JAL、航空機の歴史 (2) 黎明期を支えたプロペラ機
ちなみに、運航を始めた頃の運賃は東京 - 大阪が片道6,000円、東京 - 福岡片道1万1,520円、東京 - 札幌片道1万200円、大阪 - 福岡は片道5,520円だった。
とはいえ、会社員の初任給が1万円前後の時代。
一般にはまだまだ航空旅行は遠い存在だった。
国内線の就航から2年半後の1954年2月2日、日本航空は国際定期便を開設する。
路線は羽田 - サンフランシスコの太平洋路線で途中、ウェーキ島、ハワイを経由し所要時間は31時間だった。
DC-4の発展型機DC-6Bが使われ、同じプロペラ機ながら巡航速度は100km/h増して450km/hまで上がった。
現在のジェット機は約900km/h前後で飛行するから、半分強の速度まで来たことになる。
就航当時はファーストクラスしかなく運賃は650US$。
当時の日本円に換算すると23万4,000円。日本人にはなかなか手の出ない金額であり、乗客には米軍やその関係者が多かった。
しかし、2カ月後には太平線にツーリストクラス(現在のエコノミークラス)が新設されるようになり旅客数も増加。
55年には黒字に転じている。
同じ太平洋線を飛ぶアメリカのエアラインに対抗するためサービスも工夫された。