「0-100思考」家庭で育ったASDの私と兄。親との断絶、バーンアウト…極端な考え方から解放されるまで
極端すぎる父の教え
私にとって父は怖い存在でした。私が3歳ぐらいの時に父が私と兄の前で膝をついて目線を合わせ、深刻な面持ちで「いいか、この世は戦場なんだ。お前たちはそこで戦い抜いて生きていくんだ」と言ったときから、私の「戦い続けなければ生きていけない」という、0-100思考の萌芽が生まれたように思います。
その後父は、私が中高生になる頃には「勉強していい大学に入ってエリートになれ」というようなストレートな言い方はしないものの、「学生の本分は勉強だ。家事は我々で担うからその時間を勉強に充てろ」「お前みたいなタイプは弁護士か研究者になったほうがいい」「そうじゃないと将来食っていけなくて路頭に迷う」などと繰り返し言うので、私は「いい大学に入ってエリートにならなければ生きていけない」という0-100思考を強めることになりました。
今になっては父も極端だったなと思うのですが、そんなこと、子ども、それもASD傾向のあった私にわかるはずもなく……。
失敗しそうになったとき――「踏みつぶす」兄と、頑張りすぎる私
兄も極端な人でした。失敗の不安や兆候があるとき、私は不安やリスクを塗り込めるために3倍頑張るようなタイプでしたが、兄の場合はやけくそになって極端な行動に出るタイプだったのです。
例えば、私も兄も20代だったある時の話。兄がダイニングで、おまんじゅうを1つ手に取り、個包装を剥いて食べようとしていました。そこで、手を滑らせておまんじゅうを床に落とした兄。「あ、落としたな」と思って居間から見ていた私は、信じられない光景を目にします。
兄は落ちたおまんじゅうを一瞬見つめると、それをトンッ!と真上から足の裏で踏み潰し、素早く拾い上げると、そのままゴミ箱にストンッ!と投げ捨てたのです。
おまんじゅうが個包装が剥かれた状態で床に落ちたならまだわかるのですが、兄はあくまでおまんじゅうの個包装を「剥こうとしていた」だけ。おまんじゅうは個包装にしっかり包まれていたわけですから、それを床に落としたからといって大した問題はないはずです。
私は起きたことの意味がわからなくて、「今、おまんじゅう踏み潰して捨てた?」と聞いたら、兄は真顔で「うん」と答えました。
私は絶句。
兄は「おまんじゅうの個包装が思ったようにうまく剥けなかったことが許せず、なんの問題もないであろうおまんじゅうを踏み潰し、捨てた」