桜は儚いからこそ美しいというのであれば、人の一生はもっと美しい
うすべに色の花との対話は、時々に自分に必要な思考を探る空間なのだと思います。
現在、あの日から8年が経過し、世の中では、さまざまなことが起こりました。
私のように、思いをはせられる土地に立つことさえ許されない方々もいらっしゃいます。思いが詰まった場所やもの自体がなくなってしまったり、故郷を追われることになってしまったり、とても、全ては語りえません。
ここで「今いる環境に感謝」など、高らかに言葉を発してしまうのは、あまりにも簡単な気がします。そもそも、感謝というもの自体、日常において当然に行うべきことでしょう。
私は、誰に見てもらわずとも、黙々と自ら思う道をゆくことが、自分と大切な人たちのためになる生き方で、果てには、世の悲しみの“鎮魂の糧”に繋がると考えます。
まことしやかな言葉で語るより、行動で示すことこそが。
これから先、道の途中で思いが散ってしまうことがあるかもしれません。でも、生きている限りは、いくらでも甦ることができます。
散った桜は、再び咲くということを知っているのだから。
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