昭和の残像 鉄道懐古写真 (49) 昭和の終焉とともに去った東急目蒲線グリーンの電車
名車にして長寿命車両でもあったのです。
当初、目蒲線では少数派でしたが、田園都市線にステンレスカーが増備されていくと、4両から3両編成に組み換えられ、目蒲線に転属してきました。
3両編成オンリーの目蒲線でしたが、田園都市線の4両編成が助っ人運用に入ることもありました。
1967~1974年の間、朝夕ラッシュ時におもに3450形が使用され、目黒~田園調布間の折り返し列車として運転されました。
戦後、増大する輸送力に対処するため、国鉄から戦災損傷した車両や部品の払い下げを受けて復旧させた車両で、16両が製造されました。
そのため、モーターの出力が通常の電動車の1.5倍と強く、俊足ながら空転もすごかった記憶があります。
また、メーカー4社が復旧にあたったため、車両の外観や仕上がりにかなりの違いがありました。
1982年の引退後、一部は青森県の弘南鉄道に譲渡されましたが、すでに廃車となっています。
「運輸省規格型」の車両で、1947年に15両が製造されました。
この「運輸省規格型」とは、戦後の混乱期に鋼材をはじめさまざまな資材が不足したため、運輸省が車両の設計に規格を設け、資材を効率よく有効活用し車両を製造させたもの。