男の墓場プロ所属。漫画家。「あらかじめ決められた恋人たちへ」のベーシスト。2014年にイラストエッセイストの犬山紙子と結婚、兼業主夫となった生活を描いたコミックエッセイ「今日も妻のくつ下は、片方ない。 妻のほうが稼ぐので僕が主夫になりました」(双葉社)が話題となり、「主夫の友アワード2018」を受賞。2017年に長女が誕生。他、著書に「あの頃。〜男子かしまし物語〜」(イースト・プレス)、「高校生のブルース」(太田出版)。「小説推理」、「MONOQLO」などで連載中。
家事・育児を主に担当する主夫としての暮らしを通して、妻とそして娘「チャゲ」との日常を僕なりの目線でお届けします。
皆さま、ごきげんいかがですか。 男の墓場プロダクションの劔樹人と申します。 普段はマンガを描いたり、バンドをやったり、ハロー!プロジェクトの応援をしたりしながら、家のことや育児を主に担当する主夫として生活しています。 今回は、日々、悩まされている娘の好き嫌いのエピソードです。 ■炭水化物大好きな娘の好き嫌い事情 子どもの好き嫌い。 まさに、3歳になったばかりの娘を相手に、わが家が直面しているテーマである。 うちの子はとにかく、 パン、麺、ご飯と炭水化物が大好き 。 しかも、あんまり味付けのないものを好む。 一丁前にシンプルな小麦や白米の、素材の風味を大切にしているのである。 そんな娘はある意味、本当のグルメなのかもしれないが、他の食材も食べてもらいたい親としては非常に困る。 肉うどんをしても、肉は食べない。うどんだけをほしがる。 肉、野菜をたっぷり入れたパスタも、麺だけよこせという。 どこの家もそうだと思うが、この対策としては、食材を細かくしてごまかして食べさせるしかない。 ところが、最近は味覚も敏感になって、 こんな一進一退をいつまで繰り返すのだろうか。 ■好き嫌いの変化は成長の証?! ただうちの子の場合、家ではわがままだが、 保育園ではなんでも食べるらしい 。 子どもながらに親を甘く見ているのだろうか。 まあでも、保育園でいろいろ食べてくれているのなら、家でそこまでシビアにならなくてもいいかという気持ちで食事をさせている。 あと、好き嫌いをしながらも、変化してきたこともある。 昔は嫌なものを食べると、容赦なくそのままはきだしていたのだが、最近は… まあそれだけ成長もしているということで。 積極的にこの変化を楽しんでいこうと思うのであった。
2020年01月28日皆さま、ごきげんいかがですか。 男の墓場プロダクションの劔樹人と申します。 普段はマンガを描いたり、バンドをやったり、ハロー!プロジェクトの応援をしたりしながら、家のことや育児を主に担当する主夫として生活しています。 今回は、子ども用品の収納に関する我が家のエピソードです。 ■次々に使わなくなる子ども用品の行先は… 結婚した当初、物をなるべく少なくスッキリさせることを心がけていた我が家であったが、娘が生まれてからはそうも言っていられなくなった。 子どもの成長は早い。 数ヶ月で大物が次々に必要なくなるのである。 しかし、うちはマンション暮らしで、部屋数がそんなにあるわけではない。 仕方ないので、 私の部屋を、物置を兼ねて使う ことにした。 ■子ども立入禁止の部屋はドアノブに一工夫 使わない子どものものはどんどん私の部屋に入れてゆく。 本当にいらないものは実家に送ったり、必要な友人にあげたりなどしたが、それでも私の部屋は物であふれた。 ただ、物が多すぎて危険なため、 子どもの入れない部屋 と割りきってしまえば、隠れ家のようでもある。それはそれでいいかもしれない。 歩き始めた娘が入らないように一工夫。 ドアの取っ手を縦に付けかえるだけで、小さな子は簡単に開けられなくなるのである。 手の届く取っ手だと開けてしまうようになったうちの娘であるが、これでまた数ヶ月、私の部屋には勝手に入れなくなる。 言ってる間に子どもは大きくなる。 今はほぼ物置だが、数年の辛抱でまた私の部屋は元に戻るだろう。 ■書斎 兼 物置はいつまで? こんな時間も、短い子育ての時間。楽しもうと思った。 しかし、娘が2歳半にもなった頃。 あっけなく、私の部屋にも自由に入れるようになってしまったのだった。
2020年01月14日皆さま、ごきげんいかがですか。 男の墓場プロダクションの劔樹人と申します。 普段はマンガを描いたり、バンドをやったり、ハロー!プロジェクトの応援をしたりしながら、家のことや育児を主に担当する主夫として生活しています。 今回は、クリスマスにまつわる2年前のエピソードです。 ■毎日赤い服の私が、クリスマスに園から頼まれたことは… 保活に苦労し、ようやく入ることのできた保育園。 もう3年近く通っているので慣れたものだが、入園した年、毎日同じ赤い服を着て、昼間から送り迎えに出入りしていた私は、他のママやパパたちから好奇の目で見られている感じがビンビンにあった。 それでも、 毎日赤い というわかりやすさからか、私は子どもたちから人気があった。 そんな年の瀬、先生に声をかけられ、こんなお願いをされた。 いやいや、赤い服をいつも着てるんだから、むしろバレやすいのでは!?という気もしたが…。 断る理由にはならない。 何を隠そう、過去に映画やドラマにも出たことがある私にとっては、ある意味、 久しぶりの演技の仕事 でもある。 ■いよいよクリスマス当日! 完ぺきに変装した私に先生が… そして迎えた当日。 娘を預けると、先生から裏口へ呼ばれた。 イメージしているような恰幅(かっぷく)のいいサンタではないが、顔も見えず、完全にサンタクロースになった私。 サンタはしゃべらず(声を出すとバレるので)、先生が通訳をしてくれるので、毎日保育園に出入りしていて、 比較的子どもたちによく知られたパパである私であることに誰も気がつかない 。 年長さんから順にプレゼントを渡して記念撮影をしてゆき、娘のいる0歳児クラスの番が来た時である。 先生からまさかの踏み込んだアドリブが!! さすがに抱っこしたらバレるんじゃないの!? と、思ったが。 娘はサンタのその風体が怖くて大泣きしたのだった。 ■パパサンタを襲う焦燥感。その原因のひとつは… 私はサンタの役目を十二分にやりきった。 「素晴らしいサンタでした」 先生には感謝されたが、娘に怖がられるという体験は、クラーク・ケントになったような、ヒーローの一抹の寂しさのような感覚を味わうことになった。 あれから2年。 娘は、クリスマスにサンタが来ることを楽しみにしているようである。 しかし2年前、自分を抱っこしてくれたあのサンタのことは、 まるで覚えていない 。
2019年12月17日皆さま、ごきげんいかがですか。 男の墓場プロダクションの劔樹人と申します。 普段はマンガを描いたり、バンドをやったり、ハロー!プロジェクトの応援をしたりしながら、家のことや育児を主に担当する主夫として生活しています。 今回は、わが娘の教育にまつわるエピソードです。 ■2歳でひらがなをマスター!? 友人の子どもに衝撃! 今年の夏のある日、大学の友人の家に娘と遊びに行って驚いたことがある。 その家には、うちの子より月齢が2ヶ月下の同じ2歳の子がいるのだが、字が好きらしく、もうすっかりひらがなをマスターしていたのである。 普段、発達の速さをよその子と比べるような子育てをまったくしてこなかった私だが、文字がわかることは単純に世界が広がることでもある。 これはいいなと思ってしまった。 しかし、その子の父親は、私の当時の友人界隈(かいわい)の中でもとびっきりの賢さで、今は東京大学で准教授か何かをやっている人物だ。 そんな友人の子どもなのだから、普通に天才幼児なのかもしれない…。 ■私が始めた教育とは… いろいろ調べたところ、ひらがなを覚えるのは4~5歳が多いようだ。 それ以前は、子どもは文字をそういう形としてしか認識しないため、興味を持たないと難しいというのが、いま教育者のなかで言われている考え方らしい。 なので、無理はせず、とりあえずお風呂に50音表を貼ってみた。 自分の名前や、お友達の名前、娘の好きなものの名前などから文字を教えていくと… 少しずつだが覚えてゆくではないか。 もちろん形で認識しているので、字によって好みがある。 しかし、文字に興味があることはわかった。 ■ひらがなで世界が広がったわが子。しかし… 楽しそうに字を見る姿から、 世界が広がる楽しさが伝わる 。 これはいくつになっても同じことだ。 ちなみに、早い段階で文字を覚えさせても、その後の発達にとくに影響しないという話も本で読んだ。 うちの子はたまたま文字が楽しくて覚えただけだが、その「楽しさ」は大切にしたい。 これからも、この子には 学ぶ楽しさを感じられる教育ができたらいい 、と思ったのだった。 ただ、文字を覚えて世界が広がったことで、いつもの道が罠(わな)だらけになってしまったのも事実なのである。
2019年12月03日皆さま、ごきげんいかがですか。 男の墓場プロダクションの劔樹人と申します。 普段はマンガを描いたり、バンドをやったり、ハロー!プロジェクトの応援をしたりしながら、家のことや育児を主に担当する主夫として生活しています。 今回は、 親が体調不良になった ときのエピソードです。 ■妻と子どものダブル看病に奮闘! パパはつらいよ 育児中の親の体調不良。 これは本当につらい。 しかし、我が家で育児をメインで担っている父親の私に関していえば、 娘が産まれてこの3年、「重大な体調不良になったことがない」 のである。 夏になると襲ってくる乳幼児のさまざまな感染症。冬のインフルエンザ。 娘は保育園に行っているので、カジュアルにこういうものをもらってくる。 そして、もともと体の弱い妻は、結構な確率でこれにやられる。 その点、私は免疫力が高いのかなんなのか、 まったくやられない のである。 なので、育児中の体調不良でつらかった記憶といえば、 娘と妻の両方の看病をしなければいけなかったとき である。 娘と妻が同時に病気になったのは、手足口病で一回、インフルエンザで一回あったような記憶がある。 そんなとき、娘は一週間ほど保育園に行けない。 しかし、おとなしく寝ていてくれるならまだいいのに、子どもって、熱があるくせに元気なんですよね! 元気なのに機嫌は悪いという最悪なコンディションに、 いっそ自分も寝込んでしまいたい… と何度も思ったのだった。 そんな私が、体の不調で最も苦労したといえば、最近のこちらである。 ■体調不良とは縁遠い私を襲ったものは… 朝起きてみると、右肩が痛くて上がらない。 日頃から娘にむちゃな腕枕を強いられたりもしているので、たまたま寝違えただけかもしれないが…。 もしかして、 これがうわさの四十肩 なのだろうか。 たしかに私は今年ちょうど四十だ…。 しかし、娘はそんなことで容赦してはくれない。 こんなことがあったので私は今、腱(けん)を伸ばし、体の使っていない筋肉を動かすためのトレーニングに通い始めた。 育児は体力がいるので、こういうのも日頃の対策なのかもしれない。 ※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2019年11月19日皆さま、ごきげんいかがですか。 男の墓場プロダクションの劔樹人と申します。 普段はマンガを描いたり、バンドをやったり、ハロー!プロジェクトの応援をしたりしながら、家のことや育児を主に担当する主夫として生活しています。 今回は、 「娘にどんな風に育ってほしいか」 という話です。 ■これからの時代に女性が生き抜くには 娘が生まれてから、私は自然に、女性に対する意識が変わっていった。 この未来、この子が 女だからという理由で苦労するような社会であって欲しくない と思うようになったのである。 私は男性だ。 差別や生きづらさを知識としてはわかっていたつもりが、実際はぼんやりしている部分もあった。 それが娘が生まれたことで、はっきりと意識するようになったのである。 妻は言う。 気が強いかどうかは、イヤイヤ期真っ只中ということもあり、本来の性格なのか、ただ単に幼児ならではの特性なのかよくわからないが…。 先日こんなことがあった。 ■気が強い? 優しい? 親が願うこととは… 2歳でもうこんなにも玉虫色な対応ができるなんて! 気が強い女性になっても、優しい女性に育っても、どうか大人になってからも、 女性であることで嫌な思いをせず に育ってほしい。
2019年11月05日皆さま、ごきげんいかがですか。 男の墓場プロダクションの劔樹人と申します。 普段はマンガを描いたり、バンドをやったり、ハロー!プロジェクトの応援をしたりしながら、家のことや育児を主に担当する主夫として生活しています。 今回は、娘がどうしても寝てくれなかった夜の話です。 ■母がいない夜。夜寝てくれない娘に焦る父 もうじき3歳になろうという娘、 夜なかなか寝てくれない のが目下の悩み。 毎日19時になるときっちり寝てくれた0歳の頃は遠い昔である。 いまは元気があり余っているのか、寝室で暗いなかを楽しそうに延々と遊び回り続ける。最近は知恵がついてしまって、暗いのが嫌だと台を自分で用意して、電気をつけるようにまでなってしまった。 それでも、以前はきちんと早い時間に寝てくれる子だったのである。 だからこそ、たまに寝てくれない時があると焦ってしまうことがあった。 一年くらい前だろうか。 毎日それなりに、21時くらいまでには寝てくれるはずの娘が、なかなか寝てくれない。 その日、妻は夜遅くまで帰らないことになっていて、私一人だった。 娘と二人きりの夜は週に1、2回あったので慣れてはいたものの、娘が寝たら一人でできることができない。その状況が私を苦しめていた。 寝室で寝かそうとしてからもう3時間。 時間は23時になろうとしている。 こんなの赤ちゃんが起きてる時間じゃないよ! 私は、必要以上に焦っていた。 ■夜中にベビーカーを押すおっさんが出現!? 私は最後の手段として、ベビーカーで娘を夜の路上へ連れ出した。 いつも、お昼寝してくれないときは、ベビーカーでお散歩をすると、揺れるのが心地いいのか簡単に寝てくれる。それをこの深夜にトライしてみようという魂胆である。 都会とはいえ、こんな 夜中にベビーカーを押しているおっさん はあきらかに怪しい。 それはわかっていたが、このとき私の頭には、娘を寝かすことしかなくなっていた。 ■娘を寝かせる最後の手段。これに妻が大パニック! するとあろうことか、その間に妻が予定より早く家に帰ってきたのである。 夫と娘がいない。 家はもぬけの殻。 思わぬ初めての状況に、 妻はパニックになった! パニックになった結果、なぜか保育園のママ友、Aちゃんのママに電話をかけてしまったのである。 なぜか電話の向こうは男性の声だった。 男性の声だったため、パニックの妻は、とっさに私だと思った。 なぜか電話に出たのは、ママ友ではなくその夫だったのである。 妻はAちゃんちのパパママに謝り、二人は事情を聞いて、「そんなこともあるよね〜」と大笑い。 その後、娘が寝てくれないときは、私も 「まあいつかは寝てくれるんだし、仕方ないか」 と思えるようになり、外に連れ出すことはすることはなくなった。
2019年10月14日皆さま、ごきげんいかがですか。 男の墓場プロダクションの劔樹人と申します。 普段はマンガを描いたり、バンドをやったり、ハロー!プロジェクトの応援をしたりしながら、家のことや育児を主に担当する主夫として生活しています。 今回は、うちの親に関しての話です。 ■親になって感じる父と母の姿 うちの娘は、おばあちゃんとおじいちゃんが大好き。 うちの親にとっては初孫であり、今のところ唯一の孫なので、とても幸せそうだ。 私の両親は共働きだった。私は、物心つく前はベビーシッターさんに預けられていたし、祖父母と過ごす時間も長かった。新潟の田舎で、周りは農家の家庭が多かったので、当時としては珍しかったという。 父親は威張っていないし、母親も忙しく働いている。 私の価値観はそういう家庭で育まれた。 だから、今こうして結婚し、家のことを主に担当する主夫になることにも抵抗感がなかったのかもしれない。 おととし、うちの両親は、私が生まれ育った新潟から、母の実家である長野に引っ越し、小さな家を建てた。 ■離れて暮らす母の思いやり 長野には祖父母が住んでいた家の他に、もともと母が生まれた家のあった土地が残っていたのだが、長野オリンピックに伴う区画整理のため、県のほうに回収されていた。 それが20年たって、祖父母が亡くなってからようやく戻されたという。 もともと私の実家があった場所は、車がないとスーパーやコンビニエンスストアすら行くことができない。冬になれば雪も積もるし、雪かきをしなければ車を動かすこともできない。 体の弱った年寄りだけの生活には厳しい環境である。 対して今度の長野の家は街の中にあり、買い物や移動に非常に便利である。 さらに福祉も整備されているという。 母はそう言った。 親孝行もしたこともないのに、 老後も息子の手をかけないよう にしようとしている親の思いを知った。孫の顔を見せられたことは、自分にとって初めての親孝行じゃないかと思っている。 そして、娘にとってこういう親として生きていきたいと、見本となってくれる自分の親にあらためて感謝するのだった。
2019年09月17日皆さま、ごきげんいかがですか。男の墓場プロダクションの劔樹人と申します。 普段はマンガを描いたり、バンドをやったり、ハロー!プロジェクトの応援をしたりしながら、家のことや育児を主に担当する主夫として生活しています。 今回は、インターネット上で大騒ぎになったあの事件の話です。 ■誘拐犯に間違えられた私 8月の半ば、お盆のUターンラッシュに混雑する新幹線で、父親が娘を連れて乗っていたところ、 「誘拐犯と間違われて通報された」 という出来事が「Yahoo!ニュース」のトップで扱われ、インターネットで話題となった。 「女児誘拐の疑い」 というワードはTwitterで一日中トレンド一位。 何かしら目にした方も多いのではないかと思う。 そう、あれは何を隠そう、 私とうちの娘のこと なのである。 知らない方もいらっしゃると思うので、ぜひそんな感じのワードで調べていただければすぐおわかりになると思う。 とにかく、あの一件で私もすっかり有名になってしまった。 会う人会う人にその話をされるのはもちろん、次の週末、バンドで出演するため福井のフェスに行ったら、会場にいた友人は、 いや、これから私、ステージで演奏するのに! そっちには触れないんだね! 会場ではお客さんからも何度か「大変でしたね」と言われる始末。 でも、多くの人が気にかけてくださって、世の中に優しい人が多いことに、うれしく、あたたかい気持ちになった。 「ショックだったでしょう」というお言葉もたくさんいただいた。 それはしかし、署に連行で何時間も拘束とかそこまでの話ではないし、昔からどうしてか職務質問はよくされるタイプだったので、正直特別ダメージはなかったのである。 その後のネットには、私に対する厳しい意見や、誹謗中傷も含めたコメントがたくさん寄せられたが、これも思ったほどダメージはなかった。 ないつもりだったが… 娘が例のごとくイヤイヤを始めると、たしかに以前よりもグッタリした気持ちになるような…。消耗が激しくなっているというか。 「あ、もしかして、自分ちょっと傷ついているかも…」 と思った瞬間である。 しかし、傷ついていようがいまいが、生活は続く。 娘のイヤイヤもまだまだ続く。 その日も、娘を保育園に連れて行った…。 ■保育園での反応は…!? 保育園では、保育士の先生方も、送りに来ているお母さん、お父さんも、別段私に何か言ってくるわけではなかった。 みんな、昨日のトップニュースを見ていないのだろうか。 いや、あれだけの騒動になったのだから、知っている方は絶対いるはずだ。なんならあれで私の正体を知った人もいるかもしれない。 娘を預け、帰ろうとすると、娘の激しいイヤイヤが始まった。 保育園とはいえ、外でこれをやられると、本当に精神的に堪えるようになってしまった…。 思わず、私はこう言ってしまったのだった。 そこにいた人たちに めちゃくちゃウケた!! みんな、やっぱり知っていたんですね! 思わぬところで自分だけの新しいギャグができたのだが、ネットの話題と同様、その旬はあっという間に過ぎて行った。
2019年09月10日皆さま、ごきげんいかがですか。 男の墓場プロダクションの劔樹人と申します。 普段はマンガを描いたり、バンドをやったり、ハロー!プロジェクトの応援をしたりしながら、家のことや育児を主に担当する主夫として生活しています。 今回は、わが家の食事事情にお付き合いください。 ■炭水化物だけでなんとかなっていた私 うちのズボラ飯…。 そもそものっけからベビーフードに頼ることで離乳食期を乗り越えた私にとって、 ズボラじゃない飯があったのだろうか というのが正直なところだ。 そもそも私は、結婚して主夫の肩書を背負ってから、本格的に料理をやり出した。 18歳で一人暮らしを始めて、自炊をしたこともままあるが、基本的にグルメ一般にほぼ興味がなかったため、自分一人のために手間ひまかけようという気には一切ならなかった。 お金のなかった若いころは、大きなタッパーに米を詰められるだけ詰めて、ふりかけと共に弁当として会社に持っていっていた時代もある。 今思えば、炭水化物だけで何キロカロリーあるのだろうかという、糖尿病まっしぐら弁当である。若いからこそどうにかなった食生活だ。 それでも、主夫になってからは、それなりに 料理の楽しさ を知ることになった。 どうやら、グルメでない割には味付けのセンスが思いのほかあったようで、完成を想像して適当に作ってもそれなりの味にできることがわかった。 友人たちが家に集まる時には、ずっと台所に立って料理を振る舞うこともよくあった。 その感覚があったので、離乳食が始まったころの私は、相当気合いが入っていた。 しかし、たとえ一生懸命作っても、子どもは食べてくれるとは限らない。 むしろそういうものに限って全く食べてくれなかったりするのが赤ちゃんである。 結果、私の集中力の問題もあり、じっくりと料理をすることはどんどんできなくなっていった。 2歳半になった今、娘は保育園だと行儀よくなんでも食べるらしいのだが、その分家ではわがままを言う。 ■炭水化物が好きな娘対策メニュー 「ごはん!」「めんめん!」「パン!」 野菜どころか、肉すら食べてくれない。ひたすら炭水化物を食べる。 それはあのころの私のようである。 その結果、頼ってしまうのはカレーなのである。 野菜と肉をたっぷりとれるドライキーマカレー を作り、冷凍して毎日食べる。 私自身、毎日カレーで構わないタイプの人間である。娘がそれに似てくれて助かったと思う。 それがわが家のズボラ飯と言うか、常備食である。
2019年08月20日皆さま、ごきげんいかがですか。男の墓場プロダクションの劔樹人と申します。 普段はマンガを描いたり、バンドをやったり、ハロー!プロジェクトの応援をしたりしながら、家のことや育児を主に担当する主夫として生活しています。 今回は、どうして私がマンガを描き出したかというお話にお付き合いください。 ■“日本一有名なロックバンドのマネージャー”だったあのころ あれは2012年ごろだったか。 当時私は、神聖かまってちゃんというロックバンドのマネージャーをしていた。 バンドじゃないもん! というアイドルグループもデビューさせ、忙しさは絶頂だった。 さらに、日本初のインターネット配信により有名になったバンド・神聖かまってちゃんの周辺人物として、なぜか私はマネージャー・プロデューサーとしても有名になっていた。 私自身がたくさん取材を受け、テレビに出演し、映画にも主演級で出た。 さらに、鬼束ちひろさんのネット番組でMCまでやった。 当時は、 「日本一有名なロックバンドのマネージャー」 とまで言われたのである。 ■ブログ執筆のオファーが! そんな私に、とあるファッション・カルチャーサイトから、ブログを書かないかというオファーがあった。 ファッション、アート、音楽など、さまざまなジャンルで活躍する クリエイターたちのブログ である。 震えるような気持ちで引き受け、いざ書こうと思ったが、全く書くことがない。 日常の適当なことを書けばよかったのかもしれないが、そもそも自分はこんなおしゃれなところでライフスタイルについて語れるクリエイターなのか? というコンプレックスが、それを許さなかった。 とにかく 何かをクリエイトしなくては。 追い詰められた結果、私はなぜか幼少のころに書いていた経験があるだけのマンガを描くことにした。 『高校生のブルース』というタイトルをつけた、絶望的に稚拙なものであった。 それが、しばらく描いてみると…。 ■まさかの大絶賛!? その俳句のような叙情感と、読む側に大部分の感情を委ねる読後感に、 映画監督の大根仁監督、氣志團の綾小路翔さん、アンダーカバーの高橋盾さん、テレビ東京の佐久間プロデューサー など、今でいうインフルエンサーたちがこぞって大絶賛。 Twitterやブログなどで紹介してくださったのである。 本気でそう思った。 まさかこんなことで秘められた自分の才能が開花するとは… これで自分も、Twitterで何万リツイートもされる、人気WEB漫画家みたいになるのだと思った… それがまさか、何万人もフォロワーがいる人たちが紹介しているというのに、奇跡的に ほとんど拡散されなかった のである。 大根さんに至っては、ラジオに呼んでくれたり、いろいろなところで紹介してくれたのに、大根さんのフォロワーたちに私のマンガは全然響かなかった。 何を隠そう、評価したものが必ずヒットする目利き・大根仁が 唯一ヒットさせられなかったコンテンツが私、劔樹人 なのである。 しかしその後もそれなりにマンガは描き続け、今に至る。 相変わらず、大きくバズったことはない。 それでもこうしてやらせていただいてるのは、とてもありがたいことである。
2019年08月01日ウーマンエキサイトの読者の皆さま、ごきげんいかがですか。 男の墓場プロダクションの劔樹人と申します。 普段はマンガを描いたり、バンドをやったり、ハロー!プロジェクトの応援をしたりしながら、家のことや育児を主に担当する主夫として生活しています。 今回は、これからいよいよトイレトレーニングに入る2歳の娘の話です。 ■娘2歳、そろそろトイトレの時期に 娘も2歳となり、親としてはそろそろトイレトレーニングを意識するようになってきた。 しかし今は、うんちをすると教えてくれる時がたまにあるくらい。事前にトイレに行けるようになるにはまだかかりそうだ。 とはいえ、トイレがどういうところなのか、少しずつ教えていかなければならない。 ■トイトレの切り札!? トイレに貼るシール ある日、幼児用学習教材で、トイレに貼る顔のシールが届いた。 教材のDVDに登場するトイレのキャラクターである。 これで、娘にとってトイレが少しは親しみやすい場所になるだろう。 DVDにならい、 その子に会いに行く時は、おしっこがしたくなった時 と、いずれ理解してくれるようになるだろう。 そんなことを思いながら、私がトイレに行こうとすると。 これまであまり気にしたことはなかったが、そういえばうちのトイレは、ふたの裏に びっしり注意書き が書かれていた。 妻は画期的にガサツな人間なので、そういうことを一切気にせず、文字の上から容赦なく顔のシールを貼り付けていたのである。 なんだか耳なし芳一のような禍々しさ!! こんなトイレは嫌だ! ■トイレに入った娘の反応は? 先日、子ども用の便座も用意した。 トイレトレーニングはこれから本格化してゆく。 しかし、耳なしトイレくんはそのまま、トイレのふたの裏でほほ笑んでいる。
2019年06月19日皆さま、ごきげんいかがですか。 男の墓場プロダクションの劔樹人と申します。 普段はマンガを描いたり、バンドをやったり、ハロー!プロジェクトの応援をしたりしながら、家のことや育児を主に担当する主夫として生活しています。 今回は、家族旅行での困ったエピソードです。 ■寝相の悪い娘を安全に寝かせるには? うちの娘は寝相が悪い。 赤ちゃんなんて大体みんな悪いのかもしれないが、それでもさほど悪くない子もいるだろう。 とにかくうちの子はどこまでも果てしなく転がって行くひどさなので、ベッドでは寝かせられない。家では、床に布団を敷いて寝ている。 それが旅行へ行くといつものようには行かない。 ホテルでどうやって寝るかが課題となる。 和室で布団なら全く問題はないが、ベッドだったら、娘が落ちないように工夫しなければならない。 それで生み出したのがこのフォーメーションである。 大きなベッドで、妻と私が Vの字 になり、娘が転がり落ちるコースをふさぐ作戦である。 妻もそれなりに寝相が悪い方だが、今のところこの作戦で娘の落下は防ぐことができている。 それがある時。あれは、娘と初めて東南アジアへ海外旅行に出かけた時だっただろうか。 ■どうする? 小ぶりで壁付けできないベッド それは、そこそこ小ぶりのベッドのツインルームであった。 ベッドが動くのであればくっつけるのだが、部屋の構造上それができないタイプ。 仕方がないので、狭いのは山々だが、ひとつのベッドで娘を挟んで寝るということに決めた。 そして、夜。 私が少し仕事のメールか何かをしているうちに、妻と娘は旅の疲れで先に寝てしまっていたのだが。 二人が寝たらベッドのスペースはほとんどなくなっていた。 私が寝られそうなスペース、およそ 20cm幅 。 妻や娘と違い、私はどちらかというとじっと動かず静かに眠ることができるタイプの人間だ。 それにしても20cmで朝までというのは、かなり厳しい。 しかし、このままでは、そのうち寝返りをして娘は落ちてしまう…。 というわけで、 結局20cm幅に無理やり寝ることにした。 常に体が半分飛び出しているような状態だったが、意外とこれで家族3人、普通に朝まで寝たのだった。
2019年05月29日皆さま、ごきげんいかがですか。 男の墓場プロダクションの劔樹人と申します。 普段はマンガを描いたり、バンドをやったり、ハロー!プロジェクトの応援をしたりしながら、家のことや育児を主に担当する主夫として生活しています。 今回は、偶然できたわが家の卒乳時のお話です。 ■突然訪れた卒乳のきっかけ その頃はまだ寒い次期だったので、娘は1歳を過ぎたくらいだっただろうか。 まだ寝かしつけの時の添い寝授乳も日々の習慣であったが、娘は歯も生えてきたので、虫歯にさせないためにはそろそろ卒乳をしたい頃合いだった。 見た感じはすっごい強そうなくせにもともと体力のない妻は、出産後風邪ばかりひき、抵抗力は一層落ちている様子だった。 おっぱいを作ることははとてもエネルギーが要るという。これは明らかにひとつの要因である。 卒乳の機運は高まっている。 本当はすぐにでもしたい。 そんな話にはなるものの、おっぱいを飲むわが子のかわいさに、妻もなかなか踏ん切りがつかない様子もあった。 そんな時、妻が高熱で寝込んだ。 インフルエンザだった。 ■妻を隔離して迎えた夜 娘は感染していないため、妻は寝室に隔離し、われわれはリビングで寝ることにした。 タミフルが処方されているため、どちらにしても母乳はあげられない。 「これは卒乳のいい機会かもしれない。ま、つるちゃんは大変だろうけど…」 確かに、娘の面倒はしばらく私一人のワンオペになる。 とはいえ、日頃から娘と多くの時間を過ごしているのは私の方だ。 妻が出張でいない夜にも慣れているし、ミルクでの寝かしつけもよくあることなので、そこまで深刻な事態ではないんじゃないかと思った。 1日目の夜。 娘はママを激しく求めた。 隣の部屋にママがいることもわかっている。 いつもと違う部屋で寝かされるのも違和感があったのかもしれない。 とりあえず、リビングで危険がないよう、私は余ったマットレスでバリケードを作り、娘を寝かしつけた。 2日目の夜。 やはり、ママが恋しいしおっぱいも欲しい。 妻の熱はいまだに高い。これは長い戦いになるかもしれないと思った。 そして3日目の夜。 娘は、おっぱいのことなど すっかりどうでもよくなっていた。 私にとってこの数日間のワンオペは大変だったような気もするが、正直あまり覚えていない。 とにかく、インフルにかこつけたら、卒乳はあっさり成功した。それだけははっきり記憶に残っている。 卒乳すると、程なくして妻のおっぱいは出なくなった。 長い育児の旅の、ひとつの終わりを感じた。
2019年05月19日皆さま、ごきげんいかがですか。 男の墓場プロダクションの劔樹人と申します。 普段はマンガを描いたり、バンドをやったり、ハロー!プロジェクトの応援をしたりしながら、家のことや育児を主に担当する主夫として生活しています。 今回は、妻の妊娠初期に起こった、肝を冷やす体験です。 ■突然の妻からの電話で大慌て 前回も書いたが、妻の妊娠したころというと、もう3年も前のことになる。 妊娠中の妻はとにかく、一難さってまた一難という感じだった。 ひどいつわりがあり、それから切迫流産の危機があった。 お腹が大きくなってくると、坐骨神経痛に襲われた。 出産直前は、逆子問題が勃発した。 誰しもそうだと思うが、小さな小さな命が、お腹の中から元気にこの世に出てくるまで、気が気でない日々が続く。 ちょっとしたことで、お腹の赤ちゃんは大丈夫か心配になるものだ。 その日、私はいつものように、妻に何か体力がつくものを食べさせようとスーパーに買い物に来ていた。 急に電話が鳴った。 妻からだ。 何か買ってきてほしいものでも思いついたのかな、と思って電話に出ると。 慌てて飛んで帰ると、妻は泣いていた。 あまりのことに、私も不安で体が震えた。 …しかし、そんなことってあり得るのだろうか。 それはもしかして本当に牛タンでは…という気もしたが、 妻は、この世の終わりのような顔だった。 我々は急いで産婦人科に向かった。 妊婦は、10ヶ月間大切な命を預かるものとして、あらゆる不安とともに過ごしている。 父親になるものとして、そういう全てを支えてゆこうと思った瞬間であった。
2019年05月05日皆さま、ごきげんいかがですか。 男の墓場プロダクションの劔樹人と申します。 普段はマンガを描いたり、バンドをやったり、ハロー!プロジェクトの応援をしたりしながら、家のことや育児を主に担当する主夫として生活しています。 今回は、妻が妊娠していた時のつわりのエピソードです。 ■妻を襲った「食べつわり」 妻の妊娠初期のころというと、もう3年も前のことになるのか。ついこの前のような気もするが、遠い昔のことのような気もする。 もう暑さを感じる初夏だった。 妻はもちろん、それをサポートする自分もなかなか大変な時期であった。 これから生まれてくる愛すべき赤ちゃんのことを思って乗り切ったような記憶もある。 妻は、 「食べつわり」 と呼ばれる類のつわりに悩まされていた。 妊婦は妊娠3~5ヶ月くらいに、つわりと言われる吐き気が起こることはよく知られている。しかしそれは個人差があり、症状もさまざまである。 もちろん、妻が妊娠して初めて知ったことだ。 大きく分類すると、とにかく吐いてしまう吐きつわり、唾液がいっぱい出るよだれつわり、匂いに敏感になってあらゆるものが臭くなる匂いつわりなどなど… その中でもうちの妻は、何かを食べていないと気持ち悪くなる「食べつわり」というものだった。空腹になると気持ち悪くなるという。 かといって、ピラニアのようになんでも食べるようになるわけでもなく、食べられるものは限定される。匂いがきついものや胃にもたれるようなものは食べられない。 私は毎食、 何を食べたいか、というか何なら食べられるか を聞いて料理を作った。 それを考えることすらしんどいという妻は、イライラし、任せたいと言った。 かといって、人が食べたいものを他人がわかるわけもない。適当に作って大正解なんてほとんど無理である。 基本的にはお手上げの状況だった。 しかも食べられるものは日々変化していて、昨日食べられたものが今日はダメになる。妻が食べられるものも、私の料理のレパートリーもみるみる狭まっていった。 仕方ないので、適当に総菜を買ってきたり、何種類か作ったりして日々を乗り切っていた。一日に何度もスーパーに行かなければならない日もあった。 また、妻はテレビの仕事があったので、気持ち悪くならないようにいつもお菓子を持ち歩かなければならなかった。 もちろん、お菓子も普段の食事と同様、食べられるものを探求する日々だ。 その自信満々の言葉に、私が大量のキャラメルを買ってくると。 いっぱい買っとけというから、その通りにしたのであるが。 テーブルの上は、誰も食べない大量のお菓子であふれた。 これが妊婦でなくただの元気な人なら、どこのマリーアントワネットかという話であるが、日々苦しい思いをしている妻を責めるようでは、これから父親になるものとして失格である。 りんごは、比較的長続きした。 そしてつわりの時期が終わるころ。 妻はついつい食べて太ることを気にして、家にある大量のお菓子を隠してくれ、と私に言った。 大量のキャラメル、グミ、ラムネ… その夏の私は、会う人会う人にお菓子をやたら配るおじさんとなっていた。
2019年04月22日皆さま、ごきげんいかがですか。 男の墓場プロダクションの劔樹人と申します。 普段はマンガを描いたり、バンドをやったり、ハロー!プロジェクトの応援をしたりしながら、家のことや育児を主に担当する主夫として生活しています。 今回は娘に起こった、親がひやっとした出来事のお話です。 ■寝返りからあわや呼吸困難!? ある真夜中、いつものように寝ていたら、何やらうめき声が聞こえてきた。 ハッとして見てみると、娘が布団にぐるぐる巻きになってうなっていた。 寝返りをゴロゴロとしていたら、芸術的なすのこ巻きになってしまっていたようなのである。 その姿はなんならユーモラスなくらいだったのだが、これが顔にまで巻きついていたら呼吸ができなくなるかもしれない。 間違いなく命の危険がある。 今回は、運が良かった。 娘がまだ0歳で体をうまく使えなかった頃は、布団やぬいぐるみで窒息してしまうことが心配で、いつも神経を研ぎ澄ませて寝かしつけていた。 2歳になってさすがにそこまで気にしなくなってしまっていたところもあるが、まだまだ小さく弱い命。気を引き締めなければならないと思った。 ■これまでは運がよかった私たち 実は、私は運よくというか、娘が誕生してからそこまで肝を冷やすような危険な経験をしていないのである。 記憶にあるのは、まだ生後3ヶ月くらいの頃に、添い寝で寝かしつけていてうっかりこっちが寝てしまった時くらいか。 その当時は、「添い寝の時は絶対寝たらダメだ、寝たらダメだ…」と、いつも自分に言い聞かせながら育児をしていたので、ハッと目が覚めた時、娘には特に何もなかったものの、焦りと罪悪感がただ事ではなかった。 しかし、昨年の夏のこと… ■親もパニック! 風呂場で娘が突然の卒倒 娘は流行性のヘルパンギーナにかかっていて、何日か高熱があった。 その日もまだ熱はあったが、本人自体はすっかり元気になっていて、食欲もあったし、家の中で元気に遊んでいた。 汗をかいていたので、そろそろシャワーをしてあげなければと思い、一緒にお風呂に入った時だった。 そこには、 白目をむいてガクガクとけいれんしながらひっくり返っているわが子 が! 「ヒイッ!!」 あまりのビジュアルショックに、こっちもひっくり返りそうになった。 慌てて抱っこして風呂を飛び出し、妻を呼ぶと、妻は落ち着き払ってこう言った 「よし、意識は戻ってきてるから大丈夫。とりあえず病院に電話して」 えっ! いつも自分の体調に少し何かあると、「痛い~しんどい~」と必要以上に訴える大げさな妻が、まるでベテラン看護師かのような冷静な判断! なんて頼りになる! ちょっと憧れた。 どうやら、ちょうど先日、先輩ママ友と熱性けいれんについての話をしたところだったらしい。 ■情報インフラがほしい 熱性けいれんは、乳幼児にはよく起こる症状である。 多くの親が経験しているが、初めて経験するものにとっては結構ショッキングな光景である。 小さな子どもには、ありがちなわりに対処に困るような、そういう病気が多い。 もちろん、ネットで調べればすぐに出てくるが、その瞬間は冷静に調べて対応するのは難しいこともある。 私はその時、あらかじめ知っておくことの大切さを痛感した。 子育てをするすべての親は、こういうことがよくあるから、その時はこうする、という シミュレーションをある程度しておくべき だと思った。 防災訓練である。 あと、ママ友ネットワークの情報共有の重要さも感じた。 しかしいかんせん、私はパパだ。 なかなかママ友集団に一人混じってゆくことができない。 それなのに、パパ友はまだまだネットワークが脆弱(ぜいじゃく)で、情報インフラにも乏しいのだった。
2019年03月28日皆さま、ごきげんいかがですか。 男の墓場プロダクションの劔樹人と申します。 普段はマンガを描いたり、バンドをやったり、ハロー!プロジェクトの応援をしたりしながら、家のことや育児を主に担当する主夫として生活しています。 今回は2歳の娘が通う保育園でのお話です。 ■まだまだシンプルなお友達関係 娘は今現在、保育園では1歳児クラス。 正直、まだ小さすぎてコミュニケーションもごくごくシンプルなので、友達トラブルなどといえるほどの出来事が起きる段階ではなければ、親としても、まだそういうことがあるという危機感もない。 せいぜい、ケンカになってお友だちに噛みつかれるくらいである。 しかし、そんなことくらい当然あるよなあという感じなので、先生に逐一報告していただくのが申し訳ないくらい、とくに気にならない。 逆に 噛みついてしまった時 の方が気になる。 うちの娘は、1歳になるくらいの時は結構な噛み癖があって、頻繁に友だちに噛みついていた。 当時はちゃんと直ってくれるかな…と心配したが、すぐにそれはおさまっていった。 そんなある日、いつものように保育園にお迎えに行くと、 娘と同じクラスのAちゃん(月齢は半年くらい違うのでたくさんお話できる)が、目の周りに大きなあざをこしらえていて、なんなら流血の跡もある。 どうやら、お友だちと 積み木の価値観(積む派と崩す派の意見の相違)を巡るトラブル により、おもちゃでぶん殴られて負傷したようなのである。 このくらい激しめのレベルもあるわけで。 小さな子どもたちだし、こんなこともあるだろう。 そのうちうちの子にも訪れるかもしれない。 そんなわけで、親も子も、いろいろな経験で日々成長してゆく感じはとても良い。 しかし、トラブルは避けられるなら避けるに越したこともない気もするので、目下私の悩みは、 うちの娘が私の顔面を 容赦なくたたいてくる のを、どうやめさせるかである。 お友だちをこんな勢いでたたく子になったらと思うと恐ろしくてたまらない。 母親の顔はたたかないことから、人を選んでいるような気もするが、それはそれでどうかとも思うのである。
2019年03月17日皆さま、ごきげんいかがですか。 男の墓場プロダクションの劔樹人と申します。 普段はマンガを描いたり、バンドをやったり、ハロー!プロジェクトの応援をしたりしながら、家のことや育児を主に担当する主夫として生活しています。 うちは妻(エッセイストの犬山紙子)が大黒柱、夫が主に家、という 少数派の家庭 です。 そんな家族のあり方のお話です。 ■主夫に向けられる周囲の目にモヤモヤしていたあのころ ちょうどフリーランスとして月収が数万だったときに、そんな妻からの提案もあり、結婚後は主夫になることを決めた私であったが。 妻は人前に出る商売。 ちょうど面白おかしい部分の話だけが大きくなることもあったため、主夫をしている私に対する誤解も多かった。 それは全く事実ではない。 さすがにショックを受けることもあったが、妻はこう言う。 確かに、世の中の考え方がそうなっていったら、がんばっている専業主婦たちの気持ちも救われる。 私は、自分から変わっていきたいと思った。 ■自分たちらしく生きるために そもそも、うちの家のことをどう言われようと、 うちはうちなんだから、気にすることはない。 人がどうとかではなく、自分たちらしく生きていこうと思ったのであった。 …と言いつつも、 まだどうでもいいことで人目を気にしてしまったりして、日々を過ごしている。
2019年03月07日皆さま、ごきげんいかがですか。 男の墓場プロダクションの劔樹人と申します。 ふだんはマンガを描いたり、バンドをやったり、ハロー!プロジェクトの応援をしたりしながら、家のことや育児を主に担当する主夫として生活しています。 今回は「うちのパートナーのいいところ」という、ちょっとばかりこっぱずかしいテーマではありますが、お付き合いください。 ■犬山紙子を妻に持つ私 先日、やけに妻のインスタに「スッキリを見てフォローしました!」というコメントが多いなあと思ったら、何やらワーキングマザー特集があったようで、そこで妻が言った 「母親になったからって強くなるわけじゃない。みんなやらないといけないから、根性でやってるだけ」 というコメントが世の母親たちに激しく共感を呼んでいたようだ。 うちの妻は 犬山紙子というタレント・エッセイスト。 テレビでは情報番組のコメンテーターなどの仕事が多いが、世間的にはどういう印象なのだろう。 もともとは辛辣(しんらつ)な恋愛ネタなどのコラムで出てきたので、毒舌とか、男の敵とか、そういうイメージを未だ持っている人も多いかもしれない。 それが実は、今やあまりそういう人ではない。 結婚して子どもが産まれてからというもの、働く女性や母親の抱える問題や、やりきれない社会の現状などをテーマにするように変化した。 むしろ若い頃の自分の考え方も間違っていたというところは否定し、反省するようにもなった。 最近では「こどものいのちはこどものもの」という虐待防止のプロジェクトも立ち上げ、ボランティアで社会運動にも取り組んでいる。 それもあって今とても忙しいので、生まれるときは「5:5」でやりたいと言っていた育児は、私の方が多く負担するようになっている。 それは世のお父さん的な立場ではあるが、性別が逆であることもあり、全然意識が違う。私にも無理がかかりすぎないよう、いつも配慮してくれている。 彼女の考え方や行動が、これからきっと多くの人たちの救いになると思う。 夫の立場としてそんなことを思いながら、夫婦ともども頑張っていたりもするのである。 とは言うものの、個人的には、妻がかつて漫画家を目指していた頃に「聖モチ」というペンネームで描いていた最低の下ネタ漫画のような、今のテレビでの姿とはかけ離れた部分も好きなのだが…
2019年02月14日皆さまはじめまして。 男の墓場プロダクションの劔樹人(つるぎみきと)と申します。 普段はマンガを描いたり、バンドをやったり、ハロー!プロジェクトの応援をしたりしながら、家のことや育児を主に担当する 主夫 として生活しています。 結婚してから主夫としてやってきたおかげで、意識していなかった世の中の旧来的価値観や偏見に気付いたり、主婦をされている女性の苦労が垣間見えたりする機会を多く得てきました。 そんな経験を生かせるかどうかは全く保証できないながらも、今後この連載をお送りしてゆきます。 何卒よろしくお願いいたします。 ■怒った記憶がほとんどなかった私 私は怒らない。 子どもが生まれる前も、酔った妻から想像力豊かなリクエストを受けてきたが、なかなか怒らない。 もちろん仕事や友人関係でも。 大人になってからというもの、あの時は怒った、という記憶がほとんどない。 酔った妻もたいがい容赦なかったが、そんなものと比較できないくらい容赦してくれないのが赤ちゃんだ。 とくに今2歳、 イヤイヤの嵐が吹き荒れるわが娘。 テレビを消せば怒り、風呂に入れようとすれば怒り、ベビーカーに乗せようとすれば怒り、鼻水を拭けば怒り、話しかければ怒り、それならばと放っておいても怒る… そんな日々の中、困ることや打ちのめされることはあっても、怒ることはなかった私であったのだが。 あれは、育児と仕事で全然寝られていなかったある日のことであった。 その時、私の感情が限界を超えた。 自分の中に鬼がいた。 しかし、鬼の口調は、なんかちょっと IKKOさん だったのである。 鬼もいたけどIKKOさんもいたなんて。 子育ては、知らない自分に会える旅。 では、また何処かの道でお会いしましょう。
2019年01月31日