夏休み後半、小学生ママの頭を悩ませるのが「自由研究」。特にテーマが決められているわけでもなく、かといって一夜漬けでどうにかなる宿題でもないため、親子で「あーでもない、こーでもない」と考えるうちに、夏休みも残りわずか…。
いよいよおしりに火がついた状態になっていませんか? そこで、夏休みの自由研究をうまくのりきるコツを、世界初のシャークジャーナリスト・沼口麻子さんにうかがいました。
「人食いザメは存在しません」――このにわかには信じられない言葉が帯におどる
「ほぼ命がけサメ図鑑」を発売したばかりの沼口さん曰く、「好きな生物を観察するなら、“論理性”と“切り分けてまとめる力”が大切」だそうです。
お話をうかがったのは…
シャークジャーナリスト
沼口麻子(ぬまぐち・あさこ)さん
1980年生まれ、静岡県在住。東海大学海洋学部を卒業後、同大学大学院海洋学研究科水産学専攻修士課程修了。 在学中は小笠原諸島父島周辺海域に出現するサメ相調査とその寄生虫(Cestoda 条虫類))の出現調査を行う。現在は、世界で唯一の「シャークジャーナリスト」として、世界中のサメを取材し、サメという生き物の魅力をメディアなどで発信している。サメ談話会やオンラインサロン「サメサメ倶楽部」を主宰。
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■世界初のシャークジャーナリスト、その子ども時代は?
――今は、シャークジャーナリストとして活躍されている沼口さんですが、どんな子ども時代を過ごされたんですか?
沼口麻子さん(以下、沼口さん):幼児期は記憶にあまりありませんが、合理的なことにこだわっていた気がします。
例えば、幼稚園で、動物の絵に塗り絵をしてからそれを切り取る工作の時。今思えば、先生の意図は、枠からはみ出さないようにクレヨンでぬることを教えたかったのかもしれませんが、私は動物の絵の枠を越えて高速にシャカシャカとクレヨンで色を塗り、それを切り取っていました。
結果的に切り取るのだから、成果物は同じはずですよね。でも、そのやり方を先生に怒られた意味がよく理解できず、困惑していた思い出があります。
――確かに、合理性を考えたら、枠にとらわれて色をぬる必要はないですよね。
沼口さん:その最たるエピソードをもうひとつ。幼稚園でおもらしをした子どもの処理がやけに早い先生がいたんです。おしっこしたらすぐにふいて、新しいパンツや服に着替えさせるんです。
ある日、私は気づいてしまったんですよ。教室からトイレにいって用を足して帰ってくるより、おもらしした方が、早く帰ってこれることに(笑)。
なのでトイレに行かず、あえて廊下でおもらしをしてみたことがありました。
結果はやはり、先生の対応が迅速ですぐに着替えさせてもらえたので、そのほうが早かったんです。でも、無言で処理をする先生に子ども心になにかを感じるところがあり、それ以降はおもらししないことにした、という記憶があります。
――小学校の時はどんなお子さんだったんですか?
沼口さん:縁日で売っているような小さな生物(メダカ、金魚、亀、ザリガニなど)をプラスチックケースで飼育するのが楽しかったように思います。
小学校では、手を上げて発言などはできませんでしたし、休み時間は校庭に行くこともなく、教室から校庭をながめているような子どもでした。運動会も苦手で…。
人の話もあまり聞いていなかったので、教室変更になるとどこに行っていいかわからなくなることも。でも、誰も立候補しないという理由から、学級委員を引き受けることもありました。
――その頃の夢はなんでしたか?
沼口さん:野生動物カメラマン、獣医師、動物園の飼育員、カブトムシか寄生虫の研究者でした。
――ある意味、夢をかなえていらっしゃいますよね。お父さま、お母さまからは、どんなふうに育てられたんですか?
沼口さん:父は、みんなが持っているから買って、という理由は一切受けつけない人でした。「なぜ、それが欲しいのか?」と独自の理由をちゃんと言えないと買ってもらえなかったという記憶があります。
一方、母は私が虫歯になることを心配して、キャンディーやキャラメル、チョコレートを禁止していました。今も虫歯はありませんし、あまり甘いものが好きではないので、おかげで健康なのかもしれません(笑)。
両親は共働きでしたが、やりたいことは大抵はやらせてくれました。日本画、英会話、家庭教師に学習塾、劇団、乗馬など、毎日違った習い事をさせてもらっていました。
それから3歳から中学生まで水泳教室にも通っていました。
野生動物カメラマンになりたくて、16歳の時、単身でアフリカ・ジンバブエに行かせてくれたのも良い経験となりました。
――16歳で単身アフリカはすごいですね。サメに初めて興味を持ったのはいつですか?
沼口さん:大学生の時で、きっかけはダイビングでした。水族館や両生類のいる博物館を母とめぐり、生き物好きとして育ちましたが、借家だったため、水槽内で飼育できる生き物しか飼えなかったんですね。
でも、大学の先輩がお風呂でドチザメを飼育していることを知り、大型魚類も飼えることを知りました。いろいろな海洋生物を勉強しましたが、ダイビングで出会ったサメが一番、面白いと感じたんです。
まだ研究者が少ないニッチな分野でもあったので興味を持ち、大学4年生でサメを専攻しました。
かわいい顔をしているドチザメ ©Martin- stock.adobe.com
――今の道に進むために、相当な努力が必要だったのではないでしょうか。
沼口さん:シャークジャーナリストは、もともと存在しない職業。他人はもちろん、自分でもやっていけるのか確信が持てないところがありました。そのため、ビジネスモデルを立てて、それを検証しながら突き進んでいく努力が必要でした。
認めてくれる人がいるところへ、自分から飛び込んでいくというのが、最初は大切だったと思います。SNSが普及して、個人で情報を発信できる時代が背中を押してくれたので、一昔前に比べると大きな努力は必要なかったのかもしれません。