2017年12月12日 13:40
他人のイライラで自分がツライ!感情に呑まれやすい私が心に鎧をまとって生きていくには
自分とは関係のない赤の他人であっても、叱られている人を見かければ哀しい、悔しい、恥ずかしい感情が、怒っている人を見ればその人のどす黒い感情が、泣いている人を見れば深く切ない思いが、自分の中にダイレクトに押し寄せてくる。そして何とかしなければと焦る。
そんな感情の共鳴が起こるのは「みんな同じ」だと思い込んでいたのです。
突然心に入り込んでくる様々な感情を、みんな涼しい顔をしてやり過ごしていると思っていたのに、そうじゃなかった。それができない自分を出来損ないだと思っていたのに、もしかしてそうじゃなかったの?
なんてこと。なんてことなの!?
原因は「自分と他人との境界膜の薄さ」だった!?
呆然した私に、偶然ある本のタイトルが目に入りました。それは『敏感すぎて困っている自分の対処法』という本。
この本では、他人の感情に敏感すぎる人の心身の不調について、なぜそのようなことが起こるのかが丁寧に読み解かれています。
敏感な人というのは、他人との「境界膜が薄い」と表現されており、人の気持ちや体調をより強く感じ取ってしまうので、他人に左右されやすいというのです。
人はそれぞれ他人との境界膜、いわば鎧のようなものに覆われている、と想像してみてください。それがレースのカーテンのように薄いものあのか、頑強な分厚い金属のようなものでできているのかによって、人生が大きく変わってくることでしょう。
私はおそらくレースのカーテンのような薄い境界膜しか持っていないがために、他人の負の感情にあっさりと侵入され、それがまるで自分の感情であるかのように苦しくなり疲れてしまうのだと思います。
他人の感情だけでなく、周囲への影響を考え過ぎて自分の意見を言うことができなかったりするのも、この境界膜の薄さからくるものだと考えれば、さらに自分自身に納得がいくのです。
発達障害の特性の中にも、「自他との境界が曖昧」というものがあります。
息子の場合、他の子が怒られていると自分が怒られていると思って怖くなり、どれだけ怒られないように努力をしても恐怖から逃れられず幼稚園に行けなくなったという行動も、おそらくこういった境界膜の薄さなのでしょう。
自分なりの鎧をまとって生きていくために必要なこと
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=11044035648
境界膜という概念を知ってから、私は周囲の人がどのような境界膜をまとって生きているのかを考えてみるのがとても楽しくなりました。