元夫の浮気が原因で離婚して1年。穏やかに過ごしていた私のもとに、突然元夫から「この浮気女が!俺と復縁する約束だっただろ!」と怒りの電話がかかってきたのです……。「俺という存在がありながら、見知らぬ男と仲良さそうに食事をしていただろ!?」「あれは立派な浮気だぞ!復縁予定の俺がいるっていうのに……」と元夫から言われ、私はあ然。恋人もいませんし、そもそも元夫と復縁の約束なんてしていないのです……。 復縁予定なんてありませんが!?「俺から慰謝料を受け取っただろ?慰謝料を受け取ったってことは、すべて許して俺と再婚するってことだ」「俺、離婚して初めてお前の大切さがわかったんだ……浮気して傷つけたことをすごく後悔したから、お前の言い値で慰謝料も払ったし、この1年間浮気相手と別れるためにがんばってきたんだ」 「なのに、お前ときたら、他の男と再婚なんかしやがって!」と息巻く元夫。いやいや……そもそも元夫の浮気で別れましたし、元夫はなんだかものすごく自分に都合の良いように考えている気がするのですが……。 「この浮気女が!」「俺を裏切ったこと、後悔させてやるからな!」「は?私、独身だけど」「え?」 そもそも恋人すらいないのですから、浮気も何もありません。直近で一緒にごはんを食べた男性というと……弟でしょうか。海外赴任が長く、元夫とは顔を合わせたことがないので、勘違いするのも無理はないかもしれません。 「え……弟くん?浮気相手とか再婚相手とかじゃなくて?」と拍子抜けした様子の元夫。 「あんたとの離婚に懲りて、男を作る気力すらわかないわよ」「もちろんそんなあんたとの復縁も絶対にありえないからね」と言って、私は電話を切り上げました。 浮気相手からの連絡翌日――。 昨日は厄日だったのかなぁ……と思っていた私のところに、今度は元夫の浮気相手からの電話がかかってきました。 「こんなのってひどいです!せっかくあなたから彼を奪ったのに、なんで私から奪おうとするんですか!」とこれまたお怒りの様子。はぁ、頭が痛くなってきました……。 昨日の元夫との電話同様、「私は復縁なんてしない」「そもそも浮気が原因で別れた男とヨリなんて戻すつもりはない」と説明。 「でも、彼があなたとヨリを戻すからって……別れを切り出されて……」「私のおなかには赤ちゃんだっているのに……」と言いながら、泣き出してしまった彼女。なだめながら事情を聞くと、彼女は2カ月後には出産予定だそう。元夫も最初は妊娠を喜んでくれていたものの、彼女の実家に連れて行ってからは冷たくなり、「やっぱり別れる」と言い出したのだとか。 彼女の実家は田舎の農家さんで、略奪婚や妊娠のことをこころよく思っていないそう。それでも彼女の父親は「うちの婿になるなら結婚を認めてもいい」と言ってくれたのだそうです。 しかし、元夫は「実家がこんな田舎だなんて聞いてない」「俺は農業なんてしたくない」と嫌がったと言います。私とヨリを戻すと言えば彼女が諦めると思ったのでしょう。 「略奪なんて馬鹿なことをしたって自分でもわかっています」「でも子どもができて、これからはこの子に恥じないように生きていこうって覚悟を決めたところだったのに……」としゃくりあげながら話す彼女。思うところはありますが、妊娠中の彼女を捨てた元夫に腹が立って仕方がありません。そこで、私と彼女は一計を案じることにしたのです。 元夫の引き渡し数時間後――。 またも元夫から電話がかかってきました。「今度2人でごはんでも食べに行こうぜ!」「ヨリを戻す前にまず仲直りしないとな!」とまたも自分勝手な発言を繰り返しています。 「ヨリも戻さないし、仲直りもしないわよ」と言っても、「またまた~、独身なのも俺を待つためだからだろ?」と自分に都合の良い解釈ばっかり。もはや嫌悪感すら覚えます……。 私の声のトーンが低くなったのを感じ取ったのか、焦ったように「お願いだ、たった1回でいい、10分でいいから直接会って話がしたい」と言い出した元夫。そこで、私は「これで私に連絡をするのが最後って言うなら会ってあげてもいいわよ」「明日駅前のカフェで、朝10時に。1分でも遅刻したら許さないわよ」とだけ告げて電話を切りました。 翌日――。 喜び勇んで朝の10時前に指定のカフェにたどりついた元夫を待ち構えていたのは……浮気相手とそのご両親。私は浮気相手の方に協力して、元夫をおびき出したのです。 その後、元夫は「責任を取って結婚するか、毎月子どもの養育費として20万円払うか選べ」と言われ、しぶしぶ結婚を決めたそう。婿になった元夫は朝から晩まで農業とはなんたるかを叩き込まれているそうです。 一方、浮気相手は無事に元気な赤ちゃんを出産。元夫同様、肩身の狭い思いをしているようですが、それでもひたむきに前を向いてがんばっているそうです。元夫については連絡先はブロックして、彼女と赤ちゃんのことはひっそりと応援していこうと思います。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年03月07日義実家と目と鼻の先に住んでいた私。義実家には、義母が一人で暮らしています。義母は夫を溺愛していて、私に息子を取られたと思っているよう……。いつも敵対視されていました。義母は顔を合わせるたびに私の服装を派手だと言ったり、買い物袋の中身を覗き込んで意識が低いと文句をつけたりと、何もかもが気に入らないよう。夫に助けを求めても親を突き放せないようで、私の味方になってくれることはありませんでした。迷惑な義母そんなある日。仕事から帰ると家の中で何やら物音がしています。警戒しながら家の中に入ると、そこには義母がいました。きっと、夫が断りきれずに合鍵を渡してしまったのでしょう。「息子には変なものを食べさせないで! 息子専用の調味料と食材を買っておいたから、あなたは使わないでね!」義母はそう言うと、ドヤ顔で冷蔵庫を開けました。そこには、夫の名前が書かれた調味料や食材がビッシリ。 付き合いきれないと思った私は、適当な理由をつけて家を出ました。 洗濯物の中に…夫が帰る時間に合わせて帰宅すると、義母はすでに帰った後のようでした。合鍵を渡したことを責めると、夫は「嫁姑問題に巻き込むなよ」と面倒くさそう……。そのままどこかに出かけてしまいました。こういうときはお互い離れて頭を冷やすのもいいと思い、行き先は聞かずそのまま就寝。夫は明け方には帰宅したようですが、ソファで寝てそのまま仕事に向かったようでした。 その日も義母は自分の家かのようにわが家にやってきて、私の帰りを待ち構えています。しかも、なんと洗濯中。息子とはいえ、他人の家の洗濯物を勝手に洗うなんて信じられません。さらに義母は「あなた、不倫してるわね!」と私を見るなり鬼の形相。私がキョトンとしていると、ド派手なTバックを差し出してきました。「こんな破廉恥な下着で他の男を誘惑しているなんて、汚らわしい!」とまくしたてます。 しかしその下着に見覚えはありません。私は「それ、私のじゃないですよ」と答えました。 セクシーランジェリーの持ち主これには義母もびっくり。私たちが顔を見合わせて不思議な顔をしていると、背後に気まずそうに立つ夫の姿がありました。 すこし前から夫の行動が怪しいと思っていた私は「これ、大好きな息子さんの不倫相手のものみたいですよ」と、カマをかけてみました。すると、みるみるうちに夫の顔色が変わっていったのです。 今日の洗濯当番は夫です。だから、私にバレないと思って洗濯カゴに入れたのでしょう。義母が勝手に洗濯したのが運の尽き。洗濯物に目をやると、私のものではない下着が何枚か混ざっていました。夫の不貞夫はダブル不倫をしていたよう。相手の旦那さんにバレないように、セクシーなランジェリーをわが家に持ち帰り、洗濯していたのでした。 義母は大きらいな私と夫が離婚することになって嬉しそうでしたが、セクシーランジェリーの彼女が新しい奥さんになることも受け入れられない様子。微妙な雰囲気が漂う夫・義母親子を見て、早めに見切りをつけられてよかったと思わずにいられませんでした。 おせっかいすぎる義母は悩みのタネでしたが、幸か不幸か、夫の不貞を暴くことができました。この義母、息子がどんな奥さんと結婚しても、同じような態度をとるのでしょうね。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年03月07日私は7歳の女の子のママです。娘が4歳、幼稚園年少のとき、私はママ友関係で悩みました。喧嘩やトラブルではないのですが、当時の私にとってはとても悲しい出来事でした。今回は私が体験した、異性の子を持つママ友との関係についてお話しします。娘の友だちは男の子ばかり娘が幼稚園に入る前、私は近所に住む3人のママたちと仲良くしていました。育児サークルで知り合い、3人とも子どもは男の子。子どもたちが2歳ぐらいのころから、お互いの家に行き来したり、一緒に公園に行ったりとたくさんの楽しい時間を4組で過ごしていました。 全員同じ幼稚園に入園することが決まったので、幼稚園が始まってからもこの関係は変わらず、みんなで降園後に遊べるものだと思っていたのですが……。入園して半年経ったころから、グループの関係性に変化が生まれてきたのです。 男の子とは遊びたくない娘幼いころの娘はその男の子たちと仲良く遊んでいましたが、年少の中盤から遊び方や好きな物に違いが出てきました。みんなは戦いごっこにハマり、技の名前を言いながら戦って遊んでいました。一方、娘は「男の子は戦ってばかりだから一緒に遊びたくない」と言うように。 みんなで集まって家で遊んでいても、娘だけ他の子たちと離れて私のひざの上でつまらなそうにしていました。「今日、〇〇くんの家に遊びに行く?」と聞いても、「行きたくない」と。そうなると私がママたちと話したいというだけの理由で遊びに行くわけにもいきません。 誘ってもらえなくて寂しい…みんなもそのことに気がついていました。なので、バス停で毎日顔をあわせるのですが、だんだんとうちだけ遊びの誘いがかからないように。正直とても寂しいし、仲間外れにされている気がしていました。今思えば当たり前の流れで、私の被害妄想だったのですが……。 娘も楽しそうではないし、と頭ではわかっていても、何で誘ってもらえないんだろう、私たち親子のことがあまり好きではないのかな……とマイナス思考に陥っていました。私もみんなと子どもたちを遊ばせながらおしゃべりを楽しみたいし、一応声はかけてほしいと感じていました。 その後、娘にはたくさんの女の子の友だちができました。当時のことを思い返すと、男の子ママたちに何の悪気もなかったことがよくわかります。そして、私は3人組の男の子ママのうちの1人とは、子どもたちが就学した現在、頻繁に2人でお茶やランチに行く仲です。子どもの手が離れ、本当に付き合いたいと思えるママ友以上の真の友人ができよかったと思っています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 著者:小川恵子
2024年03月07日私は普段、電車やバスを使って通勤しています。そんな私が社会人になりたてだったある生理中のこと。通勤途中でめまいに襲われました。そんなとき、声をかけてくれたのは……。 都会の生活に慣れるのが精一杯私は生まれも育ちも田舎なので、東京暮らしを始めたころは人の多さに驚きました。どこからこんなに人が溢れ出てくるのだろうと、人の波を見ているだけでもめまいがしそうになったほどです。 そんな上京したてだったある生理2日目。経血量が多い日のことです。通勤中、電車からバスに乗り換えようと駅構内を歩いていたら、ふとめまいに襲われました。 歩くのもしんどかったのですが、人の波があり「迷惑になるかも」と考えると動かないといけません。しかし、しばらく頑張って歩いたあと、しんどく私はその場に座り込んでしまいました。都会生活に慣れない時期でもあったので、疲労もあったかもしれません。 救世主が現れたすると……そんな私に声をかけてくれた女性たちがいました。女性たちは近くのベンチに座ったほうがいいと私の両脇を抱え、ベンチまで誘導してくれたのです。 彼女たちのおかげで少しずつ体調が回復。そして、女性たちにお礼を伝えると……実は、女性たちは私と同じ電車に乗っており、そのときから「様子がちょっとおかしい」と思っていたそうです。顔色が悪く、足元もふらついていたため、「貧血かな」と感じ電車を降りたあと、追いかけたとのことでした。そして、実は生理中で、今日は経血量が多い日だということを伝えると……女性たちも「それは大変だったね」「無理はしないでね」と温かい言葉をかけてくれたのです。 事なきを得て職場へその後、女性たちはバッグの中から携帯用のおやつなどを取り出して、どこの誰ともわからない私に「どうぞ」と譲ってくれました。 私自身、めまいがよくならなければ救急車を呼ぼうと思っていましたが、とにかくつらい気持ちだったため、女性たちの気づかいには本当に助けられました。上京したてだったこともあって、私の中に「都会の人は冷たい」というイメージがあったものの、この一件で払拭されたのです。 一連の出来事を職場の同僚たちに伝えたら、みんな驚いていました。私と同じようにみんな田舎から都会へ出てきた人たちばかりなので、「都会って怖いと思ってたけど全然違うね!」「やさしい人もたくさんいるんだね!」などと自分のことのように喜んでいました。 今でも電車通勤をしていると、ふとあのときの女性たちのやさしさを思い出し、彼女たちのように他人を気づかうことのできる人になりたいと思うときがあります。今の時代ならSNSなどを使ってお礼を伝える術がありますが、あのときの救世主たちにもう一度お礼を伝えたいと思っても連絡が取れないことが今も悔やまれます。 著者/浦部さくら作画/まっふ監修/助産師 松田玲子 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者・イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター 漫画家 まっふ
2024年03月06日4歳の娘と生後8カ月の息子を育てています。娘が3歳のとき、近所に住む年の近い姉妹と仲良くなり、よく一緒に公園で遊ぶようになりました。ほどなくして私が下の子を妊娠したのですが、そのときにちょっとモヤモヤすることが起こったのです……。 私のことが大好きな姉妹その姉妹はまったく人見知りをしない子たちで、2人とも誰にでも自分から話しかけに行くタイプ。そのなかでも私は特に気に入られていて、よく「○○(娘)ちゃんママ! 抱っこ!」と言ってきてくれました。 妊娠がわかってからしばらくはつわりなどで体調も悪かったので、公園に遊びに行きませんでした。安定期に入って体調が落ち着き、久しぶりに公園行くとその姉妹とママがいて、「久しぶり~」と言いながら遊び始めました。 私に抱っこをせがむ姉妹そのときすでにおなかが少し出てきていたので、相手のママも気付いて「あれ? 見ないと思ったらもしかして?」と言われ、「そうなんです~」と下の子の妊娠を打ち明けました。そしてしばらく仲良く遊んでいた子どもたちも遊びきって疲れてきたとき、娘が「お母さん疲れた~だっこ~」と言ってきました。 このときおなが大きくなってきて腰が痛かった私は、「お母さん腰がしんどいから座って抱っこならいいよ」と言ってベンチに座って娘を抱っこ。それを見た姉妹が、「あ!」という顔をして、「私も抱っこ!」と言ってきました。 抱っこしない私が悪いの?私は娘と同じように「座って抱っこね」と言うと、姉妹は「やだ! 立って抱っこして!」と私によじ登ってきます。私はおなかをガードしつつ「おなかに赤ちゃんがいるから」と言うと、姉妹は余計にヒートアップし「やだー!! 抱っこでしょ!!」と泣き始めました。 そんな子どもたちを見ていたママが姉妹に近づいたので、「あ、止めてくれるかな」と思ったら衝撃的な言葉を言ったのです。「私が下の子を妊娠してたときは、普通に上の子を立って抱っこしてたけどねぇ」と。そう言い、「○○(娘)ちゃんママ、抱っこできないってさ」とあきれたような口調で姉妹をなだめ始めました。私は「ごめんね」と姉妹に言い、その後も少し遊んで帰宅。ただ帰宅後も彼女の発言にモヤモヤが残りました。 この発言の後もこの親子と時々公園で遊びましたが、モヤモヤする発言はこの1回きりで普段は気の合うママです。ただこの発言に彼女の素を見た気がして、深くは付き合わないようにしています。妊娠中は体がしんどい人もいると思うので、私自身は妊婦さんに気を使える人でいようと思っています。 著者:山口花田舎で1女1男を育てる母。コーチングの資格を子育てに生かしながら日々奮闘中。主に妊娠・出産・教育の記事を執筆している。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2024年03月06日極端すぎる父の教え私にとって父は怖い存在でした。私が3歳ぐらいの時に父が私と兄の前で膝をついて目線を合わせ、深刻な面持ちで「いいか、この世は戦場なんだ。お前たちはそこで戦い抜いて生きていくんだ」と言ったときから、私の「戦い続けなければ生きていけない」という、0-100思考の萌芽が生まれたように思います。その後父は、私が中高生になる頃には「勉強していい大学に入ってエリートになれ」というようなストレートな言い方はしないものの、「学生の本分は勉強だ。家事は我々で担うからその時間を勉強に充てろ」「お前みたいなタイプは弁護士か研究者になったほうがいい」「そうじゃないと将来食っていけなくて路頭に迷う」などと繰り返し言うので、私は「いい大学に入ってエリートにならなければ生きていけない」という0-100思考を強めることになりました。今になっては父も極端だったなと思うのですが、そんなこと、子ども、それもASD傾向のあった私にわかるはずもなく……。失敗しそうになったとき――「踏みつぶす」兄と、頑張りすぎる私兄も極端な人でした。失敗の不安や兆候があるとき、私は不安やリスクを塗り込めるために3倍頑張るようなタイプでしたが、兄の場合はやけくそになって極端な行動に出るタイプだったのです。例えば、私も兄も20代だったある時の話。兄がダイニングで、おまんじゅうを1つ手に取り、個包装を剥いて食べようとしていました。そこで、手を滑らせておまんじゅうを床に落とした兄。「あ、落としたな」と思って居間から見ていた私は、信じられない光景を目にします。兄は落ちたおまんじゅうを一瞬見つめると、それをトンッ!と真上から足の裏で踏み潰し、素早く拾い上げると、そのままゴミ箱にストンッ!と投げ捨てたのです。おまんじゅうが個包装が剥かれた状態で床に落ちたならまだわかるのですが、兄はあくまでおまんじゅうの個包装を「剥こうとしていた」だけ。おまんじゅうは個包装にしっかり包まれていたわけですから、それを床に落としたからといって大した問題はないはずです。私は起きたことの意味がわからなくて、「今、おまんじゅう踏み潰して捨てた?」と聞いたら、兄は真顔で「うん」と答えました。私は絶句。兄は「おまんじゅうの個包装が思ったようにうまく剥けなかったことが許せず、なんの問題もないであろうおまんじゅうを踏み潰し、捨てた」のですね。なお、分かりやすく、兄の個人情報にも支障がない象徴的な例としておまんじゅうの話を挙げただけで、兄のこうしたエピソードはたくさんあります。私は失敗にあたり自責に向かう傾向がありましたが、兄は他責や攻撃性に向かう傾向があったようで、ここが私と兄の大きな違いだったと思います。私が100を目指さなくてはいけなかった理由実家にはひきこもりの伯父がいたのですが、その伯父について、父は繰り返し「働かざる者食うべからず」と言っていたし、母は「こちらは一生懸命働いて疲れてるのに、働いてもないこの人と同じ空気を吸わなきゃいけないのが耐えられない」などと言って、伯父が話しかけても無視したりしました。私が大学受験の時に無理しすぎたせいでバーンアウトして大学に行けなくなり、続いて母も仕事に行けなくなって休職した時は、父は吐き捨てるように「2人も兄ちゃん(伯父のこと)みたいになりやがって!」と言うのでした。今思い出しても、こうした実家の空気は本当につらいもので、伯父は本当にかわいそうだった、と思うのですが、当時の私は「家族の要求に応えることができない私はだらしがない、ダメな人間だ。伯父のようにならないように命がけで努力しなければ」と、激しい自責をするに至りました。そして、20代いっぱい、どんどん体調が悪くなり、母の世話も大変になっていく中で、どうにかして働いて自活しようとしては仕事に行けなくなって辞める、ということを繰り返すことに。体重はどんどん減り、身体は骨と皮ほどになり、顔はニキビだらけ、髪は薄くなる……悲惨な状態でした。バーンアウト、家族との断絶を経て、数10年かけてたどり着いた今の状況その後、私は今の夫に助けられて実家を出ることになります。それからASDの診断や複雑性PTSDの治療を経て、最近ようやく、0-100以外の考え方ができるようになってきました。最終的に私の考えの窮屈さを緩めてくれたのは認知行動療法でした。しかしそれも、それまでに自分のASD傾向を見つめたり、トラウマ治療の中で、自分が家族の価値観を内面化していたことに気づいたりしてきた積み重ねがあってこそだと感じています。今は、「できないことはできない」「人間なんだから失敗もする」「失敗したからって生きられなくなるわけではない」と、いい塩梅に開き直り、自分の心身の健康をいちばん大事にしようと思えるようになりました。この状態に至るまで長い紆余曲折がありましたが、ここまで来られてよかったなと思っています。文/宇樹義子(監修室伏先生より)ご結婚されるまで過ごされたご実家の環境、義子さんのお気持ち、そして診断や認知行動療法について、ご共有くださりありがとうございます。お辛い時期を戦われ、乗り越えて、今ご自身の心身の健康を大事に過ごされている義子さんのお言葉は、多くの方にとって大きな励ましになることと思います。義子さんの今後の人生、私も応援させていただきます。前の記事はこちら
2024年03月06日在宅ワークの私を見下し、仕事中だろうと会議中だろうと乱入して家事をさせる傍若無人な夫。毎度イライラさせられながらも、夫に対する情が残っている私は離婚に踏み切れませんでした。しかし、夫は勝手に離婚届を出してきて――!?在宅ワーク中の私を邪魔して、家事を押し付ける夫。その日も、オンライン会議中に「晩飯ができていないとは何事だ!?」と乱入してきたのです。 自分勝手な夫「お前の会議よりも旦那様の晩御飯の方が大事だろ!」「俺は今無性にコロッケが食べたい、今すぐ作れ!」といつものようにわがままを言い出した夫。挙句の果てには「3分間だけ待ってやる、それまでに晩飯を作り始めなかったから覚悟しておけ」と私を脅すようなことまで言い始めたのです。 30分後――。 あろうことか、「早く晩飯を作れ、じゃないと離婚だぞ」と離婚届を持ってオンライン会議に乱入してきた夫。もちろん上司も部下もドン引き、私はただただ平謝り。結局会議も途中で切り上げることになってしまいました。 一方の夫は「これでお前の無駄なオンライン会議を減らせるだろうから感謝しろ」「これからは『旦那に離婚される』って言えば余計な仕事も回ってこないぞ」とにやにや。 呆れ果てた私の様子を見て、「なんだその態度は」と言いながらも相変わらずにやついた顔を隠そうともしない夫。「乱入した時に持っていた離婚届はサイン済みだし、こっちは本当に離婚してもいいんだぞ」と離婚をちらつかせてきたのです。 親友の存在1時間後――。 夕飯を終えた私のもとに、親友からメッセージが。この親友、実は東大卒で会社経営をしている社長なのです。うちの夫は「東大卒だからってイキがってる生意気な女」と嫌っているようですが……。 親友の会社は私の在宅ワークの発注元。親友は先ほどのオンライン会議にも参加しており、突然の夫の乱入に驚いて個人的に私に連絡をくれたようです。 「離婚で脅してくるなんてありえない!」と憤慨する親友。もちろん、離婚を考えたことは二度や三度ではありません。 夫はそこそこの企業に勤めていましたが、大量リストラでクビになり、今は下請けの工場で働きながらいろいろな資格を取っています。完全未経験でもともとの給料が低いうえに、資格取得費用が給料から天引きされるため、月収は10万円に届きません。 こんな状態の夫が私に八つ当たりするのも無理はない、と思ってしまうのは、まだ情が残っているからなのでしょうか……。 私の話を黙って聞いてくれた親友は、「心変わりした時は教えてね」「週明けは久しぶりの職場出勤よね?会えるの楽しみにしてる!」と明るく私を励ましてくれたのでした。 会社にバラしたのは…1カ月後――。 またもオンライン会議中に「帰ってきた旦那様に晩飯を用意していないとはどういうことだ!?」と乱入してきた夫。リビングに「晩飯は冷蔵庫に入っています」というメモを残しておいたのに……。 「帰ってきた旦那様には手作りが常識だ」「さぁ早く俺に出来立てのカレーを出すんだ、もちろん福神漬けもな」とにやにやしながら言いつけてくる夫。オンライン会議が終わるまで待つように言うと、「なんだその態度は!」「こっちは慣れない仕事でも毎日がんばっているっていうのに、呑気に在宅仕事をしておいて家事も手抜きなんて許されないぞ!」と激昂。 「たいした金も稼いでいないてめえなんかが一丁前に共働きを気取るんじゃない!」「こっちは寄生虫を養うために毎日汗水流して働いてるっていうのに、ほんと嫌になるぜ」 寄生虫呼ばわりされた私はあ然。「今回も3分だけ待ってやる」と言い残して立ち去った夫に、ふつふつと怒りが湧いてきました。 30分後――。 私は夫の要求を無視してオンライン会議に出席。すると、また夫が後ろから現れてとんでもないことを言ってきたのです。 「旦那様の言葉を無視して会議中のお前に報告だ、たった今俺はお前との離婚届を出してきたぞ」 再び私はあ然。「何のために……?」と思わず問いかけると、「お前を教育するために決まってるだろ」と夫。そんな理由で勝手に離婚届を出すなんて……。 「旦那様を大切に扱っていれば離婚なんてされずに済んだのになw」「嫁でもない寄生虫の低収入OLは今すぐ出て行け!」「助かるわ、ありがとう!」「え?」 夫は、自分がいないと私が生きていけないとでも思いこんでいたのでしょうか。どうやら私は自分から離婚に踏み切ることが不安だったようです。現に、今夫から「離婚届を出した」と聞いて、私の気持ちは晴れ晴れとしています。離婚届の提出には本来双方の同意が必要なはずですが、結果的には問題ないでしょう。 私の喜びように、夫はぽかん。「お前は俺と離婚できてうれしいのか……?」と尋ねてきたので、「これからは自分の年収1,000万円を好きなように使えるんだもの」と返すと、夫は開いた口が塞がらなくなってしまったようでした。 夫がリストラにあった時に、私は前々から声をかけてくれていた親友の会社に引き抜かれる形で転職していたのでした。親友からの期待に応えようとがんばった結果、コネや贔屓なしで私は年収1,000万円を達成したのです。 「い、いやいや、おかしいだろ、ありえないだろ」「俺なんて前の職場でも500万くらいだったんだぞ」と急に焦り始めた夫。職場や年収も知らなかったようで、私にいかに興味がなかったがありありとわかりました。 私は夫を支えようとがんばってきたのですが、夫から三行半を突き付けられては仕方ありません。オンライン会議も無事終わったので、荷物をまとめて出て行くことにしましょう。 その後――。 私の離婚を聞いた親友が、タワマンでのルームシェアを提案してくれました。家事の苦手な彼女の代わりに家事をするという条件で、家賃は免除。 一方、元夫は12万円の家賃が払えず、私のところに泣きついてきました。給与明細もしっかり確認していなかったようで、資格取得費用も全額実費で天引きされていたことを知らなかった様子。 いまだに元夫からは復縁したいと連絡が来ますが、もう私に情は残っていません。これからは親友とのルームシェアを思いっきり楽しもうと思っています。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年03月05日私が結婚した相手は、7歳の男の子を育てるシングルファーザー。私は母になるために仕事を辞めました。正直、周りから反対や心配もたくさんされましたが、それでもうまくやっていけると信じていたのです。一緒に暮らすようになってから、積極的に息子とコミュニケーションを取ろうとしましたが「この人はママじゃない!」と、なかなか心を開いてくれませんでした。レストランに誘っても「行きたくない」と拒否。いつかはきっと……という希望と、もう無理かもしれないという諦めが行き来していたのですがーー。精いっぱいの愛情を…こんなに頑なに私を認めてくれないとなると、前妻である本当のママはさぞかし素敵な人だったのだろうと思っていたのですが、その逆。息子のことを放っておいて遊びまわるような人で、結局浮気相手と逃げてしまい、後からサイン済みの離婚届が送られてきたのだとか。 それを聞いたら諦めるわけにはいきません。私は息子に精いっぱいの愛情を注ごうと心に決めました。 ちょうどそのころ、息子が学校から1枚の手紙を持って帰ってきました。そこには「お弁当の日について」と書いてあります。設備点検の都合で、来週から3日間お弁当が必要になるようです。 息子にお弁当のリクエストを聞いてみても「何でもいい」と相変わらず。俄然燃えてきた私は、夫に息子の好みを聞き、腕によりをかけてお弁当を作ることにしました。 お弁当完食!お弁当1日目。帰宅した息子に感想を聞くと「別に……」とそっけない様子。口に合わなかったかな? と思い、シンクに出されたお弁当箱を開けてみると、なんと空っぽ! もしかしたら喜んでくれたのかなと期待してしまいます。 ゴミ箱に捨てたり誰かにあげたりしていないといいなと思いながらも、2日目のお弁当も完食。残すところあと1日となりました。 最終日は息子の大好物のミートボールを作ろうとスーパーに出掛けると、息子の同級生の親子にバッタリ。そこで私は意外な話を聞いたのです。 どうやら息子はお弁当を食べているときに「ママのお弁当はおいしい!」と言ってくれていたよう。しかも、ママが作る料理はどれもおいしくて、外で食べるよりも家で食べたいとも話していたと聞かされました。 私が泣きそうな顔をしていると、同級生のママは満面の笑みを見せて言いました。「これからもっといいことがあるかもね!」どういうことでしょう……。 最高のプレゼントそして迎えたお弁当最終日。私は心を込めてお弁当を作りました。放課後、お弁当箱を開けると息子からの手紙が……。そこには「ママになってくれてありがとう」と書かれたメッセージカードが入っていました。 ちょうどそのとき、スーパーで会った同級生のママから連絡が入りました。どうやら息子は学校で「恥ずかしくてママと呼べない」と相談していたよう。クラスメイトが一丸となって手紙を入れる作戦を考えてくれたと教えてくれました。 この手紙は、私にとって最高のプレゼントになりました。それから3年が経ち、今ではわがままや反抗もチラホラ。それも私を信頼し、甘えてくれている証拠です。どんな息子も、変わらず愛情を注ぎ続けています。 何があっても諦めずに愛情を注ぎ続けたことで、良い関係性を築けて本当によかったですね! 血の繋がりを超えた関係性もあるのだと思わされました。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年03月05日何かと理由をつけて、親戚が集まることの多い義実家。そのたびに私もお手伝い係として駆り出され、子どもたちを連れて出かけます。そんな中で、私がしてしまった失敗。義母と親戚が私の失敗を取り上げて責め立ててきました。そんなとき私を救ったのは……。親戚の集まりで痛恨の失敗……!「親戚が集まるから、お弁当注文しておいて」と言われたのは、集まりがある日の前日でした。しかし、頼まれたその日は忙しく、わが家のことだけでいっぱいいっぱい。返事だけして、すっかりお弁当の注文を忘れてしまっていました。 集まりの当日、義実家に手伝いに行くと「お弁当は?」と言われ、そのときにやっと「あっ! 忘れた!」と気づいた私。「すみません! 今すぐ買ってきます! 」と慌てて予定とは違うお弁当屋さんに子どもたちとともに行き、人数分のお弁当を両手にかかえて義実家に戻りました。 私の失敗をみんなの前で笑う義母何とか集まりに間に合いホッとしつつ、集まった親戚の対応をしていると、義母が「今日は本当は○○屋さんのお弁当を買ってくるつもりだったのよ」とわざわざ言いました。続けて「でもね、お嫁さんが忘れてて、さっき慌てて買いに行かせたのよ。ごめんなさいねー、まったく」とケラケラ笑うのです。 私は「忘れた私も悪いけれど、何とかなったのだから言わなくてもいいのに」と心の中で思いつつも、「すみません、忘れちゃってて……」と謝りました。そんな私に親戚たちは「もっとしっかりやるんだよ」「ボーっとしちゃって、まあ」と義母側の発言を口にしました。 親戚を黙らせた娘の言葉なじるような義母や親戚の言葉にイライラしながらも「気をつけますね」と受け答えしていると、遠くで遊んでいた娘が私のそばにやってきました。そして私に向かって「いいんだよ。まちがってもいいんだよ。誰でも失敗するんだから」と私をなでなで。そして親戚に向かって「まずはお弁当買ってきてくれてありがとうだよね?」と促すように言いました。 娘のまっすぐな視線に、気まずそうにする義母と親戚たち。1人の親戚が「嫁ちゃんの子どもはいい子だね!」と取り繕うように言い、「さ、食べよう食べよう」と親戚たちはそそくさと逃げていきました。娘の言い方は、私がたまに娘にする言い方そのもの。義母や親戚に責められている私を見て、「自分が言わなければ」と思った娘をとても誇らしく思いました。 義母や親戚が感謝や謝罪の言葉を口にすることはありませんでしたが、娘が私のために行動してくれたことで心が救われました。娘には「ありがとう」と、思い切りハグ。私は人の失敗を責める義母や親戚とこれから付き合っていくことに一抹の不安を感じつつも、娘が芯をもって成長してくれていることをうれしく思いました。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 著者:山口花田舎で1女1男を育てる母。コーチングの資格を子育てに生かしながら日々奮闘中。主に妊娠・出産・教育の記事を執筆している。
2024年03月04日夫の転勤を機に退職し稼げなくなった私に、夫は何かあるたびに「お前は稼いでないくせに」と見下してくるようになりました。私も働いていないことに対する罪悪感を抱くように。黙っている私に夫の言動はエスカレートしていったのです。 稼げない私を見下す夫夫の転勤先に子どもと一緒について行くため、私は勤めていた会社を退職し、わが家の家計は一馬力となりました。無駄づかいはせず毎月やりくりを頑張っていたため、毎月まとまったお金を貯金できていました。しかし、私が仕事を辞めたころから夫の厳しい家計チェックが始まったのです。 私がドラッグストアで購入した1,000円の化粧水さえも夫は無駄と言ってきたり、夫のリクエストで購入した夕飯の牛肉は「稼ぎのないお前は食べるな!」と、私だけ鶏むね肉を食べるように強要されることも。 私は最初こそ夫に抗議しましたが、何を言っても「稼いでから意見しろ!」としか夫は言わないのです。そんな毎日に、私は働いていないことに対する罪悪感をだんだんと抱くように……。喧嘩をしながらも夫の言うことを受け入れるようになったのでした。 言動はさらにエスカレート夫の言動はさらにエスカレートしていき、水道とガス代がもったいないからと私だけお風呂の時間を5分以内に制限されるように。5分が過ぎると早くお風呂から出るよう夫が催促をしにきて、「お前はこんなこともできないなんて、本当に無能だな」と言ってくるようになりました。そんな日々が続き、とうとうブチ切れてしまう出来事が起こったのです。その日、夫にテレビのリモコンを取ってほしいと私はお願いされましたが、ちょうど生後3カ月の息子のおむつ替え中で手が塞がっていたため、今は無理だと夫へ伝えました。すると「ごちゃごちゃうるせーな! お前ら(私と息子) は稼いでねえんだから、まずは俺の言うことを聞け!」と怒鳴ってきたのです。 私だけではなく、子どにも怒鳴った夫に私の怒りは爆発。慣れない育児や寝不足の日々も重なり、私は夫へ今までの不満をすべてぶつけ、最後は離婚すると切り出しました。 原因はプレッシャーだった「離婚」という言葉と今まで見たことのない私の怒りように、さすがの夫も冷静になったようで何度も謝ってきました。そして、夫は私に本音を明かしてくれたのです。「本当は自分の言動が異常だって気付いてた。自分(夫) ひとりで家族を支えなきゃいけないことが想像以上にプレッシャーで、自分でも感情をコントロールできなくて……」と、かなり追い詰められている様子の夫を見て私も仕事をすることを決意。 しかし、これからも夫の転勤は続くため、決まった場所で働き続けることは難しく……。夫と相談した結果、息子を家で見ながらフリーランスで働くことにしました。最初こそ育児と仕事の両立はうまくいきませんでしたが、現在は何とか軌道に乗ったのです。少しですが収入も増えたおかげで、夫と私の心にも余裕ができ、以前のような穏やかな日々が戻ってきたのでした。 夫が妊娠・出産のつらさを知らないように、私も夫が仕事や家族を養うことで感じるプレッシャーやストレスを本当の意味では理解できていないと思います。もしかしたら、そういった日ごろの私の態度が夫を暴走させてしまった理由の1つだったのかもしれません。自分が経験したことのないことでも想像力を働かせ、相手に寄り添う大切さを学ぶことのできた体験でした。 監修/助産師 松田玲子著者:米久 熊代0歳男児の母。人材会社や人事の仕事を経験し、夫の転勤を機に退職。現在はフリーランスとして前職関係の仕事とライターをしながら、プレママ・新米ママ向けブログを運営中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター こちょれーと
2024年03月03日妊娠中、私は子どもの名前の候補をいくつか考えていました。しかし、夫からは全て却下されていました。名前の候補とは…夫は「夏生まれだから夏にちなんだ名前がいい」とは言うものの、具体的な候補は何もなし。仕方がないので出産までに考えてもらい、夫の候補の中から私も気に入った名前を選ぶ、ということで妥協しました。退院と同時に出生届けを出す予定でした。 産後3日目、夫に赤ちゃんの名前は?と聞くと「まだ考えてない」とのことだったので、翌日まで待つことにしました。翌日23時過ぎにようやく送られてきたリストには、まさかの10~11個もの名前が。しかも夏にちなんだ名前は1つのみ。2日間で一生懸命考えたのは伝わってきただけに文句も言えず、「退院直前にこれかよ…」とただただ悲しくなり泣いてしまいました。 ◇◇◇ 夫の候補にあった名前の漢字の画数を調べていたときに、私が使いたかった漢字の画数がかなり良いことにたまたま気付きました。なので「この漢字を使いたいから、この名前にしよう!」と言い切り、あっさり決まりました。 作画/さくら著者:山本えり40代、3歳の娘を育児中の40代母。日中は夫の店を手伝いながらマイホーム購入に向けて情報収集中。
2024年03月01日今回は、外食中にびっくりしたときのエピソードを紹介します。後輩と回転寿司へ…後輩は…パネル注文しておこう私が頼んだ寿司が来た!早速食べよう…!外食をあまりしないという後輩。滞りなく食事を楽しんでいる2人でしたが…?※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。作画:mizukusan編集:愛カツ編集部
2024年03月01日今回は、物語をもとにしたクイズを紹介します!クイズの解答を考えてみてくださいね。【LINE】私を奴隷のように使う義母主人公は、義母と同居する兼業主婦です。ある日、義母からなぜか義母宛のカードの支払いを命じられました。無茶な要求をする義母出典:Youtube「Lineドラマ」「口座に10万円振り込んで」と義母が無茶な要求をするので…。主人公が「そんなには無理です」と拒否すると、義母はまさかの発言をしました。問題さあ、ここで問題です。10万円の入金を強要する義母。それを拒否するとどうなるでしょうか?ヒント義母は強硬手段に出ました。みなさんは答えがわかりましたか?正解は…出典:Youtube「Lineドラマ」正解は「家から追い出される」でした。「この家から出て行ってもらいます!」という義母からの脅しに驚いた主人公。「夫に相談します」と義母に伝えたのでした。※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(lamire編集部)
2024年03月01日初めての出産はコロナ禍で、家族の付き添いはありませんでした。ひとりの寂しさに耐えてなんとか無事出産を終えた私ですが、後日義父がそんな私に対して無神経な発言をしてきて……。 無神経すぎる義父私はコロナ禍で初めての出産を経験しました。当時、家族の付き添いはできず、夜中に破水し病院に一歩足を踏み入れたときからずっとひとりぼっち……。もちろん助産師さんがいろいろ気にかけてくれましたが、やはり家族がそばにいないことで寂しい気持ちに。そして、大けがや大病をしたことがない私にとって陣痛はあまりにも痛くて、泣き叫んでしまいました。それでもなんとか頑張って、予想より早めの約2時間で無事に元気な赤ちゃんを産むことができたのです。 退院して数日後、義両親が私と赤ちゃんに会いにきてくれました。私は早速自分の愛し子を2人に会わせることができてうれしい気持ちでしたが、義父が開口一番「いやぁ、お産、楽ちんやったんやろ!」と言ってきてひどくショックを受けました。寂しさや痛みに耐えて、頑張って産んだ私に対して、なんてデリカシーのない発言なんだ……とだんだんと怒りが湧いてきます。しかし気まずくなるのが嫌で、苦笑いをすることしかできませんでした。 コロナ禍ということもあり、義父母は短時間で帰宅。そのあと我慢ならず母に電話でこのことを話すと、「そりゃイラッとするわぁ。そんなこと言ったらあかんよな」と私のイライラに共感してくれたので、なんとか気持ちを落ち着かせることができました。 作画/さくら著者:まんまるこ
2024年03月01日アラフォーになり、職場では私より新しく入った年下の社員と一緒に仕事をするようになったころのことです。入社したばかりの年下の人の中には、私にはない知識を持っている人が多く、現在は年齢関係なく教わる機会が増えました。自分が年上であることが多い職場環境により、自分が率先して何かをしなければと使命感に駆られていた私の精神面での変化を紹介します。仕事で年下と接する機会が増えた40歳を過ぎたころ現在の会社にパートとして勤務し始め、その後にフルリモートで正社員に登用されて今に至ります。それまでは専業主婦として家庭で過ごす時間が長く、その後はパートとしてしか働いてこなかったので、企業で働くことがあまりありませんでした。正社員となって働くようになったものの、会社の中で私は年齢的に高めの部類に入りますが、社会人経験が少ないためまだまだ勉強中の身です。ですが、新しく年下の社員やパートさんが入ると、「困っていることはありませんか?」「何かあればお手伝いしますよ」「ここではこうしたほうがいですよ」など声かけしていました。1回程度ならただの親切心に思われるでしょうが、私は何回も同じようなことを話していたので、相手は任せてもらえていないと感じたり、ちょっとお節介だなと思ったのかもしれません。実際に、私からのお節介メールに対して返事をもらえないことが多くありました。そして、ある日新人社員のほうが私よりも仕事を任されていることを知り、とても落ち込んだものです。思い返せばただのでしゃばりな人です。とりわけ仕事ができるわけでもなく年上というだけのことで、世話を焼きたかったのだと気付きました。プライベートで捉え方が変わったこの出来事がきっかけで、自分よりも年下の人に対して、頼まれもしないのになぜ世話を焼いてしまうのかについて考えるようになりました。私は人が困っているのだろうと勝手に決めつけて、必要そうな情報を提供したり、先回りして教えてあげたりすることが良いことだと思っていました。しかし、当の本人にとっては本当に今必要な情報なのか、アドバイスを必要としているのかなど、相手目線で考えていなかったと反省しています。年上だから年下の人よりも経験が豊富であるという考えを根本に持っていて、相手を尊重していなかったのかもしれません。そのころ、プライベートで若い人と遊んだり、仕事の話や趣味について話し合うことがあったのですが、その交流の中で自分よりも年下の人で経験も知識も豊富な人やしっかり物事を考えている人が多いことに気付きました。遊びに行くときにも、私が方向音痴で困っていると一緒に行動してくれたり、新しい仕事の情報を教えてくれたり……。若い人もしっかりしていて、自分でわからないことがあれば質問するし、仕事スキルも持ち合わせていました。こちらからお節介を焼く必要はないのだということを私は実感したのです。人への対応に柔軟性をもちたい!新しく入社した年下社員に対して、頼まれもしないのに、アドバイスやフォローを何度もしていました。一生懸命私なりに年下の人をフォローしようと思って行動していましたが、なぜか空振りしたり迷惑がられてしまったり。相手のためになりそうなことをしているのになぜ……と寂しく思ったものです。プライベートで若い人と関わるようになってから、ちょっと面倒な人に思われていないかなと心配になり、これを機に変わろうと決意しました。私からのお節介メールへの返事は相変わらずないですが、年下社員は私の仕事が困ったときに助けてくれたり応援してくれたりします。私のことは嫌いではなく、私の世話焼きが嫌ということだと思うので、世話焼きな部分を直さなければいけないと思いました。年上だから経験も知識もあるという考えでお節介をしてきたので、仕事でもプライベートでも私が気付かなかっただけで、嫌な思いをしていた人がいたかもしれません。お節介メールに対して年下社員から返事が来なくて、とてもイライラし、追いメールを送ってしまうという行動を取ったこともありました。いわゆる「老害」という言葉が当てはまる状態です。まさか私がアラフォーで老害のような考えをするとは思ってもおらず、今思い返すと恥ずかしいばかりです。まとめどうしても周りの人に対して年が上であることで、何かしなくてはいけないという考えから、ついアドバイスをしたり世話を必要以上にしてしまうこともありました。人によってはありがたい場合もありますが、すべての人がそうとも限りません。また、アドバイスのやり方によっては相手の考えを否定することになることもあります。そうならないように、まずは年齢に関係なく1人の人として接してみようと気を付けています。自分が正しいという考えを捨て、客観的に自分を見つめ直せるようになったことで、今後の人生に少し光が見えてきたように感じています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/Y.N.(44歳)大学生の子どもが2人。自宅で過ごすことが多くなり、パン作りやお菓子作りに励む。季節感を取り入れた生活が好きで、フルーツシロップ作りもしている。
2024年03月01日私と妻は、私の両親と同居して7年になります。同居当初は妻も必死に母に食らいつき炊事、洗濯、掃除と家事をこなしていましたが、次第に妻がおこなったことに対して母がやり直すように……。そんな母と妻の家事の出来事を紹介します。 家事の共有同居当初、母は妻に対して家事を一緒におこなう提案をしました。共有する家事は洗濯、掃除、食事の準備といったごく一般的な内容です。 ルールとしてはどちらかが洗濯をしている間はどちらかが掃除をするというような状況に応じた対応をし、食事の準備は一緒にするといった内容でした。妻は了承し、母に遅れをとらないようにと一生懸命でした。 母が突然…そんなある日、妻が部屋の掃除を終えて次の家事に取り掛かろうとしたとき、母が掃除機を持ち始めました。何か床にこぼしたのかと思っていたら、母は妻が掃除機をかけた場所をもう一度掃除しだしたのです。妻は「お母さん、そこの掃除は終わったよ」と言うと、母は「知ってるけどこのへんがちょっと……」と言いながら掃除をやり直しました。 それだけにとどまらず、妻が片付けたバスタオルを引っ張り出してまたたたんで並べ直したり、炊飯器に準備した米の水を入れ直したりと、日に日にやり直しがエスカレートしていきました。 自分でやらなければ気が済まないやり直しの日々で、妻はさすがに精神的に参ってしまいました。何が悪かったのかを聞くに聞けず、ついには家事に手を出すことができなくなってしまった妻。私はさすがにまずいと思い母と話をしました。 すると母は悪気があったわけではなく、これまで家事をこなしてきた手前共有するのが思ったより難しくて、自分でやらなければ気が済まないことに気づいたと言いました。 「共有」ではなく、「分担」に共有している状態だから相手のやっていることが気になるのではと思い、割りきって分担してはどうかと提案しました。もちろん私の担当も含めてです。自分の仕事が明確になり、相手がやる前にやらなければという気苦労もなくなると私は考えました。 母はしぶしぶ承諾し、分担の生活がスタート。妻は自分の担当の家事に積極的に取り組めるようになり、母も最初はもどかしさを感じていましたが次第に慣れ、以前のようなやり直すという行為はなくなりました。 長年家事をこなしてきた母と同じレベルで家事を共有することは、経験値の差などもあり難しいのかもしれません。私は分担という選択をしてよかったと思っています。私の分担は休日の掃除と夕食の準備ですが母に合わせようとも思わないですし、自分のペースで作りたい料理を作れるので楽しくおこなえています。 著者:佐藤 稜5歳と1歳の2児の父。サラリーマンとして働きながら副業としてライターを目指す他にブログ記事も執筆中。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター こちょれーと
2024年03月01日生理の1週間前くらいになると、胸が張って痛くなったり、気持ちのバランスが不安定になってしまう私。今ではそれがPMS(月経前症候群)だと理解していますが、私は大学生になるまでその存在を知りませんでした。そのため、自分は周りの人に迷惑をかけてしまう「重い女」だと思っていたのです。 月に一度やってくる「重い女」当時大学1年生だった私は、月に1度ある時期になると情緒が不安定になり、親や付き合っている彼氏に八つ当たりをしたり言い過ぎてしまったりすることがありました。かまってもらえないと不安になるのですが、逆にしつこくされると攻撃的になり、ちょっとしたことで泣き出してしまうこともあって、自分の感情をコントロールできなかったのです。そんな自分を、私は「重い女」だと捉えていました。 「重い女」のせいで振られた過去この「重い女」のせいで、付き合っていた男性に振られてしまったこともありました。ある時期になると必ず感情的になり、不安になってしまうことから、その時期になると付き合っていた男性にはひっきりなしに「なんで私の気持ちをわかってくれないの?」というような重い内容のメールを送ってしまうことが多くあったのです。もちろん、男性からは「お前と一緒にいると不快な気持ちになる」と言われ、振られてしまいました。 PMSの存在を教えてくれたのは…自分では度が過ぎているとわかっていながらも、私は感情のコントロールがまったくできませんでした。心が落ち着く期間になると自己嫌悪に陥り、どうしたらこの「重い女」から脱却できるのか頭を悩ませる日々で……。 そんなとき、当時出会った男性に「重い女」のことを相談してみることに。恋愛相談的に話したのですが、彼から「もしかしたら、それってPMSってやつじゃないかな?」と言われて……。私は、PMSという言葉を聞いたのはこのときが初めて。急いでインターネットや書籍を使ってPMSについて調べてみると……なんと、私が毎月悩まされていた症状がたくさん書かれていたのです。そして、たしかに「重い女」が出るのは生理前でした。 そこで「私が重い女になってしまう原因はPMSだったのか!」と、初めて納得したのです。それからは、PMSを緩和するためになるべくストレスを溜めないようにしたり、規則正しい生活リズムにしたり……とまずは自分なりに対処方法を取り入れることに。すると、次第に感傷的になることがなくなっていったように思います。 その後、PMSを教えてくれた彼とはお付き合いを開始。毎月、決まった時期に「重い女」になってしまうのは自分の性格だと悩んできましたが、彼のおかげで「PMS」を知ることができました。彼に出会わなければ、PMSへの対処方法を取り入れることもできず、今でも「重い女」に悩まされていたかもしれません。彼には今でも感謝をしています。 著者/髙橋若菜作画/ののぱ監修/助産師 松田玲子 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター ののぱ
2024年02月29日同じ会社に勤める彼氏にプロポーズされた私ですが、彼に対して「私の容姿以外見ていないのでは?」と思うことがありました。そんななか、彼のご両親に結婚あいさつへ行くことになり……。 私にベタ惚れな彼だけど…好きなのは容姿だけ?同じ会社に勤める2歳年上の彼から猛アプローチされて付き合い始めた私は、ある日ついに彼からプロポーズをされました。 私は絶世の美女というわけではありません。しかし彼の初恋の人に似ているらしい私は、彼にとってはドストライクみたいで「かわいい〜♡」といつも褒めてくれます。ただ、彼は私の容姿以外見ていないんじゃないかなと思うこともあって……。 特にそう感じたのは、私が仕事で大きな成功をしたとき。1年以上交渉し続けた企業との契約がようやく取れて喜んでいた私に、彼が「やっぱり顔がかわいいのは正義だなw」と言ってきたことがあったのです。 彼は私が実力ではなく、顔で契約を勝ち取ったと本気で思っている様子。他の社員みんながフォローしてくれたおかげで大事にはなりませんでしたが、私はその際、彼にモヤモヤした気持ちを抱いたのでした。 結婚あいさつ前日、姉から助言をもらうことにさすがに顔だけでなく私の内面も見て結婚を決めてくれたと思いたいのですが、彼の両親にあいさつへ行く前日になっても私のモヤモヤは晴れません。そこで私は、近くに住んでいる姉に相談することに。 姉とカフェで食事をしながら、明日の服装や手土産について話していたときのこと。笑顔だった姉は急に真顔になって「明日、もしも何かあったらすぐに私に連絡なさいね」と言ってきます。 姉は昔から「今後起こること」をなんとなく察する能力があります。そのため、姉の「中学時代の写真があなたを守ってくれるはずよ」という助言を無下にするなんてできません! 翌日、私は中学時代の写真をバッグに忍ばせて、彼の実家へ向かったのでした。 彼の両親との顔合わせは最悪で!?私が彼のご両親とお会いするのは今回が初めて。だからこそ彼の両親と対面を果たしたとき、検品作業かと思うくらいじっくりと顔を見られ、思わず緊張してしまいました。そんななか、彼の母が「目頭が不自然ね」、父が「あごの辺りもおかしいような……」と呟きます。どうやら2人は私が整形していると思ったようなのです! 私はこれまで一度も整形をしたことがないため、必死に否定しました。けれども、なぜか彼の両親は信じてくれず……。「整形で俺たちの印象をごまかそうとするような女との結婚は認めん!」「噓つきは泥棒の始まりよ!」などと怒鳴ってくるのです。 そのうえ、お母さんから「どうして偽物なんて捕まえてきたのよ!」と言われ、彼までもが私のことを庇うでもなく「やけに俺の初恋の人に似ていると思ったら、さてはその人をまねて整形したんだな!」などと言い出す始末。そこで私は整形していない証拠として、中学時代の写真を見せることに。これで3人の誤解を解けると考えたのです。 しかし姉が持っていくよう指示した写真は、受験勉強に集中していてオシャレと無縁な時期に撮ったもの。そのため、ますます整形を疑われる事態になり、彼から「やっぱり整形じゃないか!」と言われてしまったのでした。 証人である姉の登場で急展開へ写真を見ても信じてくれない3人に嫌気がさした私。そのとき、何かあったらすぐに連絡してと言ってくれた姉のことを思い出し、彼女にきてもらおうと思いつきます。彼と結婚したい気持ちは消え失せましたが、このまま帰るのもシャクだなと感じたのです。 そして、しばらくしてやってきた姉を見て彼は驚いている様子。実は、彼が言っていた初恋の人とは姉だったようなのです! 姉が10歳まで子役として芸能活動をしていたとき、出演していた番組やCMで姉の姿を見て惚れたようで、引退したあともずっと覚えているほどの大ファンだったようでした。 その後、彼は両親の後押しも受けながら、私がいるのにその場で「昔から大好きでした!これもご縁だと思うので……」と姉に告白! しかし、もちろん姉は首を縦に振らず「両親が自分の婚約者を追い込んでいるのに、婚約者をかばうこともせずに賛同して笑う男なんて、断固としてお断りよ!」とキッパリ断ったのでした。 後日談彼が姉に振られた直後、私は「やっぱり俺と結婚してくれ!」と彼から言われましたが、すぐさま拒否。あの写真がきっかけで彼の本性を知ることができたので、姉には感謝してもしきれません。 後日。私たちが破局したことはすぐに職場内に広まり、居づらくなった彼は会社を辞めていきました。一方、彼と別れた私は、ますます仕事に熱中することができています♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年02月29日なぜ?要注意な男性に惹かれる女性の特徴恋愛で苦労が続くと、なぜ私ばっかり?そんな疑問を抱えることもあるかもしれません。実は、ダメ男性が特定の女性を選ぶ理由にはパターンがあるようです。今回は、ダメ男性に惹かれやすい女性の特徴を紹介します。1人で解決しようとする女性何事も1人で解決しようとする、しっかり者の女性。このような女性は、なぜかダメ男性にとって興味を引きやすい存在のようです。彼の不甲斐ない部分を受け入れる傾向があるため、女性が「我慢すればいい」と考えてしまい、彼はそれを利用しようと思っているのかもしれません。優等生タイプの女性目上や信頼できる人の意見を素直に受け入れる、優等生タイプの女性。このような女性も、ダメ男性に引かれやすいと言われています。そのような男性を好きになった場合「彼を信じたい」という気持ちを抱いてしまうことがあり、彼にとっては都合のいい存在と思われる可能性があります。ロマンティックな恋に憧れる女性恋に対する期待が高く、ロマンチストな傾向のある女性も要注意です。ダメ男性には「ロマンチックな演出」や「積極的なアプローチ」が得意な人がいるようです。そのため、ロマンスを求める女性は、その情熱的な男性に惹かれることもあるのです。もし熱狂的な恋愛に興味を持ったら、客観的な意見を取り入れることも大切です。常に彼氏がいない不安相手を十分に理解してから関係を築くことは、次の交際パートナーを見つけるまで時間がかかることがあります。しかし、常に彼氏がいないことに不安を感じる女性は、急いで新たな関係を始めることも…。これには、別れたばかりだということや特定のイベントに焦っていることも関係しているかもしれません。焦らずに時間をかけて相手を理解することが、いい恋愛関係の基盤になりますよ。自分を大切に自分の価値を高めつつ、恋愛を楽しむために努力してみましょう。自身が楽しく幸せだと感じる恋愛を見つけるためには、自分を大切にすることも大切ですね。(Grapps編集部)
2024年02月28日子どもの3歳児健診での出来事です。当時、私の子どもの育児に悩み、私がいけないのかなと思ったりしつつ、子どもの成長について気になっていました。しかし、保健師さんに相談をすると、まったく予想もしていなかった衝撃の回答が返ってきたのです―。 知らないうちに育児について悩んでいた私は、健診で面談をしてくれた保健師さんに、今のままでいいのかと子どもの気になっていることなどを伝え、相談をしてみました。 いろいろと話しているうちに、保健師さんからはちょっと大人しくて慎重な性格の子どもというだけで気にすることはない、また子育ても大丈夫と言われホッとしたのしたのですが……。 それよりも保健師さんは私のほうが気になると言い出したのです。 当時、私は第2子を出産したものの、その子を病気で亡くしたばかりだったので、自分でも気が付かないうちにうつ状態に陥っていたようです。 保健師さんに私の状態を心配されたことで、病院に行く決断をすることができました。うつ病の治療をした今は快適な生活を送っています。子育てに必死な時期だからこそ、自分のケアも大事にしなければならないと気付かされた出来事でした。今は私のことを気にかけてくださった保健師さんの助言にとても感謝しています。 イラスト/まげよ監修/助産師 松田玲子著者:中山早紀
2024年02月27日今回は、物語をもとにしたクイズを紹介します!クイズの解答を考えてみてくださいね。私を貧乏人扱いするマウントママ友子どもの入園式で声をかけてきたママ友から突然連絡がきた主人公。ママ友から不躾に「お宅って低収入家庭の方かしら?」と尋ねられ…。主人公は「まぁ…セレブとは言えないですが」と自分も働いていることを伝えます。するとママ友は主人公を「かわいそう」だと言い…。自分の夫のスペックを振りかざしてマウントをとってきました。ママ友が寿司屋に行くと言い…出典:Youtube「Lineドラマ」ママ友は続けて「今日は回らないお寿司なの」と主人公に自慢してきます。「お寿司いいですね」「うちの子は魚介が苦手なので…」と主人公の子どもが寿司屋に行ったことがないことを明かすと…。ママ友からまさかの衝撃発言をされます。問題さあ、ここで問題です。「お寿司屋さんに行ったことがない」と言う主人公。ママ友はなんと答えたでしょうか?ヒント主人公が思ってもみない発言でした。みなさんは答えがわかりましたか?正解は…出典:Youtube「Lineドラマ」正解は「遠回しに連れていけって言ってる?」でした。まさかの質問に驚いた主人公は「1ミリも思ってませんでした」と返答。するとママ友は「貧乏人の考えが理解できないわ~」となおも見下してきます。その後、主人公はママ友の発言に衝撃を受け、夫に不満をぶつけるのでした。※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(lamire編集部)
2024年02月27日5人目を妊娠中、近くのスーパーに子ども4人を連れて買い物に行きました。すると、見知らぬ男性に罵声を浴びせられてしまったのです……。ショックで私は恐怖を感じていたのですが――!? 子ども連れのスーパーでの出来事平日に近くのスーパーへ子ども4人を連れて買い物に行きました。そのスーパーでは出入り口付近で試食があり付近は少し混んでいました。何だろうと子どもたちが見ていると、通りすがりの高齢男性にこちらを睨みながら舌打ちをされました。 男性は私たちが邪魔で通路が通れなかったようです。そして通りすがりに「子どもをちゃんとみろ!母親として失格だ!」と言い放ち睨んできました。私は、子どもに手を出さないように子どもたちの肩を抱きましたが、大きな体の男性が近づいてくるのはとても怖かったです。 私自身も妊娠中だったので手をだされたらどうしようととても不安でした。子どもたちもとても怖かったようで、私にくっついて離れませんでした。男性は、私たちにつきまとい罵声を浴びせ続けるので、どうしようかと思っていたとき……。 近くにいた別の男性が「大丈夫?小さい子がおるのに1人で大変やね。ひどい言い方するな」と声をかけてくれました。すると高齢男性の怒りの矛先は声をかけてくれた男性にも向いてしまいました。男性はすぐに店員さんを呼んで、店員さんは罵声を浴びせる男性を引き離してくれました。 高齢男性が去った後も「こんな小さい子がいるのに大変ってわからないんかな?怖かったね」とやさしくわたしと子どもたちに声をかけてくれ、とてもうれしかったのとほっとしたのを覚えています。 舌打ちや罵声を浴びて私や子どもたちもすごく怖かったですが、近くにいた男性に助けてもらいとてもうれしかったです。その男性がいなかったらどうなっていたかと思うほど恐怖でいっぱいでした。また通路が通れなかったのは反省すべき点なので、今後同じことが起こらないよう気を付けようと思います。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! イラスト/まげよ著者:さとう あおい
2024年02月27日芸能人同士の結婚生活に密着する恋愛番組「私たち結婚しました5」が、3月15日(金)より「ABEMA」にて放送開始されることが決定した。「私たち結婚しました」は、2008年から約9年間、韓国でレギュラー放送された番組の日本版リメイク。芸能人同士の期間限定の結婚生活に密着し、結婚式や新居の準備、2人で過ごす様子などが見られる。これまで、野村周平とさとうほなみ、白洲迅と堀田茜のペア、浅香航大とトリンドル玲奈、塩野瑛久と足立梨花のペア、佐野岳と島崎遥香、中田圭祐と川島海荷のペア、久保田悠来と貴島明日香、瀬戸利樹と紺野彩夏のペアが登場した同番組。過去全4シーズンを通した「ABEMA」での総視聴数は、7,000万回を突破した。貴島明日香と久保田悠来そして今回の新シーズンでも、2組の芸能人夫婦が結婚生活を送ることが決定。ピンクとブルーを基調としたコーディネートで登場した先行ビジュアルや、結婚観や結婚生活への思いを語る映像が公開されているが、詳細はまだ明らかになっておらず、近日発表予定となっている。そして新シーズン放送を記念し、3月15日(金)23時59分まで、過去4シーズンが全話無料配信中だ。過去シーズン出演者のコメントも到着。久保田さんは「ただひたすら2人で過ごす時間を楽しんでもらえたら」、貴島さんは「まだぼんやりとしか見えていなかった『結婚』というものを改めて考えさせてくれた。素直な気持ちで自分たちらしく、ちょっぴり恥ずかしくて不思議な結婚生活を楽しんで」とふり返りながら、新シーズンへの期待を寄せる。瀬戸さんは「必ず夫婦の時間で名シーンが生まれる」、紺野さんは「ただただ楽しく生活してほしい」と出演者へエールを送った。瀬戸利樹と紺野彩夏「私たち結婚しました5」は3月15日(金)23時~初回拡大SP、以降毎週金曜日23時~ABEMAにて放送。(シネマカフェ編集部)
2024年02月26日2024年が始まってまだ2か月しか経っていないが、今年も韓国ドラマは豊作だ。今回は2月配信作の中でもぜひ注目してほしい4作を紹介したいと思う。「私の夫と結婚して」(Prime Video)Amazon Original「私の夫と結婚して」© Studio Dragon by CJ ENMギョッとする題名だが、その中身もインパクトありまくりなのがこちら。主人公は、余命いくばくもない会社員ジウォン。入院先から一時帰宅した際、夫ミンファンと親友スミンの不倫現場を目撃し、その場で争った挙句に落命。目覚めると、10年前にタイムスリップしていた。ジウォンは、結婚後にヒモDV男へ変貌し性悪な姑からも守ってくれなかったミンファンと、学生時代も会社員時代も常にジウォンを踏み台に美味しいところをかっさらっていった“フレネミー”スミンをまとめて処理し、人生をやり直すことを誓う――という復讐劇だ。Amazon Original「私の夫と結婚して」© Studio Dragon by CJ ENMあまりにも気の毒な人生を歩んできたジウォンだからこそ、自身の生存をかけて覚醒し、様々な困難を乗り越えていく様子には胸がすく想いになる。基本はシリアスモードだが、箸休め的に繰り広げられる愉快な場面は“ラブコメの女王”と謳われるパク・ミニョンの演技力ならでは。ジウォンを助ける上司ジヒョクを演じたナ・イヌとのケミストリーも抜群だった。スミン役ソン・ハユン、ミンファン役イ・イギョンの突き抜けたクズっぷりもドラマを最大限に盛り上げている。「私の夫と結婚して」はPrime Videoにて配信中(全16話)。「ドクタースランプ」(Netflix)Netflixシリーズ「ドクタースランプ」独占配信中本作の主人公は、黒縁メガネに紫髪の少女型アンドロイド…ではなく、スランプに陥った若い医師たち。前途有望だったハヌルは上司からのパワハラで鬱となって辞職し、一方、整形外科として名を馳せていたジョンウは誰かしらの罠によって医療ミスを起こし裁判沙汰に。高校時代には学年トップの座を巡り争っていた2人が同時期に低迷し、たまたま一緒に過ごすようになっていくうちに、お互い癒されるようになっていく。Netflixシリーズ「ドクタースランプ」独占配信中主演パク・シネとパク・ヒョンシクは、「相続者たち」以来10年ぶりの共演。久々に会って親交を深める主人公2人にシンクロする部分も多いのではないかと思うくらい、それぞれ肩の力を抜いた自然体の演技で物語に没入させてくれる。三度の飯より勉強が好きなハヌルと、ハヌルの登場で頂点を奪われた秀才ジョンウの高校時代の対決エピソードや、恋愛に疎い2人の掛け合いがとにかく楽しい。また、ハヌルの母(演:チャン・へジン)や叔父(演:ヒョン・ボンシク)、ジョンウの友人(演:ユン・バク)など、彼らを取り巻く人々も皆良いキャラをしている。「ドクタースランプ」はNetflixにて10話まで配信中(全16話)。「殺人者のパラドックス」(Netflix)Netflixシリーズ「殺人者のパラドックス」独占配信中意図せず人を殺めたことをきっかけに殺人を繰り返すようになる大学生タンを、勘の鋭い刑事ナンガムが追い詰めていくスリラー。狂気的な悪を凝縮させた漆黒のスプラッター劇「他人は地獄だ」で知られるイ・チャンヒ監督の最新作で、今回も殺人を題材にしているのだが、蓋を開けてみれば、極彩色が際立つ世界観に。時にリズミカルなBGMと相まり、全体的にシュールさが漂っており、度重なる“偶然”で免れるタンの姿も滑稽に見える。Netflixシリーズ「殺人者のパラドックス」独占配信中本作は、いままで何事にも流されてきたタンが、自らの意志で行動するようになっていく成長物語であり、昨年放送された「国民死刑投票」(Prime Videoで配信中)や「ヴィジランテ」(ディズニープラスで配信中)にも通ずるダークヒーローもの。2人の新たな主要人物が登場する4話目からは、物語がどう転じていくのか目が離せなくなるはずだ。平凡な青年が殺人鬼になっていく様を表現した、タン役チェ・ウシクの顔つきの変わりように息を呑む。また、ナンガム役ソン・ソックはグレーゾーンにいる刑事がハマりまくっている。「殺人者のパラドックス」はNetflixにて配信中(全8話)。「バズハート」(ABEMA)「バズハート」(C)WHYNOT MEDIA Co., Ltd.最後に、サクッと観られる青春モノを一つ。「バズハート」は、芸能芸術高校の生徒たちの人間関係を描いたドラマだ。主人公イェジは人気インフルエンサーで、学園の人気者。SNSに投稿するだけで何でも手に入れることができるが、両思いであると踏んでいた幼なじみスビンから振られてショックを受けてしまう。スビンが想いを寄せる優等生ダウンを文化祭のパートナーに選んだことで、イェジも引きこもりの天才作曲家ソンジェをパートナーに選び、恋愛模様が複雑化していく。本作はとにかくフレッシュな魅力に溢れているのだが、それもそのはず、キャストは注目の若手揃い。イェジを演じた「woo!ah!」のウヨンは、「代理リベンジ」などこれまで5作品に出演してきたが、今回が初主役。スビン役は、昨年11月にハン・ソヒなどが所属する「9atoエンターテインメント」に入り、キャリアをスタートさせたばかりのチョン・ゴヌ。「バズハート」(C)WHYNOT MEDIA Co., Ltd.ダウンを演じたのは、「未成年裁判」と「ザ・ファビュラス」で爪痕を残したソ・スヒ。ソンジェ役は、ドラマ初出演となる「VERIVERY」のカンミン。そして、サブカップルのセナ&ジュヒョクも、ドラマ初出演のE.JI(ICHILLIN')、特別出演を除けば同じくドラマ初出演となるイ・ジヌ(GHOST9)だ。各々これまで培ってきた歌や踊りを披露しながら、夢や恋愛に邁進する若者を等身大の姿で演じている。イジメや裏切りなど暗い部分もあるが、物語を引っ張っていく主人公が正義感を持ち合わせた親しみやすい人物ということもあり、後味は軽やか。「バズハート」は1話25分ほどで、ABEMAにて3月10日まで全話無料で視聴可能だ(全8話)。(山根由佳)■関連作品:【Netflix映画】ブライト 2017年12月22日よりNetflixにて全世界同時オンラインストリーミング【Netflix映画】マッドバウンド 哀しき友情 2017年11月17日よりNetflixにて全世界同時配信【Netflixオリジナルドラマ】オルタード・カーボン 2018年2月2日より全世界同時オンラインストリーミング2月2日(金)より全世界同時オンラインストリーミング【Netflix映画】レボリューション -米国議会に挑んだ女性たち-
2024年02月26日シンガーソングライターの小林私による主催イベント『小林私の五日間』の第2弾『もののけ監修ライブ「診る」』が、4月6日(土) に東京・池袋Club Mixaで開催されることが決定した。本公演は、小林の配信に度々登場している東雲涼雅(しののめりょうが)という謎の歌い手に密着した映像をみんなで見守ろうというもの。密着はYouTuberのもののけが完全監修し、彼にしか見せない東雲の表情を“診る”ことができる。当日は小林ともののけが登壇する予定だ。また「小林私の五日間オープンチャット」が、LINEオープンチャットにて期間限定で開設された。小林本人と思われるアカウントも時折降臨し、思い思いにファンとの交流を楽しんでいる。<イベント情報>小林私の五日間 Vol.2もののけ監修ライブ『診る』4月6日(土) 東京・池袋Club Mixa開場17:30 / 開演18:00『小林私の五日間』告知画像LINEオープンチャット「小林私の五日間」公式サイト:
2024年02月26日私は国際結婚しており、ブラジルに住んでいます。ブラジルで生まれた一人娘がいますが、娘の外見について、ある日訪ねてきた義母がショックな発言をしたのです。私と夫を悲しい気持ちにさせた義母の発言に対し、私たち夫婦がとった対応は……。 訪ねてきた義母の信じられない発言ブラジル人の夫は目が青く、肌は少し褐色で髪は茶色という、ゲルマン系とラテン系のちょうど中間のような外見をしています。一方の私は、まっすぐな黒い髪、黒い瞳という、日本人に多い外見です。そんな私たちから生まれた娘は、茶色のウェーブした髪、黒い瞳、顔立ちはゲルマン系と東アジア系の中間のような印象で、私と夫の両方から少しずつ外見的な特徴を受け継いでいます。 そんな娘に対し、私たちの家に訪ねてきた義母が「娘ちゃんはとってもかわいいわね。青い目をパパから受け継がなかったのは残念だけど、黒い目もとってもかわいいわよ」という発言をしたのです。「黒い目の美しさは、青い目の美しさに劣る」という意識からくるこの発言に耳を疑いました。 娘の黒い瞳は「残念」?日本では「色の白いは七難隠す」ということわざがありますが、それと同じようにブラジルでは青い目が美しさの象徴と感じている人が多いようです。ですが娘の黒い目に対して、「残念だけど」とは言ってほしくなかったですし、「黒い目は青い目に美しさで劣る」という意識を植えつけるような発言はすべきではないと思っています。 不幸中の幸い、義母がその発言をしたとき娘は遊びに夢中で聞こえていなかったようですが、私の心の中は怒りで震えていました。夫もショックだったようで、娘がいるその場では注意しませんでしたが、娘が寝てから義母に怒りをあらわにしました。 どんな外見でもかわいい娘娘が寝たあとのこと。夫が義母に、青い目でも黒い目でも、髪が金色でも黒色でも、体形が細くても太くても、仮にどんな外見だったとしても私たちの大切な娘であり、「残念だけど」という言葉で形容されるいわれはないことをハッキリ伝えてくれました。 また、義母の発言は一種の差別意識が根底にあることも指摘すると、義母は本当に無意識で発言したようで、ひたすら謝ってくれて、二度と言わないと約束したのでした。 今回娘に対しひどい発言をしたのは義母でしたが、きっとこれから他人のトゲのある言葉に娘が傷つくこともあると思います。そんなとき、ひどい言葉の100倍は「かわいい、すてき」と言ってあげたいと思います。娘がこれからも自信をもって生きていけるように、手助けしていきたいと思っています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 著者:レイトン 愛加5歳の娘を育児中。現在はブラジルに移住しており、海外での子育てと仕事の両立に奮闘中。大学卒業後、ずっと経理の仕事をしており、ブラジルで独立して事務所を構えることが直近の目標。いつか子どもと世界旅行をするという野望も!イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター こちょれーと
2024年02月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。常日頃から、部屋を片づけたいと思っている私。そんな私よりも先に真剣に片づけを始めたのが実家の母です。今回は、そんな母が話した片づけのメリットについて書きます。■片づけスイッチが入った母母は、片づけをしたことで家の中の空気が変わった、と話していました。「モデルルームみたいな家に住みたい」と、母が言ったことにより動き出した実家の片づけ。母がここまで片づけをして物を手放したことは、今までありませんでした。2000着あった服が1000着になっただけではなく、いらなくなった大きな家具を処分するなど、本当に片づけスイッチが入った母。母が言うには片づけをすると、気持ちがスッキリするだけでなく…。 ■節約にもつながる!?過去に買った使う予定のない物を捨てることにより、余計な物を買うことが減り、結果的に節約にもつながっているそうです。思い切ってひとつ物を捨てると、“これが捨てられるならこれも捨てられる”と、どんどん不用品を捨てられるようになったと言います。本を手放したら、本棚も必要なくなって処分するなど、片づけは加速しています。やる気もどんどん出てきて、気持ちも軽くなった様子の母。そんな母を見ていると、私も片づけの意欲が湧いてくるのです。毎年毎年、“今年こそは片づけを終わらせる!”と言って、片づけするする詐欺をしている私。母の片づけはまだまだ続いているので、そんな母からやる気をもらい、今年こそは家の片づけを進める…! と誓ったのでした。
2024年02月26日長女が1歳半になる頃、産後から数える程しか身体を重ねることがなかった私たち夫婦。私はいつも長女と一緒に寝ていました。そんな生活も当たり前のようになっていた矢先に、予想もしなかった展開になったのです――。 きっかけはどうであれ長女が歩けるようになり、ドアを開けれるようになると、普段入らない夫の書斎兼寝室に勝手に出入りするように。長女はパソコンや回る椅子などに夢中になり、すっかりその部屋を気に入っていました。ある日、いつものように夫の部屋で遊んでいると、長女はコンドームを収納している場所を発見してしまいました。 長女はコンドームもおもちゃだと思ったようで、並べたり箱から出し入れしたり、私のいるキッチンに持って来て、「どーぞ」としてみたりし始めました。複雑な心境ではありましたが、危なくなければと見守っていました。 その日の夜、長女と私の寝るベッドの横に夫が現れました……。 真面目な顔とも緊張しているような顔ともいえる表情で「これ、したいってこと?」と……。 手にはコンドームを持っていて、それを見た瞬間に事態を飲み込んだ私……。 日中、長女が遊んでいたので、書斎の目立つ所に放っておいたのを思い出し、慌てて「長女が遊んでいたから」という話をしてしまったのですが、私も性欲がない訳ではありません。 ふと、誘ってくれるのは、いつも夫だけど私から誘ってもいんだ……!と、気がついて、長女を寝かしつけた後、夫のベッドに侵入しました。 まさかの出来事からではありましたが、夫婦でセックスレスを解消するいいきっかけになりました。 イラスト/海乃けだま著者:春吉シュリ
2024年02月25日私には小学校からの友人がいます。私はその友人を助けたいという気持ちから総額200万円を貸しました。私がその経験から学んだこととは。バイト生活を送り、借金があった友人20代のときに小学校からの友人と再会し、遊ぶようになりました。当時私は正社員、友人はバイトという生活をしておりました。何をするにもお金は私のほうが多く支払っており、「働いているからいっか」と思い、ずっと遊んでいました。助けたい一心でお金を貸すように友人には借金があることがわかり、助けてあげたい一心で立て替えをしました。それがきっかけで、お金を貸すようになりました。貸したお金を「返してね」と言ったこともありましたが、逆ギレされたこともあり、諦めていました。貸したお金は総額200万円はありました。結局お金は返してもらわないことに結局、その後、お互いに結婚・出産しました。友人は今でも「あのときのお金は返したい」と言ってくれますが、「自分の生活や子どものために使ってほしい」と返してもらわないことにしました。返してほしい気持ちもありますが、諦めました。まとめ友人に総額200万円を貸した経験から学んだことは、お金の貸し借りはしないこと。もしくは、返してもらえる額しか貸さないことです。結局、自分が友人のために助けたいと思ってお金を貸したことが、友人の中で歯止めが利かなくなったように思います。貸したお金は何とか返ってくるだろうと思っていたのがいけなかったと思っています。(30代女性)※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/まげよ著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年02月25日初めての出産のとき、私は比較的余裕があったように思っていました。いきんでいる合間も夫と談笑した記憶があったのです。……が、後日、自分の出産時の動画を見ると、私は衝撃の事実を知ることに――!? 動画に映っていた衝撃の事実出産時に余裕があったと思っていた私。特に分娩台に上がる前は、夫や助産師さんと楽しくおしゃべりができていたほど。ですが、産後、夫が撮影したビデオを見てみると、そこにはまったく違うものが映っていたのです。 なんと、分娩台に上がる前から、痛みに耐えるのがしんどくなったのか、私は夫や助産師さんに暴言を吐きまくっていたのです……! さらには、なぜか義母の文句を言ったり、かと思えば、突然夫への愛の告白をしたり……。 また、いよいよ分娩台に上がって出産のときには暴言はさらにエスカレート。 いきんでいるときに夫の手を握り潰しそうな力で握っていたようなのですが、「うおおおおお」という自分の叫び声で、夫の痛がる声がまったく耳に入っていません。 産後、手が痛いと夫が言っていた理由がようやくわかりました。 なぜかこれらのことはまったく記憶にない私。出産するまで割と穏やかに過ごしていたと思っていたので、ビデオを見たときは本当に自分なのかと疑うほどの衝撃でした。 ◇◇◇ お産のときは必死だったあまり、どうやって乗り越えたか記憶にないという方も少なくないのではないでしょうか。あとからビデオを見たら思っていたのと違う行動をとっていたら……とても驚きますよね。産院によって撮影のルールは異なりますが、動画撮影が可能な場合、撮影してもらうと良いかもしれませんね。 イラスト/海乃けだま監修/助産師 松田玲子著者: 鈴木春奈
2024年02月24日