学校に通報が!?「行きたくない」道で動けなくなった発達障害息子。1年半の母子登校を経て今は…
息子の送り迎えをすると幼稚園バスの時間に間に合いません。でも、仕方がありません。バス送迎を辞め、私が車で下の子を連れて行くことでそこは解決しました。
また、学校が少し遠かったので、弟は一緒に歩くことはできないだろうと思いました。そこで、少し遠回りになりますが、まず私の両親の家まで行き、下の子を預けてから小学校まで息子と歩きました。
息子は、登校中何度か止まってしまったことがありましたが、対処できないようなことはありませんでした。また、途中までとはいえ弟が一緒だったので、お兄ちゃんとして頑張れた部分もあると思います。
小学1年生の時は、校門まで行けばそこから一人で行ける日もあったり、教室まで一緒に行く日もありました。
また、一度連れて行っても再度学校に戻って下校時刻まで待機したり、学童を使っていたので、夕方にお迎えに行くなどしていました。
家→両親の家→学校→両親の家→幼稚園→学校で待機という日が続きました。正直、私もつらかったですし、学校でつらそうにしている息子を見るのも苦しく、もうどうしたらいいのか分からない日々でした。
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でも、つらいことばかりではありませんでした。
息子は、学校で先生にいろいろ言われると扉を閉じたように何も話さなくなると言われていたので、語彙が足りないからうまく話せないのかと思った私は、弟と3人で歩きながらしりとりをしたり、簡単な看板を読んだりしながら歩きました。幸いにも子どもたちはそれを楽しんでくれました。
1番楽しかったのは、雪が積もった日にみんなで歩いたことです。
雪というだけで子どもたちはテンションが高く、雪を触りながら楽しく通学できました。学校にはいつもより遅れて着きましたが、今となればいい思い出です。
また、学校の側に住んでいる方が、きっと登校渋りの子どもを何度も見ているのでしょう、「おはよう!いってらっしゃい!頑張ってるね!」など毎朝優しく声をかけてくれて、1度はお庭のお花までいただいたりしました。優しさが本当にありがたかったです。
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そして小学3年生になった息子は……
小学1年生の3学期、息子はADHD(注意欠如多動症)、ASD(自閉スペクトラム症)の診断が出て、2年生からは通級指導教室に通うようになりました。また2年生の時の担任の先生は、息子のことをよく見てくれ、さまざまな配慮をしてくださり、息子自身少しずつ自信がついてきたようでした。