くらし情報『いくつ分かる? 大阪府民も頭を抱える、由緒正しき大阪の難読地名たち』

いくつ分かる? 大阪府民も頭を抱える、由緒正しき大阪の難読地名たち

その頃この辺りは瓜を多く産出していたため、「瓜生野(うりうの)」とも呼ばれており、後にそれがなまって“おりおの”となり、「遠里小野」の字にその読みを当てたとされている。

●茨田大宮(まったおおみや)

大阪市鶴見区にある地名。茨という字は通常、訓読みで“いばら”、音読みで“シ・ジ”としか読めず、茨田を“まった”と読める人はまずいない。茨田とは古くは湿地帯を意味し、「万牟田(まむた)」という字も当てられていた。その“まむた”がなまって“まった”となったと言われる。

●道修町(どしょうまち)

この辺りを含む大阪市の北船場一帯は、かつて上町台地の西側にひろがる砂堆地帯で、台地との間が谷間になっていた。その谷が「どしょう谷」あるいは「どうしゅ谷」と呼ばれていたことに由来するという説があり、江戸時代中頃までは「道修谷」という地名であった。

以上ここに挙げた5つは、地元住民や古くから代々大阪に住んでいる家の人でなければ、大阪人でさえ読めるかどうかかなり怪しい地名・駅名だ。
これが大阪市内から更に大阪府下まで範囲を広げると、茨木市の「道祖本(さいのもと)」、寝屋川市の「点野(しめの)」、そして富田林市の「廿山(つづやま)」

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