明かしました。イギリスでコロナウイルスの変異種が…布袋さんが住むイギリスでは、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)の変異種が確認され、同日、フランスやドイツ、イタリアなどヨーロッパ各国への渡航差し止めが決定。産経ニュースによると、イギリスのボリス・ジョンソン首相は、この変異種について、「従来種ウイルスより感染力が最大70%高い可能性がある」と述べました。変異種ウイルスについて英政府は14日、イングランド南部や東部で千件以上確認されたと発表。ジョンソン英首相は20日の記者会見で、従来種ウイルスより「感染力が最大70%高い可能性がある」と述べた。産経ニュースーより引用布袋さんは、不安な気持ちをこのようにつづっています。 この投稿をInstagramで見る HOTEI Official(@hotei_official)がシェアした投稿 英政府は新たに確認された新型コロナウイルスの変異種による感染が急拡大しているとして、ロンドンとイングランド南東部に20日から生活必需品を扱う商店以外は営業停止となり、不要不急の外出が認められない事実上のロックダウンとなる。ワクチンの接種で光が見えてきたばかりなのに。ジョンソン首相のスピーチは大変緊迫したものだった。これまでのウィルスに比べると感染率が70パーセントも高いという。収束どころかここから更なる恐怖が広がるのかもしれない。世界はどうなってしまうんだろう。果たして僕は日本に帰れるのだろうか。緊迫した毎日が始まる。hotei_officialーより引用コロナウイルスの変異種が確認されたことで、ロンドンなどでは事実上のロックダウンの措置が取られました。布袋さんは「さらなる恐怖が広がるのかもしれない」とし、また、コメントの最後には『#消えろコロナ』と、ハッシュタグで心からの願いをつづっています。投稿には、布袋さんの気持ちに寄り添うコメントがたくさん寄せられました。・本当にコロナウイルスが憎いですね。布袋さんやみなさんの無事を祈っています。・コロナウイルスの変異種、恐ろしいですね。日本でも感染者がまた急増していて…。本当に、全世界で早く終息してほしい。・これからどうなってしまうんでしょう。不安ですが、今はとにかく感染しないよう、対策を徹底するしかありませんね。・布袋さんのステージをまた生で見られる日を楽しみにしています!今はどうかご自愛ください。コロナウイルスの変異種のニュースに、日本に住む私たちにも不安な気持ちが募ります。クリスマスや、年末年始といったイベントごとの際には、個人ができる最大限の感染対策を行いたいものですね。[文・構成/grape編集部]
2020年12月21日1日のなかでも幸せな時間といえば、「大好きなスイーツを堪能しているとき!」という人も多いのではないでしょうか?そこで今回オススメする映画は、世界中のお菓子に触れることができるスイーツ好き必見の注目作です。それは……。イギリスから届いた『ノッティングヒルの洋菓子店』【映画、ときどき私】 vol. 346ロンドンのノッティングヒルで、長年の夢だったお店をオープンしようとしていた人気パティシエのサラと親友のイザベラ。ところが、開店直前にサラが事故で急死してしまう。そんななか、夢を諦められないイザベラとサラの娘クラリッサは、絶縁していたサラの母ミミを巻き込むことを画策する。何とか開店を目指して走り出したものの、パティシエは不在のままだった。そんな3人の前に現れたのは、ミシュラン二つ星のレストランで活躍しているスターシェフのマシュー。彼はあることを償うためにパティシエに応募してきたのだった。それぞれの想いを抱えた4人で、無事にサラの夢を叶えることができるのか……。次々と登場する絶品スイーツだけでなく、人生のさまざまな分岐点を経験する女性たちの物語を描いた本作。こちらの方に、さらなる見どころを教えていただきました。エリザ・シュローダー監督この作品で、念願の初長編監督デビュー作をはたしたシュローダー監督。現在は、母国のドイツを離れて映画の舞台であるノッティングヒルに11年暮らしているそうです。そこで、お菓子作りが趣味でもある監督に、スイーツの魅力や日本の観客に伝えたい思いについて語っていただきました。―メインキャラクターとなるのは、人生のスタート地点に立ったばかりのクラリッサ、夢と現実の間で揺れるアラフォーのイザベラ、そして孤独を抱える高齢のミミという三世代の女性たち。彼女たちを描くうえで、意識したことはありましたか?監督私にとって重要だったのは、幅広い観客にアピールできるキャラクターにすること。特に女性には、3人のうち少なくとも1人にはどんな形でも共感してほしいと考えました。ただし、それに年齢は関係ありません。若い人がミミの頑固さに惹かれる場合もあれば、年齢の高い方がクラリッサに思いを寄せる場合もあるはずですから。彼女たちは三者三様で、それぞれ人生の違うステージに立っているので、観ている方々がそのなかの誰か1人、もしくはそれ以上と繋がってもらえたらいいなと思って作りました。―監督自身が繋がりを感じているキャラクターはいますか?監督年齢的にはイザベラになるんだと思いますが、一番共感したのはミミかもしれないです。というのも、私も彼女と同じでけっこう複雑なところがある性格なんですよ(笑)。でも、正直に言うと、すべてのキャラクターそれぞれに繋がりを感じています。多様性のある場所にインスピレーションをもらっている―ロンドンといえば、さまざまな人種や文化がミックスされた街だと思いますが、そのなかで暮らす監督が多様性の素晴らしさを感じるような経験があれば教えてください。監督劇中に出てくる『ラブ・サラ』というお店の場所は、本作に協力してくれたロンドンでも大人気のデリ『オットレンギ』の近くにあるゴールボーン・ロード。ノッティングヒルのなかでも一番多様性のあるエリアなので、映画にリアルさを持たせるためにもここで撮ることにはこだわりました。本当にいろいろな国から人が集まっていますが、富裕層もそうではない層もみんながうまく一緒に生活をしているとても美しい場所なんですよ。実際、私もつねに違う文化に触れ、新しい発見がある毎日を過ごしています。たとえば、いつも『オットレンギ』でコーヒーやケーキを買うので、スタッフのみなさんとも親しくなりましたが、どこの国の人でもどんな背景を持っていようとも、誰にでもフレンドリーでオープンに接してくれるんです。これは、私の国ドイツではあまりないことなんですよね。多国籍でクリエイティブな人も多いので、いつもたくさんのインスピレーションをもらっています。―映画に登場するさまざまなスイーツについてもおうかがいしますが、日本の抹茶ミルクレープがある大きな役割をはたしています。その理由について教えていただけますか?監督今回はフードスタイリストと相談しながら劇中で使う各国のお菓子を決めていきましたが、デリケートでエレガントさのある特別なお菓子を探していたときに、彼女が提案してくれたんです。日本のものづくりはとても繊細で洗練されているので、そういったところを象徴しているケーキでもあると感じて選びました。抹茶ミルクレープはこの作品を通して初めて知りましたが、いまではすっかりスペシャリストになってしまったほど。街で一番おいしい抹茶ミルクレープを探し求めているところで、あちこちで食べ比べています(笑)。もし、仕事仲間とか感心させたい相手がいたら、間違いなく抹茶ミルクレープを食べさせますね。お菓子を扱うことでいろいろな文化にも触れられた―そう言っていただけると、日本人としてはうれしくなります。では、魅力的な世界中のお菓子が数多く並ぶなかでも、監督のオススメは何ですか?監督うーん、それは大きな質問ですね。間違いなく抹茶ミルクレープもトップのなかに入っていますが、私は「黒い森のサクランボケーキ」を意味するドイツのシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテが好きなんです。チョコレートケーキの一種で、けっこうヘビーなんですけど、たまにそういうものが食べたくなっちゃうんですよね。あとは、『オットレンギ』のペルシャ風ラブケーキという少しスパイスが効いているケーキも大好きです。―そのほかに、食べ物に関する忘れられない思い出などはありますか?監督私は小さいころから家族みんなで一緒にお菓子作りをよくする家だったので、食べ物によって自分の故郷や子ども時代を思い出すことはありますね。先ほども挙げたシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテは、私の姉が作るのがすごく上手で、私はいまだに彼女ほどおいしく作ることができません。でも、一緒に作ったという経験が私にとっては、いまでも家庭的な気持ちにさせてくれるものにはなっています。それから、この作品を作っていてよかったと思ったことのひとつは、いろいろな国のお菓子を扱うことによって、さまざまな文化に触れられること。それは、本当に素敵なことでしたね。喪失と一緒に生きていくことも大切―また、本作では大切な人を失った人たちの姿も映し出されています。監督自身、数年前にお母さまを亡くしたことをきっかけに、「死というテーマを尊厳ある方法で描きたい」と思われていたそうですね。大切な人を突然亡くしたときの喪失感とどう向き合うべきか悩んでいる人に監督が声をかけるとすれば、どんな言葉になりますか?監督誰かを亡くして、悲しみと向き合うということには終わりがないので、長いプロセスだと思います。私自身も母が亡くなった前と後では、人生における時間の流れが分かれてしまいましたから。そのなかで、相手の死を悼んだり、悲しんだりしてもいいんだということ、そして自分を許したり、何かを感じたりすることも必要だと感じています。私と同じように母を亡くした男性から、「喪失感から少しずつ自分を癒していくなかで、楽になることがなかったとしても、どうやってそれと向き合って行けばいいかは徐々に学ぶことができるから」と言われたことがありました。私にとっては、その言葉が一番支えとなっています。つまり、喪失と向き合うだけでなく、一緒に生きていく、ということですよね。―そうですね。監督のその言葉に、救われる人もいると思います。監督誰かを悼む気持ちが消えることはないので、そう思いながら先を見据えることはつらいかもしれませんが、この映画を観た方々には、希望も感じてほしいと思っています。大切な人が自分を誇らしく思ってくれるような何かをしたり、前に向かって行くことも必要なんだと、あるいは進んでいくべきなんだと感じてもらえたらうれしいです。いまに見合った作品を作り続けたい―とても大切なことだと思います。それでは最後に、仕事をするうえで貫いていきたいことがあれば教えてください。監督女性監督が前よりも増えてきたとはいえ、いまでも決して簡単なことではありません。特に今回はイギリスで作ったこともあり、私は自分が英国人ではないという意味での挑戦もありました。ただ、この作品の現場には世界中から集まった人々が参加してくれていて、本当に多種多様な肌の色、文化、言葉、考え方などがそこにあったので、自分だけが外国人だと思うことはありませんでした。いろんな国籍の方がいたおかげで、たくさんの色彩を持った作品にもなったと思います。そんなふうに私たちが生きている社会というのは、すごく多国籍なので、これからもそういった多様性は大事にしていきたいなと。いまに見合った作品を多様な人たちと、これからも作品を作っていきたいです。五感を刺激する美味しいひととき!思わず喉が鳴ってしまうような極上スイーツの数々に目を満足させられるだけでなく、喪失から希望を見出す大切さや家族の絆、そして恋愛の楽しさまで、心も刺激されるはず。人生の甘さも苦さも詰まった本作をじっくりと堪能してみては?取材、文・志村昌美心が弾む予告編はこちら!作品情報『ノッティングヒルの洋菓子店』12月4日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開配給:アルバトロス・フィルム© FEMME FILMS 2019
2020年12月03日2020年11月5日、騎空士鮫ミン(@usa_akasa)さんが、Twitterに投稿した『いなり寿司』の写真が話題となっています。ロンドン流?『いなり寿司』の姿が話題投稿者さんはある日、イギリスの首都ロンドンでいなり寿司を発見!しかし、日本のいなり寿司とはちょっと違った姿をしていたといいます。その写真がこちら。これは、ロンドンの駅で売っていた、いなり寿司です。 pic.twitter.com/MMXEgzo6FS — 騎空士鮫ミン@蛇語 (@usa_akasa) November 5, 2020 油揚げをシャリに乗せ、さらにノリを巻くひと手間!いなり寿司ではなく、定番の寿司ネタ『たまご』を参考に作ってしまったのでは…と思ってしまいますね。※写真はイメージ投稿にはさまざまな声が寄せられています。・『魚を使わない寿司』とネットで検索して、出てきた画像を元に作っちゃったのかも。・頑張りは伝わる。間違っているけど!でも、海外で見かけたら思わず買っちゃいそう。・私は海外で、巻き寿司の具が油揚げだったものを食べたことがありますよ!投稿者さんによると、「味はそれなりにおいしかった」のだとか!油揚げの味付けも、きちんと甘く煮てあったそうです。「惜しい!」とツッコミを入れたくなってしまいますね。海外独自の発想で作られた新たな寿司に、日本の寿司職人も創作意欲を刺激される…かもしれません![文・構成/grape編集部]
2020年11月12日奥村正子さん撮影/渡邉智裕72歳、夫のリハビリのため付き添ったジムで重いバーベルを「エイ!」と持ち上げるベンチプレスの虜になった。一時は脳梗塞を患い、直後、夫にも先立たれた。そんな苦境も乗り越え、気づけば競技人生18年。やればやるだけ努力が実る競技は「人生のよき友」に。90歳を迎えた今年も、世界大会で狙うは金メダルのみ!■83歳での優勝を皮切りに5個の金メダルを獲得水曜と土曜の週2回、茨城県鹿嶋市にある自宅からおよそ2kmの道のりを、季節の移ろいに目をやりながら40分かけ最寄り駅まで歩き、さらに電車に1時間乗り、水戸にあるトレーニングジムに通う。ジムに着くなり、水曜は2時間かけて、腹筋、背筋、デットリフト(床に置いたバーベルを持ち上げて背筋を鍛えるトレーニング)とスクワット(バーベルを担いで屈伸。下半身を鍛えるトレーニング)。後者に至っては、計40kgの重さのバーベルを担ぎ、8回の屈伸を3セット行う。土曜は、コーチのもと、自身が世界記録を持つベンチプレスに取り組む。ベンチプレスとは、ベンチの上に横たわってバーベルを挙げ、その重さを競う競技のこと。こちらの練習もやはり、本格的なものだ。こんなハードなトレーニングをもう10年も続けているのが、奥村正子さん御年90歳。土曜のベンチプレスを指導して15年近くになるという李コーチ(62)が、奥村さんを称してこう言う。「奥村さんは競技者であるという前提で指導しています。いろんなメディアで紹介されているものを見ると、“90歳のおばあちゃんがあんな重いものを挙げてすごい!”という取り上げ方になりがちですが、私がよく言うのは、“(あなたは)競技者です”と。競技者とは競技をして自己記録を伸ばす者。奥村さんのモチベーションも、そこにあると思います」そして、こう続ける。「私自身も奥村さんを“90歳のおばあちゃんがすごい重さを挙げている”という、色ものとして見てほしくない」競技者としての自負と誇りのもと、2013年、83歳で世界マスターズベンチプレス選手権(60歳以上・47kg級)で優勝したのを皮切りに、この階級で今までに5個の金メダルを獲得している。来る11月には福岡で開催される『全日本ベンチプレス選手権大会2020』のマスターズにも出場。来年、ウズベキスタンで開催予定の、世界選手権出場権を狙う。もしも優勝できれば、6つ目の世界選手権金メダルになる。競技者・奥村さんが意気込みを語る。「出るなら勝たなきゃ。勝ちたいですよね、いくつになっても。私、ベンチ(プレス)を始めたときに自分自身に目標を持ちました。90歳までやろうって。それで90歳過ぎました。どうしようかなって考えたとき、周りの人が“人生100歳時代だ”って。じゃあ100歳までやりますよって」■ベンチプレスとの出会いは72歳スポーツといえば、ひざのリハビリを兼ねたゴルフ程度しかしてこなかった奥村さんが、ひょんなきっかけで始めたベンチプレスのおもしろさにいつしかはまり、気がつけば82歳で世界チャンピオンになっていた。そして今、90歳で世界記録更新と金メダルを狙う。人生100年時代には、人は90歳で世界チャンピオンにだってなれるのだ──。ベンチプレスとの出会いは、2002年、奥村さん72歳のときだったという。「主人の奥村肇が板金塗装の工場をやっていたんですよ、神奈川県の相模原で。2人で車に乗っていたら、うちを出て10分ぐらいのところで、飲み屋のおばさんに後ろから車をぶつけられちゃったの」幸い、奥村さんにたいしたケガはなかったが、夫の肇さんは頸椎(けいつい)を痛め、ズボンにベルトを通すのも難しいほどに。病院で痛み止めの注射を打ってもらってどうにか仕事を続けていたが、それをアメリカの大学で生化学を教えている息子の由多加さんに伝えたところ、こう言われた。「“お父さん、注射すると痛くなくなるのはいいけれど、骨がモロモロになってしまう。運動して治しなさい”と。息子は生化学の教授なので、わかっていたんですね。それで相模原のスポーツジムで、リハビリ目的の筋トレを始めたんです」筋トレを続ける肇さんに付き添ってジム通いをしていた奥村さんだったが、本格的なベンチプレスへの挑戦は、現在の茨城県鹿嶋市に引っ越してきた後のことだったという。「住友金属工業っていう都市対抗に出ているクラブがあって、あるとき新聞に後援会会員募集の広告が出ていたんです。細かく読むと、会員はトレーニング施設が使えるとあった。それで私たちも後援会に入って、夫の傍らでトレーニングを始めたんです」住友金属工業のクラブ員がベンチプレスやデッドリフトなどを練習する様子を、奥村さんが興味津々の様子で見つめる。なかでも惹かれたのが、ベンチプレスだった。「おもしろそうだな、って思って。だって見ていると、この間見たときより大きなプレートがついているんですよ。“そうか、やっているうちに強くなるんだ”と。それが魅力だったの」プレートを装着するバーの重さは20kg。最初はバー単体でさえ挙がらなかった。それでも続けていると、バーが徐々に動くようなっていったという。「あ、動いたぞ!頑張れ、もう少し!よし、挙がった!すごいじゃないか!」そう言って喜ぶ肇さんをベンチで見上げながら、奥村さんはこの競技の楽しさに目覚めていった。そして肇さんとともに週4回、4時間ものトレーニングに励むようになったという。隣に住む友人の大谷秀子さん(77)が言う。「出かけるときはご主人といつも一緒で、本当に仲がいい夫婦でしたね」■初めての世界選手権で優勝競技会へ出場するようになったのは、トレーニングを始めて10か月後に出場した茨城県神栖市での市民ベンチプレス大会がきっかけだった。「何にも知らなかったのに怖いもの見たさで行ったら、30kgが挙がっちゃったの。そうしたら審判をしていた人が、“あなた、一生懸命やれば40kg挙がるよ”って。私、(おだてられると)木に登る豚ですからね。それで一生懸命やりだしたんです」住友金属工業内ジムで、トレーニングを続けること10年。もともと素養があったのだろう、2012年、奥村さんは82歳でマスターズベンチプレス全日本選手権47kg級に出場して優勝し、見事2013年の世界選手権への切符を手にすることができた。この年、世界選手権の開催場所は中欧のチェコ。だが、日本代表といっても、チェコへの飛行機代も宿泊費も自己負担で、40万円近いお金が必要だった。「主人に、“お金がかかるから”と言ったら、“行け行け!”って。そして“世界大会なんて誰でも出られるものじゃない。お金なんて生きているうちに使うもんだ!”って言ってくれた。“じゃあ、1回だけね”ということで出かけたんです」当時の事情を前出・李コーチがこんなふうに証言する。「奥村さんがガンガンやっているのを、ご主人が見守っているという感じでしたね。(リハビリの終了後)ご主人もパワーリフティングをされていたんですが、ご病気をされてしまった。競技者としては不本意だったと思いますが、奥村さんは断トツで挙げていましたので、ご主人は楽しく応援しているという感じでした」出場した世界選手権の試技は3回。自分が申告した重さを挙げるが、挙げられなくても軽くすることはできない。次回は同じ重さに再トライするか、2・5kg刻みで重くするかのどちらかしかない。世界選手権特有の張り詰めた雰囲気のなか、奥村さんの1回目の試技が始まった。ベンチの上にあお向けになり、審判の“スタート!”という声で総重量40kgのバーベルをラックからはずし胸の上で静止させる。審判の「プレス!」という合図とともに、奥村さんの「エイ!」という気合が響いた。見事40kgをクリアした。82歳、体重47kgの人の40kgクリアである。2回目の試技では42・5kgをクリア。3回目の45kgは失敗したが、2位のチェコ人女性に5kgもの大差をつけて世界選手権初優勝を飾った。「試合が終わったあと、(チェコ人の)彼女がハグしてくれて“あなた(奥村さん)、強いね。来年もまた、会おうね”って言ってくれて。私も勝ってうれしくなっていたもんだから、“うん、会おうね!”と応えた。翌年の世界選手権はイギリスですよ。それで帰りの飛行機で冷静になって“さて困った。彼女に会おうと言っちゃったけど、どうしよう?”。私、嘘つくのがいちばん嫌いなんですね。それでありのままを主人に言うと、“何回でも行け、行かれるうちは行け”と。それでやみつきになっちゃった!(笑)」以来、翌2014年のイギリス大会、2015年のアメリカ世界大会と3大会連続で金メダルを獲得した。2016年のデンマーク大会は、惜しくもメダルを逃す。現地に行く飛行機で、窓際に座ったのが敗因だった。「水分をとるとトイレに行きたくなるでしょ?飛行機で窓際に座ってしまうと、(通路側の人に)いちいち“エクスキューズ・ミー”と言って行かなくちゃならない。どうしようもなくて1度だけ“私、レストルーム(トイレ)に行きたいんだけど”と言うと、通路側に座っていた外国人が“どうぞ、どうぞ”って立ち上がってくれて。それでトイレに行って、出てから自分の席をひょいと見たら、座らないで立って私を待っている。日本人の私としてはそう何回もトイレに行けないでしょ?それで十分な水分がとれなくなって、試合のときに立てなくて、失格になってしまったの!」そんな思いもよらない理由から4連覇を逃してしまったが、雪辱を果たそうと気合十分でいた2017年のアメリカ大会直前の3月、奥村さんの身に予想もしなかったことが襲いかかる。■「奥村さん、あなたまだ先があるでしょ」「私は世界大会に出場する際、人に迷惑をかけたくないと1か月前に必ず全身の検査をするんです。これは毎年、必ずやっています。それで3月に検査をしたら脳梗塞が見つかった。28日に即、入院しました」雪辱を期した世界大会を目の前にしての脳梗塞発見。「そのショックはホント大変でね……。“私の人生はおしまい。死んだと同じだ”と思いましたよ」だが、奥村さんに絶望をもたらした定期検診が救いともなった。早期発見早期治療で手術なし、4種類の点滴による12日間の治療だけで退院することができたからだ。とはいえ、翌4月末に控えた世界大会は、医師から欠場を命じられてしまった。「入院が3月でしたから、世界大会まではまだ20日間ぐらい時間があるわけです。それで医師に“行っていいですか?”と言ったら“ダメ!”と。“私、全部手続きしているんですけど”といっても、“今年はダメ!”。でも、次の言葉に感銘を受けたの。“奥村さん、あなたまだ先があるでしょ”って。90歳近い私に“先があるでしょ”と言ってくださった。うれしかったですねえ……。私、その言葉を聞いたときに、“よう~し、私は不死鳥になろう!”と思った。それで退院してからまた1から始めたんですよ」だが不死鳥になろうという意気込みでいた奥村さんを、さらなる大波が襲う。点滴治療を終え、まだ様子見で入院中の4月3日のことだった。「自宅に何回電話しても夫が出ないんです。2人でいつもしゃべっていたのが入院していなくなってショックだったんでしょうね。先生にそれを言うと、“なにかあったのかもしれない。看護師をつけるから行ってみろ”と。それで看護師さんと家に帰ってみると、夫が寝室でうずくまっていたんです」実は夫の肇さんには大腸がんがあり、5年ほど前から自宅で静養を続けていたのだ。「主人も私も変わり者ですからね。抗がん剤を使うと、痛みや副作用がある。主人は、“お前、考えてごらん。昔は人生50年といっただろう?それ以上はいいよ。俺は幸せだ、80歳まで生きたんだから”って。それで薬も飲んでない。私も、好きなものを食べさせて、免疫力を上げればいいじゃないかと思ってた。主人はうなぎが好きなんですよ。でも輸入品はダメなわけよ。実は私、うなぎは嫌いなんだけど(笑)。国産品は高いけどお金にはかえられないでしょ?好きなものを食べていたからあれだけ元気だったんだろうって、みんなも言ってくれて。運動も一緒にしていたんですよ」■「主人は亡くなってよかったと思う」と言う理由退院後、肇さんは近所のホームに入所したが、亡くなるちょうど1週間前、傍らに奥村さんを呼び、こう言ったという。「“お前と一緒になって幸せだったよ、ありがとう”って。そのあとに“お前は(90歳までベンチプレスを続けるという)目標を持ってやってきたんだから、その目標をケガをしないで達成してくれ”と。まあ90歳は越えましたけど、それを守っているの、私」2017年6月19日、夫・肇さん死去。奥村さんいわく、“文句も言わず仕事に励む職人気質の人”で、決して安くはない世界選手権への参加も快く許したばかりか、参加を後押しし、励まし続けた。13年以上も前に交わした夫との約束を、今も守り続ける奥村さんは、最大の理解者の逝去を、この人らしいカラッとした口調で言う。「ホームには3か月いました。私、主人は亡くなってよかったと思う。それりゃ寂しいですよ。だけどね、今まで(ゴルフや筋トレに)動き回っていた人に寝ていろ、ジッとしていろというのは過酷でしょ?自分のしたいことができないとしたら、かわいそうだと思うの。だから私は(3か月で亡くなってくれて)よかったと思っていますよ」アンチ・ドーピングに関する専門知識を持つ薬剤師・スポーツファーマシストとして、4年ほど前から奥村さんの薬の服用と栄養指導を行っている鹿嶋市のさつき薬局本店の工藤仁一薬剤師(45)が言う。「(ご主人を亡くして)元気がない時期は確かにありましたけど、はたから見ていてすごいなというぐらい、モチベーションの戻しが普通の人とは比べものにならないぐらい早かったですね。これはダンナさんとの“俺のことはいいからやれ”という約束を守っているから。悲しさにかまけている場合じゃない、約束があるんだという思いから来るんだと、僕は理解しています」前出の大谷さんは、もっとも身近に住む人の立場で、この友人の素顔を証言する。「泣いた姿は見なかったけどしょんぼりとしていましたね。泣き顔は決して見せなかった。強い人なんです」肇さんを失い、自身も脳梗塞を患うという逆風の中、2018年南アフリカの世界大会では見事、復活の金メダル。初の日本大会(成田市)だった2019年も優勝し、5個目の金メダルを獲得した。この間、50kgの日本記録と45kgの世界記録。そして非公認ながら、60kgを挙げることに成功している。■1万人近い死者を出した横浜大空襲を経験奥村さんには、競技前にこぶしで胸を3回叩くというルーティンがある。1回目は亡き両親、2回目は肇さんと息子の由多加さん、そして3回目には李コーチや工藤薬剤師など、自分を支えてくれている人への感謝が込められている。何げない所作でありながらその後の競技の優劣を左右する、競技者にとり重要な仕草がルーティンだという。そして、胸を叩くたびに、奥村さんは肇さんからの“俺のことはいいからやれ”という言葉を思い出す。悲しい顔だけが、亡き人への思いを表すものではない。思いの表現は人それぞれ。こうした表し方もまた、あるのだ──。90歳にしてこの元気、この気っ風のよさを誇る奥村さんは、1930年7月7日、七夕の日に生まれ、神奈川県横浜市の観光名所としても名高い外国人墓地のすぐ近くで、母方の祖父祖母と母親のもと育ったという。「勉強なんてしたことない子でしたよ(笑)。男の子と一緒になって木登りしたりね。父は日本ビクターに勤めていてね、今で言うアフター5にピストン堀口(往年の名ボクサー)のジムに行ってました。だから筋肉質の素晴らしい身体をしていて、真っ先に戦争に引っ張られた。ずうーっと戦争でしたから、父と一緒に暮らしていましたけど、父親の愛って私、知らないんですよ」1万人近い死者を出したとされる1945年5月29日の横浜大空襲も経験した。「山手の一段下に家を借りていたんですけど、すごいですよ、下は火事でボウボウ、上からは焼夷弾が降ってくる。そのときに空襲にあって、私の友達が3人ぐらい亡くなっています、機銃掃射で。それにもあわずにこうやって元気に過ごせたというのは感謝ですよ。私は思うんですね、あのときも、神さまが生かしてくれたんだから、命ある限りがんばらなくちゃいけないって。だから私は雨の日は表に出ない。滑って転べばおしまいだから」戦後の1954年には、24歳で山手警察に勤めていた人と1度目の結婚。離婚後の1967年、37歳で神奈川県座間にあったアメリカ陸軍の座間キャンプに職を求めた。「座間キャンプの憲兵隊にいた野口さんという人がいて、“奥村さん、うちで欠員が出たんだけど来ないか?”と言われたんです。私、即座に言いましたよ。“ダメだ”って。だって私の時代は英語を話すと国賊と言われていて、英語の“え”の字もわからなかったんだから」だが野口さんは諦めない。数週間後、またやってきては、こう言って口説いてきたという。「“やってみもしないでできないとはなんだ!?”と。“やってみて、努力してできなかったらできないと言え!”と。私も負けず嫌いだから、その言葉が頭にきた。“よーし、そんなこと言うんならやってやろうじゃないか!”って」■「私に言わせると最高の人」夫との出会い配属されたのは米軍兵たちとじかに接するカウンター。兵士たちから名前や階級、所属などを聞き出し乗っていた車や銃などを登録するのだ。「それを聞きながらタイプを打っていくんです。英語できない、タイプ打てない状態でやるんですから3年、苦労しましたよ。毎晩見る夢は英語でしたね(笑)」奥村さんの何事にも積極的に取り組んでいく姿勢はこのころから変わらない。米兵に話しかけ、嫌でも会話をしなければならない状況に持ち込む。そのときの返答を覚えておき、後日応用することで英語を覚えていった。当時、座間のキャンプは語学の昇給制度があり、合格すると基本給が10~30%も加算された。座間に来て3年後、試験を受けたら見事、合格、基地内事務が英語でこなせるという『グレード3』を取得することができた。「“人間、努力すればできるじゃないか”と思いましたね。このときの経験から私はやってもいないのに“できない”とは言わないようになったんです。とにかく、なんでも積極的にチャレンジしてみることにしました。だから野口さんの“やってみなきゃわからないだろう”という言葉は、その後の私の人生に大きな影響を与えたひと言だったと言えますね」街に『およげ!たいやきくん』が流れ、オリンピック女子体操でコマネチ選手が10点満点の演技を次々と繰り出していた1976年、奥村さん46歳の年、座間キャンプで働いていた奥村さんに、思いがけないことが起こった。「人員整理があったの。もっと(座間での仕事を)やりたかったんですけどねえ……」だが、これが「私に言わせると最高の人。ケンカもしたことない」と言わしめた、夫・肇さんとの出会いを生む。知人が中古自動車の販売工場を始め、人員整理でヒマを持てあましていた奥村さんに“遊んでいるなら、働かないか?”と持ちかけたのだ。中古車の販売には修理は欠かせない。知人の販売工場のすぐ前にあったのが、肇さんが経営していた板金塗装工場だったのだ。「それで向こう(肇さん)が声をかけてきた。1年ぐらいは仕事の話ばかりでしたけど、でもまさか結婚までするとは考えていませんでしたね」以来、前述したとおり、夫唱婦随ならぬ婦唱夫随(?)で、ケンカひとつしたこともないほど仲のよい夫婦としてやってきた。肇さんのリタイア後には、ゴルフ目的で伊豆の宇佐美に転居、仲間を交えてプレーしては、夫婦で楽しんだという。だが、そんな相思相愛のスポーツ好き夫婦にも、人生の荒波は情け容赦なく襲ってくる。■母の認知症と遺骨になった娘1988年、奥村さん58歳のときだった。アメリカ企業『ハワードヒューズ社』に勤務、ドイツに転勤していたもう1人のわが子・由加理さんが急性白血病を発症したのだ。「ドイツから電話があったの。“会いたい”って。それで軍用機で息子が学生として滞在していたアメリカのワシントンの陸軍病院だかに運ばれてきたんだけど、ちょうどそのときに、母が倒れちゃったのよ。“どっちが大事か?”といえば、私としては子どものほうが大事だけど、母だって、私が見なきゃ誰が見るの?今みたいに介護保険とかがなかったし。それでアメリカには行かなかった」そんな事情で娘との最後の対面よりも母親を選ばざるをえなかった奥村さんに、認知症になったキノさんからの言葉が突き刺さる。「相模原の病院に行くでしょ?付き添っている人が“キノさん、娘さんが来たよ”と言うと、母は“私に娘はいない”って。それを聞いてみなさいよ、ショックですよ〜。そんな経験をしてるから、私は認知症にならないようにしている。3か月に1回の検査もしていて昨日も行ってきた」最愛の娘・由加理さんは、学生として現地にいた息子・由多加さんのもと、アメリカで荼毘(だび)に付され、遺骨となって奥村さんと肇さんのもとに帰ってきた。享年33。「泣いたかって?私、泣かなかったですよ。亡くなったものを引き戻せるわけじゃないし。これが命、神さまが運命をそう書いたんだからしょうがないじゃないですか。人生ってそんなもんじゃないですか?なるようにしかならない。だから泣かないですよ、私」気丈にそう語る奥村さん。だが最後に、小声でこうつけ加えたのを確かに聞いた。「まあ、陰では泣いているかもしれないけれど……」さて、11月21~22日に行われる全日本ベンチプレス選手権大会まであと1か月ほど。世界選手権に出場し、6つ目の金メダルを獲得するには、この大会で優勝することが条件だ。パワーリフティングでは100gの体重の増減が記録を左右してしまう。それだけに、奥村さんも健康管理には余念がない。朝は4時半に起床。愛飲のマカダミアナッツコーヒーを淹れて肇さんの遺影に供えたら、ゆっくりと新聞に目を通し、6時半に朝食。昼食は14時にとり、夜は牛乳にお取り寄せで手に入れるハチミツを入れて飲む。内臓を休ませるためだ。工藤薬剤師が言う。「ご飯もグラム単位で量って食べています。年とともに胃も小さくなっていますから、入る量が決まってしまっている。入る量を変えずに効率よく栄養をとらなければいけないからです」■「人生100年時代、私はやる!」節制はするものの、好きなものを楽しむときは楽しむのもまた、奥村流。「お酒、飲みますよ~(笑)。ワインだと1人で1本飲んじゃうの。1人で飲みながら、“あの人、どうしているかなあ。楽しかったなあ”って。走馬燈のようにストーリーが浮かんでくるの(笑)」トレーニング方法も前述どおり、“やるときはやる”週に2日の集中型。前出・李コーチによれば、奥村さんの最近のトレーニングは、こんな具合だ。「試合の直前なので、試合の練習に切り替わっています。試合が近づくとテクニック的なことも忘れずにやってほしいので、今は主にベンチプレス中心です。それだとすぐにほかの部位が衰えますので、補助的にマシントレーニングをしている感じです」ケガをしないことを第一に、練習は試合前もそうでないときも週2回と李コーチ。世界記録は魅力だが、年齢を考えれば、無理な練習で身体をこわしてはなにもならないからだ。工藤薬剤師がこんなふうに言う。「私は奥村さんは世界記録を伸ばしていける人だと思っています。45kgの世界記録を持っていて、1~2年前までは60kgが挙がっていたんですから。でも、周りの方々からは(奥村さんは)ウエイトリフターとして生きた世界記録ですから、“あんたは1日でも長くやることが大事だ”と言われる。そうすると無理しないわけです。でも世界記録を出すには、無理をしないわけにはいかない。だから奥村さんが“よし、やってやる!”と思えば世界記録が挙がると思いますし、モチベーションのシフトを“1日でも長くやり続ける”にすれば、そちらになると思います。(世界記録実現は)その兼ね合いですね」当の奥村さんはといえば、「昨日も私の応援団長が“今度はどれくらいを狙うの?”って聞くから、私が“(コロナで練習していないから)40kgがやっとですね”と言うと、“そんなことでどうする!42・5kgを狙え”って。だから私、“はいっ!”って(笑)」と力みがない。本来、こうした取材を受けるのは本意ではなく、当初は嫌がっていたと工藤薬剤師。だが今は、自分がメディアに出ることで高齢者の励みになりたいと願っている。「私より10も20も年下の人が、杖をついて病院通いをして……。私、思うのよ、年をとるのは避けられないけど、“気持ちまで年をとる必要はない!”って」アスリート・奥村正子90歳。気持ちはおそらく、われわれの誰より若い。その気持ちで、今年の世界選手権も、世界の頂点・金メダルを狙う──!取材・文/千羽ひとみせんば・ひとみライター。神奈川県出身。企業広告のコピーライティング出身で、ドキュメントから料理関係、実用まで幅広い分野を手がける。著書に『ダイバーシティとマーケティング』『幸せ企業のひみつ』(ともに共著)
2020年11月01日2020年もだんだんと終わりが見えてくるなか、ラストスパートをかけるべく、新たな決意を固めている人もいるのでは?そんなときにオススメの映画といえば、実話を基にした感動作『キーパー ある兵士の奇跡』。そこで、こちらの方に本作についてお話をうかがってきました。主演のデヴィッド・クロスさん!【映画、ときどき私】 vol. 332『愛を読むひと』などで知られるドイツの実力派俳優デヴィッドさんが本作で演じたのは、実在の人物であるバート・トラウトマン。第二次世界大戦中に捕虜としてイギリスの収容所へ送り込まれたナチス兵士の青年がサッカーのゴールキーパーとして活躍し、イギリスとドイツを結ぶ平和の架け橋となる姿を描いています。今回は、演じるうえで学んだことや苦労などについて、語っていただきました。―もともと、バート・トラウトマンについてはご存じでしたか?デヴィッドさん僕はサッカーファンであるにもかかわらず、彼については名前すら知りませんでした。だから、彼の信じられないような物語を監督から聞いたとき、「えっ!?それ、作り話じゃないの?」と言ってしまったくらい。本当に驚きましたが、同時に「映画にすごくぴったりな題材だなぁ」というふうにも感じたのが最初の印象です。彼は“平和の大使”のような役割も果たしているので、映画によって当時起きたことをみんなに思い出してもらう、あるいは知ってほしいと思いました。いかにキャラクターの真実に迫れるかが挑戦だった―演じるなかで、トラウトマンをどのような人物像としてとらえましたか?デヴィッドさん彼はもともとナチス・ドイツで若い頃を過ごしたのち、ナチスの青少年組織であるヒトラーユーゲントに入り、そういったイデオロギーというものを刻み付けられて兵士になった人物。でも、自分が犯罪に加担している政権の一部なんだということに気がついて、それに向き合っていくわけですよね。戦争捕虜となった英国で新しい家と家族を見つけても、彼はずっとその罪悪感を抱えて過ごしていたんです。最終的にそれはユダヤ人コミュニティの代表者が「一国の罪を人に背負わせてはいけない」と言うまで続いたわけですが、1956年のFAカップの決勝では首を骨折しているにもかかわらずプレイし続け、彼はサッカーのヒーローに。無意識だったとは思うけれど、2つの国をつなぐような役目を果たした人物だと思いました。―今回の役を演じるうえで、難しかったことがあれば教えてください。デヴィッドさんキャラクターとして、成長していくところをいかに見せるのか、というところがひとつの挑戦でした。もちろん、リアリティに寄り添ってはいきたいけれど、当然ドラマ的に作っているところもありましたから。たとえばマーガレットのために、いきなり試合中に踊り出すところとか、あれは本当にあったわけではないですよ(笑)。そんなふうにバランスをとりながら、いかにキャラクターの真実に迫れるか、というところがひとつのチャレンジではありました。あと、短い時間しか映し出されていませんが、しっかりと見せたいと思ったのは、ヒトラーユーゲントの一員となり、兵士に志願して戦争に赴いたときの彼の姿。その後、彼が自身の抱えるトラウマとどのように向き合ったのか。個人としても、国としても大きな罪悪感や葛藤を抱えているなかで、つねにそれが彼の脳裏にあり続けていましたから。楽しい瞬間でさえも、どこかそれが脳裏にあるということを感じさせることは苦労したところでもありました。偏見を持たずに個人を見ることの大切さを学んだ―そんな彼の生き方から、現代の私たちが学ぶべきところがあるとすれば、どんなことだと思いますか?デヴィッドさんまず、「スポーツにはすごい力がある」ということ。“インテグレーション”と呼ばれるいろいろな国をひとつに融合するような力があることを学べるんじゃないかな。これは、チームのキャプテンが控え室で「ここには戦争はない」という言葉からも伝わってくると思います。いろいろと抗議は受けたけれど、「スポーツを通してみんなひとつになるんだ」「チームスピリットが大事なんだ」という訴えが政治的な違いを乗り越え、強さに繋がっていったと感じました。スポーツにはそういう力があるということを彼から学べるのではないかなと。―確かに、改めてスポーツの持つ力を目の当たりにしました。デヴィッドさんあとは、人を見たときに、その人個人と向き合うことの大切さですね。お互いを分け隔てようとする人がいるかもしれないけれども、そういったものに引っ張られずに、しっかりと個人を見つめること。そして偏見を持って人を見てはいけないということも、学べるのではないかと思います。愛を見つけていく姿は感動的だった―いまの時代にも通じるところですね。では、想像を絶する誹謗中傷を浴びるトラウトマンを支えていたものは何だと感じましたか?デヴィッドさんそれは、妻のマーガレットの存在だと思います。彼女は彼のために立ち上がり、そして彼のために戦う女性でしたから。この映画では、そういった彼女の姿もしっかり描かれているので、ぜひ見てほしいところです。彼女がどんなことを経験して、どんなふうにそれと向き合い、どんなふうに彼と歩んでいったのか。そもそも敵だとみなされていた人とともに生きるなかで、いろいろと葛藤があったはずですからね。そんななかでも立ち上がる姿を通して、人というものをカテゴリーとかで判断するのではなく、その人自身をしっかりと見つめていこうとする気持ちが伝わってくると思います。―では、マーガレットの女性としての魅力をどのようなところに感じましたか?デヴィッドさん彼女の魅力は、強いところ。自分が信じているものからブレない女性ですよね。トラウトマンの人生において、彼女はすごく重要な一部分だったと感じました。捕虜になったあと、ドイツに戻らずにイギリスに残り続けるというのは、彼の人生においてもすごく大きな決断だったと思いますから。彼らは戦争による違うトラウマをお互いに抱えていたので、最初は話すことも通じ合うこともなかったですが、それが少しずつオープンになっていき、2人の間に愛を見つけていく。その姿はすごく感動的でした。デヴィッドさんにとってのヒーローとは?―素敵な瞬間ですよね。本作ではナチス兵がイギリスの“国民的ヒーロー”となっていく様子が描かれていますが、デヴィッドさんにとってのヒーローは誰ですか?デヴィッドさんいっぱいいるからなぁ。もう引退してしまったので今後映画に出演するかわからないけれど、役者だったらダニエル・デイ=ルイスかな。あとは、小さかったころは僕の兄がヒーローでした。つねに兄のあとを追いかけ、つねに一緒にいたいと思っていたような弟でしたから(笑)。―それでは最後に、日本のファンに向けてメッセージをお願いします。デヴィッドさんこの作品は、サッカーのシーンがあるのでスポーツ映画としても観れますが、ユーモアがあって、ドラマチックな瞬間があって、わくわくできるプレーは、サッカーファンじゃなくてもきっと楽しんでもらえるんじゃないかなと思っています。トラウトマンが当時のイギリスでも一番大きなチームのゴールキーパーになり、サッカーのヒーローになっていくまでの道のりを考えると、すごく大きな変遷のある物語ですよね。そのあたりも映画的にとても面白いところですし、あとは何と言ってもラブストーリーの部分にも共感してもらえるのではないかなと期待しています。憎しみも愛に変えることができる!どんな逆境のなかでも、信念を貫き続けることの大切さを教えてくれる本作。環境や社会的状況など、自分ではどうにもならないことに対する悩みを抱えることもあるけれど、後ろ向きになりそうなときこそ、トラウトマンの生き方と愛の持つが強さが私たちの背中を押してくれるはずです。ストーリー第二次世界大戦中、ナチスの兵士として戦っていたバート・トラウトマンは、連合国軍の捕虜となり、イギリスのランカシャー収容所に送り込まれていた。終戦を迎えてもすぐには帰国できず、過酷な労働に従事していたドイツの兵士たち。そんななか、地元のサッカーチームの監督であるジャックにゴールキーパーとしての才能を見出されたトラウトマンは、無理やり試合に出場されられることとなる。ところが、ジャックの娘であるマーガレットは大反対し、トラウトマンに敵意をぶつけるのだった……。気持ちが高ぶる予告編はこちら!作品情報『キーパー ある兵士の奇跡』10月23日(金)新宿ピカデリーほか全国公開配給:松竹Photo by Jeanne Degraa©2018 Lieblingsfilm & Zephyr Films Trautmann
2020年10月21日イギリスで捕虜となったナチス兵がゴールキーパーとして活躍し、やがてイギリスとドイツの架け橋となった実話を基にした『キーパー ある兵士の奇跡』から、本編映像が届いた。解禁された本編映像は、収容所でサッカーをしていたところ、地元チームの監督ジャック(ジョン・ヘンショウ)にキーパーとしてスカウトされたバート・トラウトマン(デヴィッド・クロス)が、ジャックが営む食料品店で妻となるマーガレット(フレイア・メーバー)と惹かれあうシーン。かごから逃げ出し、店内を飛び回る小鳥を捕まえようと手を伸ばす2人。次第に距離が縮まると、小鳥を追う真剣な横顔をそれぞれ見つめ、互いに意識し合っている様子が伝わってくる。そして、バートがそっと小鳥を捕まえると、息を飲んだマーガレットが即座に鳥かごの扉を開け、息の合った連係プレーを見せる。鳥かごに小鳥を戻した2人はようやく安堵して笑い、笑顔で見つめ合うのだが、そこにジャックが外から「トラウトマン、どこだ?」と声を掛ける。慌てて店の外に出ようとするバートだったが、扉の前でマーガレットの方を振り向くと、マーガレットもそんなバートの姿を見つめており、この後の2人の展開を予感させるシーンとなっている。『キーパー ある兵士の奇跡』は10月23日(金)より新宿ピカデリーほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:キーパーある兵士の奇跡 2020年10月23日 新宿ピカデリーほか全国公開ⓒ2018 Lieblingsfilm & Zephyr Films Trautmann
2020年10月08日スウォッチグループジャパン株式会社スウォッチ事業本部はイギリスのアーティストデュオ、ジョアン・タタムとトム・オサリバンによるアートウォッチを全国のスウォッチストアおよびオンラインストアにて販売を開始いたしました。高さ7.2メートルの猫。レインボーカラーの顔。ネス湖の怪物。帽子のような角のある野獣。イギリスのアーティストデュオ、ジョアン・タタム (Joanne Tatham) とトム・オサリバン (Tom O’ Sullivan) は、25年にわたりコンテンポラリーアートを探求してきました。パフォーマンス、写真、文芸だけでなく、巨大な彫刻、絵画、建築による挑発的で何かを問いかけるような作品は、場所に宿り、その周囲を賑やかにさせます。そして観る人を不思議な世界へ連れて行ってくれます。タタムとオサリバンは、どちらもスコットランドのグラスゴー美術学校を卒業し、世界最大規模の野外フェスであるコーチェラ・ヴァレー・ミュージック・アンド・アーツ・フェスティバルやヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展でのエキシビションなど、世界的に活躍しています。今、彼らの作品がスウォッチに到着しました。チェシャ猫のヒゲとネス湖の伝説が時間を伝えます!これら4種類のユーモアなタッチで描かれた限定コレクションは、手首に着けるアートピースです。そのうち、”INDIRECT EXCHANGE”, “SERIOUS ACTION”, “NECESSARY FOCUS”の3つは、色・パターン・シェイプがユニークさを際立たせています。さらに、シリアル番号付きのスペシャルな”DOES THE IT TICK”は、驚いた顔で時刻を知らせてくれます。彼らはつねに周囲を元気にし続けるのです。DOES THE IT TICK専用スペシャルボックスDOES THE IT TICK SUOZ324S 1万3,200円(税込)INDIRECT EXCHANGE SUOZ323 1万450円(税込)SERIOUS ACTION GZ342 9,350円(税込)NECESSARY FOCUS GZ341 9,350円(税込)【URL】 スウォッチ 公式オンラインストア: スウォッチ Instagram: スウォッチ LINE: 企業プレスリリース詳細へ本記事に掲載しているプレスリリースは、株式会社PR TIMESから提供を受けた企業等のプレスリリースを原文のまま掲載しています。FASHION HEADLINEが、掲載している製品やサービスを推奨したり、プレスリリースの内容を保証したりするものではございません。掲載内容に関するお問い合わせは、株式会社PR TIMES()まで直接ご連絡ください。
2020年08月14日