2017年5月28日 18:00
「かわいそうな人へ愛の手」を出す前に、できることがある気がしている障害者の私。
問答: 「目の見えない人が、向こうから歩いてきたら?」私「とりあえず挨拶じゃね?」
Upload By 鈴木希望
数年前、とある講座で
「向こうから目の見えない人が、杖をつきながら歩いてきました。あなたならどうしますか?」
という質問をされた。
私は、
「そうですね、とりあえず挨拶をします」
と返したのだが、そこで列席者の中から笑いが起こったのだ。
「どうして?向こうから知らない人が来たからって、特に何もすることないじゃん。強いて何かするとしたら挨拶じゃない?」
―笑われる理由が、心底わからなかった。すると講師の方は続けた。
「同じ質問をとある学校の生徒さんたちにしたんです。
優しい方が多くて、手を引いてあげるだとか、行き先まで案内するなどの意見が出ました」
ああ、そうか、それが模範回答だったのかと思いながら聞いていたら、
「でも、目が見えないというだけで、その人が困っているとは限らないんですよ。だけど目が見えないということで、“この人は困っているはず”と無意識にラベリングしてしまう人が多いんですね」
あ。
うっかりというべきか、「偏見のない人」のような回答を私はしてしまっていた。
もちろん私はまるっきり偏見がない聖人などではない。「他人の要求なんて、はっきり言ってもらえないとわからないよ、エスパーじゃないんだし」と、自分の察せなさを正当化しようとぼやいているような人間である、というだけなのだ。
「障害があるのに頑張っている」うーん、それ必ずしもイコールかなぁ?
Upload By 鈴木希望
側頭葉てんかんと発達障害があるということを明らかにしているからか、「障害があるのに頑張ってるね」というようなお言葉をしばしばいただく。
その度に私は、
「うーんまぁ、自分なりに頑張ってはいるなぁとは思うんですが、障害があるのにとか、それは関係ないんじゃないかという気がします」
…と、言いたい気分になりつつも、相手との関係性を考慮して「あーはい、そうかもしれません」などと曖昧に返したり返さなかったりしている。
いやね、「障害があるのに頑張ってるって、まるで障害の自認がなかったころは頑張ってなかったみたいじゃない!」とか抗議したいわけじゃないんですよ。なんて、誰へともなく頭の中で弁明しながら。
障害ゆえに頑張らなければいけないこともあるにはある。