ギタリスト・布袋寅泰(62)が16日、自身のインスタグラムを更新。“夫目線”で撮影した、妻で歌手・今井美樹(61)の笑顔ショットを公開し、反響を呼んでいる。布袋は「家族と2度目のサンセバスチャン旅行」を報告し、旅先での写真と動画をアップ。おしゃれな街並みを散策する姿や、海で波打ち際を歩く様子など、楽しそうな思い出を紹介した。また、現地で「美樹さんの61歳のバースデー」を迎えたそう。7枚目では、満面の笑みを浮かべる今井の写真を披露し「いつも変わらぬ笑顔をありがとう。いつまでも元気で素晴らしい歌を聴かせてください。今年のツアーも楽しみです」と、愛あふれるメッセージを送った。ほかにも長文で旅先でのエピソードをつづった布袋。ファンからは「美樹さんの笑顔の写真とっても素敵 私が知る限りサングラスかけているとはいえアップ写真初めてではないですかね?!(違ってたらすみません)」「美樹さんの笑顔にうっとりです」「こんな夫婦素敵です」「様々な情景が目に浮かぶコメントで幸せのおすそ分けを頂いた気分です。奥様の笑顔も最高に美しい!」など、さまざまな声が寄せられている。
2024年04月17日「入口から地下に続く長い階段を下りた先に楽屋とスタジオがあったのですが、その通路を主演のヒデちゃん(中山秀征)や湯江(タケユキ)君、(今井)美樹ちゃんと行き来していたのが懐かしい思い出です。スケジュールがすごくタイトで、撮影が終わるのが27時(午前3時)で、翌朝7時にはまた撮影開始という、“いつ、寝るの?”という日々でした」こう振り返るのは、香坂みゆきさん(60)だ。同ドラマが放送された時期は、ちょうど女優の仕事が増え始めたころだったという。「1977年に歌手デビューしたのですが鳴かず飛ばず。当時の所属事務所と『ドラマを増やそう』と方針転換をしていったんです」1984年に『金曜日の妻たちへ』(TBS系)のパート2に出演するなど、女優としての活躍が制作サイドの目に留まったのだった。「ナベプロ(現ワタナベエンターテインメント)イチオシの新人だったヒデちゃんや湯江君が高校生、私が大学生役で、アルバイト先のハンバーガーショップを舞台にした青春ドラマ。スタジオには本物の調理機材を入れて厨房を再現。有名ハンバーガーショップの社員さんに作り方の指導も受けました。それが面白くて、空き時間にフライドポテトを揚げたりハンバーガーを作って、食べたりしていました。スタジオの中に油のにおいが充満したときは、ちょっと胸焼けしてしまいましたけど(笑)。若い出演者はみんな、歌やドラマ、雑誌の取材で忙しく、アルバイト経験はなかったので、ドラマを通じて、普通の学生が送る青春を疑似体験していました」現場でムードメーカーとなったのは柳沢慎吾だったという。「とにかくいつもしゃべっているんです。楽屋でもメーク中でも、リハーサルでも、本番以外はずっと。だいたい私が相手をしていたのですが、『うるさい』と注意しても、『お前、ウチの姉ちゃんにそっくりだな』って、全然、話をやめようとしないんです」まだ歌手デビューをする前の今井美樹も、アルバイト役として出演していた。「楽屋で『こういう歌が好きなんです』と言って、ユーミンの曲を口ずさんでいました。当時から歌手を目指していて、自分で曲を作ったりしていたようです」同ドラマでは、主演の中山秀征とのキスシーンにも挑戦。「緊張したのは覚えていますが、あまり意識するとその後の演技にも影響するので、平常心で演技したと思います。たまに“ヒデちゃんの初キスシーン”ということで、テレビとかで取り上げられているんですが、ちょっと恥ずかしいですね(笑)」
2024年01月21日この記事では、2023年12月に妊娠を発表した芸能人や有名人をご紹介! 妊娠・出産時期が自分と近い芸能人や有名人には、なんとなく親近感がわくものですよね。五戸美樹さん、朝比奈彩さんなど、多方面でご活躍中の方々からおめでたいニュースが届きました。アナウンサー、モデルなど、3名の妊娠のニュースをお届けします。 妊娠発表五戸美樹(37歳)フリーアナウンサー 妊娠発表:2023年12月10日(2人目) 出産予定:2024年6月ごろ ブログ・SNS:Instagram(@mikigonohe)朝比奈彩(30歳)モデル・俳優 ※夫は山下健二郎(38歳)三代目 J SOUL BROTHERS 妊娠発表:2023年12月14日(1人目) ブログ・SNS:Instagram(@asahina_aya)上矢えり奈(32歳)元アイドルグループ・仮面女子 妊娠発表:2023年12月20日(1人目)ブログ・SNS:X(@erinyannn1015)気になる芸能人や有名人はリストの中にいましたか? 同じくらいの妊娠週数だったり、わが子と近い月齢の赤ちゃんが登場したりする芸能人のブログには、マタニティライフや子育てのヒントがあるかもしれません。家事や子育ての息抜きにチェックしてみてはいかがでしょうか。
2024年01月06日【前編】障害児キッズモデル「僕たちから目をそむけないで!」華ひらく社長・内木美樹さんよりつづく12月3日午前10時、週末の千葉県のイオンモール木更津。多くの家族連れでにぎわうなか、2階にある展示スペースで、ひっそりと小さな写真展が始まった。30点ほどのパネルには、子供たちがカラフルなバルーンやシャボン玉に夢中になっていたり、あどけない表情でソファでくつろぐ姿などが写されている。一見、何げない日常の光景だが、作為のない子供たちの表情や、会場全体の飾りつけもパステルのトーンで統一されていて、不思議な幸福感に満ちているのだ。《ここにいる全員、障害のあるキッズモデル》入口脇に掲げられた写真展のタイトルのとおり、実は、ここに写っているすべての子供が、何らかの障害と共に生活している。よく見れば、パネルの脇にモデルの名前と一緒に「7歳・自閉症・肢体不自由」「3歳・自閉症・重度知的障害」などとプロフィールが添えられていた。「写真も会場も明るい雰囲気で、驚かれたでしょう。私が何より大切にしているのが、この世界観なんです。障害につきまとう、暗かったり、マイナスのイメージを変えたいんです」そう話すのは、この写真展を主催した、障害のある子供たちのモデル事業などを手がける「華ひらく」(東京都新宿区)社長の内木美樹さん(40)。■結婚、起業……穏やかな生活は、授かった長男が2歳になる直前、保育士のひと言で一変「普通にわがまま(笑)、よくいえば活発な女の子でした」’82年12月4日、横浜市に生まれた内木さん。「航空会社勤務の父、専業主婦の母、3つ上の兄の4人家族。地元で小中高と公立校に進み、ずっと陸上部に所属していました」そんな、「ごく普通の生活」が中学1年のときに突然、断たれる。「母が膵臓がんで急死。当たり前だった、学校から帰宅しての『おかえり』という笑顔を失い、深い絶望に陥ります。その孤独や悲しみを12歳の私は抱えきれずにパニック障害を引き起こし、幸福な時期があるからつらいんだと自己防衛で忘れようとするうちに本当に記憶を失い、解離性障害と診断されました」そんなとき、図書館で1冊の学習漫画と出合う。「何げなく手にしたマザー・テレサの伝記を読んで、世界には、こんな不幸な私すら持っている家のない人や、ご飯さえ食べられない人たちがいることを知り、私も泣くばかりでなく、将来、マザーのように自分の体験を生かして何かできないかと、前を向けたんです」その夢を実現すべく、高校卒業後には留学準備の専門学校へ進み、19歳で渡米。ネバダ州のリノ市にある、看護学でも有名な短大TMCCへ入学。23歳で帰国後、コピー機の営業職などを体験。しかし、「上司からのノルマや罵声があったり。留学したせいで、日本の会社とはこういうもんだと思い込んでいましたが、やがて、いわゆるブラック企業だと気づくんです。これは自分の思い描いている道とは違う。だったら、会社に縛られない働き方をしたいと、起業に踏み切りました」’10年11月、たった一人で設立した「華ひらく」は、当初は留学体験を生かして、飲食店のインバウンド向けの接客の英会話教育などを請け負う会社だった。2年後の春に、日米間の長距離恋愛を続けていた克親さんも帰国して、結婚。穏やかな夫との生活のなかで、パニック障害もいつしかおさまっていた。そして、’13年10月8日、長男の尊くんが誕生する。「主人は会社員で経理を担当していて共働きですから、尊は6カ月から保育園。歩き始めるのが遅いくらいで、なんの心配もなく忙しく毎日を送っていました」その日常が、2歳になる直前、保育士のひと言で一変する。「タケちゃん、耳が聞こえてないかもしれません。お名前を呼んでも振り向かないんです」母親の直感で耳は正常だと思っていたが、不安を捨てきれずに、大きな施設を訪ねた。■ガラスの壁の向こうにいる人にも障害のある子供たちのことをどう伝えるか、ひらめいたのは……「自閉症と知的障害があります」市川市のこども発達センターの医師が告げたのに対して、事前に発達障害等について調べていた内木さんは、間髪入れず尋ねていた。「知的障害は中度ですか?」「重度に近い中度です」その言葉が重くのしかかる。「自閉症などの障害があっても、各分野で活躍している人もいます。その存在が私の最後の希望でしたが、重度の知的障害と聞いて、一気にくだかれました」しかし、女性園長は行政と相談して尊くんの担当となる加配保育士を付け、ほかの保護者たちも温かく受け入れてくれたのだった。「それでも、2歳、3歳と成長するにつれて、ますます尊がじっとしていられなくなったり、大声を上げたりするのを見て、私は、うちの子が園全体の和を乱しているのではと、心配するばかりで。’16年2月には、弟の謙くんも誕生。しかし、遊びたい盛りの男の子2人を公園に連れていくのは、いつも夕方5時を過ぎてから。「薄暗い公園を見渡し、ほかの子やお母さん方がいないのを確かめてホッとしている自分に気づいて、また泣きたくなったり」本来の自分らしさをどんどん失っていく内木さんだったが、わが子の障害を受け入れるきっかけは小学校入学と同時に訪れた。千葉県立の特別支援学校への入学式でのことだった。「最初の行事の集合写真の撮影で、尊がシャッターが1回下りただけのところで駆け出してしまったんです。私自身は、もう焦ってしまうばかりでした」すると、周囲の先生たちが、こんな言葉を口にした。「あらら、行っちゃったねえ~。元気でいいね」そのやわらかな笑顔を見て、内木さんは、ようやく自分たち母子の居場所を見つけたのだった。その初めての心の余裕が、彼女にあることを気づかせた。「ふり返れば、保育園でも、公園でも、みなさんは私たちを受け入れてくれていた。なのに、自分で見えないガラスの壁を作っていた。そうか、私こそが、障害のある人たちに対して、偏見や差別の気持ちを持っていたんだと」そして’20年に入ると、家族はまた大きな一歩を踏み出す。ユーチューブで、尊くんの日常を配信し始めたのだった。名付けて、「はばたけタケル」。1年後には登録者数も3千人まで増えるなど、一定の反響は得ていた。しかし、内木さんは、「ユーチューブを通じて、同じ障害のある人たちの輪はできました。でも、ふさわしい表現ではないかもしれませんが、傷のなめ合いをしているうちは、社会は変わらないだろうと思ったんです。だったら、かつての私のように、ガラスの壁の向こうにいるあちら側の人にも、障害のある子供たちと家族のことをどう伝えるか。お涙ちょうだいはイヤだし、できれば子供たちの自立につながってほしいと、思いました」仕事や家事をしながら、また夜も寝ずに考えに考えた。そして、「興味のない人も否が応でも目にしてしまうもの、感情に訴えるもの。そうだ、広告だ、キッズモデルだ!」■無我夢中でらくがきに没頭する子供たちの笑顔が広告に使われ大評判に「飛込み営業で、まずは世間的にSDGsに力を入れている会社などに連絡しましたが、ほとんどが『前例がありません』『障害者を利用してお金もうけをしているとのクレームにつながりかねない』というお返事でした。そこで、よし、外堀から埋めようと思うんです。社会のほうから“日本にだって障害のあるキッズモデルがいてもいいよね”というウエーブを作ろうと。その具体策が、写真コンテストでした」このコンテストは、新聞各紙などにも取り上げられ、冒頭のとおり、その後の写真展にもつながっていき、大きな成果を上げた。同時に進んでいたのが、ある広告プロジェクト。その相手企業がチョークや描いても消せる筆記具「キットパス」で知られる日本理化学工業(川崎市)だった。「60年以上前から障害者雇用に取り組み、社員の7割が知的障害者という日本理化学工業さんは、ずっと大ファンで、モデル事業を立ち上げたときに、ぜひお声がけしようと決めていたんです」同社広報部の雫緑さん(42)は、「今年4月、わが社のホームページのお問い合わせ欄に、内木さんの最初のメールが届きました。障害のある方への思い、ご自身のママとしての思いがあふれるほどの長文で、私自身4歳児の母親として大いに共感して、すぐに広告作りが動き出しました」早くも翌5月には、千葉県の鴨川でキットパスの新商品の広告の撮影が行われた。「華ひらく」から出演するのは、ダウン症のすみれちゃん(8)と自閉症と軽度知的障害のあるなぎさちゃん(7)。ほかの広告制作との大きな違いは演技指導などが一切ないこと。現場に立ち会った、なぎさちゃんの母親の武藤綾夏さん(34)は、「内木さんから『お絵描きの好きな子向きの仕事があります』と一斉メールが来て、なぎさにぴったりと思いました。家でも何時間でも描き続ける子なんです。撮影の現場でも、『この大きな窓ガラスに好きに絵を描いていいんだよ』と伝えられたあとは、大人は手出しせずに、のびのび自由にやらせていただけました」完成した広告写真は、商品チラシや展示会パネルに使用され、大評判となった。雫さんは、「現場で、無我夢中でらくがきに没頭する子供たちの笑顔こそ、私たちが伝えたかった商品のコンセプトそのものです。これは、新しい化学反応ができたなと、現場で広告の成功を確信しました」現在、「華ひらく」に登録しているキッズモデルは、0~13歳の38人、契約企業はフォトスタジオやこども食堂など7社。もちろん、この事業のきっかけとなった内木さんの長男の尊くんも、トランポリン施設の広告などに出演している。■障害のある子供たちが自立でき、そのとき彼らにやさしい社会が実現してほしい「タケちゃ~ん、戻っておいで」写真展の昼休みの時間に、会場近くの海の見える公園を訪れた内木さんファミリー。車を降りた途端に駆け出した尊くんは、もう50mも先にいて、まだ走り続けている。そのあとを克親さんが名前を呼びながら追いかけ、さらに謙くんが続く。「いつもの、わが家の光景(笑)。尊のおかげで、笑い声も絶えないし、教わることも多いです。障害のある子供がいると、両親がその子にかかりきりになって、健常の子が寂しい思いをすると知り、毎月、『タケルがママを独占できる日』と『ユズルがママを独占できる日』も作りました。「ほら、タケル。あっちは海だよ、オーシャン」 「オーシャン!オーシャン!」ようやく戻ってきた尊くん、今度は海を目がけて走り出す。語学に堪能な内木さん夫妻は、幼いころから兄弟に英語で話しかけていて、家族の会話にはよく英単語が混じるのだそうだ。海を見に行った母子を見送りながら、今度は克親さんが、「夫婦でよく話すのは、僕たち親は子供より先に死ぬこと。だからこそ、障害のある子供たちが自立でき、そのときに彼らにやさしい社会になっていてほしい。彼女の仕事はそのきっかけになると信じ、家族全員で応援しています」今後、キッズモデルたちの写真展は、12月21~27日に新宿髙島屋での開催が決まっている。内木さんは、木更津での取材翌日に40歳になったが、これまでと変わらず、次のクライアントや写真展の会場を探して、今日も飛込み営業の電話をかけ続ける。「いずれ60歳ごろまでに、里親や保護司を務めたいという思いもあります。もちろん、マザー・テレサがお手本。でも、まず今はキッズモデルを、もっと日本中の人に知ってもらうことが最優先。まだまだガラスの壁は厚いですけど」ポンと背中を押してくれるのは、たくさんの無垢な笑顔たちだ。
2022年12月18日スラリとした美人。控えめな言葉の端々に、意志の強い武骨な真面目さも見える。表現者には大事な気質だ。ヴァイオリンの小林美樹がユニークな構成のコンサートを開く[10月29日(金)紀尾井ホール]。題して「八季~エイト・シーズンズ」。ヴィヴァルディの《四季》と、生誕100年のピアソラの《プエノスアイレスの四季》。2つの《四季》を彼女の独奏で一気に弾く。「四季+四季で八季。いつか絶対にやりたいと思っていました。コロナ禍もすでに8シーズン。次のシーズンが幸せに始まりますようにという気持ちも込めて。私は昨年、音楽をやる意味を考え込んで、1か月間ヴァイオリンを弾かない時期もありました。舞台に立ち、弾き終えて拍手をいただくこと。仲間と演奏すること。当たり前だったことがじつはとても幸せなことで、そのために頑張ることが自分の原動力になっていたのだと、あらためて確認できたのはよかったです」ピアソラ の《四季》を、ヴィヴァルディと同じヴァイオリン独奏と弦楽合奏版に編曲したのはロシアの作曲家デシャトニコフ。大胆にも曲中にヴィヴァルディを引用しているため、〝八季〟が有機的につながる。編曲の域を超えた独創的な作品だ。「ピアソラもすごいですが、このアレンジもすごいんです。同じモティーフを使っても、まったく違うイメージになるのは驚きです。たとえば〈冬〉の最後にヴィヴァルディの〈冬〉の第2楽章がちょっと出てくるだけで、こんなにも沁みるものかと。私のお気に入りポイントです。〈秋〉に、チェロの長いソロがあるのも聴きどころで、絶対に素敵に弾いてくれるであろう上村文乃さんにお願いしました」その上村は大学の同級生。もう一人、やはり同級生の会田莉凡(ヴァイオリン)ら、弦楽合奏の豪華メンバーはほぼ同世代の仲間たちだ。小林自身が一人ひとりに直接声をかけて集めた。「学生の頃から私を知ってくれている方ばかり。気兼ねなく、思ったことをストレートに言いあえる皆さんにお願いしました。だからリハーサルも楽しみですし、本番で私が瞬間的に感じたことを即興的に仕掛けても、それを受け止めてくれるはず。とても心強いです」ヴィヴァルディの《四季》は自然の美しさや恐ろしさを、ピアソラは人間の日々の小さな幸せや悲哀を訴えてくるという。「客席の皆さまに、私たちは生きているということを感じてもらえる一夜になると思います。ぜひ聴いてください」(文・宮本明)
2021年10月08日美しいプロポーションとバレエで鍛えた柔軟な肢体を、73歳になってもキープし続ける金井克子。Theレビュー『カーテンコールをもう一度!2018』(9月5〜7日、東京・EXシアター六本木にて)では、往年の名曲とダンスで、まぶしい青春を再現する。出演者はほかに、レビュー出身の前田美波里、本作のプロデューサーも務める中尾ミエ、ロカビリー界のレジェンド・尾藤イサオら。彼女たちの、年齢をまったく感じさせない“いつまでも現役”ぶりには脱帽だ。「(前田)ビバちゃんと(中尾)ミエちゃんと私を合わせると200歳を超しちゃうんですけど、みんな昔からずっと歌って踊ってるのよ、飽きもしないで(笑)」(金井・以下同)舞台は、今は廃墟となった伝説のレストラン・シアター。金井、前田、中尾の3人は、レビューショーの聖地であるこの地を再建してほしいと、依頼される。「前半は若い時代を振り返るトーク、後半は私たちが現代に現れるつくりで、懐かしい’60〜’70年代のヒット曲を披露します」本作は、昨年好評を受けた公演の再演だ。「再演になったらどうしよう、体力はもつのかしら……って感じでしたけど、これが最後かもしれないから挑戦してみよう、と。足をきれいに高く上げるためにせっせとジムに通って……そんな年齢になってしまいました(笑)。だけど、今だからこそ懐かしい仲間たちと往年の名曲を楽しめますね」これまでの仕事漬けで多忙だった人生を振り返って、金井自身が“あの思い出を、あの気持ちをもう一度”と焦がれるのは……。「30年ぐらい前にパキスタンで挙げた結婚式!主人はジープでサハラ砂漠を旅するような人で、いとこが住んでいるパキスタンでの挙式を選びました。私はお姫様みたいにゴージャスなサリーを着せてもらって、彼は白いターバンを巻いた王子様としてゾウに乗って私を迎えにやって来たの。まわりではロマたちが踊っていて。新婚旅行を兼ねてインドやネパールも旅しました。当時はバタバタと忙しかったけれど、今、改めて客観的に自分の結婚式を眺めて楽しめたら素敵よね」結婚願望はなかった当時の金井だが、一般男性と縁があって夫婦になり幸せな日々を送っている。オフのときは、大阪の自宅で“普通の主婦の生活”を送っているそうだ。「車でスーパーへ買い物に行くときもあるんだけど、ふだんはママチャリで(笑)」
2018年09月03日6月9日公開の映画『終わった人』の公開直前イベントが6日、都内で行われ、主演の舘ひろし、主題歌を担当した今井美樹が登壇した。映画『終わった人』の公開直前イベントに出席した今井美樹、舘ひろし(左から)内館牧子の同名小説を、『リング』など傑作ホラーを手掛けている中田秀夫監督が映画化した本作は、定年を迎えたエリートの悲哀を心温まるコメディとして描いたヒューマンドラマ。主演の舘ひろしが、出世コースから外れてそのまま定年を迎える情けないサラリーマンを演じ、今井美樹が夫・布袋寅泰作詞・作曲した主題歌『あなたはあなたのままでいい』を歌っている。キャリアの長い舘と今井だが、同イベント前に行われた今井のアルバム発売記念で初めて対面。今井が「サプライズで舘さんが来てくださって、びっくりしました。本当にオーラがあって、今も不思議な感じで、なかなか現実感ではありません」と信じられない様子。一方の舘は「お花を渡してそのまま抱きつこうかと思いましたよ。それをやったらセクハラ問題になりますし、布袋くんのこともございますので、そこはグッと抑えるのが大変でした」と笑いを誘った。今井が歌った本作の主題歌『あなたはあなたのままでいい』について言及した舘。「布袋くんの曲はいつも聴いているので、本当に素晴らしいです。『あなたはあなたのままでいい』と今井さんに耳元で歌われたらどうしようもないですね。本当に素敵な曲をいただいて感謝しています」と感謝すれば、今井は「こういうさりげないジョークを言う大人の男の人って素敵。本当に舘さんは格好良いですよ」とべた褒めだった。また、本作のテーマである"定年"について、今井は「自分がどうありたいか、正直イメージがありません。家族のためにも自分の人生のためにも計画的で生きることは大事だと思いますが、今は新しい環境に暮らしを移して、どうなるか分からないところが正直なところです。ただ、新しい環境の中で、新しいチャレンジに挑み続けられる自分でいたいとは思っています」と言葉を選びながら回答していた。映画『終わった人』は、6月9日より全国公開。
2018年06月07日11日に著書『人前で輝く! 話し方』を発売したフリーアナウンサー(元ニッポン放送)の五戸美樹。著書に関する話題の他、ニッポン放送アナウンサー時代のエピソードなどについても聞いた。○「私は結構毒舌なんですよ(笑)」五戸美樹アナウンサー1986年埼玉県生まれ。09年、ニッポン放送にアナウンサーとして入社後、『三宅裕司のサンデーハッピーパラダイス』『古坂大魔王 ツギコレ』などを担当。現在はフリーアナウンサー・トークレッスン講師として活躍中。――まず、書籍を出すに至ったきっかけについてお聞かせください。ずっと本を書きたいという思いがあったんです。やっぱり本を出すというのは、アナウンサーとしては名刺代わりと言いますか。とはいえ、きっかけがなかなかなかったのですが、ある方に出版社さんを紹介していただき、自分でプレゼンしました(笑)。――本出すのは初めてですよね。執筆するうえでどんなご苦労がありましたか?今までスポーツ新聞のWEBでコラムを書く経験はあったのですが、今回は書き下ろしということで、大変でしたね。それと、私は結構毒舌なんですよ(笑)。喋りでは冗談だと通じますが、文字にすると誤って伝わってしまうこともあるので、その加減は悩みましたね。――毒舌というと、著書の中でトークが上手い人という話題で、「笑福亭鶴瓶さんやオードリー若林正恭さんは本当にうまいなと思います」と、春日(俊彰)さんを抜いていたのが気になりました(笑)。春日さんも『オードリーのオールナイトニッポン』でフリートークを話しているのになと(笑)。いや、春日さんのフリートークも好きですよ!(笑) 。春日さんをdisっているんではなくて、若林さんをリスペクトしてるんです(笑)。やはり若林さん1人のラジオになったら寂しいじゃないですか。また、読者の方にはオードリーさんのラジオを聴いてほしいと思っているので、著書でも「ラジオスター」として入れさせていただきました。――五戸さんは『オードリーのオールナイトニッポン』で、「五戸ナビ」というコーナーもやってましたよね。『ニッポン放送女性アナウンサーカーナビ』の五戸さんに言わせたいことを送るというネタコーナーでした。懐かしいですね! 「私が元彼と食事したレストラン周辺です」というネタとかは覚えてますね。実際に私が読み上げていたのですが、面白くてふいちゃって、「すみません、もう1回いいですか」ということも多かったです。――今回の著書からも、五戸さんのラジオ愛がとても感じられます。やっぱり「みんなラジオを聴いて」という思いはありますね。自分が講師を務めるトークレッスンでも、「ラジオは無料の教材」とよく話しています。――ラジオはニッポン放送のアナウンサーになられる前からよく聴かれていたんですか?深夜ラジオですと、『爆笑問題 カーボーイ』(TBSラジオ)で10年前くらいにやっていた、「人妻枠」という女性が赤裸々に浮気や不倫体験を明かす内容のコーナーが面白くて、Podcastで聴いてましたね。後は『荒川強啓デイ・キャッチ!』(TBSラジオ)とか「FM NACK5」の番組をよく聴いてました。ニッポン放送は、当時はワイドFMがなかったので埼玉では入りづらく、『KinKi Kids キンキラKinKiワールド』を窓際でなんとか聴く、という感じでした(笑)。○「元々は女優になりたいと思っていたんです(笑)」――そうなんですね(笑)。五戸さんがアナウンサーを目指したきっかけはなんだったのでしょうか?私、すごく恥ずかしながら、元々は女優になりたいと思っていたんです(笑)。なので、大学でもミュージカルサークルに入ったのですが、才能がないことに気がついて就職しようと思ったんです。それで、マスコミに興味を持ちアナウンススクールに通ったところ、アナウンサーの仕事はなんて面白い、素晴らしい仕事なんだろうと。歌や演技が下手でも、人前で役に立てるかもしれないという思いになりました。――そして五戸さんは09年、ニッポン放送に入社されます。著書では「新人の頃、うまく話せなくてビービー泣いていました」と書かれていましたね(笑)。私はあがり症で、頭が真っ白になっちゃって、なにを話していいか分からなくなってしまったんです。それで涙も出てきて、さらに真っ白になってしまうという悪循環でしたね(笑)。○「話し方」を鍛える方法とは『人前で輝く! 話し方』話す内容から声の出し方まで、具体的にコツを伝授。人前で話すのが苦手な人、企画や商品は素晴らしいが、その良さを伝えられない人に必見の内容。――どうやってそれらを克服されたのですか?あがり症に関しては、徹底的に準備することで克服しました。その場で思いついたことを話すということが、緊張でできなかったので、とにかく準備してこれを読めば成立するという状態を作ることをしていました。――初めから上手くいかなかった経験が、トークレッスンでの指導や今回の著書にも活かされているんでしょうね。そうですね。アナウンサーの話し方本は星の数ほど発売されていますが、私が唯一誇れるのが、才能がなかったことだと思うんですよ。本当に下手だったので、努力するしかなかったんです。今となっては、ある意味で良かったと思っています。――具体的にはどんな努力をされてきたんですか?飲み会など、普段の会話でも本番を意識していましたね。「ら抜き言葉」を使わないとか、「やばい」と言いそうになったら違う言葉を考えるとか、起きている間は常に考えて生活していましたね。――すごい! そこまでされたんですね。上達するにはずっと意識するしかなかったんですよね。相槌に関しても、ずっと下手だと言われていたので、普段の会話から相槌を意識して克服しました。――それでは最後に、同じように話し方に悩んでいる人にメッセージをお願いします。皆さんも起きている間ずっととは言いませんが、5分でも意識すると良いですよと伝えたいですね。ご飯を食べて「マジヤバイ、うまい死ぬ」じゃなくて、「辛味がマイルドで」などといった表現をしたり、SNSでもただ「映画面白かった」と発信するだけではなくて、なにが面白かったのかを考えると、話す力も鍛えられると思いますね。
2018年05月21日期待の新人・金井浩人と演技派女優の池脇千鶴のW主演で、『夏美のホタル』『ふしぎな岬の物語』の原作・森沢明夫による同名小説を映画化した『きらきら眼鏡』。死と恋愛というテーマを織り交ぜた人間ドラマとして注目を集める本作のビジュアルが解禁。併せて犬童一利監督、金井さん、池脇さんのコメントが到着した。恋人を事故で失った喪失感から立ち直れずにいる青年・明海(金井浩人)、1冊の本を介し、明海と知り合ったあかね(池脇千鶴)は、余命宣告された恋人・裕二(安藤政信)を抱え、日々を過ごしていた。あかねを通じて裕二と触れ合うことで、立ち止まっていた明海の心に変化が生まれていく…。本作が映画デビューとなる金井浩人は、新人ながら際立った演技力が高く評価され、主役に抜擢されたという逸材。W主演となるヒロインには、『ジョゼと虎と魚たち』『そこのみにて光輝く』など確かな演技力が光る池脇千鶴、その恋人役に『キッズ・リータン』『GONIN サーガ』『花芯』など日本映画界を代表する安藤政信。さらに、人気急上昇中の若手俳優『覆面系ノイズ』の杉野遥亮、ViVi専属モデルで『東京喰種トーキョーグール』などの映画でも活躍する古畑星夏、『富美子の足』で話題の片山萌美、『ひかりのたび』で長編映画初主演を務め、話題を呼んだ志田彩良ら、いま注目の若手俳優陣が集結!スタッフ陣も、石倉三郎主演、キム・コッピ共演の『つむぐもの』の犬童一利がメガホンを取り、「相棒」シリーズなどの守口悠介が脚本を、『そこのみにて光輝く』『つむぐもの』の前田紘孝がエグゼクティブ・プロデューサーを務めるなど盤石の布陣が揃い、映画ファンの間で熱い注目を集めている。このほど、メインの舞台となる千葉県船橋市の街を背景に、明海とあかねが並んで歩く、ティザービジュアルが解禁。澄み切った空の下でありながら、2人の微妙な距離感、空気感が伝わってくるビジュアルに、期待は高まるばかりだ。また、併せて主演となる金井さん、池脇さん、犬童監督、前田エグゼクティブ・プロデューサーからコメントが到着している。キャスト&スタッフからコメント到着■金井浩人未だに色んな思いが溢れんばかりにあって、言葉に詰まってしまいます。この作品に携わり本当に沢山の出会いがありました。その多くの出会いや、またこの物語に感化されたことで、自分自身のこれまでを回顧し、今現在を肌身で感じ、これからを見つめ続けた日々でした。いつかのあのとき、あることを思い、あるところへ行着き、人に出会って、あれをしてこれをして。そんな繰り返しがあって今自分はここにいて、この人達に出会って、一緒にものを創っていて。全てが繋がっていて今なのだと。なにか、この映画が物語っていることとその時の日々が、力強く通じているような気がしてなりませんでした。そんなことを心の片隅で小さく想い続け、全うした気がします。この映画を背負い、これからを生きていけることが幸せでなりません。多くの人に届くことを祈っています。■池脇千鶴いま思い返すと、撮影していた毎日がきらきらしていたのかもしれません。普段はそんなにきらきらなんてしませんが(笑)、心から信頼できるキャスト、スタッフ、そしてあかねという役のおかげでほがらかに毎日を過ごすことができました。繊細で傷つきやすく、それでも精一杯人生を生きようともがく優しい人間たちを、観てくださる皆さんにしっかりと見届けていただければと思います。■犬童一利監督本当に沢山の人に支えられ、無事にクランクアップを迎えることができました。現在編集中ですが、原作の魂を引き継ぎつつ、映画ならではの『きらきら眼鏡』を皆さんに届けられると思います。素敵なスタッフ、俳優部、そして地域の方々と丁寧に作っています。今の日本にこそ必要な映画になると信じています。ご期待ください。■前田紘孝エグゼクティブ・プロデューサー本作品、クランクイン前から、市民の皆さまに、制作プロダクションがいままでにないくらい、踏み込んでいきます、ホンモノの共作にしましょう。と宣言してクランクインしました。その分、たくさん摩擦もありました。しかしながら、その摩擦で生まれた「温度」は、この作品にしっかり刻まれたと思います。大きな喜びと手応えでいっぱいです。多くの皆さまに届けたいです。支えてくださった皆さまに、心から感謝いたします。さらに、エンディング曲「Reminiscence ~回想~」を、チェロ奏者・柏木広樹が書き下ろし、ヴァイオリン・葉加瀬太郎、ピアノ・西村由紀江という日本の音楽界を代表する豪華トリオでの演奏も決定した本作。死生観と恋愛観を織り込みながら主人公の成長を描く、珠玉の人間ドラマの公開を楽しみにしていて。『きらきら眼鏡』は2018年、全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2017年12月20日ギリシャのサントリーニ島の高台で、海を眺めて佇む美少女。インスタグラムに画像が上がった、すらりとした長い脚が印象的な彼女は、布袋寅泰(55)と今井美樹(54)の、15歳の娘・愛紗(あいしゃ)さんだ。 「愛紗さんはモデルデビューも噂されています。布袋は、インスタのコメント欄に、英語で“世界一美しい女の子”と書き込むほど娘さんを溺愛しています」(音楽関係者) 12年、今井は愛紗さんとともにロンドンに移住した。「僕は大切な10年を夢にかけたい」。そう言って、ロンドン拠点の音楽活動を希望した布袋を支えるための決断だった。それから5年、幸せそうに見える一家だが……。 「移住当時、今井さんと娘さんは現地での生活になじめず苦労しました。しかし、時が経つにつれて家族は英国暮らしにも慣れた。13年に日本の家も売ってしまい、生活の基盤は完全にロンドンに移したんですが……。ところが最近、今井さんが『ロンドン暮らしに疲れた。日本に帰りたい』と漏らしていたそうです」(芸能事務所関係者) その理由のひとつは、頻発しているテロの恐怖だという。今井のブログには、こんなことが書かれていた。 《テロには相当警戒をしているロンドンでもこういう事が起こってしまう。(中略)こんなところで暮らしていくっていうこと……と改めて認識した》(3月31日ブログより) もうひとつ、今井が心を痛めていることがある。 「布袋さんは15年に、酔った安倍昭恵さんに首筋にキスされたことが報じられました。さらに昨年、多くの芸能人が騙された113億円の投資詐欺の被害者にもなった。いずれも日本滞在中のことです。やはり知り合いが多いぶん、海外より日本の方がトラブルに巻き込まれやすい。10月から日本でツアーを行うように、布袋さんの仕事はまだまだ日本でのものが中心。目の届かない日本で、また夫に何かあるのではと、気が気でないそうです。それならば、家族全員で日本に帰ろうと思っても不思議はありません」(前出・芸能事務所関係者) テロの恐怖と、離れて仕事をする夫への不安。外国暮らしを続ける妻の、心が休まることも、望郷の念が収まることもないようだ。
2017年08月18日●宇宙行きはゴールではなく夢に向けた第一歩宇宙航空研究開発機構(JAXA)は2015年8月26日、金井宣茂(かない・のりしげ)宇宙飛行士を、国際宇宙ステーション(ISS)の第54/55次長期滞在搭乗員に任命したと発表した。出発は2017年11月ごろ、滞在期間は約半年間が予定されている。それを受け、8月27日には記者会見が行われ、宇宙飛行士になろうと思ったきっかけや、このミッションに向けた意気込みなどが語られた。金井さんはISSでどのような活動を行うのか。そしてそれに対する意気込み、また自身を「"もぐり"の宇宙飛行士」と呼ぶ理由、さらに金井さんの後の、日本の有人宇宙活動について、見ていきたい。金井宇宙飛行士に関連する記事・【インタビュー】ISS長期滞在が決定した金井宇宙飛行士が語る - 宇宙旅行が当たり前になるためにロケット以外で重要なものとは・【レポート】海底から火星を見据えて - JAXAの金井宣茂 宇宙飛行士が語った宇宙へのリハーサル・JAXAの金井宣茂宇宙飛行士、ISS第54次/55次長期滞在搭乗員に決定○「宇宙行きはゴールではなく夢に向けた第一歩」金井さんは1976年生まれで、現在38歳。2002年に海上自衛隊に入隊し、医師の資格を有する幹部自衛官(医官)を務めた。金井さんは特に、水に潜って作業を行う隊員(潜水員)の健康管理を専門とする、潜水医学の医師(潜水医官)でもあった。そんな中、JAXAは2008年3月31日に、新しい日本人宇宙飛行士を募集すると発表した。それまでの宇宙飛行士が「日本人が宇宙に行くこと」や、「日本人がスペース・シャトルを使ったミッションを行うこと」を目的として選ばれたのに対して、このときは「国際宇宙ステーション搭乗宇宙飛行士」、つまりISSで働き、その利用によって新しい成果を生み出す飛行士を選ぶことを目的としていた。これに金井さんは応募し、厳しい選考を経て、2009年の2月に宇宙飛行士候補者の補欠として選ばれ、同年9月には正式に採用されることになった。同期には、現在ISSに長期滞在している油井亀美也(ゆい・きみや)宇宙飛行士や、2016年6月に打ち上げ予定の大西卓哉(おおにし・たくや)宇宙飛行士がいる。医師から選ばれたのは向井千秋さん、古川聡さんに次ぐ3人目、また自衛隊出身は油井さんに次ぐ2人目となった。宇宙飛行士候補者に選ばれた後、2009年からは油井さんや大西さん、また米航空宇宙局(NASA)とカナダ宇宙庁の宇宙飛行士候補者らと共に、宇宙飛行士になるための訓練が始まった。そして、2年後の2011年に、ISS搭乗資格をもつ宇宙飛行士として正式に認定され、さらにそれ以降も、実際に宇宙へ飛び立つ日を目指し、米国やロシア、日本で訓練を積み重ねていた。そしてついに、それが叶う日が決まったのである。金井さんは記者会見で、「私の夢は、より宇宙が身近になり、まるで海外旅行に行けるような感覚で、誰でも宇宙旅行を楽しめるような時代が来ることです。それを実現するために活躍したいと思っています。今回、宇宙飛行という大任を受けましたが、これは自分にとってゴールではなく、その先の夢に向かって進むための第一歩であると考えています」と語った。○滞在期間は半年間、さまざまな実験を予定現在の予定では、金井さんは2017年の11月ごろに、地球を出発し、ISSの第54/55次長期滞在員として約6カ月間にわたって滞在。ISSの運用や科学実験を行うことになっている。往路、復路ともに、ロシアのサユース宇宙船に搭乗する予定となっている。また2016年1月からは、打ち上げに向けて、サユース宇宙船への搭乗や、ISSの長期滞在に必要な訓練を開始するという。ISS滞在中に、金井さんが具体的にどのような実験を行うのかは、まだこれから決められることになっているが、金井さんは医師であり、また潜水医学の専門家でもあることから、JAXAでは医学や医療に関する実験への貢献を大いに期待しているという。たとえば「きぼう」の大きな利用テーマのひとつに「健康長寿社会の貢献」というものがある。宇宙空間では、筋肉の老化や骨の密度の減少が、地上より速く進むことがわかっており、その研究によって、日本が直面している高齢化社会への、何らかの貢献ができないかということが考えられている。金井さんがこのテーマに関する研究を行うことは大いに考えられる。また、打ち上げまで時間が十分にあることから、「金井さんならでは」のミッションも考えていきたいという。記者会見で金井さんは、次のように期待を語った。「現在『きぼう』では、ダークマターの謎を追う実験や、生きたマウスを飼育して、そのまま地球に持ち帰る実験、また超小型衛星の放出などを行っていますが、これらは『きぼう』を造っていた段階では、まったく想像していなかった新しいアイディアだったり、夢物語だったりしたものが、現実になったものです。私のミッションは2年後。2年後になると、宇宙産業だけではなく、他の産業からもたくさんの研究者が宇宙に参入してきたり、より低価格に、より手軽で、よりスピーディに宇宙空間を使うような動きがさらに加速していると思います。今現在、世界中の誰もが想定していないようなおもしろい実験、最先端の科学を切り拓くような実験が、2017年には待っていると思います。それに向けて全力疾走でがんばりたいと思います」。○"もぐり"の宇宙飛行士にしてネモ船長ところで、金井さんのように、潜水医学を専門としているお医者さんの間では、初対面の人に「私、"もぐり"の医者なんです」と自己紹介するという、伝統的なギャグがあるのだという。もちろん、この場合の「もぐり」の本当の意味は、ブラック・ジャック先生のような「モグリ」ではなく、「潜り」のことである。そこで金井さんは、それに引っ掛けて、自身を「"もぐり"の宇宙飛行士」と呼び、会場の笑いを誘った。また、金井さんは宇宙飛行士の仲間たちから、「NEMO」(「ニーモ」、もしくは「ネモ」)というコール・サインで呼ばれているという。これは、ジュール・ヴェルヌの名作『海底二万里』や『神秘の島』に登場する潜水艦「ノーチラス号」のネモ船長、また『ファインディング・ニモ』に登場するクマノミの「ニモ」(ネモ船長に由来)にちなんでおり、金井さんが潜水医学の専門家であることから名付けられたのだとされる。ちなみに、金井さんは今年7月20日から8月2日にかけて、米フロリダ州の沖にある海底実験室「アクエリアス」で、NASA極限環境ミッション運用訓練に参加したが、この訓練がNASA Extreme Environment Mission Operationsの頭文字から「NEEMO」(「ニーモ」)と呼ばれていることから、関係者の間では「NEMO in NEEMO」(ニーモの中にニーモ(ネモ)がいる)というギャグが流行ったという。"もぐり"の宇宙飛行士であり、現代のネモ船長でもある金井宇宙飛行士が、ISSでどんな活躍を見せてくれるのか。それはきっと『海底二万里』と同じぐらい、あるいはそれ以上におもしろく、驚異に満ちた冒険譚になるに違いない。●日本人宇宙飛行士と、日本の有人宇宙活動の未来○金井さんがサユースに乗る最後の日本人宇宙飛行士に?ところで、金井さんはもしかすると、サユース宇宙船に搭乗する最後の日本人宇宙飛行士になるかもしれない。2011年にスペース・シャトルが引退して以来、NASAは新型宇宙船が完成するまでのつなぎとして、ロシアからサユース宇宙船の搭乗権を購入し続けており、そこにNASAの宇宙飛行士を乗せて飛ばしている。また、金井さんを始め、これまでサユースに搭乗した日本人宇宙飛行士の搭乗権も、このNASAがロシアから購入した分の中から割り当てられている。しかし現在のところ、NASAは2018年の打ち上げ分までしか購入していないため、2017年11月に地球を出発し、2018年の春ごろに帰還する金井さんが、サユース宇宙船に乗る最後の日本人宇宙飛行士になる可能性がある。なお2017年には、米国の民間企業2社(ボーイング社とスペースX社)が開発している新型の宇宙船が完成し、NASAやJAXA、欧州宇宙機関(ESA)やカナダ宇宙庁などの宇宙飛行士は、サユースではなく、この新型宇宙船によって打ち上げられる予定となっている。つまり、金井さんの次に飛ぶ日本人宇宙飛行士は、この民間の新型宇宙船に乗りこむことになる可能性が高い。ただ現在、予算不足などが原因で開発に遅れが出ており、また今後、開発中に問題などが発生することも考えると、2017年に間に合わない可能性は十分考えられる。そうなると、NASAはまたサユースの座席を購入せざるを得なくなるため、金井さんが最後ということにはならないかもしれない。○9年後のISS金井さんの宇宙飛行が決定したことで、現在の日本人宇宙飛行の中で、宇宙飛行を経験していない人はいなくなる。現在のところ、ISSは2020年まで運用されることが決まっているが、米国などはそれを2024年まで延ばすことを提案している。すでにロシアやカナダはこの提案に賛同しており、日本と欧州は2016年まで決定を先送りするとしている。仮に2024年まで運用を延長することになったとしても、金井さんが現在38歳ということを考えると、9年後でも十分に現役として活躍できる年齢だ。実際にJAXAは、2013年11月に、宇宙飛行士の新規採用を当面の間凍結する、と明言している。この当面、というのが、具体的にどれぐらいの期間を指すのかはわからない。もっとも、それはJAXA自身も知らないし、決められることでもない。現在の日本の宇宙開発は、内閣府の中に設置された「宇宙開発戦略本部」が取り仕切っており、また同様に内閣府に設置されている「宇宙戦略室」が、計画の企画や立案、調整を、そして「宇宙政策委員会」が審査や意見などを行っている。しかし現在、これらの中では有人宇宙計画の評価はあまり高くなく、今の段階で決まりつつあることといえば、コストを削減した上での「きぼう」の継続的な運用や、宇宙ステーション補給機「こうのとり」の改良ぐらいで、ISS"以降"の、日本の有人宇宙計画については、何も具体的なことは決められていない。金井さんの例にみるように、新しい宇宙飛行士を育成するには年単位の時間がかかり、さらに新しい有人宇宙計画を立てるのにはそれ以上の時間がかかる。ISSの運用終了まで長くともあと9年、残された時間は多くはない。○米欧は火星や小惑星へ、ロシア、中国は新宇宙ステーション建造ところで、他国はISS以後の世界を、どのように見据えているのだろうか。まず米国NASAは、かねてより月や火星、小惑星を有人探査を行う計画を進めており、現在はそのための新型宇宙船「オライオン」と、新型の超大型ロケット「スペース・ローンチ・システム」(SLS)の開発を行っている。オライオンは2014年12月に無人での試験飛行に成功し、2018年11月にはSLSの初打ち上げも兼ねて、月まで行って帰ってくる無人の試験飛行を行う予定を立てている。有人飛行は2021年以降に予定されており、月の近くまで運んできた小惑星に宇宙飛行士を送り込んで探査が行われる。そして2030年代には、火星への有人飛行が計画されている。また欧州は、この米国の計画に参加する意向を示しており、オライオン宇宙船の「サーヴィス・モジュール」と呼ばれる、エンジンやバッテリー、生命維持装置などが搭載されている部分の開発と製造は、欧州側が担うことになっている。これは計画の首根っこを押さえているのと同じであり、計画の内容などに対して、ある程度の口出しができる権利をもつ。一方ロシアは、ISSに結合されているロシア側のモジュールの中から、比較的新しいモジュールだけを分離して独立、さらにそこに新しいモジュールを結合させて、新しい宇宙ステーションを造る構想を持っている。ロシアが主導権を握る形にはなるものの、欧米にも参加を呼びかけてはおり、第2の国際宇宙ステーションのような存在になる可能性もある。また、その先には月の有人探査も視野に入れているという。ただ、ロシアは近年、宇宙産業の力が低下しており、また連邦予算も厳しい状況にあるため、今後計画がどうなるかはまだわからない。中国は2003年に「神舟五号」宇宙船によって有人宇宙飛行に成功し、2008年には「神舟七号」によって船外活動(宇宙遊泳)にも成功している。さらに2011年には、宇宙ステーション「天宮一号」の打ち上げにも成功し、無人の神舟宇宙船によるドッキング試験を経て、有人の「神舟九号」と「神舟十号」が訪れ、「天宮一号」の内部で科学実験などが行われるなど、ゆっくりとではあるが、着実に有人宇宙開発を進めている。そして現在は「天宮二号」の開発を進めると同時に、より大型の宇宙ステーション「天宮」の開発も進めており、2018年に最初のモジュールを打ち上げ、2022年以降に完成させる予定とされる。もし予定通り計画が進めば、2022年から2024年にかけて、宇宙にISSと「天宮」の、2つの大型宇宙ステーションが存在することになる。また、最近ESAは、中国との宇宙開発における協力体制を強化することを検討しており、たとえばESAの宇宙飛行士が「天宮」を訪れる、ということもあるかもしれない。その他、インドも独自の有人宇宙船の開発を進めており、2014年12月には無人でのサブオービタル(軌道に乗らない)飛行試験に成功している。いずれは実際に人を乗せ、地球をまわる軌道に打ち上げることが計画されている。また、イランも有人宇宙船の開発を進めており、数年のうちにサブオービタル飛行を行うとしている。○日本はどの選択を採るかこの状況の中で、まずロシアや中国の宇宙計画に参加することはまず考えられないし、ましてや、日本が独自に何らかの有人宇宙計画を立ち上げることも考えにくいため、米国と歩調を合わせるか、あるいは有人宇宙活動そのものを止めてしまうか、という選択肢しかないだろう。しかし前者の場合、欧州がオライオンのサーヴィス・モジュールの開発で、計画の根幹を握っているのと比べると、日本がこれから参加を表明したところで、貢献できる部分は少ない。たとえば「はやぶさ」のような無人探査機で、有人探査の露払いをすることなどは考えられるが、それは日本でなければできないことではない。また、そもそもミッションの内容からして、参加できる宇宙飛行士の人数はISSより少なくなるため、日本人宇宙飛行士が搭乗できる機会も必然的に少なくなる。そのため、貢献に見合うだけの利益が得られるかはわからない。参加するにしても、「どういう形で参加するのか」が重要となり、大きな議論となるだろう。たとえば年間何百億という予算を使いながら、アポロ計画以来初めて月に降り立つ宇宙船に、日本人宇宙飛行士が乗っていなければ、大きな批判を受けることになるかもしれない。毛利衛宇宙飛行士がスペース・シャトルで宇宙を飛んでから、今年で23年になる。以来、宇宙開発事業団(NASDA)、そして現在JAXAは、有人宇宙船を持たないながらも、有人宇宙活動に関する知見を着実に蓄積してきている。その実績をどう生かすのか。あるいは、捨ててしまうのか。選択のときが迫っている。国際宇宙ステーションを越え、月や火星、小惑星、そしてさらにその先の世界で挑みたいと夢見ている少年・少女たちは、今も日本中に大勢いるはずだ。たとえ困難な道でも、何らかの形で、彼らに夢を叶えるチャンスが訪れ、そして油井さんや大西さん、金井さんらの跡を継ぐ、新しい世代の宇宙飛行士が生まれることを切に願いたい。参考・・・・・
2015年09月01日●自衛隊時代に培った知識を宇宙に国際宇宙ステーション(ISS)第54/55次の長期滞在搭乗員に決定した金井宣茂宇宙飛行士は東京都生まれの38歳。同宇宙飛行士は、防衛医科大学校を卒業後、自衛隊呉病院などを経て、海上自衛隊 第一学術科学校 衛生課に所属し、2009年に日本人宇宙飛行士候補者として選抜された。自衛隊時代は潜水艦などに搭乗し、乗組員の精神状態を管理していたという。2年後に予定されているミッションに向けて意気込む金井宇宙飛行士に話しを伺った。○水中医学というユニークな経歴を宇宙へ持っていく-- このたびはISSへの長期滞在決定、おめでとうございます。金井宇宙飛行士が、宇宙飛行士を目指したきっかけは何だったのでしょうか?もともと子供の頃に宇宙に興味があったわけではなく、当時は毛利さんとか向井さんのミッションが取り上げられていて「スペースシャトルってすごいな」くらいに思っていたので、まさか自分が宇宙飛行士になるとは想像していませんでした。大人になって海上自衛隊で仕事をするうちに、水中医学という特殊な環境での医学運用やオペレーションのサポート作業をしていくと、それが有人宇宙飛行のミッションサポートや医学的問題に通じることが多い事に気づきまして、だんだん宇宙飛行という潜水とは全く違う世界に自分がこれまで勉強してきたことを持っていったら何か面白い仕事ができるんじゃないかなと感じ始めたところから宇宙飛行士を目指すようになりました。--そうすると自衛隊に入隊されてからある程度時間が経った後に宇宙飛行士を目指したということになりますが、目指し始めてからどれくらいの期間で実際に宇宙飛行士になれたのでしょうか?私は2005年から2006年にかけて半年ほど米海軍に勉強に行かせてもらっていて、日本に帰ってきたくらいから宇宙飛行士を目指そうということを決めて勉強をしたり情報集めたりしていました。それから2008年4月に宇宙飛行士の応募があって、タイムリーに「宇宙飛行士になってみませんか」という話が舞い込んできたわけです。本当にご縁がご縁を呼んで、いつの間にかこの場所にいるという感じです。--金井宇宙飛行士の場合はタイミングもかなり良かったということなんですね。宇宙飛行士になるにあたって訓練などで、自衛隊時代の経験が活きているなと感じますか?自衛隊で仕事をしていて良かったなと思うのは、集団生活が全然苦にならないとうことです。ほかには入隊したばかりの新人教育でわざと理不尽なことを言われたりなどしたことは、メンタル面での鍛錬につながったと感じます。--そういったご経験は宇宙飛行士の選抜でも有利に働いたのでしょうか?私は採用する立場ではないのでなぜ選ばれたのかはわからないですが、「私は普通の人では体験できないような経験をもっているので、この経歴を宇宙業界でうまく使ってください」ということをアピールしたので、ユニークな経歴という点を買っていただいたのかなとは感じています。○普通の人が宇宙に安心して行けるように--そのユニークなご経験についてもう少し詳しくお伺いさせてください。海上自衛隊時代は潜水艦乗組員の健康状態や精神状態をチェックされていたそうですが、これまでの宇宙飛行士の訓練の中で、潜水艦と共通する点はあるのでしょうか?(海上自衛隊時代は)将来に不安を抱いている若い幹部候補生の悩みを聞いたり、人間関係に悩みを抱いて船を降りたいという隊員の心理状況を確認して、配置を変わってもらったりといったことをやっていました。なので閉鎖環境でどういう気の持ちようでいたらいいのかとか、孤独になったり寂しくなったりしないためにどうしたら良いのかという知識や自分なりの対処法などは、過去に学んだものが使えているんじゃないかなと思います。--逆に宇宙と深海で違う部分はあるのでしょうか?宇宙がユニークなのは無重力ということで、無重力がゆえのいろいろな体の問題があります。例えば体液シフトといって、地上では体の下半身にたまっている体液が相対的に上半身に分布するので、顔がむくんだり、ずっと鼻づまりがしているような感じがしたり、ひどい人では頭が痛くなったりします。そういう宇宙ならではの体の変化というものを自分で経験してみないとと思っています。宇宙にはこれまで限られた人しかいっていなくて、全てのデータがきちんと残っているわけではないし、昔は研究していなかったことが実は問題があるということがわかって、最近になって調べ始めたりしています。宇宙医学はまだ始まったばかりで、もっと色んな人が宇宙に行ってそこでどういうことが起きるのかを調べる必要があります。その始まりの部分に私は携わらせてもらっているので非常に面白いです。また、これは記者会見でも述べさせてもらったことなのですが、地球低軌道を色々な人に使ってもらうこと、もっと言うと海外旅行に行くような感覚で普通の人が宇宙空間に行って帰ってくることを考えると、「高血圧があるんだけど大丈夫なの?」「体に障害があるんだけどそれでも宇宙を楽しめるの?」と聞かれたときに「もちろんです!」と言えるだけの宇宙医学のバックグラウンドであったり安全な宇宙技術というものを先に進めたいと思っています。●「宇宙医学」は日本宇宙開発の強みとなり得る○アメリカとロシアは日本と違う感覚を持っている--宇宙旅行の実現というと、どうしてもロケットなどハードの部分が注目されがちですが、それを利用する人に対してのケアも重要なのですね。話は変わりますが、金井宇宙飛行士はソユーズロケットでISSへ飛び立つことになります。ロシアでは少し前に事故が続きましたが、同国の宇宙開発についてはどのような印象をお持ちでしょうか?宇宙飛行士の感覚としては非常に信頼感がある開発と言えますね。事故は続きましたが、それは有人ではないロケットでの事故でした。ロシアはそこを割り切っていて、全てのロケットを有人飛行と同じレベルでやろうと思うとすごいお金がかかってしまいます。(無人ロケットでは)そこまで求めずに、ある程度リスクは許容して安く、たくさん打ち上げると。逆に有人の方は多少お金がかかっても安全性をきちっとやります。特にソユーズは昔から使われている宇宙船で信頼性は高いと感じます。面白いのは米ロは失敗を悪いと思わないんですね。日本の場合は失敗すると大問題になりますが、彼らは「ロケットは難しいんだから落ちて当たり前でしょ」と、落ちても大丈夫なようなスケジューリングであったり安全管理をしています。もちろん、なぜ落ちたのかという点は厳しく追究して次に活かします。そういったところが合理的というか日本人とは違う感覚だなと感じますね。--日本と米ロでは宇宙開発に対する感覚の違いがあると。以前ある日本人宇宙飛行士の方が「アメリカの宇宙船は飛行機で、ロシアの宇宙船は潜水艦のようだ」と仰っていましたが、金井宇宙飛行士はそういった感覚はお持ちですか?空気清浄機であったり二酸化炭素を取らなきゃいけないとか、たしかに宇宙船と潜水艦ってテクノロジーの部分で似てますよね。またソユーズは信頼性の高い古典的な技術が使われているので、潜水艦でも使われている技術がソユーズでも使われていることも考えられます。あとソユーズには船長の足下に潜望鏡がついていて、それを覗きながらドッキングをします。そういった意味でも「ロシアの宇宙船は潜水艦のようだ」という比喩は面白いですね。○宇宙医学を日本宇宙開発の強みに--それでは最後のトピックについてお話を伺っていきたいのですが、医学分野のご出身という観点から、ISSでのミッション全体を通じて、どのようなことを期待していらっしゃいますか?宇宙開発は国際協調であると同時に国際競争でもあります。NASAとかロシアは組織の大きさであったり予算の多さでこれまで非常に良い仕事をどんどんやってきました。それ自体は非常に良い事なんですが、その中でJAXAが光っていくためには何をすれば良いのかと考えたときに、宇宙医学という分野で日本の強さを見せることができるのではないかと考えています。(宇宙医学という分野は)先輩宇宙飛行士の向井千秋さんが立ち上げて、古川さんが中心となって世界レベルの研究を推し進めようとしています。チームジャパンとして勝負していく中で、宇宙医学を宇宙飛行士としてサポートできれば良いなと思います。--「宇宙医学が日本の強みとなる」と仰るのはどのような技術が根拠となるのでしょうか?日本はタンパク結晶実験というのをスペースシャトルの時代から続けてきました。NASAもやっていたのですが、あまりうまくいかなかったので途中でやめてしまいました。日本だけが地道に続けてきて、それが今花開いてタンパクが実は筋ジストロフィーや歯周病の薬になるんじゃないかといった成果に結びつきつつあります。このノウハウは日本しか持っていないもので、この知見をもとにもっと効率良い方法でできないかというところを急ピッチで進めています。こうした強みを伸ばしていくということをやっていかなければならないと思います。また、マウスを宇宙へ連れて行って戻すという実験を油井さんが今やっていますが、2年後は宇宙でマウスの子供を作って、大人になってから地球へ戻すということができるかもしれません。ほ乳類は宇宙で生育できるのかということを検証するということは、月の周りにコロニーを作ってそこで人間が繁栄する、といった昔アニメで見たような世界が近い状況にあるということになって、そういう実験を担当するかもしれないと思うと非常に楽しみです。--2年後の科学技術の進歩によって可能性はさらに広がりますね。無重力って面白くて、例えばiPS細胞などでは3Dの臓器を作る上で重力が難しさを生んでしまっているところがあります。もし重力が無いことで機能する臓器をより手軽に作ることができれば、そのノウハウを重力下での臓器作成に活用できるかもしれません。アイデア次第で宇宙は色んなことに使えますので、より多くの研究機関を惹き付けるような営業活動もやっていかなければいけないと思います。実際、時代の流れとしてそういう方向に行っていますので、2年後いろいろな産業が宇宙に入ってくることで今では想像できないようなイノベーションが起こるんじゃないかなと期待しています。
2015年08月31日宇宙航空研究開発機構(JAXA)は8月26日、金井宣茂宇宙飛行士を、国際宇宙ステーション(ISS)第54次/55次の長期滞在搭乗員に任命決定したと発表した。同宇宙飛行士は2017年11月頃にロシアのソユーズ宇宙船で打ち上げられ、約6カ月間ISSに滞在することになる。滞在中はフライトエンジニアとしてISSの運用や宇宙環境を利用した科学実験を担当する。今後は、ロシアのソユーズ宇宙船の搭乗およびISSの長期滞在に必要な訓練を来年1月から開始する予定だ。金井宇宙飛行士は、東京都生まれの38歳。防衛医科大学校医学科を卒業後、防衛医科大学校病院、自衛隊呉病院などを経て、海上自衛隊 第一術科学校 衛生課に所属。2009年に日本人宇宙飛行士候補者として選抜されたのち、2011年にISS搭乗宇宙飛行士として認定された。その後も、米国海底研究施設でのアメリカ航空宇宙局(NASA)極限環境ミッション運用(NEEMO)訓練に参加するなど、研鑽を重ねていた。今回の決定を受けて同宇宙飛行士は「これまで、NASAをはじめ世界中から高い評価を受けてきた日本人宇宙飛行士の先輩に引き続いて、このような重大な任務を任せていただいたことに誇りを感じるとともに、寄せられる大きな期待に応えるためには、これから2年あまりの訓練に臨むにあたり、相当な覚悟をもっていかなければならないと心を引き締めております。」とのコメントを発表している。
2015年08月27日7月23日、油井亀美也宇宙飛行士ら3人の打ち上げ中継を、フロリダ沖の海底基地で見守る人たちがいた。金井宣茂JAXA宇宙飛行士を含む欧州、NASAの宇宙飛行士たちだ。「我々3人は油井飛行士と一緒にNASAで訓練を受けた同級生。宇宙に行くチャンスが身近に迫ってきているのを感じて、興奮した」と金井飛行士は笑顔で言った。7月20日(月)から14日間、金井飛行士らは海底基地で行われるNASAの訓練に参加した。「NEEMO(NASA Extreme Environment Mission Operations)」は国際宇宙ステーション(ISS)のリハーサルとも呼ばれる訓練で今回が20回目。ISSで長期滞在を行う宇宙飛行士のほとんどはこの海底訓練を経て宇宙に飛ぶ。NEEMO訓練に参加する宇宙飛行士たちは、アストロノート(宇宙飛行士)をもじってアクアノートと呼ばれる。なぜ、宇宙に行くために海底で訓練をするのだろう? ポイントは2つある。1つは環境が似ていること。海底20mにある基地アクエリアスは、さながら「海底にある宇宙ステーション」。幅3m×長さ約15m(「きぼう」日本実験棟船内実験室をやや細長くした大きさ)の基地内は空気で満たされシャツ姿で暮らせるが、空気や電力・通信など生命維持のための機能はすべて外部から供給されていて、常に安全を意識しなければならない。また簡単には外に出られない「隔離環境」であり緊張感を伴う点がISSと似ている。2つ目はその閉鎖環境を利用して、宇宙と同じようにミッション(任務)を行うこと。アクアノートたちのスケジュールは分刻みで決められている。さらに宇宙飛行中と同じように、海上にミッションコントロールセンター(管制室)が設けられ、管制官と密に交信しながら作業が行われていく。金井飛行士によると、今回のNEEMO訓練ではこの通信をわざと10分遅らせてやりとりしているという。「将来、火星に行くことを想定すると、火星との交信には往復で20分かかります。すぐに会話ができない中でどのようにミッションを効率的に行うか。10分のタイムラグでストレスがかかると同時に、知的好奇心が刺激されてさまざまなアイデアを仲間うちで話ながら進めています」(金井飛行士)。チームにはコマンダー(船長)役の宇宙飛行士がいる。様々なトラブルを乗り越えてチームワークやリーダーシップ、フォロワーシップを磨きながら、仕事を安全確実に行っていくことが、この訓練の大きな目的だ。○将来の火星探査を見据えて14日間の訓練中には、海底を火星と見立ててアクアノートたちが船外活動を行った。「NASAは急ピッチでISS後の話し合いをしています。小惑星や火星ミッションなどのアイデアが出ているが、具体的な技術について、何が将来の探査に必要なのか、NASAもまだ手探り状態と感じている」と金井飛行士は指摘する。たとえば重力の小さな小惑星や火星の衛星を探査する際、足場はどうするのか。磁気がなくコンパスが使えない火星でどうやってナビゲーションを行うのか、など実際に活動するために検証しなければならない課題は多い。海底の活動時、宇宙服に取り付ける錘の重さを変えることによって、火星に近い重力を作り出すことができる。アクアノートたちは「海底の火星」でさまざまなツールの作業性や手法を検証する。また、海底基地内ではITツールの検証も行った。たとえばメガネ型ウェアラブル端末。今回、金井飛行士は会見中にマイクロソフトの現実拡張ヘッドマウントディスプレイ「HoloLens」を見せ、「ISSや月のミッションを想定して作業性を評価している」と説明してくれた。宇宙飛行士が見た風景を地上の科学者も同じように見られるかもしれない、という可能性が広がるツールだ。元々、金井宣茂宇宙飛行士は、海上自衛隊のお医者さんで、ダイバーの健康管理も行っていた。アメリカで一年間、潜水医学を学んだ際、潜水医学のドクターが宇宙飛行士になった事実を知り、宇宙飛行士を目指すようになった。「自衛隊時代はサポート役で地上に残りダイバーの健康管理を確認する役目でした。実際に潜ってみてこんなに大変だったのかと新しい発見があった」と吐露する。NEEMO訓練初期にはチームワークで失敗ばかり。多国籍の仲間と一緒に仕事をする中で相手の嫌な面を見ていたが、訓練が進むにつれて、得意な面が見えるようになり、「今ではあうんの呼吸で仕事ができるようになった」という。「日本の強みは宇宙医学。力量と経験を高め、次世代の宇宙飛行士として将来の日本の宇宙開発を担っていきたい。」海底から宇宙をめざし、力強く抱負を語った。
2015年08月06日