家庭での学びが「アクティブ」で「プレイフル」になる、いちばんの方法
多くの人が、なにかをわかりやすく説明してもらえればすべて理解できると考えます。でも、人がどのように情報処理をするかという観点から考えると、どんなにわかりやすく説明されたとしても、10の内容のうち3くらいが記憶に残れば上出来だといえます。なぜなら、人間の注意や記憶に限界があるからです。
説明された直後は、誰もがすべて理解できたつもりになります。でも、10の内容すべてに注意を向けて、そこで得た内容がこれまでの知識と結びつき、10の内容すべてがずっと残るということはあり得ないのです。
でも、自分が興味を持っていることなら話は別。自分が主体的に働きかけて疑問に思ったこと、知りたいと思って調べたり聞いたりして発見したことは確実に残っていきます。そういう学びこそ、プレイフル・ラーニングなのです。
重要なのは形式ではなく学び手の主体的な行為
子ども教育に興味がある人なら、「アクティブ・ラーニング」という言葉を耳にしたことがあるでしょう。一般的には、議論形式やグループ形式の学習方法を指すことが多いものです。でも、アクティブ・ラーニングは、特定の学習形式を指すものではないとわたしは考えています。
座学形式ではなく、グループでわいわいと勉強すればアクティブ・ラーニングになるわけではありません。アクティブ・ラーニングとは、子どもたちに知識を入れるのではなく、子どもたち自身が主体的に知識を得ようとする学習のこと。無理やりグループ形式の学習を押しつければ、子どもがアクティブになるのでしょうか?
一方、子どもたちが主体的となり「自ら学ぼう」という姿勢を持てば、これまでと変わらない座学形式であっても、それはアクティブ・ラーニングといえます。そういう学びこそが、本当に実社会で役立つ「生きた知識」を生んでいくのです。
もちろん、アクティブ・ラーニングと同様に、プレイフル・ラーニングもある形式を指すものではありません。ダンスや体操を通じて学ぶというプレイフル・ラーニングも存在しますが、子どもが興味を持っていないのに、大人が設定した場に子どもを押し込んでも、プレイフルではないのです。逆に、はたから見れば遊んでいるようには見えなくても、子ども本人が楽しんでいれば、その学びはプレイフル・ラーニングといえます。アクティブ・ラーニングもプレイフル・ラーニングも、学び手の能動的な行為によって定義づけられるものなのです。