夫と、長女(10歳)、長男(5歳)、次男(0歳)の5人家族。広汎性発達障害と診断された長女と、夫&息子たちの面白おかしい日々を綴るコミックエッセイ。笑いとネタの絶えない毎日です。
夫と、長女(10歳)、長男(5歳)、次男(0歳)の5人家族。広汎性発達障害と診断された長女と、夫&息子たちの面白おかしい日々を綴るコミックエッセイ。笑いとネタの絶えない毎日です。
ある休みの日、小学3年生の娘と2歳の息子を、ショッピングセンター内のキッズスペースに遊びに連れて行ったときのお話です。 そこは大きめのキッズスペースで、いろいろなおもちゃがありました。子どもたちはそれぞれおもちゃへ向かい、少しはなれたところで別々に遊びはじめました。 ■積み木で作った娘の力作、母に報告しようとしたところ… 娘は、積み木を高く積み上げる遊びをしていました。 ママ見て~! と娘が私に声をかけた瞬間、息子が積み木に気づき、走ってきました。 そして… 娘が必死に積み上げた積み木を、息子は一瞬で壊してしまいました。 突然の出来事に号泣する娘。 「してやったり」の表情をする息子は、姉に謝らずに走って自分のいた席へ逃げていきました。 ■お仕置きしようと思ったら、意外な結末に!? ちゃんと謝らせなきゃ、と追いかけると… そこには、たたずむ息子の姿が。 そこで目にしたのは… さっきまで息子が遊んでいた線路を、ぐちゃぐちゃにする子の姿。 息子はその場に崩れ落ち、号泣…。 偶然にも、さっき自分がやったことを、そのままやられた息子。 「きーしゃんのがぁぁぁぁ!」と泣きわめく息子でしたが、私たちはあえて黙って見守りました。 自分がやったいじわるは、自分に返ってくる… 身をもって知った2歳児でした(笑)
2019年09月10日いつか子どもができたら…と、私が昔からあこがれていた家族像は、子どもたちが「ママ!」「ママ!」と求めてくるというものでした。 「子どもたちはやっぱりママが一番よね~!」とドヤ顔がしたかったのです。 しかし現実に、子どもができた今… ■想像していた未来と違う… 全く想像してなかったものに…。 わが家は、パパがいつも人気で子どもたちはパパの取り合い。 娘は「パパ!聞いて!聞いて!」 息子は「パパ!遊んで!遊んで!」 主人は、帰宅した瞬間から、いつも大忙しです。 下の子はまだ小さいこともあって、眠いとき、ご飯のとき、お風呂のときなどは、私にきてくれますが…、遊ぶとなると、パパからべったり離れません。 おかげで私は、一人でさみしく…じゃなかった、一人でゆっくり。 でも、私にだって主人に聞いてほしいことがあります。 ■パパと話すために悪戦苦闘! 子どもたちと遊んでいる主人に話しかけてみると… 全く届かず! 相手が子どもでも譲れない! 負けてなるものか! と、対抗したのですが… 3人が同時に話したことで、主人がパニック状態に。 そこで、娘と息子が寝たあと、ゆっくり主人と話そうと慌てて息子を寝かしつけ、リビングに戻ると… 力尽きて爆睡している主人。 …と言っても、主人が家族みんなから求められているこの状況、 なんだかんだ好きな私。 これはこれで楽しい。 子どもたちも私も、パパが大好き。 主人には引き続き、子どもたちを全力で相手してもらって… 二人でゆっくり話すというのは、子どもたちがもっと大きくなってからにとっておきます(笑)
2019年09月03日うちの子どもたちは5歳(6学年)差の、姉弟です。息子は、私にとって5年ぶりの出産でした。 娘の出産のとき、私は27歳。そのときと同じように、また一からの子育てを32歳でこなせる体力があるか、正直不安でした。 ■5年ぶりの子育て、思った以上にキツイ! そして、いよいよ始まった二人目の子育て。 昼夜問わず2、3時間おきの授乳…おむつ替え…、ひたすら泣く新生児を抱っこし、揺れ続けなければならない。私の体力は、5年で思った以上に落ちていました。 特に夜泣きは、特に苦しくて、 重くおりてくるまぶたを、必死にこじ開けていました。 長女のときにはなかった、いつの間にかの気絶もしょっちゅうで、 ミルクをあげながら力尽き、夫に驚かれることもたびたびありました。 ■子育ては、何度経験しても新鮮 5年前に経験したことでも、忘れていたりもします。学んだはずの離乳食のやり方も、すっかり忘れていた私。一からネットで調べて、再度学びました。 二人目と言うと、「子育てに慣れている」とか「こなせている」とか思われがちですが、二人目だからって、余裕でも大丈夫でもないのです。 わからないことも山ほどあります。 何人産んでも育てても、毎回大変だし、きついし、慌てもします。 何度経験しても、新鮮なものなのだな~と思います。
2019年08月26日私たち夫婦は、なぜか外出先で、知らない人から声をかけられることが多いです。 ■旦那の場合… 仕事でスーパーに買い出しに行った旦那。車に乗ろうとすると、バスを待っていた知らないおばあちゃんが近づいてきて、 「家まで送ってくれない?」 と頼まれました。そのまま荷物も車に乗せ、家まで送り届けたそうです。 旦那は、こういうことがよくあるそうです。昔からお年寄りに好かれやすく、おじいちゃんおばあちゃんから可愛がられた旦那は、こういった頼みを、なんの疑問もなく受けます。 ■私の場合… 子供用品の買い物に行ったとき、知らない人に 「ちょっと聞いてもいい?」 と話しかけられました。そして、商品について質問されたり、アドバイスを求められました。 「あれ? 私って店員っぽいかな? 」と自分の服装を確認してみても、店員とは程遠いゆるい服装。 疑問に思っていると… 私を店員だと勘違いして聞いたのではなく「子どもがいるから」という理由で、聞いてくれていたのです。 商品については詳しくないですが、せっかく聞いてもらったのだからお役に立ちたいと、私の経験上の意見をいろいろ話させてもらい、購入に役立ててもらいました。 こういうことが一度や二度ではない私。多いときは、同じ日に同じ店内で、違う人から二度話しかけられたことがあります。思わず、自分がなにを買いに来たか忘れそうになりました。最近では、あまりに頻繁ですっかり慣れてしまった自分がいます。 結婚前から、お年寄りの他にも、子供から話しかけられることが多かった私たち夫婦。知らない子が近づいてきて、お菓子を自慢されたり…いきなり「だっこ!」と言われたり…。 この話を友人にしたところ… 「この人なら大丈夫って思うんだろうね!」 …人がよさそうなはさておき…、警戒心のない? …それって、いいのだろうか? だまされやすそうということだろうか? …とりあえずほめ言葉として、うけとっておきたいと思います(笑) ↑ウーマンエキサイトベストコミック大賞はこちらから!
2019年08月12日私は、息子が生まれるまで、実は男の子の扱いが苦手でした。娘の幼稚園にいる男の子は、みんな活発で、おとなしい娘で慣れていた私は、男の子をどう扱っていいかわからなかったのです。 中でも、男の子がママによじ登る姿は、衝撃でした。そして、それを気にも留めず、しゃべるママさんの姿も驚きでした。 ■やんちゃな姿に衝撃 男の子ママになれるのか不安に… 驚く私に、男の子のママは「男の子ってさ、やんちゃだし、変なことばっかりするし、ケガも多いけど、なぜかね~めちゃくちゃかわいいよ!」と言いました。 登られても動じないママさんを見て私は、「男の子のママってすごく力持ちで…包み込む優しさと、大きい器がいるのか…」と思いました。 そして二人目の妊娠がわかったとき、私はひそかに「女の子」を願っていました。それは娘のお下がりがしやすいというのもありましたが、男の子をうまく扱えるか、正直自信がなかったのです。 性別がわかってからも、「だ、大丈夫かな…」と不安に思っているうちに息子が誕生。 しかし、生まれてみたら、その不安は吹っ飛びました。 ■とんでもないケガやいたずら…、でも思った以上にかわいい! とにかく、かわいい! 娘と同じように、お腹を痛めて生んだわが子。かわいくないわけがない! 娘も当然かわいいのですが、男の子にはそれと違った“かわいさ”がありました。 いたずらも娘と違って、とんでもないことをするのに… 余計なことをして、ケガをするのに… でも~やっぱりかわいい~!! ■ついに私にもあの瞬間が訪れる…! そして息子が2歳になったころ、保育園のお迎えのとき、保育士の先生と話していると…、息子が私に登りはじめました。 おぉ~! これ、見たことある!! あれだ~!! よじ登ってくる息子は重かったのですが、私も動じませんでした。 そのとき、あ…私…男の子のママだな~と感じ、うれしかったです。 もうすぐ3歳になる息子。どこでも登るし、高い所に登っては飛び降りるし、基本的になんでも激しいし、常に一人で格闘しているけど… 異常な甘えん坊で、私に毎日愛をささやいてくれる…。 男の子も、おもしろくてかわいいです!(笑)
2019年07月23日娘がいるお母さんなら、あるあるかもしれませんが…、 女の子の服って、おしゃれで、種類も多くて、選ぶのって楽しいですよね。 私も、娘が生まれてから、娘の服を見るのも選ぶのも大好きで、楽しくて仕方ありませんでした。 ■ファッションに目覚める娘、服の好みが母とは違う!? 娘は、3歳ごろまで服に興味もこだわりもなかったので、 私は毎日娘を、着せ替え人形のようにしていました。 そんな娘も4歳になると、少しずつ自分の意志で服を手に取るようになりました。 鏡の前で服をあわせてみたり、フリルを触ってみたり…。 ズボンより、スカートを好むようにもなりました。 そして、さらに服に興味を持ち始めた娘は、 6歳のとき、将来「ファッションデザイナーになりたい」と言うようになりました。 ファッション雑誌を見るようになり、ファッションスタイルの種類まで覚えるようになりました。 小学生になってからは、行く場所などに合わせて、自分で服を選ぶようになり、そのうち私の選んだ服も、ことごとく却下されるようになりました。 しかし、それでも私は、こっちがいいよ! 似合うのに~! と、私が好きな趣味の服を選んでもらおうと必死に説得していました。 ■女の子らしい服が苦手だった過去 そんなとき…ふと昔のことを思い出しました。 私は小さいころ、男の子っぽい服が好きで、女の子らしいワンピーズが大嫌いでした。 母親から自分の趣味ではないフリフリの服を無理やり着せられて、嫌な思いをした記憶があったのです。 ハッとしました。今私は、それと同じことをしている…。 それから私は娘の好みを聞き、冠婚葬祭や学校行事などで指定があるとき以外は、娘が着たいものを着せるようにしました。一緒に買い物に行けない時は、事前にどんな服がいいかなどデザイン色など詳しく聞くようにしました。 服の好みも立派な 個性 。 最近では、ファッションについて、「え?そうなの?」「へえ~、知らなかった」と娘から学ぶこともたくさんあります。 あと、何年かすれば、ファッションについて、私が娘にアドバイスを求めるようになりそうです(笑)
2019年07月10日娘一人、息子一人のわが家ですが…、私はもともと、子どもができにくい体質でした。結婚したのは24歳のとき。結婚後なかなか子どもができず、不妊治療に通っていました。そして、結婚しても妊娠しないことで、周りから「子どもはまだ?」と言われ始めました。 周りからかけられる言葉に傷つき、余計ネガティブになった私。 「私には子どもが一生できないのではないか」そんな思いを話すと夫は… 「大丈夫」と、涼しい顔で言いました。 不思議なことに、夫から「大丈夫」と言われると、なぜか本当に大丈夫な気がしてくるのです。 結局、夫と話し合い、辛かった不妊治療はやめることにしました。その後、治療をやめて2、3か月経ったころ…私は自然妊娠。27歳のときに娘を出産しました。 そして、時は流れて私は31歳になり、今度は二人目の不妊に苦しんでいました。 「二人目はまだ?」という言葉に傷つき、2回の流産を経験し、また私はネガティブになっていきました。 このときも夫は「大丈夫よ」と、また涼しい顔で言い続けていました。その後、私は33歳のときに二人目を授かりました。 しかし、妊娠中はトラブルばかり。繰り返す出血で、入院や自宅安静が続きました。医者からは「あなたの場合、安定期はないよ」と言われる始末。 「もう産めないかもしれない」そんな風に考えていたとき、また夫は「大丈夫よ」と言いました。もちろん夫には、医学的な知識もありませんから、何の根拠もありません。でもなぜか「そうか…大丈夫か…」と私の緊張はほぐれていきました。 結局最後までトラブル続きではありましたが、私は無事息子を出産することができました。 その後も、私は夫のこの「大丈夫」という言葉にたくさん救われてきました。 どんな状況でも慌てることなく、いつも同じ表情で、さらっと「大丈夫」と言ってくれる夫。このさらっとした言い方が私には合っているようで、いつも安心できます。 夫のこの言葉で、私の心は保たれているといつも感謝しています。
2019年07月03日このたび、ウーマンエキサイトさんで連載させていただくことになりました。SAKURAと申します。初めまして…ということで、これから登場する、家族の紹介をしたいと思います。わが家は、4人家族です。 広汎性発達障がいを持つ、マイワールド全開の娘に… おしゃべりが大好きな、甘えん坊息子… おもしろくて頼りになる、しっかりの者の父… そして、超ネガティブ思考な母である私(SAKURA)です。 今、こうして絵を描くお仕事をさせていただけている私は、昔から絵を描くことが大好きです。じつは小学生のころ、漫画家を夢見ていました。 小学生のころは、同じように絵が大好きな友だちと、漫画家を目指していました。 そんな夢見る少女だった私。小学6年生のとき、自分でも自信があった漫画を 絵が得意だった4歳年上(当時、高校1年生)の兄に見せました。 そのとき、 私の絵を見て、なんとも微妙なリアクションをする兄を見て、 「兄が下手すぎる私の絵に気を使い、コメントに困っている」と解釈。 今考えると、 兄はどうコメントしていいかわからなかったのかもしれない…と思うのですが、 当時の私は「兄を絶句させてしまうほど、私の絵は下手だったのか」と、 そう思い、急に人に見せるのが恥ずかしくなってしまいました。 それ以来、私は絵を描くことも、漫画家の夢も諦めました。 そんな私が、絵をまた描くことになったきっかけは、夫でした。 娘の発育の遅れが発覚した時とき、私は夫に「私と同じように、子どもの発育で困っている人の参考になるように、療育の記録を書くブログでも始めようかな…」と相談しました。 そこで、絵も描くように勧められたのが始まりです。 それからふたたび絵を描き始め、ありがたいことに自分の絵と文でお仕事をいただけるようになりました。 とっくの昔に諦めていた絵のお仕事を、大人になってからできる日が来るなんて…想像もしていませんでした。 予期せぬところで、かなう夢もあるのですね。こちらでは、それぞれが個性的な家族のことを、書いていきたいと思っています。これからよろしくお願いします。
2019年06月19日