『極悪女王』に描かれる「昭和の女子プロレス」が、いまも輝き続ける本当の理由─。
技の精度、パフォーマンスにおいては昭和時代のそれとは比較にならないほど進化している。
しかし会場に、かつてほどの熱狂はない。
「時代が違うから」と言ってしまえばそれまでだが、あの時代の熱狂が二度と戻らないのには1つの理由がある。
●限りある命だからこそ熱くなれた
『極悪女王』で描かれていた当時の女子プロレスには、暗黙の決まりごとがあった。
「25歳定年制」。
その年齢に達したらプロレスをやめなければならないと明確に定められていたわけではない。だが25歳が近づくと、会社(全日本女子プロレス)の上層部から引退を促される。
そのことを選手たちもファンも理解していた。
当時は女子レスラーの選手寿命は短かった。
ビューティ・ペアのマキ上田は、75年3月にデビューし79年2月に引退している。リングで輝いたのは僅か4年足らず。ジャッキー佐藤もデビューから6年後にリングを下りた。ジャガー横田とデビル雅美は約9年、ジャンボ堀が7年、大森ゆかりは8年。長与千種、ライオネス飛鳥、ダンプ松本は同期で80年デビューだが、彼女たちも年号が平成に代わる前後に全女のリングを去っている。
限りあるレスラー生命。
だからこそ、選手たちはリング上で燃え尽きようとしていた。