娘3人とUターン!東京から人口2850人の町へ移住を決めた理由
夫の海外での単身赴任の生活が4年目に突入した我が家。これまで住んでいた東京から、娘3人と私の実家のある山口県の小さな町にUターンすることに決めました。
田舎暮らしに憧れて?流行っているから?いいえ、いろいろな理由が重なったのです。人生のターニングポイントは、こういう偶然が重なって進んでいくものなのかもしれません。
最大の理由は母親の闘病
一番大きかったのは、母の病気でした。Uターンを決めた2017年秋。その約1年前に母は体調不良から病院を受診。すぐにガンが見つかります。
「冷静に聞いてね…」と電話してきた母の声は、とてもしっかりしたものでした。電話を切った後にかなり動揺した私、そのとき初めて、親と一緒に過ごせる時間が有限であることを意識します。
幸い、半年の治療後に、体に2カ所あった大きなしこりが消えていました。「残りの人生を楽しみながら、笑って生きたい!」と、前向きに生きることを決心した母。
その年の夏休みの帰省では、大笑いする母の声、うれしそうな父の表情、また娘たちが私の両親に甘える姿が、これまでとは違って見えました。
実家が自営業なので、いざという時に娘の私がサポートできることはもちろんですが、両親には孫たちと一緒に過ごした思い出を、娘たちには祖父母との記憶を残してあげたいという思いが強くなっていきました。
ワンオペ育児の限界も…
夫が単身赴任になる=マンパワーが減少するということは、単身赴任が決まったときから分かっていたことです。しかし実際にやってみると、ワンオペ育児はかなりハード。
特に最初の年は、小学2年生と幼稚園の年長、保育園の2歳児。3人が通う場所がバラバラで、離れた場所にある幼、保の送迎だけでもグッタリ。習い事がある日は午後もあっちへこっちへと自転車で走り続け、週末は食事の準備も含め完全に子どもに付き合う日々。
私はフリーランスで仕事をしているので、家での作業も多くあります。子どもをそっちのけで仕事をしたり、また違う日には子どものことに追われて仕事ができない日も…。バランスがとれないときは、気持ちがモヤモヤ。
そのうちこのルーティンにも慣れてくるのですが、3年目に突入したころから、違う意味でワンオペの限界を感じ始めます。子どもたちへの精神的なサポートです。
反抗期に突入した小学校高学年女子への対応は少しずつ難しくなり、また日々行われる姉妹の言い合いやケンカ、これも女である私が冷静に聞いておられず、仕事に追われている日はイライラが爆発ということも。