「移住を希望した夫が東京に帰りたい!?」について知りたいことや今話題の「移住を希望した夫が東京に帰りたい!?」についての記事をチェック! (11/11)
飼い主のいない猫の保護や飼育希望者への譲渡などの活動を行う、東京キャットガーディアンでは、現在、子猫の受け入れを行っている。東京キャットガーディアンでは、行政に持ち込まれる子猫が少なくなるこの時期に限り、一般からの子猫の受け入れを行っている。2015年の3月末までの予定。対象となる子猫の年齢は、収容スペースおよび譲渡のスピードの問題から、離乳後から2ヶ月齢程度に限定している。受け入れは「里親探しが困難」、「保護自体が不可能」、「飼うスペースが無い」など、保護・飼育・譲渡を自分で行えないケースのみが対象だ。シェルターの収容数の限界を超えてしまったり行政からの子猫を優先せざるを得なくなった場合は、受け入れストップとなる。また、引受先の里親については、子猫の数に対して、面談を済ませた里親希望者がウエイティング状態となる。問い合わせおよび詳細は、「子猫の受け入れ」案内ページにて。
2014年12月10日NTTアドはこのほど、「移住に関する調査」の結果を発表した。同調査は、東京に勤務する20代~40代男女927人を対象に実施したもの。○世代により移住先に求めるものが異なる東京に勤務する20代~40代男女のなかで「脱東京志向者」が最も多い世代は20代の32.7%となり、世代が上がるにつれてその割合が減少していた。また、20代のうちとりわけ高額所得世帯の人は、東京での住環境、食環境、仕事環境への満足度が比較的高いにもかかわらず、「脱東京」を志向していることがわかったという。「脱東京志向者」が移住したい理由としては、20代では、程よい人口密度、程よい距離感、程よいにぎやかさのある「中都市志向」。永住を前提とした移住とは違い、「カジュアル移住」ともとれる新たな意識が読み取れた。30代では、子育て環境に対する意識が高く、災害等からの「リスクヘッジ志向」が目立った。40代では、スローライフを求める「田舎志向」と東京並みの生活インフラを移住先にも求める「利便性重視」に二分された。20代が希望する主な移住先は「東京圏以外の政令指定都市」「政令指定都市以外の県庁所在地」であり、「中都市志向」が読み取れた。一方、40代が希望する主な移住先は「県庁所在地以外の市部」「農村部・山間部・漁村部」「離島・諸島」であり、「田舎志向」「スローライフ志向」が読み取れた。「脱東京志向者」の移住後の仕事としては、場所を選ばずに仕事ができる、芸術系フリーランス、デジタルクリエーター、ITフリーエンジニアといったIT系の人の割合が多かった。また、20代はソーシャルメディアの利用率が高いことが、地理的な距離感をさほど気にしない要因となっていることがうかがえた。東京から福岡への「移住実践者」に対するインタビュー調査では、「福岡を生活する場として、東京を情報収集する場として使い分け、『2拠点居住』を実践している」といった声や、「東京では埋もれてしまうけど、地方なら目立てる」といった声が聞かれ、「カジュアル移住」に通じる感覚を持っていたという。
2014年11月25日福岡市は、福岡移住を考えるクリエイターを支援するイベント「ぼくらの福岡クリエイティブキャンプ presents 『ぼくらの移住計画 in OSAKA』 」を、グランフロント大阪にて開催する。開催日は2014年11月30日。今回のイベントでは、福岡移住を支援する「福岡移住計画」と、京都移住を支援する「京都移住計画」がコラボレーション。福岡・京都に移住したクリエイターを多数迎え、移住先での働き方、暮らし方など"ホンネ"の話を聞くことができる。またイベントの後半では、登壇者を交えたワークショップや、福岡のITクリエイター企業の紹介も行うため、「移住」についてもしっかり考えることのできるようになっているという。特典として、来場者に抽選で大阪-福岡間の往復航空チケットのプレゼントも実施する。ファシリテーターを務めるのは、京都移住計画の田村篤史氏と、福岡から福岡移住計画の須賀大介氏。福岡移住の経験者として、東京オリンピック招致PRを制作した空気(KOO-KI)の木綿達史氏や、福岡・京都の両方に拠点を置いて働くヌーラボの橋本まさのり氏が登壇。また、このほどオプト、YJキャピタル、みやこキャピタルから総額200万ドルの資金調達をしたことで話題となった、Webサービスを運営するNOTA.Ink.の洛西一周氏や、京都から海外展開も積極的に行なっているフューチャースピリッツの河本暁宏氏も参加し、それぞれの視点で「リアルな移住生活」を語る予定だ。ほか、東京から生まれ育った大阪へUターンした「移住経験者」である、Web制作や多くのイベント運営を手がける合同会社かぷっとの川合和史氏も登壇するとのこと。なお、参加には事前の申し込みが必要で、同イベントの公式サイトにて受け付けている。
2014年11月14日福岡市は、福岡移住を考えるクリエイターを支援するイベント「ぼくらの福岡クリエイティブキャンプ presents 『ぼくらの移住計画 in OSAKA』 」を、2014年11月30日に大阪市内にて開催する。9月、10月と東京で開催されたイベントに続き、3回目となる今回のイベントでは、福岡移住を支援する「福岡移住計画」と、京都移住を支援する「京都移住計画」とのコラボが実現。福岡・京都それぞれの場所で、どう働き、暮らしているか、"リアル"な話を聞いて考える場を作るという。イベントは全4部構成となっており、第1部では、好きな場所でくらす人を支援する、「京都移住計画」・「福岡移住計画」の活動を紹介。続く、第2部では、福岡市の魅力や、現在福岡市が取り組んでいるITクリエイターに2カ月の就労体験を提供するプロジェクト「福岡クリエイティブキャンプ」を紹介していく。さらに第3部では、実際に移住を経験したクリエイターである空気株式会社(KOO-KI)の木綿達史や、福岡・京都の両方に拠点を置く株式会社ヌーラボの橋本まさのりらを迎え、福岡と京都で暮らすクリエイターの制作現場と生活のリアルを語るクロストークを予定している。ほか、第4部では、登壇者たちと交流しながら、今回のイベントの話をもとに『移住とクリエイティブ』の可能性を考えるワークショップも実施する。なお、2014年3月に東京で開催した福岡移住イベントでは、募集開始後3日で満席、さらに増席した追加分も即満了となったという。申込みは、同イベントのWebページにて受け付けている。
2014年10月28日福岡市は、福岡移住を考えるクリエイターを支援するイベント「ぼくらの福岡クリエイティブキャンプ トライアルワーク受け入れ企業説明会~“福岡に住む・働く”をこの手に掴む6時間 10月編~」を開催する。開催日は2014年10月11日。同イベントでは、第1部で福岡市の地域スペックや現在、市が取り組んでいるITクリエイターに2カ月の就労体験を提供する「福岡クリエイティブキャンプ」を紹介。第2部では、「職の部」と称し、福岡のIT業界に精通したgumi West・今泉潤氏、BASE・進浩人氏、GMOペパボ・今岡佐知子氏、ランサーズ・足立和久氏の4人がクリエイター目線で見た福岡評などについてクロストークする。また、第3部となる「住の部」ではKOO-KI 木綿達史氏、gumi West・小林明子氏、キャッチアップ・照山章子氏、アクティネットワーク社・曹永周氏といった実際の移住体験者4名が登壇。子育てやライフコストが実際どう変わったか、などのリアルな移住後の情報が展開される予定だ。さらに第4部では、現時点でクリエイター募集中の福岡IT企業22社の説明会が展開される。なお、同イベントでは、東京、福岡の往復エアチケットが来場者に当たる特典なども用意している。ちなみに今年の3月に開催した同様のイベントでは、募集開始後3日で満席となり、さらに増席した追加分も即満了となったという。現在、同イベントのWebページにて申し込みを受け付けている。
2014年10月06日福岡市は、福岡移住を考えるクリエイターを支援するイベント「ぼくらの福岡クリエイティブキャンプ トライアルワーク受け入れ企業説明会~“福岡に住む・働く”をこの手に掴む6時間 10月編~」を開催する。開催日は2014年10月11日。会場は東京都千代田区のパレスサイドビル。参加費は無料。福岡市では、近年クリエイターやIT・クリエイティブ企業を積極的に支援する「クリエイティブ・シティ 福岡」として、福岡への移住を考えるクリエイターに向けたプロジェクト「ぼくらの福岡クリエイティブキャンプ」を行なっている。このプロジェクトは、市内のクリエイティブ企業での2カ月間の就業体験(トライアルワーク)を提供し、本格的な移住の前に“福岡に住んでみる・働いてみる”事を考えてもらう取り組みだ。このたび行われるイベントは、同プロジェクトの説明をはじめ、福岡在住クリエイターによるクロストーク「職の部」/「住の部」、トライアルワーク受け入れ企業による「企業説明の部」の4部構成。80万ダウンロードを突破したスマホアプリ『ドラゴンジェネシス』などのプロデュースを手がけるgumi West 代表取締役の今泉潤氏や、ネットショップ運営サービスを提供するBASEのCCO 進浩人氏らが登壇する。現在、Webサイトにて参加者を募集中している。
2014年09月28日前回お伝えしたように、今年1月にまさかのマンション購入、7月からは新居で暮らしている。最初にマンション巡りを始めたときは、正直「いつか購入の機会があるかも!? 」ぐらいの感じだった。家族や友人たちが東京、神奈川で暮らしている以上、自分が永遠に沖縄で暮らす保証もない。生涯を共にする住居をいまの時点で決定することは甚だ難しかった。なので、マンションの構造やデザイン、空間や設備等といったハード面を勉強したり、沖縄におけるマンションの価格相場を勉強する程度だった。でもその一方で、将来を考えると、何か自己資産を持っておいたほうがいいのではという考えもあった。賃貸物件は身が軽くて済む分、やはり何も残らない……。そこで、不動産に詳しい周囲の人々に相談してみると、「投資マンション」という答えに行き着いた。となれば、マンションのハード面だけではなく、ソフト面や周辺環境を見ることも重要だ。ちょうど気に入った物件は、南西向き10階建てで目の前に遮るものがないオーシャンビュー。コンビニやスーパーは徒歩圏内。土地柄外国人も多いため、いざとなれば米軍にある程度の費用で貸せるとのことだった。沖縄に移住するとき、「アフリカに行くほど遠く感じる」と言われた両親にはさすがに反対されるかなと思ったが、意外にも「資産を持てるなら持ったほうがいい。将来、売ったり貸したりできる物件ならいいのでは」と賛成され、あっさり購入する運びとなった。沖縄に移住してちょうど丸2年。今では東京でOLをしていた頃が懐かしい。堅苦しいビジネススーツから解放され、毎日の満員電車から解放され、非日常的な空間にいながら、懸命にやりたいことができる環境に大変感謝をしている。自分の人生に、もう1つ別の居場所を創れたことに大変喜びを感じている。読者のみなさんもぜひ一度沖縄を訪れ、沖縄を歩いてみてほしい。そして、現地の人、歴史、文化に触れて、沖縄の今後の可能性を感じてもらえたらうれしいなと思う。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年12月20日東京ミチテラス2012実行委員会は、21日から28日まで、東京都・丸の内地区で「歴史、未来、希望」をテーマとした新たな光の祝典「東京ミチテラス2012」を開催する。同イベントは、先日復元された東京駅丸の内駅舎を舞台に、「未来を照らす」新たな光の世界を展開するというもの。「ミチテラス」には、”光が「道」を照らし、「未知(=未来)を照らす」”という意味が込められているという。東京駅丸の内駅舎前で開催される「TOKYO HIKARI VISION(トウキョウ ヒカリ ビジョン)」は、映像クリエイター・村松亮太郎氏が手がけるプロジェクションマッピングによる映像ショー。東京駅舎を「光のモニュメント」として無限に変化させる。行幸通りの「STARLIGHT WALK(スターライト ウォーク)」では、デザイン・形状の異なる複数の「光のテッセレーション」に、花や水を組み合わせ、光と影を浴びながら散策を楽しめる不可思議な空間を創出する。また、「光のメッセージタワー」には、「東京を元気にする」「日本を元気にする」「皆を元気にする」ための未来へのメッセージを描くという。開催期間は、12月21日~28日の8日間。18時頃~19時40分頃。会場は、東京都・丸の内エリア(丸の内駅舎前、行幸通り)。その他、詳細は同イベントWebページで確認できる。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年12月14日移住して間もなくはホームシックを経験したが、同時に沖縄生活に新たな楽しみも見出していた。移住前沖縄によく来ていたとはいえ、いつも空港から海に直行。スキューバダイビングをさんざん楽しんだ後、再び海から空港へ直行していたので、海以外といえば最終日に国際通りをうろつく程度だった。なので、海以外についての情報はほとんどなかったし、有名なスポットでさえ足を運んだことがなかった。そんなこんなで、移住後に友人、知人が遊びに来るようになると、沖縄の観光地巡りをするようになった。テーマパーク代表の「沖縄美ら海水族館」や「おきなわワールド」、伝統工芸なら「読谷やちむんの里」や「壺屋やちむん通り」、自然を満喫しに「備瀬のフクギ並木」や「ガンガラーの谷」なども訪れた。また、岬巡り、城巡り、道の駅巡り、離島巡りなど、友人たちが興味あるテーマに絞って観光するのも意外とおもしろかった。そうして初めて、沖縄には他の都道府県とは異なる文化や習俗が存在することを体感できた。人口約140万人(東京の約1/10)の小さな小さな島である沖縄は、日本だけど日本ではないような、何かとても独特な感じがある。さらに、一歩二歩踏み込んで沖縄を知っていくと、もっともっと興味深いことも出てくる。例えば、首里城を英語にすると「castle」ではなく「palace」らしい。なるほど確かに、首里城は他の城(グスク)のつくりとは全く異なり、そこは王宮であり、祭祀が盛んに営まれるつくりとなっているのである。一つひとつの意味を紐解いていけば、ここで過去暮らした人々の想いや考えも伝わってくる気がした。そして移住後1年経つ頃、観光巡りも落ち着いたので、時間のある週末はマンション巡りに切り替えた。特に積極的に住宅購入を考えていたわけではなかったが、さまざまな住まいを見てまわるのは単純に楽しいし、勉強にもなった。しかし、まさかのマンション購入。そのあたりの詳細は次回お話しする。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年12月06日シャープは20日、「希望退職の募集」の結果及び特別損失の計上に関して発表した。希望退職募集の対象会社は、同社及び主要国内連結子会社で、募集人数は2000人程度。募集期間は2012年11月1日~11月14日で、退職日は2012年12月15日。募集の結果は、希望退職者数は2960人。応募者数が募集人数を超えたため、2012年11月9日に募集を締め切った。希望退職の募集に伴い発生する費用は、同社及び主要国内連結子会社合計で約253億円で、2013年3月期第3四半期決算において特別損失として計上する予定。なお、この費用は2012年11月1日に公表した2013年3月期通期連結業績予想に織り込み済みとなっている。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年11月20日移住して数カ月たつ頃、実は少し寂しさを感じる日が多くなっていた。平日は仕事に出ているので大丈夫なのだが、週末になると特に、「家族に会いたいな」「友人に会いたいな」「思いっきりおしゃれして街を歩きたいな」「舌鼓を打つお肉やお魚を食べたいな……」などという気持ちが沸々と湧いてきた。いわゆるホームシックというやつだ。ちょうど生活や職場に慣れてきた頃だったので、寂しさを感じる余裕が出てきたということなのだろう。そんな自分を見て、都会の血はなかなか抜けないなと思った。しかし、あるとき私が東京の友人に「ここは本当に何もないんだよね」と話すと、こう言われた。「あれ? 何もないのが贅沢なんじゃなかったの?? 」と。確かにその通りだ。移住前、私は都会の喧騒から離れたくて、度々沖縄に来ていたのだ。海や森といった自然の美しさ、そこでの海人(うみんちゅ)や島人(しまんちゅ)との交流で存分に癒やされ、またパワーをもらっていた。そう、ここには東京にないものがたくさんあったのだと改めて思った。ないものねだりをしてはいけないのだ。そうこうしているうちに夏も近づき、友人や知人たちが東京から遊びに来るようになった。それぞれ沖縄に期待することは違ったが、観光や食事などをしつつ沖縄で一緒に時を過ごすのは、都会で過ごす楽しさとはまた別の楽しさがあった。また、こちらでできた友人たちを時々自宅に招いてホームパーティーをするようにもなってきた。こうなると、自分にとっての人生のホームグラウンドが2つあるようで嬉しかった。ちなみに、都会が恋しい欲求だけは時々顔を出すので、2、3カ月に一度の帰省の折に思いっきり満たすことにしている。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年11月15日12月20日に移住して新生活の準備をした後、年末年始は再び実家に戻った。幼い頃から、お正月や誕生日といった家族行事は、原則全員参加が我が家の風習だからだ。そして三が日を終えて、再び沖縄の自宅へ。移住後初の年末年始は、あわただしいものとなった。1月4日は沖縄での初出勤日。自宅から会社までは車で約30分程度だが、車の混み具合が心配だったので、初日は早朝に自宅を出た。しかし、約束の1時間以上前に着いてしまい、会社の周辺地域をうろうろとして時間をつぶした。緊張していたせいか、車窓から見える青空がやけに透き通って見えた。この職場での私のミッションは、人材育成と労務管理の確立。実際に仕事がスタートしてまず手がけたのは、従業員たちと交流し、会社の実態をできるだけ正確につかむことだ。会社が掲げる経営理念やビジョン実現のために、いま何が必要なのか、これから何が必要なのかを模索した。そしてそれを、人材育成の基本理念や方針、3カ年計画に落とし込んでいった。正直なところ、沖縄には人事に関する情報は乏しく、自分の知識やスキルをアップしていくのが難しい。「それならば東京へ行くしかない」と思い、度々出張を願い出た。東京へ行く度に力になってもらったのは、前々職や前職でお世話になった方々だ。皆、人事のプロフェッショナルばかり。人の縁というものが、いかに大切なものであるかを実感している。現在、沖縄に移住して約2年がたつが、私の仕事は社外に広がりつつある。沖縄県内に住む学生向けの研修、さらには市役所の方から声をかけてもらった経営革新セミナーでの研修など。つい先日は、沖縄で開かれた国際イベントで、初の外国人向け研修にも挑戦した。いつ誰にどんな機会がまわってくるのか、本当にわからないものである。でも、いつでもそれに応えられる技量を身に付けていたい。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年11月01日沖縄での新生活は、慌ただしくスタートした。移住して10日ほどは、一通りの生活用品を取りそろえるため、毎日買い物に出掛けていた。慣れない土地で運転をするというのはなかなか勇気がいるもので、毎度ドキドキしながらの外出だった。そして、外出ついでに沖縄で暮らす知人たちのところに顔を出した。「何か困ったことがあったら、いつでも言ってね」とみんなが温かく迎えてくれたのは、本当に心強かった。少し生活が落ち着いてくると、趣味のヨガに通える場所はないか、よさそうなカフェはないか、おしゃれな美容院はないか……と探索してまわった。しかし、気になっていたのは、沖縄への移住をとてつもなく心配した家族や友人たちのこと。沖縄と東京の物理的距離は、どうしても埋めることはできない。定期的に、私の暮らしぶりや元気でいることを伝える手段はないか、少しでも安心してもらえる手段はないかと考え、この時からブログを開設した。もともと自分のことを話すことは苦手だったので、全く抵抗がなかったわけではないが、始めてみたら意外に楽しく続けることができた。本当にたまにしか会えない友人からも、「ブログがあるから、会っていない感じがしない」と言ってもらえたし、自分自身も過ごした軌跡を後で振り返れるのはよいことだと思った。そうそう、移住して最も意外だったのは、冬の沖縄は想像以上に肌寒く、特に北風が吹く日は長袖のセーターやジャケットが欲しいかったこと。日によって寒暖の差が激しいので、気候にあわせた服が欲しかったが、沖縄でお気に入りのショップを見つけるのは困難だった。服をどこで買ったらよいのかわからず……。結局、お正月に実家に帰省するまでの間は薄着で過ごしていた。駅ビルやデパートが大好きだった自分が、この後何度も都会が恋しくなることは容易に想像できた。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年10月18日東京で暮らしながら移住準備をすること3カ月。感謝すべきは、最後の1カ月が毎日送別会だったこと。前々職の人たち、前職の人たち、友人たち……お世話になった方々が開いてくれ、とてもうれしかった。通常の転職とは違い、遠く離れた島へ行くという認識がどこかお互いにあったのだと思う。そして大概、まず「なぜ沖縄なの? 」と聞かれる。転職活動に1年以上かかった私にとって、既に沖縄は身近な場所だったが、突如移住を知った人たちにとってはかなり驚くニュースだったようだ。なので、時間の許す限り一人ひとりに、沖縄で実現したいことを語った。連日の宴で、移住前には身体がお酒を受け付けない状態になっていたが、彼らとは沖縄に移り住んでからも縁は続くし、色々と助けてもらう場面は多いだろう。そういう意味でも、移住までの1カ月間はとても貴重な時間だった。しかしながら、「アフリカに行くほど遠く感じる」と極端なまでの発言をした両親とは、時間をあまり取れなかった。移住する日の朝、通常出勤するような感じで家を出たのをよく覚えている。冬の冷たい風が吹いているが、太陽が顔を出す穏やかな日だった。東京を離れる感傷に浸る暇はなく、沖縄に到着するやいなや生活の準備が始まった。那覇空港から新居まで直行し、不動産屋さんと待ち合わせ。そこで鍵を受け取り、ガス会社の係員を待ってガスを開栓。電気、ガス、水道が使えることを確認したら、頼んでいた車を取りに中古車屋さんへ。その足で、電子レンジ、冷蔵庫、ガスコンロ、洗濯機、掃除機などの家電を購入。「あ、今夜寝るための布団もない……」と気づき、慣れない車を運転しながら閉店ぎりぎりで家具屋さんにも滑り込んだ。移住前はしばらく実家暮らしだったため、改めて独り暮らしの大変さを実感した。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年10月04日移住までの期間は約3カ月あったが、その間も東京での仕事があるため時間を見つけて合間合間で移住の準備をした。年次有給休暇を活用したスケジュールを考えるものの、沖縄に出向けるのはせいぜい1週間程度。そして移住後はすぐに、新しい職場での仕事を予定していた。となると……そんなに悠長に構えてはいられない。移住前に家はもちろん、車も決めておきたい。移住後、すぐに沖縄での仕事がはじまることを考えると、ある程度の生活用品を準備しておかないと大変なことになると容易に想像ができた。手始めに、家探しを行った。Webで情報展開している沖縄の不動産会社を調べたり、沖縄に代理店を持つ大手不動産会社に問い合わせたりした。住みたいエリアは決まっていたので、紹介された中からいくつか物件をチョイスし、沖縄に行くタイミングで内覧ができるようあらかじめアポイントを取った。転入転出が多い時期でもなかったので物件候補は少なかったが、幸い、新築物件でキャンセルが出たという連絡をもらった。55平方メートルの2LDK、駐車場2台付で家賃6万2000円。基地が近く、朝夕は戦闘機の騒音が気になるものの、住宅街のため周囲はわりと静か。通勤に使うメイン道路にも出やすい場所だし、海がすぐそばというのも気に入った。数年前、世田谷で1人暮らしをしていた時は、21平方メートルの1Rで家賃7万6000円だったのと比べれば、沖縄での賃貸は断然安く感じた。ただ、賃貸物件の契約の場合、敷金や礼金の他、保証人をつけても保証金がかかるという沖縄ならではの仕組みには少々驚いた。契約のために何度も行けないため、物件を決めた後はほぼ書類の郵送で対応した。車については、しばらく中古の軽自動車でいいかなと思っていた。中古車を売っている場所を友人たちから聞き、家と並行して探し回った。沖縄では軽自動車の需要が多いらしく選べる数も多くなかったが、車がないとどこにも行けないので、とりあえずその中から決めた。そんなこんなで、沖縄に出向いた1週間で次々と家と車を決め、何とか生活する空間と通勤手段を確保した。あとは生活用品をどうするか……。家電を東京から運ぶとなると送料が高くつく。ならば移住してから買おうと思い、細かい生活用品だけ買って、その他の荷物と一緒に新居に送った。今思い出しても、相当忙しい移住準備だった。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年09月20日住み慣れた土地を離れて、どこかに移住してみたいと考えたことはあるだろうか。一年中温暖な南の島や、大自然に囲まれた土地で新たな生活を始めるのも楽しいことだろう。ということで、マイナビニュース会員の男女848名に、移住したいと思う場所について聞いてみた。Q.いつかは移住したいと思う場所(国内)はどこですか?(複数回答)1位 石垣(沖縄) 19.8%2位 京都(京都) 13.2%3位 札幌(北海道) 9.3%4位 港区(東京) 9.1%5位 富良野(北海道) 8.6%■石垣・「とてもゆったりした時間が流れているから」(24歳女性/機械・精密機器/秘書・アシスタント職)・「沖縄の海と自然の素晴らしさに魅了されたから」(28歳女性/運輸・倉庫/技術職)・「時間や仕事に縛られずゆっくりしたい」(31歳女性/建設・土木/事務系専門職)■京都・「古都に惹かれる」(37歳女性/学校・教育関連/その他)・「昔の町並みが残っているところが多くて、老後に住むには良さそうなので」(29歳女性/その他/その他)・「寺めぐりをしたい、寺のボランティアガイドをしたい」(26歳女性/自動車関連/事務系専門職)■札幌・「都会と自然のバランスが良いので」(28歳女性/金融・証券/事務系専門職)・「夏が涼しいから」(26歳男性/不動産/その他)・「雄大な土地でのんびりしたい」(49歳男性/機械・精密機器/技術職)■港区・「公共サービスも充実しているし、生活も便利だから」(29歳女性/ソフトウェア/秘書・アシスタント職)・「日本で一番賃貸料が高いと聞いた港区で、セレブな生活がしたい」(32歳女性/機械・精密機器/秘書・アシスタント職)・「綺麗な街並みだから住んでるだけで嬉しい」(25歳女性/ホテル・旅行・アミューズメント/その他)■富良野・「ラベンダー畑があったり自然が多く、のんびり生活できそうな雰囲気だから」(36歳女性/その他/その他)・「バイクに乗るので、まっすぐな広い道路がのびているのが魅力」(27歳男性/マスコミ・広告/事務系専門職)・「北の国からを見て」(29歳男性/学校・教育関連/事務系専門職)■番外編: 感服する移住の動機・「仙台(宮城): 復興に役立ちたい」(34歳男性/印刷・紙パルプ/クリエイティブ職)・「仙台(宮城): お金をおとしたい」(31歳男性/情報・IT/技術職)■総評1位は沖縄の「石垣」。「海がきれいなので」「のんびりスローライフをおくれそう」という意見が圧倒的に多かった。2位は「京都」で、「景観が好き」「雰囲気が好き」「時間の流れ方がゆっくりしているから」など、古都の風情に憧れる回答が多く寄せられた。3位は「札幌」で、都会でありながら自然も多いところが支持され、「食がおいしいから」という意見も目立った。4位は東京の「港区」。こちらは都会が便利だからという声が非常に多かった。そして5位は「富良野」で、「とにかく自然に囲まれて暮らしてみたい」「夏は涼しいから」といった回答が目立った。港区以外は概ね「ゆっくり暮らしたい」という動機から、移住先が選ばれる結果になった。忙しい毎日から解放されたいと願う人が多いようだ。一方で、「地元が一番」「生まれ育った地が一番」など、移住を希望しない意見も多く寄せられた。(文・アリウープ 高橋賢司)調査時期: 2012年6月19日~2012年6月21日調査対象: マイナビニュース会員調査数: 男性381名 女性467名合計848名調査方法: インターネットログイン式アンケート【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年07月27日東京でバリバリ働いていたキャリアOLが沖縄への移住を決断。その理由は? 移住後の感想は?? この連載では、沖縄へ単身で移住をした著者の”想い”をつづっていく。沖縄の海に潜り始めて3年が経つ頃、現地で暮らす人たちとも顔馴染みになり、少しずつ知人や友人ができていた。2~3カ月に一度の頻度で訪れていたのだから、それもごく自然なことなのかもしれない。そして、沖縄を訪れたときにはいつの間にか「めんそ~れ(いらっしゃいませ)」ではなく、「おかえりなさ~い」と迎えられるようになり、それがとても嬉しかった。気が付けば、沖縄は自分が生きるもう一つの場所になっていた。ちょうどその頃、勤務先で大きな異変があった。昨日まで競合だった会社と合併するのだという。私がいた会社は優秀な従業員が多く、文化や風土も好きだったが、合併するとなると単純計算で従業員は倍以上。ワールドワイドで従業員4万人を超えることを想像したら、巨大企業の行く末に戸惑った。私は人材に携わる仕事をしてきており、10年近くが経っていた。そんな中で、「一人ひとりとできるだけ深く向き合って仕事をしたい」と思い始めていた頃だったので、合併話が浮上したときには、「もう一度、原点に戻ろう」という想いが自分の中で芽生え始めた。そのとき勤めていた会社は転職で入社しており、新卒で入った会社は人材コンサルティングのベンチャー企業だった。ベンチャー企業独特の厳しさはあったが、自分の思いをすぐに形にし、実現していける楽しさがあった。合併話が具体化していく中で、頻繁に当時のことを思い返すようにもなっていた。そんな漠然とした気持ちを抱えながら、求人市場を見始めた。普通なら……転職先は自分の住まいから通勤可能な範囲で探すと思うが、このとき私は沖縄に注目した。積極的に転職を考えていたわけではなかったので、まずは大好きな沖縄で、自分が求め、求められる場所があるのかを確かめてみようと思った。しかし、その話をして家族や友人たちには相当驚かれた。「遊びに行くのと暮らすのは全く別物」だと。なので、転職は慎重に検討しようと思った。自分がこの地に求められ、自分もここで頑張りたいと強く思える場所が見つかれば、そのときには思い切って移住しよう。でもそうでなければ、縁がないのだとあきらめよう、と。そこには、意外に慎重な自分がいた。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年07月26日なんとなく気まずい雰囲気に……いつも一緒に帰る同僚がいても、ひとりでサッサと帰りたいときもある。また、あまり会話をしたことがない人と帰るタイミングがいっしょになったら、何を話せばいいのかわからない……。そんなとき、あなたはどうやって先に帰りますか?マイナビ会員の男性416名に、その対処法について聞いてみました。>>女性編も見るQ.会社の人と一緒に帰りたくないときどうしますか?教えてください(複数回答)1位用があるふりをして別れる35.6%2位いつも一人で帰っている26.9%3位時間差でオフィスを出るように工夫する17.1%4位今日は急いでいると言って急ぎ足で去る13.7%5位「今日、ちょっと用事があって」と事前に言っておく12.7%■用があるふりをして別れる・「よく、近場のお店(本屋など)に寄るフリをして巻くから」(28歳/商社・卸/事務系専門職)・「無理に用事を作ると、自然に見えるから」(29歳/ソフトウェア/技術職)・「ちょくちょく忙しい振りをしてやりすごすため」(28歳/ソフトウェア/技術職)■いつも一人で帰っている・「できるだけ、一人で帰れるように見計らう」(25歳/団体・公益法人・官公庁/専門職)・「一人で帰りたいので、しれっと帰る」(28歳/電機/技術職)・「車通勤の会社なので、複数で帰っているのを見るのが珍しいくらい」(28歳/印刷・紙パルプ/事務系専門職)■時間差でオフィスを出るように工夫する・「手間取っているふりをする」(29歳/電機/技術職)・「断る理由をつくるのが面倒。時間差で出られれば、自動的に一人で帰れるので」(31歳金融・証券/営業職)・「終わっていないふりをしたり、最後に無理やり誰かと話をしたりします」(29歳/食品・飲料/営業職)■今日は急いでいると言って急ぎ足で去る・「余計な言い訳や行動をするより、早くその場を離れた方がいいから」(28歳/その他)・「たまに上司と帰るが、一人で帰りたいときは時間を無理にずらす」(32歳/医薬品・化粧品/事務系専門職)・「不自然ではないように」(32歳/情報・IT/クリエイティブ職)■「今日、ちょっと用事があって」と事前に言っておく・「人に流されやすい性格だから」(24歳/機械・精密機器/技術職)・「会話も重要なので一緒に帰るのも悪くないが、一人で帰りたいときもあるので、当たり障りがないように事前にアピールしておく」(33歳/金属・鉄鋼・化学/技術職)・「関係がこじれなさそうだから」(24歳/小売店/小売店)■番外編:特に気にしない人たちも・「一緒に帰りたくない会社の人はいないから」(35歳/情報・IT/技術職)・「特に理由はないが、みんなバラバラに帰っているから」(38歳/団体・公益法人・官公庁/事務系専門職)・「何か余計なことをする必要はない」(33歳/農業・水産)総評1位は「用があるふりをして別れる」でした。たまたま帰りが一緒になったとしても、急に本屋に行ったり、コンビニに寄ったり……。逆方向へ行くことにすれば、角が立たずに別々に帰れるということのようです。意外に多かったのが、2位の「いつも一人で帰っている」でした。一緒に帰る時間が違っていたり、車通勤だったりと、理由はさまざまです。むしろ、たまには一緒に帰りたいという声もありました。5位の「『今日、ちょっと用事があって』と事前に言っておく」のように、黙って避けてしまう感じが嫌な人は、最初から断っておくと安心みたいです。仕事が終わった瞬間からプライベートタイム。一人で考え事をしながら帰りたいときもありますよね。あまり気を遣いすぎず、スパッと先に帰ってしまうのが、最善の方法なのかもしれません。(文・OFFICE-SANGA渡邉久美子)調査時期:2012年5月21日~2012年5月25日調査対象:マイナビニュース会員調査数:男性416名調査方法:インターネットログイン式アンケート■関連リンク【男性編】オフィスで気づかれないとショックなこと【男性編】早く退社したいと思うときランキング【男性編】イラっとする後輩の行動ランキング完全版(画像などあり)を見る
2012年07月16日ブラッド・ピットの両親が、6人の子育て中の息子とパートナーのアンジェリーナ・ジョリーと同居するため近くフランスに移住する、とイギリスの大衆紙「The Sun」が報じている。マドックスは9歳、パックスは7歳、ザハラは5歳、シャイロは4歳。さらに双子のノックスとヴィヴィアンは2歳のいたずら盛り。ナニーを6人雇っているブランジェリーナだが、他人の手ばかりではなく、信頼のおける身内の助けも借りたいのが彼らの本音だろう。ブランジェリーナは現在、拠点の1つである南仏のシャトー・ミラヴァルの敷地内にある建物をブラピの両親、ビルさんとジェーンさんが住むためのコテージに改装中。元は鳩小屋だが、居間とキッチン、寝室2つは余裕で造れる広さだという。一家は改装が済み次第、シャトー・ミラヴァルでの生活をスタートさせる予定だという。(text:Yuki Tominaga)1月に開催された第68回ゴールデン・グローブ賞では、揃って出席したブランジェリーナ。© AP/AFLO■関連作品:メガマインド 2011年春、公開マネーボール (原題) 2011年公開ツーリスト 2011年3月5日より日劇3ほか全国にて公開■関連記事:『ソーシャル・ネットワーク』ゴールデン・グローブ賞4冠N・ポートマン主演女優賞ブランジェリーナ、シャイロの誕生地・ナミビアの自然保護区に200万ドルを寄付新年早々ジョニー×アンジー共演『ツーリスト』本編映像が到着!元日より前売券も発売【ハリウッドより愛をこめて】2010年、ゴシップシーンを賑わしたセレブたちジョニー・デップ、アイドルのコンサートにNFL観戦……マイアミで家族サービス
2011年02月22日ジョニー・デップとの共演作『ツーリスト』の全米公開が間近に迫り、慌ただしい年の瀬を迎えているアンジェリーナ・ジョリーだが、アフリカへの移住を考え始めているという。「何年かしたら仕事の量を減らすと思う。引退するわけじゃないけれど、映画出演の機会は少なくなるんじゃないかしら」と将来について語るアンジーは「本当を言うと、アフリカに移住したいの。芸術的にも(映画出演の)ほかにやることもある」と女優以外の活動に意欲を見せている。とはいえ、それはまだ未来の話。先日撮影を終えた監督デビュー作でパートナーのブラッド・ピットをエキストラとして起用したアンジーは、2人の出会いとなった『Mr.&Mrs.スミス』に続く本格的な共演作の企画を探しているという。「彼の出演作には必ず女性の相手役がいるし、私の出演作には男性の相手役がいるのにね、と2人でいつも話しているのよ。ぜひ共演したいわ。子供たちもその冒険に連れていけるから」と、6人の子供たちもまじえた家族全員での映画製作体験を目論んでいるようだ。(text:Yuki Tominaga)写真は『メガマインド』プレミアに出席したブラッド・ピット&アンジェリーナ・ジョリー。© AP/AFLO■関連作品:ツーリスト 2011年3月11日より日劇3ほか全国にて公開■関連記事:アンジェリーナ・ジョリー、新作プレミア会場で批判にさらされた監督デビュー作を擁護息子の誕生日に出演作のプレミア出席、パリでもブランジェリーナは超多忙!ジョニー・デップ告白「映画会社はジャック・スパロウが気に入らなかった」わがままプリマドンナを演じたウィノナ・ライダーが思い出した初恋の人とは?ブランジェリーナ、養子縁組家族を祝福する日に15万ドルを寄付
2010年12月06日