「自由が丘スイーツフォレスト」(東京都目黒区)では4月30日まで、各店舗にて「桜スイーツ」を販売している。「メルシークレープ」では、桜のリキュール入りの特製カスタードクリームをもちもちのクレープで包んだという「さくらのホワイトショコラ」(830円)を提供する。苺や生クリームを添え、桜が香るフランス産ホワイトチョコレートソース、フレーズパウダー、抹茶パウダー、粉糖で仕上げている。1日20皿限定。「ミキシン ミクスリーム」からは、「桜吹雪~クロワッサンワッフル」(685円)が登場。桜あんをサンドした自家製クロワッサンワッフルに、ミルクアイスと桜あん、ホイップクリームをミキシングしたものを添え、ホワイトチョコレートを散らした。「ベリーベリー」では、「桜と苺のヴェリーヌ」(480円)を販売する。同商品は、ベルギー産ホワイトチョコレートを合わせた抹茶のムースに桜と苺のムースを重ね、ベリーで飾り付けをしている。また、「HONG KONG SWEETS 果香」からは、「桜くずの杏仁豆腐」(450円)が登場。杏仁豆腐に特製の桜くずと抹茶くずを重ね、桜の花と葉に見立てたとのこと。「イリナ」からは、「桜のロールケーキ」(270円)と「桜のミニロールタワー」(2,900円)がラインアップ。桜の花びらをイメージしたピンクのしずく模様のロールケーキ生地で、桜のムースとあんこ入りのクリームを巻き上げた。和と洋がコラボした味わいが楽しめるという。※表示価格はすべて税別
2015年03月26日「気にすんなよ。慎吾にフットサルは続けるように言えよな。俺、ぜーんぜん気にしないから。あのな、フットサルやってると女子に注目されるから恋のチャンスはやっばいほどあんだぞ。試合の後に応援に来てくれた女子達と飲みに行けるから」「冬馬…」「あ、ってことはお前の慎ちゃんも狙われるぞう。あの寂しげな甘い横顔がたまんないって応援団のリーダーが騒いでたから」「冬馬、ありがと。私、ずっと考えてて…」「ま、好みの問題だよな。桃香は支えてあげたくなるようなフワっとした男が好きなんだからしょうがない」「ええ? フワっとした男…? 慎ちゃんがいきなり逞しいオオラオラマッチョになったら、嫌いになるのかなあ?」「そしたら、俺んとこへ来いよ」「そんな都合よくいかないよ。冬馬、クリームついてるよ。ここんとこ…」冬馬のあごを人差し指でつつこうとした瞬間、冬馬が桃香の人差し指を握った。「ずっと友達ではいてくれよ。練習も試合も見に来いよ」「…うん。もちろん」冬馬は最後まで男っぽい。かっこよかった。カフェを後にして、駅まで並んで歩いた。街灯の光は冬になるとやけに冴えてキラっとしている。ふたつの影がくっつきそうでくっつかない距離を保つ。人通りが少ないところで、冬馬が立ち止まった。「桃香、1回だけ」「なに?」「キスしたい」「え?」「俺へのクリスマスプレゼントってことで」立ちすくむ桃香を抱き寄せ、冬馬は唇を重ねた。桃香はとまどったが、なぜか心地よく感じてしまい逃げることができなかった。「ばか、桃香のばか。なにやってんだ私」桃香はその夜、また自分を責めた。ラブバージン。男の人に振り回される弱い自分。髪の毛をかきむしり「生まれ変わらなきゃ」と何度も叫んだ。(続く)【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週月・水・金曜日配信】 目次ページはこちら
2015年03月25日アラサーもふなっしーに夢中になる昨今、女子はいくつになっても可愛いキャラクターが大好きです。そんなキャラ好き女子たちが萌える新カフェが自由が丘にオープンしました。「ピーターラビットガーデンカフェ」です!ビアトリクス・ポターの児童書に登場するピーターラビットは、本だけでなくグッズも大人気。食器類は英国のウェッジウッドが製造販売しており、英国好きの間では圧倒的人気のキャラクターなのです。というわけで「ピーターラビット ガーデンカフェ」へ行ってきましたよ!ほかのキャラカフェとは一線を画す!ピーターラビットの世界を再現したカフェは素朴でかわいらしいです。エントランスは花に溢れ、その中にピーターラビットや小鳥が!外観はグリーン、内観は水色を基調としており爽やかです。オープンカフェのような作りになっているので、風を感じられるのもいいですね。今、期間限定のキャラカフェが多いけれど、イベント的な盛り上がりを見せるそれらとは一線を画すのが「ピーターラビット ガーデンカフェ」。ここは期間限定ではありません!自由が丘のシンボルとなるべくして生まれたのです。この日は大きなピーターラビットがお出迎えをしてくれましたよ。今後イベントのときなど、大きなピーターが登場するそうです。ラケルと共同開発した英国を味わうメニュー「ピーターラビット ガーデンカフェ」の立地は、もともとオムレツが人気のレストラン「ラケル」があった場所です。そして「ピーターラビット ガーデンカフェ」のメニューはラケルがプロデュースしているのです。トロトロのオムライスや濃厚なハンバーグやふわっふわのパンのファンが多い「ラケル」のお料理が英国風に大変身!ピーターラビットの絵本に登場する食材を使用してオリジナルメニューを提供しています。お料理にはチーズや野菜、ワッフルで作られたピーターラビットが。「どこにピーターが!」と探すのもまた楽しい。またデザート類も充実!アフタヌーンティーセットなど英国好き女子は大喜びですね。英国の代表的なお菓子スコーンを食べてみた!そのメニューの中から、ピーターラビットホットチョコレートとスコーン(ミニジャムとミルキークリーム付)をいただいてきました。ホットチョコレートはオーダーのときに「ピーターとベンジャミン(ピーターのいとこ)、どちらになさいますか?」と店員さんに聞かれました。ラテアートを選べるのです。こういったサービス、マニアはたまりませんね!私はピーターをオーダー。ホットチョコレートはやさしい味でしたが、飲むときにピーターの顔を崩してしまうので、ちょっと申し訳ない気持ちに……。スコーンは、ラズベリー、アプリコット、ブラックカラント3種のジャムから1種類選べます。ラズベリーをオーダーしました。スコーンはピーターの焼印付!こちらのスコーンはやわらかく食べやすかったです。またジャムの酸味とミルキークリームの甘さの調和が絶妙。ちなみにジャムは英国王室御用達ブランド「チップメリー」のものです。オリジナルプレートは販売もあり!スコーンに使用しているプレートは「ピーターラビット ガーデンカフェ」のオリジナル。もうひと回り大きいサイズのプレートもあり、両方とも購入できます。今後オリジナルアイテムが増えていくといいですね!室内のアチコチにピーターラビットの世界を再現し、なんと化粧室もピーターラビットの世界観をチラリと演出。自由が丘の新名所になりそうな「ピーターラビット ガーデンカフェ」。女子会にもデートにもオススメです。● ピーターラビットガーデンカフェ自由が丘本店場所:東京都目黒区自由が丘1-25-20自由が丘MYU 1F営業時間:11:00~22:00(3月31日、町田モディ店もオープン)(斎藤香)
2015年03月24日職場に向かう東横線の中で桃香は旋律を組み合わせながら考えた。冬馬と慎吾に対するもどかしさを、父親のように音にしたいと思った。周りを見るとむずかしい顔をしたサラリーマン、早起きは苦手で眠そうなOLがつり革を持って立っている。この車両にいる人達もみんな恋に悩んだ経験があるんだろうな、みなとみらいでデートしてる確率100%だろうなと想像する。恋物語を抱えるひとりひとり。そんな人たちが乗り込んでいる東横線は曲作りには最適の空間と思えて来た。夜、作りかけた曲を部屋にある電子ピアノで弾いてみた。そして気持ちを上に乗せて言葉にしてみた。「あなたを失うと今の世界の灯りが消える。私の足下をほんのり照らしてくれるあなたのともしび。あなたといると心がほのかに桃色に染まる。Loving you missing you…」自分の名前と同じ桃色の光に包み込まれた気分になる。うす桃色の光が射す世界で微笑む「あなた」は慎吾だった。クリスマスの前日、桃香は冬馬が働いているデザイン会社の近所のカフェで冬馬を待った。冬の日の午後8時。とっぷり黒い闇に包まれ、風が頬に痛かった。カフェでちぢこまった身体をあたため、伝えるべきことを整理した。冬馬が小走りで入って来る。寒い中を走ってきたので頬が赤くなっている。「おう、待たせた?」「お疲れさま。あったかいココアおいしいよ。」「で、明日、俺と過ごすことに決めたって言いに来た?」本当に自信があるのか、自信がなさの裏返しなのか恋の経験が少ない桃香にはわからない態度だ。もし自信たっぷりなのだとしたら、こんな自信がある男の人と付き合えば頼りになっていいのかもしれない。でも自分はちょっぴり心が弱い慎吾をサポートしてゆくことを決めたのだ。スッと背筋を伸ばし、冬馬を見つめた。冬馬は察したかのように、店員を呼んだ。「すみませーん、俺もココア。クリーム浮かべてくださいねー」ココアの上にちょこんと座ったホイップクリームをスプーンですくいながら冬馬はそっと声を出した。(続く)【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週月・水・金曜日配信】 目次ページはこちら
2015年03月23日クリスマス1週間前、慎吾が電話をしてきた。「あのさ、クリスマスプレゼント渡したいから、24日は会えるかな。話したいことがあるし」「慎ちゃん、わたし、慎ちゃんのことずっと見ててあげたいけど、もしかするとそれは鮎子と同じ気持ちで弟みたいに思ってるからかもしれない。そんな気持ちのまま会ってもいい?」少し沈黙が流れた。「それでもいいから会って欲しいんだ」いつになく小さな声で慎吾が答えた。1時間後、今度は冬馬からメールが届いた。「そろそろ答え聞かせてくれてもいいんじゃない? ぐだぐだ言わずに俺と付き合えって!」桃香は背筋を伸ばして、窓の外の冬景色を見つめた。雲が低く、もしかすると雪になりそうな寂しそうな夜だった。街灯の下に猫が1匹うずくまって震えていた。恋人もいないひとりぼっちの猫。横に身体を寄せ合う彼女がいたらきっとあったかいだろうに。寂しい猫の歌を桃香は口ずさんだ。「こんな寒い夜は誰かとくっついていたいけど、僕には誰もいないんだ」歌った息でガラス窓が曇り、猫の姿がぼやけて見えなくなった。翌日、リビングで楽譜を書いていると、母の美里がめずらしくピアノを弾き始めた。昔は仕事でジャズを歌っていたが今でも週に3日、友達のライブハウスを手伝いながら唄っている。「ママ、何弾いてんの?いい曲ね」「陽平と出会った頃、陽平がプレゼントしてくれた曲。作詞作曲は陽平っていう凄い曲よ」「まじで? パパ、そんなきざなことしたんだ。今はおっちゃんなのにね」さびの部分になると不安定な音の運びが、切ない気持ちを表している。どうしていいのかわからないような切ない旋律。「ねえ、愛の歌なのになんでそんな寂しいメロディなのかな」フフっと美里が鍵盤をたたきながら笑った。「ママには好きな人がいたの。お付き合いしてた。陽平は後から出てきて、ママを略奪。だから、煮え切らないママを思って書いたメロディなの。ロマンチックでしょ」「そうなんだ。初耳。パパが帰ってきたらひやかしちゃおう」「で、ママはその曲で陥落ってことね」美里がにっこり微笑んだ。「ママ、いま、私、恋に悩んでるんだけど落ち着いたら話すね…」音は不思議だ。気持ちをそのまま織り込むことができる。言葉にならないもどかしさを相手に伝えることができる。キザな父親とロマンチックな母親。音が好きな両親の子供に生まれてよかったと感じた。(続く)【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週月・水・金曜日配信】 目次ページはこちら
2015年03月20日「桃香、クリスマスまでに答えくれよな。その日をふたりで過ごすか、サッカー友達とやけ酒を飲むか。天国と地獄みたいでスリル満点だ」桃香は頷いた。自分でも恋に答えを出さなければならない時期なのだ。宇宙の要塞のライトがチカチカと点滅して、桃香にそろそろ答えを出すようにせかしている気がした。白い強力なライトが線になって夜空に溶け込んだ。桃香は恋愛に関してはカオル先生が言ったようにまだまだビギナーだと自分なりに思う。慎吾を守ってあげたい気持ちと冬馬に守られたい気持ち、どちらも心地よくどちらも大切でひとりに決めることができない。恋愛の意味がわかるまで誰とも付き合わない方がいいかもしれないと思い始めた。冬馬を選べば鮎子との友情が壊れてしまうかもしれない。慎吾がまた引きこもるかもしれない。慎吾を選べば冬馬に頼ってしまうことはできなくなる。くる日もくる日も考えて迷路にまぎれこんだようだった。数日後。鮎子に誘われた。慎吾のことで喧嘩して以来、職場でもそっけない態度で気になっていた。「ねえ、桃香、自由が丘にフレンチトースト専門店できたみたい。ネットで見たよ。行ってみない?」桃香は驚いた。同時に自分が気持ちを決めないと鮎子との友情をなくしてしまうと思った。「行く行く! 甘いの食べたい」ふたりは久しぶりに向かい合って座った。ふわふわのトーストの上にシロップがかかり、甘い密の香りを漂わせた。卵とミルクはどうしてこんなに相性よく混ざり合い、おいしいものを生み出すんだろう。人を幸せにする香りも生む。卵とミルクのような恋ができればいいのになと桃香は思った。自分は全然だめだけれど、迷いがふっ切れなくて周りを傷つけてしまうかもしれないけれど。今度の歌は卵とミルクの恋の歌にしょう、白いナフキンにささっと、アイデアをメモした。鮎子が覗き込んで「作詞はじまったあ。ロマンチストなアーティストだね」とつぶやく。「ううん、最近、作詞や作曲に意欲なくなってるんだ。歌のレッスンやバイトは楽しいけど、本気になれない。こんなんじゃプロになんてなれない」「本気になれないって?」「プライベートで悩むことが多くて、自分のわがままさや弱さが悔しい…」鮎子は一瞬黙り込み、すぐに話を続ける。「慎吾のことだけど。この前、私、きれちゃって悪かったなと思ってる。会社でも無視したりしてごめん。桃香の気持ち考えると、あんなこと言っちゃいけなかった。私に強要されて慎吾と付き合わなくちゃになっちゃうよね。それ、おかしいもん」「鮎子、強要なんて、そんなことない。私がどっちつかずで煮え切らないから鮎子は言ってくれたんでしょ」「あのさ、自分の気持ちに正直になってね。私は桃香が誰と付き合っても文句言わない。友達でいるから。慎ちゃんにも、ふられる厳しさは若いうちに味わえって今なら言える」「鮎子、そんな…」「慎吾だって悪いのよ。桃香に甘えてばっかで、男らしいところ見せてないしさ。彼女になってってはっきり言ってないでしょ。あいつ。恥ずかしがってそんなこと言えないタイプなのよ。でもフットサル誘ってもらって本当によかったと思ってるよ。うちらきょうだいは」「ありがと。そんなふうに言ってくれて」「だから、遠慮しないで、いい恋をして」「うん。もすこし考えてみる」桃香はつかえていたものがすっと降りた。「ところで鮎子は? 合コンの成果はあったの?」「あったら報告するわよー。はずしまくり。8試合8連敗。フットサルなんて観てる暇ないし」鮎子は残念ポーズをしながら笑った。「そっか、じゃあプリンも頼もうよ! 鮎子のゴーコン勝利を願って」ふたりは卵とミルクの甘い香りの中で、ラブトークに花を咲かせた。自由が丘はガールズトークには最適の街。悩める乙女達をやさしく包んでくれる。喧嘩の仲直りもさせてくれる。(続く) 【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週月・水・金曜日配信】 目次ページはこちら
2015年03月18日15号線をひたすらまっすぐ走り、車は工業地帯へ着いた。京浜コンビナート。巨大な工場の群れに白いレーザービームのような灯りが点灯し、まるで宇宙の要塞だ。SF映画を観ているような無機質で不思議な景色だった。「こんなところドライブしたの初めて。幻想的ね。停まって! ゆっくり見てみたい」「いいよ。ちょっとマニアックな夜景だろ。ツァーとか組まれてて、意外に人気らしいんだけど。女の子でも好きかな、こういうの。デートっぽくはないけど」「どうしてここ知ってるの?」「俺、父親の影響でスターウォーズ系が好きだからさ。おやじ、フィギアとか持ってんだよ。小学校の頃から、ビデオも一緒に観てた。で、ここ、夜通ったとき、宇宙の基地みたいだって思ったんだ。クールな景観だろ」「そうね。連れて来てくれてありがと。未来の世界にいるみたい」道路の端っこに車を停めて、ふたりはまた高校の頃にタイムトリップした。図書館で大声で喧嘩して司書さんに怒られたこと、バスに乗り遅れた冬馬がかわいそうになってバスから降りて付き合ってあげたこと。絵が得意な冬馬に似顔絵を描いてもらったけれど、あまりに似てなくて泣きそうになったこと。ふたりの共有できる思い出が泉のように湧き出てくる。「もしかしたら俺、告白はしてなかったけど、桃香の彼氏気分でいたんだと思う。思い込んでただけってところが情けないけど」「私はあの頃、受験勉強しなくちゃって、自分なりに恋愛禁止のストッパーをかけてた」「で、ストッパーがはずれて、大学で誰かと付き合ったんだったよな」「そう、学部の先輩とね。趣味が合わなくてすぐ別れちゃったけど」「で、次の相手が慎吾ってわけ? 俺は入り込む余地ないかな」桃香はうつむいた。慎吾の名前が出て、ふと思い出してしまった。今頃、携帯ショップでどの機種にしようか悩んでるんだろうなと。慎吾の困った顔は大好きだ。「冬馬、私わからない。慎ちゃんのことは大事。私がいないとダメになっちゃう気がする。でも冬馬のことも気になってしょうがない。こういうの浮気症っていうのかな」「いいんじゃない。モテ子ってことで」冬馬が桃香の髪の毛をチョコっと引っ張った。桃香も冬馬の前髪を引っ張り返した。冬馬が桃香の手を取り「冷たいな」と言って、ハアっと息を吹きかけた。暖かかった。冬馬はどんな時も自分を守ってくれる、昔からそうだったんだ。急に頼りたい気持ちになった。ときめいた。と同時に手袋を買う約束をした慎吾の顔もちらついた。あの日、初めて手をつないでくれた恥ずかしがり屋の慎吾。それなのに、また冬馬がキスしてくれないかと思う欲張りな女心。その日、冬馬はキスをせず、桃香の手をギュっと握りしめただけだった。(続く) 【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週月・水・金曜日配信】 目次ページはこちら
2015年03月16日桃香と冬馬は車に乗り込み、ふたりきりになった。ハンドルを握りながら冬馬は黙り込み、桃香ははがゆいような複雑な気持ちになった。気分をまぎらわせようと歌を口ずさんだ。この前、カオル先生に褒められた恋の歌だ。慎吾が横目で見て笑った。「こりゃいいや、ipodいらないな。便利だー。リクエストしたら何でも歌ってくれる?」「ダメだよ。カーオーディオじゃないんだから」「あのさ、もうじきクリスマスだろ。だから決心したんだ。自分の気持ちにケリつけるにはいい機会だ。クリスマスでもなけりゃ、こんなこと言えない」「ケリつけるって?」「慎吾とおまえが付き合ってるのかどうかよくわからない。だったら、お前らがあやふやなうちに言ってしまおうと思って。早いもの勝ちだ。桃香、俺とつきあってくれよ。慎吾じゃなくて俺と」「冬馬…」「言っただろ。高校ん時から思ってたって。あんときはいくじなしのガキだったから言えなかったけど、今なら自信ある。桃香を幸せにする。クリスマス、俺と会ってくれれば誰と過ごすより楽しい日にしてやる」「ちょっとびっくり…」桃香は頬が熱くなるのを感じた。日中は慎吾の動きにドキドキしていたくせに。女心は厄介だと感じた。「慎吾と約束があるかなんて俺には関係ないから。もし慎吾と付き合うならはっきり断ってくれていいよ。潔くゆずる。スポーツマン精神にのっとって」冬馬の言い方がおかしくて、桃香は急に力が抜けてリラックスした。フフっと笑いながら答えた。「オリンピックみたい」「そうだな。ちょっと俺、馬鹿だな」冬馬がクシャっと笑った。緊張していた空気がスっとゆるんだ。「遠回りしないか。夜景が見えるところに連れてってやるよ。俺のナンバーワン夜景スポット」(続く) 【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週月・水・金曜日配信】 目次ページはこちら
2015年03月13日日曜午後はフットサルの練習試合だった。桃香は応援に行った。鮎子を誘ったが「行きたくない」とそっけなく断られた。慎吾も前半は選手として試合に参加することになった。慎吾が走るとき少し脚を引きずることは誰も気にしなかった。普通に慎吾にボールを渡し、和気あいあいとプレーが進んだ。元々プロ選手になりたかった慎吾の動きは息を飲むほど素早やかった。脚の怪我などハンデではないと桃香でもわかった。こぼれ玉を拾い、相手の油断したすきにボールを奪う機敏さは秀逸だ。上半身を右へ左へ向きを変えながらも脚はまったく違う方向へボールを飛ばす。キャプテンの冬馬より技術的に優れているのは誰が見ても明らかだ。体育館の外の温度は低いのに、ピッチのすごい熱気がベンチまで伝わって来た。真剣にボールを追う慎吾を見ながら桃香は胸が熱くなった。慎吾はボールと仲がいい。いっとき怪我でボールと離れたけれど今は元通り仲良く連れ添っている感じだ。休憩タイムに冬馬が桃香を呼び出した。「桃香、話したいことがあるから、今日一緒に帰ってくれないか。車でうちまで送るからさ」「え。でも慎ちゃんと帰る約束…」「今日は俺の言うこと聞いてくれよ。頼むから」いつになく強引な冬馬のまなざしが桃香を刺した。帰り際、慎吾に言い訳をした。「慎ちゃん、冬馬がクラス会の打ち合わせあるらしいから、話しながら帰ることになった。慎ちゃん先に帰って」なんで嘘ついてんだろうと桃香は自分を叱りたくなる。「うん、じゃあ買い物して帰る。新しい機種のスマホ見たいから」(続く) 【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週月・水・金曜日配信】 目次ページはこちら
2015年03月11日マリクレール通りから住宅街の細い坂道を抜けて歩いた。普通の民家の横にウェディングドレスがディスプレイしてある店がある。アメリカンポップなシャツを吊っている店もある。ユニークなイラストのカードがウィンドいっぱいに張り付いている店もある。民家が何軒か続き、さすがにもう店はないだろうと思っていると間口が狭い雑貨屋が一段下がったところに存在している。本当に自由が丘は期待を裏切らない街だ。慎吾がさりげなく聞いた。「クリスマスさ、バイト代で何かプレゼントしたいんだけど、リクエストある? あ、高いのはダメだよ」「まじで? 嬉しい。うーん、手袋かな。この手袋おととしに買ったやつで、毛玉できてるんだ」「よかった。それなら買ってあげられる」「あ、もしできるなら…」「なに?」「鮎子とお揃いにしたいな。オソロの手袋で通勤したい」「へえ、乙女だね。いいよ。ふたつ買ってひとつは姉貴に」その時、慎吾が初めて桃香の手を握った。「毛玉ついてるなら、はずせば? 僕があっためてあげる」子供っぽいと思っていた慎吾が大人に見えた。手袋をはずして、ふたりは手をつないだ。かじかんだ指先に慎吾の体温があたたかかった。恥ずかしがり屋の慎吾は目が合うとフっと横にそらす。そこがたまらなくかわいらしい。道の向こうからも手をつないだカップルが歩いて来る。ニット帽をかぶってお下げ髪をした女の子はこの前読んだ恋愛コミックに出てくる主人公のように見える。雑貨屋の前で立ち止まってワゴンの中を楽しそうに覗いている。珈琲カップを見ているようだ。彼氏の方がお下げ髪をひっぱったり、肩を抱いたり、ほほえましい。桃香たちもあの恋人達の仲間入りをした感じ。恋するカップルに自由が丘はとてもやさしい。しかし桃香は綱渡りをしているような不安定な気持ちで自由が丘を歩いた。(続く) 【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週月・水・金曜日配信】 目次ページはこちら
2015年03月09日脚は引きずっているが、前のように恥ずかしそうに歩いてはいない。どうどうとしている。胸の中ではもやもやが巻いていたが、桃香は明るく声をかけた。「慎ちゃん、専門学校行くんだってね。聞いたよ。すごいじゃない。次の目標が見つかったんだね」「ねえさんが言ってた? おしゃべりだなあ。フットサル部の先輩達が仕事とスポーツ両立して楽しんでて、いいなあと思って。冬馬さんなんて、昼はデザイナー。夜はサッカー。そういうの、かっこいいし」桃香はどきりとしたが、他の話題に切り替えた。「紅茶、たくさんあるね。5種類くらい飲みたいよね。どんだけ味違うのかなあ。」「違う種類頼んで飲み比べしよう」顔を寄せ合い、メニューにずらりと並んでいる紅茶の種類を声に出して読む。ふたりはまわりから見ると仲が良い素敵なカップルだ。「飲んだら、散歩しようか。で、ランチさ、ナポリタンだと、白いセーター汚しちゃうからさ。ケチャップ系は今度にしよう。ちょっと自由が丘の端っこのほうに歩いて行ってみない? 奥沢駅に向かう道に小さなフレンチとかちょこちょこあるんだよ。新しいお店もたくさんできたの」「ok!」陶磁のポットで出された異国のお茶はあたたかく、ふたりの距離をさらに縮めてくれる気がする。湯気の向こうに慎吾の嬉しそうな顔が見える。慎吾と一緒に異国を旅したら楽しいだろうなという思いがよぎった。するとそこに冬馬の顔がよぎる。背中にもたれかかってきた時の暖かさ。はじけるようなキス。桃香は紅茶のカップをじっと見つめる。言葉が消える。慎吾が「どうかした?」とつぶやく。慎吾のはにかんだようなほほえみは、桃香の気持ちを惑わせる。男の子に対して言う言葉ではないが純粋にかわいくていとおしい。慎吾といれば慎吾が好き、冬馬といれば冬馬が好きなんて、ひどい女だと、自分が嫌になる。鮎子が怒るのは当然だ。「あのさ、鮎子、なんか言ってた? 喧嘩…したんだ」慎吾が驚いた顔で言う。「そうなんだ。何も聞いてない。僕、夜中に帰るから会ってないんだ」「そっか…」「だいじょぶ?」「うん、私が反省しなきゃいけないの。今度あやまる」(続く) 【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週月・水・金曜日配信】 目次ページはこちら
2015年03月06日「無理? 今まで親身になってくれてたじゃない。私の弟だから無理してやさしくしてくれてたの?」「ちがうよ。ちがう。慎ちゃんのこと、好きだよ。もっともっと元気になって欲しい」「ほら、言ってることメチャクチャじゃない。てか、桃香、結婚願望なんか今までなかったじゃない。歌やってるから結婚はまだまだって言ってたよ。そりゃ慎吾じゃだめだよね。だってバイトの身分ですから。」話が前向きに進まなかった。何を言っても鮎子の怒りに触れる。桃香は恋する気持ちにひたることが自分のわがままだと思えてきた。周りの人を傷つけてしまう。慎吾にやさしくしたのはたしかに好きだからだ。その気持ちに偽りはない。冬馬があんなことを言うからクラリとしたのだ。冬馬とは昔のままの友達でいて、今まで通り慎吾と仲良くできればすべておさまる。「鮎子、ごめん、私がおかしかった。自意識過剰のイヤな女になってたね」鮎子は、目をそらしてまた歩き始めた。ブーツのかかとがカツンカツンと音を立てる。桃香は鮎子の背中を追いかけた。指の先がとても冷たい。そろそろ手袋が欲しいと思った。きっと鮎子の心も冷たく尖っているはずだ。日曜日、自由が丘南口のシンガポール紅茶の店で慎吾と待ち合わせた。高級ホテルのラウンジのような高級な店構え。照明も控えめでしっとりした雰囲気。ほかのカジュアルカフェと違い、はしゃぎ声は少ない。近隣に住む主婦層のアフタヌーンティーや、仕事の商談で使われることが多いのか。店名のロゴをおしゃれにあしらった紅茶缶が壁一杯にディスプレイされている。ふんだんな紅茶の品揃えを見ていると異国にいるようだった。ふわふわの白いセーターを着て桃香は慎吾を待った。ただ、胸の中には小さな渦巻きができている。「桃香さん、今日は時間あけてくれてありがと」慎吾が笑いながら桃香のいるテーブルに近づいて来た。(続く) 【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週月・水・金曜日配信】 目次ページはこちら
2015年03月04日翌日、会社の帰りに鮎子に揺れる気持ちを打ち明けることにした。日が暮れるのが早くなり真っ黒な夜がそこまで来ている。街路樹は寒そうに北風に揺れている。ふたりはコートの襟を立てながら駅に続く道を足早で歩いた。桃香は今の気持ちを鮎子に話した。鮎子はいつもとちがってしょんぼりしているようだ。桃香はひと息ついて話しかけた。「慎ちゃん、私のこと好きなのかな? 私は好きだけど、恋っていうのかどうかわかんないんだ。怪我で殻に綴じ込もてったから引っ張りだしてあげたかった。お世話してあげたいっていう感じ。でも冬馬はグイグイ引っ張ってくれる感じで、こんな人の奥さんになると何かあっても安心なのかなあって思うの」鮎子は前を見て歩きながら桃香の迷いを黙って聞いていたが、だんだん顔つきがこわばり、歩くのをやめて立ち止まった。「いいかげんにしてよ。どれだけモテ女気取ってんのよ。冬馬君がいいか、慎吾がいいかなんて、人の気持ちをもてあそばないで。それでなくても慎吾はやっと明るさを取り戻したところなの。桃香が離れて行ったら、人を信用しなくなって暗いあの子に戻っちゃう。こんなことになるなら、最初から慎吾にやさしくしないでくれたほうがよかった」「鮎子、そんな…そんなつもりじゃ」「うわべだけのやさしさなんて、慎吾に見せないで。あの子は私たちが思う以上に怪我で傷ついてたんだから。夢を失いかけてたけど、桃香のおかげでゆっくり元気になろうとしてるんだから。今さら突き落とすなんてひどいよ」「じゃあ、私に無理して付き合えっていうの?」桃香の口から、絶対に言ってはいけない言葉が出てしまった。遅かった。冷たい空気が氷点に達し、ピリっと固まったような気配。頬を冷たい風がチクリとさしにくる。まずいと思ったが鮎子は唇をキュっと結んで怒りを抑えていた。(続く) 【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週月・水・金曜日配信】 目次ページはこちら
2015年03月02日桃香は、ボーカルレッスンで課題曲の恋の歌を歌うとき、ふたりの彼のことを思いながら声を出した。はがゆい気持ち、切ない気持ちがクルクルと渦を巻いて空へ空へあがってゆく。立ちすくむ桃香は息もできないほど苦しい。胸の中で何かが暴れている。歌詞をひと言声にすると息が熱い。声が熱い。歌い終わるとカオル先生が、興奮したように言った。「桃香ちゃん、変わったわ。また歌い方が変わってきたわ。音は、ずれたところがあるけど、恋に翻弄されてる女性の気持ちがしっかり歌に入り込んでた。最近嬉しくなったり、ブルーになったり、気持ちの揺れが激しいでしょ。心が年取るとそういう恋はできないけど、桃香ちゃんはラブバージンだから、純粋さが歌に出る。壊れそうなガラスみたいでいい感じよ。」「え、そうですか。でもラブバージンって…」桃香は恥ずかしそうにうつむく。「楽しいことや悲しいことは歌を聴けばわかるって、前に言ったでしょ。歌は喉で歌うものじゃなくてここから絞り出される物だから」とカオル先生は胸をトントンと手のひらで叩いた。桃香は自分の手のひらを胸にゆっくりあてた。カオル先生の大人の部分にちょっぴり近づいた気がする。その夜、慎吾からメールが届いた。「今度の日曜日、バイト休みなんだ。よかったらランチ行かない? フットサル誘ってもらったお礼がしたいから。あ、店は自由が丘で。ナポリタンが美味しい和風の店、見つけた。和風ってとこが落としどこ。Shingo」とまどった。ふたりきりで会って長い時間を一緒に過ごすと、慎吾は自分に気持ちを寄せることはわかっていた。桃香も慎吾のことはずっと大切にしたい。そばにいないと崩れそうな危うさが慎吾にはある。冬馬の思いに答えるべきか、慎吾と寄り添い続けるのか。キッチンに置いてあるピンクペッパーの小瓶。きれいな色をしている。自分が慎吾にスパイスを振りかけたのは、よかったんだろうかと思った。(続く) 【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週月・水・金曜日配信】 目次ページはこちら
2015年02月27日「気になる人? うん…まあ」「同級生のカレかあ。キャプテンね。告られた? どんな人だっけ」「久しぶりに会ったら高校の時よりずっとたくましくなっててね。デザイン事務所で働いてて、デザイナーの卵やってる。フットサルの時もリーダーシップ満点だし」鮎子はホっと息を吐いて視線をそらした。「そうかあ、しょうがないな。慎吾にはライバルは手強いって言っとくわ」鮎子はさらっと答えたが、内心は気になっている。「あのね、歌。恋や愛の歌、歌ってるけど、現実に好きだって言われると、なんて言うか、歌の世界とリンクして、ポーってなっちゃう」鮎子は頷くように聞いている。「ま、桃香は歌やってるぶん、感度高いでしょ。うちらよりずーっと。好きって言われて気分がよくなるのは女子の王道だからね。よかったね」「仕事、戻ろう、おこられちゃう」短いティータイム。桃香は慎吾が宙ぶらりんになりそうな不安を覚えた。あの日から、冬馬の言葉が耳の奥で何度も繰り返されている。「俺、昔からお前のこと好きだから。今でもな」高校の頃はただの友達と思っていた冬馬が、たくましい大人の男になって現れた。時の流れは人を変える。外見も考え方も恋愛観も。仕事中、冬馬から飲みに行こうと誘いのメールが入った。すぐにOKした。なぜか冬馬とたくさん話をしたいと思う。仕事の愚痴や歌手になる夢を聞いて欲しいと。歌入れのバイトのあと、桃香は冬馬が待つ品川のカフェダイニングに向かった。顔を突き合わせて話をするのは久しぶりのことだった。「のどカラカラだよう。まずジンジャーエール!」桃香は明るく切り出した。慎吾やフットサルのことはまったく話さず、高校時代の友達の今の様子ばかりを語り合う。小川が居酒屋の雇われ店長になってテンパってること、喧嘩ばかりしてた三瀬と佐野がくっついたこと。ふたりともが無意識にそんな話題を選んでいた。単純に楽しい時間が流れる。桃香は肩にしょっていたコリのようなものが冬馬の存在でほぐされて、とれるような感じがした。慎吾といると自分がしっかりしなくちゃ、リードしなくちゃとやけに頑張ってしまう。等身大の自分よりちょっと大人のふりをする自分が出てくる。冬馬のまでは素直に弱いところを見せることができる。「冬馬って湯たんぽみたいな人だね」「は?」冬馬が首をかしげる。「どういう意味だよ」桃香は自分の肩を撫でながら「なーんか、このへんが楽になった気がする…」とおどけた。「肩こりか? 揉んでやるよ。俺、習ったんだよ。スポーツマッサージってやつ。肉離れの選手にしてやるんだ」「いいよ。今時はさ、肩揉んでやるってセクハラおやじって言われるんだよ」「うわっ。あぶねえー」冬馬がおどけてテーブルの上に倒れるまねをする。桃香はおもいっきり大声でケラケラ笑った。カフェを出て駅まで歩く遊歩道、冬馬がふざけたように桃香の背中にもたれかかった。「ああ、疲れた、そういや、昨日あんま寝てなかったんだ。ドっと疲れが出た」心地よい重み、懐かしい香り。桃香の心が揺差ぶられる。その時、冬馬が前に立ちふさがり、突然キスをした。唇が触れただけの短いキス。桃香は驚いて立ちすくむ。「はい、駅に着きましたよ、お別れですね、また会いましょう、お姫様」冬馬がふさけたようにお辞儀をする。桃香はその様子をまっすぐ見つめた。冬馬にキスをされた夜、熱いお風呂につかりながら考えた。当時の桃香にとって冬馬は恋の対象ではなかったけれど、今は考えるだけでドキドキする。慎吾と一緒にいる時とは違う、甘苦しいくすぐったい気分。慎吾といっしょの時は、桃香がついていないとダメ、ひとりじゃ危ない、なんだか守ってあげたい気持ちになる。ひとりでほおっておけない。冬馬は逆に一緒にいると落ち着く。守ってもらえそうな気持ちになる。自分が弱っているとき頼ってしまいたい感じが慎吾とは正反対だ。ジャスミンの香りのお湯に顔半分を潜らせブクブクと泡を吹いてみる。ほっくりした気分。幸せだ。冬馬に抱きしめられた身体を手のひらで撫でる。冬馬に触れられるなんて恥ずかしい、そう思ったとき、ふと、鮎子の心配そうな顔が泡のようにに浮かんでくる。「わたし、何やってんだ? 慎ちゃんのこと好きなんじゃなかったのかな…」「桃香ー。早くあがって寝なさいよ。先に寝るわよ」母の声がした。桃香は頭をブルルと振って「はあい。おやすみー」と返した。(続く) 【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週月・水・金曜日配信】 目次ページはこちら
2015年02月25日はるか古、平安の世の時代から、美しく装った王朝貴族たちが、めくるめく恋愛模様を繰り広げてきた京の都。京都の街角には、世界最古の長編ラブストーリー「源氏物語」から受け継がれてきた雅やかな恋の物語が、いまも息づいている気がします。都から足を延ばして訪れた嵯峨嵐山は、和歌の題材「歌枕」として多くの歌にも詠まれた、貴族たちのリゾートとして愛されてきた土地。冬は静寂に包まれた風情ある景観に身を置き、春は桜、秋には紅葉を愛で、夏は清らかな大堰川に小舟を浮かべて鵜飼いを楽しんだとか。悠久の歴史を感じさせる嵐山は、時を重ねてきた大人のふたりにこそ似合う旅先です。平安貴族の恋に思いを馳せながら、ともに歩んできたパートナーと、ふたりの“恋旅”物語を紡いでみませんか。願いが叶う石に祈りをこめて京都に来たなら欠かせないのが神社仏閣巡り。まず訪れたのは“約束を守ること”に霊験あらたかな神様として知られる「車折(くるまざき)神社」です。古来こちらでは石を尊び、現在では、石を模した円すい形の立砂がある「清めの社」は心身を浄化するパワースポットとして、神主がお祓いをした石が入ったお守り「祈念神石(きねんしんせき)」は願いごとを叶えるパワーストーンとして、厚く信仰されています。「商売繁昌・会社隆昌」にもご加護があるとされているため、彼との参拝もオススメ。願いが叶ったらお礼として石をひとつ奉納します。近い将来もう一度ふたりでお礼に行くことになるかもしれません。源氏物語の舞台になった“恋する神社”天照皇大神(野宮大神)がご祭神の「野宮(ののみや)神社」は、「源氏物語」の「賢木(さかき)の巻」にも登場する由緒あるお社。その昔、天皇の代理として伊勢神宮にお使えする斎王が出発前に身を清められた場所です。現在では「良縁結婚」や「子宝安産」にご利益のある“縁結びの神様”として人気が高く「野宮大黒天」のそばにある神石「お亀石」をなでながら願いごとをすると、一年以内に成就するといわれているとか。クヌギの木の皮を剥かずに使用する、日本最古の様式の「黒木鳥居」やクロモジの木の小柴垣は、当時の面影をいまに伝えているよう。光源氏が六条御息所に会いに訪れるドラマチックな一場面が目に浮かびます。月を眺めたい、嵐山のランドマーク承和年間(834-848年)に僧の道昌によって架橋されたという「渡月橋」。鎌倉時代に在位した亀山上皇が「くまなき月の渡るに似る(曇りのない夜空に月がまるで橋を渡っているようだ)」と言われたことから、渡月橋と名付けられました。後年になって角倉了以により現在の位置に架けられますが、大堰川(桂川)の美しい流れは昔のまま。全長155mの風情ある姿は、嵐山を象徴する景観のシンボルになっています。木洩れ陽の差す、情緒ある散歩道竹林が多いことで知られる嵐山のなかでもひと際風情豊かなのが、「野宮神社」から「大河内山荘」へと続く300mほどの美しい散策路「竹林の道」です。青々としたみずみずしい竹が、天高くすくっと道の両側に立ち並んだ空間は、まるで時空を超えて平安の世にタイムスリップしたよう。耳を澄ますと、さわさわという葉ずれの音が心を落ち着かせてくれます。大切な人とふたりで歩いているだけで心地いい空間です。粋な俥夫さんの案内で、心弾むひとときをふたりの特別な体験を演出してくれるのが「えびす屋」の人力車。渡月橋を出発して竹林の道、野宮神社、落柿舎を観光して渡月橋に戻る30分貸し切りのコース「嵯峨野竹林の旅」(2名・¥9,000※税込)が人気です。いなせな法被姿の俥夫は、筋トレを欠かさないというキャリア5年の芝孝真さん。安定した走りと明るい口調のガイドに心が踊ります。車上から見る景色はいつもよりずっと目線が高く、新鮮な眺めを楽しむことができます。駅ナカの「足湯」でほっこり温まる嵐電嵐山駅は、電車に乗らなくても立ち寄りたい穴場スポット。中央ホームには、ほっこり和める「駅の足湯」があり、誰でも利用できます(1名¥200※税込)。オリジナルタオルつきで、散策の途中に立ち寄るのにぴったり。板塀と格子窓の建物も風情があります。駅構内は「キモノフォレスト」をテーマに、600本もの京友禅のポールが飾られています。夕暮れ時には中にライトが点り、色とりどりの京友禅の美しい柄が照らし出されるとか。京都の和スイーツで味わう新食感天龍寺の近くに本店を構える「京 嵯峨野 竹路庵」は、大阪を中心に7店舗を展開する“わらび餅”の名店。定番の「生わらび餅」(¥540※税込)はもちもちした口当たりと口溶けが魅力。沖縄の黒砂糖や宇治抹茶を練り込んだバリエーションもあります。甘いものが得意でない彼でも口に合いそうな、京菓子らしい上品な甘さです。昨年秋に登場した、わらび粉をふんだんに使った「特別仕立てわらび餅」(¥1,080※税込)は、もっちりと舌に弾んで豊かな風味があり、これまで体験したことのない新食感です。豆腐懐石の名店で「嵯峨とうふ」を満喫渡月橋の上流、嵐山公園内の岩肌にへばりつくように佇む「松藾庵」。かつて近衛文麿公の別邸だったという建物は、嵐山の自然に抱かれ、まるで時が止まったように昔のままの姿を見せています。書画家でもある女将の作品が飾られたアートな空間でいただけるのが、名物「嵯峨とうふ」が主役の豆腐懐石。「嵯峨とうふ」はにがりを使わないオリジナル製法でつくられ、絹ごし豆腐と木綿豆腐の中間くらいのやわらかさで、湯豆腐にぴったりとか。「源氏物語」の世界に誘われ、優雅で風流な文化を愛した平安貴族に思いを馳せながら旅する京都・嵐山。美しい景観や神社仏閣、食など京らしさを満喫する中でとりわけ魅了されるのは、現代に息づく和の伝統です。いつまでも大切に受け継ぎたい美しい和文化と、いつも身近にいてくれる大切な彼の魅力を再発見する旅に出かけませんか。■今回紹介したスポット・車折神社 ・野宮神社 ・えびす屋 ・嵐電 嵐山駅 駅の足湯 ・京 嵯峨野 竹路庵 ・松藾庵 京都 嵐山で見つけた、ステキなお土産をアノ人が紹介>>続きを読む 文/江藤詩文モデル/牛窪万里子
2015年02月23日桃香が会社のパソコンの前でぼんやりしていると鮎子が小声で話しかけてきた。「最近、仕事が上の空っぽいぞ。なんかあった? 慎吾が迷惑かけてない?」「ううん、全然そんなことないよ。楽しくやってるよ。鮎子、給湯室行こうか。ここ乾燥しててのどがイガイガするから」ふたりは、給湯室の壁にもたれかかり、立ったままあたたかい柚子茶をすすった。柚子茶を飲んだあと、カリン飴を舐めると、のどの調子がよくなる。冬は喉の乾燥に人一倍気を遣う。急に歌入れの仕事が入ったときに声がかすれていると、迷惑をかける。桃香は喉をいたわっている。「鮎子、慎ちゃん、元気そうになったよね。バイトとフットサル両方充実してるみたいで」鮎子はにっこり笑う。慎吾と口元の感じが似ていることに、桃香は初めて気づいた。仕事中はポニーテールにして髪をまとめ、黒ぶちの眼鏡をかけているので、まじめなOLさんだ。週末になると。巻き髪にして派手な色のワンピースに着替え、リップグロスを盛り塗りし、横浜や自由が丘に繰り出している。「桃香には感謝してるよ、まじで。あいつ、昔みたいにしゃべるようになったし。冗談も言うようになったもん。それにね、ちゃんと就職するって、スポーツリハビリの専門学校探し始めたよ」「そうなんだ! よかったね。フットサルの付き添い、もう行かなくていいかな」「え、もう少しついててやってよ。慎吾きっと桃香のこと気になってるのよ。姉としてはお付き合いして欲しい気持ちだけどね。彼氏いないじゃない、桃香。」桃香は口ごもる。「…いないけどさ」「気になる人がいる?」一瞬、天井を見つめて考えた。慎吾のことも充分気になる。でも、先週の冬馬の告白が頭の中でローテーションしているのだ「昔からお前のこと好きだからさ」。青白い光とともに。愛の言葉を直球でぶつけられたことははじめてだった。歌の中ではロマンチックな歌詞がいくらでも出てくるが、現実にその言葉を投げかけられると、女性はこんなに嬉しいものなのかということにも気づいた。(続く) 【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週月・水・金曜日配信】 目次ページはこちら
2015年02月23日桃香は突然、目の前でピカっと稲妻のような青白い光が見えた。「なに言ってんのよ。友達の弟だから、守ってあげてるだけ」「守るって…。それ、恋とかいうのとどう違うんだよ。好きだから守るんじゃないのかよ」「冬馬、なんでそんな真剣になってんの」冬馬はあわててペットボトルの水をひと口飲んだ。ゴクンという音がはっきり耳に入った。「勘ぐってゴメン。あのさ、俺、昔からお前のこと好きだから。今でもな」その言葉が終わらないうちに、冬馬はピッチに向かって走って行った。慎吾は体育館の周りをゆっくりランニングしながら足慣らしをしている。桃香は意外な告白にとまどった。指先は冷たいのに頬がほてっている。「なんか、冬馬、いま、光になって胸の中に入ってきた…」カオル先生がレッスン室でターンした時のことを思い出す。「ワインレッドじゃない。オレンジ色でもない。ピンクペッパーでもない。青白い光…発光体…」桃香の感覚に冬馬が滑り込んだ実感がジワリと定着してくる。昔の冬馬とやっぱり違う。思っていることを言葉に出してグイっと迫ってくる。付いてゆきたくなる。手を引っ張ってもらいたくなる。そんな感覚。(続く) 【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週月・水・金曜日配信】 目次ページはこちら
2015年02月20日慎吾の変化は周りの目から見ると驚くようなことだった。まず毎日、家で筋トレをするようになった。時間があれば腕立て伏せや腹筋をする。コミックカフェのバイトは前にましてまじめに取り組み、評判のいいスタッフになった。後輩バイトの面倒見もいい、気合いが入った接客をするので客にも褒められる。店長から「このままがんばれば正社員いけるぞ」と言葉をかけられた。鮎子も両親も「桃香のおかげだあ。桃香は慎吾の女神さまだね。付き合っちゃえばいいのに」と食卓で話題にした。試合が近い金曜の夜、桃香は会社を早めに出て練習を見学に行った。スマホでフットサル部の連中の写真を撮っていた。なぜだか自然に慎吾にフォーカスしてしまう。慎吾がいきいき動いているのを遠目で見る。片付けや水の補給など雑務も嬉しそうにこなす。ボールに触る時は選手の顔になる。走っていると脚の不自由さはそれほどわからない。想像以上に速く走っている。なんだ、心配することないじゃないと桃香の胸につかえていたものがすーっと降りてゆく。冬馬がベンチに座っている桃香に話しかけてきた。「桃香も、マネージャーなればいいじゃん。練習にこんだけ付き合ってくれるんだから、仕事もしてくれよ。スコアつけたりとかさ」「え? 無理無理。慎ちゃんのおねえさんの鮎子に頼まれたから、たまに慎ちゃんの様子見に来てるだけ。慎ちゃんが慣れたらもう来ないから。私、もっと、歌のレッスン時間欲しいからさ。」冬馬はいきなりマジ顔になってつぶやいた。「桃香さ、慎吾のこと、好きなのか?」(続く)【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週月・水・金曜日配信】 目次ページはこちら
2015年02月18日その出来事を冬馬から聞いとき、桃香は両手でガッツポーズをつくり、ピョンとジャンプした。桃香は、残業や歌のバイトがないときは、フットサルの練習にできる限り付き合うようにした。幸い、会社はほとんど定時に終わる。歌の練習の時間が減るけれど、今は慎吾のために時間を使おうという気持ちになっていた。自分の夢を追うのも大事。でも、それと同じくらい夢を叶えてあげたい人、それが慎吾だ。家で歌を歌っていても、ピアノを弾いていても、ときおりフっと慎吾のボールを追う姿が浮かぶ。愛の歌を歌う時は感情が入り込み、ひとり涙を流すこともあった。それでも慎吾のことを恋人として好きなのかどうなのか、はっきりわからなかった。付き合おうとかいう言葉はふたりの間には出てこない。ただ、一緒にいてその時を大事にしている関係。桃香は、親友の鮎子の弟だからやさしくしてあげたくなるのかな、と思ったりもした。ボーカルレッスンの日だった。講師のカオル先生に会うと、心が華やぐ。いつもその日の気持ちを表す色を、洋服やアクセサリーの一部に取り入れるおしゃれな先生。「今日は空色の気分。だから、ブルーのピアスとブレスレット」と言って、つかみどころのない話題を提供してくれる。それがまた楽しい。「空色の気分ってどんな感じですか」女同士、話題はどんどん膨らむ。カオル先生のお洋服を見るのが楽しみだ。カオル先生がお手本で歌うとき、桃香は聞き惚れる。きれいなロングヘアをさらさら揺らしながら、メロディに気持ちを込める。桃香の憧れの女性でもあり、おねえさん的存在だ。桃香は発声練習を終えて、課題曲を歌う。あなたのそばにいると私は強くなれるから悲しいことは 小さくちぎって風に飛ばしましょう…ピアノのエンディング音が止まるとカオル先生が立ち上がった。「桃香ちゃん、すっごくよくなってきてる。歌い方変わってきてるよ。恋したかな?」今日のカオル先生は、ワインレッドの長い丈のフレアスカートをはいている。「炎のように燃え上がるオレンジ色の恋。胸の中でしんしんと湧き起こるワインレッドの恋。ピュアな水色の恋。恋も色をイメージすると、納得できる気がしない?」カオル先生がスカートをつまんで、お姫様のようにターンした。「カオル先生、今、好きな人がいるんですね?」桃香が早口で尋ねる。カオル先生はやさしく微笑む。女神さまのように見えた。(続く) 【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週月・水・金曜日配信】 目次ページはこちら
2015年02月16日2度目のフットサル練習日、慎吾はひとりでやってきた。ひとりでサッカー関連の場所に足を向けるなど、引きこもっている頃は想像もしていなかった。「今度からはひとりで行ってね」という桃香の言葉にトンと押された気がしている。そうだ、気楽に戻ればいいのだと切り替えてみることにした。自分の脚のことは気になる。思い切り走るのは怖い。まずはチームの雰囲気に慣れるのがよいんだと…。慎吾はベンチで休憩している冬馬を見つけ駆け寄った。「あの。このチームのマネージャーになりたいんですけど。」冬馬は、オッと驚くような顔つきになり、すぐにニコっと笑った。「もちろんマネージャーもして欲しいけど、練習の時って人数足りないから、パス出しとかやってくれないかな。軽く走るくらいはいいんだろ?」冬馬はピッチへの復帰を促すような誘いをした。桃香は冬馬に、慎吾の過去をすべて話していた。殻に閉じこもってるから外に引き出してあげてね、と。その時、誰かがキャッチミスしたボールが、慎吾めがけてすごい勢いで飛んで来た。咄嗟に身体を右にひねり、腰でいとも簡単に止めた。ボールが慎吾に猛威を止められ、ストンと足下に落ちてゆっくり回転している。ボールが魔術にかかったようなシーンだった。慎吾は意のままにボールを従わせることができる。慎吾は、その力がいまだに身体のどこかに流れているのを感じ取った。冬馬は足下に転がり、ゆっくり回っているボールをじっと見つめた。一瞬の出来事を見逃さなかった。「やれよ。慎吾!」慎吾は冬馬の目をまっすぐ見て「走る練習しますから、よろしくお願いします」と、いつもよりちょっとだけ力強い声で言った。(続く) 【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週月・水・金曜日配信】 目次ページはこちら
2015年02月13日慎吾が近所の公園でボールを足首に乗せる練習をしている時だった。後ろから声がした。「おい、慎吾? 慎吾じゃないか」昔のサッカー仲間だった。慎吾はドキっとした。あの事故以来、慎吾は引きこもりになったと噂を流した連中だ。表面では頑張れ、立ち直れと言っていたが、影で「もうあいつはおしまいだ」と言っているのを耳にした。それから慎吾は人を信じなくなっていたのだ。「なんだ、サッカー復活したのかよ。すげえなあ。エースストライカーだったもんな。怪我、治ったんだ」「おい、今、どっかの会社に所属してるのか?」「てか、自宅療養してるって聞いてるけどな」興味本位の質問が矢継ぎ早に飛んでくる。慎吾の心の窓が、またバタンと閉じようとしている。ボールを脇に抱えて、下を向いた。「何か言えよ。どうしたんだよ」体育会系のいかつい奴が声を荒げる。こんな奴らと一緒にサッカーをしていた自分が馬鹿みたいに思える。こぶしを握ると、桃香の艶やかな声が頭の中ではじけた。"慎ちゃん、強くなんなよ。負けてない?"慎吾は顔を上げて3人の男達をキっと睨んだ。「今はフットサルをしてる。こいつと離れる事はできないって思ったから」ボールを手のひらの上に乗せてスっと彼らの前に差し出した。「お前らもフットサルやれよ。試合を挑むよ。絶対負けない自信がある」3人は、黙って顔を見合わせる。「…へえ…そうか。ま、いつかフットサルやろうや」「あ、ああ。いいね、フットサル…」その場を繕う言葉が続く。「じゃあな、慎吾」3人は背中を丸めて立ち去った。「おにいちゃーん、ボール、おねがいしますー、そっちに転がったあ」小学生の男の子がサッカーボールを追いかけて走って来た。コロコロ転がってくるボールを足で止めて、「おにいちゃんも練習に混ぜてくれよ」と慎吾は笑った。「ほんと? 教えてくれるの? おにいちゃんプロ選手でしょ」男の子がニカっと笑う。「なんで、プロなんだよ?」「立ってるだけでわかるよ。ボール持って立ってる姿がチョー様になってる。ただ者じゃないって感じ」「おもしろいこと言うなあ。チーム名教えてくれよ」慎吾はボール二つを両手に抱えて男の子と歩き始めた。(続く) 【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週月・水・金曜日配信】 目次ページはこちら
2015年02月11日慎吾はコートから目を離さず食いいるように練習風景を見つめている。時折やって来るこぼれ球を返すとき、必ずボールを手に取ってひと呼吸ついた。まだボールがなじんでくれない。「お前は俺を捨てたんじゃないか」とボールに責められているような気がする。自分はボールを蹴ることで生きてゆく、世界中のコートでボールを蹴るんだと思っていたのに、なぜボールと距離を置くようになったのかいまだモヤモヤしている。サッカーから逃げた俺、仲間から逃げた俺。情けない自分像が浮かんでは消える。今、目の前でボールを追っているメンバーたちは、こんな弱い自分を受け入れてくれるのだろうか。趣味で蹴っているのと、夢を託して蹴っているのでは全然違うんじゃないか、どういうスタンスで蹴ればいい? 今更、コートに戻って来てもいいのだろうか。悩めば悩むほどわからなくなる。練習が終わり、冬馬が慎吾にチームの説明をした。「2ヵ月に1回くらい他のチームと試合するから、それに向けてけっこうまじに練習してるんだ。よかったら参加してくれよ。そんな強くないんだけど」慎吾は神妙な顔つきでうなづいた。そこまで決心ができていない。チラっと桃香の顔を見る。桃香は目で「がんばれ」と合図する。その様子を見て冬馬はちょっとだけ嫉妬した。帰りの電車の中で桃香は尋ねてみた。「慎ちゃん、どうだった? 見学してみて。おもしろかった?」「うん、なんかドキドキした。小学校の時、はじめて体育でサッカーの授業受けたとき思い出して」「はーん、新鮮だったってことね。よかったじゃん。初心に戻って蹴ってみればいいよ」慎吾は桃香の嬉しそうな顔を見ているとまだボールとなじめるかどうかわからないことを言い出せない。電車がカーブを曲がるとき大きく揺れた。倒れそうになった桃香を慎吾が抱きとめた。ギュっという音がきこえるようなできごと。目が合った。慎吾は照れてスっと視線を窓の外にそらした。夜の都会のネオンたちがビュンと過ぎ去る。時間が止まった瞬間を確実にふたりは感じ取った。「慎ちゃん、来週は私、歌のバイトあるから慎ちゃんひとりで練習に行ってね。冬馬には頼んどくから」桃香は照れ隠しに関係ないことをしゃべり始めた。(続く) 【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週月・水・金曜日配信】 目次ページはこちら
2015年02月09日「冬馬キャプテン! 元気そうだね! 今日は慎吾君連れて来たのでよろしくお願いします」ペコリと頭を下げる。冬馬の胸の高鳴りは激しくなる。メイクのせいか? 目元がやけにきれいだ。くっきり描かれたアイライン、意思の強さを感じる。まばたきするたびにパチンと音がするような愛らしいまつげ。冬馬はしばらく見つめてしまった。数秒おくれて慎吾が「初めまして。田所慎吾です。よろしくお願いします」と小声で言う。冬馬は我に返って「うわ、イケメンだな。こりゃ、うちのチームにファンがつくぜ。よろしくっ」男らしいゴツっとした手のひらをを慎吾に向けて差し出した。慎吾はとまどいながら、冬馬と握手をした。チームのメンバーが続々集まってくる。「ウィーっす。おっ? 女子マネージャーついに来たるってか?」「やった。ついにチームのプリンセスが現れた」みんなが歓迎してくれた。久しぶりに桃香の姿を見た冬馬は動揺してぼーっとしていた。チームの連中とはしゃぐ桃香の笑顔はあの日のままだが、社会人になり、周囲に気をつかう大人っぽい仕草にハっとさせられた。外は冬が近づいていて冷えているのに、桃香の周りだけポっと暖炉であっためられているような不思議な世界だ。桃香のほうも冬馬の成長ぶりに戸惑った。何年かの時を経て、子供っぽいニキビヅラの少年がシュっとした勇ましい顔つきの男になっている。腕も脚もほどよく筋肉がつき、ドキリとする。「冬馬、なんかオトナーって感じになった」「お前もだよ。勉強の合間によく歌ってたけど、プロになれそうなのか?」「うん、ぼちぼちね。今は時々いろいろな音楽プロデューサーさんの仮歌をうたっているんだ。アーティストが曲を選ぶのに歌が入ってなきゃ困るでしょ? 曲が決まったら私の歌った歌がアーティストによって歌われる仕事なの。プロデューサーさん達は私の声を気に入ってくれてるんだ。だからといってすぐデビューできるとかじゃないけどね。なんてったって厳しい業界だから。でもあきらめないでしぶといの。私。めげないんだ。歌ってるとその世界に入り込めて楽しいから。今は、会社員と平行してやってるけど」「桃香らしいよ。何ごとにもへこたれない。コンテスト落ちても何クソって思うんだろ。気が強かったよな、昔から」歌でデビューする夢を捨てていないと言ったのが冬馬にとっては単純に嬉しかった。自分の夢は何だったっけと思い出そうとしたが、きっとあの頃の夢なんか大学受験合格程度のものだったのだ。「俺も、こうなりたいって夢、持とうかな」「ええ? 冬馬、夢なし男? つまんない奴だね」桃香がひやかす。ふたりは昔のままの居心地のよさを感じ合った。慎吾がチラリとその様子を見たのを桃香は気づかなかった。(続く) 【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週火曜日配信】 目次ページはこちら
2015年02月03日スイーツの街と言われる自由が丘の新しい顔は北海道からやってきた焼きたてチーズタルトが大人気の「BAKE(ベイク)」。自由が丘駅からすぐ、外まで広がる香ばしい香りに誘われるように11時のオープン前から列ができ、1日5,000個ほど売れているそうです。自由が丘店は工場直売がコンセプト、チーズタルトは作りおきせず、チーズムースを流し込むところからオーブンで焼きあがるまで製造中の様子を見ながら買い求めることができます。2階がカフェスペース、利用する場合は席をキープし、1階で購入。チーズタルトの他にもソフトクリームやコーヒーなどのドリンクをいただくことができます。焼きたてチーズタルトは、まるで小さなお月様。サクッとしたクッキー生地に、ふんわり感のとろけるチーズムースはスフレとクリームの中間のよう。いくつでも食べられそうです。サクッとしたクッキー生地の秘密は2度焼きだそう。使用するクリームチーズは美味しさを引き出すために軽い風味の函館産とコクのある別海産、塩味が強めのフランス産の3種類をブレンドしたというこだわり。テイクアウトした当日はそのまま常温でOK 、焼きたて感を味わいたい時はオーブンで焦げないように2~3分温めると甘い香りと共にサクッ、しゅわっ食感がよみがえります。冷やしたり、冷凍してチーズクリームアイスのようにと、幾通りの味わい方も楽しめます。そして自由が丘店に足を運んだなら絶対に食べていただきたいのがこの巻きも美しいソフトクリーム。北海道産の生クリームと牛乳で作られ濃厚ですが、空気を含ませて作られているのでとても軽くなめらかでおいしいです。北海道発の「BAKE」のチーズタルトは常温で持ち運びできるお手軽さ。女の子のスカートのような模様の紙袋はハッピー色。自由が丘の手土産の新定番に決定です。BAKE CHEESE TART 自由が丘店tel.03-5731-8450東京都目黒区自由が丘1丁目31番10号 BAKEビル11:00~20:00(LO19:30) 公式サイト
2015年01月31日フットサル部を作ったキャプテンは、藤川冬馬。桃香の高校時代の同級生だ。サッカー部だがそれほど熱狂していたわけではなく、補欠どまり。気が向いたら部活に参加するチャラ部員。そんな程度の冬馬が社会人フットサル部を作ったのは、会社以外の仲間が欲しかったからだ。世間はJリーグで湧いていたし、サッカーを通じて気のいい男友達が増えるのも生活に彩りを与えた。まったく違う世界で働いていてもサッカーを通じてわかりあえる。女の子と遊ぶときもサッカーをしていると言うと明らかに相手の顔が明るくなる。話題も倍膨らむ。サッカーをしているともてる。そんな自分理論を冬馬は確立し、高校の頃以上にフットサル活動に時間を割いていた。冬馬は昔、桃香に淡い恋心を抱いていた。桃香が校舎の屋上で友達と一緒に歌を歌っている時、その澄んだ声に射抜かれた。身体中を耳にして聞き惚れた。桃香の声が空気に乗っかって屋上をくるくる踊り回る、そんなイメージをいだいた。その時から桃香のことが気になってしかたない。ただ告白まではいかず、図書館友達という関係だったが。別々の大学に進んだためほとんど会うことはない、たまにメールでお互いの存在を示す程度。冬馬は現在、デザイン事務所でパッケージデザインの仕事をしている。朝から晩までデスクワークで運動不足というのもフットサル部結成の理由のひとつだ。そんなある日、桃香から「冬馬、ゴブサタ! フットサルのチーム持ってるのよね。見学したい子がいるの。連れてっていい?」とLINEが入った。桃香と会っているわけではないが、LINEでゆるくつながっていることで、淡い恋心はとろ火のようにゆらめいていた。「今月は金曜の夜、大崎で練習してる。連れてきてOK」返事を返しながら、「ひさしぶりに桃香に会うのか…」と嬉しくなっている自分に気づいた。フットサルの夜間練習の日、桃香がコートにやって来た。袖無しの赤いダウンをはおり、セミロングの髪の毛先がクルっと外巻きで揺れている。チェックのスカートがよく似合う。屋上で歌っていた頃の桃香より少し大人っぽい顔つきになった桃香が冬馬の方に向かって歩いてくる。冬馬の胸の中で誰かがスキップしているように鼓動が早くなる。桃香の少し後ろを背の高い、高校生のようなあどけない顔をした男がきょろきょろしながら歩いている。左足を少しひきずっている。(続く) 【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週火曜日配信】 目次ページはこちら
2015年01月27日「慎ちゃん、なんでメールくれなくなっちゃったの?」「…」「フットサル誘ったから気を悪くした?」「…」「私、あやまらないわよ。嫌なら嫌だってはっきり言ってくれなくちゃ。プロの選手になれって言うんじゃないんだから、気軽に楽しめばいいじゃない。マネージャーになるんでもいいじゃない。」「…」「慎ちゃん、ほんとはボールと一緒にいたいんでしょ」「ボールと一緒にいたい」という言葉に慎吾は、ハっと目が覚めたような気持ちがした。どうしてこんなに我慢しているんだろう。ボールと一緒にいることを。ボールを思い浮かべると胸が苦しくなるくらい寂しかった。だからわざと考えないようにした。サッカー友達とも縁を切った。桃香の誘いは頑固な自分の殻をコツンとつついて割ってくれたようだった。サッカー選手になる夢はなくなってもボールと一緒にいることはできるんだ。その瞬間、するっと言葉が出ていた。「桃香さん、フットサルの練習日、次はいつ?」桃香は にっこり笑った。「慎ちゃん、その前にさ、髪、へんだよ。ガオカはかっこいいイケメンいっぱい歩いてるんだから。そんなヘアスタイルしてると負けちゃうよ」桃香は慎吾の頭のてっぺんにピョコンと立っていた鴨の毛を指で直した。慎吾は思いっきり恥ずかしそうに微笑んだ。ふたりは普段歩かないような裏道を歩いた。3坪ほどの小さな香辛料専門店がある。さすが女性が愛する自由が丘。料理好きの女性は香辛料や隠し味にこだわる。それを知ってか、ここに来ると世界の料理がその味を再現できると思える品揃えだ。棚を見回すとサラクワペッパーだのポナペペッパーだの聞いたことがない胡椒の名前を貼ってあるボトルが並んでいる。「胡椒って、黒と白しかないと思ってたよ」桃香がボトルを手に取ってじっと見つめる。「桃香さん、僕に胡椒かけてくれた」「はい?」「じっとしてる僕が、なんか刺激されてピリってなった」「おもしろいこと言うね、慎ちゃん」「じゃあ、ピンクペッパーってかわいいから買ってみようかな」お店のスタッフが「それほど辛くないんですよ。ほのかな香りで、色が美しいので、熱をくわえないで最後のひと振りにしていただくといいですね」「僕、買う」「鮎子に買って帰るの?」「桃香さんに。僕に胡椒かけてくれたから。お礼」「えー。おもしろすぎ。でもほんとかわいい名前だ。ピンクペッパー。半濁音がふたつはいてって、耳に残るね。知ってる? お菓子のヒット商品は名前にパピプペポのどれかが入ってるんだよ。愛されやすい音なの。とくにわかーい層にね」「へえ、よく知ってるね。じゃあ桃香さんの歌にも入れればいい」「ピンクペッパーの歌かあ」「アイラブピンクペッパー…」慎吾が小声で適当なメロディをつけて歌った。「いけてない!」桃香が背中を叩く。店員が、「とっても仲良しですね」と笑った。(続く) 【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週火曜日配信】 目次ページはこちら
2015年01月20日慎吾からすぐには返事がなかった。慎吾は、サッカーに関係する事象を自分の中で封印したかったし、実際3年間はそうしてきたのだ。思い出すと胸が苦しくなる。それでも思い出さずにはいられない。ボールを蹴った時、足首にボールが一瞬吸い付いてピタっと止まる。手の先から足の先から背骨から、どこからともなく湧いて出てくる力すべてがボールに向かって集まってくる。そしてターゲットを定めて豪速球と化したボールがゴールを割って入る。視線はボール追いかける。視線にも念を込める。「飛べ。俺の定めたターゲットに向かって」と。そしてネットが揺れた時の無性にスカっとする感覚。仲間にナイスパスを出すと全身で受け止めてもらえる嬉しさ。信頼感。ゴールを決めると、今までの苦しかったすべてのことが一気に帳消しになるかのような爽快気分。でも今の自分は左足が思うように動かない。医師は運動をしていいと言うが、フットサルとはいえ走ったり蹴ったりは自信がない。自分の思い通りに足が動かないもどかしさにいらだつのではないか。仲間からあわれれみの目を向けられるのではないか。大好きな桃香の問いにどう答えればいい? 慎吾の胸の中を霧がかかったような不透明感が襲った。1週間後、桃香は自由が丘の学園通りをブラブラしながらバイトを終えて出て来る慎吾を待っていた。ヘッドホンからは流行りのアメリカンポップス曲が流れて来る。肩を揺らしながらリズムを取った。通りには冬物の雑貨が色とりどりに並んでいた。店の前の棚に積まれた薔薇の香りのソープ。女の子なら誰しも欲しくなるフルーツのイラストをあしらったハンドクリーム。チューリップの花の形をしたリップクリーム。今夜から部屋に置きたくなるようなアロマポット。女の子の胸をくすぐるキューティーグッズが盛りだくさん。流行遅れかなと思えるようなチュニックも見たことない派手なプリント柄だとついハンガーごと自分の肩に当ててみたくなる。秋も冬も自由が丘はカラフルで楽しい。知らない間に新しいショップが老舗の横に出現している。ちゃっかりできてしまいました、というような唐突な出店が面白い。桃香が中学の頃からある店と最近オープンした店、英語とフランス語がカタカナで書いてある看板が楽しげに連なっているところもガオカならではだ。そんなことを考えていると慎吾のバイト先に着いた。店の前のサングラス屋のウインドウを覗き込みながら新曲を半分聞いた頃、慎吾がバイトを終え、ヌっと出て来た。髪の毛がボサっとしていて寝起きの小学生のようだ。桃香はヘッドホンをはずした。(続く)【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週火曜日配信】 目次ページはこちら
2015年01月13日ふたりのメール交換が始まった。ありふれた日常の報告。おいしいトルティーヤを食べたこと。新しいコミックが店に入ったこと。1時間、水を飲まずに歌ったら喉がかれたこと。コミックカフェでシャワーを浴びていたらお湯が急に冷たくなってびびったこと。仕事でヘマして鮎子とふたりで上司に怒られたこと。そして桃香は自由が丘に行くたびに慎吾のバイト先を訪ねた。作曲家をめざす女の子が主人公のコミックを慎吾が見つけて薦めてくれた。店に行くたびにそのコミックを1巻読む。主人公の女の子が夢だけじゃ生きてゆけないと周囲の反対にあいながらも曲を作り続ける。作曲家で喰ってゆくなんてひと握りの奴しかいないと、くじけてしまうような言葉を投げつけられてもメジャーなメロディラインを心の五線紙に浮かべる。桃香は応援した。「夢見たっていいじゃない。夢見る力がないと、作曲家や歌手なんてなれないんだから」と。慎吾にも感想を聞いてみると、困ったような顔をしながらかわされる。慎吾は夢をあきらめたぶん、力強い未来を描くのが苦手だ。桃香は、「慎ちゃんも新しい夢みっけようよ」とまっすぐに見つめて伝えた。慎吾はジャケットのポケットに両手をつっこんだまま何も答えず上を向いた。ふたりの関係は日ごと親密になっていく。鮎子は、心を閉ざしていた慎吾がだんだん自宅のリビングにいる時間が長くなるのを肌で感じていた。ソファの上にサッカー関連の雑誌が置いてあることもあった。恋はカチコチに固まった心をやさしくほぐす。家族が踏み込めなかったささくれた部分に光を導く。「ありがとう、桃香」口には出さなかったが、会社で桃香に会うたびに感謝した。ある日、桃香は詩を書いていた。「明日は晴れだよ」「音符がフルフル跳ね回るね」「ジャンプして、ハっとするようなブルースカイ」…コミックの主人公を励ますような言葉を考えているうちに、その対象が慎吾に変わっていった。慎吾こそ、日差しがふりそそぐコートで好きなボールと一緒に走り回って欲しい。ブルースカイをバックにゴールに向かって右足でボールを蹴り入れる。しばらく詩を走り書きしたノートを見つめていたが、ヨシっと自分にだけ聞こえるようにささやき、慎吾にメールを書いた。「慎ちゃん、サッカー、もうしないの? 私の高校時代の友達がフットサル部作ってメンバー募集してるよ。社会人、学生で月3回、夜の練習に来れる人って。下手でも歓迎だって!」ドキドキしながら送信ボタンを押した。慎吾の傷ついている部分を、人差し指でそっと押して「痛い?」と聞くようなそんな心境だ。(続く)【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週火曜日配信】 目次ページはこちら
2015年01月06日「慎ちゃん、クランベリージュースが口の周りについててドラキュラみたいだよー」「ねえちゃんもあごにクリームつけてんじゃねえよ」桃香は即興で「なかよしなかよし、LALALAなかよしきょうだい。スイーツ食べてハッピーきょうだい」と歌い始めた。「すごっ! うちら姉弟のテーマソング!」鮎子が叫ぶ。慎吾も目をキョロキョロさせて恥ずかしそうに笑う。慎吾とカフェに来るなんて久しぶりと言いながら鮎子はケラケラと笑う。ひとりっ子の桃香は目の前にいる仲の良い姉弟がうらやましくもあった。桃香は慎吾に今日読んだ恋愛コミックの続きを読みたいからまた店に行く、アドレスをおしえてと話しかけてみた。慎吾は自分の携帯を白いジャケットのポケットから取り出そうとした。鮎子は気を利かし、「あ、ショーウインドにメープルシロップ売ってたから買って来るね。おかあさんにお土産」と言って席を離れた。アドレスを人と交換するなど何年ぶりかといった様子で慎吾はぎこちなく、恥ずかしそうにアドレスを送った。「桃香さんの歌、聞いてみたい」と斜め下にあるメニューを見ながら小声でつぶやいた。あざやかな赤色のクランベリージュース。グラスの中で氷がじんわり溶けていった。「うん、じゃあ、今度うちにおいでよ。ピアノあるの。でもね、パパもママも歌いだしちゃうかも。そっち系の仕事してる人だから。3人で歌い始めるとうるさいよう。近所の人に注意されたことあるもん」慎吾の瞳に桃香が映る。慎吾は足の怪我をしてうちにこもっていたが、本当は外に出たくてもがいていた。どうやったら元の世界に戻れるかずっと考えていた。サッカーがない世界には帰りたくない、そんなふうに考える子供っぽい自分にも腹が立っていた。ただ、どうしていいかわからなかったのだ。最初の頃は家族にあたりちらしていた。家族は何も悪くない。でも、もどかしさをぶつけるのは家族しかいなかった。そんな自信がない自分をどうしていいかわからなかった時に桃香が現れた。底抜けに明るい、ちょっと強引な桃香。慎吾の錆び付いた心の鍵が数ミリ動く。鮎子はショーウインドの前に立ち、遠目でふたりを見つめた。(続く)【恋愛小説『自由が丘恋物語 〜winter version〜』は、毎週火曜日配信】 目次ページはこちら
2014年12月30日