グローバルな人間に――生まれ育った地域や国を知る「レッジョ・エミリア・アプローチ」
ある仕事に対して、「それ、いいね!」といってくれる同僚もいれば、「こういう考え方もあるんじゃない?」と指摘してくれる別の同僚もいる。そういう状況なら、本人の自分の仕事に対する視点や考え方は大きく広がっていくはずです。
ただ、アトリエリスタはあくまでも芸術家。そのため、教育の理論にはそれほど詳しくないという場合もあります。そこで活躍するのが、また別の専門的な先生である「ペダゴジスタ」です。ペダゴジスタは教育理論の専門家です。アトリエリスタによって広がった活動も、そのままではぼんやりしたものになるということもある。そこで、それらの活動に、ペダゴジスタが教育的な意味づけをするのです。
アトリエリスタやペダゴジスタは、一般企業におけるアドバイザーやコンサルタントのようなものといえます。なにかのプロジェクトを進めるというとき、メンバーがその企業で育った社員ばかりでは、同質すぎて目新しい内容にすることはそう簡単ではありません。そこで、ちがった観点でものごとを見られるアドバイザーやコンサルタントをメンバーに入れるということがありますよね。
こうして、子どもたちの活動やその見方を広げ、一方できちんと意味づけをしていく。子どもたちにとっても、一般の先生にとっても、アトリエリスタとペダゴジスタの存在は大きな意味があるものなのです。
本場では先生と保護者がワインを飲みながら語り合う
このように、さまざまな人とかかわるということもレッジョ・エミリアの特徴です。そのかかわりは、学校の外にも向かいます。たとえば、保護者とのかかわりもそう。
一般的な幼稚園やそれこそ保育所には「子どもは守られるべき存在」という認識があり、子どもの安全を確保していくというような、「サービスを提供する」という考え方があります。
でも、レッジョ・エミリアには「子どもたちはものすごく有能な存在だ」という認識があるのです。そして、どうすれば「この有能な人のサポートをできるのか」と、保護者と一緒に考えます。もちろん、サービスを提供する場合と比べれば、保護者とのかかわりは濃いものになります。本場のイタリアでは、夜の9時くらいから深夜2時くらいまで、先生と保護者たちがワインを飲みながら語り合うということもあるようです。しかも、その場には地域の代表も同席している。というのも、レッジョ・エミリアは基本的にローカルの教育だからです。