1984年横浜生まれ 東京都在住 イラストレーター・エッセイスト・漫画家 アジア、中南米などの海外ひとり旅、メキシコ留学の経験から生まれたカラフルでピースフルな作風で、観る人を優しい気持ちにしてくれる不思議な力を持つアーティスト。 NHK総合「妄想ニホン料理」を始めとするテレビ番組のアートワークや広告、雑誌などの紙媒体を中心に、アニメ、キャラクターデザインから、 旅エッセイの連載、映画、テレビ番組、ラジオ、トークショーなどゲスト出演するなど幅広く活動中。 2011年、著書 旅エッセイ「おかっぱちゃん旅に出る」(小学館文庫)がNHK Eテレでアニメ化。 現在、コミュニケーションを目的としたアトリエ兼、イベントスペース「東京おかっぱちゃんハウス」を東京練馬区にオープン。 2015年5月 第一子を出産、一児の母として育児に奮闘中。 ブージル公式ホームページ
イラストレーターのBoojil(ブージル)ことおかっぱちゃんが、新米ママとして育児に奮闘する様子を連載でお届けする、子育てイラストコラムです。
2歳にはいってからというもの、ここ最近朝から晩まであらゆる場面で、息子の行動に対し何かと手伝おうとすると、「いや!かんちゃんがやるのお」と、主張するようになってきた。 うすうす感じてはいたものの、やはりそうか、これが2歳児に必ずや訪れると言われる 「イヤイヤ期」 なのか。 ■なんでもイヤ! 家事も仕事も円満に行かなくなってきた 「朝ごはんを食べよう。」と誘っても、「イヤイヤ!」 「お風呂にはろう。」と誘っても「イヤイヤ」 「着替えるよ。」と頼んでも「イヤイヤ」 「イヤ! イヤ!」とはいえ 自立心が芽生えている証拠 。 自分で何事にも支配されず、行動したいという気持ちが出ているんだろう。 周りの子どもをもつ友人たちから話は聞いていたし、そこまで驚くことはなかったけれど…。 母としては、いろいろ嫌がられることで、 家事も仕事も円滑にいかないわけで大変困る 。 保育園に送りだすときも、この「イヤイヤ!」のせいで時間がかかってしまう。 本人の思いどおりにいかないことがあると、わが息子は鬼の形相になり「びえーーーーー!」と泣く始末。 どこまで見守ったらよいものか、判断が難しい。 こりゃまいったなぁ。 ■事件勃発! そのとき心の中で悲鳴をあげた そんな時期に事件は起きた。 その日は夕飯を近所のうどん屋で食べることにしていた。 うどんならいつだってよく食べるほど、麺類は特に息子が好んでいた。多くのお客さんで常ににぎわっている店内。子連れのお母さん方もたくさんいた。 うどん好きの息子だけれど、その日は食べるペースがとくに遅かった。 注文した、釜玉うどんがサーブされてから、かなりゆるかなペースで食べ始めた息子。 30分経過、45分経過、1時間…経過。のびきっているうどん。 体調が悪い様子もないし、ただ食べるのが面倒臭い様子。 残り少々という感じだし、もう出るか。 「もうごちそうさまかな? いいね? お片づけして」 なんとなく、息子がうなづいたように見えたので、ささっと片付け息子を抱っこして、店内を出ようとすると… 「めんめん(麺)~!! めんめん~!!!! まだぁ~、まだ、たべるのおおおおお」 突然息子が奇声をあげた。 店内に声を響き渡る…。心の中でこう叫ぶ私(いやー! やめてーー!) 「また食べにこようね」 「だいじょうぶだよ~いつでも食べられるから」 などなだめてはみたものの、どんな言葉もNG。息子の気持ちは落ち着かない様子。 もう完全に残飯化していたうどんを、息子は最後まで食べたかったようだった。 しかしながら、すでに片付けられてしまった器を流し場から引き取る訳にもいかないし、もう一度注文する訳にもいかない。夫もわたしも腹はパンパンだ。 「めんめん(麺)~!! めんめん~!!!!」外に出ても号泣し、怒り狂う息子。 家に帰るまでずっとこの調子だった。 いつもは穏やかに接することを守ってきたけれど、この時ばかりは我慢ができず 「そいだら、ひとりでうどん食べにもどりなさい!」と、びしーっと怒鳴ってしまっていた。 ■「めん、ごめん、めん、ごめん」涙と笑い まだ2歳の小さな息子に向かって、こんな発言をしてしまい、すぐに 自己嫌悪に襲われ、私も号泣 。突然怒り出し、そのあと涙を流す母に相当驚いたのか、息子が泣きながら、私にかけよってきた。 「めんめん…めんめん…」まだうどんに想いをはせている息子。 「ごめん…ごめん…」 「めん、ごめん、めん、ごめん」 言葉選びがよくわからないカオス状態になってきて、途中から笑えてきた。 息子にきちんと「おかあさんがわるかった、ごめんね。またうどんたべにいこうね」と言ったら、ようやく落ち着きを取り戻した。 そうか、ごめんって言って欲しかったんだなあ。 ただ優しく声をかけてほしかっただけだったのかも。 ■母も息子も成長する、そして… 「イヤイヤ期があることで、子どもは成長する」とはよく聞くけれど、母の私も息子と同じように成長させられるのだった。息子が2歳ということは、私もお母さんになって2年ということ。 こうして、しばらくの間「イヤイヤ期」はなくならなかったけれど、息子のおしゃべりが上手になってくると、意思疎通が上手も上手にとれるようになり、3歳に近づくにつれ「イヤ!」と言うことが次第に減っていったのだった。 <読者のみなさまへ> 読者の皆様いつも 「おかっぱちゃんの子育て奮闘日記」 を、お読みいただきましてありがとうございます。 長く続けてきた連載ですが、ただいま 第二子出産を春に予定 しております関係で、今回の掲載分で、Boojilの連載は一度休載させていただきます。 子育てがスタートしてから、ありとあらゆるものに変化がありました。 家庭内のことだけでなく、仕事や自分の考え方、全てに子どもからたくさんの刺激をもらっています。 第二子誕生を目前に、またあのどえらい痛みに耐えなくてはならないのだなあ。と陣痛が来るのが恐ろしくて仕方ありませんが、ふわふわの新生児をまたこの手に抱けると思うと、楽しみでなりません。 産後、また落ち着いた頃に連載を再開する予定でおりますので、みなさまどうぞその時まで楽しみにしていてください! それではみなさま、ごきげんよう! Instagramで近況はお伝えできればと思います。 Boojil: Instagram
2019年03月06日息子が2歳を迎えてしばらくした頃、初めて 屋外の音楽フェス に息子を連れて家族で出かけることにした。 音楽好きの夫にとって、子どもが生まれてからというもの、ライブハウスに足を運ぶことがめっきり減ってしまったこともあり、 子連れでライブ を鑑賞することはかねてからの夢であった。 私たち夫婦は結婚するずっと前、フジロックや朝霧JAMなど国内外のミュージシャンが集う、屋外で開催されるライブイベントに毎年のように通っており、朝から翌朝まで一睡もせず夜通し遊びつくしたものだった。 しかしながら、屋外で開催される音楽フェスをあまく見てはいけない。日帰りで行けるものもあれば、数泊するようなキャンプインのイベントまで内容はさまざま。 天候次第で天国にも地獄にもなる。 会場のサイズにもよるが、日本最大級とされる屋外ライブイベント“フジロック”では、一番奥のライブステージから、入場口付近の一番手前とされるライブステージまで大人の足で、徒歩1時間程度かかる。 体力もそれなりに必要だし、夏でも高地で開催されるため、防寒着やアウトドア用品を一とおり準備しなくては、安心できない。 それが子連れにで参加しようものなら、楽しむことだけを優先するのではなく、 子どものペース にあわせつつ、様子を見ながら楽しむ必要がある。 独身時代、フジロックに参加した際、連日大雨でテントが浸水しかけたことがある。あれは、苦行だった。 大雨でも降ろうものなら、子連れで参加する場合、守るべきものは自分より子ども優先で動かなければいけないのだから会場に向かうには、 念入りな事前準備やイメトレ が必要だ。 それでも、2歳ともなればいくらか楽しめるのではないか? 子連れでも、きっと行けないことはないだろう。 そんな想いから、いろいろ調べていたら、子連れでもちょうどよさそうなイベントを発見。 愛知県の蒲郡で毎年開催されている 「森、道、市場」 。 3日間の開催でチケット代も手頃。会場は海沿いにありながら、大規模なマーケットや、遊園地、ショッピングモールまでエリアを拡大し、どの場所も1枚のチケットで楽しめるとのこと。 これならば子連れでも場所に飽きることなく、楽しめそうだ。 ライブ観賞に疲れたら遊園地に立ち寄るのも良いし、過ごしやすそうだ。 いつも屋外イベントといったら、会場内でキャンプをすることが多かったのだけれど、今回は会場まで移動しやすい場所にあるビジネスホテルを予約した。 イベント前夜、東京から車で5時間程度、走り続け愛知県に到着。 そのままスムーズにホテルに移動し、しばし休憩。もう時刻は21時なっていた。 息子もさすがに眠そうにしている。 「明日、楽しみだね~! そういえばチケットってどうしたっけ?」と夫に聞くと、 「あぁ、チケット。途中で寄ったコンビニで受け取ったよ!」と、夫が答えながら財布を確認する。 「あれ…ない…ないな…」困惑する夫。 。 「え??」 いやたしかかに夫は移動中立ち寄ったコンビニで、チケットを引き取っていたはず。 運転席から出て行った姿も見ているし、チケットがなくなるわけがない。 夫が一生懸命思い出そうとしている横で、わたしも記憶をたどってみる。 そういえば、、コンビニから帰ってきたとき、両手にコーヒーを持っていたな… 夫に確認すると、まさか! 「あ!!!! あのコンビニにチケット置いてきたみたい」 チケットを購入したあと、コーヒーを注文し、チケットをレジに置き忘れたことを思い出した様子。顔面蒼白になっている夫に、怒りがおさまらない私。 カチーン! もう取りに戻っている時間はないし、新しく買いなおすことも馬鹿らしい。 「何のために来たのよ!!!!」 息子も母が突然怒り出したので、心配している様子。 途方に暮れていても何も始まらないので、息子をひとまず寝かしつけてからどうするか夫婦で考えることにした。 SNSで今回の事件について、報告すると… なんと運良く、チケットが余っているというお知り合いから連絡が!!!! こんなことってあるかしら! 舞い上がり、明日会場でお引き取りすることになった。 便利な世の中になったものだ…そして親切な方がいることに感動した。 当日、無事チケットを引き取り、2泊3日で楽しんだ「森、道、市場」。 子連れのお客さんもかなりの数いて、それぞれとても楽しんでいるようだった。どうしても観たいアーティストのライブはどちらかが、子守りをすることにした。 海で遊んだり、遊園地で乗り物に乗ったりして、子も親も楽しめるなんてすばらしいイベントだ。 普通の屋外イベントでは並びがちなトイレ問題や、飲食店問題も、困ったらすべて敷地内にあるショッピングモールで解決する。フードコートは和食から洋食、スイーツまでなんでもそろっている。 トイレ行列もなく、子どものトイレ問題もなくスムーズ。こんなに快適な遊び場があったなんて… 子連れでも楽しめるって本当にありがたい。 ハンバートハンバートや、never young beach((ネバーヤングビーチ))、CHARAなど、好きなミュージシャンのライブをほぼすべて鑑賞し、心はホクホク。息子も一緒にライブを鑑賞し、踊ったり笑ったりご満悦の様子。 いろんな飲食店が並んでいるので、おなかもおいしいもので満たされ、大満足で3日間過ごすことができた。天気にも恵まれ、本当に楽しかった。 幼いながらも、 第一線で活躍する音楽家たちの奏でる曲を生で聴ける機会 があるのは何かしら良い影響があるような気がする。 大人になったとき、忘れているかもしれないけれど、家族で過ごした良い思い出として感覚として覚えていてくれればうれしい。 一度は大喧嘩に発展しそうな道中だったけれど、これもまた良い思い出。子連れでの野外フェス参加のために、持ち物から当日の過ごし方まで、いっぱい悩んだかいはあった。 子連れで初めての屋外フェスは、大成功! 幼い頃から、息子をいろんな場所に連れ出してあげたいなあと思っている。 ※この体験談は、2017年のものとなります。
2019年02月27日子どもが生まれてからというもの、とにかく移動が大変になった。 東京では隣町に移動するには、電車やバスが基本になってくる。自転車で移動できる距離であっても、駐輪場を探すのに困ったりする。そもそもわが家にはママチャリがない。 子どもが大きくなれば抱っこ紐だけで移動するのも重くて大変。そうなると、登場するのはベビーカー。電車移動で乗り換えがある際、 ベビーカーでの移動 は、必ずと言っていいほどエレベーターを探すのに一苦労する。 ■ベビーカーあるある。いつエレベーターに乗れるの? 人混みをかき分け、エレベーターを発見するも一回で乗車できる人数には限りがある。 スムーズに移動できた試しがない。待ち合わせ時間より、かなり余裕をもって家を出発しないと大抵間に合わない。本当に東京都内のベビーカーでの移動には苦労する。 移動をスムーズにするためには、やっぱり車があったほうがいいのかも… ■親になったら車は必要なのか!? しかしながら、私たち夫婦はどちらも ペーパードライバー歴10年 を超える運転初心者で、夫はわたしを上回る自称“運転恐怖症”。 それでも、子どもといろんなところに出かけるには車が必要かもしれない…。 そんな考えを持ち始めた頃、友人から良い話をもらった。 「不要になった古い軽自動車があるんだけど、いる?」 こんな話は滅多にない。 ペーパードライバーを克服する良いタイミングではないか。 道は狭いし、交通量の多い都心を素人が運転するのは想像するだけで、とても、とても恐ろしいけれど、ちょっとここはがんばってみるとするか。 車を譲ってくれた友人に感謝し、わたしたちの挑戦は始まるのだった。 ■子どもの存在は親を強くする こうして、14年落ちの軽自動車をもらうことになった私たち。 はじめは赤信号で止まるごとに深く深呼吸をしていた夫も、私も少しずつ練習を重ね、ようやく一人でも緊張せずに運転できるようになっていった。 子どもが生まれても、いろんなことに挑戦できる ようになるのが面白い。 子は親を強くするものなのだなあ。 「やればできる」 をこの歳で体験できるなんて思ってもみなかった。 あれから1年が経ち、その期間いろんな場所に子どもを連れて車で出かけた。 運転も慣れてきたところで、初代軽自動車を卒業して、乗用車を購入。子どもの荷物が増え、トランクに収まらなくなってきたし、安全性も考え、買い替えを決断! 譲っていただいた軽自動車は、以前の私たちと同じように出産を機に車購入を考えている夫婦にお譲りした。 新しく購入した車は、中古車ではあるが、白のファミリータイプの七人乗り「ゴルフ トゥーラン(フォルクスワーゲン)」。夫が最初に買うならワーゲンがいいとの夢をどうにか叶えることができた。 車移動にもすっかり慣れた息子は、ここ最近、家族で車に乗ってどこかへ出かけるのがとても楽しみになってきたようで、私もうれしい。 これからさらにいろんな場所を家族で巡ることになるだろう。
2019年02月05日みなさんはお子さんの ヘアカット をどこで済ませているだろうか? 美容院にもいろいろ種類があり、キッズカットの格安メニューを用意されている美容室もあれば、大人と同じ料金のところも多い。 そもそもいくつになったら髪を切りにお店にいくものであるのか? 思い返せば、幼い頃、わたしは小学校高学年になるまでずっと母に切ってもらっていた気がする。 ■子どものヘアカットどうしてる? 息子も2歳を過ぎ、出生時、ツルツルだった坊主頭もこの2年でようやく一人前の毛量に育ち、そろそろ髪の毛を切ってもいいんじゃないかという時期に到達した。 美容院で 幼児の髪型に数千円投じる のは、もったいなく感じてしまう…。だってまだ2歳だし。 「子供のヘアカットをどうしてる?」 男の子を持つ友だち夫婦に相談したら、「ヘアスタイルの事で悩むのは時間とお金の無駄だ」と答えが返ってきた。その家では、子どもはバリカンで坊主頭スタイルを中学校まで通すことに決めているらしい。 「あぁ、そういう手もたしかにあるなあ」 いろんな家庭の意見を聞きつつ、いろいろ悩んだ末、どうせすぐ伸びるし…と、わたしたちは自分たちで、息子のヘアカットをすることに決めた。 ■子どもの断髪式直前、「まさか」の出来事が! 産まれて間もない頃、あまりにも毛が薄いのでこのまま大人になるまで薄いままだったらどうしたものか…。そんなことを想像したりもした。 とにかく、いまのいままで髪に対する執着が強すぎてヘアカットをしばらく怠っていた。 「断髪式はいつにしようか…」 ぼんやり考えながら近所を散歩していると、びっくり! 道端に“ご自由にどうぞ”と書かれたBOXが設置されていて、なかに子ども用のヘアカット用のケープが入っていた。しかも、未使用に近い美品。 どうやら家の建て直しをするタイミングで不要になったあらゆるものを、ご近所さんに無料配布しようという計画らしい。 これも何かの縁なので、ありがたく頂戴し家に持ち帰ることにした。 夕方、仕事を終え息子を保育園に迎えに行き、家に帰る途中で「かんちゃん、髪が長くなったから今日髪の毛切ってみようか」と、提案をしてみる。 「うん」と素直な返事が聞こえた。 家に帰るなり、さっそく準備に取り掛かった。 ■自宅で子どものヘアカットに挑戦! 天使の輪がついた、サラサラな髪。 子どもの髪はなぜこんなにも美しいのか。 赤ちゃんの頃、薄毛で悩んでいた頃が懐かしい。あれから2年半すっかりお兄さんになったものだ。 どんな髪型にしようかな。これといって理想の髪型もないので、少し短くするくらいでいいか。 息子には好きなテレビアニメでも見せておけば、きっと集中できるだろう。 しめしめ、口を開けてテレビに夢中になっているうちに、気軽な気持ちで、まずは前髪にハサミをいれてみる。そして、もみあげ、次に後ろの髪と、自分なりに整えてみた。 “チョキチョキチョキ” なかなか楽しい。 しかしながら、その様子を見ていた夫が驚いた顔で私に言った。 ■散髪に失敗!? ここで登場したのは… 「ちょっと!カッパみたいになってるよ!!」 「え!?」 「本当だ、、カッパだ。」 気づかぬうちに息子の髪を切りすぎていたようで、後ろ髪はだいぶばらつきがあり、前髪はカッパのようにギザギザな仕上がりになっていた。 これでは保育園の先生や保護者のみなさん、クラスメイトに笑われてしまう。 息子に申し訳ない気持ちでいっぱいに。 カッパ頭になってしまった息子の髪型を見て、さすがにこれではかわいそうだと、ここで夫が登場。 「見てられない! 貸して!!」 ハサミを取り上げ「チョキチョキチョキ!」慎重に切りそろえていく。 どこで習得したのか? 私よりもはるかに腕が良いようで、息子の髪型は前髪パッツンの、 おしゃれなショートヘアへと変身 した。 あやうくカッパ頭で登園するところだった息子は、父の力によってその道を回避した。これを機に我が家では、子供のヘアカットはお父さんが担当することがなった。 「この髪型じゃやだー!」とか、そんなことを言い出す年齢はいつやってくるのだろう。 きっとあっという間に大人に近づいていくんだろうなぁ。 そう思うとちょっぴり切ない。
2019年01月23日保育園に通うようになってから、毎日の慌ただしいサイクルにも少しずつ慣れ始めた頃、息子の2歳の誕生日がやってきた。 まだこの世に生まれて2年しか経っていないのか。 出産してから振り返ると、もう4、5年経っているような、そんな感覚。 夫婦二人だった頃と比べて、息子が生まれてから、時間の経過は何倍にも早く感じるようになった。 育児の大変さは、1歳児よりも少しは楽になったように思う。以前に比べたら だいぶ意思疎通ができるようになってきたのと、抱っこをする頻度も随分減って、体力的にも余裕が出てきた。 まだ、しっかりとしたおしゃべりは始まらないが、わたしのこと「ちゃーちゃん(母ちゃん)」と呼んでくれるようになったのも、また成長を感じる。 子供を授かってから、この2年で自分も大きく成長したような気持ちだ。 立派なお母さんとはまだまだ言えないけれど、自分なりに忙しいながらも、大切に大切に育ててきたつもりだ。 何歳になっても誕生日は特別な日。 息子の年に一度のお祝い。2歳の誕生日は何をあげようか? おもちゃ? うーん、もうすでに祖父母からもらったものがたくさんある。 すでに部屋の一角は息子のおもちゃでいっぱいだ。 夫と数週間前から相談して、悩みに悩んで決めたのは「レコードプレーヤー」だった。 音楽好きの夫は数ヶ月前に初めてレコードプレーヤーを購入し、デジタルからアナログの世界にどっぷりはまり、息子もまたその脇で、父親と一緒に音楽鑑賞を楽しむようになった。 お父さんのレコードを触りたくて仕方がないようで、注意されるたびに泣いていた。息子が自由に触れるレコードがあったらどんなにいいか。 夫が集めているレコードは、主にわたしたちの親世代が聞いていたひと昔前の歌謡曲から、ポップス。 山下達郎やユーミン、大貫妙子にYMO。いま聴いても、かっこいい。 わたしも大好きな憧れの人たち。 洋楽もありとあらゆるジャンルを好む、夫の趣味を体全体で受け止めている息子。 お気に入りの曲がかかると、激しく踊り出し、独特の舞とシャウトで音の世界に陶酔している様子。 こんな姿を見せられてしまうと、親バカとしては音楽に触れる機会をもっと増やしてやろうと思ってしまうものだ。 レコードプレーヤーといっても価格はピンキリ。万が一、息子が飽きても家庭で楽しめるよう、ある程度壊れにくい本格的なものがよいと、ネットでいろいろ調べてみると… 吉祥寺のHMVレコーズにミッキーマウスの絵が描かれたトランク型のレコードプレーヤーがわりと手頃な値段で販売されている情報を得た。 誕生日前日、息子が保育園で過ごしている間に、ダッシュで吉祥寺のHMVへ出かけた。 店内の一番奥に飾られたミッキーマウスのレコードプレーヤー。すぐさま店員さんを呼んで、一台購入した。トランク型で持ち運びができる点が良い。きっと喜んでくれるに違いない! レコードプレーヤーだけでは音楽は楽しめないので、あわせてレコードもプレゼントすることに。息子が好きなマイケルジャクソンが幼少期、活動していたグループ「Jackson 5」の3rdアルバムも購入し、息子の誕生日プレゼントにすることにした。 誕生日ケーキを用意して、夕飯後に「誕生日おめでとう~」とお祝い! 息子にプレゼントを与えると、興奮した様子で早く開けてくれとせがまれた。 レコードプレーヤーを見た息子は、目をまん丸くし、とてもうれしそうな顔をして、買ってもらったばかりの「JACKSON 5」のレコードを自分の手でかけだした。 この技も、夫がレコードをかけている様子を間近で見て、息子が勝手にやり方を学んでいたようだ。 よく観察しているものだなあと感心する。 「マ!マ!マ!」(マイケル・ジャクソンのこと) 回るレコードを指差し、大きな声で「マイケル・ジャクソンだー!」と言っている様子。 どうやら大変気に入ったようで、私たちも心から喜んだ。 「I will be there」という曲を聴きながら、歌詞カードを読むと 「君を守るため、僕はそこにいる。」と書かれていた。 夫とふたり顔をあわせ、良いプレゼントになったね。とうなづいた。 きっと、この誕生日プレゼントは、わたしたちが年老いて、そのうちヨボヨボになって力尽きていなくなっちゃっても、きっとずっと大切にされて、家のどこかにとっておくだろう。 音楽は時を超えて、息子がいつか寂しくなった時に、心を癒やしてくれるといいな、と思う。 デジタル化が進み、部屋で聞くBGMはすべてi-podなどで選曲しているご家庭も多いだろう。 大切なデジタル機器は、どうしても子どもに触らせたくない。 昔のレコードはプレミアがついているものは、さすがに高級だけれど、それ以外の昭和歌謡曲なんかは、中古のレコード屋で50円程度から売られている。 幼いながらも自分の好きな曲を自由に選曲できるアナログレコードは 子どもの感性を磨くには、ぴったりのプレゼントだったのかもしれない。 つづく
2018年12月20日息子の保育園生活がスタートし、少しは時間に余裕が出るかと思っていたけれど、朝はとにかく忙しい。 アフロヘアだった夫も、髪を整えるのに時間がかかるとのことで、朝の支度を早くするべく、髭だけは残したものの、髪をバッサリ切り、爽やかな昔の姿に戻り綺麗になった。 身なりを整えたくなるなんて…! 先生方から好印象を持たれたいのだろうか。保育園パワーおそろべし。 わが家は夫婦共働き。通勤がない分、起床時間は遅めの7時起床。夫のヘアセットの時間が省かれたとしても、朝の支度には時間がかかる。 朝の苦手な夫をまず起こすところからスタート。そして朝食の準備、保育園の準備をして息子を送り届ける。9時登園なので、起きてから約2時間で全ての準備を終わらせなくてはならない。 息子の準備だけではなく、家事も終わらせなくてはならない。そして、自分の準備もそこには含まれていて、すっぴんでボザボサの髪を整える必要がある。 保育園のママさんたちに、パジャマ姿のまま「おはようございます~!」と挨拶できたらどんなに楽か……。 しかしながら、そうもいかないのが現実。朝、息子を送り届けるまでは戦場だ。ワンオペ育児状態に陥るのだけは避けたい! そう願って、保育園生活が本格的にスタートした直後、私一人では大変なので、わが家では全てのことを分担することにした。 朝食を作り、家事をする人はA、息子の準備して送り届ける人はB。曜日ごとにも、送迎をどちらがするかを決めた。平日の半分ずつ、AとBを入れ替える。 まるで旅館の露天風呂の女湯、男湯が入れ替わるシステムとわが家の家事・育児はシステム化した。取り決めをしないとスムーズに動くことができない。 独身時代の27年もの間、ずっと実家暮らしだった夫は、脱サラをしてからというもの、みるみるうちにスーパーお父さんに近づいていく。掃除、洗濯、料理も育児もなんでもできる。お風呂を洗ったこともなかった人が、こんな風に成長するとは驚きだ。 人間いくつになっても、変われるものなのかもしれない。 そういうわたしも、台所に立つ時間も独身時代から比べたらずいぶんと増えたものだ。掃除だって昔に比べてば上手くなったのかもしれない。 息子がわたしたちを成長させてくれたのだなぁ、と思う。こうして、わが家はどうにかワンオペ育児にならずに済んだけれど、実際にご主人の出社が早く、帰宅時間が遅い場合などはどうしたら良いのか。そういうケースは妻が全ての育児を抱えるようなことになりがちだ。 サポートできることを自分なりに考えて、ケアしてあげられたら、夫婦の関係も円満になるような気がする。 それは家事や育児だけに限らなくて「いつもありがとう」と、声をかけてくれるだけで、きっとずっと気持ちは軽くなる。休みの日に、一人で出かける時間を作ってあげるだけでもずいぶん違う。 母だって一人の女性であり、ひとりの人間。たまには友達と呑みにだっていきたいだろうし、買い物だってしたい。そういう息抜きが、子育てをより楽しいものにさせるのではないかなあと思う。 つづく
2018年05月09日いよいよ息子の保育園生活が始まる4月になった。庭の大きな桜の木も満開を迎え、これから始まる新生活を祝ってくれているかのよう。 生まれてからずっと、この2年弱、わたしと息子はずっと離れることなく暮らしていたから、保育園生活が始まったらどうなるのか想像してみると、寂しくて寂しくて仕方がなかった。 「息子はきっと、泣くだろうなあ……」。 そういうわたしも泣きそうだった。息子が生まれてから初めての母子分離だ。 あんな幼い子を預けて、わたしは働くのか……。そんな自己嫌悪に陥りつつも「これは夫婦で決めたこと。自分が働き続けることは、きっと家族にとって将来のためになる」。そう言い聞かせながら、保育園生活1日目がスタートした。 夜なべして作った登園グッズをバックに詰め込んで、初日は夫と二人で息子を連れて、保育園まで向かう。息子には連日「これからお友達がいっぱいいる保育園に通うんだよ」と説明してきた。少しでも心構えができていればいいと思いつつも、本人がどの程度理解しているかはわからない。 息子は、1歳児クラスに入園が決まり、担任の先生とご挨拶。初日は、まず慣らし保育からスタート。慣らし保育とは、言葉の通り、場所に慣らす為の期間のこと。 初日、2日目は2時間だけ。それ以降は徐々に時間を延ばしていく。1週間後には、朝から仕事が終わる夜の18時ごろまで、ずっと保育園で生活することになる。 たった2時間。それでも息子にとっては初めて親と離れて、知らない人と一緒に過ごすのだから、そんな不安なことはないだろう。 息子を保育室に預け、そおっと部屋を出ていく。様子がおかしいことにすぐに気づいてしまったようで、すぐに泣き始めてしまった……! 「びえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」 ほかの子どもたちも全員泣き始め、先生たちも必死にあやし始める。子どもの心境を想像して、涙ぐむお母さんたち。そして、わたしも涙を抑えるのに必死だった。 2時間後……。 息子を迎えにいくと、心配していたとおり、涙が枯れるほど泣いたようで、表情はゾンビのようになっていた。 「おかあさんが悪かった……!!」と、息子に謝罪しながら抱きかかえ この先の保育園生活がうまくいくものなのか、不安がよぎる。 そんな中、先生がやわらかな笑顔でわたしに声を掛けてくれた。 「大丈夫ですよ、お母さん。みんな最初は泣くものですから。心配しないでいいですよ」。 そうかそうか、そういうものなのか。無理もない、初めて通う場所だもんな……。 慣らし保育は、子どものためにあるけれど、結局子どもと離れる練習を親もしているのかもしれない。これは将来きっとやってくるであろう、子離れにも通じてるんだろうな。 つづく 次回は おかっぱちゃんの子育て奮闘日記 vol.52 「ワンオペ育児よ、さようなら! 共働き夫婦の脱却術」をお送りします。
2018年04月03日保育園入園の合否が出たのがついこの前、あと少しで4月がやってくる。登園がスタートするまでたった1ヶ月ちょっとしかない。 入園できると思っていなかった私たち夫婦は、保育園に必要なものの準備など、何一つしていなかった。それに時間の余裕など全くない。育児の合間に仕事をすることで精一杯だった。 奇跡的に保育園入園が決まった今、持ち物の心配もあるけれど、何より息子がこれから新しい環境に馴染めるかが心配だ。 見学に行ったのは一度だけ。たった30分程度の見学だけで、園のすべてのことは分からない。園の設備のことくらいは理解しているけれど、先生方の人柄までは見学だけでは分からない。 “分からない”場所に息子を預けることの不安と、楽しい園生活への期待が入り混じって、わたしはとても緊張していた。 まだ幼い息子を預けて仕事をするということが、本当に良い選択なのだろうか。受かった途端、今度は心配なことが増えていく。母になってからのわたしは思った以上に心配性だった。 自問自答しつつも、後悔するのはいけない、この選択は間違っていないと肯定しようと必死な自分がいる。 入園説明会に出かけると、担任の先生が笑顔で迎えてくれた。私よりも年上で、どちらかというと、私の母の年齢の方が近いかもしれない。 以前通っていた一時保育は、自分よりもはるかに若い、20代前半の先生方ばかりだったので、ベテランの先生がついているならと、安心することができた。 用意された席に着いて周りを見渡すと、同世代の保護者の方が席についていた。 私と同じように、ここにいる方はみんな働くお母さん、お父さん。みんなそれぞれ育児と仕事、一生懸命に日々を過ごしている。そう思ったら、その共通点があるだけで、なんだか込み上げてくるものがあった。 園長先生からのご挨拶のあと、担任の先生からのお話がスタート。 「それでは、これから登園に必要なものをご説明しますね……」 話を聞いていくと、登園に必要なものの数が多いのなんのって……! 下着2枚、Tシャツ2枚、ズボン2枚、上着1枚、靴下2組、外履き1足、オムツ6枚、タオル2枚、ビニール袋3、エプロン2枚、布団カバー3組、連絡帳、登園バッグ…。 旅行にでも行くのかしら……? それくらいの荷物の量だ。きっと園によって持ち物の違いはあるだろうが、わが家は毎朝この量を持参しなくてはならないのか! そして、持ち物はすべて名前を記入することが必須で、なんとオムツにも名前を毎日書かなくてはならない! 布団カバーなど、中には手作りしなくてはならないものもある。 子どもたちは1日に2回も着替えるようで、この先の洗濯物の量は凄まじいことになりそうだし、私は目眩がしそうだった。 それでも、わたしは仕事がしたい。待機児童問題がまだまだ解決していないこの世の中で、贅沢は言っていられない。 保育園の準備なんて、大したことではなーーーーーい! と気持ちを切り替え、登園直前の2週間の間に、息子を寝かしつけた後、毎日夜なべをして登園グッズの準備をするのだった。 久しぶりに踏んだミシン。ダダダダダ……という音を鳴らしながら「わたしも、すっかりお母さんだなぁ」と心の中で小さく思ったのだった。 これから、わが家の生活が一変する。どうなるんだろう、いったい。息子の登園生活が楽しいものになることを願って、無事4月を迎えたのだった。 次回のおかっぱちゃんの子育て奮闘日記は「初めての母子分離、慣らし保育スタート」。
2018年03月27日保育園入園希望を出すしたからといって、簡単に入園できるのかというとまさかそんなわけではない。東京は待機児童問題が山積み。 わたしの周りでも待機児童は多いし、夫婦で自営で仕事をしているわたしたちにとってこの問題は苦しいものだった。 0歳から入園希望を出したわけではなく、1歳児クラスからの入園希望。自営業夫婦のハードルたるや、組織に勤めている人よりのはるかに高いのである。とにかく点数を稼ぎたい……。 はて、どうしたものか。もし受からなかったら、わが家はどうなる。東京での暮らしは費用がかかる。二人で仕事に励まなければ、生活だって苦しくなりかねない。 20代、結婚に憧れ、結婚をしたら出産に憧れ、こうして夢が叶った今、わたしはこどもを保育園に預け仕事をしようとしている。 もしかしたら、息子はずっとわたしたちと一緒にいたいのかもしれないのに。きっと寂しがるだろうな……。わたしも寂しい。息子が泣いている姿を想像しただけで泣けてきた。 心の中で葛藤が続くも、わたしは仕事をストップしないことは、きっと家族にとって一番大切なことだと考えるようにした。 でも結局は結果が全て。受からなかったら、それはそれで仕方ない。そういう運命だったと思うしかないな。その時は息子とべったり、夫婦で協力して育児と仕事を両立するしかない! 保育園に入れるか、入れないかで、わたしたちの未来は大きく変わってしまう。幼稚園までの辛抱といえども、コツコツ仕事を続けてきたわたしにとって仕事がストップすることは恐怖だ。 この想い、どうにか伝える方法はないか。いろいろ悩んだ末、わたしたちは自分たちの活動と、想いをまとめ、資料として申込書にあわせて同封することにした。もちろんこれで合否が変わることはないかもしれない。しかし、このどうにもできない歯がゆさを伝えるには、これしか思いつかなかった。 プロフィールに、これまでの仕事の紹介、これからの展望、入園希望の理由を手紙にしたためた。その枚数は全部で10枚以上になり、こんなもの読まないだろうな、と思いつつも、どうにか願いが届いてほしいと祈るような気持ちで区役所に申請しに行った。 結果は2月の初旬に届くという。申請をしてから約4ヶ月後だ。 数ヶ月の間、毎日のように入園結果を気にしていた。 毎年、年末になると来年の目標を掲げているわが家では、結果次第でAとBという2通りの希望を書いていた。どちらに転んでも納得できるように心の準備をする。 あれから数ヶ月が経ち、ある日、ポストに区役所から1通の封書が届いた。 「あれ?思ったより薄い……」。 中には紙1枚しか入っていないように見える。 部屋に入り、胸に手をあて大きく深呼吸……。 「あぁ、神様……」 心の中で「受かれーー!」と叫ぶわたしがいる。 「保育園、入園内定のお知らせ」 わーーーーー、受かった!!!! 込み上げてくるものがあり、私は封書を抱きしめながら泣いた。しかも、区立の認可保育園に内定が決まったのだった。 入園先は、希望していた中でも一番最後の方に書いていた園ではあったものの、めでたく、息子は4月から1歳児クラスに入園することになった。 諦めなくてよかった。落ち着きを取り戻したころ、嬉しさの反面、息子と離れることが決まった今寂しさも同時にこみ上げてくる。 息子を抱きしめ、頬ずりをして、「一緒に頑張ろうね。お母さん、お仕事頑張るから」と、どうにか笑顔を保ち、声をかけた。 つづく 次回「おかっぱちゃんの子育て奮闘日記 vol.50 初めての保育園生活。頑張る! 働くお母さん」をお届けします。 ※認可保育園の提出書類に資料に同封することは、東京都で義務付けられているわけではありません。また、作者の意思で行ったことであり、実際の合否との関係性はありません。
2017年12月31日子育て中のお父さん、お母さん、こんにちは。来年度の保育園入園書類はもう提出しましたか? 世の中にはいろんな家庭があるけれど、専業主婦の方もいれば、共働き夫婦だっているわけで、それぞれの家庭でお父さん、お母さん、どちらかは必ずや仕事を持っていることでしょう。 会社勤めの人、自営業の人、アルバイトやパートさん、さまざまな仕事を頑張っているお父さん、お母さんがいるからこそ、子どもはすくすく育っている。 そういうわが家は共働き。夫は銀行員だったけれど、子どもが生まれてすぐに脱サラ。今は古民家を利用したカフェ&イベントスペース「東京おかっぱちゃんハウス」の運営を仕事にしている。 一方、わたしはイラストレーターの仕事を軸に、夫と一緒にイベントの企画も受け持ち、どうにかここまで夫婦で仕事をしてきた。 これまでは育児をしながらの仕事だったので、授乳しながら絵を書いたり、おんぶしたり、抱っこしながらイベントを実施したりしてきたけれど、それももう限界。 おかっぱちゃんもリアルに白目を向きそうなところまでやってきた。 息子が歩けるようになった今、家の中で育児と仕事を同時に進めるのは難しい。 締め切りがあるような仕事は息子を寝かしつけてからやるしかない。目の下のクマもなかなか取れない。時間の取り合いで私たち夫婦は、よく喧嘩をするようになった。 こんなに忙しいのには理由がある。夫の仕事が軌道に乗ってきた証拠だ。喜ばしいことだけれど、働く上でバランスが難しくなってきた。彼も働きたいし、わたしも働きたい。 子どもができたって、仕事を辞めようとは思わない。今辞めてしまっては、わたしが今まで続けてきた仕事のキャリアはどうなる。 フリーランスこそ、仕事を休んだりするのは難しい。有給休暇もないのだから、やったらやった分しかもらえないのだ。 息子の将来のためにも、少しずつでもいいから蓄えていきたいし、成長とともにきっとお金もかかるようになる。働き盛りの今、わたしたちが働けなくてどうする。 仕事を続けるために、選んだ道。それは息子を保育園に預けることだった。こんなに可愛い時期を一緒に過ごすことのできない歯がゆさもありながら、私たちは決断した。 「入園申し込みをしよう!」 しかしながら、わたしたちが暮らす東京は待機児童問題でニュースになるほど、0歳から2歳児の保育園入園がとても難しい。 わたしたちの住まいがある練馬区も待機児童問題は切実で、特に1歳児クラスは毎年定員より希望者が溢れ出てしまい、倍率も高い。子どもが保育園に入れないということになると、復職が難しい人は多い。パートだってできない。まさか、子どもをおぶって働くことを許してくれる企業はほとんどないだろう。 認可保育、園認証保育園、無認可保育園…。このように、私の住んでいる区では保育園にもいくつか種類があり、運営にも違いがある。そして、かかってくる費用も大きな差がある。 私は収入に応じて保育費が変動する、認可保育園を希望していた。審査はすべて点数制。 両親と同居であるか、会社勤めをしているか、就労時間は何時間か、子どもは2人以上か、病気はしていないか、などなど項目ごとに加点制となっており、第1希望の保育園に入ろうと思ったら最高得点を出さなければ入園はできない。 そもそも夫婦で自営業、仕事場が自宅という立場はだいぶ不利だった。フリーランスこそ、誰にも守ってもらえないのだから、多少なりとも優遇してほしいと思ってしまった。せめて会社勤めの人と同じ立場に…。 どうにかして受かってみせる。一度決めたことは諦めたくないたちなので、わたしはがむしゃらに時間を見つけては保育園の見学に出かけた。 できたてほやほや、ピカピカの区営新築保育園、給食はすべて無農薬野菜を使ったこだわりの民営保育園、年季の入った築50年を越す団地の一角の保育園…。 どの保育園もそれぞれ良し悪しがある。施設は綺麗なのに、先生に覇気がなかったり。充実した教育内容なのに園庭が小さかったり。先生はベテランさんが多いけれど、施設もそれなりに古かったり。 結局通ってみたいとわからないものだし、1度だけの見学では「100点!」と呼べるところは1園だけ。第1希望にしたからって入れるとは限らないし、どこに入れたらよいものか頭を悩ませた。友達に相談しながら、入園申し込み書に記入する。 申請書にはこうあった「第1希望から第13希望までご記入ください」 え!? 13園も書くの!? 夫婦揃って目を疑った。 学生時代にも経験したことのない候補数。こんなに書いたところで受かるのだろうか……。やっぱり人気のあるところを一番上にしたほうがいいのか? 人気のないところを書くべきなのか? そうしたら受かるのかも。 息子を人気のないところに入れていいものか…。何が正解なのかわからなくなるほどだった。結局迷って迷って、わたしは万馬券を当てるような気持ちで申込書に13園を記入した。 どうなる!? わが子の保育園入園……!! つづく
2017年11月08日夫が会社を辞めて1年半が過ぎたころ、夫があることを提案してきた。 「レコードプレーヤー、買ってもいい?」 このデジタル化社会でアナログに戻ろうというのか。今はCDもなかなか売れない時代。レコードと言ったらわたしたちの親世代が聞いていたものだ。わたしたち昭和生まれはレコードは通っていなくて、カセットだった。 好きな曲をテープに落とし込んで、編集、タイトルも自分で書いたりして、好きな人にダビングしてプレゼントしたりしていた。あぁ、懐かしい。アナログ感。 レコードも、カセットも、数年前から音楽好きの層にまた流行りだしているという。 もともと音楽が大好きで、学生時代からジャンル問わずCDを買いあさってきた夫にとって、レコード収集は男のロマンらしい。 しかしながら、今更レコードか……。 30代からのレコード収集。楽しそうではあるが物が増えて困りそうな気もする。物欲を捨てた、ミニマリストが流行っているこの現代で、今から物に囲まれるというのか。 夫の仕事は飲食業とイベントスペースの企画・運営。 「店でイベントやったりするなら、お客さんにも喜ばれるし、DJブースがあったほうがいいと思うんだよね!」 うーん…たしかに。あったら楽しそうではあるけれど。そんなものより、息子の養育費に蓄えておいたほうがいいのではないか? 家族会議をした結果、普段はあまりリクエストをしない夫なので、今回は了承することにした。 わが家の家計の話をすると、結婚してからずっと夫はおこづかい制で頑張ってくれている。理由は、夫の気質にある。 夫は給与が入った途端、あればあるほど使ってしまうタイプで貯金ができない人だった。サラリーマン時代は銀行員だったのに、お金の管理が不得意なんて笑ってしまう。 こうした大きな買い物だけは、相談して買うことにしているわが家。こうして、好きなものが買えるようになったことは感慨深い。 夫が脱サラしてから一度も就職せずに、こうして生活が成り立っていることに驚く。よくもまぁ、夫婦で仕事を続けてこれたものだなぁ。 ネットで注文したDJ入門セットが届いた。レコードプレーヤ2台に、ミキサー、そしてヘッドホン。店内にセットしてみる「うーん!いい感じ」 夫は興奮した様子で、買っておいたレコードを再生しだした。わたしが夫の流す曲にあわせて体を揺らしていると、息子も体を揺らし始めた。ひょうきんな顔をして、手をぶんぶんとふりまわし、お尻をふりふり。摩訶不思議な舞でわたしと夫を笑わせた。ちゃんとリズムにあわせて踊っている。 以前からやけに音楽にだけは敏感に反応していたこともあり、息子もレコードプレーヤーに興味を持っているようだ。父親の影響とはすごい。 このために実家からもらってきたレコードを次から次へとかけてみる。夫があまりにも楽しそうに選曲してレコードをかけているので、息子はレコードプレーヤーの側から離れない。 邦楽から洋楽まで色々とかけてみる。特にマイケルジャクソンのアルバムをかけると顔つきが変わり、息子の踊りはかなり激しいものになった…! 私たち夫婦は、その様子に驚いて「この子は才能があるのかもしれない・後ろにマイケルが見える…!」などと親バカ街道まっしぐらな発言をし、息子が飽きるまで踊らせてみることにした。息子の仕草に陶酔できるなんて幸せなもんだ。 子どもの集中力ってこんなに続くものなのか? 結局息子はご飯もお風呂もそっちのけで、踊り続けた。 レコードプレーヤー、こどものために買ったわけではないけれど、結局こどもは大人の背中を見て育つ。教える言葉も、遊びに連れて行く場所も、読んであげる本も、聴かせる音楽も、この時期は親が選んでいくもの。素直なこどもたちはそれをスッと受け取っていく。 わたしたちの親世代が青春時代に聴いていた名曲たち。今聴いても新鮮で、どの曲も声に出して歌えるなんて、いい音楽は時代を超えて歌い継がれるものなんだ。 これから先、世界はどんどんデジタル化していってしまうに違いない。息子には、少しでも古き良きものを残してやりたい。親が楽しいとおもえば、自然と笑顔になって、その場にいるこどもはきっと楽しい。息子1歳10ヶ月。 はて、レコード熱はいつまで続くかな。 つづく
2017年09月19日子連れでタイ・チェンマイに滞在するのも残り数日。ホテルでゆっくり過ごした後は、一日だけ市内から離れ、ちょっと長閑な場所に行こうと、宿からちょっと行った場所でたまたま見つけた旅行代理店のツアーに参加することにした。簡単な英語さえ話せれば、こうしたツアーに参加するのも難しくはない。 ツアー内容はというと… ・バタフライガーデン(蝶々園) ・ラフティング(川下り) ・ロングネック トライブ ビレッジ(首長族の村を訪れる) ・エレファントライド(象に乗ってお散歩) この4つの観光スポットを一日で巡るツアー。 朝7時半にホテルでピックアップ。戻りは夕方17時ごろ。昼食代込みで日本円で一人当たりたった3000円。もちろん移動費込み。激安である。そして息子の分は無料! アジアの旅は費用が抑えられるのも魅力の一つだ。 あぁ、楽しみだー! 息子が大人になるまでに、いろんな景色を見せてやりたいと思っている。 当日を迎え、ドライバーのお兄さんがホテルにやってきた。歳は21歳、随分と若いけれど英語も話せるし頼りになりそうだ。ツアーには私たちの他、ドイツ人のお客さんが3人。車内はタイ語、英語、ドイツ語、日本語が飛び交い、息子にとっては初めてのインターナショナルな場となった。 車で走ること1時間。まずは蝶々園へ。ビニールハウスで出来た温室に所狭しと花が咲いている。その中を飛び交う蝶々。息子は不思議そうに眺めていた。 時折、蝶々を指差して「あ!あ!」と声を出す。日本では見ることのできない巨大なサイズの蝶々まで親のわたしまで興奮してしまった。 その後、車でまた1時間ほど移動し今度は待ちに待ったラフティング。さすがに1歳半の息子は連れていけないので、泳ぐのが苦手な夫に息子を預け、わたしは救命胴衣を装着し、ボートに乗船。もちろんドイツ人グループも一緒だ。 ラフティング専門のガイドさんが1人、一緒に乗船してくれたのは良いが、なんと14歳の男の子だった。こちらでは中学生だけでなく、小学生から親のサポートとして働いている子も珍しくない。 少年と一緒に乗ったボートは、川をグングンと下っていく。想像以上に流れも速く、岩にぶつかりそうになったり、非常にスリリングで水もバシャバシャ浴びてしまった。久しぶりに思いっきりオールを漕いで、子ども時代に戻ったような気分を味わえた。 川を下り終え、車で集合場所で家族と合流し、お次は山岳民族の村へ。30分ほど車で移動すると、そこは首長族の村。周りは美しい山が広がり、辺りは木々が生い茂っている。 市内からたった2時間程度でこんなに自然の多いエリアに来れるのだから子連れには嬉しいことだ。 首長族とはその村の女性が首に金色の真鍮リングを纏う民族のこと。幼少期から真鍮リングを首にはめ、歳を重ねるごとにその数を増やしていく。もともと体格も小柄なので、大人でも身長が150センチ未満の方も多い。 可愛らしいカラフルな衣装を身にまとい、子どもも大人もせっせと美しい織物を織って日々暮らしている。 仕事といえば、こうした私たちのような観光客の昼食を用意し、民芸品を販売し、わずかな貨幣を得ているそうだ。それでも、住居や、食べ物、衣類など、生活のために最低限必要なものは全て揃っているという。 村人が協力し合い建てられたと思われる、木造の簡素な作りの家が連なるこの村の周りには何もない。生活はとても質素だけれど、ここに暮らす人々の表情はとても穏やかで、幸せそうに見えた。わたしが暮らす東京で、毎日「幸せ」を感じている人はどのくらいいるだろう。 息子には身近に感じられる幸せに気づけるような子になってほしいと願っている。こうした異文化交流が、この先の人生に彩りを添えてくれた嬉しい。 生活に必要なものや、仕事自体を自ら作り出せる術を身につけることができたなら、どんなに良いだろう。 村人の女性は小さな息子を見て、流暢な英語で声をかけてくれた。 「こっちにいらっしゃい。一緒にギターを弾こう」。 手作りのギターで女性は歌をプレゼントしてくれた。 学校教育で英語を勉強したわけでもない彼女が、こうして英語を話せるようになっているのは、暮らす上で仕事に必要だからだろう。わたしはアジアのこうした小さな村を訪れるたびに、もっと努力しなくては。と反省するのだった。 昼食を挟み、最後はエレファントライドへ。この村では数頭の象を飼っていて、そのうちの象1頭に家族3人を乗せてもらった。息子を抱っこ紐で抱っこし、夫はわたしの後ろへ。 落ちやしないかソワソワしたけれど、予想以上の安定した歩きに安心し、川の近くまで散歩をした。 象はその後、川の中で水浴びを始め、ガイドのお兄さんに連れられ私たちも川の中へ。寝転がる象の上に座らせてもらい、象と一緒に水の掛け合いをして、楽しいひと時を過ごした。お気に入りのワンピースがずぶ濡れだったけれど、そんなことはどうでもいい。 家族の良い思い出ができて本当に良かった。こんなに楽しい思い出を作ってくれた象に感謝したい。 こうして、ツアーは無事終了。残すところ、数日はチェンマイ市内のおしゃれなカフェでお茶をしたり、美味しいレストランへご飯を食べに行ったり、ここにきて良いことしかなかった。 今回初めて出かけた子連れ海外の旅は、とても充実した時間を過ごすことができた。一人旅をしていたころも感じたこと やっぱり、行って見なくちゃ分からない。経験することが学びとなる。 息子はここで過ごした思い出を忘れてしまうかもしれない。けれど、彼は感じているはずだ。日本と違う、匂いや、景色や、言葉を。どんな経験もその人の血となり、肉となる。 親になったからといって、旅することをはじめ、諦めることなんてないんだと、改めて思うことができた。 これからも、子連れであらゆる場所を旅したいと思っている。
2017年07月26日タイ・チェンマイの観光スポットとして、まず思い浮かべる場所はなんだろう? 行ったことのある人なら、真っ先に寺院の答えるのではないか? チェンマイには100以上の寺院が存在し、日本でいう京都のような歴史の深さがあり、治安も良く、落ち着いた場所と言える。 チェンマイには映画「プール」に登場する寺院「ワット ムーングコーン」は子連れで観光するにはもってこいのこじんまりとした寺院で、観光客も少なく落ち着いて周ることができる。 歴史を感じるノスタルジックな景観と、センスの良さを感じるチャーミングな装飾が乙女心をくすぐる。息子も寺院の敷地を歩き回って、とても嬉しそうだった。 寺院を周り、その後は本来なら1日に何箇所も有名な寺院を巡って観たいところではあるけれど、今回は初めての子連れ旅ということもあって、季節的にまだまだ暑さも残っているし、ハードな移動はなるべくしないことにしていた。 それならちょっと散歩でもしよう。この街を歩いていると、子連れの旅行者が珍しいのか、息子の顔を見て挨拶をしてくれる人が多い。子連れに優しい国、タイ・チェンマイで何度声をかけられただろう。そしてみんな優しい笑顔で接してくれる。子どもの存在の尊さを感じた。 子連れの旅も中盤、さて海外旅行ではどんなスケジュールを組むのがベストなのか? 私たちが子連れ旅でおすすめしたいのは、滞在期間中にどうしても行きたい場所をリストアップして、それ以外はお買い物と、ホテルでのんびり過ごすという選択だ。 独身時代は、観れるものは全部観ようと、電車やバスを乗り継ぎ、時には何時間も自転車に乗って、あっちに行ったり、こっちに行ったり、移動を繰り返しながら、かなりハードな旅行をしていたように思う。そんな私も30代。息子を抱っこしながらの移動はなかなか体力が必要だ。 チェンマイの魅力は寺院の多さだけでなく、露店が何百店舗と並ぶ、活気のあるナイトバザールも人気観光スポットの一つ。私が初めて訪れた10年前から、売っているものがほとんど変わっていないことに驚いた。 21歳のころ、この道を一人で歩いていたことを思い出す。あのころは怖いものなんてなかった。 あれから随分と時間が経ったのだなぁ。旅先で観た景色や、その土地で嗅いだ匂いは昔の記憶を呼び覚ましてくれる。昔のわたしに出会えた気がして、なんだかこそばゆかった。 翌日はナイトバザールの近くにある写真館「チャイヤー・スタジオ」へ。ここは友人のカメラマンから紹介してもらった場所で、とにかく面白いから行ってみろと勧められ、特に前情報を持たずやってきたのである。写真館といえば、その国独自の民族衣装や、セレモニーの時に着る衣装などを身につけ、記念写真を撮影する場所だがいったい何がおもしろいのか…。 行ってみると、数々の煌びやかな王宮風衣装から1点選べというので、私は黄色の衣装を選んだ。夫、息子もそれぞれ選び、最後に全員簡単なメイクをしてもらい、いざ撮影へ! わたしの顔はタイのニューハーフ並みに化粧が派手で、自分の姿を鏡に映すだけで笑ってしまう。もうこの時点で既に面白いと言えるが、ここからが更にすごかった。 奥の方からやたらテンションの高いカメラマンの女性がやってきた。私たちが身構えていると、「リラックスー! リラックスー!」と大きな声で近づいてきて、小道具として用意されていた宝箱や、劔、縦笛などを駆使し「ああしろこうしろ」と指示し、良いポジションを見つけると…。 「グッドグッドー! スペシャルー! ビューティフォー!」を連呼しながら、止め処なく続くシャッター音!撮る、撮る!その数、なんと150枚。撮影中、まるで踊っているかのようなステップで舞うカメラマンのおばさん。これか、友達が言ってた面白さとはカメラマンのキャラの濃さにあったのだ。 「数時間後にまたここにきてー! レタッチして顔綺麗にしておくから!」と言われ、後から写真館に行ってみると、仕上がった写真がこれまたすごい! 修正が入って、肌はツルツル、息子も眉毛が凛々しくなっていたり、夫もシャドーが入っている。ぱっと見、まるで本物の王族になったかのようで大満足の仕上がりだった。 本格的なメイクとヘアセット、ゴージャスな貸し衣裳、こちらでセレクトした写真10枚のプリント、150枚のデータをCDRに入れ渡してくれるというサービスが付いて、3人で1500バーツ。だいたい日本円で5000円いかないくらい! 激安!! 思い返せば、息子のパスポート写真を撮るのに写真館に行ったら、手のひらサイズの写真一枚に3000円くらいしたっけね……。日本だったらこんなサービス数万円しそうだなぁと、ぼんやり考えるのだった。 こんなにお得なら、息子の七五三のお祝いは、タイでまた記念写真を撮るのも良いかもしれない。 続く 次回は vol.46「1歳の息子を連れてタイ・チェンマイへ! 初めての子連れ旅 - 観光編vol.2 - 」
2017年07月11日タイ・チェンマイに到着して間も無くホテルへタクシーで移動。ホテルに到着すると、もうすっかり辺りは暗くなり夜になっていた。部屋に入ると、綺麗なベビーベッドが用意されていた。予想外の気遣いに、思わず嬉しくなる。 その日は移動の疲れもあったので、レストランで軽く夕飯を済ませ、就寝。明日はゆっくりホテルを堪能しよう。みんな疲れていたのか、ぐっすり眠ってしまった。 翌朝、起きてまずホテルの敷地内を散策することに。今回予約したリゾートホテル、タマリンドビレッジは家族3人で泊まっても、子どもが2歳以下であれば一泊1万5000円程度で宿泊できる、チェンマイの中では割とランクの高いホテル。 敷地内にレストラン、スイミングプール、ショップや、マッサージルームが完備されており、植物に囲まれた広い中庭には、大きな木が立っていて、野生のリスが暮らしている。都会の喧騒から少し離れた場所にあるので、ゆっくり過ごすには良いロケーション。 日本でこのくらいのランクのホテルに宿泊したら、きっと1,5倍~2倍くらい費用がかかってしまうだろう。アジアを旅するのって何がいいってコストパフォーマンスの良さにある。安価で贅沢ができるのは嬉しい。 今の時代、本当に便利なのは宿の予約もインターネットで簡単にできること。写真も多く掲載されているし、”子連れ”というキーワードを入れれば、ファミリー向けの宿だって簡単に検索できる。便利な世の中だ! 朝食を取りにレストランへ。息子を抱いて入っていくと、すぐさまスタッフが子ども用のハイチェア運んで来てくれ、そのあと、お皿、フォーク、ナイフも子ども用のプラスチック製のものを用意してくれた。ここは本当にタイなのか?タイのホテルを甘く見ていた自分が恥ずかしい…。 10年前、わたしが旅をしていたころは、貧乏旅行がゆえいかに宿代、食事代、移動費を削るかで頭がいっぱいで、お金を投じて心地よさを追求するなど考えたこともなかった。 だけど、今、こうして子どもが生まれると、安心をお金で買う必要も出てくる。アジア圏で一番注意しなくてはならないのが、水、食事問題。何かあったら大変。でも、アジアを旅するならちょっとした贅沢だって無理なくできる。屋台で色々食べたいけれど、息子のために今回はちょっと我慢しておこうかな。 ホテルの朝食、それはもう想像以上に素晴らしかった。バイキング形式の朝食は、中華粥から始まり、ハーブ入りソーセージに、数種類のナチュラルチーズ、タイ料理も麺類から、肉料理、魚介系までなんでもあった。 ヨーグルトに、マンゴスチン、マンゴー、スターフルーツ、オレンジ、キウイ、スイカに、メロン…、瑞々しく熟れた何種類ものフルーツたち。これはディナー用なのかと勘違いするほど豪華な内容に、ここに泊まりに来て良かったと、感激した。 息子は中華粥、スクランブルエッグ、フルーツが大変気に入った様子でモリモリ食べてくれた。一番心配していた食事事情を難なくクリアし、私たちは安堵した。 初めての海外旅行で一番気がかりなのは、子どもが食べられるものがあるのかどうか。タイ料理と聞くと、つい辛いものばかりを想像してしまうけれど意外にも辛みのない料理だって沢山あるのだった。 今回はハードな旅にはせず、美味しいものを食べて、沢山遊び、ひたすらゆっくりすることが目的だった。 親になると、毎日が慌ただしい。朝から始まるオムツ替え、離乳食を作り続け、おっぱいをあげ、お風呂に入れ寝かしつけ。言葉で書くと簡単なように思えるが、実際は1日なんてあっという間。 自分のための時間なんて、一切ない。その上、わたしたちはその合間に仕事をしているのだから、1日が過ぎるのはもっともっと早く感じた。 こんな風に毎日が過ぎていくのは嫌だなぁという想いがあったからこそ、タイにやって来た。朝起きたらご飯が用意されていて、遊びに出かけて疲れたら、眠りたいときに眠る。旅をしている間、私たちはとても自由だった。 その日は、チェンマイにある美味しいレストランや食堂を巡り、昼から夜までずっと「美味しいねえ~」の連続。チキンを丸ごと焼いてくれるガイヤーンの美味しいお店 「SPチキン」。創業約50年、北タイ郷土料理の絶品レストラン「フアンペン」は悶絶するほど美味かった。 息子はもち米を蒸した「カオニャオ」が特にお気に入りで、どこへ入っても美味しそうに食べていた。そして、どの店に入っても、息子のことを可愛がってくれる人が必ずいて、優しく声をかけてくれた。中には初対面の息子を抱っこしあやしてくれる人までいた。息子は照れ笑いをしてその都度、とても喜んだ。言葉が通じなくたって、心を通わせることはできんだなと改めて感じた。 どんな土地にもすっと馴染んで行くことができるのは、常識とか、思想とかにとらわれない生まれたての自由な感覚でいるからだろう。だからこどもってスペシャルだなぁと思う。 小さなころから、いろんな国籍の人と触れ合ってほしい。広く世界を歩んでほしい。こどもが将来どういう選択をするかはわからないけれど、その土台作りのお手伝いができたら嬉しい。 わたしも幼いころ、一度だけ両親が海外に連れて行ってくれたことがある。美しい海の広がる小さな島、フィジー。あの時の思い出は今でも色濃く残っていて、国籍の違う島民との触れ合いは、とても心地よかったことを覚えている。 田舎で、エメラルドグリーンの海以外は何もなかったけれど、あの旅がわたしを大きく変えたのだと思う。 「子どもを連れて海外なんてなんてことを!」そんな話をよく耳にするけれど、ここに来て、いろんな国籍の人が子連れで旅をしているのを見ると、子連れ海外も場所を選べば、なんてことないなぁと思った。 地球上のどんな土地にも人はいて、そこに暮らす人はみんな昔、こどもだったのだから。 ただただ、楽しい。子連れ旅は、日本にいる時より、はるかに楽チンなのだった。
2017年05月03日こどもが生まれてからというもの、わたしが一番我慢していたこと。それは海外旅行である。 独身時代から、時間さえあればコツコツ貯めた貯金を使って、飛行機に飛び乗り海外へ一人旅に出かけてきた。ひとり旅はわたしの原動力。仕事にもプライベートにも大きな影響を与えてくれる特別な時間。 こどもができたって行けないことはないだろうと、息子が1歳になる前に、インドネシア行きのチケットを購入したら、「ヤブ蚊に刺されて、伝染病になったらどうする!!」と、両親に大反対され泣く泣く中止に…。 しかしながら、諦めきれない海外旅行。行きたい場所はいっぱいあるが、アジア圏なら近いし飛行機に乗っている時間も短く済む。すでに国内旅行で飛行機には何度か乗っているし、そこまで大変ではないような気もする。 飛行機のチケットは2、3歳を過ぎるとこども料金が追加されるとのこと。ならば、2歳になるまでに一度くらいは海外旅行へ行っておきたい。 1歳を過ぎたら少しは安心ということで、息子が1歳半になるころ、わたしは勢いで飛行機のチケットを手配した。 行き先は”タイ・チェンマイ”。わたしが21歳のころ、初めての一人旅で訪れた土地だ。10年以上が経ち、今では夫も息子もいる。あの土地を旅したら、昔の自分に出会えるかもしれない。息子にも、わたしの好きだった旅を知ってほしい。そんなことを考えて行き先を決めた。 あのころの自分を思い出すと、本当に危なっかしい旅ばかりしていたなと思う。あえてローカルな土地を目指し、舗装されていない道をボロボロのバスで移動したり、宿泊先もその場でその場で探しながら決めていた。いわゆるバックバッカーだった20代。親になった今、あのころ、両親がどんな思いでわたしの帰りを待っていたか。想像するだけで胸が痛む。毎日心配をかけていたのだなあ。 昔の思い出に浸りながら、いよいよ出発の時が来た。息子、1歳6ヶ月。今回は息子との初めての旅なので、ちょっと余裕のある旅にしようと、チェンマイでも評価の高い、タマリンドビレッジというリゾートホテルに宿泊することにした。今回は9日間の旅! 時間の許す限り、ゆっくりしようと思う。 この1年半、わたしも夫もよく働いたし、わたしたちへのご褒美としよう。 旅の準備で一番驚いたのは、荷物の量の多さ。全部で9泊10日の旅、国内旅行に比べると普段の量の2倍と言っても過言ではない。 オムツは1パック、離乳食も最悪現地で何も食べなかったことを想定し、1日3食分×日数でえらい数になっている。それにプラスして子どもの着替えは大人の枚数の倍になり、スーツケースの半分以上が子ども用品になってしまった…。 そして、子連れ旅の第一関門、それは飛行機の移動。飛行中、泣きやしないか…。泣いたら周りのお客さんに迷惑になるし、心苦しい。いつだって子連れになると、世間の目を気にしてしまう。 「泣いてもいいよ~だって、みんなも赤ちゃんだったんだからねぇ」と心の優しい人が叫んでくれないものか。電車にも女性専用車両があるように、飛行機にも「赤ちゃん専用シート」があったらいいのに…。 バンコクまで6時間、その後国内線に乗り継いで2時間。合計8時間の移動。過去最長時間となる移動距離に、息子は耐えられるのだろうか? 出発は午後の便を選んだ。帰りは夜中発の便。どちらもどうか、眠っておくれ~! 登場時刻が近づくとインフォメーションから「2歳以下のお客さま、優先的にご案内します~」とアナウンスが! いつもならダラダラと長蛇の列に並ばなければならないのに、わたし達はなんと一番乗りで機内に案内していただいた。しかも座席はエコノミーの中でも一番ゆとりのある最前列で、好きなだけ足を伸ばせる! 子連れであることでデメリットばかり考えていたけれど、ありがたいことに快適! 出発前に、きちんと昼食を食べさせていたのが効いたのか、息子は出発して2時間もすると眠くなり、ウトウトとわたしの膝の上で眠り始めた。思っていた以上に飛行機移動は苦労が少ないのかも。 それから6時間もの間、到着まで何度か寝たり起きたりを繰り返しつつ、無事一度も泣かずに、あっという間にチェンマイに到着。 空港に降り立つと、ムワッと蒸し暑い空気が辺りを包み、タイ特有のナンプラーの香りが漂ってきた。この香りを嗅ぐと、タイに来たんだなぁ、と実感する。 あのころと何ひとつ変わらない香り。若かりしころのわたしが降り立った場所に、今こうして夫がいる、息子がいる。ずっとずっと夢見ていた、家族ができたら一緒に旅をすること。 夢が叶って嬉しい。まだ始まったばかりの旅なのに、わたしは胸がいっぱいだった。 つづく
2017年04月21日赤ちゃんとこどもの境目はなんなのか? 卒乳したら、もうこども? それとも、しっかり歩くようになったら? わが家の息子は1歳を過ぎてもなかなか歩かなかった。まだまだ赤ちゃんという感じ。区の1歳児検診に出かけたとき、待合室で一緒になった同じ月齢のこどもたちを見て驚いた。 7割程度の子がしっかりと一人で立ち、歩いているではないか。うちの子、まだハイハイしてますけれど…はて? こどもたちは歩くのが楽しくて仕方ないのか、あっちにバタバタ、こっちにバタバタ。あんなにしっかり歩けると”赤ちゃん”というより、もうすっかり”子ども”という言葉がハマっている。同じ月齢のはずなのに、なぜ。ここまで差が出るのか! 「うちの息子はいつ歩くんだろう……?」 誰かと比較したって、その子はその子なりの育ち方がある。成長に差があるのは仕方がないと育児書にも書いてある。 以前、友達から「健康に生まれて2歳になっても歩けない子なんていないよ。だから心配ご無用だよ!」と言われたことを思い出す。 そうだった、そうだった。歩き出したら大変。追いかけ回す日々が始まるのだから、歩くまでゆっくりでもいいか。友人の言葉はわたしを励ました。 母親という生き物は、誰かと比較したり、何かと心配することが多い。わたしも親になってから、子どものこととなると色々と心配することが多くなった。今まで能天気で、割とポジティブだった独身時代と比べると信じられないが、これも血筋なのか。子どものこととなると、何かと心配してしまうのだった。 わたしの母はかなりの心配性で、30代の娘に「もし今日外に出かけるなら傘を持って行きなさいねえ」などと、メールをしてくる程だ。天気予報士か! 孫が風邪でも引こうものなら、毎晩のように電話を入れてくる。昔だったら面倒くさいなぁ。と思った母の心配性も、今なら愛おしく思えるのだからわたしもちょっとは成長しただろうか。ありがたいと思うようにまでなった。 昔、母はどのようにわたしを育ててくれたのだろう? 1歳のころの記憶はなく、全く思い出せない。わたしはいつから一人で歩くようになったのか。 そんなことを考えながら、日々は過ぎていく。息子はもうすぐ1歳半を過ぎるころ。未だに歩くことのない息子を連れて、ある日、吉祥寺のデパートへ出かけた。買い物を終え、休憩がてら息子を遊ばせようとキッズスペースへ。 そこには小さな滑り台と、ボルダリングができるコーナーがあり多くのこどもがこぞって遊んでいた。息子もこどもたちのはしゃぐ声に刺激され、ハイハイで中心部に突進していった。 周りでバタバタと走るこどもたち。息子はとても嬉しそう。やっぱりこどもは、こどもが集まる場所が好きなんだろう。 とびきりの笑顔を見せてこちらを向いている。そろそろ歩かないかな?と、ちょっとした期待を胸に「かんちゃーん!こっちだよ~!」と大きく手をあげ声をかけると息子がすくっと立ち上がり、一歩大きく前に進んだのである。 ダンダンダンダン!! 1歩、2歩、3歩、4歩!! なんと勢いよく歩いた! 「わぁ!やったあ!」 歓びのあまり、思わず大きな声が出てしまった。息子が歩いた! 赤ちゃんからこどもへ! 初めて息子の歩く姿を目の当たりにし、嬉しさで目頭が熱くなる。周りに多くの親子がいたので、分からないように涙を拭いた。 母の心配をよそに、こどもはきちんと成長していたのだった。息子は自分の力で歩けたことがとても嬉しかったようで、ピカピカの笑顔を見せた。 こうした一つひとつの成長をきちんと見届けたい。これからの子どもの健やかな成長を切に願った一日だった。
2017年03月23日断乳2日目、朝8時起床。とってもご機嫌な様子で、いつもならおっぱいを欲しがるのに今日は何も求めてこない。おやおやおや? すでに乳離れできている?夜はどうなるか……。 息子に変化が少しずつ見られるのは嬉しくも、母の役目が終わってしまう気がして、少々寂しさを感じつつ、私は自分の変化に気づく。 そして、乳がパンパンに腫れているのである。こっこれは…! うわさには聞いていたが、断乳して数日は授乳できない分、おっぱいが腫れあがるというやつか!? しかも岩のように硬くなって、痛くて痛くて眠れないとか、そういった話も聞いている。 私は産後、ありがたいことにおっぱいがよく出るタイプだったので授乳していない時間が長いと、おっぱいがパチパチに腫れ上がってしまったのだった。 しかしながら、最近の私のおっぱいはあのころほど元気が無く、ホルスタイン乳からこども用お茶碗乳にまで降格していた。断乳2日目にして、久しぶりに味合うこのパチパチ具合。痛みを伴いながら、なぜか自分のおっぱいを誇らしく思う私がいる。 痛みと共に、熱を帯びてきたので、思い切って搾乳してみる。色々調べたところ、数日は搾乳自体も我慢する必要があるらしいが、痛みに耐えられなくなってきたので仕方あるまい。うーん、この腫れ、いつまで続くんだろう~? 一方、息子はいつもどおり、おもちゃで遊んでいる。お昼までおっぱいもなし。いいぞいいそ! 昼食はたまご雑炊と、野菜の煮物。いつもなら一生懸命食べない離乳食も、断乳しているからか、普段よりはよく食べた! これも断乳効果なのか!!食事を終え、夕方になってもおっぱいも一向に欲しがらない。 おぉ、これはうまくいくかもしれない。結局、息子は夜までおっぱいを求めてこなかった。 断乳2日目の夜がやってきた。今日はさすがに夫に協力してもらおうと、私は別室で寝ることにしていた。ちょっと遅い時間になれば、きっと眠くなるだろうと、22時半まで遊ばせてから、布団に入った夫と息子。 夫は絵本を読みながら息子をどうにか寝かしつける作戦でいくらしい。わたしはそっと部屋を出て別室で息子が眠るのを待つ。30分後、やけに静かなので様子を見にいくと、布団の中でスウスウと眠る息子がいた。なんと! 「朝まで泣きじゃくるのではないか…?」と不安げな夫をよそに、布団に入り30分後、息子は目をこすりながらすうすうと眠ってしまったそう。 断乳、こんなに楽にできるものなのか!? ちょっと寂しさを残しつつ、翌日、断乳3日目、同じようにいとも簡単に一日を無事終えたのである。この日を境に息子の寝かしつけは、絵本を読めば簡単にできるようになった! 今まで寝不足に耐えながら育児と仕事に励んでいた日々はなんだったのだろう……? その日、息子は夜眠ってから朝まで一度も起きることもなく、21時から8時まで通しで眠った。このことにわたしはえらく感動してしまい、朝から小躍りをして喜んだ。 この快適さと言ったらない! 眠れることがこんなにも幸せなことなんて! 息子が生まれてからこの1年半、ずっとずっと寝不足で3時、4時間以上続けて眠れた日なんてなかった。今思えばあの辛かった日々が懐かしい。 喜びもつかの間、わたしの腫れ上がっていたおっぱいは断乳3日目で力尽き、搾乳が不要になるくらい風船のようにしぼんでいった。 痛みはないが、なんだこの寂しい感じ。もう自分がお婆さんになったような気さえする。 「おぉ、こんなにもかわいそうなおっぱいになるとは…」 その角度は、冬季オリンピックのスキージャンプ台ほどの急斜面で、 断乳前の膨よかな乳に別れを告げ、無事息子の乳離れ、成功となったのだった。
2017年03月20日断乳初日。いつもどおりに家事や仕事に取り組み1日を過ごす。 息子は相変わらず、何かあるごとにおっぱいを求める。離乳食は相変わらず上手に食べてくれない。これも断乳したらちょっとは変わるだろうか? 今夜が最後のおっぱいだ。 「かんちゃん、これでおしまいね。おっぱいに、バイバイしてね」。 そう言って、おっぱいをあげた。 「チュッチュッチュッ」 わたしは息子を眺めながら、ちょうど1年前のことを振り返っていた。産まれて間もなく初めて胸に抱いた時の感触を思い出そうとしたけれど、難しかった。陣痛の痛みも思い出せなかった。あんなに苦しかったのに。 すっかり忘れてしまうんだな。痛みも、喜びも、全部。あぁ、こうやっていつの間にかこの子も大きくなっていくんだな。 最後のおっぱいをあげると、息子はベッドの上でうとうとと眠りについた。「おやすみ」かわいらしい寝顔。見ているだけで幸せな気持ちになれる。夫に息子を預け、わたしはひとり部屋から出る。産後、初めてひとりで眠るのだ。この365日、夜をひとりで過ごしていないなんて、嘘みたいだ。 「あぁ、おっぱい終わっちゃったんだなー」。わたしは寂しさでいっぱいだった。あの愛おしい時間はもう戻ってこないのか。今だって十分可愛いけれど 、今日を境に息子は”赤ちゃん”とは呼べなくなってしまうんだなぁ。 寝不足で眠たいはずなのに、頭の中が騒がしく眠れない。今思えば、辛いと思っていた授乳の時間も幸せだったなあと感じる。 おっぱいが息子とわたしをしっかり繋いでくれていた。胸に抱いた時、安心できたのは息子だけじゃない。わたしだって、この子を抱いて安らいでいたのだ。その繋がりも、もう無くなるんだ。 一緒にいることが当たり前でなくなるときが、そのうちやってくる。いつか大人になって、わたしの元を離れる時期も来るだろう。遠く感じている未来も、きっとすぐそこにある。 わたしは枕に顔を埋めて、静かに泣いた。 しばらくして、相変わらず眠れなかったわたしは寂しさに耐えかね、部屋に戻った。 自分でも何をやっているんだろう。と思ったが、息子の様子が気になる。ちゃんと眠れているだろうか。夫と息子がスヤスヤ眠るベッドの中に潜り込み、いつものようにわたしも寝てみる。布団が温かい。あぁ、落ち着くなぁ……。 しまった、わたしはすっと眠ってしまったのだ…!! 深夜2時ごろ、いつものように息子の夜泣きで目が覚める。「びえ~!」と泣く息子に、いつもならおっぱいをあげるところだが、ここで負けてはいけない。寝ぼけながらも、手でおっぱいを探している息子。 「びえ~!! びえ~!!」 「かんちゃん、おっぱいはバイバイしたでしょ」 ボロボロ涙を流しながら、おっぱいを求める息子を見ていたら、こちらまで悲しくなってきてしまった。その脇で、サポートするといっていたはずの夫は爆睡……。 叩き起こそうかと思ったが、ひとまずできるところまではやってみようと 夢の断乳成功の向けて攻防にでる。 「びえ~!」 「バイバイでしょ!」 「びえ~! びえ~!!」 「もう~、おっぱいはバイバイしたでしょ」 あぁ、これは長期戦になりそうだ…。不安がよぎる。気持ちを切り替え、負けじと息子の背中をトントン優しく撫でていたら、泣き続けていた息子が30分後、ベッドの上をコロコロ転がりはじめ、しまいには力尽きたのか、しゃくりあげながらもスッと眠ってしまった。 あれれ? こんなにも簡単に寝るもの? 思った以上に粘らずに諦めた息子に驚きを隠せない。 断乳2日目、いったいどうなる? 次回は「さようなら、おっぱい! 断乳に挑戦~ 後編~」をお送りします。
2017年03月09日赤ちゃんを子育て中のお母さん、おっぱいあげてますか? 赤ちゃんにおっぱいをあげている時間って、なんとも言えない愛しさがありますよね。母性が湧き出る感じ。あ~あの時間こそ至福の時。子どもが最高にかわいい瞬間だと思います。 産まれたばっかりで最初にお乳をあげたとき、乳首が取れるんじゃないかというくらいの吸引力で「ぎえぇーーーーーー!!!」と、激痛に襲われましたが、もう子どもが1歳を迎えるころには乳首の形だって、ずいぶん変化しちゃって…。 毎日吸われて自然とトレーニングされて、もう今ではどこから吸われようが怖いものなしの乳首になっていることと思います。そうはいっても、乳首だって身体の一部。感覚がないわけではない。 赤ちゃんだった息子も、成長とともに歯が生え始め、あやまって乳首を噛もうものなら、「ぎゃーーーーーー!」と、痛みでのけぞりそうになる。ずーっとおっぱいをあげるのも容易ではない。 産後ホルスタイン並みに立派なおっぱいだったわたしのおっぱいは、息子が1歳を迎えてからというもの、張りがなくなりしょんぼりしはじめ、元気がなくなってきた様子。 産後、夜泣きのある毎日で、あれからずっと寝不足だし、体力的にもきついのは確か。体重も産前より2キロも落ちている。はて…わたしのおっぱい、もう引退時期なのではないか……?と思い始めた。いや、しかし……おっぱい、やめられるのか? 息子の場合、夜は添い乳でないとまず寝てくれない。う~ん、おっぱいあげるのやめるのってどうなんだろ~。ひとまずネットや育児書で調べてみる。 「断乳」=母のタイミングでおっぱいを止めること。 「卒乳」=赤ちゃんのタイミングでおっぱいを止めること。 どちらがいいのかは人それぞれ書いてあることが違うので、なんとも言えないが、健康で食事が進んでいるようであれば1歳を過ぎた時点で、おっぱいを飲まなくても食事で栄養を取れるようになるようだ。 断乳、してみようかなあ。と、子持ちの友達に相談すると「いや~絶対泣くよ。うちの子、3日3晩、泣き腫らしたよ。もう大変だったよ~。断乳するなら絶対旦那に頼った方がいいよ」とアドバイスをくれた。 しかし、断乳に成功すると、びっくりするくらい母は楽になるそうで、子どもは夜泣きもなくなり、夜寝たら朝までずーっと寝るようになるという。それってすごい! 夢のようだ!! これま3時間の細切り睡眠だったのが、7時間くらいぶっ通しで眠れるなんて。あぁ~いいな、いいな。育児に家事に仕事に奮闘している母としては、睡眠はとてもとても重要だった。 う~ん、おっぱいをやめるのはなかなか大変そうだなあ。と、不安がよぎるも、いつかはやめなくてはいけない、おっぱい。赤ちゃんからこどもへ成長する過程で、必ず通らなくてはいけない試練。さっそく旦那に相談し、断乳日を決める。 夫の仕事に影響のない日を3日連続でチョイスし、わたしたちはその日を「断乳トライ期間」にした。もし、息子がおっぱいを欲しがり泣きじゃくっても夫が添い寝でどうにか過ごす3日間。 断乳初日を翌日に控えた息子に「明日の夜から、おっぱいバイバイね。大丈夫?」と、聞くと、分かっているのか分からないが口を開けたまま「うんうん」と頷いた。 1歳6ヶ月、息子と母の挑戦が始まった。 次回は「さようなら、おっぱい! 断乳に挑戦~ 中編~」をお送りします。
2017年03月06日1歳を過ぎた息子もハイハイからようやくつかまり立ちができるようになり、ますます目が離せなくなってきた。 わが家の間取りは2階建の3LDK、仕事場、書斎の2部屋を抜かして、キッチンからリビング、寝室はすべて1フロアにある。仕切りもないので、息子はハイハイとつかまり立ちでどこまでも移動が可能になった。この成長は親のわたしたちにとって、とても喜ばしいことだけれど、その反面、息子から目が離せなくなってきた。 息子は部屋にあるものなら、なんでもおもちゃにしてしまう。戸棚に入っていたお皿も、収納しておいた鍋類や調味料、化粧品、洋服に下着、本などもすべて彼の手にかかればすべて遊び道具になる。おもちゃで遊んでくれればいいものの、そういうわけにいかない。これも成長の表れ…誰もが通過するポイントだろう! 夕飯の支度をしていたら、息子は部屋に置いてあったBOXティッシュからペーパーを出し始め、気づかぬうちに部屋が真っ白い紙の海と化していたり、部屋の隅に置いていたペン立てから油性ペンを取り出して、襖にぐるぐると絵を描いてしまったり……。 以前わたしがお小遣いをはたいて買った高級化粧水を引っ張り出し、顔に塗りたくっていたことも…! 「あそんじゃだめでしょ~!」と怒ったところで、1歳を過ぎたくらいではピタリと言うことを聞くはずもない。 ぐぐぐっと眉間に皺を寄せたところで、息子の顔を見ても「どうしたの?」と、悪気のないピカピカの笑顔を見せられれば「仕方ないか…」と、諦め、母は観念するしかなく、部屋の隅でいじけるしかないのである。 そんなことを繰り返しても、ストレスが溜まる一方…。このままではわが家は息子のテーマパークになってしまう。果たしてどうしたものか? そこでわたしたちは、思い切って断捨離と、部屋を整理することにした。これから息子のおもちゃや服がたくさん増えていくだろうし、わが家に新しくスペースをつくらないと。 ひとまず、触ってほしくないものは押入れにしまい、危ないものは高い位置に移動することにした。 育児が始まってからというもの、なかなかまとまった時間がとれず整理整頓ができていなかったわが、掃除を始めたらいらないものが出るわ出るわ! 最近着ていない服、聞いていないCD、集めていた雑誌など 思い切ってドサッとゴミ袋へ。 なんとその数8袋! よくもまあ、こんなにいらないものと共に暮らしていたなあと自分にびっくりする。整理をしていたら、大事な写真などをまとめている引き出しから妊娠中のアルバムが出てきた。 アルバムの中にはエコーの写真が入っている。妊娠12週のころの写真、子宮であろう楕円の中に、小さな米粒のようなものが見える。数値を見ると64mm、体重は16gと記してあって、ページをめくるたび、その数値は大きくなり妊娠後期、30週ともなると、もうすっかり人間の形になっている。 お腹をさすりながら「まだかな、まだかなぁ。早く会いたいねえ」なんて声をかけていたころが懐かしい。 今ではこうして母を困らせるほどに成長したのだから、こどもの成長は本当にあっと言う間。息子の世話を焼く時期もきっと瞬く間に過ぎていくのだろう。そう感じたら、さっきまで散らかっていた部屋も愛しく思えてくるのだから不思議だ。 これからわが家はどのように変化していくのだろう。憧れのマイホーム、いつか手に入ったらいいなぁ……。息子の成長とともに、親のわたしたちも夢に向かって成長できたらいいなと思う。
2017年02月18日あけましておめでとうございます。2017年、みなさんはどんな1年にしたいですか? わたしは初心忘れべからず、子どもがうまれてきてくれたことに感謝し、今年も子育てに奮闘したいと思います。そこで、2017年最初の記事は息子が1歳のお誕生日を迎えた日のことを書こうと思います。 ――今日は晴天。気持ちの良い青空が広がっている。今日は息子の1歳の誕生日。 わたしの身体に宿った小さな小さな命が、この世界に産声をあげてから1年。どんなことがあっただろう。子どもと共に成長した日々。わたしはきちんとした、母になれただろうか。 365日、仕事と並行して1日も休まず向き合ってきた、初めての育児。振り返ればいろんなことがあった。 どの瞬間も、決して忘れたくない。息子を初めて胸に抱いた時の温もりやふわふわのやわらかな産毛、あまいおっぱいの香り、小さな手足…そのどれもが愛おしく、もう懐かしく感じる。 分娩台の上で、20時間陣痛と戦ったこと。あの痛みは世界の終わりかと思うくらいの激痛だった。 何度も繰り返す終わりのないおしめ替え。おしっこを顔にひっかけられたこともあったっけ。沐浴に失敗して泣いたりもした。産後鬱も心身ともに辛かったな…。毎日の抱っこ、手首が腱鞘炎になりかけた。増える洗濯物、手間のかかる離乳食。夜中の授乳、寝不足の日々…。 こうして並べてみると、育児は歓びと苦労の連続で、想像以上に手がかかる。1日があっという間。日々、スピードは加速していく。それもそのはず、人のお世話を朝から晩までしていたら、時間の感じ方が変わってしまうのも無理はない。 けれど、わたしは息子が可愛くて、可愛くて仕方がない。朝起きると、わたしの顔を見てにっこり笑ってくれるのだ。何もしていないのに、嬉しそうにしている彼を見ていると、わたしまで笑顔になる。世界がどんな暗闇に包まれようと、この笑顔だけは守ってやりたい。 全力で、笑ったり、泣いたりするこの子を見ていると、どこまでも自由で、みずみずしくて、世界は夢や希望に溢れているなと思う。純粋無垢で、キラキラとした特別な存在。この笑顔は何にも代え難い。 どんなに眠い朝も、疲れて悲しい夜も、息子はわたしを見て、とびきりの笑顔を見せる。小さな手でわたしを抱きしめて「お母さん、だいじょうぶだよ」と声をかけるように。 産む前まで、知らなかった。子どもってすごい。子どもって素晴らしい。子どもは、人を幸せにする力を持っている。いつだってこの子がいると、わたしは笑っていられるのだった。 わたしは近所で一番美味しいケーキ屋で、大きなショートケーキを買った。イチゴがたくさんのった、真っ白なショートケーキ。 ロウソクに火をつけて、息子の誕生日を祝う。不思議そうな顔をしてこちらを見つめる息子に「1歳になったんだよ。おめでとう。ハッピバースデイトゥーユー ハッピバースデイトゥーユー」と歌を唄っていたら、胸がいっぱいになり、わたしはうれしくて泣いてしまった。 涙が、たくさん出てきた。ロウソクの火が霞む。夫もとても嬉しそう。病気もせずに今日という日を迎えられたこと。こうして家族3人で、お誕生日をお祝いできたこと。息子が1歳になったんだ。 当たり前のようで、当たり前ではない特別な日に感謝した。母になり1年、父になり1年。ふたりとも本当によく頑張ったと思う。 1歳になった息子に、ありがとうの言葉を贈りたい。あなたが産まれて、わたしの人生は彩りを増した。明日が楽しみで仕方がない。あなたの成長を誰よりも願っている。 この想いは、きっと子を持つすべての、愛のあるお母さん、お父さんの気持ち。わたしだけの気持ちではないだろう、そう願いたい。 お誕生日が来る度に、生まれてきてくれたことを思い出して。“今”この瞬間がいちばん可愛い、この世でひとりしかいないわが子。そして、息子にとっても、この世でひとりしかいない母がわたしなのだ。 “お母さん”という生き物は笑ったり、泣いたりしながら、今日もまた育児に奮闘するのだろう。 つづく
2017年01月13日こどもが産まれてからというもの、せわしなく1日が過ぎていくものだから、ついつい後回しにしてしまいがちなのが髪の手入れ。息子が産まれる直前に美容院に行ったきり、わたしはなかなか美容院に出かけることができずにいた。 東京には溢れるほど美容院があるというのに、ほとんどの店にキッズルームは完備しておらず赤子を連れて出かけることは難しい。 髪の手入れをしていない、ボサボサの髪型のお母さんを見ると、どうしても育児に苦労しているような印象を受ける。まさに、今のわたしがそれだ! トレードマークのおかっぱも形状が変わってきている。 このままでは、夫婦揃って伸び放題の髪の毛を振り乱しながら育児に奮闘することになるので、それだけはどうしても避けたい…。せめて髪型だけでもすっきり爽やかにしたいものだ。 息子を連れて、初めての美容室。いつもカットしてもらっている美容師さんがちょうど新しい店舗に移動になり、表参道まで出かけた。 先にひとりで出かけ、わたしの髪型が仕上るころに、夫には息子を連れて美容室まで来てもらうことになっていた。交代制で息子を見る、という流れだ。 わたしは久しぶりにパーマをかけることにしていた。 美容院につくなりシャンプーを済ませ、クルクルと巻かれるわたしの髪の毛。 育児がスタートし、そろそろ1年。くたびれた髪型に、ようやくおさらばできる。 1時間半後、夫が息子と共に美容室にやってきた。 受付を済ませ、さっそくわたしの席の隣に座る。 わたしは息子に手を振り「かんちゃ~ん、お母さんだよ~」と、声をかける。 しかしならが、息子の表情が曇る。 突然口元がへの字になり、涙ぐむ息子。 「あれぇ、どうしたのさぁ。」抱き上げると、眉間に皺を寄せ目を大きく開き、泣き出してしまった。 「ひえーーーーーぴえーーーーーーーぎえーーーーー!」 小さな泣き声から、ギャン泣きへ。店内に響き渡る、息子の泣き声。 どうして泣いているのか? なぜ抱いても泣き止んでくれないのか? ウロウロしながら答えが分からず、鏡で自分の姿を見ると…。 あ!そうか。分かった! 身体を覆う銀色のクロスと、髪をまとめているタオルで、わたしが母なのかよく分からなかったようだ。しかもパーマ液で匂いもかき消されているからなおさらだ。 何をしても泣き止まないので、トイレをお借りして強引に授乳、授乳、授乳。よっぽどわたしが恐ろしかったのか、目をつむって乳に吸い付く息子。時間のロスで予定よりもパーマがきつく入ってしまった! わたしのカットが終わり、クロスとタオルを外すと、ようやく息子も落ち着き始めた。やっと夫の番がやってきた。夫のヘアカットが終わるまで、息子と街をぶらぶら。 新しい髪型にすると、気持ちまで晴れやかになるから不思議。新鮮な気持ちで街を歩く。 しばらくして、「終わったよ~」と、夫から電話がはいる。待ち合わせ場所にいくと、遠くの方からアフロヘアの頭の大きな人が近づいてきた。表参道にはいろんなタイプの人がいるのね…と思ったら 「あれ?よく見れば夫じゃないか!!!」 夫はわたしが店をでたたった2時間で、ものすごいイメチェンをしていたのだった。脱サラしてからの反動か!? 31歳にしてこの変貌。「ブラックミュージックの影響だよ~」と、夫はチリチリの髪型を気に入っているご様子。 夫よ、申し訳ないが…このヘアスタイルは、どうやってもバイオリンの弾けない葉加瀬太郎か売れ残った阿寒湖のマリモにしか見えない。わたしが好きだった爽やかな夫はどこへ…? 唖然としているわたしを前に、息子はヘアスタイルの変わった父親を笑顔で迎えた。なぜ父のことはわかるのか!? 脱サラした夫の変身ぶりがすごい。ヒゲは生えるわ、髪はチリチリになるわ、体重は増えるわ…。このままどこいにくの!ねえ、お父さん!! つづく 次回は「 おめでとう ありがとう。1歳の誕生日」をお送りします。
2016年10月13日生後7ヶ月を前にスタートしたちょっと遅めの離乳食。1日1回食から、2回食まへと進み、そろそろ3回食に進もうというところ。1日3回、離乳食を作るのだけでも時間がえらくかかるのに、それに加え食べさせるだけでも更に時間が必要で、この時期となると、息子にごはんを食べさせるためだけに1日を過ごしているといっても過言ではなくなってきた。 ドロドロに煮たお粥から、半粥、そしてごはんと、固さも少しずつ大人用のごはんに近づいてきた。野菜にお魚、お肉、果物、乳製品、日に日に増えていく食べられるようになった食材たち。赤ちゃんから子どもへと進化していく過程を、食べ物からも読み取れる。 これまで順調に進んでみえた息子の離乳食。それが、ある日突然まったく食べなくなってしまったのだ。 「はて? どうしたものか」。 大好物のアボカドと、納豆だけはムシャムシャと食べる以外、スプーンですくって口に運んでやっても、まったく口を開かない。息子は、わたしの手料理をほとんど食べてくれなかった。 一生懸命、時間をかけて作った料理を食べてくれないとなると、さすがに悲しくてやるせない気持ちになってくる。「まずいのかしら…?」と心配になり、夫に味見をしてもらうと「普通に美味しいけどなぁ」と答える。 もしかしたら手づかみなら食べるかもしれないと、パンをちぎってわたしてやると、嬉しそうな顔をしてパンをおもちゃのように、潰して遊んだ後、終いには「ポーイ!」と、放り投げてしまう。 大好物の納豆をあげようものなら、それはそれは悲惨な状況に…。息子は手で納豆をすり潰した後、ネバネバのドロドロになった両手でシャンプーをするかのように頭をもみ始める。髪は納豆がへばりついて、まるで大仏のようになっている。 それに加え、テーブルの下は放り投げた米粒や野菜のクズなど、ありとあらゆる食べ物だらけで毎度掃除をするのが苦痛で仕方なかった。なぜ、こんなに散らかすのだろうか。 「どうして食べてくれないの~!」とイライラが募り、食事の時間がくるたび頭を抱える始末。わたしはどうしても息子にごはんを食べてほしい一心で、何度も食事を口に運んでみるも、撃沈。息子は2週間もの間、ほとんど食事を取らず、ミルクだけで過ごしたと言ってもいい。それくらい、食べてくれなかったのだ。 そのころ、伝い歩きが上手になってきたこともあって、運動量が増えたのか、むちむちだった手足がほっそりしてきた。体重まで減ったのではないか?と、息子の状況に、わたしは毎日そわそわしていた。 食べてくれないことがこんなにも母を心配させるとは…! 自分ではどっしり構え、ラフな子育てができるタイプと思っていたのに、意外にも自分が神経質だったことに驚く。そういえば、わたしの母も偏食だったわたしに「ちゃんと食べなさい~」と、繰り返していたように思う。これが血というものか。 そのころ、わたしはどこにいっても「ごはん食べて~」と言いながら、息子を追い回していた。3歳の娘がいる友達に、そのことを話すと「そのうち絶対食べるようになるから、あんまり心配しないで大丈夫だよ~。おおらかな気持ちで臨んで~」と、アドバイスを受けた。 そうかそうか、おおらかな気持ちが大切ね…。心を入れ替え、新しい気持ちで向き合ってみよう。椅子とテーブルの下にレジャーシートを引き、息子を適当なTシャツに着替えさせ、どんなに散らかしても、汚しても良い状態にし、自由に食べさせることにした。 その日の献立は、アボカドとトマトのサラダ、ササミとにんじんと大根のコンソメスープ、彩りも良く、綺麗に盛りつけをし、お米も海苔でまいて小さなおにぎりにしてセットが完了。プラスチックのお皿に、スプーン、フォークを準備し、ようやく食事がスタート! さて、食べてくれるのだろうか…? すると、息子は楽しそうに手づかみでぐちゃぐちゃと食材をひとつずつ確かめながら、小さな手で一生懸命口に運び始めた!! 「食べた~!!」 わたしは夫とふたり手を取り合って、大喜び。嬉しさのあまり食事中の息子に、「いい子、いい子!」と両手で頭をぐりぐりなでた。 わたしの嬉しい気持ちが伝わったのか、拍手をして歓ぶ息子。その可愛さといったら! 「これまで悪戦苦闘してきた食事の時間はなんだったのだろう…」と反省するばかり。息子はもっと自由な気持ちで、楽しく食事が取りたかっただけなのだ。わたしが手をとって、あーでもない、こーでもないと、プリプリ怒っていたのがきっと彼の食欲をストップさせてしまっていたのかもしれない。 大人だって、誰か不機嫌な人が隣にいれば、どんなに美味しいご馳走が用意されていようともまずく感じるはずだ。 息子はこれを機に、上手に離乳食を食べるようになった。 おっぱいをあげる頻度も少しずつ減っていった。 もう少ししたらおっぱいを離れ、赤ちゃんからこどもになるんだなあ。 息子の1歳の誕生日を前に、嬉しいような、少しだけ寂しい気持ちにもなった。 つづく 次回は「事件勃発!子連れで行く美容院」
2016年08月26日こどもが産まれると、楽しいことも増えるけれど、やっぱり辛いことだってある。そんな中、体力的にも精神的にもまいってしまうことと言えば、それはこどもの健康状態が悪くなることだ。 ただ熱が出る程度ならいいけれど、まだ0歳児となれば言葉も通じないわけだから、全身で具合が悪いことを表現するしかない。そのため、これでもかというほどぐずる。 息子の場合、普段はとても穏やかで落ち着いている性格だが、風邪を引きようものなら終始グズグズしてしまう。生後半年を過ぎた冬、初めて風邪を引いたときも大変だった。 母業もスタートしたばかり。「まだまだ身体のちいさなわが子に、もしものことがあったらどうしよう」と余計な心配ばかりしてしまう。 母の心配を余所に、生後10ヶ月になる日を前に、息子が再び体調を崩した。深夜3時ごろ、ふと目が覚めて眠っている息子を抱き寄せると頭が熱い。汗もびっしょりかいている。 「うーん、おかしいな…。こんなに熱かったっけ?」 ちょっとだけ熱があるのかもしれないなと、少し心配しながらも寝不足が故、そのまま朝まで眠ってしまった。 朝起きると、いつも通りとても元気な息子に戻っていた。 「あれはなんだったんだろう? こどもはよく熱を出すと言うからな。」。そんなことふわりと考えながら、普段通り過ごしていたら、午後から突然、息子が「わ~わ~」と泣き、ぐずり始めた。 泣いている息子を抱き上げると、てのひらが熱くなっている。さらに、おでこを触れば湯たんぽのように熱が高い。測れば38度を越えているではないか。 うーん、これは普通の風邪なのか? それとも噂に聞いている”突発性発疹”なのか? 突発性発疹は、生後半年を過ぎたころ、免疫が切れてからほとんどの赤ちゃんがかかる病気で、高熱が3日3晩続いたあと、ブツブツの発疹が身体中に現れるというもの。 母の心配を余所に、予感は的中。夕方ごろになると熱はさらにぐーんと上がりに上がって、40度近くになっていた。念のため、病院に連れて行き診察を受けるも 「これは突発性発疹かもしれないね。この病気を治療する薬はないから、熱が下がるのをひたすら待ってください。水分補給だけ忘れずに! おっぱいをたくさんあげてね」と、アドバイスを受けた。 ほとんどの赤ちゃんが通る試練。この世に産まれて間もないというのに、こんな仕打ちを受けなくてはならないなんて、人間界は厳しいなあと思う。 わたしは平常心を保とうと思いつつ、1時間ごとにひどくなっていく息子のぐずり具合にオロオロする。夜になると息子のぐずりもピークに! 常に抱っこをしていないと泣きじゃくり、家事なんてとてもじゃないけれどまともにできない。 夫が抱っこを替わろうとしても、いやだいやだと拒んで泣きわめく。やはり、体調が優れないときほど、母親の存在が必要なんだろう。離乳食もほとんど口にせず、常におっぱいを要求する息子。高熱がゆえ、力も出ない。 ぐったりした様子を見て、かわいそうでかわいそうでこちらも泣きたくなってきた。夜は2時間おきに授乳をし、抱っこ、抱っこ、抱っこ…の末、ヘトヘトに。 心も体もずいぶんと疲れきっているはずなのに、それでも代わってあげたいと思った。母親なら誰しも願うであろう、その気持ちを、自然とわたしも願っていた。 この無償の愛情はどこから湧いて出てくるのだろう。母になってからというもの、新しい感情に気付くと自分が違う生き物になったかのような感覚になる。 この子が生まれてからの生活は、慌ただしくも歓びに満ちている。 これからのわたしの人生は、この子がいないと成立しない。だからこそ、元気でいてほしい。 「あぁ、早く元気になりますように。」 結局、丸二日38度~40度の高熱が続き、熱が下がったころにブツブツと赤い斑点が体全体に現れた。「あぁ、やっぱり突発性発疹だった…」。 ほかの病気ではなかったことに安堵し、翌日すっかり元気になった息子の笑顔を見て、「元気になってよかったねえ」と頭をなでる。そして、わたしはまたいつも通り、元の生活に戻るのだった。 つづく 次回は「大苦戦!食べない~1日3回 離乳食」
2016年07月29日世のお母さん達がどうしているのか気になるポイントの中に、オムツ事情がある。布おむつという経済的かつ、環境にも優しい選択肢もあるけれど、毎日洗濯に明け暮れる日々を選ぶ勇気がなく、すっと紙おむつを選択し、育児がスタートした。 紙オムツはテープタイプと、パンツタイプ、その2通りしかなく。母はどちらか一つを選ばなくてはならない。特徴を言うと、テープタイプはパンツタイプと比べ価格も安い。どのメーカーも試してはみたものの、残念な事にう◯こがよく漏れる。 これはまさにオムツ事情あるある。今日はわたしがテープタイプからパンツタイプのオムツに移行したきっかけになった話をしたいと思う。 今年に入って、夫の幼馴染が結婚することになり、家族で結婚式に出席することになった。某芸能人もここで式をあげたという、歴史ある厳かな教会で執り行われるそうで「これは久しぶりにオシャレをしていかないと」と気合いが入る。 親友の結婚式。息子を連れて、こうした祝いの席に参加することは初めてだったので、式当日をとても楽しみにしていた。 結婚式は息子に何を着せようか? インタネーットで検索すると、よくあるタキシード風のベビー服がわんさか出てくる。何か他に良いものはないか…?と、買い物に出かけると、正装にもなりそうな白いニットのロンパースを発見! さっそく買って着せることにした。 全身ニットに身を包んだ息子は、まるでゴーストバスターズのマシュマロマンのようだった。陽気なその装いに、息子は会場にいたあらゆる人に可愛がられた。しかも、息子はかなり上機嫌。これなら式中に困ることもなさそうだ! さっそく式がスタート。息子を抱っこして、新郎新婦の入場を待つ。演奏が始まり、オルガンの音が鳴り響く。合唱隊がそれに合わせて声を高らかに歌い始める。 新郎新婦が入場すると、息子は興奮気味に「あうあうあ~」と声を上げ始めた。花嫁さんの美しさに感動しているのか? 「うんうん、わかるのね? 花嫁さん、綺麗だねえ…!」と声をかけるも、息子の声はさらに大きくなっていく。教会の中で「あうあうあ~」という声が鳴り響き、わたしは赤面。 あぁ、式中に暴れないでよ~? わたしは内心、息子が泣き出すのではないかと心配し始めた。息子は、わたしの膝の上で屈伸を繰り返し、なんだか落ち着かない様子。もしかして、これは……。 指輪の交換が終わり、神父が新郎新婦に声をかける。 「一生幸せにすると、あなたは神に誓いますか?」 「はい。誓いま…ブリブリブリブリブリ~!!!!」 誓いの言葉と同時に放たれた、息子のう◯こ。 わーーーーーーーーー!なぜ、このタイミングで!? 大声をあげて叫びたい気持ちを抑え、平常心をどうにか保とうとするが、抱っこして、息子のお尻を支えていた右手にホカホカとした温もりを感じる。 これは、漏れているかもしれない…! 白いロンパースなんて着せてくるんじゃなかった…。動揺を隠しきれないまま、夫の方をチラッと見ると、幼馴染の晴れ姿を見て感慨深そうな顔をしていた。 それもそのはず、20年以上の付き合いになる親友が結婚するのだから、こみ上げるものがあるだろう。 夫が感動の渦の中に包まれている中。その隣でわたしは息子のう◯こがこれ以上漏れないように、大きく手を広げ全神経を息子のお尻に集中。無事式が終わるまでずっと緊張していた。 新郎新婦と同じくらい緊張したと言っても過言ではない。あぁ、せっかくの結婚式が…。こんな冷や汗を毎回かくくらいなら、ちょっとくらい高くても性能の良いオムツにした方が良い。 この事件でわたしはテープタイプのオムツから、パンツタイプへと移行することにしたのだった。 つづく 次回は「高熱! 突発性発疹の恐怖」をお送りします。
2016年07月19日「東京おかっぱちゃんハウスで、カフェを始める」。そう決めた夫は、それからというものの、お料理のレシピ本を買ってきて、毎日のように料理に励むようになった。決して得意とは言えないことを、自らやり始めた事にわたしは驚きを隠せなかった。 包丁の研ぎ方も、人参の皮の剥き方もおぼつかない手つきだった人が、毎日作業に励む事でうまくなっていく。そして、仕上ったお料理はどれも美味しいではないか。 これならお客さまにお出ししても喜ばれそう。献立のバリエーションも増えていった。料理家の友人にアドバイスをもらいつつ、夫は確実に腕を上げていったのだ。 失礼な話だが、正直、わたしは人はなかなか変われないものだと思っていたし、夫はずっと会社員のまま、好きなことを仕事にできない人だと思っていた。 しかしながら、目の前で夫が変わっていく姿を見ていると、努力次第で人は変われるものなのだなぁ、と深く反省し、わたしはふと、自分のことを振り返った。 「あぁ、そうだ。わたしも師匠がいるわけでもないし、美術大学に通った訳でもない。ただただ絵を描く事が好きだから、仕事にしようと思ったんだ」。 これまでの私は、自己流でどうにかなった。がむしゃらに動き続けた結果、良い方向に進んだ。こうじゃなきゃいけないことなんて、そもそもないんだった。 夫の仕事がこれから先、どうなるかなんて誰にも分からない。不安だって大きい。こどもがいる状況で、30代から未経験の仕事を始めるなんて、世間的に言ったら信じられない事かもしれない。 だけど、やってみないことには結果なんて出ないのだから、ダメもとでなんでもトライしたらいいと思う。努力したのに、うまくいかなかったら仕方ない。また違う道を歩めば良い。 それは学生でなくても、親になったわたしたちにだって言える事。そういう挑戦する気持ちはいくつになっても持っていたいものだ。親になったからって諦める必要はないんだ。夫の夢が叶ったら、家族にとってもそれは喜ばしい事だ。 大人になると、どんどん、どんどん落ち着いてきてしまう。暮らしの安定を求めてしまう。本当はこうしたいのに、こどもがいるからわたしには出来ない。そんなことを思いがち。世間体が気になって、チャンスを逃してしまいがち。 お母さんになっても、お父さんになっても、本当はできることが沢山あるように思う。 わたしたちはその後、カフェを始める上で何度も意見交換をして、 ああでもない、こうでもないと、時に大げんかをしながら少しずつ準備を進めていった。 飲食業を始めるには色々と道具も必要だし、工事も必要。先行投資もある程度かかった。もうここまできたら、夫婦揃って走り抜けるしかない! 夜泣きで寝不足の状態に、息子を寝かしつけてから夜なべで作業をする日々。育児をしながらの準備は想像以上に大変だった。 オープンは2ヶ月後、新緑の季節。息子の誕生日と同じ月に設定した。カフェがオープンするころ、息子は1歳になる。 これも何かの縁なのか、わたしたちは仕事を共にし、育児も協力して行うようになった。息子の誕生がわたしたちの人生を大きく変えた。 息子がくれたお父さんへのプレゼント、それは人生の転機だったのかもしれない。 わたしも、夫もワクワクしていた。夫婦、手を取り合って、新しい道を切り開いていく。わたしは、息子の健やかな成長と共に、夫の仕事の成功を切に願うのだった。 「東京おかっぱちゃんハウス」 練馬区上石神井にある、Boojil主宰の古民家を利用したアトリエ、シェアオフィス、イベントスペース、カフェ、BAR、ショップを併設した文化交流複合施設。広々とした畳が広がり子連れで訪れる人もたくさん。
2016年07月01日息子が生後2ヶ月の時、夫が無職になった。 大学卒業からずっと勤めていた銀行の営業職を辞め、安定から不安定の道を爆走中。 “夫が無職”と言う、この状況を耐えるには、母であるわたしにとってたやすい事ではなかった。 退職金や、失業保険で数ヶ月分はカバーできても、次の仕事は決まっていない。夫もこの状況から脱するべく、毎日のように頭を抱える日々。妻のわたしが仕事を続けているとはいえ、この状況は辛すぎる。 夫がハローワークに出かけている間、わたしは乳飲み子を背負いながら、パソコンに向かって仕事していた。 「お父さん、どうなるかねえ」。 眠る息子に声をかけるも返事はない。 夫は、次の仕事に就く時は「好きなことを仕事にする」と、心に決めていて、わたしがいろいろと就職先を薦めてみても「うーん、見てみるよ」と適当な返事をするばかり。 アートや音楽、映画などの文化関係の趣味を持っていた事もあり、美術館などの文化施設に就職することも考えてはみたものの、給与が少なかったり、学芸員の資格が必要で条件が合わない。 文化に触れられる、何か良い仕事はないものか? それに加えて、育児も手伝ってもらえるように、就業時間が早い会社はないものか? 早く次の仕事に就くには、まずは夫の頭の中を整理しなくてはいけない。 それにはどうしたらよいか…。わたしは夫にこう言い放った。 「ひとり旅、してきたら?」 産前わたしは毎年のようにひとりで海外に出かけていて、旅先ではよく将来の夢を具体化するために人生設計をしたものだ。 夫がこれから何をしたいのか明確にするには、きっとひとりの時間が必要だろう。それに就職してからずっと長期の旅行にはなかなか行けなかったし、子育てが始まってひとり旅なんてこの先行けるか分からない。 真面目にサラリーマンを続けた夫へのご褒美だ。夫から出た言葉はこうだった。 「俺、NYに行くわ」。 え!? 国内じゃないの? 海外でもいいっちゃいいけど、お金もかかるし、アジアくらいにしてくれればいいのに…。と内心思いながらも、NYは確かに世界中からアーティストが集まる場所だし、発表の場もある。勉強になるのは確かだな……。 ここは夫の将来が明るいものになれば良いと、わたしは置いてけぼりという立場から、少々ふてくされつつも、最後の最後には気持ちよくNY行きを承諾したのだった。 NY10日間の旅。予算は大事に取っておいたボーナス30万円。旅のテーマは「仕事について考える」。この条件の中、夫はひとりNYに旅立ったのだった。 夫が旅行期間中、わたしは息子とふたりで過ごした。育児に追われていると、時間の経過は恐ろしいほど早くなる。あっという間に10日間が経過し、夫が帰国。 日本に帰ってから、夫は毎晩のように思いついたアイデアをノートに書き出して、NYで得た刺激をもとに試行錯誤しながらも、自分が何を仕事にするべきか考えていたようだった。 会社を辞めてから半年が経ち、息子が生後10ヶ月になるころ、ようやく夫の考えがまとまった。 「おれ、仕事決めたよ。夫婦で仕事をして、育児もする。東京おかっぱちゃんハウスで文化関係のイベントの企画と運営をしていく。人が集う場所になるように、同時にカフェ営業もしようと思うんだ。良い考えだと思わない?」。 わたしはイラストレーターの仕事を10代から始めて、すでに12年が経過。副業として始めた、文化交流複合施設「東京おかっぱちゃんハウス」も不定期でイベントを開催していた程度だし、夫が加わる事で本当にうまくいくのだろうか。 夫は自営業暦0年。わたしでも軌道に乗るまで5年程かかっているし、子どもがいる状況で、この不安といったらない。カフェ営業? 飲食経験といったら大学時代、飲食店でアルバイトをしていたことくらいじゃないか。 しかし、夫は頑に「アルバイトも、転職もしない。自分でやる」の一点張り。 心の優しい人だけれど、こんなにも頑固だったとは。 どこかで修行をせずに、ほぼ未経験から自分の道を作っていく。根が真面目な夫とは言え、そんなことができるのだろうか? つづく ※「東京おかっぱちゃんハウス」とは、練馬区上石神井にある、Boojilが主宰の古民家を利用したアトリエ、シェアオフィス、イベントスペース、カフェ、BAR、ショップを併設した文化交流複合施設です。 次回は「 どうなる?無職のお父さん~後編」をお送りします。
2016年06月27日今日は離乳食の話をしたいと思う。 わたしは正直、料理が得意な方ではない。 色々と好きな料理はあるけれど、作れる料理のレパートリーが決しては多くないし、 手料理と言えば、ついつい自分が好きなインドカレーかハンバーグを作ってしまう。 こどもが産まれる前、夫が会社勤めだったころは、色々と工夫して毎食なんだかんだ手料理で迎えたものだけれど、息子が産まれてからというもの、仕事と平行しての育児は、あまりにも時間に余裕がなくなってしまい、夕飯以外、料理はそこそこ手を抜いていた。 時には食パンにマヨネーズ、納豆をかけてトースターで焼いて食べる非常にシンプルな朝食から、 ごはんに納豆と生たまごをかけただけの更にシンプルな昼食などなど……。授乳中の身としては反省しなくてはならいほど適当な食事をとっていた日もあった。食べる事が大好きな夫はさぞかし寂しい想いをしていただろう。 産後も変わらずわたしの仕事が忙しかったこともあり、息子の離乳食スタートは生後7ヶ月になる少し前から始めることとなった。 ようやく始まった離乳食。まずは10倍粥からスタート。それから、ブロッコリーに人参、じゃがいも、かぼちゃ、大根など。じっくりコトコト煮込んだ野菜をピューレ状にして、食べさせる。 息子はその小さな口を開けて、もぐもぐと口を動かす。その仕草はまるで小鳥がえさをついばんでいるかののように愛らしく、わたしはかわいさのあまり絶叫した。 「か・か・か・かわいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃ!」 こんなにかわいいのならば、離乳食なんて楽勝だ。 そんな気持ちでスタートしたのはいいが、1週間も過ぎるとこの光景にも慣れてきて、あっという間に「大変だ~」と、弱音を吐く始末。 始まったら最後、エンドレスで離乳食を作り続けなくてはならない。 「あぁ、母乳のころは楽でよかったなあ~」。 そんな息子の離乳食ライフも、しばらくは週明けに一気に作り貯めをして冷凍庫へ保管。 忙しい時は、ストックしておいた離乳食を解凍して使った。 面倒くさがりやのわたしは、同じ野菜のサイクルで1週間をまわしていたので、息子もよく飽きずに食べてくれたものだと思う。どこかのマメなママさんブログを読めば、しっかりと毎食違う献立でやっている人もいるのだから感心してしまう。 スタートしてから2ヶ月が経ち、1日1回食からスタートした離乳食も、1日2回食へ進むと更に手間も増え、ゆったりとした時間は比例してなくなっていく。 それもそのはず、夫と私の分の食事とは別に、息子用の食事を1回ずつ作り分けるのだから、忙しいのは言うまでもない。これが、もう少ししたら1日3回食になるのか…。想像を絶する忙しさなんだろうな…。 この世のお母さんはみんなこの作業を毎日してきたなんて、信じられない。 離乳食を始めてから2ヶ月が経ち、息子ももうすぐ生後9ヶ月に突入する。 ずり這いも上手になってきて、移動できる場所も広範囲に!もうすぐハイハイもできそうだ。 新しい事ができた瞬間、きゃっきゃと声に出して、息子はニコリと笑う。 毎日毎日、できることが少しずつ増えていく息子を眺めていると、どの瞬間も見逃したくないなあ。と、わたしは思う。 忙しくったって、ゆっくりする間もなくったって、息子の笑顔を見れば、「あぁ、また明日頑張ろう」と勇気がわいてくるのだから、人間よくできているものだなぁ、と思う。 つづく 次回は「どうなる? 無職のお父さん~前編」をお届けします。
2016年06月23日生後8ヶ月ごろから、上下共に歯が生え始めた息子。可愛らしい小指の爪の先のような、小さな小さな歯が出ている。歯が生えたということは、これから離乳食も固形のものをどんどん食べられるようになるのかしら。と、息子の成長をわたしは喜んでいた。 しかしながら、友達に「うちの息子、歯が生え始めたよ~」と、話すと、 「わ、大変だね~!おっぱい痛くない?」 と、全員からこのようなリアクションが返ってくる。 そうか、子の成長を喜んでいるのもつかの間。 噂には聞いていたが、歯が生え始めた時の授乳はどうやら過酷なものらしい。 話を聞けば、いろんな答えが返ってくる。 ある人は、「授乳時に毎回噛まれて出血し、毎晩軟膏を塗っている」と言う。 またある人は「乳首の原形もなくなって、もう乳首ごとポロリと取れてしまった」と言う…。 そのどれもが、まるでホラー映画の1シーンのような展開で、 ねえ、それって本当なの? と問いたくなるくらい、恐ろしい状況である。 もう恐ろしさを越えて、一周し、笑いがこみ上げてくるほどだ。 乳首が取れるってどういうこと? その痛みってどれくらい痛いのだろう…。恐怖でぶるぶる震えつつ、いやいや出産の痛みよりマシだろう。そう自分を励ましたところで、すでに生後8ヶ月が経過してしまうと、あの時の痛みをもう思い出せなくなっている自分がいる。 わたしは息子の歯が生えてきた喜びを感じつつも、自分の襲いかかるかもしれないホラーシーンを想像して、授乳の時間をいささか恐れるようになってしまった。 「わたしの乳首も、いずれ無くなってしまうのね…」と、お風呂に入るたび自分の乳首を眺めて悲しみに暮れていた。 しかしながら、そんな母の心配を余所に、一向に息子は乳首を噛む事がなかった。 「はて? おかしいな」。出産の痛みの次は、ちくびの痛みが確実にやってくるものだと思っていたので、拍子抜けしつつも息子に「親孝行だの~!」と誉めてやった。 友達にそのことを話すと、「息子くん、将来女性の扱いうまくなるんじゃない~?」と言われ、母はぼんやりと息子の将来を想像し、複雑な気持ちになるのだった……。 次回vol.30は、「料理は苦手~ズボラな母の離乳食」をお届けします。
2016年06月17日息子が産まれて半年が過ぎ、本格的な冬がやってきた。 そして、もうすぐクリスマスがやってくる。家族が増えて初めて3人で過ごすクリスマス。こんな時くらい、美味しいものを食べようと、近所のイタリアンのレストランを予約した。 楽しみにしていたクリスマスを前に、わたしはその時期、年末にかけてやってくる〆切地獄に追われ忙しさから体調を崩し、うっかり風邪を引いてしまった。クリスマスを数日後に控えたこの時期に…まったく、なんてこった! その風邪は運悪く、息子にもうつってしまい、親子揃って体調が悪化。息子は咳が止まらず、ミルクを飲んでも吐いてしまうほどだ。 体調が悪いと、ただでさえ大変な育児は更に重労働に感じるし、身体がいうことを聞かないのでわたしの機嫌も悪くなる。1年で最高に男女の仲が盛り上がるはずのクリスマスを前に、わたしたち夫婦の仲は険悪に。そして、息子の機嫌も最高潮に悪かった。 できるだけ安静に過ごす数日を経て、ようやく体調も良くなり始めたクリスマス当日。 親子揃ってまだ身体は本調子ではないけれど、せっかくの機会だ。クリスマスは予定通り美味しいものを食べて過ごしたい。家族水入らず、楽しい時間をすごそうじゃないの。 息子へのクリスマスプレゼントは赤いニットのロンパース。さっそく着せてみると、似合うじゃないの!と、親バカっぷりを発揮。さっそくレストランへ。 わたしたちも久しぶりにお洒落をして、美味しいフルコースをいただいた。まだまだ同じ食事をとれない生後7ヶ月の息子にはおっぱいをたらふくあげておく。お腹いっぱいになったからか、息子はすっかり眠りこけてしまった。 久しぶりに夫婦で良い時間を過ごせ「あぁ、体調が戻って本当に良かった。やっぱり健康が一番だな~」なんて思いながら、わたしたち夫婦は良い気分になって店を後にした。 「何か欲しいプレゼントはないの?」と、夫に聞かれたので「アクセサリーとか欲しいなあ」と答えた。 普段あまり身につけない、キラキラとした光るものが急に欲しくなり閉店間際のデパートに飛び込み、売り場であれこれ見て回っていると、赤い石の入ったかわいらしいネックレスを見つけた。 「お試しいただけますよ」と、店員さん。 せっかくなので、つけてみようかな。とわたしがお願いすると、息子がムクッと起きだして 咳き込み始めた。「ん? どうした? 大丈夫か~?」と、背中をさすり、声を掛けると突然「おえっ!」と、おっさんのような声が。 なんと息子は店の前でさっき呑んだおっぱいをリバースし、買ったばかりの赤いニットのロンパースを真っ白に汚してしまったのだ。 「わあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」 慌てて自分の手を受け皿にし、汚物をさっと隠しながら「失礼致します~」と、わたしはすごい形相でトイレに走り去った。 こうして家族3人、初めてのクリスマスは雪は降ってもいないのに“ホワイトクリスマス”になってしまい、ロマンチックの欠片もない聖なる夜を過ごすのだった。 つづく vol.28 「歯が生えた! 激痛授乳の悲劇」をお届けします。
2016年06月08日