大島由香里、被災地取材の葛藤と記憶「娘に伝えるべきことを伝えたい」
「大島! エレベーターが動かないから、今から階段で報道センターまで行くよ!」
「すぐに情報取って!」
非常階段で上がりながら調べても、なかなか全容が把握できない。「東北の方で地震みたいです!」と伝えながら12階の報道センターまで上がって、安藤さんはそのまま特番の中継に。
「私はどうしよう」取材に行きたくても電車や車も使えない。それから3日間ぐらい会社に寝泊まりしました。震災発生から1週間ほど経って取材に行けるようになり、ようやく現地に。言葉にならないほど悲惨な状況でした。
○■声をかけるのが私の仕事
最初に行ったのが女川だったと思います。女川には湾があって、そこから十数メートルの津波が来て、多くのものが流されていました。
水は引いていましたが、鉄骨だけになった建物の周りでは、住人の方々がいろいろなものを探していました。家族も含めて。
そこで声をかけるのが私の仕事です。涙が込み上げる私を見て、あるスタッフさんが「泣くな。お前のことじゃないだろ」と叱ってくれて。もともと自分は前に出ていくタイプではないので、どうしても感情移入して足がすくんでしまう。人の気持ちばかり考えてしまうので、自分にこういう取材は向いてないんじゃないかと痛感した瞬間でもありました。