萩本欽一 78歳で大学中退、再びお笑いへ…その原動力とは
それで、いちど大学はお休みしよう、となったの。これじゃあ、自分がこれまで愛してきた業界に失礼だな、と思って。でも、大学は“趣味”としてほんとうに楽しかったから、『80歳まで笑いの世界に戻るから、大学の進退は80歳になってから考えさせてくれ』と大学の事務職の方に相談したら、『休学費を払うか、退学するかいま決めてください』と言われてやむをえず……。次はまた、ほかの大学でも受けようかしら。2年後に行くかどうかはわからないけれど、日本には大学がたくさんあるし、どこに行こうか考える楽しみが増えちゃったよ」
人生はつねにアドリブ。決まりきった道はつまらない――。そう語る欽ちゃんの人生は、挑戦の連続だった。
’70~’80年代に『欽ちゃんのどこまでやるの!』『欽ドン』『週刊欽曜日』などのテレビ番組がお茶の間で大ウケし、“視聴率100%男”と呼ばれるほど出ずっぱりだった欽ちゃんは、’85年に突如それら3番組のレギュラーを降板。
映画や舞台の世界で新たな“夢”を探したりもした。
そして’05年には、64歳にして野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」の監督に就任。