友達と遊ばない6歳の息子。その理由は大人の想像とは違って…
幼稚園の3年間、友達の輪に入っていかなかった息子
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発達障害のある息子は、お友達との関わり方が独特です。
例えば人の話を聞くのが苦手で、自分の話を一方的にしてしまったり、友達と協力が必要な集団のゲームは疲れるから関わろうとしなかったり…たまに幼稚園に様子を見に行くと、いつも1人で遊んでいます。
他の子どもたちも、息子からはちょっと距離を置いている感じがします。
送迎の園バスでも、仲良し同士で隣に座っておしゃべりに賑やかな中、息子は1番に誰もいない席に突進していきます。
そして、窓の外をぼんやりと眺めているのです。
年少から年長までの3年間、様々な面で成長が見られましたが、お友達の輪からササっと抜けてしまうところはずっと変わりませんでした。
そして、何やら楽しそうにボーっとしていたり、空想上の誰かとブツブツ話をしていたりします。
1人でも楽しそう…でもウチの子、どうして友達と遊ばないの?
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幼稚園の先生方も私も、息子に「みんなの仲間に入ろう」と促すことは1度もありませんでした。
幼稚園だけではなく、息子は幼稚園外での「ママ友付き合い」に連行されることも大嫌いです。
幼稚園に通っていると多かれ少なかれ「○○ちゃんのおうちでみんなで遊ぼう」とか「みんなでピクニックに行こう」なんてお誘いを頂くことがありますが、私は3年間、見事に1度も参加しませんでした。
それは、そういうイレギュラーな集まりを息子が嫌うこと、幼稚園以外で園のお友達と会うとパニックを起こすことなどを知っていたからです。
こんな風にお友達の輪からすぐに外れ、幼稚園外での付き合いも一切拒否する息子を見ていたら、親も不安にならないと言ったら嘘になります。
特に年少の頃は息子の行動の理由がつかめず、みんなで戦闘ごっこをする男の子たちの横で、ポールの周りをくるくる回り続け1人楽しんでいる息子に「おいおい…」と思わず思ってしまったものです。
息子が語った「1人で遊ぶ理由」。そこには息子の頑張る姿があった
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息子は友達に一切興味がないの?気になった私は、ある日息子に「1人で遊んでて、寂しいとかある?」と聞いてみたことがあります。そのときに、息子はこう言ったのです。
「お母さんたちがみんなでキャーキャー喋る声とか、お友達がワーワー言う声が辛くて頭痛がするから、いいの」
「お友達から離れて、ボーっと景色を見ていると、疲れが取れる」
「バスの中でも隣に人が座って欲しくない」
これを聞いたとき、私はハッとしたのです。
私は、いつしか輪から外れてみんなと一緒に遊ぶ息子を「可哀想」と思ってしまっていたのです。
きっとみんなに外されて嫌な気持ちになっているんだろう、そのうち成長したら入れるようになるかな、お友達の家に遊びに行けなくて寂しくないのかな…と。
けれども息子の言葉を聞いて、私の考えが間違っていたことに気付きました。息子にとっては、集団生活を問題なく送るというだけでも重労働なのです。
息子は聴覚過敏があるため、子どもがみんなでワーワー言っている声が大嫌いです。けれども、集団生活ではそれを我慢しながら生活しています。だからこそ、息子はお友達と遊ぶ時間よりも、1人になって自分を休ませる時間が必要だったのです。
幼稚園の自由時間に1人でブツブツ言いながら集団から離れているからこそ、バスで1人の座席を陣取って景色をボーっと眺めているからこそ、息子は集団生活で頑張ることができていたのでしょう。
社会性やコミュニケーション能力は、みんなの輪に入れることがゴールではない
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私は息子の気持ちを聞くまで、自分が息子に療育を受けさせ、早期から支援をしていたのは「社会性を身につけ、友達の輪に問題なく入れるようにすること」だと勘違いしていました。けれども、息子の話を聞いて私は思ったのです。
療育や支援を受けたことで、息子は「いっぱいいっぱいになってパニックになる前に、自分で集団から抜けて休憩を取る力をつけた」のだと。
これこそが、息子にとっての「社会性」の獲得の大きなステップだったのではないでしょうか。
「社会性」とは友達みんなと仲良くすることではなく、自分の特性を知りながら、自分なりに社会と上手く関わる方法を知ることなのだと思いました。
それが、息子のように「お友達の輪から離れる」ということだとしても、それは決して間違ったことではないのだ、と私は感じたのです。