里帰り出産をした私は、長男を出産し退院後すぐに実家で数週間過ごすことに。私は実家の1階にある和室で長男と寝泊まりしていたのですが、真夜中に不思議な体験をすることになったのです。 育児で寝不足だった私の恐怖体験当時、数時間ごとに泣いてしまう長男のお世話に奮闘していた私は、疲れと眠気でクタクタでした。夜中は2〜3時間ごとに泣く長男に授乳と寝かしつけをするため、寝不足な毎日を送っていた私。 ある日の深夜、長男の授乳を終えて寝かしつけをしていた私は、眠気で頭がぼんやりとしていました。すると背後から誰かが部屋をのぞいているような気配を感じたのです。そしてその視線が少しずつ近づいてくるような気がして、私はハッとして後ろを振り向きました。しかし、そこには誰もいなかったのです。さらに別の日には、夜中、私が寝ているときに金縛りになり、誰かに足を引っ張られ引きずられるような感覚に襲われました。このときは力が入らず、そのまま少し時間が過ぎると自然にこの感覚は解けていったのです。私は実家の家族にこれらの体験を話しましたが、心当たりはないようで不思議そうな顔をしていました。普段、まったく霊感のない自分が、続けてこのような体験をしたことに私自身驚いたのでした。 里帰りを終えて自宅に帰ってからは、このような体験をすることは一切なくなりました。出産や育児の疲れが原因だったのか……、真夜中に視線を感じたり金縛りにあったりした理由は今考えてみてもわかりません。ただ、私は怖がりな性格にもかかわらず、当時の体験をあまり怖いと感じなかったのです。それは私が育児に夢中で必死だったため怖がっている余裕もなく、不思議な体験をしたときも長男が一緒だったからだと思います。 著者:水沢 雫イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2024年02月16日え、どうして…?男性が私だけでなく“他の女性”ともデートする理由あなたは、気になる男性が他の女性とデートをしていた事実を知ると、ショックを受け混乱するでしょう。なぜ一途に自分だけを見てくれないのか、と複雑な感情になるかもしれません。ですが、それには、男性ならではの理由が隠されている場合があります。今回は、男性がさまざまな女性とデートする背後にある動機を紹介しましょう。女性との交流に慣れるため「僕は男子校出身で、大学が初めての共学。女性への適応能力に欠けているから、たくさんの女性とデートして、女性に慣れることが目標です」(23歳/男性)女性への免疫がまったくない男性にとって、多くの女性とデートをすることは、リハビリテーションのようなもの。女性に馴染みがないだけに、このタイプの男性は見分けがつきやすいでしょう。自分にぴったりな女性を探すため「服を選ぶことと同じ。一つのアイテムだけを見て選ぶのではなく、多種多様な品をチェックし、いくつかのお店を回り、一番いいものを選びますよね。理想を見つけるためにはいろいろ比べる必要があると思います」 (25歳/男性)最初はいいと思ったものが、後から見たほうがよかったなんてこともありますよね。この手の男性は購入前に複数の可能性を比較し、最良の選択をするという感覚なのでしょう。女性を嫉妬させるため「僕は女性に対して高慢になることがあるのです。そこで他の女性とデートをして、わざと嫉妬させることにしています」 (28歳/男性)彼らは女性を嫉妬させることで、自分に対する感情を掻き立てるのでしょう。これこそが、恋愛の駆け引きなのでしょう。このタイプの男性のリズムに巻き込まれたくはないですよね。女性経験が豊富なタイプには、注意が必要かもしれません。頼られると気分がよくなるため「女友達が多く、よく僕に相談をしてきます。なので、よく二人で夕食に出かけます。信頼されるって嬉しいので」 (31歳/男性)男性は、女性に囲まれ、頼られるのには心地よさを感じることもあります。ですが、、依存性が強く、断ることが苦手な性格の人もいます。このタイプの男性は必ずしも悪い人ではありませんが、ナルシストであったり優柔不断であったりする可能性もあるので注意が必要です。人それぞれ本心が隠されている気になる彼が他の女性とデートしている事実は、あなたにとって不愉快かもしれません。ですが、まだ付き合っていないのなら、それは浮気ではないため、止めることはできません。女性としては、そのような男性が自分にとって適した人物なのか見定める段階であると判断するとよいでしょう。(愛カツ編集部)
2024年02月14日私はフリーのウェブデザイナーをしており、自宅で働いています。同い年の夫と結婚したのですが、結婚してすぐに夫が「仕事を辞めた」と突然退職し、以来、生活費は私が全額負担。それにもかかわらず、家事もほとんどしてくれません。締め切りに追われ、寝る時間を削って仕事をする私に、夫は「朝食はまだ?」と平然と話しかけてきます。そんな夫には怒りを通り越して、呆れる毎日です。 夫の真の顔を知らない義母ある日、急に仕事部屋の外から掃除機をかけている音が聞こえてきました。珍しく夫が家事をしていると思ったら、インターホンが鳴りました。玄関には義母の姿が。 私を見るなり、義母は「また息子に家事をさせて! あなたは息子のお金で、ずっと家でダラダラしているんでしょ!?」と私を責めてきました。実は、夫が無職である事実を義母は知らず、義母が訪問するときだけ夫が家事をするふりをします。 「息子に寄生するニートは不要!」と言われ義母には「家事は分担することになっているんです。私も仕事しているんで」と伝えても、少しも理解してくれません。そして一通り私に嫌味を言ったあと、2人は嬉しそうに外食へ行ってしまいました。 そしてまた次の週末、義母は家に突撃してきて「息子に寄生する嫁なんて不要よ!」「息子も、あなたみたいに金遣いの荒い嫁は嫌だって言ってるわ! あなたが出て行けば、私はここで息子と暮らせるのよ!」と言ってきました。 夫は私の知らないところで義母に悪口を言っていた様子。もう、我慢の限界です。 家を出た私がやったこと私は「わかりました。それなら、出ていきますね」と言い、準備しておいた記入済みの離婚届を渡しました。夫は思わぬ展開に焦っていた様子でしたが、義母に「早く書いちゃいなさいよ!」と言われ、その場で記入してもらいました。 そして荷物をまとめて家を出た私は、家賃や光熱費、夫のスマホ代など、私が支払っていた費用の支払いをすべて停止しました。私が稼いだ分の銀行預金をすべて引き出し、海外のリゾート地へ脱出。 妻に見放された夫の末路その後、義母から「カードが使えないんだけど、どういうこと!?」「電気・ガス・水道が止まったんだけど!?」と連絡の嵐。私は電話で、夫がずっと仕事をしていない事実と、生活費をすべて私が負担していたことを説明しました。広い家で息子と悠々自適な生活が送れると思っていた義母は、ショックを受けた様子。 私が家を出てから、会社に行くフリをして公園で時間をつぶしていた夫は、義母に詰め寄られてすべてを白状したそうですが、今さら私が戻るはずもありません。賃貸住宅の家賃の支払いができず、古くて狭いアパートに引っ越すことになったそうです。 その後、夫とは離婚が成立。今回の出来事を通じて、自分で自分を守るために、不当な扱いを受けた場合には断固として立ち向かうことが大切だと学びました。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年02月14日「私のこと嫌いになった…?」男性が“興味のない女性”に送るLINEの特徴男性は、心から惹かれている相手とそうでない相手に対してLINEのメッセージの内容が変わることが多いです。今回は「まったく興味がないことを示すLINEメッセージ」を紹介します。[nextpage title="v0W0f00f…"]若者言葉と短縮形が多い「りょ」「それな」「わかりみ」「よき」など。彼のメッセージに使われている言葉は若者言葉や短縮形ばかりではないですか?男性は、好意のある女性に対するLINEでは時間をかけ、丁寧な表現をすることが一般的です。彼のメッセージが若者言葉や短縮形ばかりである場合、少なくとも男性の中では「いつでも既読スルーされてもOK」という意識があるかもしれません。「返信を忘れてた」の言い訳「返事を忘れてた」「ごめん寝てた」など彼の言葉に適当さを感じたことはありませんか?本当に好きな人に対しては、たとえ忙しくてもすぐに返信する努力をし、遅れたとしても「遅くなって本当にごめん」と誠意を持って謝罪します。そのような誠意が感じられないならば、あなたは彼にとって特別な存在でない可能性も考えられます。[nextpage title="0j0W0n 2024年02月13日
私は不妊治療で、やっと1人息子を授かることができました。心無いひと言にショック母は4人をほぼワンオペで育て上げた自負が凄くて、私が育児が大変で体がボロボロだと話したときに「あなたがやってることなんておむつ替えてミルクあげるだけのおままごとと一緒よ。本当の子育ての大変さは反抗期やきょうだいのスケジュールが埋め尽くされたときとかよ!」と言われ、すごく悲しくなりました。 「そうだね」と寄り添ってほしかっただけなのに、価値観が違うなぁと付き合う距離をしばらく置こうと思った出来事でした。 作画/さくら著者:かたやまよしこ
2024年02月12日赤ちゃんのお世話と家事で、毎日てんてこ舞いの私。夫は協力してくれず、ワンオペの私は心身ともに疲弊しています。私が出産してから夫は飲み会が多くなり、朝帰りや外泊をするようになりました。なかなか寝てくれない娘に、私はすっかり参っていて……。夫も泣き声を聞いていると頭痛がすると、ぶつくさ言っていました。 私と娘が発熱したときは、風邪をうつされたくないと数日帰宅せず……。すこし夫に娘を見てもらい、私も横になりたかったのですが、その願いは叶いませんでした。 出産後から夫の態度が豹変当たり前ですが、娘は夫と私の子どもです。それなのに、夫は親としての責任を果たそうとしません。 協力してほしいとお願いしても、自分は無職の私と違って苦労が多いんだと威張ってきます。家事なんて誰でもできるのに、手伝えとは何事だと怒り出す始末で。挙げ句、私のことを寄生虫だと侮辱してきました。 あんまりな夫の態度に最初は落ち込んでいましたが、だんだん腹が立ってきました。日に日にひどくなる夫の言動に我慢できなくなり、行動を起こすことに。 ある日、私の携帯電話から夫に連絡を入れました。すると、速攻怒りの返信が届きました。「飲むのやめて帰ってこい?」「寄生虫の分際で何様だ?」夫の暴言は続きます。子どもと一緒に路頭に迷いたくなかったら俺に指図するな、立場をわきまえろ、ですって……。 「本当にひどいな。お前もう会社来なくていいよ」「は? 急になんだお前」やりとりしている相手が妻ではないことに、いつになったら気づくのでしょう。じつはこの返信、夫の上司が書いたものでした。やっと気づいた夫は、しどろもどろになりながら言い訳を並べましたが、すでに夫の素顔はバレており……。今さら繕っても遅いのです。 社内での夫の評価は…!?夫の上司の連絡先ですが、以前に私たち夫婦と上司で食事をした際に名刺をいただき、それを見て連絡を入れました。 妻の私をバカにして家族を大切にしない態度もそうですが、夫の会社での態度もあきれたものだったようです。部下に仕事を押し付け、自分は定時に上がってスナックやキャバクラで遊んでいたというのですから目も当てられません。 部内で1、2を争うトップ成績を誇っていた夫ですが、今回のことで上司からの評価はガタ落ち。なんだかスカッとしました。 そして私の気持ちも固まり、夫との離婚を決意。離婚届へのサインと養育費の支払いを要求しました。 新生活をスタートさせて…結局、寄生虫だったのは元夫のほうだったように思います。妻である私に家事も育児も押し付け、会社では部下たちに仕事を押し付けて……。自分はおいしいとこどりばかりをしていたのですから。 離婚してからも元夫は私へ復縁を求めてきました。私は再婚がそろそろ決まりそうだったので、丁寧にお断り。その事実が堪えたのか小さな声で私に謝罪をし、その後は連絡がこなくなりました。 私は今、やさしい夫とかわいい娘と穏やかで幸せな毎日を送っています。 ◇ ◇ ◇ 生まれたばかりの自分の子をかわいがる様子もなく、元夫の行動は理解に苦しみますが……。最後に謝ったということは、何か感じたことがあったのでしょうか。後悔することのないよう、振る舞いには気をつけたいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年02月12日私は小学校に勤務しており、妊娠したことを大々的に生徒たちには伝えていませんでした。まさかの発言に妊娠7〜8カ月ごろになっておなかが目立ってきたときに、1年生の生徒たちから「先生太ったね〜」「先生おなかにガス溜まってるの?」と言われました。 1年生ならではの素直で率直な意見にそんなこと言う!?と思いながら、笑ってしまいました。 その後、赤ちゃんがいるんだよ!と伝えたら、毎日おなかを触ってくれるようになりました。 作画/さくら著者:萩原楓
2024年02月12日ランウェイと私のリズム服は社会と全裸の境界だ。まとっている時点でつねにすでに、自分のあり方を否が応でも示す。「食事に興味ないから」と食べている納豆ご飯だってその人の感性/人生観と状況を反映しているみたいに、ノンポリだって1つのポリシーだ。多くの人は全裸で生きないし、全裸で生きていてもそれはそれで何かを示している。ただ自由にあるだけのつもりでも、社会から遊離できない。着る。布という平面を人という曲面がまとう。そのために、リズミカルに凹凸が作られる。たとえばISSEY MIYAKEのプリーツ。『PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE プリーツが奏でる、秋のリズム』 SPURのキャプチャ服の側が体に合わせる。人は自分に合うリズムを得たとき、躍動する。ランウェイ形式ではなく、パフォーマンス主体の当該ブランドのショーは、 服をまとうことの喜びを軽やかに示す。裏を返せば、人は自分を表せるもの(自分に似合う/合うと思えるもの)がないとき、しばしば周りや社会に対するあり方が固着してしまう。そして、素朴な適応や反社会性を示してしまう。たとえば、アパレル店員に、「俺はスーツが似合うよう筋トレを始めたんだ。スーツはマッチョが似合うものだからね。あとネクタイって元々男性器が由来って説もあるんだ。これで君も綺麗に締めたくなったでしょう?」とマンスプレイニングされたことがある(私はネクタイをすぐ売った)。そのようなスーツないしスーツ観、ひいては男性性…それらを再生産するんじゃなく脱構築する方をすればいいのに。合わせるのではなく、あるいは合わないから耐えるのではなく、規範の方を変えればいいのに。社会や美の基準に合わせて目を二重にして褒められるような競争は、もういやだ(afterでメガネを外していないビフォーアフター動画があっただろうか)。別の例を挙げよう。「#KuToo」で前景化した、職場におけるハイヒールおよびパンプスの強制という問題。①女性だけに、②健康を損なう物が、③強いられている、という3点の問題性だろうと思う。この問題に際し、「より健康を損なわないパンプス・ハイヒールを」と、各メーカー・事業者が工夫していた。もちろん餅は餅屋だからそれはそれだが、あくまで弥縫策であり根本的ではないだろう。対応ではあれ、アクションではない。一方、そもそも①〜③の状況がひどい(理不尽であることはもとより、差別である)ため、それ自体を転覆しようというのがKuTooひいては、声を上げるということだ。また、最近、接客業における服装規定の自由化が相次いで耳目を集めてもいる。アクション。中がスニーカーみたいにクッション性高い革靴や、ストレッチ性に富んだテクスチャーのパンプスや、夏でもすごく軽いジャケットをつくる。そこまでして、よりスマートな適応と再生産に勤しまなくていいのに。そこまでしてハイヒール、パンプス、スーツで儲けようとしなくても、そこまでしてお互いに強い合わなくても...。一人ひとりがやめればいいのに(その“一人ひとり”の和がみんななんだから)。「スーツは考えなくていいから楽」という心持ちで率先してユニフォームを着続けるより、着やすいスーツを大真面目に試行錯誤するより、やることがあるだろう。ルールの中での抵抗をしても、それはひっきょう小器用な適応だ。一方、ルールの転覆こそが表現だ。前者はモダンな態度であり、全くモードではない。たとえば、「どんな服着るの?」「メンズレディース問わず好きなのを着ます」「たしかに、今の時代ならいいもんね。ジャケットとかシャツならボタンが逆になるからあれだけど、そうじゃなければ全然いいと思うよ」。という会話を、アパレル企業の重役が新入社員にしているのを見たことがあるが、それは自らのアナクロさを逆説的に開陳しているにすぎない。保守性への固執が、却って前景化している。フォンタナの「空間概念 期待」という作品(作品群)がある。とても大きな赤の地に裂け目が入っている。この作品を不意に美術館で観た。全く知らない作品だったが、なんて美しいんだと思った。これこそがコンテンポラリーだと思った(モダンではなく)。私は、身も蓋もないということこそが、現代的であるということだと思う。200m走を見て「自転車に乗ればいいのに」と思うことこそ現代的であり、実際に自転車を持ってきてトラックを駆け抜けてみてしまってもいいというのが現代という場だ。クラシック音楽のステージに卓球台を持ってきて演奏中に卓球していいのが現代音楽であるように。フォンタナのこの作品は、アートフォームの中の「こういうもんだ」を切り裂いている。そして、その裂け目が「期待」なんだと思った。だからそこには、現代的でありながら、シニシズムを越えるポジティブさがある。明るい。絵画の多くは、平面の紙の上で図と地とが繰り広げられる。けど当該作品は、紙という平面の向こうに図がある(という期待がある)。「鑑賞者が今いる場所」と「紙の向こう(ここにはない図)」との往還を、鑑賞者に促す。空間概念の転覆。定義権の取り返し。ルールの転覆をするファッション。今夏、COMME des GARCONSの展示会がやっていた。そして、それに関する動画が上がっていた。Yohji Yamamotoとギャルソンが黒の革命を行い、黒色がモードとして(自らの手によって)定番化した。そしてその後、第2の黒として赤を提示したとのことだった。モードは定番化した時点でつねにすでにモードではないのだ。「それがモード」ってなった"その瞬間"に、それはモードじゃなくなる。いかに黒を着ないかというパフォーマティブな試みが、モードなのだろう(どれだけ着ないかということではなく、どのように着ないか)。かつての黒が、次々に別の色になっていく。第3の黒、第4の黒、第5...。そのとき、これまでの「黒」が否定されることなく、「黒の増加」であってほしいなと思う。既存の規範をまとうことから離れてみて、新しい規範を作って選択肢を増やすこと。それこそが美しい営みだと思う。そのように、新たな価値観を積極的に作る必要があるのだ。たとえばzipperが復刊したときのインタビューからは、カッコ悪くて古いものを軽やかに唾棄し、ただ自分らしく明るくいるふるまいがいかに大切か見てとれる。向社会的でも反社会的でもなく、非社会的な態度。規範からの遊離。何かに対する私ではなく、別にただ私がいるだけ。そのように冷静にただ自分らしくある態度こそが、誰かのためになるだろう。ただあなたの横にいるだけ。誰にでも定義権がある中学の音楽の授業で、ピアノの音楽を2曲聴いた。どっちが暗くてどっちが明るく聴こえますか、ということだった。前者はマイナーコードなので暗くて、後者はメジャーコードなので明るく聴こえますね、とのことだった。でもそれは同語反復だと思った。マイナーコードだから暗く感じてメジャーコードだから明るく感じるんじゃなくて、「マイナーコードだから暗く感じてメジャーコードだから明るく感じる」という説明をするから、そう感じるのではないか。つながりを逆にした説明/教育が数十年続いていたら、マイナーコードの方を明るく、メジャーコードの方を暗く感じるだろう。感性なんて簡単に構築される。シャンプー「エッセンシャル」のCMで、「かわいいは作れる!」というものがあった。もちろんこのコピーは、「今あるかわいい像に誰でも近づける!」という意味合いなのだと思う。けど、つい、構築主義的に文字通りに誤読をしてしまう。「かわいい」は作れる。かわいいという概念や価値観は作れる。感性なんて簡単に構築できる。たとえば昔、私は、おちょぼ口と丸顔、あと奥二重ーーそういう私の顔を我ながら好きだった。似てる有名人を見てみたくて、わくわくしてググる。検索窓のサジェストに、おちょぼ口、スペース「気持ち悪い」「ブス」。好きだった私の顔。私のまなざしがゆらぐ。丸顔を入力すれば、丸顔をカバーする髪型を勧める記事。どうやら欠点。こうして、一人ひとりがもってた素朴な自分へのまなざしが、第三者視点という膜に覆われる。第三者視点が後頭部から刺さって私のまなざしを貫いて、その視座で私は私を、そして他者を見る。ひずんだ認知の奥二重で誰かをみる(たぶんこの奥二重はまだ短所じゃない)。こうして「何がかわいいか」が作られる。かわいいは作れる。「かわいいは作れる」には、①「社会的な美の基準にあなたでも則れる」という本来の意味と、②「社会的な美の基準はあなたでも乗っ取れる」という誤読の意味とがあるのだと思う。また、垢抜けとは往々にして、「社会的な美の基準に則れている」ことを指すことが多い。それっぽい風体へと社会化するのが垢抜け。上の①に対応するもの。一方、「社会的な美の基準という垢をはらう」ということこそが本当の垢抜けであると思う。規範という垢を剥がして個性化する、という垢抜け。上の②に対応する。①は小器用な適応、②は抵抗だ。よくみる垢抜け動画は、往々にして前者だと思う。垢の再生産。垢抜け前で掛けていた眼鏡は垢抜け後に必ず外れていて、垢抜け前に生えていた「ムダ毛」は垢抜け後になくなる。メガネとその毛は、垢とされたまま。でも、それらを垢と定義する規範(ただの毛をムダ毛とするまなざし)こそが垢なのだ。その垢を取り払う、そんなの垢じゃないよと再定義するのが、垢抜けではないか。たとえば、カーニバルのようなサヴェージのショーは、 美の概念を覆すことの喜びを軽やかに示すものだった。社会化から個性化へDIESELが、グレンを起用してY2K的なアイテムが増え、Z世代に対するリブランディングに成功している。以下のようなことを具体化するために、もともとレディースのデザイナーだったグレンを起用し「ジェンダーレスなイメージ」によるリブランディングに着手したとのことだった。“「alternative for Luxury」という世界観を目指しています。これは“ラグジュアリーブランドに取って代わるような、その先にあるもの”みたいな概念です。”(『人気再熱のDIESELが見つけたZ世代のスイートスポットとは』, Forbesより引用)“マーケットが飽和状態になっています。ですので、今一度DIESELの精神性や世界観を発信していくフェーズに入っていました。つまり多様性、感受性、革新性といった概念を、DIESELのアイテムやDIESELが発信するコンテンツで体験してもらって、お客さま一人ひとりの人生をより豊かなものにしてもらいたい、ということです。そのため、こうした概念をわかりやすくお客さまに伝えるためのアクションをずっと考えてきました。”(『人気再熱のDIESELが見つけたZ世代のスイートスポットとは』, Forbesより引用)上記のインタビューでは、「Y2Kなデザインであるというデザイン性だけでなく、昔から出しているブランドメッセージが若い世代の帰属意識にハマった」という風に、DIESEL人気再燃の理由が述べられている。初回の記事で私は、「Y2Kファッションはオジサンが作ったドレスコード(すなわち何を身にまとうかの規範)を無効にする。」「自分のまなざしがつい揺さぶられるときがあると思う。そういうときに許される唯一のふるまいは、良いだの悪いだのジャッジせず、ただそれに曝されることではないだろうか。積極的に黙ることだと思った。」と結んだ。既存のコードをポップに転覆し、かつてのコードに依拠しているまなざしたちを揺るがす。マチズモ(男らしさ)に拘泥するのをやめてブランドイメージを再構築する。そんなDIESELは、まさにオルタナティブだと思う。気付かぬうちに存在している規範や、それ基づいた制度。それらに基づいて無意識的にしているふるまいや装い。それらは不変ではないはず。なのに、「今こうなっているからこれからもこうなっていくんだよ」という居直りによって再生産されていく。「伝統だから伝統にしていくんだよ」という同語反復で伝統になっていく。多くの問題は「結果の根拠化」に帰着するだろう。ジェンダー二元論の再生産や、性役割や美の規範の再生産。これは端的には、「女は(男は)そういうもん」として他人や自分の性、ひいては生を規定することによるのだろう。あくまでジェンダー(社会文化的な営為としての性/社会文化的な営為の結果としての性)に過ぎないものをセックス(生物学的な「そういうもん」)と捉えて根拠にするという、ジェンダーのセックス化/セックス視。結果の性別なのに根拠の性別だと思ってしまう。だからこそ、環境と心理の中にある「今なぜかそうなっている」というものを見逃さずに、今のあり方を切り裂いて、習慣を変えていくこと。それを体現しているものをまとって、自分自身がそれを体現していくことが素敵ではないかと思う。自己や他者と対話しないセルラブはただのナルシシズムであり、新しい私にもなれないし、他者をエンパワーメントとやらもできない。たとえば、この対談が象徴的なように、虚勢と露悪を手放して他者へ開かれた反省(内省と対話)を具現化した表現こそが、本人も他者もエンパワーする。冒頭で述べたように、人は自分に合うリズムを得たとき、躍動する。でも、自分を表せるもの(自分に似合う/合うと思えるもの)がないとき、しばしば周りや社会に対するあり方が固着してしまう。そして、素朴な適応や反社会性を示してしまう。そんなありようから変わることの大切さがみてとれる。他者とも自己とも対話せずに楽しげにセルフラブを掲げる。そんなコンセプトがない表現(あるいはコンセプトはあってもそれを人格が体現してない表現)は、盛り上がっても続かない。楽しい内輪で他者をまなざす「サークル活動」的な遊びは、ガクチカのようなものでこそあれ、デザイン性もファッション性もアート性もない。キッチュなだけの自閉的な露悪。だからキャッチーでもない。そんな自己本位な表現が横溢して虚名を博している今だからこそ、垢をもっと纏う社会化を垢抜けと称することから、規範によって附された習慣という垢をはらう垢抜けへ。すると環境と心理が変化していくかもしれない。上で挙げてきたような例は、背景や奥にきちんと理屈があり、あいまいで複雑な内奥を他者のために具体的に物として表現する動きではないかと思う。自己本位なまなざしで他者をしめつけるより、自分らしく価値観を揺らす。少しだけお洋服選びが楽しくなる1つの方法かもしれない。
2024年02月12日私は38歳の兼業主婦で、夫と12歳の娘、8歳の息子の4人家族です。もうすぐ結婚15年目になるのですが、私は離婚を意識するようになったのです。共働きという事もあって、結婚当初はあれこれ手伝いをしてくれていたのですが今や王様状態!自分の服もろくに用意せず、なんでも私に聞いてくるのです。終いには「嫁のくせして偉そうに!」と悪態をつくのです。子どもたちに対してもアレやれコレやれと顎で使うのでした。 俺様な態度にイライラそんなある日、夫がいつもより早く帰ってきました。義母が足を骨折し、車椅子生活になる可能性があるかもしれないと言うのです。私はすぐにお見舞いに行こうと言います。すると義母に介護が必要となった場合、嫁が担当するのが当然。だから今から頑張りすぎるともたないぞ?と言うのです。そして、介護となったら仕事もやめろと言うのです。私は夫の言葉を右から左に聞き流し、義父に電話をかけ、病院に向かう準備をしました。出かける直前、夫は「親の介護は嫁の務め。少しだけ猶予はやるから、仕事を辞めること。」とひと言。続けて、「私がお義母さんのお世話をしますと言ってきて」と言うのでした。 お見舞いに行くと…その後、私と子どもたちは病院へ。義母は思ったよりも元気そうで安心しました。夫がいないことに気づいた義母は「息子よりあなたと孫たちが来てくれた方がずっと嬉しい」と言いニコニコしているのでした。そして私のぐったりと疲れた顔を見て夫と何かあったのかと察し、相談してと言うのです。私は意を決して、普段の俺様な夫の様子と、病院に来る前のことを正直に話しました。義母は「息子方が収入少ないのに偉そうに!!仕事を辞める必要なんてないわよ!介護もしなくても大丈夫よ!」と言ってくれたのでした。 意外な人物が反論!義母の退院当日、義両親と同じタイミングで義実家に到着しました。元気な姿を見せてくれた義母にみんなで一安心!すると夫が「こういう時は、自分から動くのが嫁ってもんだろ!」と怒鳴り散らします。「こいつが仕事を辞めて母さんの面倒を見るから安心してくれよ!と義母に向かって大きな顔をするのでした。」義両親とともに呆れながら私は「私、仕事辞める気ない」と告げます。続けて義母も「実の息子なのに、母親の私の面倒は見ないって言うのか?仕事を辞められて困るのはお前だろ?収入が少ないくせに!」と言います。 さらに娘がとどめを刺します!「パパは自分の事ばっかりでママの苦労を知ろうとしないし、私たちとも遊んでくれない。家にいれば家族を顎で使い、文句しか言わない。ママよりお給料が少ないくせにゲーム課金ばかり。ママがパパを必要とする要素があると思う?このままなら、ママに離婚してもらうようにするけど?」と言うのです。 ショックを受けた夫は…まさか娘に責められると思っていなかった夫はショックを受け平謝り!家事を手伝うこと、休みの日には義母の面倒を見ること、子どもたちと向き合うことを約束し、頭を下げて謝罪してくれました。 その後、夫は人が変わったかのように家事を手伝い、子供たちの面倒も見てくれるようになりました。約束通り、休みの日には実家に戻って義母の世話をしたりしています。こうして夫が変わったことで、我が家には平穏が戻り幸せな日々を過ごしています! 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年02月11日大人気マンガシリーズ、エトラちゃんは見た!さんの『私の顔を見ながら怯える女性』を紹介します。ある日、夕飯の買い出しをしていた主人公。家に帰ろうと歩いていると、見知らぬ女性とすれ違いました。女性は主人公を見て真っ青な顔をしていて…。≪HPはこちら≫前回のあらすじ出典:エトラちゃんは見た!#4私の顔を見ながら怯える女性出典:エトラちゃんは見た!走って逃げて行った出典:エトラちゃんは見た!驚くばかり出典:エトラちゃんは見た!愉快な気分じゃない出典:エトラちゃんは見た!驚いた感じだった出典:エトラちゃんは見た!何かついていた?出典:エトラちゃんは見た!思い出せない…出典:エトラちゃんは見た!特に目立つことはなく…出典:エトラちゃんは見た!あの反応が気になる出典:エトラちゃんは見た!次回予告出典:エトラちゃんは見た!女性は主人公の顔を見て、驚いた様子で逃げて行きました。主人公は家に帰って鏡を見ますが、顔には何もついていません。結局女性がなぜあんな反応をしたのか、わからずじまいで…。イラスト:エトラちゃんは見た!※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(CoordiSnap編集部)
2024年02月11日私の夫は、もともと性欲が強くありません。1人目の出産前でも、夫婦生活は2週間に1度ほど。1週間に2度くらいしたいと思う私としては物足りなさを感じていました。当時26歳の私は、「私に魅力がないから?」と思い悩む日々でした。性生活は男性からお誘いするもの?友人夫婦の性生活の話を聞くと、「パートナーが誘ってくれるけど自分が気乗りしないことがある」とのことでした。私の数少ない性の話ができる友人4人はだいたい皆同じような答え。「パートナーから誘ってくれる」「回数は自分のしたいと思う回数より多い」とのこと。そのときの私の気持ちは、素直に「うらやましい!」でした。当時、「うちは私が誘わないと始まらないよ!」……とは言えなかったのを覚えています。なぜなら「やっぱり私に魅力が足りないのかな?」という気持ちから自信がなくなってしまいそうだったからです。夫に素直に気持ちを伝えるも夫に誘ってもらうことを待ち続けていたら、結局私が我慢できず誘ってしまうのです。そのたびに「どうしてあなたから誘ってくれないの?」と思ってしまい、また自信をなくしていました。夫に「夫婦生活を増やしたい」「あなたからも誘ってほしい」と勇気を出して伝えても、そうはなりませんでした。頭では、性欲は個人差であることは理解していましたが、私は「性生活は男性から誘ってもらうものだ」と思い込んでいた部分があったのです。たった1人の大切なパートナー。相手に変わってほしいと願うばかりでなく、まずは私の考え方を変えようと思い至りました。女性が積極的でもいい?私はまず、私からお誘いすることで自信をなくすのはやめようと決めました。「私がしたいから誘ってみる。相手の気持ちは相手しかわからない。応えてくれるかくれないかも相手次第」ということを念頭に置きました。ひとまず誘ってみる、そして夫が乗り気でなく断られてしまっても明るく「また誘うね!」と切り替えることにしたのです。また、行為中も「男性が積極的に頑張るもの、女性は受け身でいるもの」と、どこかで思っていた部分があったことにも気付きました。女性である私が積極的になってみてもいいのかもしれないと思ったのです。そして自分が心地良いなと思う方法で、行為を進めてみようと思いました。そうしてしばらく夫婦生活を送っていくと、結果として頻度が増えていることに気が付きました。2週に1度だったのが、1週間に1度の頻度になっていました。私が、私より性欲の弱い夫から誘ってもらうのを待ったり、断られて落ち込むのをやめ、前向きに考えを変えたことが大きかったと思います。まとめ頻度が少ないことで、自分の魅力を疑い自信をなくしてしまうこともあった私。ですが、少しだけ自分の考え方を変えてみると、パートナーも私も満足いく結果が得られました。求められるのももちろんすてきだと思いますが、たまには積極的な自分も見せられたらと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/三浦ウミマンガ/へそ著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年02月11日つい最近、父から家電製品の部品を製造する町工場の経営を受け継いだ私。高卒で入社して早20年。現場で作業をしつつ、営業や商談に出る日々で、浮いた話もなく多忙を極めています。そんなとき、高校の同級生のEからいきなり電話がありました。誘われたのは…久しぶりの連絡にもかかわらず、近況報告もそこそこにEが切り出してきたのは飲み会の話。「今度、重要なメンバーが集まる飲み会で、1人キャンセルになっちゃって。欠席が出るとまずいんだよ。とりあえず顔を出すだけでもOK! 昔なじみを助けると思って来てくれよ!」と懇願するので、私はしぶしぶ了承。昔から彼は自分勝手なところがあり、学生時代から女性関係もルーズだったので、正直あまり得意ではないのですが……。困っているときに私を思い出し、頼ってくれたなら仕方がない。そう思って人数合わせの飲み会に行くことにしたのです。Eによれば、服装はラフな格好でOK。スーツやブランド物は禁止で、ジーンズにシャツという軽装でという指示でした。重要な会と言っていたけれど、堅苦しくなさそうで、少しは気がラクに。こうして私は飲み会の日を迎えたのです。約束の金曜日仕事を終えた私は、その足で指示された会場にやって来ました。しかし店内に入った途端、私はビックリ仰天。なんと会場にはでかでかと「合コン」の文字が掲げられていたのです。合コンなんて聞いていない! おまけに参加している男女はみんな、スーツにドレス。カジュアルな服装をしているのは私だけでした。どうやら私は、Eにからかわれたようです。文句の1つも言ってから帰宅しようと彼を探すと、華やかな女性陣に囲まれてビシッと決め込んだ後ろ姿が見えました。近付いて声を掛けると、Eはニヤリと笑い、大声で告げたのです。勝手に引き立て役に「紹介するよ。俺の高校の同級生……なんだけど、お前、何だよその格好。今日の集まりは、大卒で有名企業勤めのエリートが来るセレブ合コンだ。女性も良家の令嬢ばかり。高卒で工場勤務のお前じゃ、普段すれ違うこともない方々だ」私を見下すEは、聞かれてもいないのにペラペラと話を続けます。「高校を出ても就職先がないから、親のオンボロ工場に拾われたんだよな」親のことまでバカにされた私は、怒りで震えました。望んで両親の後を継ぐべく工場に入ったのに、ずいぶん勝手なことを……! 挙句、最初から引き立て役のつもりで誘ってきたのは明らかなのにこんなマウンティングまで。「俺はやさしいからさ、チャンスをやろうと思って呼んだんだよね。引き立て役なんかじゃないよー。まあ、貧相な格好に地味な経歴じゃ、そうなっても仕方がないけど」あきれて帰ろうとした瞬間!ああ、これは何を言っても時間と労力の無駄。Eは昔からこういうヤツだったことを思い出しました。私は無言で踵を返し、会場を出ようとしました。するとそのとき。「あの……」と、後ろから俺を呼び止める女性の声がしたので、振り返ってみると……。それは、うちの工場が取引をしている会社の社長令嬢、M子さんだったのです。M子さんは父親の会社で事務員として働いていて、私も何度か営業の際に会ったことがあります。やさしい雰囲気のおしとやかな女性なのですが、まさかこんなところで遭遇するとは……。聞けば彼女も、友だちから人数合わせのため急きょ呼ばれ、合コンだとは知らずに来たのだとか。Eとのやりとりを見ていたらしいM子さんは、私のシャツの袖口を引っ張って皆の前に押し出しました。「この方は、小規模ながら独自の技術を誇る工場を経営されています。父の会社も取引させていただいていますが、有能ですてきな社長さんです。なのに……。大卒だろうが一流企業に勤めていようが、真面目に働いている方を鼻で笑うなんて、まともな人がすることではないと思います!」さらに驚きの展開にM子さんににらまれてしどろもどろになったE。さらにそこに、とある女性が飛び出してきたのです。「あんた、私という婚約者がいながら合コン三昧とは、いい度胸じゃない! おまけに会社の女性複数と浮気をしているわよね。すべて調べ済みよ!」これには、周りの出席者たちもあきれ顔。顔面蒼白になり、がっくりとうなだれたEの側から皆離れていき、私とM子さんもその場を後にしたのでした。それから数カ月後。Eは婚約を破棄され、慰謝料の支払いで大変な生活をしているそうです。一方の私は……。この日の帰り道、なんとM子さんに告白されました。というのも、私が慣れない社長業に奮闘する様子を何度も見て、ずっと気になっていたのだとか。私も、普段は穏やかながら言うときははっきり意見する彼女に惹かれ、付き合うことに。それから半年後には婚約に至りました。これからはうちの工場と義父の会社とで力を合わせ、夫婦仲良く盛り立てていきたいと思います。--------------だまされて参加した合コンで、いけ好かない同級生にマウンティングされたかと思いきや……。すてきな顔見知りの女性と急接近するきっかけになったようで、本当によかったです。人生何があるかわかりませんね。著者/ウーマンカレンダー編集室/スカッと読者からの体験談をお届けします。
2024年02月11日シングルマザーの私。飲食業ということもあり、毎日とても忙しく働いています。でも飲食業は私の天職! さらに、かわいい娘のためと思えばつらいことなどありません。しかしそんな私の天職を、バカにされてしまいます。それは娘が通う幼稚園の祖父母参観日のこと。社交的な母は、あっという間にママ友ならぬ“ババ友”を作っていました。 母と“ババ友”になってくれたモモコさんは、娘の友だちのおばあちゃんでした。とても上品な雰囲気のご婦人でしたが、ママのカズコさんはとんでもない人でーー。苦手なタイプかも…「うちのお嫁さんとも、お友だちになってね」とモモコさんから言われた私。モモコさんの義理の娘さんであるカズコさんに紹介され、挨拶をしました。 しかしカズコさんは面倒くさそうに「ママ友は自分で作るので、余計なこと言わないで」とピシャリ! 不機嫌そうにモモコさんの腕を引いていきました。正直、あまり関わりたくないタイプです。 しかし同じ幼稚園に通うママとなると、避けることもできません。数日後、娘のお迎えでカズコさんにバッタリ出会いました。 貧乏くさい?!「アナタ、この前の参観で会った人よね?」カズコさんも、どうやら私に気付いてくれたようです。この前とは違って、今日はニコニコしています。 もしかしたらモモコさんと仲が悪いのかもしれません。第一印象で決めつけて申し訳なかったなと思っていると、突然「お仕事はされているの?」と詮索するような物言いで尋ねてきました。少し警戒しつつも「飲食業をしている」と伝えると「食堂のおばちゃんね! 顔を見ればわかるわ〜貧乏くさいもの」と笑いました。 ブチギレそうになったけれど、相手にする時間も無駄です。 深く関わらないことを決め、その場から立ち去りました。 私のお店ですよ!それ以来カズコさんを避けていたものの、次にバッタリあったのはなんと私の職場でした。私の職場は一見さんお断りの高級料亭です。忙しく店内を動き回っていると「なんでアナタがここに?!」という声とともに、カズコさんが登場しました。私は会釈をして切り抜けようとしましたが、カズコさんは「ここは料理もスタッフも超一流の高級和食店よ? 食堂のパートさんは場違いだから帰ったほうがいいんじゃない?」と笑います。さすがに正体を明かすしかないかと思ったとき、従業員が「オーナー! 特別室のお客様がいらしたのでご挨拶をお願いします」と私を呼びました。 その言葉を聞いてカズコさんは「オーナー?!」と驚いています。このお店は紛れもなく私が経営する飲食店なのです。明らかになった真実「アナタ、食堂のおばちゃんじゃないの!?」カズコさんがそう言ったちょうどそのとき、モモコさんがやってきました。異様な雰囲気を察し「なにか迷惑かけてないでしょうね?」と言います。 実はモモコさんはうちのお店の常連さんです。モモコさんは私に「ごめんなさいね。お詫びはまた後日」と言って、個室に戻っていきました。その後、個室からは激しい言い合いとすすり泣く声が……。 人を見下してばかりの嫁があまりにも目に余るので、今日はしっかり話をしようと思っていたモモコさん。個室で静かに話ができるうちの店を使ってくれたのです。 いつもニコニコやさしいモモコさんにたっぷり絞られたようで、カズコさんは真っ赤な目をして部屋から出てきました。そして気まずそうに私を見て、これまでの失礼な振る舞いを詫びたのでした。 見た目や職業を理由に人を見下すなんて、失礼な人でしたね。せっかく素敵な義母に恵まれたのだから、背中を見てしっかり学んでほしいものです。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年02月10日結婚を機に仕事を辞めた私。亭主関白な夫は「専業主婦ごときが俺に指図をするな」「俺に逆らったら離婚だ」と、妊娠中の私をいたわることもありません。さらに、義母もそんな夫の味方で、一緒になって私をなじる始末。そんなつらい日々を過ごしている中で、夫の浮気が発覚したのです――。近頃は「実家に泊まる」と言って、夫はなかなか家に帰ってきません。しかし、義母によると、夫はごはんだけ食べて帰ったとのこと。もしかして……と思った私に、義母は「かわいいい彼女の家にでも行ったのかしらね」「出来損ないの嫁を持ってしまったんだもの、浮気のひとつやふたつしたくなるわよね」と不安を煽るようなことを言い出したのです――。 浮気されて当然!?結婚前から、私のことを良く思っていなかったらしい義母。おなかの子が女の子だとわかると、さらにあたりは強くなりました。 「家にいても役立たずなんだし、里帰りでもしたらどうかしら」「あら、私としたことが!ご実家のお父さんは入院中だものね、里帰りなんてできる状況じゃなかったわね~」「あなたがいなくなれば息子も堂々と浮気できるだろうに……」 母親自ら息子の浮気環境を整えようとするなんて……。この母親にして、あの息子ありだと思ってしまいました。 見つけた浮気の証拠…3時間後――。 不安になった私は、こっそり夫の書斎を調べました。すると出るわ出るわ、浮気の証拠が。浮気相手は会社の後輩のようです。 珍しく早く帰ってきた夫に、私は浮気について問いただしました。「つわりだとか言って、家事もまともにできない嫁にはうんざりなんだよ!」「俺が浮気をする羽目になったのはお前のせいだ!」と開き直る始末。 「専業主婦の分際で旦那様に生意気な態度を取るとは馬鹿な女め」「俺と離婚したらホームレス確定だぞ」「もう離婚してますけど?」「は?」 毎日のように「俺に逆らったら離婚だ」と言われていた私。時には記入済みの離婚届を投げつけられて「サインして出しておけ」と命じられたこともありました。 そこで、私は元夫の命令通り、その離婚届を役所に出してきたのです。義母からも「あなた以外のお嫁さんがほしいから離婚しろ」と常日頃から言われていましたし。 「お前は専業主婦なんだぞ!?俺がいないと生活できないだろ!」と途端に焦り出した元夫に、私は淡々と「慰謝料と財産分与で当分の生活費はなんとかなるし、その後も養育費はしっかり払ってもらいますから」と告げました。 「離婚するなんて言うなよ!俺、ちゃんと子どものこと楽しみにしているんだ」「おなかの子どものためにも離婚はよくないよ」と急にしおらしくなった元夫。しかし、今の環境で子育てする方が子どもにはよくないでしょう。 事情を知った義母は翌日――。 元夫から事情を聞いたらしい義母から、怒りの電話がかかってきました。 「あなたのわがままでうちの息子を振り回すなんて!あなたには1円たりとも払いませんからね!」とたいそうお怒りの義母。しかし、覚悟を決めた私はもう何も怖くありませんでした。 「じゃあ、お義母さんの暮らしている家、売りに出しましょうか!」 義父が亡くなったときに、「どうせ譲るから」と家の名義を元夫に変更した義母。しかし、相続手続きが面倒になった元夫は、私に名義を変更し、すべての手続きを丸投げしたのです。 「ホームレスになりたくなかったら、慰謝料と養育費をちゃんと払ってくださーい!」とだけ言って、私は電話を切りました。 その後――。 闘病生活を乗り越えて退院した父が身重の私に代わって、元夫から慰謝料と養育費をしっかり回収。まとまったお金を手に入れた私は、実家に戻って無事に出産しました。強面の父も、今ではやさしいおじいちゃんです。しばらくは両親の助けを借りながらですが、この子を立派に育てられるようがんばります! 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年02月10日今回は、物語をもとにしたクイズを紹介します!クイズの解答を考えてみてくださいね。【LINE】旅行中勝手に私の家をつかう姉主人公が海外へ2週間の旅行へ出かけたときの話です。たまたま見ていたSNSで、姉が主人公宅に滞在していることを知りました。姉へ連絡すると…出典:Youtube「スカッとドラマ」慌てて姉へ連絡を入れる主人公。「なんで私の家にいるわけ!?」と問い詰めると…。問題さあ、ここで問題です。家へ招待していないのに勝手に入った姉。なぜ、姉は家に入ったのでしょうか?ヒント姉は家を開けていることに勿体なさを感じています。みなさんは答えがわかりましたか?正解は…出典:Youtube「スカッとドラマ」正解は「妹が家を空けている間、家賃がもったいないから」でした。姉の言葉に愕然とする主人公。その後主人公は姉の滞在を許す代わりに…。勝手に家のものを食べたり、散らかしたりすることを禁止するのでした。※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(lamire編集部)
2024年02月10日私は30歳の兼業主婦です。私には、双子の妹がいます。双子と言っても二卵性双生児なので容姿はそこまで似ていません。私はこの妹に昔から悩まされていました……。幼稚園生のころ両親が事故で他界し、私たちは祖父母のもとで暮らすことになりました。祖父母は妹ばかりをかわいがり、甘やかして育てたので、妹はとても非常識な子になってしまったのです。 昔から私の服や物を横取りし、中学生のころには初めてできた彼まで奪われました。 略奪癖のある妹にこんな妹と一緒の家で暮らすのは無理だと思った私は、中学を卒業後に就職。そして20歳のころ祖母が、その数年後に祖父が亡くなり、祖父のお葬式で、久しぶりに妹と再会しました。 葬儀の席でも妹は遺産のことや、私に彼がいるかどうかなどデリカシーのない話ばかり気にしていたため、私は「もうあなたとは今後関わりたくないの。縁を切らせてもらうね」と、はっきり宣言しました。 妹は「なんて薄情なことを言うの!?」と怒っていましたが、これまで私がされたことを思い返すと当然です。私はさっさと葬儀場を後にしました。 縁を切ったはずの妹が数年後、飲み会である男性に出会い、その後結婚。一人暮らしの母が心配とのことで、義母と同居という形で新婚生活をスタートさせました。 それから半年経ったある日、私が買い物を終えて家に帰ると、なんとリビングに妹が! 話を聞いてみると、祖父の遺産を使って探偵を雇い、私の居場所や夫を突き止めたとのこと。そして「私、お姉ちゃんの旦那さんももらっちゃうね~!」と言ってきたのです。 今回ばかりは妹に感謝さすがに冗談だと思ったものの、夫は「ごめん……」とただ謝るばかり。話が聞こえているはずの義母も助けてくれません。「はい、これ。旦那さん奪っちゃってゴメンねぇ~」と慰謝料を渡された私は、自分の荷物をまとめて家から出て行くことに。 ……しかし、私は内心大喜び!!実は、最初はやさしかった義母が同居後に鬼姑へと大変身。息子が大好きな義母は、「息子に相応しい嫁にするために、徹底的にしつけてやるから!」と言って私に深夜まで家事をやらせたり、作った料理を何度も捨てられ、作り直しをさせられたり……ひどい目にあっていたのです。 超マザコンの夫は、そんな私をかばうこともせず、ただ義母の言いなり。何度も家から出て行こうとしましたが、力ずくで引き留められ、毎日こき使われていました。 妹の現在の姿はそんな夫を略奪してくれて、私は晴れて自由の身に。今回ばかりは略奪癖のある妹に感謝です。 それから数カ月後、ボロボロの服を着てやせこけた妹が買い物に行かされている姿を見かけました。妹も義母から逃げ出せずに苦労しているのでしょう。 妹や義母からの干渉を経験し、困難を乗り越えた私は、これからは自分の人生を自分の力で切り開いていくつもりです。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年02月10日今回は、実際に募集した「義実家トラブルエピソード」を漫画にして紹介します!30万円の買い物を私のカードで?何でも買ってくれるって言ったでしょ?70歳の記念なのに!義父さん…※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。(lamire編集部)(イラスト/@浜井れんこん)
2024年02月09日私は2人目が生まれ、下の子が2歳になったころに仕事復帰をしました。子どもの発言に思わず赤面!2人を保育園へ送りバタバタと出勤。仕事を終え、子どもたちをお迎えに行って帰宅したあと、就寝前にやっと座れるという毎日を送っていました。休みの日は休みの日で、子どもとどこかへ出かけたりと自分の時間どころか休む時間もあまりありませんでした。 季節は冬になり、寒かったことと疲れもあり翌日休みだからとお風呂に入らない日がありました。次の日、買い物に行きましたが、抱っこしていた下の子が「ママなんか頭が臭い」と大きな声で言って、その場は笑ってごまかすしかありませんでした。周りに他のお客さんもいたので、とっても恥ずかしかったです。 毎日お風呂に入っていても忙しくてしっかり洗えていないことも一因だったのかなと思いました。疲れていても毎日ちゃんと入浴して、烏の行水にならないようにしないとと思い、それからはゆっくり湯船に浸かる習慣をつけるようにしました。 監修/助産師 松田玲子作画/いずのすずみ著者:坂本よしこ
2024年02月08日私は在宅仕事をしている兼業主婦。夫の実家で義両親と義姉と同居中です。義両親はやさしいのですが、言動の厳しい義姉が悩みの種。生理痛がひどい私にも、「それくらいで寝込むなんて!」と嫌な顔を向けてくることが続いていました。同じ女性なのに…毎月、重い生理痛で苦しんでいる私。過去に倒れたこともあり、結婚・同居後も在宅ワークができないほどの痛みで数日寝込んでいます。いろいろな薬や生活習慣の改善を試しましたが、あまり効果はありません。夫や義両親は理解してくれていますが、男性の多い職場でバイトをしている義姉は生理も軽いらしく、私のことを煙たがっている様子。「生理痛くらいで休むなんて大げさ」「甘えるのもほどほどに」と、毎月嫌みや苦言が降ってくるようになりました。心苦しいながら家事を休むことが重なると、「あんたみたいな女がいるから女が社会で軽視される。生理痛くらい我慢できない? バイト仲間ならキレる」と言われる始末。同じ女性なのにまったく寄り添ってもらえません。生理は人によって痛みや症状が違うのに……と思いつつ、私は反論せずにグッとこらえたのでした。義姉が取った暴挙とは?そんなある日。今月も訪れた生理痛をこらえながら、常備している鎮痛剤を飲もうと薬箱を開いた私。すると、買っておいたはずの薬が見当たりません。あちこち探しても見つからず、おなかの痛みはどんどん悪化し、冷や汗が出てきて、ついに私は意識を失ってしまったのです……。気が付くと私は病院のベッドの上。義母が家で倒れていた私を発見し、救急車を呼んでくれたのだとか。点滴のおかげでだいぶ具合の良くなった私に、義母は深く頭を下げてスマホを見せてくれました。そこにはなんと、義姉からの鬼メッセージが! その下には、義母の返信も残っていました。「鎮痛剤捨てといたから」「体から健康にならなきゃ生理痛は治らないからね」「私が鍛え直してあげる」「嫁なら救急車で運ばれたわよ」そう、薬のありかを尋ねた義母のおかげで、義姉が鎮痛剤を捨てたということが発覚したのです。義姉のその後その後、驚いたことに義両親は義姉を家から追い出しました。というのも義姉は実際バイトばかりで、ニートなのは彼女のほうだったのです。一方の私は在宅ワークでしっかり稼ぎ、一定額を義実家に入れていただけでなく、生理のとき以外は家事も一生懸命やっていました。「娘だからといって甘やかし過ぎた。義妹への思いやりもなく、フリーターで遊び回るあの子は、一度社会に出て自立するべき」私としては義姉ともわかり合えればと思っていましたが、今は彼女のためにも別居が最善策。理解ある義両親と夫と今後も仲良く同居を続けられるよう、思いやりの心を忘れずに、できる範囲で力を尽くしてお互いに気持ちよく暮らしていければと思っています。--------------義妹の体調を気づかえない義姉。思いやりのない言葉を連発した挙句、勝手に薬を捨てるなんて言語道断です。結果的には別居となるのも仕方ないですよね。夫と義両親が協力的で本当によかったです。著者/ウーマンカレンダー編集室/トーク系読者からの体験談をお届けします。
2024年02月08日会社を経営する義兄夫妻。私たち夫婦は町工場勤めで、いつも義母や義兄夫妻から見下されていました。そんなある日、ブチギレた様子の義姉から私のもとに電話が来て――?義姉から突然「この貧乏人が!ふざけんじゃないわよ!」と電話口で怒鳴られた私。 「なんでこの社長夫人の私が子守りなんてしなきゃいけないのよ!」「今日なんてエステに出かける直前だったのに、あなたの子どもの面倒を押し付けないでよ!」とヒステリックにまくしたてられました。 少し落ち着いた義姉から事情を聞くと、義母が「膝が痛いから」などと言って子どもを義姉の家に連れてくるそうです。「うちに直接預けてなくても、お義母さんが連れてくるなら結局一緒よ!困ってると思って協力していたけど、もう限界!!」と叫ぶ義姉。 しかし、私たちは子どもを一度も姑に預けたことがないのです……。 子どもの正体「とりあえず、子どもはあんたの家の前に置いておいたから!」「あの悪ガキが外で悪さする前に早く家の中に入れなさい」と言い残して、電話を勢いよく切った義姉。 私が出先から家に戻ろうとしたところに、今度は義母から電話がかかってきました。 「いきなりごめんなさいね。子どもは私がちゃんと迎えに行ったから安心して」「この子のことは秘密にしておいて」と言われても、何がなんだかわかりません。 不審に思った私が問い詰めると、「実は……。この子は長男の隠し子なの」と衝撃の事実を打ち明けた義母。義兄はもともと子どもの母親に養育費を渡していたそうですが、その母親は「もう1人で子育ては無理」と言って育児を放り投げ、子どもを義兄に押し付けたとのこと。 そして義母は、その子どもを引き取り、義兄の奥さんである義姉に隠し子の世話をさせていたのです……。なんて残酷なことをするのでしょうか。 「元気な5歳児の面倒を見るのって、歳を取った私とお父さんにはとっても大変なのよ」と義母。呆れる私に、「この子の世話をするうちに、長男の嫁の子ども嫌いも治るかと思って!」「正式なわが家の跡取りを産んでくれれば万々歳だわ!」と、義母は信じられない発言を連発。私は思わずため息をつきました。 「このことは夫に話しておきますね。これ以上私たちを面倒ごとに巻き込まないでください」と言って、私は電話を切りました。義母は次男である夫に知られたくなかったようで、慌てふためいてわめいていていましたが、話さないわけにはいきません。 義姉に真実を告知…2週間後――。 またも義姉から「よくもまた性懲りもなく子どもを押し付けてきたわね!!」と怒りの電話が。「貧乏人は本当に図々しいんだから!」「100万もする花瓶も壊されたし、私が大事に食べていた超幻の限定チョコも食べられちゃったし!!」とヒステリックな叫び声が響き渡ります。 「あんな悪ガキいつまで私たちの高級タワマンに預けるつもり!?」「いますぐ迎えに来ないと警察に突き出すわ」「息子は私の実家にいますが」「え?」 この間の夏休みに、私の実家にしばらく帰省していた私たち一家。息子が田舎暮らしをえらく気に入ってしまい、帰りたくないと騒ぐので、しばらくの間実家に預けているのです。 「で、でも!お義母さんがあなたたち夫婦の子どもだって言ってたし!」と義姉。そこで、私は本当のことを告げることにしました。 「それはお義母さんが嘘をついていただけです」「その子どもはあなたの旦那さんの隠し子ですよ」 図々しいのはどっち?1時間後――。 義姉から連絡が行ったのでしょう。義母から「なんで全部バラしちゃったのよ!」と怒りの電話がかかってきました。 「次男にも、長男の嫁にも勝手に話すなんて!」「あんたが黙ってさえいればこんな大事にはならなかったのよ!」 東大を出て会社経営をしている長男と、そこそこの大学を出て町工場で働く次男。義母や義兄、義姉が私たちを「貧乏人」呼ばわりして見下していることにはうすうす気付いていましたが、今回のことで確信しました。 義母と義兄は私たち夫婦の名前をかたり、義兄の隠し子を奥さんである義姉に預けていたのです。そんな非常識なこと、私たちを馬鹿にしていないとできるはずがありません。 「みなさんが私たち夫婦をどう見ているのかがよくわかりました、なので金輪際縁を切らせてもらいます」と言うと、「祖父母や裕福な長男夫婦に頼れなくなってもいいの!?後悔するのはあなたたちよ!」と言い出した義母。 しかし、そもそも義両親や義兄夫婦を当てにしていない私たち。「この度、夫は昇進して工場を任されることになりましたし、収入は飛躍的に上がるので経済的に心配なことはありませんよ」と告げると、義母は焦った様子。 しどろもどろになりながらどうにか絶縁を防ごうとしていましたが、「家族3人で平和に暮らしていきたいので、二度と私たちの前に現れないでください」と言って連絡を絶ちました。 さらに1週間後――。 義母からうちの経済状況を聞いた義姉から、とんでもない連絡が。 「あなたたちがこの隠し子を引き取ればいいのよ!」 実の父親にも引き取ってもらえないなんて……。 夫ともよく話し合い、「隠し子にかかるお金はすべて出す」という誓約書を書いてもらうという条件で、私たちはその子を引き取ることに決めました。 誓約書にサインしてもらった後、「これならお義兄さんの会社がいつ倒産しても安心ですね!」と告げると、義姉はびっくりした様子でした。 義姉に隠れて女遊びを続けていた義兄。あまりの女遊びの激しさから取引先を次々と失い、義兄の会社は傾きつつあるのでした。絶縁をするはずでしたが、長男夫婦がお金を払えないときは義両親たちが負担することも一筆書いてもらっています。 その後――。 私たちは約束通り隠し子を引き取りました。今は家族4人で楽しく暮らしています。最初はいろいろ大変だったけれど、実家に連れて行くと喜んで孫2人と遊んでくれる義両親の姿や子ども2人の成長を見るとうれしくなります。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年02月08日昔から嫁である私や娘を見下し、横柄な態度を取り続けている夫。そんなある日、私の父親が急死。慌てて実家に戻ろうとする私に、夫は「俺の世話はどうする」「嫁の仕事を放棄するなら離婚だぞ」と言い出したのです。仕事中の私のもとに、母から父の訃報が届きました。職場に説明すると、2週間ほど休みを取っていいとのこと。私は帰路を急ぎながら、夫に父の死と実家に帰る旨を伝えたのですがーー? 父の葬儀へ「こんないきなり実家に帰るなんて非常識だ!」「俺の飯!洗濯!掃除!まさか家のことは全部放棄するつもりか!?」と怒られたのです。父親を亡くしたばかりの私に対して、これはあんまりではないでしょうか。 「私は父のお葬式に出たいし、母と一緒にちゃんと弔ってあげたいの」といくら言っても、夫は聞く耳を持ちません。それどころか、「旦那様より亡くなった人の方が大事だと言うんだな」「俺に逆らってでも帰省するなら離婚される覚悟を決めろ!お前は誰の嫁なのか冷静に考えろ!」と言い出したのです。 私は夫の嫁である前に、父の娘です。こんな理解のない夫の嫁である必要なんてない。そう思った私は「それならもう離婚でいいです」と言って、夫との会話を打ち切りました。 今はとにかく父の葬儀に出たい。母のもとに行って支えてあげたい。そう思い、娘を連れて帰省しました。 いまさら離婚?2週間後――。 父の葬儀も無事終わり、ようやく自宅へ戻って来た私。リビングのテーブルの上には、記入済みの離婚届が置かれていました。そして夫からメッセージが。 「今更泣いて謝っても、もう遅いぞ!」「俺の言葉を無視して家事サボったから離婚なw」「もう離婚してますけど」「え?」 何かあればすぐに「離婚だ」と言って、私を脅していた夫。サイン済みの離婚届を渡されたことも一度や二度ではありません。私はそれを捨てずに取って置き、実家へ戻る前に役所に出しておいたのです。双方が離婚について同意しているのですから、問題はないでしょう。 夫は「葬式に行くななんてひどいことを言って悪かった」と謝ってきました。しかし、私がもう戻らならないときっぱり告げると、「今なら特別に戻って来ても許してやると言ってるんだ!」とまたも上から目線に。ますます私はこの家で夫と二度と住むことはないと決意を固くするだけでした。 夫がダシにしてきたものは「母親が地元に帰るなんて、娘はどうするんだ!」「かわいい娘がかわいそうだろう」と、今度は娘をダシにしてきた夫。 「娘なら、ずっと前から私とおばあちゃんと暮らしたいって言ってるけど? あなたは怒ってばっかりだから離れたいみたいよ」と私が返すと、夫は言葉も出ない様子です。そして、「待て待て待て!俺一人でどうやって生きていくというんだ!?」と大慌て。 今まで私に指示ばかりして、私にすべて家のことをやらせて生きてきた夫は、「見捨てないでくれ」「お前がいないと生きていけないんだ」と追いすがってきましたが、私は「でも私はあなたがいない方が生きていけるんです」と返しました。そして荷物をまとめて、娘を連れて実家へ向かったのです。 その後――。 弁護士さんを挟み、財産分与などの手続きを終わらせた私。今は実家で母と娘と、楽しく暮らしています。娘も以前より笑顔が増えた様子。 時々夫からは謝罪の手紙が送られてきますが、すべて無視してシュレッダーにかけて捨てるのみ。夫と離れたことで時間的にも心にもゆとりができたので、これからは娘の成長を見守りつつ、自分の好きなことにも時間を取りたいと思っています。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年02月07日わが家には4人の子どもがいるため、保育園には長年通っていて送迎には慣れていました。しかし、次女が3歳で、私が次男を妊娠中でもう臨月というときに、あわや事故になりそうな出来事が起こりました。私はパニックになり、過呼吸になってしまったのです……!いつものように保育園から帰るはずが長男から長年お世話になっている保育園は大きな公園のすぐ横にあり、保育園を出ると公園の駐車場があります。いつもは通り過ぎるだけの道ですが、その日は前の車が駐車場に入ろうとしていたため、止まっていると、道路上でその車がどんどんバックしてきたのです。 距離を取っていたものの近づいてくるので、私は後ろを確認しました。すると、後ろには他の車が止まっています。若干パニックになりながらも、私はクラクションを鳴らすことしかできませんでした。 事故にはならずも発作が……隣には次女、私はおなかの大きい状態で、もうぶつからないことを祈るしかありませんでした。クラクションを鳴らしていると、どうやらその車と待ち合わせをしていた人が気づき、ぶつかる寸前で車は止まりました。私はドキドキが止まらずそのまま過呼吸に。次女の手をにぎりながらも動けずにいました。 するとクラクションの音を聞いた保育園の先生が駆けつけてきてくれて、「大丈夫ですか?」と声をかけてくれたのです。運転できる状態ではなかった私を後部座席に移動させて、車を安全なところに移動させてくれました。 先生の対応に感謝しばらくして発作はおさまったものの、私はそれからというもの、運転が怖くなってしまいました。すると主任の先生が園長先生と2人で来てくれて、わが家まで運転して送ってくれることに。次の日はちょうど妊婦健診だったので、おなかの子の無事を確認し、先生方にもお礼を伝えました。そのとき、うちの連絡先を相手の方に教えていいか聞かれ、後日、相手の方がお詫びに来ました。 ぶつかりそうになった相手は保育園児の祖父で、お迎えにきたもののチャイルドシートを積んでいなかったので、それをもらうために公園で園児のママである娘さんと待ち合わせしていたのだそうです。娘さんの車を見つけ、行き過ぎたため後方を確認せずにバックをしたということでした。後方を確認しなかったため、私に発作が起きていることにも気づかなかったようです。保育園に預けているママが申し訳なさそうでした。 クラクションの音を聞いて飛び出してきてくれ、対応してくださった先生には感謝しかありません。次男は無事に生まれ、今もその保育園にお世話になっています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 著者:松田みさと長男と次男が15歳差の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2024年02月07日私が末っ子を妊娠したときの話です。上の子達たちとの年齢差がある中、自分の体力や金銭的なものなど、いろいろと不安を抱えながらの妊娠でした。ママ友の言葉にショック!上の子のママ友に妊娠したことを伝えた際、「いまさら、また赤ちゃん育てるのって面倒じゃない?」と言われたのです。私自身も、上の子たちがやっと手が離れて自分の時間を過ごせるようになったときでした。確かに、ママ友の言うこともわかるのですが、言われたときはショックを受けました。もちろん、私が傷つくとは思わず思ったことを言っただけでしょう。その後、無事出産し、生まれた子どもはただただかわいく、心配していたことはまったく気になっておらず、私の場合は、3人産んでよかったなと思います。 もし私が妊娠報告を受けたら、状況にもよりますが、まずは「おめでとう」と言うようにしようと思います。歳の差育児に不安を抱えている方がいたら、不安に寄り添いつつ、とても楽しいことを教えてあげたいと思います。 作画/いずのすずみ著者:佐々木あそふ
2024年02月06日私は息子の育休中に娘を妊娠し、合わせて約2年半の産休・育休を経て復職しました。2年半も仕事を離れると、仕事で忘れていること変わっていることばかりで、はじめは余裕がない毎日でした。そんなワーママ生活も1年が過ぎ、忙しいながらも日々の中に見つけた私の楽しみを紹介します! お昼休みは最大の息抜きもともと食べることが大好きで、食へのこだわりが強い私。仕事復帰してからはそれが加速していき、ひとりでゆっくりとランチが食べられる幸せを噛みしめています。職場の人にお店の情報を聞いたりネットで調べたりして、日々おいしいランチを開拓するのが今の最大の楽しみであり、息抜きとなっています。また、ランチは自席でぱっと済ませて買い物に行くことも。子どもと一緒だとゆっくり見るのが難しい洋服や雑貨は、見ているだけでも至福のひとときです。 保育園の連絡帳は癒し毎日仕事帰りの時間、ちょうど保育園の連絡帳がスマホのアプリに届きます。食事や排便の状況のチェックはもちろんしますが、先生が書いてくれる園で過ごす子どもの様子を読むのは癒しの時間です。 特に、兄妹が保育園でも一緒に仲良く遊んでいるという記載がある日は、想像するだけで微笑ましくなります。 お風呂は子どもとの会話と、自分時間を楽しむ子どもが保育園に通っていると、家事や子どもの食事、保育園の支度などの対応でなかなかゆっくり話したり、一緒に遊ぶ時間が取れません。わが家では子どもと一緒にお風呂に先に入る日と、あとでひとりで入る日を夫と交代制にしています。 子どもと入浴する日は体を洗ったり湯船に浸かりながら、できるだけ会話をするように心掛けています。ひとりであとから入る日は、子どもは寝ているのでスマホをいじって動画を見たり、読書をしたりと自分の時間を満喫。 育休から復帰する際は不安ばかりで、いざ仕事が始まっても忙しくて慌ただしく過ぎる毎日。そんな中でも時間を見つけて、自分の時間も子どもとの時間も大切に楽しく過ごしています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/miyuka著者:林 ゆり
2024年02月06日高校の同級生と同時期に結婚した私。同級生は社長と結婚して港区のタワマン住みですが、私は農家に嫁いだため、勤めていた会社を辞めて田舎に移住。そんな私を見て、同級生は「めちゃくちゃ転落人生歩んでてウケる」などと馬鹿にしていたのです――。社長夫人の同級生は、連絡を取るたびに農家に嫁いだ私を馬鹿にしていました。楽しみにしていた高校の同窓会も、なんだか行きたくありません。 夫は私の同窓会に合わせて、東京で仕事の打ち合わせを組んでいました。「嫌な子一人のために、他の同級生みんなに会える機会を逃すなんてもったいない」と言われ、私は夫と共に東京へ向かうことに。 しかし、同窓会当日――。私は例の同級生にビールをかけられ、会場から追い出されたのです……。 私が何をしたっていうの?同窓会の幹事が会費を集めていた時に、私が会費を出さなかったというだけで、私を会場から追い出した同級生。幹事も私に会費を請求しなかったので、会費を免除するよう事前に私から頼んだのだろうと思い込んでいるようです。 「会費すらはらえない奴は今すぐ帰れw」「貧乏農家はビールまみれで惨めに歩いて帰りなさい!」「旦那さんとの取引中止ね」「え?」 今まで、同級生にマウントを取られてもただ受け流していた私。同窓会の会費も事前に幹事に渡していました。会場を去ってもなお、勝手な思い込みでおとしめてくる同級生に堪忍袋の緒が切れた私は、ついに自分の正体を明かすことにしたのです。 「『××産業の社長の奥さんを怒らせてしまった』と旦那さんに電話してみたら、あなたがしでかしたことの重大さがわかるんじゃない?」と同級生に告げた私。 「来月は大口注文を入れたいって相談されてたけど、もちろんお断りしておくから」「旦那さんにはもう二度と野菜が届かなくなるから早急に代わりを探すように伝えてくださいな」と言うと、慌てふためきはじめた同級生。 「××産業って、私でも知ってる……夫の会社の大事な取引先じゃない!」 彼女の夫は飲食チェーンを多数手がける社長さんです。うちから野菜を卸していたのですが、肥料の高騰による値上げに理解がなく、ちょうど夫と取引中止を考えていたところでした。 「地方の田舎農家に嫁いで、テキトーに野菜作ってるだけの負け組じゃないの!?」とこの期に及んで私をおとしめる発言をする彼女。 「うちは農家として野菜も作ってるけど、会社で卸売もしているの」「引退された義両親から会社を継いで、夫は社長だし、私は社長夫人だからあなたと立場は変わらないよ」と告げて、私はメッセージを切り上げました。 その後すぐ、私は夫と合流。ビールまみれの私を見て、夫は大変驚いていたものの、事情を聞いて私以上に怒ってくれました。私が勝手に取引中止を宣言したことについても、笑って許してくれました。 大慌ての同級生翌日――。 例の同級生が半泣きで電話をかけてきました。どうやらうちの代わりの取引先が見つからない様子。 しかし、「昨日のことも全部謝るからもう許してよ!!」となぜか命令口調の同級生。まぁ、謝られても許すつもりはないのですが……。 せっかくの同窓会でビールをかけられて、あんなに屈辱的な思いをさせられたのです。しかも、あの同窓会の会場を手配したのも私。会場使用料が先払いだったので、私が立て替えておいたのです。だからこそ、幹事は私に会費を請求しなかったのでした。 そんな昨日の事情を知ってもなお、「いいからうちの夫の会社と契約し直してよ!」「所詮農家なんてそんなに稼げないでしょ!年商数十億の大口契約を失ってもいいのかしら」と同級生。 「うちはがんばっても2億が限界かな」と返すと、「え……野菜だけでそんなに稼げるの……!?」とうちの年商に驚いた様子でした。 続けて「でも、うちのような会社に契約を切られただけで大慌てなんて……年商の大きさってそんなに威張れるものじゃないんだね」と言うと、さすがの同級生も言い返せないようでした。 「社長夫人が社長の足を引っ張るなんて、本末転倒」「私が旦那さんの立場なら、そんな妻いらないと思っちゃうな」と言って、私は電話を切りました。最後まで同級生は電話口で何かをわめいていましたが、もう知ったことではありません。 その後――。 例の同級生は旦那さんからしこたま怒られたそう。他の同級生から聞いたところによると、「損害分は働いて返せ!」と言われて旦那さんの経営するレストランでパートとして働いているようです。それまでは豪遊生活をしていたらしいのですが、今は家事とパートで疲弊する日々のよう。 私は夫とともにおいしい野菜作りを続けています。お互い支え合いながら、義両親から受け継いだこの会社をますます盛り立てていこうと思っています。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年02月05日ミルク(MILK)の2023年冬コレクションを紹介。いつでも“ドラマティックな私”感じるドレスウェア今シーズンのミルクは、いつでも“ドラマティックな私”を感じられるような、パーティーシーンにもぴったりのアイテムが勢揃い。それをよく表すのが、「デコレーションレース」シリーズのワンピースだ。デコレーションケーキのホイップクリームをイメージしたレースに、チェリーとローズを散りばめたロマンティックなプリントは、お茶会などのパーティーにもぴったり。やや長めの袖から垂れるリボンもポイントだ。ふわっと軽やかなコートパーティー仕様のドレスの上から羽織れるような、1着でも主役級の輝きを放つアウター類も登場。中でもAラインシルエットのツイードコートは、全面に薄めの綿が入っており、ふわっと軽やかでありながら、温かく身体を包み込んでくれる。このほかにも、上品なミディアム丈のファーコートなどが展開される。アンバランスなスカートどこか怪しげな雰囲気を醸し出しつつも、ミルクらしいガーリーさを混在させたアイテムが散見されたのも今季の特徴。ミニとミディのアンバランスな丈がポイントのスカートがその好例だ。同シリーズの両胸にフリルを大胆に配したショートジャケットや、チョーカーを身につけているかのような襟が目を惹くブラウスと合わせれば、全身黒ずくめのミステリアスなコーディネートが完成する。
2024年02月05日私は27歳で実家は洋服の縫製工場で働いています。実は今日、私の結婚式なのです。父と母、そして姉に見守られ控室で花嫁衣装を身にまとい改めてお披露目をしていました。私の実家は、小さな縫製工場を経営しています。父が代表を務め、私も母とともに工場で働いています。ここ数年の不景気のせいで工場の存続すら危ぶまれていたとき、長年の取引先で地元の有名洋服店の社長が資金援助してくれることになりました。 早すぎる展開にあ然実は私の結婚は、資金援助してくれた社長の跡取り息子との政略結婚なのです。夫の第一印象は、表情が硬く挨拶をしてもにこりともしません。しかし、社長夫妻は私のことが相当お気に入りの様子で資金援助のこともあるので縁談を拒否できない雰囲気に……。その場で婚約成立とはならなかったものの、結婚を前提にお付き合いすることになりました。そして、なんと交際開始からわずか10日後、私は婚約指輪を受け取りました。大喜びの社長に対し、あまりの急展開に不安げな様子の私の父と母。こうして「政略結婚」が決まり結婚式当日を迎えたというわけです。 冷酷な夫からのひと言結婚式当日、ファッションデザイナーとして活躍する姉が政略結婚と聞き心配して駆けつけてくれました。そして「自分の気持ちに蓋をして、全てが丸く収まる道を選んだのね」とひと言。私は自分で決めた事だから後悔はないと伝えます。そして式の時間となったそのとき、夫が「今後、君とご両親の面倒は見るが干渉はしないで欲しい。互いの利害関係が一致した結婚であることを忘れないこと」と釘を刺すのです。私はこの瞬間、冷めた気持ちでやることをこなしているだけに。こうして、式の翌日から私と夫の愛のない夫婦生活が始まったのです。 夫の本心が明らかに私たちは義父が購入してくれた家に住み、私は実家の工場勤務を継続、兼業主婦として生活することに。そこで夫の意外な一面を知ることになったのです。結婚を機に2代目社長になった夫は忙しいにもかかわらず、積極的に家事をしてくれるのです。私が感謝の気持ちを伝えようとするといつも最後まで聞かずに逃げてしまう夫。不思議に思い話を聞くと「やって当然。当り前のことしただけだろって思うのが普通じゃないのかな…」と寂しそうに言うのです。そう、彼は仕事のこと、家のこと全てを1人で背負おうとしていたのです。そして結婚式当日に言った「面倒は見るが干渉はしないで欲しい」という発言も「私の人生を奪ったと思い、1人で何とかしなければと思いわざと言ってしまった」と判明。私は「何でも1人で背負おうとしないで。これからは2人で支え合っていきましょう」と伝えます。あの発言の意味を理解した私は、本当の意味でひかれあうようになり愛情が日増しに強まっていきました。 愛のない生活を覚悟したはずが一転!その後、ファッションデザイナーとして脚光を浴びていた姉が新ブランドを立ち上げることに。実家の縫製工場で製造、夫が社長を務める洋服店で販売することになったのです。私の大切な2つの会社は相乗効果で業績が大幅アップしていったのです。そして、嬉しいことは続くもので、私は妊娠! 先日、待望の長男を無事に出産することができました。 義父は夫と結婚したこと、孫を見せてくれたことに感謝してもしきれないと大泣き! 私は「夫と引き合わせてくれたお2人と私の両親には、本当に感謝しています」と伝えました。続けて夫も「出会わせてくれてありがとう」と言うのです。 私たちの言葉を聞いた両親と義両親は大号泣! 始まりは政略結婚だったけれど、今では幸せな夫婦になれたことに感謝しています。これからも、このかけがえのない家族とともに、幸せに過ごしていきたいと思います。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年02月04日娘は生後6カ月ごろから人見知りが激しくなり、私と夫、顔の知れた身内以外はかなり警戒するほどでした。家に友だちが遊びに来たときも、私と少しでも離れると不機嫌に怒りだすのです。友だちと遊ぶこと自体は楽しいようですが、このままでは娘が苦労すると考えた私は、人見知り克服のためにある行動を起こします。 成長しても落ち着かない人見知り 2歳を過ぎても人見知りが激しい娘。これでは娘本人が苦労すると思い、私は幼稚園入園までに克服しようと思い立ちました。友だちと遊ぶ機会を増やしたり、人が多そうな公園を選んだり、できることからスタート。娘の機嫌が良い日には支援センターの野外活動にも参加しましたが、ずっと抱っこから降りずに見ているだけ。何も参加できずに帰宅したり、泣いて途中帰宅したりすることもあり、何度も行くのを辞めようかと思いました。 そんなとき、支援センターの先生が「ママが周りの子やお母さんたちと仲良くしていると、娘ちゃんも安心するかも」とアドバイスが。納得した私は、近くにいるママや子どもに積極的に話しかけるように。すると、回数を重ねるごとに娘は少しずつ私から離れて遊べるようになったのです。 それから3歳になり、週2回のプレ幼稚園へ通うことにしました。 初めは泣いて登園拒否をしましたが、それも数回だけ。そのうち、自ら「幼稚園に行きたい!」と言うようになったのです。いざ幼稚園に入園してからは、面談で「自分からクラスのお友だちを誘っています」と1年前には思いもしなかったことを伝えられ、とてもうれしい気持ちになりました。娘自身を無理やり変えようとせず、まずは自分から変わることが大切だと気づいた出来事です。 作画/yacco著者:大山えり
2024年02月04日小さなときから体格のよかった私。深夜の仕事をしているせいか、生理周期も不順でした。芸能人の子宮がんや子宮筋腫などのニュースが続き、心配した私の母に受診をすすめられ、婦人科へ。診察の結果は、思いもよらないものでした。驚きの診察結果婦人科の病気がないか診てもらうために受診した婦人科でしたが、診察後、先生が言った言葉は「産科に行ってね」というものでした。 先生の言葉を聞いてびっくり! 妊娠していたのです。産科での診察の結果、推定妊娠37週ということでした。そのころは冬。日頃から除雪をこなしていたので、もっと安静にしているべきだったと、今となっては恐ろしく思います。 検査と手続きへ産科の先生は、「妊娠に気がつかないことも、ごく稀にあるからね。これからできること早急に済ませようね」と親身になってくださって、出産に向けていろいろなことを教えていただきました。 まず、必要な血液検査や血圧などの検査。今まで受けられなかった健診の足りない分は補えませんでしたが、2日おきくらいの頻度で病院に行きました。並行して彼との婚姻届けの提出や、職場の育休申請もおこないました。 そして、無事に出産そして、無事に出産。出産一時給付金の申請をしたのですが、赤ちゃんが生まれたのが休日と祝日にかぶってしまったため、かなりの金額がかかってしまいました。それでも周りの方々の支えがあって、検査も役所での手続きも職場の手続きも、しっかりとこなすことができました。 本当であれば、赤ちゃんの成長を感じながら日々を過ごし、出産を迎えたかったと感じますが、無事に生まれてきてくれて本当によかった。私が無事に赤ちゃんを産むことができたのは、赤ちゃんが頑張ってくれたからだと思っています。 私と同じように、ごく稀に長く妊娠に気づかなかったという方もいると思います。日ごろから自分の体に関心を持つことも大切だと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/imasaku監修/助産師 松田玲子著者:浦松あや1児の母。学校事務や保育士を経験したのち、産休を機に退職。現在はパート。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は編み物。
2024年02月04日私は34歳の兼業主婦です。夫と幸せな毎日を送っています。今でこそ幸せな日々を満喫している私ですが、10年前にはドン底の生活を送っていたのです……。遡ること10年前。私は、同居している義実家のキッチンでその日作った煮物を探していました。すると義母が「あのマズい煮物なら捨てといたわよ」とニヤニヤしながら言うのです。義母が私の料理を捨てるのは、これが初めてではありません。ちょっとでも嫌いな食材が入っていたりすると、鍋ごと捨ててしまうのです……。 夫の言葉を信じただけなのに 結婚をするとき、夫が母子家庭だったから自分がいなくなると義母が寂しがるからと同居を打診してきました。「万が一、母さんが嫁いびりするようなことがあっても、俺は絶対に味方だから」と言う言葉を信じ同居を始めました。しかし、実際はまったく守ってくれず見てみぬふり。私は同居のストレスで健康を害していくようになりました。ある日、つまらぬことで義母といさかいになった私はついに倒れてしまったのです。意識が朦朧としていた私は、それでも残った力をふり絞って義母に助けを求めました。しかし義母は「このまま放置しておけば、嫁に先立たれ可哀想な息子を支えるけなげな母になれる。生命保険も入るし一石二鳥ね!」と言い放ち、その場を立ち去ってしまいました。 義母と訣別!目をさますと病院で、泣きながら私を見守る母と夫の姿がありました。夫が「帰宅したら倒れていてびっくりしたよ。母さんが出かけていて留守だったから発見が遅くなってしまった」と言います。私は、倒れたとき義母がいたこと、放置されたことを夫に伝えました。夫が義母を問い詰めるとあっさり認めたのです。すぐに同居解消となり、私と夫は別のマンションに住むことが決定しました。しばらく入院生活を送り、やっと退院することに。夫は退院書類とある1枚の紙にサインをし手続き完了。私は自宅へ戻る前に義実家に立ち寄り、絶縁宣言をするのでした。 まさかの展開が…そして、それから本当に10年近く、今日に至るまで義母とは関わらずに生活をしてきました。夫はたまに姑に電話をかけたり、休日にパチンコに行くと嘘をついて義実家に通ってたようですが知らんふりをしていました。しかし、事態は急展開を迎えたのです。 義母が転んで骨折をしてしまい、後遺症が残るらしく面倒を私に見て欲しいと夫からお願いされたのです。私は絶対に無理だと言うと「俺を好きならできるでしょ?」と言うのです。呆れた私は冷たくあしらうと夫が激怒。お前は嫁だから義実家に尽くすのが当然。この10年は好きにさせてやったけど、そろそろちゃんと嫁の義務を果たしてもらうと言い義実家へ向かうのでした。 約束を忘れ好き放題してきた夫の末路翌日になり義実家から帰宅した夫に、義母と関わることはできないときっぱりと告げます。しかし、夫は聞く耳を持たず、私に引っ越しの準備をしろと言うのです。仕方なく私は夫に1枚の紙を突きつけました。それは10年前、倒れた私を放置した義母を警察に突き出さない代わりにと書いた誓約書でした。誓約書の内容は、「義母とは絶縁し連絡を取らないこと。違反した場合は500万円を支払い、離婚を求める場合は異議を申し立てをしないというもの。そこにはしっかりと夫の自筆署名もあります。誓約書のことをすっかり忘れていた夫は、義母と連絡をしたり会ったりと知らず知らずのうちに契約違反をしていたことに。私は泣きついてくる夫を無視し、マンションから追い出しました。 その後、約束を破った夫は何も抵抗できずに違約金の500万円を支払い無事に離婚成立。私はというと、実家に戻り母と生活をしています。もし、母が要介護になったときは一生懸命介護しようと思っています。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年02月03日