2014年11月28日 07:30
人格はメガネフレームに宿る――メガネ男子勝手にプロファイリング(前編)
人柄はメガネフレームにあらわれる?そんな考えにとらわれた筆者による、勝手プロファイリングを2回にわたり展開します。
“メガネ男子”という言葉は、女性が語る“萌え&フェチ”の一大流派として今やすっかり定着しました。
私のように、小学校2年生の頃からメガネをかけていた生粋のヘビーメガネユーザーからすれば、メガネに“ファッションアイコン”や“モテアイテム”としての意味が出てしまうのは、正直、荷が重いです。
何も考えずに着ていたTシャツの英字プリントが、ある日突然“恥ずかしい意味”だと知らされたような気恥ずかしさと責任感すら感じます。
しかし、時は群雄割拠のメガネ男子戦国時代。純粋に視力矯正のためだけにのびのびとメガネをかけていられたあの頃にはもう戻れません。
どんな色や形のメガネフレームを選ぶかは、その人が“どんな自己主張をしたい人間なのか”をあらわす格好の材料。いわば、メガネのフレームが、その人の“キャラのフレーム”を規定するといっても過言ではないのです。
そこで、“人格はフレームに宿る”を合い言葉に、「こういう人はこのフレームを選ぶとよい」ではなく、「このフレームをかけるのはこういう人」