2013年11月15日 11:00
なにかと因縁のある鳥取県と島根県。事実、両県は昔ひとつだった!?
TVや雑誌などで、主に東日本に住む人が「区別がつきにくい県」として挙げられる中に入っていることが多い「鳥取県」と「島根県」。本州の西端に近い山陰にあって、また、隣り合わせということもあるためだと思われるが、実は、かつて1つの県だったことがあったという歴史も尾を引いているという見方もあるのだ。
○明治政府の施策のためだった
地元でも知らない人も少なくないという、この事実について鳥取県立公文書館の伊藤康総括専門員は「明治9年(1876)8月21日から明治14年(1881)9月12日までの5年間、確かに鳥取県は島根県になっていました」と話す。また、「この時の影響は、130年たった現在までも鳥取県に残っています」とも言う。
明治4年(1871)の廃藩置県によって生まれた最初の鳥取県は、「因幡国」と「伯耆国(ほうきのくに)」、そして飛び地としてあった「播磨国」の一部が合体したものだった。「兵庫県姫路市の東隣にある高砂市辺りも鳥取県だったということは、地元の人でも知ったらビックリするのでは!?」(伊藤さん)。
この「因幡国」は、今で言う「鳥取市」「気高郡(けたかぐん)」「岩美郡」「八頭郡(やずぐん)」