江戸の7割の土地は武士が住んだ? 今も昔も人気のお屋敷街とは……
あなたはお屋敷街と聞いて、どこの街を思い出すでしょうか?日本全国に点在するお屋敷街には、大まかな定義があり、江戸時代に存在した武家屋敷跡につくられた街のことを指します(諸説あり)。大名の名前がそのまま地名についている場合もあり、情緒豊かな風景が今もなお残っている街も多くあるようです。
『番町皿屋敷』でもお馴染みの千代田区番町あたりは、武家屋敷が建ち並んでいた町であり、番町、紀尾井町、永田町、九段、神田駿河台と、江戸城(現:皇居)を取り囲むように街が連なっています。また、江戸城から少し離れますが、紀州徳川家ほか多くの旗本の屋敷があった港区赤坂、青山大膳亮の下屋敷(現在の青山墓地)があった港区南青山や、内藤家の当主が今も住むという新宿区内藤町、隣接する信濃町、市ヶ谷、渋谷区松濤なども有名なお屋敷街です。
■江戸の土地の7割は、武士の住まいだった?
ご存じのとおり、江戸時代には士農工商と呼ばれる身分制度があり、その階級によって住む場所も、着物も、厳密にいえば食べ物されも分けられていました。住みわけについて言えば、江戸の70%の土地に武士が住み、残りの30%の土地を町人などその他の階級がひしめき合って住んでいたのです。