昭和の残像 鉄道懐古写真 (49) 昭和の終焉とともに去った東急目蒲線グリーンの電車
実際には、各鉄道会社のニーズに合わせて修正のうえ製造されたそうです。
この3700形は全車が名古屋鉄道へ譲渡され、片側3ドアの特徴を生かしラッシュ時に活躍、名鉄に3ドア車導入のキッカケを作りました。
元々、名古屋鉄道でも「運輸省規格型」の車両を保有していたので、譲渡がスムーズに運んだそうです。
1953年に製造された、東急最後の旧型車です。
製造の翌年には、東急にとって新性能車ともいえる5000系(初代)が製造を開始したので、たった2両の製造で打ち切られました。
3両在籍した荷物電車の最古参。
元々は国鉄の木造荷電が出自で、小田急の旧車体を載せ替えて鋼体化した車両でした。
当時の東急では、新玉川線(現在の田園都市線の渋谷~二子玉川間)を除く鉄道線全線で荷物電車の運行があり、大岡山駅と田園調布駅に荷物ホームもありました。
しかし1982年に、荷物電車の運行は廃止となりました。
1989(平成元)年3月18日、深夜の目蒲線奥沢駅で東急旧型車の活躍に幕が降ろされました。
セレモニーも何もない、普段通りの終電車の到着。
静まり返った駅構内で入庫待ちをする2本のデハ3500形。