日本を代表するアニメーション監督のひとりである高畑勲氏が4月5日、都内の病院で亡くなった。82歳だった。1935年三重県伊勢市生まれ。東京大学仏文科卒業後、東映動画(現在の東映アニメーション)に入社し、85年に宮崎駿監督らと「スタジオジブリ」を設立した。■日本のアニメを変えた繊細な“日常描写”記念すべき長編デビュー作『太陽の王子 ホルスの大冒険』から50年。最高傑作の呼び声高い『火垂るの墓』からちょうど30年である。その偉大な功績をふり返り、検証するのに多くの時間と労力が必要なのは言うまでもない。それでも高畑作品の魅力として、まず頭に浮かぶのは、日本のアニメーション全体にも大きな影響を与えた、繊細な日常描写だ。そこに生まれ、そこで暮らす人々の営みを的確に捉え、丁寧に演出することで、キャラクターの内面を浮かび上がらせ、生きざまを輝かせる…。そんな高畑マジックは、70年代に生み出した「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」「赤毛のアン」といった名作テレビアニメに始まり、それに続く劇場作品でも健在。91年公開の『おもひでぽろぽろ』は、高畑監督の日常描写が特に光る秀作である。■盟友・宮崎駿監督との作風の違いは?東映動画の後輩だった宮崎駿監督との長年にわたる盟友関係も広く知られるが、両巨匠の作風には大きな違いがある。その最たるものが、登場人物に対する視点ではないだろうか。ひと言で表せば、宮崎作品のキャラクターは非常にエモーショナルであり、宮崎監督自身もそんな彼らの喜怒哀楽に寄り添いながら、物語を盛り上げていく。一方、高畑監督は登場人物に一定の距離を置くことで、彼らの感情に見え隠れする「儚さや滑稽さ」を作品に映し出した。代表作である『平成狸合戦ぽんぽこ』は文明批判を込めたメッセージ色の強い作品だが、化学(ばけがく)を駆使し、自然を破壊する人間たちに戦いを挑むタヌキたちの姿には、どこか悲哀や皮肉も受け取れる。仮に同じ題材を宮崎監督が描いたら、「人間vs.自然」の対立構造がもっと強調された、まったく違う映画になったはず。また、結果的に遺作となった『かぐや姫の物語』で見せた、詩的な躍動感と夢見心地な浮遊感も、高畑作品ならでは。同作は第87回アカデミー賞で、長編アニメ賞候補となった。盟友でありライバルだった高畑監督の旅立ち…。果たして、長編アニメからの引退宣言を撤回し、新作の製作を進めている宮崎監督の胸には、どんな思いが去来していることだろう?高畑監督が残した功績を足早にふり返ったが、改めてご冥福をお祈りしつつ、今日は『太陽の王子 ホルスの大冒険』をじっくり見直したいと思う。何度見ても、胸が踊るなあ、この作品は。(text:Ryo Uchida)(text:Ryo Uchida)
2018年04月06日『火垂るの墓』や「アルプスの少女ハイジ」など多数の名作を生み出したアニメーション作家で監督の高畑勲が、4月5日、82歳で亡くなった。14年ぶりとなった長編映画『かぐや姫の物語』は米アカデミー賞にもノミネートされるなど国内外で絶賛されたこともあり、海外でも悲しみの声が広がっている。1935年、三重県・伊勢出身の高畑さんは、東京大学文学部仏文科に在学中、フランス初の長編アニメーション映画『やぶにらみの暴君』(1952年、後に『王と鳥』として公開)に影響を受け、アニメーションに関心を持つようになったという。日本では1955年に公開された同作は、高畑監督のみならず、盟友・宮崎駿監督にも大きな影響を与えたことで知られ、『王と鳥』はスタジオジブリ提供によって2006年に日本公開されている。高畑監督は、宮崎監督とともにTVアニメ「ルパン三世」や「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」「赤毛のアン」などの作品を手がけ、『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』にもプロデューサーとして参加。1985年、スタジオジブリの創立に関わった。野坂昭如・原作で太平洋戦争に翻弄された兄妹の悲劇をアニメーションで如実に表現した『火垂るの墓』(1988)は、モスクワ児童青少年国際映画祭でグランプリを獲得するなど海外での評価が高いことで知られる。手描き風アニメーションや水墨画のような表現で注目を集めた『かぐや姫の物語』(2015年)も高い評価を受け、第87回アカデミー賞長編アニメーション部門にノミネート。2009年にも、スイス・ロカルノ国際映画祭でも映画界への長年の貢献が評価され「名誉豹賞」を受賞。2015年には、世界最大級のアニメーション映画祭として知られるフランスのアヌシー国際アニメ映画祭「名誉クリスタル賞」を受賞し、フランス芸術文化勲章のオフィシエを受けている。翌年には“アニメ界のアカデミー賞”アニー賞でも、功労賞にあたる「ウィンザー・マッケイ賞」を受賞するなど、海外の映画・アニメ専門家からも尊敬を受けていた。訃報を受け、米誌「The Playlist」では「スタジオジブリの共同創設者で、アニメーションのパイオニア」と高畑監督を紹介。先日、『かぐや姫の物語』を21世紀の最も優れた日本映画(The Best Japanese Films of the 21st Century)の1本に選んだばかりの「IndieWire」誌は、『火垂るの墓』をはじめ『おもひでぽろぽろ』(1991)、『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994)などを代表作として上げている。より詳しく、1960年初期から映画とテレビの双方で活躍し、アニメーターであり、脚本家であり、製作者であったこと、最後にその名がクレジットされたのは『レッドタートル ある島の物語』(アーティスティックプロデューサー)であったことにも言及。とりわけ、『火垂るの墓』については「最も偉大で(--そして最も悲しい)アニメーション映画であり、彼の最も有名で最も尊敬された仕事として刻まれる」とコメント、映画批評家として知られた故ロジャー・イーバートが遺した言葉「これまで作られた最も優れた戦争映画のあらゆるリストに加えられるべき作品」も引用している。SNSには、『火垂るの墓』の画像とともに「信じられない」「レジェンドだった」など、ショックと悲しみを伝える声が後を絶たない。フランスのアニメチャンネルとして知られる「Catsuka」ではTwitterで追悼の意を示し、2014年に行われた監督のインタビューがオンラインでも見られることを告知、さらに『火垂るの墓』を再放送すると伝えている。またフランス大使館からも【大使の言葉】と題しローラン・ピック駐日フランス大使から追悼のコメントが発表された。(text:cinemacafe.net)
2018年04月06日2018年4月5日、日本アニメーション界の巨匠・高畑勲監督が亡くなったと報道された。享年82。『火垂るの墓』『おもひでぽろぽろ』『かぐや姫の物語』などを手掛け、スタジオ・ジブリで宮崎駿監督と共に走ってきた盟友だった。1935年10月29日に生まれ、82歳でこの世を去った高畑監督。スタジオ・ジブリ設立に携わった人物であり、『柳川堀割物語』『火垂るの墓』『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』『ホーホケキョ となりの山田くん』『かぐや姫の物語』を手掛けてきた。ジブリ設立前は「ルパン三世」や、「パンダコパンダ」「アルプスの少女ハイジ」「未来少年コナン」「赤毛のアン」『じゃりン子チエ』などがある。最後の作品となった『かぐや姫の物語』は製作期間8年、総製作費は50億円を投じて描き、自身でも「ずいぶんお金も時間もかかってしまった」と話し「日本のアニメーションにとって、新しい一歩を進める作品になったような気がします。大変満足を覚えていますし、苦楽を共にしたスタッフにこれほどありがたい気持ちで満たされたことはない」と語っていた。第68回毎日映画コンクールアニメーション映画賞を始め東京アニメアワードでは特別賞「アニメドール」を受賞。さらに、ロサンゼルス映画批評家協会(LAFCA)賞で「長編アニメーション賞」に輝き、2015年の第87回アカデミー賞でも「長編アニメーション」にノミネートされるなど海外からの評価も高かった。宮崎監督や鈴木敏夫プロデューサーからは「パクさん」の愛称で親しまれていた高畑監督。突然の訃報に“高畑ワールド”を愛するファンから悲しみの声がSNS上に溢れている。(text:cinemacafe.net)
2018年04月06日吉本新喜劇史上初の女性座長として注目の酒井藍(31)が、3月17日に公開を迎えた『女子高生探偵あいちゃん』で映画初主演を務めた。同作品ではアイドルグループ・NMB48とも共演した酒井に、作品への思いや、谷川愛梨、内木志、村瀬紗英をはじめとするNMB48メンバーとのエピソードなどを聞いた。○31歳で女子高生役、アイドルにも挑戦初の主演映画『女子高生探偵あいちゃん』で演じるのは、小さい頃から太っていることを美少女たちにバカにされてきた女子高生。探偵業を営む父親の手伝いで、爆破予告が届いたNMB48劇場にメンバーとして潜入し事件を解決するというストーリーだ。――31歳で女子高生役・制服を着ることに抵抗はなかったですか?新喜劇で子供役や高校生役がまわってくることが多いので、衣装さんのところには私専用の制服が小中高と取り揃えてあります。ただスカートがね……胴回りが広いから2枚のスカートを合わせてつくってるんです。しかも冬物なんでめちゃくちゃ重くて、5キロくらいあるんちゃうかなっていう中で撮影してました。――アイドルに憧れていたそうですが、実際に体験してみていかがでしたか?ほんと富士山とアイドルって、見るもんやなって思いました。みんなキラキラしていい子やし、サバサバして明るいし。背中ツルツル、肌がきれいやな~って女子力がすごいです。オフのときもみんなめっちゃ仲いいんです。でもね、どれだけこの子たちが普段努力をしているか……。谷川愛梨ちゃん、内木志ちゃん、村瀬紗英ちゃん、みんな現場で台本を一切見てなかったです。実際にアイドルを経験してみて、やっぱり私は新喜劇入ってよかったなって思いました。○NMB48メンバーのプロ魂に驚き――撮影中、印象的なエピソードはありますか?この映画で初めて芝居をする古賀成美ちゃんと一緒のシーンがあったんですけど、監督から演技指導を受けてたんです。その間、私はお腹が痛くなったのでトイレに行って戻ると、成美ちゃんの芝居がめちゃめちゃうまなってたんです。「伸びしろ~」「この人らの吸収力!」ってビックリしました。――NMBメンバーからアドバイスをもらったり、学んだことはありましたか?最後にNMBメンバーと一緒に「青春のラップタイム」って曲を踊るんですけどハードで……。この映画の中で正直、一番緊張しました。撮影は2~3回で終わろうと思ったんですけど、結局10回くらい撮りました。私は1回終わるごとに舞台袖にはけて取組後の力士みたいに仰いでもらって、水を飲んでたんです。その間、愛梨ちゃんとか紗英ちゃんとかメンバーは他の曲の練習をしてるんですよ。――お気に入りのシーンは?オープニングを見てほしいですね。私が商店街をずーっと歩いていくのを長回しで撮ってるんです。いろんな新喜劇のメンバーが「あいちゃん、おはよう!」って出てきて、ほぼアドリブでネタをします。すると何事かと思ったのか、撮影中にホンマの商店街のインド料理の方がパッと店から顔を出して「Hello!」って言ってきたんです。「えっ!?」って思ったんですけど、カメラ止められへんから、私も「ハ、ハロー!」って言ってます(笑)。――どんな人にこの映画を見てほしいですか?新喜劇やNMB48好き、そうではないシンプルに映画が好きな方、ちびっこから大人までみんな楽しめる映画になってるので、ぜひたくさんの人に見てほしいです。――多忙な毎日を送られると思いますが、普段はまっていることは?YouTubeを見てます。一般の人が台湾旅行をしている動画を見てます。癒やされますね。自分も台湾に行っているような気持ちになれるんです。大概、スムージー飲んでるんですけど、私もスムージーが好きで飲んでます。■プロフィール酒井藍1986年9月10日生まれ、奈良県出身。2007年9月に吉本新喜劇「第3個目金の卵オーディション」に合格し入団。“ぶぅぶぅぶぅ。私、人間ですねん”のギャクで人気が急上昇し、2017年7月、吉本新喜劇で初の女性座長に就任。幅広い世代に人気があり、座員から慕われている。本作が映画初主演となる。
2018年03月23日「MOE40th Anniversary 島田ゆか 酒井駒子 ヒグチユウコ ヨシタケシンスケ なかやみわ 5人展」が、2018年4月18日(水)から5月7日(月)まで松屋銀座にて開催される。同展は、世界でも珍しい絵本情報の月刊誌「MOE(モエ)」の創刊40周年を記念して、読者から支持の高い5人の絵本作家の原画約200点が展示される。また「MOE」の40年をたどって絵本の歩みを振返るとともに、各作家の絵本作りへの想いや生活のなかで大切にしているものなどを紹介し、それぞれの絵本の魅力にも迫る。参加する絵本作家は、繊細な画風と独特な世界観で資生堂(SHISEIDO)やグッチ(GUCCI)などとコラボレーションしてきたヒグチユウコをはじめ、キャラクターのぬいぐるみが人気の『バムとケロ』シリーズの島田ゆか、『りんごかもしれない』などの"発想絵本"を生み出すヨシタケシンスケ、『くれよんのくろくん』などのなかやみわ、『金曜日の砂糖ちゃん』ほか小説の表紙も手掛ける酒井駒子の5人。「MOE」を彩った彼らの作品を通し、絵本の多様な魅力を感じられる展覧会となるだろう。【詳細】MOE40th Anniversary島田ゆか 酒井駒子 ヒグチユウコ ヨシタケシンスケ なかやみわ 5人展会期:2018年4月18日(水)~5月7日(月)会場:松屋銀座8階 イベントスクエア住所:東京都中央区銀座3-6-1時間:10:00~20:00(入場は閉場の30分前まで。最終日17時閉場)入場料:一般800円(600円)/高校生600円(500円)/小中学生400円(300円)※()内は前売料金前売:ヤフーパスマーケット/チケットぴあ/ローソンチケット/セブンイレブンにて2018年4月17日(火)まで販売【問い合わせ先】松屋銀座TEL:03-3567-1211(大代表)
2018年02月22日岡崎京子による代表作の映画化『リバーズ・エッジ』の完成披露試写会が1月31日(水)、都内にて行われ、出演する二階堂ふみ、吉沢亮らと行定勲監督が舞台挨拶に登壇した。■吉沢亮、映画祭初参加に「何をするんですか?」「第68回ベルリン国際映画祭」のパノラマ部門に正式出品も決まっている本作。5度目のベルリンとなる行定監督だが、「二階堂ふみからのプレッシャーがすごくて…“ベルリン行きたいな、行きたいな”って言われて(笑)。相手が選んでくれて行けるもので、お金を渡せば行けるわけではないので、身内からのプレッシャーでした」と苦笑いを見せた。これには、当の二階堂さんが「純粋な気持ちで発言していました(笑)。本当にありがとうございます。せっかく力強い魂のこもった作品になったと思うので、ぜひ海外の方にも観ていただきたいんです」と心を込めた。同映画祭には吉沢さんもレッドカーペットを歩くとのことだが、実は吉沢さんは「映画祭」と名のつくものに参加すること自体初めてだそう。舞台裏では、行定監督に「“映画祭って何をするんですか?”と聞いた(笑)」と笑顔を見せた吉沢さんは、「僕自身、挑戦的な作品になったので、本当にすごく光栄です」と感謝を伝えた。■映画化発案は監督ではなく二階堂ふみ!『リバーズ・エッジ』は、「ヘルタースケルター」をはじめとする岡崎さんのエッジの効いた作品の中でも、最高傑作の呼び声が高く、青春漫画の金字塔として支持を集める原作の同名映画化。若草ハルナ(二階堂さん)は彼氏の観音崎(上杉柊平)がいじめる山田(吉沢さん)を助けたことをきっかけに、夜の河原で放置された死体を見せられ、秘密を共有される。その日を境に、ふたりのゆがんだ絆が結ばれ、思わぬ現実がふりかかる。93~94年に連載された漫画がときを経て映画化される意図について、行定監督は「僕からの発案よりも、二階堂ふみからの発案だったんです。“やる”とも何とも答えていないけど“興味あるよ”と言ったら“OK、じゃあ話しましょう”とスタートした」と経緯を語り、「『リバーズ・エッジ』のタイトル通り、岸に少年少女たちはたたずんで、ふんばって生きている。生きるテーマが見えてきたので、いまの人たちにささるんじゃないかと取り組みました」と、原作への敬意と普遍のテーマ性を感じたことを語る。■森川葵、演じたキャラクターは自分にピッタリ?強烈なキャラクターが数多く出てくるが、中でも森川葵演じるカンナは山田が好きで、愛が空回りストーカーのようになっていく女性。だが、森川さんは「(自分が)カンナと性格自体、すごい近いんですよ」と衝撃(?)発言をすると、キャスト陣や行定監督は「そんなこと言って大丈夫?」とニヤニヤ&おろおろ。しかし森川さんは、「そんな変な女の子じゃないと思うんで大丈夫だと思う…。人のことを好きになるけど、好きすぎてどんどん離れていっちゃうの、カンナっぽいな、自分。自分カンナだなって思っていました」と改めて「自分はカンナ」発言で場内をざわつかせていた。そのほか、舞台挨拶には上杉柊平、SUMIRE、土居志央梨も出席した。『リバーズ・エッジ』は2月16日(金)よりTOHOシネマズ新宿ほか全国にて公開。(cinamacafe.net)
2018年01月31日サンリオの人気キャラクター“ぐでたま”をテーマにしたカフェ「ぐでたまかふぇ」から、吉本新喜劇の座長・酒井藍とのコラボメニューが登場。2018年1月24日(水)から2月28日(水)まで販売される。期間中は、様々なフード&デザートに“ぐでたま”に扮した酒井藍が登場。酒井藍と“ぐでたま”が仲良く並んだ中華まんと豚骨ラーメンのセット「ぶぅぶぅぶぅラーメンと中華まん」や、本人のギャグから名付けられた親子丼「ぶぅぶぅぶぅ丼」、さらに「急がしすぎて仕事に疲れた酒井藍が無人島に一人旅する」というコンセプトで作ったカレーライス「たまには休みや〜おつカレ〜」など、ユニークなネーミングも魅力のメニューを用意。デザートでは、たっぷりのホイップクリームをバウムクーヘンにデコレートして「かまくら」に見立てた「かまくらバウム食えへん」や「藍ちゃんパンケーキ」などが揃う。なお、今回のコラボレーションを記念して、発売日初日には酒井藍本人が来店。ファンはぜひ足を運んで、記念撮影を楽しんでみては。【詳細】吉本新喜劇 酒井藍×ぐでたま期間:2018年1月24日(水)〜2月28日(水)場所:ぐでたまかふぇ HEP FIVE住所:大阪府大阪市北区角田町5-15 HEP FIVE 7FTEL:06-6366-3694営業時間:11:00〜22:30 (L.O.22:00)■コラボメニュー・ぶぅぶぅぶぅ らーめんと中華まん 1,200円+税・ぶぅぶぅぶぅ丼 1,150円+税・たまには休みや〜おつカレ〜 1,100円+税・かまくらバウム食えへん 1,200円+税・藍ちゃんパンケーキ 1,100円+税(c)2013, 2018 SANRIO CO., LTD. APPROVAL NO.S584006(c)YOSHIMOTO KOGYO
2018年01月19日来年1月20日に香港でコンサートを開催することが明らかになった酒井法子(46)。発売から3日でチケットが完売するなど、大盛況だという。 覚せい剤取締法違反の罪で、2009年に懲役1年6カ月・執行猶予3年の判決を受けた酒井。12年に女優復帰したものの、日本ではあまりテレビで見かけなくなっていた。だが最近、アジアでの人気ぶりがたびたび報じられるようになっているのだ。 「昨年3月にソウルのカジノでディナーショーを開き、今年1月にも釜山のカジノで公演を開催。いずれもかなりの盛況で、ギャラは1回200万円ほどだったといいます。またマカオでも昨年に続き、11月の大型国際カジノ見本市『MGSエンターテイメントショー』に出演。地元メディアやファンが殺到したそうです」(スポーツ紙記者) 中でも中国での人気はすさまじく、“モンスター級美魔女”と呼ばれるほど。そのため酒井も中国語を勉強しているほか、中国版SNS「ウェイボー」でアカウントを開設している。 「酒井さんはもともと90年代に中国圏へ進出していました。彼女の顔が中国人にとって理想的な顔だそうで、今も根強い人気があるのです。中国のビジネス規模は日本とケタ違いなので、成功すれば億単位のお金が集まることも。すでに大手スポンサーが動き出しているとの噂も浮上しています」(前出・スポーツ紙記者) こうした酒井の中国人気を受け、“意外な計画”が囁かれているという。 「規模の大きさや意外性から、日本のメディアが彼女を取り上げるようになっています。そのため『中国から逆輸入の形で再上陸するのでは』との声が出てきているのです。日本でも活動しているので、彼女も日本展開を諦めたわけではないはず。中国企業からの巨額のバックアップがあれば、逆輸入計画も夢ではありません」(芸能関係者) 香港コンサートの成功を武器に、のりピーは日本でも再浮上できるのだろうか。
2017年12月02日女優・酒井若菜さんが編集長を務めるWEBマガジン『marble』が、本と映画の総合情報サイト『BOOKSTAND』にて、創刊されました。ドラマ「木更津キャッツアイ」や「シングルマザーズ」、映画「恋の門」「白磁の人」など数多くの作品に出演する傍ら、2008年には初の著書『こぼれる』を、2016年には対談+エッセイ集『酒井若菜と8人の男たち』を刊行した酒井さんが次に挑戦するのは“編集長”。参加連載陣は、編集長・酒井さんが信頼する“女性たちのみ”で構成。その顔ぶれは、酒井さんに加え、坂本美雨さん(ミュージシャン)、佐津川愛美さん(女優)、土岐麻子さん(ミュージシャン)、西田尚美さん(女優)、西原亜希さん(女優)という多彩ぶりです。それぞれのフィールドで第一線を走り続ける女性たちが、所属事務所の枠を超え、一つのWEBメディアに名を連ねる、芸能界でも初の試みとなっています。配信は、毎月第2・第4金曜日。またコンテンツは、テキスト、画像の他、今後は音声や映像の配信も順次予定しています。詳細はサイトでチェックしてみてください!WEBマガジン『marble』価格:500円/月(税込)発行:月2回(毎月第2・第4金曜日)発行購読方法:メールテキスト版・epub版・HTML版・無料アプリ版(BOOKSTANDアプリ)の3パタン
2017年10月17日アイドルグループ・嵐の松本潤と、女優の有村架純が16日、映画『ナラタージュ』(10月7日公開)の大ヒット御礼舞台挨拶に、行定勲監督とともに登場した。同作は、作家・島本理生による同名の恋愛小説を実写化。高校の時の演劇部顧問教師・葉山(松本)に想いをよせる泉(有村架純)は、卒業以来1年ぶりの再会に想いをつのらせ、葉山の方もまた泉に複雑な感情を抱える。撮影で学んだことについて、松本は「お芝居をさせてもらう時の表現の幅が広がったんじゃないかな」と振り返る。「演技のやり方もだいぶ削ぎ落とした方向」と語り、「全然違う役をできるようになったらいいなという風に思います」と今後の役柄にも思いを馳せた。また有村は「映画の面白さを改めて感じた」という。「お芝居って作品が終わるまであまり楽しいとは思わないんですけど、いろんな葛藤をしながら作品を作る楽しさを、改めて感じました」と魅力を表し、「いろんな出会いや発見をくれた作品でもあったので、撮影から今日まで、とても充実した時間でした」と語った。一方、行定監督が「首がつながった。これ当たんなかったら、路線変えようと思ってたんだよね」と明かすと、松本は「マジっすか!? 大胆発言ですね」と驚いた様子。行定監督は「人間関係の曖昧さが好きなんです、僕は。映画だからできることだと思っていて。わかりやすくしなくてもいいし、暗闇の中で2時間くらい没頭してもらいたいという気持ちがあるんですよね。物語じゃないものをみんなが感じ取ってる」と映画の良さについて持論を展開した。行定監督が「これが当たらなかったら、超ジェットコースタームービーみたいなものを撮ろうかと……」と実は持っていた構想を披露すると、松本は「真逆ですね」と苦笑。監督は「皆さんが観ていただいたってことで、もうちょっとこういうのをやっていける期間が延びた」と感謝した。さらに監督は「映画がキャストによって救われれる瞬間があるものなんですよ」と2人にも感謝。「このキャストに出会うために10数年間、成立しなかったんだろうな、待ってたんだろうなと思います」と語り、2人のおかげで大規模公開できたため「たくさんの人に映画を観て欲しいという思いがあったので、感謝しています」と改めてお礼の言葉を述べた。
2017年10月16日酒々井プレミアム・アウトレットが増設。2018年9月28日(金)にオープンする。全213店舗、関東最大級のアウトレットへパワーアップ酒々井プレミアム・アウトレットは、都心から約50分、 成田国際空港からも約10分の好立地なアウトレット。新たに29店舗(移転含む)がオープンし213店舗に、店舗面積は約41,900㎡に拡大。店舗面積・店舗数ともに関東最大級のアウトレットへとパワーアップする。今回の増設では、アウトレットでは関東初出店のベイフロー(BAYFLOW)やタカシマヤのほか、人気のアディダス(adidas)などのスポーツブランド、ケイト・スペード ニューヨーク(kate spade new york)や、新業態ではアウトレットとして日本初出店となるエムエスピーシー プロダクト ソート(MSPC Product Sort)といったバッグブランドまで幅広いジャンルのブランドがラインナップ。カフェコムサなど飲食店の新店舗、限定メニューもさらに飲食店には、ジャーナルスタンダード(JOURNAL STANDARD)が手掛けるパンケーキショップ「J.S. パンケーキカフェ(J.S. PANCAKE CAFE)」や「カフェコムサ(Café comme ca)」、「マッチャハウス抹茶館(Maccha House)」が新たにオープン。ショッピングの合間にケーキや抹茶スイーツなどが味わえる。また、千葉県産の食材を使用した酒々井プレミアム・アウトレット限定メニューも登場。「カフェコムサ」の「メロンと梨のピーナッツクリームケーキ~甲子純米酒々井のゼリーを添えて~」は、千葉県産メロンと梨のタルトに、コクのある千葉県産ピーナッツクリームと、落花生を練り込んだクッキーをトッピングしたメニュー。酒々井の酒蔵「飯沼本家」の日本酒で作ったゼリーも添えた、贅沢な1品だ。「J.S. パンケーキカフェ」では、千葉県産ピーナッツを使った「ピーナッツバタークリームパンケーキ」が提供される。オープン記念セール増設オープンを記念して、2018年9月28日(金)から10月8日(月・祝)まで「パワーアップオープンセール」が開催される。シーズンに先駆けた秋冬のアイテムをはじめ、ファッション、スポーツブランド、生活雑貨などのアイテムをセール価格で購入できる機会となっている。例えばアンテプリマ(ANTEPRIMA)では、対象アイテムを2点買うと会計時さらに10%オフ、3点以上買うとさらに20%オフになる割引を実施する。イルミネーション施設全体を約20万球のLEDの光で飾る、イルミネーションも2018年9月27日(木)から2019年2月20日(水)まで登場。“~天空の光と緑の鼓動~”をテーマに、シャンパンゴールドの光の中にグリーンの光を取り入れ、フレッシュな生命力に満ちた空間を演出する。詳細酒々井プレミアム・アウトレット パワーアップオープンオープン日:2018年9月28日(金)場所:酒々井プレミアム・アウトレット住所:千葉県印旛郡酒々井町飯積2-4-1営業時間:10:00~20:00(店舗・季節により異なる)定休日:年1回(2月第3木曜日)■増設概要・店舗面積約 41,900㎡・店舗数 約213店舗・敷地面積 421,000㎡・駐車場 約5,000台■ファッションブランド23区/アンテプリマ(ANTEPRIMA)/アクアスキュータム(Aquascutum)/バブアー(Barbour)/ベイフロー(BAYFLOW)/チャンピオン(Champion)/エトロ(ETRO)/タカシマヤ/セオリー(Theory)/スピック&スパン(Spick &Span)/ジャーナルスタンダード(JOURNAL STANDARD)/エディフィス(EDIFICE)/イエナ(IENA)■ファッション雑貨バリー(Bally)/フルラ(FURLA)/ケイト・スペード ニューヨーク(kate spade new york)/エムエスピーシー プロダクト ソート(MSPC Product Sort)/トゥミ(TUMI)■スポーツ&アウトドアアディダス(adidas)/リーボック(Reebok)/デサント(DESCENTE)/メレル(Merrell)/アンダーアーマー(UNDER ARMOUR)■生活雑貨ボーズ(BOSE)■飲食カフェコムサ(Café comme ca)/J.S. パンケーキカフェ(J.S. PANCAKE CAFE)/マッチャハウス抹茶館(Maccha House)■移転オークリー(OAKLEY)/マイケル・コース(MICHAEL KORS)■パワーアップオープンセール期間:2018年9月28日(金)~10月8日(月・祝)セール参加店舗例:アンテプリマ、ベイフロー、デサント、マイケル・コース、エムエスピーシー プロダクト ソート 他※パワーアップオープンセール期間中、合計30,000円(税込)以上購入したレシート(当日のレシートのみ合算可)をインフォメーションセンター、または引き換えブースに提示すると先着10,000名にオリジナルタンブラーをプレゼント。■イルミネーション期間:2018年9月27日(木)~2019年2月20日(水)点灯時間:日没~21:00(営業時間に準ずる。)【問い合わせ先】酒々井プレミアム・アウトレットTEL:043-481-6160
2017年09月30日女優の有村架純が、都内で行われた映画『ナラタージュ』(10月7日公開)の「一生に一度の恋をした人限定!スペシャル試写会」に、松本潤、坂口健太郎、行定勲監督とともに登場した。同作は、作家・島本理生による同名の恋愛小説を実写化。高校の時の演劇部顧問教師・葉山(松本)に想いをよせる泉(有村)は、卒業以来1年ぶりの再会に想いをつのらせ、葉山の方もまた泉に複雑な感情を抱える。印象的なシーンを聞かれた松本は「架純ちゃんの表情が崩れる姿ですかね」とピックアップ。「体当たりで演じられてる分、如実に出てるので。観てる皆さんが共感してくれるんじゃないかなと思います」と語る。松本の言葉を受けて、有村は「葉山先生に対して『なんなんだろうこの人は』って思いもあったし、複雑ですね」と撮影中の役の心境を振り返った。有村は同じ質問に対して「泉が葉山先生に対して『聞いてることと違うぞ』と思うところ。そこがわかってから、問い詰めるんじゃなくて、わかった上で寄り添う」と説明。行定監督は有村の回答を聞いて「『なんか違うぞ?』という時の架純ちゃん、すげー怖い」とニヤリと笑顔を見せた。一方行定監督は、作中で泉が見せた土下座シーンを挙げる。「ここはクライマックスの前だから、あんまり盛り上がっちゃいけない感じもするけど、なんか痛いよね」と語ると、松本と坂口も無言で頷く。行定監督はさらに「女性が土下座するんですよ。とんでもないですよね。けど切ないね」としみじみ。「(相手側との関係性が)SなのかMなのかとか、ねじれまくってる。それが愛の表現だと言ってしまえば、すごい究極」と語り、「土下座が見所ですね」とアピールした。
2017年09月27日一生に一度のすべてを捧げた恋を描いた映画『ナラタージュ』の完成披露試写会舞台挨拶が8月23日(水)、都内にて行われ、出演する松本潤、有村架純、行定勲監督が登壇した。大人の男を演じた松本さんは、行定監督に「今日、明らかに(劇中と)違うよね。声かけづらかったもん。嵐の松潤がいるよ」と言われると、「まあ、嵐ですけど(笑)」と余裕の笑み。さらに、行定監督が「葉山先生は親近感がある」と続ければ、松本さんは「僕、親近感がないみたい、やめてくださいよ(笑)」と、タジタジになっていた。『ナラタージュ』は、『陽だまりの彼女』以来4年ぶりとなる松本さんの主演映画。2006年版「この恋愛小説がすごい」第1位となった島本理生による同名小説の映画化で、たとえ許されなくてもすべてを捧げた衝撃の純愛を描く。大学2年生の泉(有村さん)のもとへ、高校の演劇部の顧問教師・葉山(松本さん)から、後輩の卒業公演に参加してくれないかと誘いの電話がくる。葉山に特別な想いを抱いていた泉は、再会により気持ちが募っていってしまうが…。行定作品に初出演となった松本さんは、参戦について「うれしかったです。プライベートで一度お会いしたことがあって、『いつか面白い作品があったとき、やれたらいいね』と言っていたので、思い出して本当に声かけてくださったんだなって」と感激の表情。同じく行定組に初参加となった有村さんも「ご一緒できるんだと、すごく感激しました。とても難しい役でもあったので、インするまでは緊張していました。現場では気は抜けなかったですけど、肩の力は抜けたと思います」とふり返った。この日は、8月30日に34歳の誕生日を迎える松本さんのために、サプライズでバースデーケーキが登場する一幕も。『ナラタージュ』にもじって「ナラタージュン」と描かれたケーキに、思わず笑みをこぼした松本さんは「まさか、タイトルと僕の名前でギャグができるなんて…祝っていただけてうれしいです!ありがとうございます!」と、赤いバラが施されたケーキの前で感激の様子。ちなみに、34歳の目標は「ぜひ映画がたくさんの方に観ていただけたらと、説に願います」と願をかけていた。『ナラタージュ』は10月7日(土)より全国にて公開。(cinamacafe.net)
2017年08月23日吉本新喜劇、史上初の女性座長に就任した酒井藍が26日、大阪・なんばグランド花月で新座長就任公演を行った。公演前には、酒井を囲んで内場勝則、辻本茂雄、川畑泰史、すっちーの先輩座長が登場し、口上を行った。内場は「酒井藍が新座長に昇格するという通達を会社から受けまして、『イーーッ!?』と驚いたのですが…」と自身のネタをあいさつに盛り込み、これに乗った酒井やほかの3座長が声を合わせて「イーーッ!?」と叫ぶギャグコラボを披露。すっちーは"さ・か・い・あ・い"の5文字を使ったあいうえお作文で「"さ"わやかで、"か"しこくて、"い"い人で…」と持ち上げたが、最後の"い"で「意地汚い!」とオチをつけて笑いを誘うなど、新座長の門出を笑いで祝福した。本編の新喜劇には、4座長のほか、島田一の介、Mr.オクレ、浅香あき恵らベテラン勢、吉田裕、松浦真也、森田まりこなど人気座員が出演。酒井が扮する"うどん屋のダメ店員"を巡るドタバタコメディで会場を盛り上げた。終演後の会見に出席した酒井は「幕が上がった瞬間、股間がムズムズしました!」と独特の表現で興奮を語り、「終わってホッとするかと思ったんですけど、今も始まる前と同じでずっとドキドキしてます」と緊張がおさまらない様子。「暑がりの汗っかきなのに、体が全然温まらない」と緊張状態は朝から続き、珍しく食欲もなかったという。酒井は「朝ごはんも、はちみつレモン1本と、東京ばな奈2個とフィナンシェ2個しか食べられなかったですね」とその小食ぶり? を明かして笑わせた。「今まで通り、先輩のみなさんにいっぱい助けていただいた」と公演を振り返り、「座長のスタートラインにやっと足を載せられたという気持ち。『座長になった!!』という実感はまったくないです」という酒井。「楽屋でも先輩が全力でサポートしてくれた。あき恵姉さんは『大丈夫よ』とずっと励ましてくださっていたし、まりこ姉さんは持参のカメラで私を撮ってくれていて、親戚のオバハンみたいでした(笑)」とほほえましい舞台裏を明かし、「緊張もありましたが、舞台は楽しかった。それはお客さんにも伝わっていると思うので、やっている私たちもお客さんも楽しい気持ちになれる新喜劇を作っていきたい」と意気込んでいた。なお、新座長就任公演は31日まで開催。また、この公演の模様はMBSテレビの特別番組『よしもと新喜劇 酒井藍座長就任記念SP』(29日 12:54~15:50 ※関西地区のみ放送)にて放送される。
2017年07月27日「ブーブー、ブーブー。私、人間ですねん」でおなじみの酒井藍(30)が、吉本新喜劇の座長就任することとなった。30歳での就任は99年に現在の座長制度が決まって以来最年少。吉本新喜劇58年の歴史で初めての女性座長だ。身長160センチに体重108キロ。スリーサイズがオール110というポッチャリキャラで愛される新座長の素顔に迫ったーー。 奈良県磯城郡に生まれ育った酒井。「身長は他のコと変わらなかったけど、幅はだいぶ違っていました」と振り返るように、当時からその存在感は際立っていたようだ。酒井が言う。 「実は、保育園のころから吉本新喜劇に入りたいと思っていました。面白いし、楽しそうやし、何より団員さんがみんなカッコよく見えたんです。テレビを見ながら『このブラウン管突き破って新喜劇やっている中に入りたい!』と思うほどでした(笑)」 新喜劇に恋い焦がれる少女時代だったが、いっぽうで柔道にも打ち込んでいた。 「2人の妹が勝ち気なのに私だけおっとりしていたので、両親が柔道を習わせたんです。小学5年生から20歳くらいまで約10年間続けました。でも私、めっちゃ弱くて……。高校時代は副キャプテンでしたが、女子が2人しかいないのでやらされたようなもの。負けても笑っているなど、両親の思うように強くは育ちませんでした(笑)。ただ、柔道は礼に始まり礼に終わる縦社会。先輩との接し方を学べたのは大きかったと思います」 高校卒業を控え、酒井は本格的に新喜劇入りを目指すことに。だが、そこでも苦難の道のりが待ち受けていた。 「両親に『吉本に入りたいから養成所のNSCを受けたい!』と伝えたんです。でも両親は『何言うとんねん、絶対にあかん!』と速攻で却下……。とはいえ、大学に行ったら新喜劇への道が遠のいてしまう。そこで考えた末、働くことにしました」 両親が安心するからという理由で選んだのは公務員。1年間専門学校に通った後、奈良県警に事務職で就職した。しかし、事務職とはいえ県警職員。訓練は壮絶だった。 「警察学校に1カ月入らされたんです。毎朝6時から運動場に整列した後で走らされるのですが、重たい盾みたいなのを持っての訓練は最悪。『私は事務やのに、なんで!?』と心の中で叫びながら、走っていました。だから当時はずっと『新喜劇に入りたい、新喜劇に入りたい』と、自分でも病気かなと思うくらい紙に書いていましたね(笑)」 呪文のように新喜劇入団への夢を書き続け、新団員募集の情報を「獲物を狙う虎のように」漁る日々。県警に勤めた期間は1年半だったが、これも今につながったという。 「警察も柔道と同じ縦社会。新人が朝早く出勤して掃除をすませ、先輩が来たらお茶を入れるのが当たり前でした。新喜劇でもいちばん下が雑用を担当するんです。でも私は柔道部や県警職員時代があったから何の迷いもなくこなすことができました」
2017年06月09日「いまだに信じられなくて、実感が湧かないんですよ」と胸中を語るのは、吉本新喜劇の座長就任が決まった酒井藍(30)だ。 「ブーブー、ブーブー。私、人間ですねん」のギャグでおなじみの彼女。30歳での就任は99年に今の座長制度が決まって以来最年少だ。しかも、吉本新喜劇58年の歴史上初めての女性座長。現座長の小籔千豊(43)もインスタグラムで《藍ちゃんが座長になったら将来確実に新喜劇がよくなるからめでたい》と絶賛している。身長160センチに体重108キロ。スリーサイズがオール110というポッチャリキャラで愛される新座長の素顔に迫ったーー。 奈良県磯城郡に生まれ育った酒井。保育園のころから吉本新喜劇に入りたいと思い、高校卒業後はNSC入りを考えた。だが両親が反対したため、奈良県警の警察職員に。それでも彼女は夢を諦めなかった。07年に吉本新喜劇主催のオーディションを受け、合格したのだ。 「オーディションを受ける前、父は『お前なんか絶対に落ちるから受けてみればええ』と言っていました。でもどんどん通過していく。父は母と妹たちから『お父さんのせいでこんなことになった』と責められたみたいです(笑)。合格した際も父は『吉本って保険とかあるんか?』と言っていましたが、自分で認めたから反対しなかった。心配していたのは妹たち。縁遠い芸人の世界が不安だったようです。でも今はみんな応援してくれています」 念願かなって新喜劇入りを果たした酒井。新喜劇ではもっとも笑いを取る役を「一ボケ」といい、座長格が担う。その横に「二ボケ」「三ボケ」が並び、「一ボケ」をフォローする。だが当時は女性団員で「一ボケ」をこなす人はほとんどいなかった。酒井は「いつか『一ボケ』をこなしたい」と目標を立てる。支えてくれたのは、座長クラスの先輩たちだった。 「小籔兄さんには『たとえとんがった笑いでも、しっかりボケの前にふりをつけることで老若男女のお客さんにわかってもらえるようになる』など、細かい部分までアドバイスしてくれました。たしかに辛いこともありました。でも保育園のときからずっと新喜劇に入りたくて仕方なかった私が舞台に立てる。それだけで嬉しかった。幕が開いて客席が見える。その瞬間が最高で、苦労よりも喜びのほうが大きかった。だから頑張れたんです」 そして若さと女性という2つの壁を突破した酒井。初座長公演は7月26日からなんばグランド花月で行われる。だが新喜劇の座長はかなりの激務。とうぶん恋も結婚もお預け? 「それが先日、占い師さんに手相を見てもらったら『身内の男性と結婚できる』と言われたんです。だから『私は誰と結婚するんやろ?』と思いながら団員をみまわしているところです(笑)。理想のタイプは、格闘家のアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラさん(40)。元横綱の曙太郎さん(48)にお会いしたときハグしてもらったら、すっぽりおさまったのが嬉しくて!自分よりうんと大きな人がいいな(笑)」 次のインタビューは、結婚発表!?成り上がり新座長から目が離せないーー。
2017年06月09日安曇野ちひろ美術館の開館20周年を記念して3月1日から5月9日まで「高畑勲がつくるちひろ展 ようこそ!ちひろの絵のなかへ」が開催される。宮崎駿らとスタジオジブリを設立し、常にアニメーションづくりの第一線で活躍してきた高畑がいわさきちひろの絵本と出会ったのは約50年も昔。当時、高畑の長女が保育園から持ち帰った絵本が『あめのひのおるすばん』であったそう。詩のような短い言葉と水彩のにじみを生かした絵に心を奪われ、その後、ちひろが新たな絵本表現に意欲的に取り組み始めた時、高畑はリアルタイムでその作品に出会い、ちひろの絵本から創作のインスピレーションを得てきた。同展では『あめのひのおるすばん』をはじめ、『おにたのぼうし』や『戦火のなかの子どもたち』などの作品が出展され、高畑が選んだちひろの絵を高精細に拡大して再現し、絵の中へ入り込むような感覚で筆致や絵の具の重なりを楽しめる。なかでも、『戦火のなかの子どもたち』はアニメーション作品『火垂るの墓』を監督するにあたり、高畑が若い制作スタッフに見せ、想像力を高めてもらい迫真の表現を追求した作品である。今までにない、高畑の視点からちひろの絵の魅力が新発見できる同展で、新しい世界を体感してみてはいかがだろうか。【展覧会情報】「高畑勲がつくるちひろ展 ようこそ!ちひろの絵のなかへ」会場:安曇野ちひろ美術館 展示室1・2住所:長野県北安曇郡松川村西原3358-24会期:3月1日~5月9日時間:9:00~17:00(4月29日~5月7日は18:00まで)休館日:3月22日、4月12日、26日料金:大人800円、高校生以下無料※作品画像の転載及び、コピー禁止
2017年02月17日2016年5月に生涯を終えた電子音楽家・冨田勲さんの追悼コンサートの初演が11日、東京・Bunkamuraオーチャードホールで行われ、遺作となった「ドクター・コッペリウス」が上演された。公演は、冨田さんが晩年にソリストとしてボーカロイド・初音ミクを迎えて制作した「イーハトーヴ交響曲」の再演、プロデューサーなどで知られるエイドリアン・シャーウッドによる冨田さんの代表曲「惑星 The Planets」のダブミックスのパフォーマンスからなる第1部と、「ドクター・コッペリウス」を上演する第2部で構成。「ドクター・コッペリウス」は、冨田さんが完成を夢見て、亡くなる数時間前まで制作に向かっていた作品だ。「イーハトーヴ交響曲」では、オーケストラの厳かなハーモニーに乗って、ミクが可憐な歌声を披露。ステージ中央に設置された装置に映写されたミクは、舞台上を行ったり来たりしているかのように、あどけない仕草を見せながら動き回り、コーラス隊と共に合唱してみせた。エイドリアンのパフォーマンスへ転換する間の小休憩時には、「これからの演奏は通常のクラシック音楽とは異なり、大音量で強いビートが響く。ぜひ席を立って音に身を委ねてほしい」といった放送が。思わぬアナウンスに客席からも笑みがこぼれたが、再び幕が上がると、すぐにエイドリアンによる太いシンセサイザーの音色と弦楽器隊のハーモニー、その両者を支える激しくも複雑なブレイクビートがホールを揺らした。ガラリと変わった雰囲気から、前列に躍り出る観客も続出した。そして、「ドクター・コッペリウス」。小気味良いシンセの断片的な音のかけらがこだまし、第2部が始まった。この楽曲の主人公は、宇宙を夢見る科学者・コッペリウスと不思議な力を持つ少女・ミク。コッペリウスは重なる重圧に苦しみながらも、ミクと出会って宇宙へ飛び立ち、彼女とバレエを踊りだす。そんなSF的な世界観が、コッペリウス役の実際のダンサー・風間無限と舞台上に立体像で投影されたバーチャルシンガー・"初音ミク"のダンスで表現された。「イーハトーヴ交響曲」の荘厳さも感じさせるアンサンブルから一転、オーケストラは鮮やかな音色を奏でてみせる。そして、それに飛び乗った軽やかな電子音が、サラウンドで縦横無尽に飛び回る。ステージでは、コッペリウスが重力に抗いもがくようなパフォーマンスをみせ、ミクの動きと合わさる。実在しているのにどこか不可思議で複雑な演技を披露するコッペリウス、画面の中にいるのに生き生きと歌い踊るミク、ストーリーも相まって、その対比が近未来的な映像として浮かび上がっていく。カーテンコールでは、風間をはじめ、コンサートの演奏面と演出面を力強く支えた電子音楽家・ことぶき光も立ち上がり、深々とあいさつ。最後に、客席の中央に座っていた長男・冨田勝さんら親族がかつての冨田さんの写真を抱えながら起立すると、「ブラボー!」という声援があがり、スタンディングオベーションで歓喜を伝える観客も現れた。終演後、ホールを後にするオーディエンスを見返すと、集まった層は実に多様。老若男女を問わず、クラシックに精通する観客も、ボーカロイドに慣れ親しんでいる観客も、電子音楽を敬愛する観客も、文化の壁を超え"冨田勲"という音楽家が遺したものを共有している喜びに包まれているようだった。「ドクター・コッペリウス」は2017年4月、東京・すみだトリフォニーホールにて、新日本フィルハーモニー交響楽団を携えての再演が決定。詳細は、後日発表される。(C)Crypton Future Media,INC.www.piapro.net/photo by 高田真希子
2016年11月12日今年5月に逝去した作曲家/シンセサイザーアーティストの冨田勲の遺作『ドクター・コッペリウス』がプロジェクトチームにより制作され、11月11日(金)・12日(土)の追悼特別公演で初披露される。10月26日に開かれた制作発表記者会見でその全貌が明らかになった。【チケット情報はこちら】『ドクター・コッペリウス』は、亡くなる1時間前まで打ち合わせをし、冨田が上演を最期まで夢見て創作し続けていた作品。“日本の宇宙開発・ロケット開発の父”と呼ばれ、バレエダンサーでもあった糸川英夫博士の「ホログラフィと一緒に踊りたい」という夢を形にするとともに、『イーハトーヴ交響曲』(2012年)のときに生のオーケストラ演奏で歌い踊ったボーカロイド・初音ミクにバレエ作品『コッペリア』を踊らせたいという冨田の思いが詰まった壮大な交響曲。オーケストラとシンセサイザー、バレエとホログラフィを融合させた“スペースバレエシンフォニー”となる。今回は、3Dで浮かび上がるバレエの衣装に身を包んだ初音ミクが、バレエダンサー風間無限とともに“パ・ド・ドゥ”を踊り、歌う。演出/エレクトロニクスのことぶき光は「映像は当日をお楽しみ」と明言を避け、振付の辻本知彦は「一番最後の曲はとてもいい振付になったと自負してます」と満足の表情でアピールした。1970~1980年代に冨田が制作した音源が入ったオープンリールテープもこのたび発見され、「再サンプリングしてかなりの場所で使います」とことぶき光。楽章の構成は7楽章。ストーリー原案とほとんどのサウンドファイルが遺されていたが、第1楽章と第2楽章はテーマや歌詞が遺されているのみ。プロジェクトチームから冨田氏へ思いを捧げる第0楽章『飛翔する生命体』を冒頭に据え、1と2は欠番となる。指揮の渡邊一正は「リハーサルはこれから。わくわくしています」と笑顔で語った。既存の楽曲を素材として用い、新しい世界観を作り上げるのが冨田の手法。本作には、ヴィラ=ロボス『ブラジル風バッハ』やレオ・ドリーブ『コッペリア』、ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』、最後の劇場用映画音楽となった映画『おかえり、はやぶさ』メインテーマが素材として用いられ、新しい世界を作り上げている。当日は、『ドクター・コッペリウス』のほかに、『イーハトーヴ交響曲』、冨田の代表作である『惑星 Planets』(1977年)のリミックスも披露される。冨田勲 追悼特別公演『ドクター・コッペリウス』は11月11日(金)・12日(土)に東京・Bunkamuraオーチャードホールにて開催。チケット発売中。取材・文:門 宏
2016年10月31日電子音楽家・ことぶき光らが26日、11月11日と12日に東京・Bunkamuraオーチャードホールで行われる故・冨田勲さんの追悼公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」の制作発表会見に登壇し、意気込みを語った。ことぶきのほか出席者は、国際交流基金理事長・安藤裕康氏、公演の音楽監督を務める指揮者・渡邊一正、ダンサーで振り付けを担当する辻本知彦、そして勲さんの長男・冨田勝氏、音楽ライター・前島秀国ら。コンサートでは、ソリストとしてボーカロイド・初音ミクが迎えられた「イーハトーヴ交響曲」の再演、勲さんが最期まで公開を夢見ていた「ドクター・コッペリウス」の初上演などが行われる。「ドクター・コッペリウス」は、2012年に「イーハトーヴ交響曲」が完成した直後から、勲さんが「必ずやり遂げなければならない」とまで語っていた大作。勲さんは上演を待たずして、その生涯を終えたものの、公演では舞台上に投影されるミクと風間無限とのバレエと共に披露される。勝氏は、これを「父が何十年も温めてきた企画」と説明。勲さんの生きざまを「最後まで『どうやったらお客さんに感動を伝えられるか』と考えた"前のめりの人生"」と形容しながら、「楽曲に込められた父の思いを一人でも多くの方に聴いていただきたい」と呼びかけた。続いて前島が、「ドクター・コッペリウス」を制作するにあたり勲さんには、ミクにバレエを踊らせたいという思いと、日本の宇宙開発に尽力した故・糸川英夫さんをイメージさせる作品として成立させたいという構想があったと解説。糸川さんが大空に向かって飛び立つ意志を持っていたように、「冨田先生が伝えたかったのは『重力のしがらみを乗り越えようとする人間の情熱』ではないか」との見解を述べた。コンサート全体をサポートすることぶきは、演出面のシステムの素材を組み立てていると発表。制作は、冨田家も借りて行っていると明かした。また、その場で眠っていた勲さんの機材を鳴らしたところ、勝氏が「ノコギリ波(シンセサイザーの基本波形の一つ)だ」とその音を言い当てたことを振り返り、「幼い頃から聴いていたからかな。ビックリして一気に仕事がはかどりました」とほほ笑んだ。会場では、バレエ衣装に着飾ったミクのイメージもお披露目。さらに、かつて勲さんがオープンリールに残していた音源も公開され、ことぶきは「ミクが歌い踊ります。そしてモーグ・シンセサイザーの音や、オープンリールの音源をサンプリングして、フレーズごとに振り分けたものを何らかの方法で走らせます」とアピールした。
2016年10月27日●冨田さんとは一歩超えたところでコミュニケーションさせてもらえた2016年5月に亡くなった冨田勲さんの追悼公演が11月11日、12日に東京・Bunkamuiraオーチャードホールで開催される。前回、前々回に引き続き、そのオーケストラと初音ミクの音が交わるステージの裏側を支えることぶきの言葉を紹介したい。コンサートは、冨田さんが遺した音を再現することだけでなく、舞台上に投影されるミクと、実際のダンサー・風間無限の共演も見どころとなる。また、タックヘッドなどのダブアーティストを輩出してきたイギリスのレーベル・On-Uサウンドの設立者で、ナイン・インチ・ネイルズやアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンといったインダストリアルアーティストのプロデューサーとしても知られるエイドリアン・シャーウッドが冨田さんの代表曲「惑星 The Planets」をリミックスすることも大きな注目点だ。「イーハトーヴ交響曲」の再演、ミクたちのダンスも見られる冨田さんの遺作「ドクター・コッペリウス」の上演、エイドリアンによる「惑星」の再解釈…公演ではこの3点から、冨田さんの遺志を引き継いだ音を響かせつつ、オーディエンスに新たな未来を提示する。ことぶきは、その演奏面だけでなく映像の演出面やリミックスの素材制作の面でもコンサートの裏側をサポートしている。一見、ハードワークにさえ思えるそんな活動を通じて、彼がオーディエンスに届けたい思いとは。晩年の冨田さんとの仕事で抱いた感触なども思い返しながら、ことぶきはそれを言葉にしてくれた。○何でここまで繋がるのか――お話を伺っていると、幼少時から当時のP-MODELでの活動、そして現在の冨田さんのお仕事は繋がっている部分が多々ありますね。ね、それ自体がすごいよね。飲み屋で冨田先生に何でモーグを買ったのか聞いたら、ウェンディの話が出てきて。しかも70年の万博の時に大阪に行って、現地のレコード屋さんで見つけたのかな。性転換直前…ウォルターの頃のジャケを見て買って。「これは!」と思ってモーグも買った訳ですよね。そんな流れとか、あとはオケとコンピュータの同期の話とか、冨田先生がやっていたサウンドクラウドとかにも繋がってるというのもある。「何でここまで繋がるのか」っていう話はご本人ともしてましたね。――「イーハトーヴ交響曲」の始動が12年ですよね。NHKの特別ドキュメンタリー『音で描く賢治の宇宙~冨田勲×初音ミク 異次元コラボ~』(13年放送)でもサウンド設定に苦労されている姿が捉えられていました。実際にはいつくらいから打ち合わせが始まったのでしょう。初めて声がかかったのは、その年の6月頃じゃないですかね。(交響曲の)構想自体は多分ずっと前からあって、音も作っていって、実際にライブで披露するというのは一番後なので。話をいただいてからは、実のところ3カ月くらいでやりました。○"共有感"を喜んでもらえていたのでは――そんなに短期間だと相当疲れたんじゃないですか。いや、それはないです。よく「俺は何時間しか寝てねぇ」とか自慢するヤツいるじゃないですか。でも例えば、何もやることがないまま3日寝られないっていうのは病気ですよね。そこでもう1つ考えられるのは、アイデアが降りてきてしょうがなくて、冴えて寝られないというパターン。そう思うと、「俺は何時間寝てねぇ」って人は「俺はこれくらい才能があるんだ!」と言って回っているのと同じですよね。そうじゃなきゃ、本当に倒れるように寝ちゃうはず。本当に寝られない時というのは良い意味で寝られないので、そこに疲れるとかしんどいというのは一切ないですね。――インスピレーションも次々湧くような楽しみながらのお仕事だったんですね。冨田先生から夜中とか朝5時とかに電話がきて、思いついたことをめちゃくちゃ言ってて。最初は「あれ、まだ起きてたの」とか言ってくれるんだけど、どんどんそれがなくなってくる。そうなると、誤解かもしれないけども、僕も「冨田先生も喜んでくれてるのかな?」と思ってね。寝てなきゃいけない時間に作業してるということ自体がうれしそうな感じ、世間一般とは違う時間感覚で物を作れてるということがうれしい感じ。昼間でも夜でも関係なく、そういう時間軸じゃないところで物を作ってるんだという。おこがましいけど、そんな"共有感"を喜んでくれてたんじゃないかと思ってます。――他に共作する中での印象に残ったエピソードはありますか。一つ一つ印象は強いです。音の仕組みとかを瞬間的に理解できるというのも他の人ではあり得ないし。そこにメーカーのスポンサーが入った場合、彼らも自分の開発物を売らなきゃいけないから、機能として何ができるかっていうスペックをアピールしますよね。でも、その情報は現場ではほぼ使い物にならない。冨田先生は、メーカーが言うのとは別のところで現場的に何が使えるかを瞬時に察する感覚というのを理解されていた。おこがましいですが、そのステップを一歩超えたところで、飲みに連れて行っていただいてお話してくれたのが本当にうれしかったですね。●ミクとオケのスペースバレエシンフォニーを体感してほしい○アイデアは先人に生んでもらった――今回の公演では音の面だけでなく映像にも関わってらっしゃると伺いました。そちらはどういう段階までディレクションなさっているのでしょう。僕は絵とかCGとかわからないので…振り付けとかにも口出ししていると思われたりもしますが、ダンスも全然(笑)。なので、雰囲気だけ伝えて、基本はお任せですね。ただ、作業スピードを上げるために、撮り方のシステム自体は組んでて。ゲームでやるようなモーションキャプチャーのシステムとは違うやり方で撮ってるというのは、一つあるんです。仕事のスピードって、作品に影響するじゃないですか。すごいスピードで進行している感じを作り上げるために、その仕組みを提供しています。――そのアイデアは一から作ってらっしゃるんですか?いや僕のステージじゃないのもありますから、そこは(着想を)誰かに生んでもらったっていう。先人のおかげですよ。やっぱり先人への畏敬が全部のベースにあって。ちなみに基礎技術開発みたいなのは、また別途あります。なぜそれが別途かと言えば時間がかかるからですね。基礎技術って、使えるようになるまでに何年もかかったりするもんだから。それをゼロから作る必要はなくて、基礎技術開発の選択の組み合わせでイノベーションが起きる…そこを狙ってます。かと言って、開発をしてないわけでもなくて、何年後かのために常にやってもいます。――エイドリアンのパフォーマンスにも企画当初から関わってらっしゃるんですよね。初期段階から、「やってもらうならエイドリアンしかいない」というのがありました。冨田先生の世界観にある意味でのハサミを入れられる人は多分、エイドリアンかリー・ペリーかどっちかじゃないですかね(笑)。打ち合わせは、メールベースで「こういう風にアプローチしよう」といったやり取りして、サウンドファイルも送っているんですが「聴いてないけど、良いんじゃない」って(笑)。――それは信頼されているということですよね(笑)。何かすごい余裕とスケール感を感じちゃいますね。ほっといても大丈夫だと思われてるのかな。○初音ミクはクリエイトの母、冨田さんが父――ことぶきさんは、二足歩行シンセのように枠組みにとらわれず色んなデバイスを作ってらっしゃいますよね。ご自身から見た初音ミクはどのようなものでしょう。クリエイトの母ですかね。要するに、それがルーターみたいなハブみたいな機能を果たしていると思うんです。それをベースに何かを作れるっていう意味ではものすごい存在ですよね。初音ミクという母がいて、冨田先生という父がいて、僕らはステージに向かって作っていけています。――最後に今回は冨田さんの追悼公演という側面が一つあると思うのですが、冨田さんの遺志をオーディエンスに届けるという部分もあるかと思います。そこで、ことぶきさんとしてオーディエンスに伝えたいことを教えてください。スペースバレエシンフォニー。これ、3月終わりか4月頭に冨田先生に言った時は、全然真に受けられなくて、シャレみたいに受け止められちゃったところもあるかもしれないけど(笑)。コンピュータとオーケストラのスペースバレエシンフォニーを感じていただきたいです。■プロフィールことぶき光1964年3月30日生まれ。北海道出身。80年代半ばから、あがた森魚や鈴木慶一らのバックのキーボーディストとなり、プロのアーティストとして音楽活動を開始。87年に平沢進率いるテクノポップバンド・P-MODELに参加。バンドは一旦"凍結"と呼ばれる活動休止期間を迎えるが、その間も89年にソロデビューした平沢の活動をサポートしてきた。"解凍"と称して期間限定で再結成したP-MODELでは"ヒューマン・クロック"と呼ばれる同期システムを構築。ライブでのパフォーマンス面でも自身の横や背後、時には真上にまでシンセサイザーを並べた強烈なプレイスタイルで、"キーボード妖怪"と評された。P-MODELが再び活動休止期間に入り、バンドを脱退。カンボジアなど諸外国でも音楽活動を送っていたが、戸川純率いるヤプーズのライオン・メリィらと共にプノンペン・モデルを結成。現在でも活動を続けている。また02年には、中野テルヲや福間創ら元P-MODELのメンバーも参加したソロアルバム『mosaic via post』をリリース。09年には、自身やかつてのP-MODELのメンバーの名前をもじったキャラクターが登場し大ヒットしたアニメ『けいおん!』も放送され、さらなる注目を浴びる機会も増えていた。12年、冨田さんの「イーハトーヴ交響曲」の初演にエレクトロニクスというパートで参加。"ヒューマン・クロック"を使用したシステムを披露し、オーケストラと初音ミクが共存するステージを成立させる主要メンバーの1人となった。■公演情報冨田勲 追悼特別公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」日時: 11月11日 開場18:00/開演19:0011月12日開場12:30/開演13:30 開場17:00/18:00 (2公演)会場:東京・Bunkamuraオーチャードホールチケット料金:S席10,000円/A席 8,500円(税込/発売中)出演:渡辺一正/東京フィルハーモニー交響楽団/エイドリアン・シャーウッド/風間無限/ことぶき光/初音ミクほか
2016年10月26日●解凍P-MODELと平沢進ソロでの"ライブの方法"で課題をクリア2016年5月に亡くなった冨田勲さんの追悼公演が11月11日、12日に東京・Bunkamuraオーチャードホールで開催される。前回に引き続き、そのオーケストラと初音ミクの音が交わるステージの裏側を支えることぶき光の言葉を紹介したい。冨田さんとの共演での課題となるのは、躍動的な生楽器たるオーケストレーションと統制された電子音たるミクの音をいかにして適切なタイミングで重ね合わせるか、そして両者を違和感なくオーディエンスに聴かせるかといった問題だ。ことぶきと冨田さんの仕事は、2012年の「イーハトーヴ交響曲」の初演以来であるが、これらの課題をクリアするカギは20年以上も前、90年代初頭の解凍P-MODELでのパフォーマンスや平沢進のソロライブにあったという。解凍P-MODELとは、"凍結"と呼ばれる一旦の活動休止期間をおいて、91年から93年に"解凍"と称して再始動していた時期の同バンドを指す。ことぶきは解凍以前よりP-MODELに参加していたが、その時のレコーディングの成果は残念ながらライブ映像音源としてしか残されていない。一方で解凍P-MODELは、凍結以前よりも積極的にシーケンサーやサンプラーといったデジタル機材の使用を前面に押し出し、洪水のような電子音とバンドアンサンブルとが共存した、クラブシーンなどとも異なるテクノサウンドを展開。そのステージでことぶきは、当時のドラマー・藤井ヤスチカが刻むバスドラムから、全体のシーケンサーを回す"ヒューマン・クロック"と呼ばれるシステムを披露。自身を取り囲むようにシンセを縦(!)に並べた奇抜なパフォーマンスもみせ、そのアクロバティックなスタイルから"キーボード妖怪"とも評された。"ヒューマン・クロック"のシステムは、冨田さんと共に作り上げてきたステージの核の一つ。第2回は、その点に着目しながら、解凍P-MODEL時代の逸話や平沢との楽曲制作の裏側までを振り返ってもらったエピソードを中心にお伝えしたい。○解凍P-MODELの映像を見た冨田さんが「できるじゃん」って――冨田さんのお仕事の話も少しずつ出始めたところで、今回のコンサートでのことぶきさんの役割をあらためて教えていただけますか。プレイヤーとしてのエレクトロニクス奏者というのが1つあります。それらを含んだ同期とかシステムの枠組みを作る役割、それと舞台の演出という役割、その3つですね。――冨田さんから声がかかったのはいつ頃ですか?「イーハトーヴ交響曲」の仕込みの段階。シンク(同期)システムとか"ヒューマン・クロック"で周りを走らせる仕組みをどうやって作るかと試行錯誤していた時ですね。――"ヒューマン・クロック"というと解凍P-MODELで使われていた手法ですよね。よくご存じで! まさにそうなんですけど、でもそれって今になって分かる話で。90年代当時のオーディエンスは誰も気付いてなかった。ただ、それは知らなくて良いことで。例えば劇団四季やディズニーランドが「私たちはこういうシステムでやってます」と説明するわけないじゃないですか。むしろバレない方が良い。でもなぜこのように、舞台裏の話を聞いていただいているかというと営業、要は金の話です。そして、なぜこれが必要かというと、次を作れないから。今思えば、こういうのって2、30年前にはある意味、必要なかったのかもね。それか、僕らがバカすぎて気付いてなかったか(笑)。――冨田さんは、その解凍P-MODELでのことぶきさんのプレイをご存じだったんですか。仕込みの初期段階で「例えばこういうことです」と『BITMAP 1979-1992』(92年)*なんかの映像を見てもらいました。と言うのも、「テンポを30%以上の揺らぎで制御するなんて無理だよね?」って話を振られてね。冨田先生も色んなシステムを作っていて、すごく現場をご存じ…むしろオーソリティー(権威)なくらいですが、「いや僕ら30%以上どころか完全に(演奏を)止めてからBPM180まで、0から加速していくみたいなのをやってましたので、OKです」って返すと「えー!?」と驚かれたんですよね。それで実際に映像を見てもらったら「できるんじゃん」って。*『BITMAP 1979-1992』:解凍P-MODELのツアーを収めたライブVHS。2014年にはDVDとして再発された。○冨田さんとの2つの課題――当時の「NO ROOM」の演奏なんてまさにそれでしたね。一度止めて、一気に加速するという。まさにそう! ああいうのはクラシック界、ハイ・アート*の世界だと、多分雑に見えると思うんだ。でもぶっちゃけ、ハイ・アートの方が中身だけ見れば雑なんだよね。彼らのテンポの揺れってハンパない。そのズレを人数で上塗りして作り上げている、つまり目くらまし戦法のものすごいやり方です。もっと言えばオーケストラって装置は、人数を重ねるために倍音を削ってるわけじゃないですか。弦1本弾けば世界観ができる楽器の豊かな倍音をわざわざ削って、音の豊かさも消したがゆえに人数を重ねることによって、別の音色を作り上げることが可能になった。なので揺らぎはあったほうが、あの世界を出すためには有効で。それを冨田先生はシンセでやっちゃったわけだ。シンセのダメなところとして単音の中に入ってる情報量があまりにも少ないということがよく言われますよね。ただ、それだったらオケの楽器の方が一つ一つで見ればもっと少ない。なぜ皆が「オケ楽器の音は豊かな音響を作れる」という勘違いをしてるかと言えば、(音を)重ねてるからです。それを冨田先生は理解しちゃった。何の性格も持たないものにリメイクしちゃった楽器の音を、あえて人数重ねて別の音響感を作るやり方。それをシンセでやったのが冨田先生なんですよ。*ハイ・アート:ポップ・ミュージックなどの大衆芸術(ロー・アート)に対して、理解するのに一定の教養を必要とする芸術のこと。クラシック音楽や古典的な演劇、絵画など。*倍音:基本となる音の周波数に対して2倍以上の周波数を持つ音。音には正倍数の倍音が含まれている。ギターやベースのハーモニクス奏法などでも身近に知られる。――"ヒューマン・クロック"の仕組みは今回のコンサートでも生かされてるんですね。そうです。やってることは何年も変わってないですね(笑)。――冨田さんには、平沢さんのソロライブ映像も見せられたと伺いました。それは「Orchestral Manoeuvres In The Nurse」*ですか?何で知ってるんですか(笑)。その通りです。冨田先生との仕事にはテーマとなる課題が2つありました。1つは"ヒューマン・クロック"での同期をどうするか、もう1つはオケとコンピュータをどうやって共存させるか。前者は『BITMAP 1979-1992』を、後者を平沢さんソロのものを、それぞれ参考にしながらやってみました。*「Orchestral Manoeuvres In The Nurse」:90年に行われた平沢のソロライブ。電子音を基調としながら、看護師の仮装をした生楽器の演奏チームがバックにつき、ことぶきもキーボーディストとして参加していた。公演タイトルは、70年代から活動しているシンセ・ポップバンド、オーケストラル・マヌヴァーズ・イン・ザ・ダークのもじり。●物を作るために「条件下で何ができるか」を楽しむ○"ピコる精神"としての『スウィッチト・オン・バッハ』――先に『スウィッチト・オン・バッハ』の話が出ましたが90年代当時、平沢さんからの勧めがあって聴かれたという経緯もあるんですよね。そうそう。どうやってP-MODELを解凍させるかって話を2人で散々してた時、"ピコる精神"の音楽を作ろうって平沢さんがおっしゃって。「それは何だ?」と話してたら、リファレンス(参考音源)のような扱いで「『スウィッチト・オン・バッハ』を聴け」って言われたんですよ。当時からCD含めて音楽は買わなくなってたんですけどね。――それは学生の頃からですか?中2までは、底が抜けるくらい散々買いました。でも自分で作るようになってからは他人の音楽は全く聴かなくなった。伊福部昭さんの作曲本に「作曲を志す人間は音楽を聴いちゃダメだ」って書いてあったんです。「中途半端に毒された音を聴いちゃうと作曲ができなくなるから聴くな」と。○"元をとる"ために生まれた「2D OR NOT 2D」――なるほど。それでも『スウィッチト・オン・バッハ』は買われたんですよね。そう、金を払ってわざわざ買った。でも良くなかったです。平沢さんには「何てものを聴かせるんだ」って言ったんですけども。「まぁ自分の意思で買ったんだし」って返されちゃった(笑)。それで、これは(アルバム代金分の)元をとんなきゃいけないって、また曲を作りました。でも、何がしかのことがあって、その元を取るために次何やるかを決めるというのは、今でも全てにおいてそうです。言い方を変えれば「条件下で何ができるか」という作り方です。――それで完成した曲は『P-MODEL』(92年)に入っている楽曲ですか?「2D OR NOT 2D」ですね。あれは、僕が全部オケを作って…歌メロも作ってたんだけども、平沢さんがボーカルブースに入って、全然違う風に歌っちゃってね(笑)。スタジオに入る前の音を作ってる段階では、平沢さんはいなかったですね。僕と当時のエンジニアとマネージャーの3人でトラックを作って、その後、多分僕がジェットコースターに乗りに富士急ハイランドに行ってる間に平沢さんが全然違う歌にしちゃってましたね。まぁそういうのもアリかな(笑)。○具体的な個人に向けないと作り始められない――その偶然を楽しむ感覚は、冨田さんとの仕事にも感じられます。「条件下で何ができるか」ね。ちなみにこれから演出面で、キューブ型のパイプを12本はわせて上に吊るす装置のテストするんだけども、それが内径3600ミリなんです。なぜ3600かって言うと、4000ミリにすると上の蛍光灯にぶつかって割れちゃうから。そんな風に、全部条件下で決めてますね。例えば、曲をためてやりくりしてる人がいますけど、僕は全然そういうのを信用してなくて。少なくとも僕自身は、具体的に誰かに向かって作るというのが無ければ、事を始められない。一応、聞かれたら「皆さんに喜んでもらうために」とか言ってますけど、実際それを成し得るには、当然ながら物ができなきゃいけない訳です。その上で、まず誰のために作るか。それは、端的に言えばディレクターに向けてです。担当ディレクターが一番喜ぶ物を作って、その先に皆の喜ぶ顔があるわけで。――そこをクリアしないことは先にアプローチできないということですね。そうそう。冨田先生みたいな崇高なキャリアがある方であれば、作ったら世界の人を喜ばせることができるでしょう。創作と聴き手がイコールで直結してる。でも僕クラスの人間がそれを言うのはおこがましくて。その前に世界にリーチできる物を作らねばならない。そのためには、具体的な誰か個人に向けて作らないと、というのがあります。ここまで話を聞いてみると、幼少時から現在の活動まで、ことぶきが体験してきたことは、全て一つの線で結ぶことができるのではないかという思いが湧き出てくる。それに、「具体的な個人に向けて作らないと事を始められない」との言葉は、冨田さんとの仕事での姿勢を示唆しているようにも感じられる。それは、冨田さんの作った曲を舞台上で再現することにあった。その再現性自体もまた一つの作品と言えるのではないか。次回紹介する、冨田さんと過ごしてきた時間の中でのエピソードは、そんなことぶきが冨田さんという個人に向けて作ってきたとも言えるだろう音の背景をのぞかせるものだ。■プロフィールことぶき光1964年3月30日生まれ。北海道出身。80年代半ばから、あがた森魚や鈴木慶一らのバックのキーボーディストとなり、プロのアーティストとして音楽活動を開始。87年に平沢進率いるテクノポップバンド・P-MODELに参加。バンドは一旦"凍結"と呼ばれる活動休止期間を迎えるが、その間も89年にソロデビューした平沢の活動をサポートしてきた。"解凍"と称して期間限定で再結成したP-MODELでは"ヒューマン・クロック"と呼ばれる同期システムを構築。ライブでのパフォーマンス面でも自身の横や背後、時には真上にまでシンセサイザーを並べた強烈なプレイスタイルで、"キーボード妖怪"と評された。P-MODELが再び活動休止期間に入り、バンドを脱退。カンボジアなど諸外国でも音楽活動を送っていたが、戸川純率いるヤプーズのライオン・メリィらと共にプノンペン・モデルを結成。現在でも活動を続けている。また02年には、中野テルヲや福間創ら元P-MODELのメンバーも参加したソロアルバム『mosaic via post』をリリース。09年には、自身やかつてのP-MODELのメンバーの名前をもじったキャラクターが登場し大ヒットしたアニメ『けいおん!』も放送され、さらなる注目を浴びる機会も増えていた。12年、冨田さんの「イーハトーヴ交響曲」の初演にエレクトロニクスというパートで参加。"ヒューマン・クロック"を使用したシステムを披露し、オーケストラと初音ミクが共存するステージを成立させる主要メンバーの1人となった。■公演情報冨田勲 追悼特別公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」日時: 11月11日 開場18:00/開演19:0011月12日開場12:30/開演13:30 開場17:00/18:00 (2公演)会場:東京・Bunkamuraオーチャードホールチケット料金:S席10,000円/A席 8,500円(税込/発売中)出演:渡辺一正/東京フィルハーモニー交響楽団/エイドリアン・シャーウッド/風間無限/ことぶき光/初音ミクほか
2016年10月24日●すごい音を体験しちゃった2016年5月、電子音楽の巨匠・冨田勲さんが、84歳でその生涯の幕を閉じた。冨田さんは生前、1950年代に活動を開始。NHKなどのテレビ番組の音楽を作曲しながら、60年代末にアナログ・シンセサイザーのモーグに出会い衝撃を受ける。74年には、モーグを使って、ドビュッシーの楽曲を再解釈したアルバム『月の光』を発表。クラシカルでありながら時代の先端を鳴らしたサウンドは世間の注目をさらい、国内電子音楽の歴史を大きく塗り替えた。その後も、それまでの音楽を現代的に解釈し直した作品を発表しながら、常に先鋭となるべき音を求め続け、晩年はボーカロイド・初音ミクをソリストに迎えた「イーハトーヴ交響曲」を制作。12年の初演では、日本フィルハーモニー交響楽団とミクの歌声が融合するパフォーマンスを披露して話題を集めた。しかし、オーケストラとボーカロイドの音を有機的にミックスしながら、ライブとして臨機応変に対応するのは容易なことではない。それを可能にした主要メンバーの1人が、現在はプノンペン・モデル、かつては平沢進率いるテクノポップバンド・P-MODELの一員として活動していたことでも知られる電子音楽家・ことぶき光だ。解凍P-MODELのステージで"ヒューマン・クロック"と呼ばれるバンドサウンドと電子音を同期させるシステムも披露してきた彼は、その経験から冨田さんのミクを用いたステージも強力に支えてきた。ことぶきは、11月11、12日に東京・Bunkamuraオーチャードホールで行われる冨田さんの追悼公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」も全面的にバックアップ。コンサートは、「イーハトーヴ交響曲」の再演に加え、冨田さんが最期まで公開を夢見て制作していた「ドクター・コッペリウス」の初上演、エイドリアン・シャーウッドによる冨田さんの代表作「惑星 The Planet」のリミックスパフォーマンスで構成される。この冨田さんの遺志を受け継いだ公演を前に、ことぶきはどのような思いを持っているのか。それを聞いてみたところ、コンサートの舞台裏だけでなく、"冨田サウンド"との出会い、音楽制作への向き合い方、P-MODEL時代の秘話、冨田さんと共演してきた上での思い出、そしてプライベートでの音楽体験にいたるまで、さまざまなエピソードを饒舌に語ってくれた。これを3回にわたってお伝えする。第1回は、幼少時に大阪万博で受けた大きな衝撃から、シンセサイザーを手にするまで、アーティストデビュー以前の彼の物語を紹介したい。○万博で全部経験しちゃった――ことぶきさんが最初に冨田さんの音楽を聴かれたのはいつ頃でしたか。テレビを介して気が付いてたら聴いてましたね。それこそ大河ドラマとかの劇伴は、20世紀音楽の開花と言えるようなインパクトで。僕のような世代は、日常的にすごいものを聴いてた訳ですよ。60年代、70年代にね。――大阪万博の頃(70年3月~9月に開催)くらいですかね。まさにそう。僕は全部を万博で体験しちゃったんです。幼稚園の卒園式を抜け出して行ったんですけども。――卒園式を!?小学校に上がるタイミングでちょうど大阪万博があったんです。そこで、お祭り広場に行く途中、松平頼暁*さんの作った曲が流れてたのを聴いちゃった。ただ、僕は1週間くらい通ったんですけど、松平さんの音楽はその途中ですぐ中止になって。コンパニオン全員が体調不良になるという当時の事件があったんですね。松平さんは独特な楽理で音を構築していて、それが影響しちゃったんだ。その話を07年か08年に松平さん本人から聞いて、「わー」って思っちゃって。そのようなことが幾つかあって、冨田先生とお話しできた時も、僕が万博で体験しちゃったものの裏側を40、50年後に作家本人から聞けたっていう…これはもう信じがたいことで。万博の後に、半分くらいの作家は皆、死んじゃうわけですから。すごい音を70年に全部、体験しちゃった。*松平頼暁:現代音楽作曲家。50年代後期からさまざまなオーケストラ、ピアノの楽曲を制作している。○小学校以降は"余生"――5、6歳でそこまで大きなショックがあったんですね。僕、小学校以降は全部"余生"だと思ってて。それまでの体験を何十年もたった後に分析してるくらいです。それは大きなポイントで、今、学生に音楽を教えてもいるんですけど、何も作ったことのない人間に音楽を教えても、ほぼ意味がない。例えば、音楽大学の作曲科の生徒に教えるとします。あの世界は積み上げられたメソッドが分厚くあって、対位法とか和声法とかを一からやりながら、楽器の奏法も修得しなきゃいけない。これじゃ10年とかすぐたっちゃう。*対位法・和声法:対位法は一つ一つのパートの独自性を保ちつつ、複数のメロディを重ね合わせる手法。和声法は主となるメロディに対して、どのようなハーモニーを接続するかに重きを置いて音を作っていく手法。――理論的な部分からガチガチで攻めるわけですね。と言うより、何を何カ月でマスターして次に行くって手順が決まってるんです。彼らって、それを修得しなかったら作品は作れないと思ってるんですよ。――え、そうなんですか? フィーリングではダメ?彼らは練習課題として色んなものを作りながら、最終的に自分自身の作品を作るための訓練を10年以上かけてやってる。それに、音大は義務教育の中で教わった内容だけでなく、特殊訓練を受けなきゃ受験もできない。訓練を何年も受け続けてる子どもたち、そして何でも知ってる子どもたち、その学生が何も作れないっていう事実ね。その一方で、特訓もせず、ほとんど何も学んでないままに、自分の持ったポップミュージックのセンスを信じて何かを作ってる"バカ"たちもいる訳です。でも、両者を並べた時にどっちに可能性があるかは明らかですよね。"バカ"の方は自分で音楽を作って、後から分析して次のステップに行くんです。ただ、それができるようになるためには早い段階、吸収力がピークに達している段階で、何らかの音楽的な洗礼を受ける必要が恐らくあって。僕はそれが6歳頃だった。まぁ僕が何か作ったわけじゃなくて、ただ聴いたってだけですけど(笑)。それでも、後はもういいやって感じでしたね。それくらい本当にデカい出来事でした。――とすると、6歳という絶妙なタイミングで冨田さんの音楽にも衝撃を受けられたのでしょうか。ただ、その時には"冨田サウンド"とは気付いてなかったですね。(カールハインツ・)シュトックハウゼンにしても冨田先生にしても、テレビで流れていたので、それが普通だと思ってました。誰の作ったものかって意識し出したのは後からですね。●僕らがやっていけるのは「冨田先生がいたから」○冨田さんの名前は「街の事情で知った」――それはいつ頃でした?その後、図らずも住んでた街の事情でピアノ教室に通わざるを得なくなって。ピアノを習ってる女子は4人いたんだけど、男がいなかったんです。そこで、ピアノの先生が「男子を生徒としてどうしても入れたい」って言うので、僕が行くことになった。生徒が何人以上、男女比何割っていうのがフランチャイズ経営で決められていたらしいんですよ。それをクリアしないと教室がなくなってしまうという。――ノルマですね(笑)。そういう事情で入れられちゃって。そこで先生から冨田勲の名前を聞いた。それも今思えば偶然で、ある種の"おかげ"ですね。その時が小学2、3年かな。○シンセサイザーとの出会い――それが初めてじっくりと楽器に取り組んだ時になるんですよね。最初からシンセサイザーを使ってらっしゃるイメージだったので意外です。シンセサイザーを、その時はまだ知らなかったですね。8歳だから、72年か…その時期だと、『スウィッチト・オン・バッハ』(68年)*はリリースされてると思うんだけども、その当時はシンセサイザーを知らなくて、『NHKニュースおはよう日本』がきっかけでした。「世の中のあらゆるサウンドを再現できるマシンが登場した!」って触れ込みでシンセがテレビに出ちゃった訳ですよ。その頃の僕は、地元ではあり得ないくらいのお年玉をもらう子どもだったんで、「これは大変だ」って、お金をかき集めて買いに行きましたね。*『スウィッチト・オン・バッハ』:後に性転換を経験するウェンディ・カルロス(発表当時はウォルター・カルロス名義)がモーグ・シンセサイザーを駆使してバッハの演奏を再現したアルバムで、日本国内の電子音楽アーティストにも多大な影響を与えた。モーグを全面的に使用した作品では初のミリオンセラーを記録したアルバムでもある。――小学生で?それは多分、中学2年ですね。と言うのも、72年の段階だと、そもそも冨田先生が買ったような1,000万円レベルのシンセしかなかったので。○大前提にあるのは先人への畏敬――当時の冨田さんと言えば、モーグですものね。そうそう(笑)。でもモーグ*は、テレビで映されてなかったです。紹介されるようになったのは、冨田先生が『月の光』(74年)とかをリリースして売れた後、「この音を作った楽器は何なんだ!?」っていう声が出始めて。それから30年たった今、11月のコンサートでいなくなった冨田先生を、復活させるんです。これは、ある種のリミックスですね。冨田勲という存在自体をリミックスしてる。まぁ、そんな冨田先生のモーグの登場を受けて日本のメーカーがコンシューマーレベルの…10、20万円の機材を出し始める。まだ手を出せる範囲での減算方式のシンセの原型が現れたのは70年代後半くらいですね。*モーグ:ロバート・モーグ博士が開発した革命的なアナログ・シンセサイザー。ザ・ビートルズやクラフトワークをはじめとして、さまざまなジャンルのアーティストの作品に使用され、現在でも国内外問わず非常に高い人気を集めている名機。流通しているものは非常に高価。――MS-20とか?おっしゃる通り。僕は後に、エレキギターのアウトプットを3本に分岐して、それぞれをMS-20*に繋げて演奏するようになるんですが、そんなマシンを持って、ある国に行った時は「日本から来たMS-20を同時に操る人間」といった一定の評価を受けています。「なぜか?」と考えると、冨田先生がいたからです。それも完全に"おかげ"で。そんなところから僕は、先人への畏敬というのが、まず前提としてあって。冨田先生がやってくれたから、僕らが外国でそのようにやっていける、大きな事実がある訳です。話を戻すと、NHKの朝の番組では、(実際にはその前からあるけれど)シンセっていうのが「世の中に登場した」って言い方で紹介されていたと記憶しています。「世の中のあらゆるサウンドを再現できる。例えば猫の声」とかね。で、自分で買って、実際に操作してみると、確かに猫の声は出ました。でも、猫の声しか出なかった。そこで「ああ、これがシンセか」と。それで1回は離れちゃいました。*MS-20:VCO、VCF、VCA、EGを2系統搭載していた、コルグのアナログのモノフォニック・シンセサイザー。P-MODELでも田中靖美が使用したように、1978年発売当時からプロアマ問わず多くのアーティストから関心が寄せられた。現在は、コルグから当時のアナログ回路を完全再現した小型版も発売されている。アーティストとしてのデビュー前、6歳の頃の大阪万博での衝撃から音楽に惹かれてきたことぶき光。中学2年生でシンセを初めて購入するまでの期間にも、冨田さんの影はそこかしこに見られた。そんなことぶきは、その後何十年もたってから冨田さんとの共演を果たす。用いられていた同期の仕組みは90年代初頭にP-MODELの一員として、披露していたもの。次回は、そんなP-MODEL時代の平沢とのエピソードなどの舞台裏から冨田さんとの仕事にいたるまでの間を振り返ってもらっている。■プロフィールことぶき光1964年3月30日生まれ。北海道出身。80年代半ばから、あがた森魚や鈴木慶一らのバックのキーボーディストとなり、プロのアーティストとして音楽活動を開始。87年に平沢進率いるテクノポップバンド・P-MODELに参加。バンドは一旦"凍結"と呼ばれる活動休止期間を迎えるが、その間も89年にソロデビューした平沢の活動をサポートしてきた。"解凍"と称して期間限定で再結成したP-MODELでは"ヒューマン・クロック"と呼ばれる同期システムを構築。ライブでのパフォーマンス面でも自身の横や背後、時には真上にまでシンセサイザーを並べた強烈なプレイスタイルで、"キーボード妖怪"と評された。P-MODELが再び活動休止期間に入り、バンドを脱退。カンボジアなど諸外国でも音楽活動を送っていたが、戸川純率いるヤプーズのライオン・メリィらと共にプノンペン・モデルを結成。現在でも活動を続けている。また02年には、中野テルヲや福間創ら元P-MODELのメンバーも参加したソロアルバム『mosaic via post』をリリース。09年には、自身やかつてのP-MODELのメンバーの名前をもじったキャラクターが登場し大ヒットしたアニメ『けいおん!』も放送され、さらなる注目を浴びる機会も増えていた。12年、冨田さんの「イーハトーヴ交響曲」の初演にエレクトロニクスというパートで参加。"ヒューマン・クロック"を使用したシステムを披露し、オーケストラと初音ミクが共存するステージを成立させる主要メンバーの1人となった。■公演情報冨田勲 追悼特別公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」日時: 11月11日 開場18:00/開演19:0011月12日開場12:30/開演13:30 開場17:00/18:00 (2公演)会場:東京・Bunkamuraオーチャードホールチケット料金:S席10,000円/A席 8,500円(税込/発売中)出演:渡辺一正/東京フィルハーモニー交響楽団/エイドリアン・シャーウッド/風間無限/ことぶき光/初音ミクほか
2016年10月21日『世界の中心で、愛をさけぶ』『ピンクとグレー』の行定勲監督が初のロマンポルノに挑む『ジムノペディに乱れる』が、板尾創路主演で11月26日(土)より公開されることが決定。この度、本作のポスタービジュアルと予告編が到着した。自宅のピアノから流れてくるエリック・サティの「ジムノペディ」の音色。目を覚ました映画監督の古谷慎二(板尾創路)はピアノが置かれた部屋へ足を踏み入れるが、そこにはピアノを弾いていた妻の姿はない――。古谷は久々に新作映画の撮影に入っていた。国際映画祭で高い評価を得た名声は過去のものとなり、いまでは低予算映画の仕事にありつくのがやっとだった。かつては「精神が研ぎ澄まされていれば、金がなくても映画だ」と、どんな条件でもやる気を失わなかったが、いまでは「こんな現場は映画じゃない」と愚痴っている。撮影直前になって、主演女優の安里(岡村いずみ)がラブシーンで愚図りはじめ撮影が進まない。古谷は強引に説得するが、安里と言い争いとなり、険悪な雰囲気のまま撮影は中断してしまう。その日、古谷は昔から関係がつづく衣装部スタッフと一夜を共にする。そして翌朝、彼女から安里が降板したことを知らされる…。映画は製作中止となり、時間を持て余した古谷は、街で会った映画専門学校の教え子・結花(芦那すみれ)の部屋に転がり込む。思わせぶりな態度で挑発してくる結花と体を重ねる古谷。雨の音に紛れてどこからかジムノペディが聞こえてくる…。本作は、今年生誕150年を迎えたエリック・サティの名曲「ジムノペディ」の調べにのせ、ラブストーリーの名手・行定監督が、切なく不器用な大人の愛を官能的に描いている。今年で製作開始から45周年を迎える“日活ロマンポルノ”のリブートプロジェクトの一環で製作された本作。今回メガホンを取った行定監督のほか、塩田明彦監督、白石和彌監督、園子温監督、中田秀夫監督ら第一線で活躍する監督陣が完全オリジナルの新作を28年ぶりに撮りおろすことでも話題。さらに、先日行われた「第21回釜山国際映画祭」でのワールドプレミア上映には、韓国を代表する鬼才映画監督キム・ギドクや、映画プロデューサーのアン・ドンギュなど韓国映画関係者が来場し本作を絶賛した。主演を務めるのは、芸人や俳優など様々な顔を持つ板尾さん。映画監督としても2本の作品を残し注目される彼が、今回は全てを失い自暴自棄になっている映画監督の男・古谷演じる。古谷を惑わすヒロイン・結花には、これまではBOMI名義でミュージシャンとして活動しており、本作が本格的な映画デビュー作となる芦那すみれ。もうひとりのヒロイン・安里には、大河ドラマ「真田丸」の出演など、注目の若手女優・岡村いずみ。2人とも本作で初めて濡れ場に挑戦し、美しく官能的なラブシーンを披露している。そして、本作の見どころの一つとなっているのが、古谷が<1週間>、ヒロイン2人を始め、田山由起、田嶋真弓、木嶋のりこ、西野翔らが演じる様々な年齢層の女性たちと官能的に乱れる姿。さらに、ロマンポルノを代表する女優・風祭ゆきもカメオ出演している。このほど初解禁された予告編には、古谷が女たちの肌のぬくもりに助けられながら、失った何かを探し求める姿が描かれており、古谷をとりまく女たちとの官能的なシーンを想起させる映像がちりばめられている。本作は、中央線沿線が舞台になっており、ロマンポルノにも深い関わりがある映画監督の実話エピソードにもインスパイアされているそう。終盤に放たれる「感じるんだ」というセリフには、不感症で不寛容な時代へ一石投じるものになっている。なお、豪華監督陣による完全オリジナルの新作ロマンポルノを、「新作製作 powered by BSスカパー!」として製作開始。新作公開に併せ「BSスカパー!」にて、各作品の劇場公開同日の深夜0時より【R15+版】で放映される。『ジムノペディに乱れる』は11月26日(土)より新宿武蔵野館ほか全国にて順次公開。(cinemacafe.net)
2016年10月18日歌手で女優の酒井法子(45)が22日、東京・ディファ有明でデビュー30周年記念コンサートを行った。酒井は冒頭で、「こんばんは! いよいよ始まりました。今日という日が来てしまいました!」とあいさつ。「30周年、アニバーサリー記念コンサートにお越し頂き誠にありがとうございます!」と感謝の気持ちを伝え、「緊張しますね。16年ぶり、一夜限り、今宵限りのコンサートだ~!」と16年ぶりとなる単独公演の心境を語った。また、会場名にもなっているDiffer(これまでとは違う)にちなんで、「今までとは違った新たなステージを切り開きたいなと思って、今日は一生懸命やりたいと思っています」と気合十分。「今日はお祭りなので、みなさん踊らされちゃって下さい! 取るか取られるかなら、取って帰って下さい! よろぴくぴく~!」と"のりピー語"を交えて場内を盛り上げた。この日は、前日に発売になったばかりのベストアルバム『The Best Exhibition酒井法子30thアニバーサリーベストアルバム』に収録された代表曲30曲のメドレー含む、全23曲を披露。同アルバムがファンによるリクエストアンケート方式で選ばれた30曲であることから、会場に集った1,300人の観客にとっては貴重な機会となった。終演後には報道陣の取材に応じ、コンサートが実現したことへの感謝や根強い人気を誇るアジア・中国圏のファンに向けた感謝の言葉と共に、愛息からは本番直前に激励のメールをもらったことを報告。ステージ衣装のミニスカートを今でもはきこなす秘訣を聞かれると、「足だけでなく喉も含めて、筋肉は鍛えることで成長するんです」と日頃からトレーニングに励んでいることを明かした。また、「ひとつひとつ頂いたお仕事を大切にしていきたい」と抱負を述べ、「来て下さった方も来られなかった方も、これからも暖かく見守って頂けたらと思います」とコメント。最後は、「のりピー、マンモスうれピーでした!」と元気よく"のりピー語"で締めくくった。
2016年09月23日ライブ配信サービス「LINE LIVE」にて、9月12日(月)今夜、「岩井俊二監督、行定勲監督をゲストに重大発表!?」のタイトルで特別番組が生配信されることが決定した。10月25日(火)より10日間にわたって開催される「第29回東京国際映画祭」のLINE LIVE初回配信となる本番組。『世界の中心で愛をさけぶ』『ピンクとグレー』などを手掛ける行定勲監督と、『花とアリス』や今年3月公開された『リップヴァンウィンクルの花嫁』の岩井俊二監督をゲストに迎える今回は、「第29回東京国際映画祭」に関する重大発表を行うという。気になる重大発表の中には、過去に季葉、岡本あずさ、山崎紘菜などフレッシュな顔ぶれが抜擢され映画祭を盛り上げた「東京国際映画祭ナビゲーター」が発表されるほか、行定監督も参加するアジアの気鋭監督3名が、ひとつのテーマのもとにオムニバス映画を隔年で共同製作するプロジェクト「アジア三面鏡」の新たな情報や、東京国際映画祭の大きな2本映画特集のひとつ「JAPAN NOW」部門にて、岩井監督の作品を改めてふり返る企画「岩井俊二監督特集」の新たな情報が発表されるようだ。「東京国際映画祭SP企画 岩井監督&行定監督登場で重大発表!?」は9月12日(月)20時~LINELIVEにて配信。(cinemacafe.net)
2016年09月12日アニメーション監督の高畑勲氏が9月1日(木)、都内で行われたスタジオジブリ最新作『レッドタートル ある島の物語』の完成披露試写会に、マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督、プロデューサーの鈴木敏夫氏とともに出席した。ジブリにとって初の海外共同製作作品である本作で、アーティスティック・プロデューサーを務めた高畑氏。およそ10年前にジブリ側から長編製作のオファーを受けたヴィット監督が、「尊敬する高畑勲監督から長編映画の制作全般について助言を受けること」を条件に快諾したことがきっかけだ。実際に制作中には、高畑監督が参加し、シナリオ、絵コンテ作りから効果音や音楽に至るまで何度も打ち合わせを重ねて、8年もの歳月をかけて完成させた。挨拶に立った高畑氏は、「こんな立派な役職…。それほどの役割は果たしていませんし」とアーティスティック・プロデューサーという肩書に少々居心地が悪い様子。それでも「初めての経験で、面白さもあった。あくまでマイケル監督の考えを尊重すべきだと思ったし、(結果的に)優れた作品ができて安心している」と本作に太鼓判を押した。そんな高畑氏の言葉に、ヴィット監督は「私自身も、この映画を誇りに思っている」と感無量の面持ち。「現場は主にフランスやベルギーのスタッフでしたが、思いは常に高畑さんや鈴木さんにあった。初めての長編で多くのことを学びましたし、ジブリの皆さんがインスピレーションの源だった」と感謝を伝えた。企画の発端となった鈴木氏は、「あれから10年。こんな大ごとになるなんて」と時の流れをしみじみふり返っていた。『レッドタートル ある島の物語』は、9月17日(土)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2016年09月01日女優の酒井彩名(31)が6日、自身のブログを更新し、第2子となる女児を出産したことを発表した。酒井は「突然のご報告になりますがこの度、元気な女の子を出産致しました」と報告。「家族が増えたこと夢のような夢のような。。気持ちでいっぱいです」と喜びを表現した。そして、小さな手を握っている写真を掲載し、「ずっと待ってたよー!」とコメント。「みんなで助け合い笑顔の絶えない家庭を作っていきたいと思います」と決意をつづった。酒井は、2007年にロックバンド・L’Arc~en~Cielのtetsuyaと結婚。2014年に第1子となる男児を出産した。
2016年08月06日嵐・松本潤が、『世界の中心で、愛をさけぶ』(04年)や『ピンクとグレー』(16年)の行定勲監督の最新作『ナラタージュ』(2017年秋公開)で主演を務めることが12日、明らかになった。松本と映画初共演となる女優・有村架純が、ヒロインを務める。原作は、島本理生氏が20歳の若さで、狂おしいほど純粋に禁断の恋に落ちる2人の関係について執筆した同名の恋愛小説。映画や演劇において人物の語りや回想によって過去を再現する手法・"ナラタージュ"をタイトルに冠している通り、ヒロインの回想によって構築された同作は、スキャンダラスな内容ながらその文芸的評価も高く、第18回山本周五郎賞候補となり、宝島社が選ぶ2006年版「この恋愛小説がすごい!」で首位を獲得した。そんな原作発売から11年。原作に出会ってから長年にわたり映画化を熱望し、企画と構想を温めてきた、行定監督がメガホンを取って映画化が実現する。高校教師と生徒として出会った2人が、時がたち再会した後、決して許されない、しかし、一生に1度しか巡り会えない究極の恋に落ちる。その2人の思いが放つ光と、思いあうほどに濃くなる純愛の陰影を描き出す。松本が演じるのは、許されない恋に悩みながらも思いにあらがえない高校教師・葉山貴司。一方、有村は葉山に身も心もさらけ出しながら全てをささげても良いと思える恋に落ちる20歳の女子大生・工藤泉役を務める。なお2人が行定監督とタッグを組むのは、今回が初となる。「行定監督がこの映画で描きたいとおっしゃったテーマに強く共鳴」したという松本。「恋愛というのは、感じ方や受け取り方が人それぞれ違うモノ」とした上で、「でも人の心が人の心を動かす瞬間は誰もが共感してもらえるモノだと信じています」と力強く口にし「有村さんと一緒に、清らかであるのと同じ程、苦しい心模様を表現していきたい」と意気込みを述べる。有村は「新しい環境での撮影に『刺激的な夏になる』と感じております」とフレッシュな表情を見せ、本作を「普遍的な愛を描いていきます」と説明。「大人とか子供とか関係なく1人の女性として1人の男性に愛を注いでいくのですがそのとても繊細な恋愛模様を大切に大切に演じていきたい」と補足しつつ、演技のポイントを明かしている。また、行定監督は「恋することがこんなにつらいのならしなければよかったと思えるような、恋愛映画の金字塔を目指してスタッフ・キャスト一丸となって挑みたい」とアピール。島本氏は、原作について「思春期の恋愛の全てを書いた」と述懐し、「青春は決して明るいものではなく、むしろ孤独な季節だからこそ、主人公たちは恋をせずにはいられなかったのだと思います。刊行から十数年たった今、行定監督の手によって、最高のメンバーで映画化するとの知らせを受けて、大変興奮しています」と歓喜の声をあげた。
2016年07月14日お笑いコンビ・ダウンタウンの松本人志(52)が、3日に放送されたフジテレビ系トーク番組『ワイドナショー』(毎週日曜10:00~10:55)で、女優・酒井法子(45)を痛烈に批判した。酒井は6月28日、都内で開かれたイベントに出席。化粧品メーカーのイメージキャラクターに選ばれたことについて、"のりピー語"で「マンモスうれぴー!」と喜びを表現していたが、終了後の囲み取材で元俳優・高知東生容疑者が覚せい剤所持の疑いで逮捕されたことについて質問が飛ぶと無言。主催者が強引に遮って、イベントは強制終了された。松本はこのことについて、「『マンモスうれぴー!』言うてたくせに、急に"シーン"となって何も言わない。いやいや。あなたが言うべきでしょ。言う義務があるでしょ!」と過去に同様の罪で逮捕された酒井だからこその役割を求め、「冷凍マンモスみたいになりやがって」と皮肉たっぷりに冗談を交えた。また、「この時期に囲み取材をやるということは、聞きますよそれは」と指摘。芸能リポーター・長谷川まさ子氏の「だったら囲みをやめればいい」に、テーブルをたたきながら「やめればいい!」と同意し、「何なんですかね、あれ」「あそこであの人がノーコメントでも、払拭されないよ。誰も忘れへんよ」と不快感をあらわにした。
2016年07月03日