2018年12月13日 07:30
「療育」はその子の多様性を否定するのか?私が願うニューロダイバーシティの未来
という言葉が気になったからです。
そういえば…私は思い出しました。ここ1~2年でしょうか。発達障害関連の研究会やNPO団体等の講演会やニュースレターなどでも「ニューロダイバーシティ」という言葉をたまに見かけるようになりました。
あれ?「発達障害」ではなく「ニューロダイバーシティ」?
調べてみたところ「神経多様性」や「神経学的多様性」といった日本語訳があてられていました。どうやら、発達障害は脳の神経学的な構造が異なっているだけであり、病気でもなければ「治すべき」ものでもない、というような考え方がもとになって使われるようになった用語のようです。
「ニューロダイバーシティ」の背景を知って、自問自答
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10161018927
ニューロダイバーシティという言葉が生まれた背景を探っていくほど、複雑な気持ちになっていきます。
そもそもの始まりは、定型発達の人たちの振る舞いやコミュニケーション手段を「正しいもの」として、発達障害の子どもたちをそこに近づけるように矯正する療育に対して発達障害当事者たちが声をあげたことがきっかけだったようです。
特に「子どもの行動を変えようとする」という点で、「ABA(応用行動分析学)」は厳しい批判の対象となったようです。
けれども私は覚えています。アイコンタクトを嫌がる息子がABAを受けた後に初めて目を見て話してくれて、涙が出るほど嬉しかったこと。自分の好きな話を一方的に喋るばかりでコミュニケーションがほとんど成り立たなかった息子が、きちんと私の話を聞いて応答してくれるようになったときのこと。私はABAを施してくれた先生方には足を向けて寝られないと思うほど感謝していました。
私はあのとき、息子を「普通」に近づけたかっただけだったのか…?彼の神経学的な多様性を握りつぶしてしまうことをし続けてきたのか…?
私は療育の成果について「息子の成長」として喜んできたことに自問自答しました。
社会の変化として考える私なりの受け止め方
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10757000985
ニューロダイバーシティの議論について知ったとき、私は何度も考えました。