コミックエッセイ:コソダテフルな毎日
どうしたらいいの…? 「甘え」と「甘やかし」の境界線って難しい【コソダテフルな毎日 第55話】
また下の子たちにもプレゼントを用意しているママたちも、
きっと公言したら「甘い親だと思われるだろうなぁ〜」と思いつつも「ま、泣かれるより小さいプレゼント渡したっていいじゃん!」と笑い飛ばす姿に不思議と元気をもらえました。
リアルタイムで子育てをしている私たちからしたら、一事が万事。「今この瞬間のコレを聞き入れてしまったら……」とか「泣けばなんでも通用すると思われるちゃいけない」とか色々と先のことを心配して迷ってしまいがちです。しかし、仮に泣いてゴネて買ってもらったとしても、それが子どもの長い人生において重要な支障をきたすこともないような気がしてきました。要は「トータルで見てどうか」なのかなと思うのです。
「過ぎてみればいい思い出」ってたくさんありませんか?
少なくともブログにコメントをくださった方にとっては、
ゴネて買ってもらっちゃったお誕生日の経験が温かい思い出となって心に残っていました。
となると、なんだかもう私は甘やかしと甘えさせるの違いがよくわからなくなってきました。そして、あまり
頭で考える子育てをしなくてもいいような気もしてきました。
子どもたちが大きくなったときの思い出が
「ママはいっつも俺の言うことを聞いてくれなかった」という思い出で埋まっているよりも、「あのとき、今考えるとむちゃくちゃだったよな〜」って家族で笑えるエピソードで詰まってるほうがいいなと思いました。
もちろんこれは
「何かを買う」「買わない」のことを指しているわけではありません。
ただこのことをきっかけに、私は
ゆる〜くその場その場で選択することに後ろめたさを感じなくなりました。
「その場の雰囲気」や「子どもの様子」または「母親である私の気分次第」などその時その時で「いいよ」と言うも「ダメ」と言うも選択がブレたとしても「自分は甘い親だ」と不必要に罪悪感を感じる必要はないと思うのです。
そして、こう思ったのにはもうひとつ理由があります。その話は次回に……。
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