和鏡について日本最後の和鏡師に聞く。鏡に秘められた歴史や伝承
古事記にも登場する「和鏡」とは?日本には弥生時代前期に中国から鏡がもたらされ、当時は
宗教・祭祀用具としての意味合いが強かったとされています。皆さんが学校の教科書で見た卑弥呼の鏡
「三角縁神獣鏡」(さんかくえんしんじゅうきょう)もそのひとつです。その後、古墳時代には日本でも製造できるようになり有力者の埋葬品として多く使われるようになりました。
平安時代後期には、中国からもたらされた唐鏡をもとに製作した鏡
「和鏡」が確立しました。そして、日本流の文様の山吹や桜、萩、長尾鳥や鶴、千鳥、雀など自然の動植物が描かれるようになりました。
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しかし、鎌倉時代に入ると鏡の信仰が薄れ、江戸時代になると細密な図案の描き込まれた鏡や柄のついた鏡、懐中鏡が大量生産され
婚礼道具の一部など庶民にも使用が広がりもっと実用的な用途で使われるようになりました。
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古事記や日本書紀にも登場し、古くから鏡は剣や勾玉とともに祭具として、重要な意味を持って扱われていました。そんな鏡を現在一番身近にみられるところは
「神社」です。もともとは、神社にお祀りされる神様には具体的な姿や形は無く、岩や木などに神様が宿ると考えられていて、またその中で鏡も神様が宿る
“依代(よりしろ)”の一つと考えられています。