長野県民は全員、県歌"信濃の国"を歌えるってホント!?
また、長野県庁では毎年、仕事はじめの式で「信濃の国」を歌っており、電話の保留音や、議会の"一鈴"で「信濃の国」のメロディーを使用しているとのこと。
1998年に開催された長野オリンピック冬季大会でも、日本選手団の入場行進に流れたという。
「信濃の国」に関して、長野県では過去に2つの大きな出来事があった。
ひとつは昭和23年(1948)に長野で起こった「分権騒動」。
県庁が北信にあったことから、(中)南信地方は長野県から別れるべきではないかという「分権論」が、県議会で審議されることになった。
その際、傍聴席と議事堂の周囲から一斉に「信濃の国」の大合唱が起こり、結果として分県は不成立に。
郷土愛あふれるエピソードに、思わずウルッとしてしまいそうだ。
また、昭和28年(1953)に、浅間山の麓(ふもと)を米軍の演習地として利用する話が持ち上がった時の話だ。
反対運動の大会で「信濃の国」が大合唱され、演習地受け入れの阻止決議がされたとか。どうやら、「信濃の国」は長野県民を強く結託させる力を持っているようだ。
「様々な世代に歌い継がれていることや、過去にこうした出来事があったという背景から、この歌を歌うことで県民がひとつになれるという意識があるからではないでしょうか」