愛知県名古屋市栄の「ポスト宗春」は、倹約ブームへの静かなる反発か!?
の7代目藩主、徳川宗春(1696~1739)のことだ。
彼の時代の江戸幕府の将軍は、かの質素倹約の鬼、徳川吉宗である。
国の財政悪化に悩んだ吉宗が断行した政策が、ご存じ江戸三大改革の一つ「享保の改革」だ。
倹約を前面に押し出した緊縮財政で、ぜいたく行為はもちろん、歌や芝居といった伝統芸能にも規制をかけ、庶民の楽しみもコントロールした。
国のトップである将軍の出した方向性である。
当然、全国の諸大名もその流れに追従する中で、たった1人、公然と彼に対して反旗を翻したのが、この徳川宗春だったのである。
宗春は尾張藩内で、吉宗の意とは真逆の積極経済政策を取った。
この2人の哲学の違い、今でいうならば「財政規律派」と「積極財政派」の違いといえるのかもしれない。
古くからの祭りや芸能を手厚く保護し、女性や子供が夜遅く街を自由に歩けるためにと、なんと尾張の町に数多くのちょうちんまで掲げさせたという宗春。その開放政策は、当然、商人や庶民に支持された。
結果、日本では愛知県(当時の尾張藩)にだけヒトとカネが集まり、華やかな一時代を築いたという。
当時は京都・江戸・大坂の三大都市をしのぐ繁栄ぶりで「名古屋の繁華に興(京)