くらし情報『便利至上主義の日本人が思い出すべき「不便」の贅沢さ。』

便利至上主義の日本人が思い出すべき「不便」の贅沢さ。

人間の“”労働”というものを経営の効率化という観点からのみ見れば、よいことのようにも思える。しかし、ちょっと待てよ、と思う。論文に従えば、例えば10年後には経理事務や瓶詰め工場の従業員は職を失う。しかし、経理という仕事が好きな人や工場勤務に愛を注ぐ人が存在すること、それぞれの仕事に生き甲斐を感じている人がいることを忘れてはいけない。人間が勝手に作り出した人工知能は、個人の自由を奪う権利をもたない。“やりたいこと”は人間がやればいいのだ(もちろん、やりたくないことに関しては科学技術を頼ればいい)。自動運転技術が発達しても運転したい人はすればよい。「人工知能も人間も両方できること」があったとして、なぜそれを人間がやってはダメなのだろうか。
自由な“選択”のための人工知能であるべきだと思う。やるかやらないかは人間の選択の自由。科学技術は人間の選択の幅を広げるため、つまり、より自由になるための手段にすぎないからだ。それが逆転し、人間が合理化の奴隷となってしまった現代社会を、自由で幸福な社会とは呼べないだろう。

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Photo by Jeff Sheldon

便利って本当にいいことなの?

人工知能含め、現代の科学技術研究は「便利なほうがよりよい」

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