2019年5月28日 17:00|ウーマンエキサイト
連載記事:「教育」が「虐待」に変わるとき
教育虐待「普通の親が追いつめられ、狂い始める…」その正体は?【「教育」が「虐待」に変わるとき 第1回】
■「教育」とは何? 「人材育成」との混同が引き起こす虐待
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――子どもの将来に対する、親の不安が押しつけられてしまっているのでしょうか?
おおたさん:現在の教育虐待の構造の前提として、教育そのものがビジネスの原理に汚染されている、というところがあります。
そもそも、教育とビジネスというのは、全く違う力学として働くものですが、経済至上主義的な現在の価値観で、教育がビジネス的な論理に当てはめて語られるようになってしまったのです。
――具体的に、どういうことなのでしょう?
おおたさん:「教育」と「人材育成」がごっちゃになっているのですよ。そもそも教育とは、子どもの持つ能力を、その子らしく最大化して自己実現し、かつ、余った力を社会に還元してより良い社会を作ること。つまり、「教育はまずその子ありき」なのです。
一方で、人材育成というのは、なんらかの目的に合致した人を育てることです。例えば、「わが社にはプログラムができる人材が必要」というふうに。つまり、「人材は目的ありき」なのです。
本来「教育」とは、「どうしたらこの子が輝けるよう育つのだろう?」と、その子を見て考えるべきものなのに、その子を見ずに「これからの時代はこんな人材が求められているから、そういう人材にするためにどうしたらいいのか?」と、型にはめていく発想になってしまっているわけです。
■子どもだけではない「追いつめられる親」
――時代に求められる「型」に、親が子どもをはめようと躍起になってしまう。その焦りや不安が教育虐待の引き金になっていくのですね?
おおたさん:それ以外にも、親が脅迫概念にかられる背景がもうひとつあります。それは、「子どものできは親次第」という社会的通念があることです。
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例えば、東大に子どもを合格させた親がメディアでチヤホヤされるなど。子育てにおける成功事例は、その子、その親、その関係性があったうえで、その場限りのものでしかないのに、たまたまうまくいった例をあたかも親の手柄のようにいう風潮がおかしいのです。
逆に、子どもがひきこもりやニートになってしまった親が「自分の子育てが間違っていたのではないか?」と自分を責めてしまったり、周囲から非難されたり…。
本来、親の関わり方と子どもの人生の在り方とは、直線的因果律(結果が生じるには、ある特定された原因が存在するという考え方)で結びつけることはできないのですが。
これは、マスメディアの責任も大きいと思います。
――確かに、核家族で子育てしていると、子どもの責任が全部親の肩にかかってくるような、そんなプレッシャーは感じます。
おおたさん:現代の子育てでは親の責任が大きすぎて、親の方に力が入りすぎているのかもしれません。親こそが、すでに追い詰められているのかもしれません。だとすれば、教育虐待は単なる親の人格的な問題として片づけることはできないのです。
「教育」と「人材育成」は似て非なるもの。「本来の意味での教育が、虐待に直結することはありえず、教育虐待のように見えるものの本質は、『人材育成虐待』なのではないか?」とおおさたんは言います。
自分が子どもにしているのは、本当に教育なのか? それとも、人材育成なのか? 非常に考えさせられるお話でした。
次回は、「教育」と「虐待」の境い目についておうかがいします。
取材・文/まちとこ出版社N
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