萩本企画 欽劇事務局主催、「欽ちゃんライブ~日本を代表する俳優出演~」が2024年4月21日 (日)にバティオス(東京都 新宿区 歌舞伎町 2丁目45-4)にて開催されます。チケットはカンフェティ(運営:ロングランプランニング株式会社、東京都新宿区、代表取締役:榑松 大剛)にて発売中です。カンフェティにてチケット発売中 公式ホームページ 欽ちゃんの笑いへの追及は、止まらない。先月は、カメラマンが、ステージ上にいる欽ちゃん&出演者に"ツッコミ"を入れる、という斬新な試み。会場は、カメラマンの的確なツッコミ(指摘)に大爆笑の渦が生まれた。いつも冷静なカメラマン(ディレクターの指示に従って絵撮りをする役目)が、まさかの発言をして的確なツッコミをするとは。これは、欽ちゃんのアイデア。これが、見事にハマって、今まで見た事の無い笑いが生まれた。さて、今回は?欽ちゃんが、日本を代表する俳優をステージに迎え、前回のカメラマンもスタンバイ。一体、どんな笑いの空間が生まれるのか?それは、当日になってみなければ、わからない。きっと、また新しい笑いが生まれているだろう。公演概要「欽ちゃんライブ~日本を代表する俳優出演~」公演日時:2024年4月21日 (日)14:30開場/15:00開演会場:バティオス(東京都 新宿区 歌舞伎町 2丁目45-4)■出演者萩本欽一他■チケット料金全席自由:3,000円(整理番号付き・税込) 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2024年04月15日萩本企画 欽劇事務局『欽ちゃんライブ~とにかく新しいことをやるつもりだが…~』が2024年3月17日 (日)に新宿バティオス(東京都新宿区歌舞伎町 2-45-4)にて開催されます。チケットはカンフェティ(運営:ロングランプランニング株式会社、東京都新宿区、代表取締役:榑松 大剛)にて発売中です。カンフェティにてチケット発売中 公式ホームページ 「欽ちゃんライブ〜とにかく新しいことをやるつもりだが…〜」欽ちゃんは、考える人、考え続ける人。考え、考え続ける理由は、いつも"更にその先に、まだ面白いことは、ないのか?"と考えているから。面白い笑いの模索。新しい笑いの発見。まだ誰もやったことのない笑いはあるのか?今回も、今のテレビであまり見られなくなった動きの笑いにチャレンジ。欽ちゃんが操る相方は、誰なのか、何なのか?それは、まだ欽ちゃんの頭の中。欽ちゃんの頭の中には、笑いの種、笑いの素、笑いの虎の巻、笑いの花伝書が、ぎっしり。今回のライブで、どんな笑いが生まれるのか?それは、欽ちゃんがステージに立つまでわからない。ステージでの、お楽しみだ。公演概要『欽ちゃんライブ~とにかく新しいことをやるつもりだが…~』公演日時:2024年3月17日 (日)15:30 開場/16:00 開演会場:新宿バティオス(東京都新宿区歌舞伎町 2-45-4)■出演者萩本欽一ほか■チケット料金全席自由:3,000円(整理番号付き・税込) 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2024年03月12日2024年2月12日に放送された、特別番組『欽ちゃん&香取慎吾の第99回全日本仮装大賞』(日本テレビ系)に、タレントの萩本欽一さんが、司会として出演。2021年に放送された前回の『仮装大賞』で「今回で私、この番組は終わり。長い間ありがとう」と引退宣言をしていましたが、再び司会者として視聴者の前に姿を現しました。『仮装大賞』3年ぶり復活「欽ちゃんおかえり」番組の冒頭では、登場するなり観客から「欽ちゃ~ん!」という声援や大きな拍手が送られ、感激した様子を見せた、萩本さん。「いきなり『欽ちゃん』って…」と、涙を堪えるような仕草を見せながら、司会を続投することになった経緯を話しました。こんなにたくさんの『仮装の恋人』たち。今日は恋人みたいなんだもん。来てよかった。慎吾に番組を置いて去ったつもりだったの。そしたら慎吾がね、突然1人でやって来て「僕、大将がやらないなら、やらないからね」って。だから、来た。欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞ーより引用萩本さんは、同じく司会を務める、歌手の香取慎吾さんから直談判を受けて、番組続投を決めたとのこと。後から登場した香取さんは、萩本さんに「やると決めたらやる!最後まで走り抜ける!」と伝え、番組を大いに盛り上げました。収録の会場では、コンテスト参加者や審査員からも萩本さんへの愛のある言葉が飛び交い、終始温かい空気に包まれていた様子。その雰囲気は視聴者にも伝わっていたようで、さまざまなコメントが上がりました。・欽ちゃん、おかえりなさい!ずっとずっと待ってました。帰ってきてくれてありがとう!・本当に感動しました。温かくて面白くて、大好きな番組です。・幼い頃から好きな番組。父と母と観ていた記憶が残っている。その番組を今、妻や息子と観られる幸せ。欽ちゃん、ありがとう。・「今の世の中にこんなに優しい番組があるんやな」って涙が止まらなかった。収録会場全体の温かい雰囲気が伝わってきた。長年『仮装大賞』の司会を務め、数多くの人を楽しませてきた、萩本さん。『仮装の恋人』による、あふれんばかりの愛が詰まった放送に、たくさんの人が感動したようです。[文・構成/grape編集部]
2024年02月13日「やっぱり、テレビって面白い。最高だよ」3年ぶりに復活した『欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞』(日本テレビ系)の収録を終えた萩本欽一(82)は興奮冷めやらぬ様子で語り始めた。相棒・香取慎吾(46)への期待、3年前に逝去した澄子夫人への想い、「偶然で数字(視聴率)なんて行かない」という独自のテレビ哲学とはーー。「今回で私、この番組終わり」2021年2月6日放送の『仮装大賞』で萩本欽一は突如、降板を口にした。何があったのかーー。「体が持たないから、もう無理だと思ったの。80近くなってから、収録の終盤に疲れて『あと何組?』と聞くようになった。『8組です』と言われると、だいぶあるな……って。僕は二郎さんとのコント55号で、舞台を駆け回って世に出た。動けない欽ちゃんが座ってテレビに出るのは、自分が許さないのよ」勇退宣言から数カ月後、萩本はともに司会を務める香取と対面し、今後の番組について話し合った。香取が振り返る。「欽ちゃんに『仮装は慎吾ちゃんに託す』と言われたので、『できません』と断りました。何度も『慎吾にだったら』と繰り返されましたけど、『できません』って。包み隠すような言葉は欽ちゃんには通用しない。いつも、短く削ぎ落として伝えます。うれしいし、愛も感じますけど、託すものではないかなと」局には「再開してほしい」という視聴者の要望が何百通も届いていた。番組はアプローチを繰り返したが、萩本の意思は固かった。「80過ぎたタレントにテレビ出てくれって、幸せな話ですよ。だから、マネージャーに言わせるんじゃなくて、ありがとうって直接伝えたいと思って会ったの」編成局長とプロデューサーが事務所を訪れると、萩本はまず感謝を述べ、「もう出るつもりないからね。あとは慎吾ちゃんに頼んでよ。僕もうれしいから」と断った。 「そしたら、『“欽ちゃんが出ないなら僕も出ません”とハッキリ言われてます』って。慎吾も頑なだった。かわいいヤツだなと思ったよ。憎たらしいなとも感じたけど(笑)」萩本が何度拒んでも、なぜ香取の心境は変わらなかったのか。「どうして?と聞かれても不思議なぐらいに、それしか考えられなかった。僕は欽ちゃんに教えられて、テレビの世界で生きてきた。香取慎吾の選択としてはそれ以外ないと思う」周囲の熱意に萩本は折れた。「どうにもならないんだもん。だから、応援するって言ったの。そしたら、プロデューサーが『出演の仕方を考えます』と帰っていった」自らの限界に挑戦する新たなドラマの幕が開いたーー。■ずっと突っ込みをしていたから、「司会だけは無理だから」と言っていたいつの時代も、萩本欽一はタブーを打ち破ってきた。高校卒業後、東京・浅草の東洋劇場で修業を始め、25歳の’66年、坂上二郎とコント55号を結成。翌秋、『大正テレビ寄席』(NETテレビ、現・テレビ朝日系)から出演依頼が来た。「当時はカメラが固定されていて、フレームからはみ出しちゃいけなかった。迷ったけど、いつもと同じように舞台を駆け回った。怒られると思ってすぐ帰ろうとしたら、ディレクターが『僕らが間違っていた。また出てよ』と言ってくれた」常識を覆した2人はスターの座を射止める。’68年、土曜夜8時枠で『コント55号の世界は笑う!』(フジテレビ系)が始まった。音楽やドラマ中心のゴールデン帯で、コメディアンの冠番組は異例だった。コンビの活動を休止した’71年、萩本は日本テレビからオーディション番組『スター誕生!』の司会を要請された。「あらかじめ、事務所に『司会だけは無理だから』と言っていたの。ずっと突っ込みをしていたから、前に進められない。でもね、嫌だなぁ〜と思った仕事に運があった」池田文雄プロデューサーの「素人の味方になってくれ」という言葉に突き動かされた男は、またしてもタブーに挑戦した。通常、司会者は正面を向きながら、隣の出演者にマイクを差し出す。画面に2人が収まるようにするためだ。しかし、萩本はカメラに背を向け、わざと自分が映らないようにした。「絵が汚なくなるからカメラマンは僕を画面から切るわけ。すると、素人がアップで映る。スターになる確率が倍になるのよ。散々、テレビに出ている僕を撮っても仕方ない。若いころ、エキストラでドラマに出ても、後ろ姿しか映らなかった。有名になったら、新人の顔をアップにしてあげたいと思ったの」『スター誕生!』では森昌子、桜田淳子、山口百恵など数多のアイドルが生まれた。背景には、萩本の巧みな戦略もあったのだ。テレビの申し子はポツリと呟いた。「偶然で数字なんて行かないですよ」’75年に『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(フジテレビ系)、翌年に『欽ちゃんのどこまでやるの!』(NETテレビ)という冠番組がスタート。同年、萩本は修業時代に同じ舞台に出ていた人気踊り子で3歳年上の澄子さんと結婚した。「若い放送作家が居候しているし、テレビ局の人が毎日打ち合わせに来るでしょ。スミちゃんは『子供との生活がままならない』と郊外に引っ越しましたよ。仕事も家庭もすべてうまくいく人生なんてない。運はいくつも転がってないのよ」日本テレビの欽ちゃん番を務めた神戸文彦氏(83)が証言する。「萩本さんは視点が違う。『ドラマってなんで全部横なの?』と疑問に感じて、『Oh!階段家族!!』という目線が縦のドラマができましたからね。どの番組も、入念にリハーサルして、本番で変えていく。何の準備もしないでアドリブしたら、それはデタラメだと教えられました。収録後の反省会は、いつも5時間を優に超えていました」’79年の大晦日に始まった『全日本仮装大賞』も好調だった。’84年9月1日、生放送の13回大会では、母親と子供3人の『影絵遊び』が優勝した。演技が終わると、欽ちゃんは幼い長男にマイクを向けた。萩本:練習はいつやるわけ?子供:昼間。雨戸閉めて、ライトつけてたから、暑くてしょうがなかった。ウチにクーラーないから。萩本:お宅、クーラー買わないわけ?子供:もう涼しいからいらない。萩本:どうしてお父ちゃん出なかったの?子供:真面目だから。萩本:じゃあ私、不真面目だ。子供:わからない。会場は爆笑の渦に巻き込まれ、視聴率は27.9%(関東地区/ニールセン調べ)に上った。「生放送で素人が40組、200人くらい出場する。普通、そんな番組は成立しませんよ。でも、萩本さんは笑いも入れながら、全員の演技、表彰式をバランスよく時間内に収める。それを当たり前のように見せていた」(神戸氏)■「僕は欽ちゃんに育ててもらったから、親しみやすいキャラクターになれた」(香取)’80年代前半、構成・演出も手掛ける『欽ドン!』『欽どこ』『週刊欽曜日』(TBS系)はいずれも30%を超え、イモ欽トリオ、わらべ、風見慎吾(現・しんご)などスターが生まれた。“視聴率100%男”に依頼は絶えず、’84年6月から『たみちゃん』(テレビ朝日系)、10月から『日曜9時は遊び座です』(日本テレビ系)も始まった。仕事に手を抜かない男の体は悲鳴を上げ、1日に数回めまいを起こすようになった。萩本は充電宣言をして’85年春から休養に入った。《芸能界って、いくら苦しくても悲しくても、いえないことがいっぱいあります。ぼくは自分の子供に、ひとつだけ守らせてることがあるんです。“泣くな”です。泣いたからといって、傷の痛みがとれるわけじゃない。……だから、おやじが泣くわけにいきません。もう大丈夫。少し休んで、また新しい笑いを考えますよ》(’85年2月23日付/朝日新聞夕刊)一時期よりも数字は落ちていたが、『欽ドン!』『欽どこ』『週刊欽曜日』は25%前後を獲得していた。「仮装もやめるつもりでした。でもね、プロデューサーの齋藤(太朗)さんがうまいんですよ。『あれ?雑誌の記事で大将はこう話してたよ。“仮装大賞の主役は僕ではありません。出場者の人です”。脇役が勝手にやめていいの?』って」数カ月後、『欽ドン!』『欽どこ』に復帰したが、以前のような視聴率は取れなくなった。それでも、『仮装大賞』の数字は高かった。’86年1月2日、生放送の17回大会では、女性が二の腕を『ボーンレスハム』に見立てた作品が優勝し、『はかり』が当時史上最低の1点を記録。素人中心の『仮装大賞』は、有名人揃いの『新春かくし芸大会』(フジテレビ系)に並ぶ正月の名物番組になっていた。「新年を家族と迎えていなかった。そのころ、『いつまでもテレビに出てると思わないから、あとでゆっくりね』って言ったの。だけど、仮装が正月じゃなくなっても一緒に過ごさなかった。1つぐらい物語を作ってあげればよかったな」その後も、萩本の若手育成力は衰えなかった。’88年には『欽きらリン530!!』(日本テレビ系)でアイドルグループ「CHA-CHA」をデビューさせて成功。’94年には『よ!大将みっけ』(フジテレビ系)で17歳の香取慎吾と共演。収録が終わると、萩本は毎回指導を繰り返した。香取が振り返る。「本当にたくさんのことを学びました。今、パッと浮かぶのは『テレビはあくまでもショーだ』という教えですね。僕は欽ちゃんに育ててもらったから、親しみやすいキャラクターになれたのかもしれません。でも、それ以上に番組の組み立て方などの理論を教わりました」萩本に話を向けるとこう答えた。「なんか言ったのかな。1つだけ覚えてる。初めての収録前、慎吾ちゃんの楽屋に行って『好きな果物、何?』と聞いたの。『桃』とか言ったのかな。『テレビってね、それ以外は正解だから』と話して去った」本番で、萩本が「小さいころ何になりたかったの?」と聞くと、香取は「焼き芋屋さん」と即答。アイドルの意外な反応に爆笑が起こった。「よくね、『素人をテレビに出して』と批判されました。でも、私はプロのようにしてから出しているの」テレビはあくまでもショーである─。演者は常人ではいけない。想像を絶する稽古、熟考を積み重ねた末に、笑いや感動が生まれる。“運”はその訓練をした者にだけ与えられるご褒美なのだろう。番組終了後も、香取は萩本の著書『「笑」ほど素敵な商売はない』を持ち歩き、勉強を重ねていた。還暦を迎えた’01年、萩本は『仮装大賞』から身を引こうと考えた。「でもさ、番組を終わらせるのはもったいない。香取慎吾に譲りたいなって自分から言ったんだよね」プロデューサーが「まずは2人で」と提案し、’02年元日の65回大会から香取が加わった。「僕は1年、2年で去ろうと考えてたの。でもさ、慎吾が一歩も前に出ないから(笑)。『今やめたらダメだ。慎吾が一本立ちするまで続けよう』と思ったら、20年経った」一方、香取はこんな想いを抱えていた。「僕としては『仮装大賞は欽ちゃんの番組』という意識が強い。だから、引いていたい気持ちがありました。ずっと『もう一歩前に出ろ』と言われてきたけど、自分は下がるべきだと思っていました」同年、萩本はもう1人のキーマンと出会っていた。日本テレビで若手ディレクター13人と深夜帯の『笑いの巨人』を制作。終了後、局の幹部が「誰が局を背負って立ちそうですか」と聞いた。名前を挙げると、「その局員と今度、特番作ってください」と頼まれた。「断った。一番と仕事すると、才能をダメにしてしまう。だって、僕に一歩引いてモノを考えるでしょ。好きにやらせればいいの。いちばんダメなヤツならいいよと言った」それが、今回『仮装大賞』の演出を務めた田中裕樹氏だった。ドキュメンタリーや報道に配属されても、幾度となく萩本に相談を持ちかけ、「いつかまた絶対に一緒に仕事をします」と誓っていた。「プロデューサーが局内でディレクターを探したら、『news every.』の田中が名乗り出たらしいの。『それなら気持ちよく出るに変える』と返事した。僕はテレビに出るとき、ディレクターやプロデューサーに惚れる。新しいよな。報道の人間がバラエティを作るって」数十年前に育てた2人が恩返しとばかりに、欽ちゃんを再びテレビに引っ張り出した。収録前、萩本が「80%ぐらい慎吾1人でやる気持ちで」と伝えると、香取は「90%やります」と燃えていた。『仮装大賞』の舞台に出る前、萩本はこんな感情も抱いていた。「テレビって、最終的には数字だと思うの。70歳や80歳で数字取るって無理だよ。だから、もう出たくない気持ちもあった。自分に価値がないとわかったら、すごくショックだから。でもさ、仮装のために頑張ってる人がいるのにお休みして悪かった。怒られるだろうなと思って出ていったの」意を決した欽ちゃんが登場すると、万雷の拍手と歓声が飛び交った。誰もが待ち望んだ復活だった。「拍手がすごかった。こんなに喜んでくれる人がいるのかと驚いたよ。長いことテレビに出てきたけど、あんなに熱い拍手はなかった。『欽ドン!』が当たったときの拍手は忘れられなかったけど、今になって一番が出てきた。本当に幸せな気分だった」萩本に恩を感じている香取の気持ちはさらに奮い立った。「欽ちゃんが今回の『仮装』に挑むスタンス、一歩踏み出せなかった胸の内を話してくれた。並々ならぬ決意を感じて、僕も一歩前に行けました。それでも本番中、『前に行きすぎていないかな』と気にしていた。すると、欽ちゃんが察してくれて『いい感じだから、そのままもっと前へ!』と背中を押してくれました」今回、審査員にオードリーの若林正恭(45)が初登場した。萩本に興味を抱く若林の希望で、2年前からラジオ特番『キンワカ60分!』(ニッポン放送)を始めた仲だ。「最初に若林を指したとき、マジなコメントから始めて、最後にきちんと落とした。『やっぱりいいな』と思った。僕は、全部笑いにする人好きじゃないの。(修業時代に過ごした)浅草の軽演劇って笑いだけじゃないから。テレビは大人に好まれないと数字行かないんですよ」休憩20分を挟みながらも4時間に及ぶ収録を終えると、萩本は香取に「正直言って、今まで苛立ってたよ。でも、今日の慎吾は最高だったな」と声を掛けた。「俺が危ないと思ったから、とことん頑張ったんじゃない?慎吾が『初めて褒められた。今まで本当にヒドかったんですか?』と聞くから、『ヒドかったよ』って(笑)。20年前から舞台裏で『1人でやってこいよ』と何度も言っていたからね。アイツ、本当にかわいいの。テレビ出たらさ、先輩を押しのければいいのに、絶対に欽ちゃんの前に出ようとしないんだもん」■「スミちゃんはね、自分でお金を払ってこっそり僕の舞台を見に来てくれていた」一歩下がって相手を立てる香取は、素人のよさを引き出す番組に最適だと萩本は見抜いていたのか。思えば、’20年に逝去した澄子夫人も似たような性格だった。「正直、不気味だなと思ってたの。僕がさ、家庭を顧みないのに、何にも文句を言わない人だったから」亡くなる数カ月前、萩本が病院にお見舞いに行くと、息子が母親に質問した。息子:お父さんのどういうところが好きで結婚したの?母親:まあ好きはないわね。息子:ウソでしょ。好きでもないのに結婚しないよ。母親:好きじゃなくて、ずっとファンだった。「この言葉で疑問が解けた。僕の仕事をずっと応援してくれていたんだね。私の中では、いつまでも『お世話になった姉さん』という感覚だった。スミちゃんも俺のこと『ねえ』とか『ちょっと』としか呼ばないしね。一度、夜に名古屋から新幹線に乗ったらさ、(家に近い)小田原で停まると気付いたの。『帰っちゃおうかな』と電話したら、『気使わなくていいから』って。誰か来てんのかと心配になるよな」亡くなった直後、妻の妹が「お姉ちゃんが最後に入院したとき、何を持ってきたと思う?」と聞いた。想像もつかない萩本の目を見ると、小さなバッグを指した。「化粧道具だったの。僕には化粧した顔で会いたかったんだって。だから、夜にいきなり来てほしくなかったみたい」澄子夫人は決して表に出ることはなかった。「明治座の舞台が終わった後さ、マネージャーが『奥さんを客席で見かけましたよ』って言うの。自分でお金を払って来たみたい。家に帰って『楽屋に寄ればいいのに』と言ったら、『いいの、いいの』って。仕事に家庭を持ち込みたくない僕の気持ちを察知していたんだね。最高に心地いい人だったよ」■「収録の終盤、心の中で呟いたんだ。『欽ちゃん、やればできるじゃない』」“察する力”を誰よりも持っているのが、萩本自身である。「『仮装』の収録後、若林が挨拶に来たから、『俺が番組に推薦したと思ってるんだろ。違うからな』と言ったの。そんな要望出したら、プロデューサーが困るだけだよ。事務所って、すぐバーターをしたがるでしょ。(萩本を見いだした浅井企画の初代社長)浅井(良二)さんなんか、陰で『ウチのタレント使って』と僕によく言ってたもん」業界の論理で動けば、視聴者に見抜かれる。欽ちゃん番組で開眼した真屋順子、中原理恵、柳葉敏郎などは他事務所出身。同じ事務所の斎藤清六(75)や小堺一機(68)、関根勤(70)は長年の下積みを経てから起用に至った。現在も『仮装大賞』監修を務める神戸氏が言う。「タレントでも常連でも作品がよくなければ本選には出場できません。萩本さんが直接何か言うわけじゃないけど、『忖度しない』という精神がスタッフに根付いている」これが数字を取る秘訣なのか。44年、99回も続く長寿番組は正直な姿勢を貫いていた。萩本は「慎吾が80%やってくれた」と謙遜するが、素人のよさを引き出す技術や独特の視点は健在だった。82歳になっても、知力と情熱は変わっていない。3年目を迎えたYouTubeは「どうも手応えを感じない」とリニューアル。今後は月1回、ライブ会場からも配信予定だ。『仮装大賞』の収録では次回の出場者も募集していた。欽ちゃんは「びっくりしたよな〜。いや〜」と驚きながら、こう話した。「あまりに気持ちよかったんで、僕はディレクターに言ったよ。『次、100回記念を成功させるために99.5回ってのやらしてくれる?』って。『……なんですか、それ』って固まってたけど。収録の終盤に『あと何組?』と聞いたら、『あと3組です』って。そのとき、疲労してないやと思ってさ。心の中で『欽ちゃん、やればできるじゃない』と呟いたよ」挑戦する勇気を忘れない限り、何歳になっても奇跡は訪れる。天国のスミちゃんは、まだまだ走れる欽ちゃんに言うに違いない。「ねえ、まだまだそっちで頑張ってよ。私、化粧道具忘れたからさ」(取材・文:岡野誠)
2024年01月20日2022年11月21日、お笑いタレントの萩本欽一さんが、脱水症状のため救急搬送されました。搬送後、症状が回復した萩本さんは、同日20時頃から自身のYouTubeチャンネルで生配信。元気な姿を見せ、ファンからは「元気でよかった」「水を飲め!」などの声が寄せられています。その後、同月23日にも同チャンネルで生配信を行った、萩本さん。「こんばんは。ちょっとひっくり返った萩本欽一です」「笑いごとじゃないですよね」などと、スタッフの笑いを誘っていました。配信内で萩本さんは、搬送された時のことを振り返り、救急隊員からの優しい言葉に泣きそうになったと語っています。正直いってね、その後(脱水症状が起こった後)立ち上がれなかったの。でも救急車が来た時にね、手当てしてくれたのかね。(自分が)しゃべりだしてさ。「すいません、忙しいのに来ていただいて」って。「なんかしゃべっても平気なくらいになっちゃいました、大丈夫です」っていって。「呼んですいません」っていったらね、「こんな時は呼んでください」「呼んだほうがよろしいんですよ」っていわれて。「心配してますよ、隊員のみんなが」っていわれたんで俺、涙が出そうになっちゃったよ。本当にすみませんでした。ありがとうございました。(萩本欽一)欽ちゃん80歳の挑戦!ーより引用その後、搬送先の病院で「入院するような症状ではありません」と診断された、萩本さん。救急搬送されたことがニュースとなったため、ファンから萩本さんの体調を心配する声が多く寄せられていたそうです。生配信では、寄せられた心配する声に対し、萩本さんが元気に回答。途中「もう少しテンションを抑えて」とスタッフに注意される場面もありました。萩本さんの元気な姿を見て、多くのファンがホッと胸をなでおろしたことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2022年11月24日杉野遥亮が明石家さんま役、角田晃広(東京03)が萩本欽一役を、日本テレビ特番「誰も知らない明石家さんま」内の恒例の特別ドラマ「明石家さんまVS萩本欽一」にて演じることが発表された。本番組は2015年の放送より、あらゆる手法でさんまの知られざる一面を掘り起こしてきた特番の第8弾。恒例の特別ドラマは「明石家さんまVS萩本欽一~若き日のさんまが伝説の男に挑んだちょっぴり過激なお笑い戦争~」として、1987年、当時“視聴率100%男”と呼ばれた萩本さんと若き日のさんまさんの初の共演となった伝説の一夜をドラマ化。2人が初共演した「欽ドン!スペシャル」は当時31歳のさんまさんと、国民的お笑い芸人・萩本さんが直接対決。お笑い史を変えたといわれる1987年の舞台裏を、当時の番組演出家や2人の関係者に徹底取材を基に紐解く。これまで菅田将暉や北村匠海、斎藤工、成田凌、安田顕、勝地涼が演じてきた明石家さんま役を杉野さん、萩本欽一役を角田さんが演じ、脚本は今年も芥川賞作家でもある又吉直樹が担当する。杉野遥亮(明石家さんま役)コメント今回さんまさん役を演じるにあたって過去の映像を沢山見させていただいたんですが、改めて「ああ、かっこいい人だな…」と思いました。よく“現場は戦場だ!”なんて言ったりしますけれど、さんまさんが萩本欽一さんに「欽ドン」最終回ゲストで挑むシーンは…まさに戦場でした。いつも何かと戦っているさんまさんを演じることを通じて、「自分はもっと頑張れるな」と背中を押して戴く瞬間がありました。オファーを戴いた時、さんまさんを演じること自体も難しいだろうし、関西弁もゼロからの挑戦ですし、自分が何をどこまでできるのかとか全然想像もつかなかったんですけど、「もうこうなったら、腹をくくってやるしかない、全部出し切るぞ!」という気持ちで角田さんと二人で精一杯演じさせていただきました。是非、ご覧いただければと思います。角田晃広(萩本欽一役)コメント今回萩本さん役をやらせていただくにあたって昔の「コント55号」の映像を沢山見まして、めちゃくちゃ面白かったんです。そのコントをまさに再現するシーンもあって、ちゃんとやれるか、みたいなプレッシャーもありました。改めて「コント55号」のコントを見る機会がいただけたというのはすごくありがたかったですし、「東京03」でコントをやる上でも生かせたらなって思いました。杉野くんと二人で精いっぱいやって、楽しい作品になったと思います。ぜひご覧ください。「誰も知らない明石家さんま第8弾」は11月20日(日)19時~日本テレビ系にて放送。(text:cinemacafe.net)
2022年11月07日5月1日(日)18時より放送日本アニメーション株式会社(本社:東京都中央区、代表取締役社長:石川和子)がアニメーションの制作・ライセンス管理を行う『ちびまる子ちゃん』は、1990年1月7日にアニメ第1回が放送され、2022年5月1日で放送1500回を迎えます。その記念すべき回に萩本欽一さんが本人役でゲスト出演することが決定しました。“欽ちゃん”の愛称で親しまれている萩本さんは、これまで『ちびまる子ちゃん』のストーリーには何度も登場していますが、本人役でゲスト出演するのは今回が初めてとなります。海外アニメ『ウォレスとグルミット』シリーズのアフレコ経験はあるものの、日本アニメ作品に声優として出演するのも初めて。萩本さんは出演に関して「信じられないよね。アニメーションに欽ちゃんがそのまま出てくると思わなかった。ありがたいことですよ。最初は“欽ちゃんのドンとやってみよう!”の声だけかなと思ったの。映像にあって、そんなにしてくれなくてもいいのにと思ってさ。恐縮しちゃってさ。でも、違う世界の中に欽ちゃんそのまま出てるって、さくらももこさんに会いたくなっちゃうよね。なんか“ありがとうございました”ってお礼を言いたい気分よ」と喜びのコメント。ご自身のアニメーションにも感謝しきりでした。放送1500回は、美しい桜の木をめぐる「まる子と山桜」、憧れの欽ちゃんへの思いがつまった「まる子、欽ちゃんに会いたい」の2本のお話を放送します。「まる子、欽ちゃんに会いたい」のアフレコに臨んだ萩本さんは、ご自身が司会を務めた人気番組『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(フジテレビ系1975年~1980年放送)のタイトルコールにも挑戦。萩本さんは「台本持つと緊張しちゃうの。びっくりしちゃった。よく考えたら別に台本読むようなセリフじゃないんだよね。終わってから気付いたよ。相当緊張してたんでしょうね。間違えないように」と慣れ親しんだセリフにも緊張したことを明かしました。まる子の世界に入った懐かしの人気番組を欽ちゃん本人の声でいかに再現されるのでしょうか?まる子が憧れる欽ちゃんとの心温まるエピソードをどうぞお楽しみに。あらすじ『まる子と山桜』の巻ある日、まる子とたまちゃんが街はずれを歩いていると、富士山を背景に立つ1本の立派な桜の木を見つける。美しさに見とれた2人は、その桜の木の下でお弁当を食べるのであった。会話に入ってくるかのような不思議な桜を、同じ“さくら”として友達のように思うまる子。たまちゃんは「まるちゃんの木」と呼び、教室でその桜の木の話をしていると、青葉の頃に、まる子と藤木の合同誕生会を開こうという話になる。楽しい誕生会の後、まる子は落ちていた桜の木の枝につまづいてケガをしてしまう。樹齢300年以上の山桜。その桜にはある“予定”があるのだという。それを聞いたまる子は…。『まる子、欽ちゃんに会いたい』の巻面白いもの好きのまる子達は、昨日見たテレビ番組“欽ちゃんのドンとやってみよう!”の話でもちきり。クラスでも「欽ちゃん」は大人気なのである。一度で良いから欽ちゃんに会ってみたいなと話すまる子に、野口さんが観覧希望のハガキを出してみたらどうかと教えてくれる。当選したら欽ちゃんに会える…!思わぬチャンスに応募ハガキを書くにも大騒ぎ。ポストに願いを込め、期待を胸に待つまる子は、はたして、欽ちゃんに会いに行くことができるのであろうか?萩本欽一さんコメント◆オファーが来たときの感想は?「信じられないよね。アニメーションに欽ちゃんがそのまま出てくると思わなかった。ありがたいことですよ。最初は“欽ちゃんのドーンとやってみよう”の声だけかなと思ったの。映像にあって、そんなにしてくれなくてもいいのにと思ってさ。恐縮しちゃってさ。でも、違う世界の中に実在の欽ちゃんがそのまま出てるって、さくらももこさんに会いたくなっちゃうよね。なんかありがとうございましたってお礼を言いたい気分よ」◆アニメの中の欽ちゃんを演じてみていかがでしたか?「台本持つと緊張しちゃうの。びっくりしちゃった。よく考えたら別に台本読むようなセリフじゃないんだよね。終わってから気付いたよ。相当緊張してたんでしょうね。間違えないように」◆『ちびまる子ちゃん』のことはご存知でしたか?「長いことやってるでしょ。ちょうど忙しい時だったからなかなか見ることはできなかったけど、この話が来たとき、何本かみたよ。周りにいろんなキャラクターがいて、そのままステージでやりたいようないい家族でしたね」◆好きなキャラクターは?「友蔵さん、おじいちゃん。ボクがやったらもうちょっとおかしくできるかも。割と真面目なおじいちゃんだもんね。まぁ、僕がおじいちゃんの役だとあんなに品良くできないけどね(笑)」◆まる子は小学校3年生ですが、萩本さんが小3の時はどんな子どもでしたか?「すごくいい子。お勉強するし、お母さんの言うこと聞くし、萩本家の御曹司と言われるくらい品のいい子でした。それが東京に越してきてからずんずん柄が悪くなりました。年を取る度にどんどん勉強をしなくなりました。コメディアンになって、初めて分かりました。お勉強しなきゃダメよね。それで70歳で気付いてそれから学校に行ったの。だからもっと早くに気付けばよかったなぁ」◆『欽ちゃんのドンとやってみよう!』はみんなが楽しみにしていた人気番組ですが思い出は?「『欽ちゃんのドンとやってみよう!』は欽ちゃんの時代を変えてくれた番組。私にとってもありがたい恩人というか、違う世界がそこからずっと開けた。有り難い番組でした。それがアニメとして残る。私の中で大事なものをしまっているんだけど、『ちびまる子ちゃん』もしまっておこうと思います」◆放送を楽しみにしている視聴者へメッセージをお願いします。「子どもの番組っていうけど、むしろ年を取った私と同世代のじいちゃん、ばあちゃんに。孫の言葉って笑えたり、にこやかにできる。私はどちらかというとみんなみてねというよりは“じいちゃん、ばあちゃん、欽ちゃん出てるからその時代にちょっと戻ってみようよ”といいたいかな。楽しみにしてて!」番組概要■タイトル『ちびまる子ちゃん』■放送日時5月1日(日)18時~19時放送■キャストまる子(声:TARAKO)お父さん(声:屋良有作)お母さん(声:一龍斎貞友)おじいちゃん(声:島田 敏)おばあちゃん(声:佐々木優子)お姉ちゃん(声:豊嶋真千子)萩本欽一(声:萩本欽一)他■スタッフ原作:さくらももこ脚本・制作協力:多田弘子(さくらプロダクション)プロデューサー:髙野 舞(フジテレビ)、田中伸明(日本アニメーション)監督:高木 淳(日本アニメーション)制作:フジテレビ、日本アニメーション公式サイト ちびまる子ちゃん公式サイト ≪最新放送回 無料配信中≫TVer: FOD: 参考資料『ちびまる子ちゃん』について『ちびまる子ちゃん』は、静岡県清水市(現・静岡県静岡市清水区)を舞台に、そこに暮らす一家・さくら家の次女である小学3年生のまる子(さくら ももこ)と、家族や友だちとの日常を、楽しく面白く、時に切なく描いた心温まる作品です。1986年に『りぼん』(集英社)で連載を開始し、2021年に原作35周年を迎えました。原作コミックスは全17巻が発売中。発行部数は累計3,250万部を突破(デジタル版を含む)、海外版はアジア各国でも出版されました。1990年からはテレビアニメ放送もスタートし、フジテレビ系列で毎週日曜日夕方6時より放送中。中華圏をはじめとする海外でも放送され、世界中の老若男女を魅了し、長きに亘り愛され続けています。Webサイト:https://www.chibimaru.tv/Twitter: Instagram: 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年04月17日稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾が出演する教育バラエティー「ワルイコあつまれ」の第2弾が1月1日(土・祝)に2本立てで放送。この度、出演者3名からコメントが到着した。視聴者と一緒に楽しく社会を学ぶ番組「ワルイコあつまれ」。9月の放送以来、第2弾となる今作には、國村隼、平岩紙、寺本守(陶芸家)、竹中直人、萩本欽一、荒木とよひさがゲスト出演する。「お正月に第2弾ができて僕もうれしいです」と放送決定を喜んだ稲垣さんは、「2022年は、シリシリダンスをもっと広めたいですよね(笑) ダンスが苦手な僕でも覚えやすいし、振り付けの流れがとてもいいですよね。すごく気持ちよく踊れると思うので、子どもだけじゃなくて老若男女、みんなに踊ってもらいたいです」と意気込む。そして「引き続きこの『ワルイコあつまれ』もやっていきたいですね。もっと大きくシリーズ化していけたら」と願う。草彅さんは「僕は荒木とよひさ先生と初めてお会いして、合唱団の子どもたちの歌声を聞いたらジーンとして、歌詞や言葉の力、歌の力もすごく感じられて、本当にいい授業になったなと思っています」と収録をふり返り、「今はSNSとかで言葉の使い方がすごく大事じゃないですか。いいものにもなるし、人を傷つける武器にもなるし。あらためてその言葉の大切さを考えました。いろいろな学習ができるんじゃないかなと思います」とコメント。香取さんは「第2弾もとても豪華ですよね。あけおめから慎吾ママからの秀吉様。 あと僕は、欽ちゃんと久々にお会いできてお話も聞けたのが嬉しかったです。欽ちゃんの前だと常にバラエティーな『慎吾ちゃんと欽ちゃん』でいられるんですよ。今回は『しんごちん』というキャラクターになっているのに、すべてを忘れて『香取慎吾が聞きたいこと聞いちゃった』みたいな。でも、僕も長くお付き合いさせていただいていろいろなお話を伺っているけど、今回は『子ども記者』の子どもたちにも分かりやすく伝わるように萩本欽一の人生を話してくれた気がして、ほかではこの欽ちゃんは見られないんじゃないかなと思いました」と明かしている。「ワルイコあつまれ」#3は2022年1月1日(土・祝)9時45分~、#4は1月1日(土・祝)23時30分~Eテレにて放送。(cinemacafe.net)
2021年12月27日クレイ・アニメーション『ウォレスとグルミット』のコンサートイベント『ウォレスとグルミット IN CONCERT』が9月18日(土)、東京文化会館にて開催されることが決定した。イギリスのアードマン・スタジオ製作のクレイ・アニメーション『ウォレスとグルミット』は、奇想天外な発明で大騒動を巻き起こしてしまう主人公ウォレスとそんな主人を守るために大活躍する愛犬グルミットが織りなす痛快コメディ。記念すべき第1作目『ウォレスとグルミット/チーズ・ホリデー』が1989年に制作されて以降、世界の名だたる賞を多数受賞し、誕生から30年が経った今もなお世界中からイギリスを代表するキャラクターとして愛されている。本公演は大スクリーンに映し出される『ウォレスとグルミット』の過去の名場面や本邦初公開の映像と、オーケストラとの夢の共演を楽しめる二部構成のコンサートとなっている。ウォレスとグルミットは音楽への造詣が深く、第一部の目玉は日本初演となるウォレス自身が作曲した新曲「ピアノ狂騒曲 第1番」をお届け。さらに、1995年に公開された3作目の短編映画『ウォレスとグルミット 危機一髪!』に初登場した「ひつじのショーン」も出演する予定だ。人気のショーンの特別映像に合わせて本公演のために作曲された「ショーンと仲間たち~牧場は今日も平和な1日?!」を演奏する。第二部では、第66回アカデミー賞(R)短編アニメ映画賞を受賞した『ウォレスとグルミット/ペンギンに気をつけろ!』(原題:Wallace and Gromit The Wrong Trousers)日本語吹き替え版をオーケストラの生演奏付きで上映。また今回は、第1作目よりウォレスの声優として参加のコメディアン・萩本欽一による新録吹き替え版でコンサート全編を届ける。「欽ちゃん」によって新たに息が吹き込まれる天才発明家そして本コンサートでは作曲家としても活躍するウォレスに期待してほしい。【公演情報】『ウォレスとグルミット IN CONCERT』~新作ストーリー&映画「ペンギンに気をつけろ!」生演奏付き上映~9月18日(土) 13時開場/14時開演東京文化会館 大ホール※チケット情報6月30日(水)23時59分までプリセール受付中7月3日(土)10時から一般発売
2021年06月22日「遠くにいるから言える言葉があるんだよ。今回でね、私、この番組終わり」こう突然、降板を宣言したのは萩本欽一(79)だ。2月6日に放送された『欽ちゃん&香取慎吾の第98回全日本仮装大賞』(日本テレビ系)で、出場30回目となる参加者との会話から飛び出した言葉だ。「収録自体は昨年末に実施されました。ですがあまりに急な告白だったので、審査員の柴田理恵さん(62)や飯尾和樹さん(52)たちも困惑していました。顔馴染みとなった参加者の男性に向けて、萩本さんは『あなただったら言えそうなので』と朗らかに伝えていました。降板は正式に発表されていませんが、番組関係者からは『せめて100回まで』と続投を望む声があがっています」(スポーツ紙記者)予期しない萩本の“降板宣言”に、視聴者からは惜しむ声が続々と寄せられている。《最後まで拝見していました。卒業のような事を言っていたのでビックリしましたけど本当に卒業されるのならお疲れさまですと言いたいです》《見てたけど、欽ちゃんホントに辞めちゃうのかな?年齢的に限界が近づいているのは理解しながら、なくなるのは寂しい》《欽ちゃん、長い間お疲れさまでした。小さい頃から仮装大賞が大好きで毎回見ていました》■萩本のモチベーション支えた香取慎吾’79年に『欽ちゃんの紅白歌合戦をぶっ飛ばせ!第1回全日本仮装大賞~なんかやら仮そう!~』の番組名からスタートし、今年で41年目を迎えた。’02年に香取慎吾(44)が司会者として加わり、番組名にも香取の名前が付された。幅広い世代の視聴者から愛され続けてきた長寿番組だが、萩本のモチベーションを支えていたのは香取だったという。「萩本さんは『主役は一般参加者』と公言し、常々“脇役”に徹しています。それゆえ不合格者へのフォローは素晴らしく、年齢問わず参加者に寄り添った進行は大好評。参加者にリピーターが多いのは、萩本さんの人柄の賜物です。いっぽう20年以上も単独で司会を続けることに、心許なさも感じていたそうです。そんななかで香取さんが番組に加わり、萩本さんは活気を取り戻したといいます。初めの数年は緊張していた香取さんですが、今では冗談も言い合えるほどの仲良しぶり。最近ではステージでの仕切り役も、ほぼ香取さんに委ねられています。『いつかは慎吾に譲りたい』と、萩本さんは環境を整えてきたのです」(テレビ局関係者)記念すべき「第100回」まで残すところあと2回となったが、“キリ番”を目指すことが萩本の目標ではないという。「今年の5月で萩本さんも80歳。長時間に及ぶ収録は体力的にも負担が大きく、『100回は無理だと思う』と幕引きを語っていました。香取さんも萩本さんの不調を心配した時期があったといいます。昨年は長年連れ添った妻の澄子さんが亡くなったこともあり、ゆっくりと余生を過ごしたいのではないでしょうか」(芸能関係者)番組から正式な発表はないが、すでに次回の出場者募集は開始されている。長寿番組の切り盛りは、全幅の信頼を寄せる香取に託すのだろう――。
2021年02月08日「私、4月から大学生になります!」1月26日、『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』(ニッポン放送)でこう朗らかに報告したのはタレントの東貴博(51)だ。「コツコツ勉強していたんですよ」と明かし、社会人特別入試で大学に合格したことを喜んだ。「貴博さんは18歳の時に大学受験に失敗し、浪人をしていました。ですが、コメディアンだった父の八郎さん(享年52)が他界。そんな折、八郎さんの弟子だった萩本欽一さん(79)が、『僕のところにこないか』と貴博さんに声をかけたのです。それから芸人としての道を歩み始めました」(スポーツ紙記者)東はラジオで、「それなりに仕事にありつけるようになっていたんで、もう諦めていた」と述懐。だが「欽ちゃんが5、6年前に大学行ったじゃないですか。それで『行けるんだ』と思った」と、受験するきっかけを語った。「今回、貴博さんが合格したのは、萩本さんと同じ駒澤大学です。学部は異なりますが、萩本さんは73歳だった15年4月に入学。『ボケ防止になるかな、くらいの気持ちで通い始めた』と語っていましたが、中退するまでの4年間を楽しんでいました。そういったチャレンジ精神旺盛な萩本さんに、感化されたようです。そんな萩本さんは、貴博さんの“育ての親”でもあります。12年にcその後も貴博さんの長女・詩歌(うた)ちゃんの名前を命名するなど、暖かく見守ってきました。貴博さんの大学合格は、萩本さんも喜んでいることでしょう」(前出・スポーツ紙記者)いっぽう東の大学進学は、八郎さんの願いでもあったという。ラジオでは「お前には大学行ってほしい。俺、小卒なんだけど、大学に憧れがある」と、父との約束も明かした東。そんな東だが、これまでも八郎さんの遺志を忠実に受け継いできた。「貴博さんは、お父様をとても尊敬しています。15年には、八郎さんが主宰したお笑い養成所『笑塾』を復活させました。二十七回忌を迎えた際、『父が自分と同じ年くらいの時、何をやっていたのだろう』と考えたのがきっかけだったそうです。八郎さんや萩本さんの“お笑いは人から教わるものじゃない”という教えを受け継ぎ、入塾生の道しるべになるよう心がけているそうです。大学進学も、『お父さんの夢を叶えたい』といった気持ちがあったのでしょう」(芸能関係者)“2人の父”に後押しされ、充実した新生活をスタートさせるのだろう。
2021年01月27日2021年1・2月に上演される「よみがえる明治座東京喜劇 -ニッポン放送『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』全力応援!!-」。高田文夫の企画によって、舞台作品と寄席演芸(ゲスト日替わり)の2本立てで構成される本公演のうち、第一部の喜劇『こちとら大奥様だぜぃ!』の脚色・演出を手がけ出演する宅間孝行と、主演の田中美佐子が取材に応じた。高田の敬愛する三木のり平が打ち出した“笑い”を現代に蘇らせ、「東京喜劇」として観客に差し出そうと企画された本作。この東京喜劇を体現する者として高田が白羽の矢を立てたのが、笑って泣かせる人情喜劇を得意とする宅間だった。宅間は今回、のり平劇団の作家・小野田勇による『俺はお殿様』を大胆にアレンジ。主人公をとある藩主の“奥方様”に翻案し、放蕩三昧の夫(前川清)に愛想を尽かして城を飛び出した彼女の行く末をドタバタコメディーとして描き出す。落語から派生したストーリーには、のり平らしさが覗く。宅間は、本作のモチーフである「らくだ」や「松曳き」といった古典落語のおかしさを、どうやって現代人に伝えようか試行錯誤。その結果、「今の時代に江戸のエッセンスを乗せて爆笑をかっさらう噺家さんのスタンスを見習って、古典の中にあるオーソドックスな笑いをきちんと伝えたい」という境地にいたる。宅間作品のファンで長年彼の舞台を鑑賞してきた田中は、その魅力を「楽しく笑いながら観て、最後は泣ける」と捉え、宅間主宰のタクフェス『流れ星』(2019年)に主演した。演出家としての宅間は、笑いへの飽くなき探究心を覗かせる厳しい一面があるという。その姿勢は萩本欽一や志村けん、翻ってのり平にも通じるらしく「お笑いの師匠方ってしっかりとした“芝居”を求めるんです。その中で生まれる笑いはトレーニングを積み重ねた結晶なんですよ。だから奔放なアドリブのように見せることだってできるの。宅間さんの現場も同じでしたね」と振り返る。師匠方の近くで笑いの真髄を目の当たりにしてきた田中に宅間は絶大な信頼を寄せ、再び主演の座を託した。「美佐子さんは最初から全力で“アホ”に徹してくれるから、他のキャストも引っ張られてどんどんよくなるんですよ」「特に“顔”がね」と目配せすると、田中は「表情筋がどうなろうと構わないくらい必死ですから!」「でも実際はイヤよ?だって女優だもの」と即答し、報道陣の爆笑をさらった。公演は、2021年1月29日(金)〜2月14日(日)に東京・明治座にて。ぴあでは、座席指定できるチケットを販売中だ。取材・文:岡山朋代
2021年01月22日10月下旬の夕方、本誌は香取慎吾(43)の姿を目撃した。一緒にいたのは小柄な女性。彼女は、香取が10代のころから交際を続け、たびたびその存在を報じられてきた2歳年上の恋人・A子さんだ。出会いから25年、お互いに40代半ばになりつつある2人――。香取はA子さんと結婚する気はないのだろうか。「香取さんは’17年にテレビ番組で冗談っぽくではありますが、『結婚します!』と宣言したことも。ただ最近は、『結婚は遠いと思う』といった発言をしたりもしていて、本人も揺らいでいるのかもしれません」(テレビ誌ライター)香取がここまで結婚しなかったわけは無論、“アイドル”だからだろう。「彼がジャニーズ事務所を退所する前後には、これを機に結婚を決めるのではと読んでいた芸能関係者も多かったんです。ちょうど、そのころに『週刊文春』でA子さんとの交際が続いているという内容の報道がありましたし。けれどいまだに結婚の発表はないまま。結局、新しい地図として活動を始めてからも、逆境のなかで香取さんはより頑張らざるをえなかったですからね。結婚をすれば離れてしまうファンもいたでしょうし、それどころではなかったのでしょう」(芸能関係者)香取が新しい地図として活動を始めてから、今年で4年目に入る。「この9月から配信され始めたAmazonの日本オリジナルドラマシリーズの第1弾の主演に抜てきされていますが、これは特別で名誉なこと。香取さんが“第一線に立つ俳優”として扱われている証しといえるでしょう」(制作関係者)一方で、香取自ら「こんなにテレビに出られないなんて……」と口にしていたことがあるとおり、この数年、地上波の出演は限られていた。しかし、徐々にその状況も変わりつつある。「来年1月クールでテレビ東京の連続ドラマ『アノニマス~警視庁“指殺人”対策室~』の主演が決まりました。民放連ドラは’16年の『家族ノカタチ』(TBS系)以来、5年ぶりです」(前出・テレビ誌ライター)好転しつつある状況による心境の変化だろうか。警戒心が強かった香取のガードが緩んでいるのではないか、とは前出の芸能関係者。「昨年末、一部スポーツ紙が、A子さんと都内ホテルのバーで堂々デートしていたと報じています」実は本誌も、冒頭の目撃から10日ほど前にも、2人が運転席と助手席に並びドライブしているところを目撃している。長年の香取ファンは、2人の関係をこう後押しする。「ファンのなかには、絶対に結婚してほしくないという意見の人もいるとは思いますが、私は慎吾に幸せになってほしい。ファンを思って、10代から恋人と堂々と過ごすこともできず“アイドル”をやってきてくれたわけですから」もちろん、結婚は双方の合意があってこそ。A子さんのほうが“非婚”の決意を固めているのかもしれない。そもそもこれまでだって、“結婚できない男”と別れる機会はいくらだってあったはずだ。前出の芸能関係者は、香取とA子さんの関係を思うとき、香取と縁が深い“ある大物”夫婦のあり方と重なる、と語る。「萩本欽一さん(79)です。『仮装大賞』(日本テレビ系)で長きにわたり共演してきた香取さんにとっては、恩師といえる存在。萩本さんも香取さんをかわいがり、温かい助言を送ってきました」萩本は今年の夏、長年連れ添った妻を看取っている。「奥さんは3歳年上で、下積み時代に出会った。売れっ子になった萩本さんとの間に子どもができても、『私なんかと結婚したら仕事の邪魔になる』と身を引こうとしたそうです。奥さんは『ずっとファンよ』と言って、萩本さんが活躍するのを最優先に考えてきた。A子さんも“ファン”として、ほかのファンの気持ちを考え、非婚を選択しているのかもしれません。それが彼女の矜持なのでしょう。香取さんも萩本さん夫妻を見習って“芸優先”でA子さんに支えてもらう生活を続けるのではないでしょうか」(前出・芸能関係者)輝き続けてほしい。そう支えるA子さんは香取にとって“一番身近なファン”なのかもしれない。婚姻届という一枚の紙よりも、25年の2人の絆がすべてを物語っている――。「女性自身」2020年11月17日号 掲載
2020年11月02日コメディアンの萩本欽一(79)が10月7日の「文春オンライン」の取材に応じ、がん闘病していた妻・澄子さんが亡くなったと明らかにした。記事によると澄子さんは骨折で入院し、次第に体が弱っていったとのこと。萩本は「スミちゃんは最後までぼくのファンでいてくれた」「優しい三人の子供たちを、しっかりと育てた母親でいてくれた」「スミちゃん、ありがとうね」と語ったという。そんな萩本は、本誌19年7月23日/30日合併号でも、澄子さんとの結婚生活を回想していた。■「人生はつねにアドリブ。決まりきった道はつまらない」と語る萩本の“夢”を、澄子さんは常に応援してくれた。萩本は70~80年代に『欽ちゃんのどこまでやるの!』『欽ドン』『週刊欽曜日』などのテレビ番組がお茶の間で大ウケ。“視聴率100%男”と呼ばれるほど出ずっぱりだった。もともと仕事人間だった彼は、こう話していた。「お母さん(澄子さんの愛称)は『仕事が好きなら、とことんやれ』っていう人だったから、気持ちよく夢を追いかけられたしね」76年、澄子さんと“結婚していた”と発表。さらに7ヵ月になる長男がすでにいるとも会見で明かした。続いて2人の子供に恵まれたが、相変わらず仕事漬けの日々を送っていた。萩本は“家族を顧みない旦那”と言われないよう日曜は必ず休みを取り、子供たちとの時間を増やしていた。そんなとき、澄子さんはこう伝えたという。「あなたが無理して楽しそうにしているのはバレバレだし、そういう付き合いをすると、子どもたちがかわいそうだから、やめたほうがいい。そんなことなら、仕事を思いっきりやれば」その言葉がキッカケで、澄子さんに子育てを一任。いっそう自身の夢を追うことにした。85年には前述3番組のレギュラーを突如降板。映画や舞台の世界で新たな“夢”を探し、05年には64歳にして野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」の監督に就任した。その2年後には「24時間テレビ」のチャリティーマラソンランナーとして、70キロメートルのマラソンにも挑戦。さらに15年4月、駒澤大学仏教学部に社会人入試で入学ーー。萩本はあくなき探求心のもと、夢を追い続けた。「レギュラー番組をやめたときも、『ゴールデンゴールズ』監督になるときも、そして大学受験をしたときも……。『やめときなさい』なんて言われたこともなければ、『がんばって』と直接応援されたこともなかった。とにかく、“口を出さない、邪魔しない”を徹底してくれていたの」萩本は「理想の人生を歩むうえで、これほどピッタリの人はいなかった」という。そのいっぽうで「我慢してきたこともいっぱいあったと思うなぁ」と、こんなエピソードを振り返っていた。「『ぼくが死んだら“欽ちゃん記念碑”を作って、みんなが遊びに来られるような、テーマパーク風のお墓にしたい』と話したことがあったの。今まで○○したい、と話すと『好きなようにすれば』と言われていたけど、そのときだけは、ジーッとぼくの顔を見て『あんた、死んだ後のことまで夢見るのね』と言ってきた。そして、『あんたの最後の夢だけは、私はどかしておいて』って(笑)」しかし萩本は、「ずっとぼくの夢物語を応援してきてくれたお母さんが、最後の夢にはついていかないとハッキリ言った」と感心の様子。そして、こう続けた。「『いままで言いたいことはいっぱいあったのよ。でもそれを言うと、あなたの夢が壊れるから言わなかったの』。そんな意思が伝わってきたよ。実際、お母さんはぼくと2人で入るお墓を買っていたみたいなんだけど、もうそれは手放して、1人で入れるようなところに買い換えちゃったみたい」■誰よりも理解し、その夢を支えてくれた澄子さん。その生涯に、萩本は感謝しきりだろうーー。
2020年10月09日「おとなしく、言葉がうまく話せない子ども時代の裕一(石田星空)が、かわいらしくてね。『そうだよな〜。古関裕而先生は、こんな子どもだったに違いないな』と、思いながら『エール』を見ていました」そうにこやかに語るのは萩本欽一さん(79)。NHK連続テレビ小説『エール』は、6月29日より、第1回から再放送中だ。同作は、古山裕一(窪田正孝)と、音(二階堂ふみ)が織りなす夫婦の物語。そのモデルは、昭和を代表する作曲家の古関裕而さんと、妻で歌手の金子さんだ。欽ちゃんと古関さんは、芸能人や有名人とその家族が歌を競い合う『オールスター家族対抗歌合戦』(’72〜’86年・フジテレビ系)の司会者と審査員として、約12年にわたり共演していた。そのほかの審査員には、歌手で作曲家の近江俊郎さん、女優で映画プロデューサーの水の江瀧子さんといった大御所が参加しており、欽ちゃんとの軽妙なトークが番組を盛り上げた。欽ちゃんは、古関裕而さんとの共演を振り返る。「一般の方も参加する歌番組なので、歌が“ひどい”人もいたの。そんなとき、僕が『古関先生、音程狂ってません?』と振ると、『音程ではなくて、気持ちを伝えるのが音楽ですから。ここ(心)に伝わりましたよ』『歌の下手な人なんていません。家族みんなの幸せな気持ちが伝わってきました』ってニッコリ笑うんですよ。だから、辛口コメントがポロッと出てしまう近江先生に、まずは話を振っていたんだけど(笑)」当時の欽ちゃんといえば、オーディション番組『スター誕生!』(’71〜’83年・日本テレビ系)がスタートし、コメディアン・司会者として飛ぶ鳥を落とす勢いだった。しかし、古関さんら大御所たちと過ごした楽屋での時間は、“直立不動だった”そう。「本番では冗談がいくらでも言えるんだけど、楽屋では緊張してしまって……。楽屋の中でもずっとお話をしているのは近江先生で、古関先生はというと、じぃ〜っとニッコリしながら話を聞いているんです。最後に近江先生から『ねえ古関先生、そうですよね!?』と言われると、『うん』とほほ笑む。これも『う』って声に出して言わないの。首をちょこんと動かすだけ」欽ちゃんが楽屋で感じていた緊張は、番組開始から10年も続いたという。「あるとき近江先生が『欽ちゃん、もう10年たったんだから気を使うのはやめなさい。もう座ったほうがいいよ』とおっしゃって。すると古関先生が、ご自分が座られていたところから、ちょっとお尻を上げて、“とんとん”とたたくんです。『ここに座りなさい』と口に出してそう言われるよりも、むしろ優しい感じがしました。音楽の人は、言葉じゃなく音で感情を伝えるんだ、って」『エール』本編の放送は、いったん“お休み”。娯楽も制限され、気持ちがすさみやすいコロナ禍だからこそ、古関先生の音楽を聴いてほしい、と欽ちゃんは語る。「世の中はいま、“これ嫌、あれ嫌”という気持ちで溢れているでしょう。でも先生の曲を聴くと、きっとそんなことは言わない人だったんだな、と思います。だって、巨人と阪神、慶應と早稲田、どちらの応援歌も作られているんですよ(笑)。それに、どれも素晴らしい曲として残っているところに、先生の人柄があらわれている。その優しさがドラマでもいっぱい描かれると思うので、僕も楽しみなの」「女性自身」2020年7月14日号 掲載
2020年07月02日6月29日より、第1回から再放送中のNHK連続テレビ小説『エール』。裕一のモデルは、実在する伝説の作曲家……その素顔を知るのは、この大御所芸人。再放送のお供に、知られざる古関さんの秘話をどうぞ!「おとなしく、言葉がうまく話せない子ども時代の裕一(石田星空)が、かわいらしくてね。『そうだよな〜。古関裕而先生は、こんな子どもだったに違いないな』と、思いながら『エール』を見ていました」そうにこやかに語るのは萩本欽一さん(79)。朝ドラ『エール』は、古山裕一(窪田正孝)と、音(二階堂ふみ)が織りなす夫婦の物語。そのモデルは、昭和を代表する作曲家の古関裕而さんと、妻で歌手の金子さんだ。欽ちゃんと古関さんは、芸能人や有名人とその家族が歌を競い合う『オールスター家族対抗歌合戦』(’72〜’86年・フジテレビ系)の司会者と審査員として、約12年にわたり共演していた。そのほかの審査員には、歌手で作曲家の近江俊郎さん、女優で映画プロデューサーの水の江瀧子さんといった大御所が参加しており、欽ちゃんとの軽妙なトークが番組を盛り上げた。欽ちゃんと古関さんは、“ご近所”という関係でもあったようだ。「番組が始まって5年目ぐらいのとき、先生をお送りしようと思ってご自宅を聞いたら、うちから10メートルぐらいのご近所だったの!いつもハイヤーが止まっていたのを覚えていますよ。先生は、生涯約5,000曲も作曲されていて、僕とは収入も1ケタ違うと思うんだけれど、豪邸って感じじゃない(笑)。住宅街にとけこむ、昔ながらの木造二階建てで、先生のお人柄がわかるようなつつましやかなおうちなの」金子さんと寄り添いあって、古関さんが散歩に出かける姿もよく見かけたと話す。「奥さんもニコッと笑って、頭を下げてくださってね。なんというか、ご夫婦の優しい雰囲気は、“まんまる”のイメージでしたね。体じゃなく、雰囲気が丸いの。歩いていたというより、お2人で仲よく道をゆっくり転がっていたという感じかなぁ。僕は『デートですか?』『ご旅行ですか?』と、会うたびに冗談で声をかけていました(笑)」決して多くを語ることはなくとも、温かさをもって欽ちゃんにも接した古関さん。そのたたずまいは、人としての“真の偉大さ”を感じたという。「有名人って、みんなサングラスをしているじゃない?僕もいつからかけようかな、とタイミングを計っていたの。でも先生を見るとあの人はサングラスなんかかけることなく、普通に暮らされていた。“偉大さを感じさせないという偉大さ”がありましたね。近江先生は、僕に古関先生がどれだけすごい人なのかをよく話してくださいましたが、古関先生はいつも『そんなことはありませんよ』と指先を指揮棒みたいにちょっと振るんです」まさに仏様みたいな人、と欽ちゃんは古関さんについて語る。「でも、仏陀は言葉があってこそだから、何も語らなかった古関さんのほうが偉大なのかも(笑)」古関さんの仏様のようだった人柄に思いをはせながら、再放送を見返してみるのもよいだろう。「女性自身」2020年7月14日号 掲載
2020年07月02日「ウォレスとグルミット IN CONCERT」が、開催中止に。なお、生誕25周年を迎えるひつじのショーンが友情出演する予定だった。「ウォレスとグルミット」は、アードマン・アニメーションズの手掛ける、発明家のウォレスと忠犬グルミットが登場するクレイ・アニメーション。そして、ひつじのショーンは、1995年に公開された3作目の短編映画『ウォレスとグルミット 危機一髪!』に初登場してから人気を博すキャラクターだ。2007年には、ひつじのショーンを主人公としたスピンオフ作品も放送された。「ウォレスとグルミット IN CONCERT」は、2部構成のシネマ・コンサート。第1部「ミュージカル・マーベルズ」では、日本初演のコンサートに向けて最終調整をする現場が舞台となった「ウォレスとグルミット」の新作ストーリーが上映される。第2部の「ウォレスとグルミット/ペンギンに気をつけろ!」では、ウォレスが、下宿人としてペンギンを受け入れたことから始まるドタバタコメディを、迫力満点の生演奏とともに送る。また、本公演のために特別に作曲された「ショーンと仲間たち〜牧場は今日も平和な1日?!」の演奏も決定。25周年記念ならではの盛りだくさんな内容となっている。【詳細】ウォレスとグルミット IN CONCERT日時・会場:<中止>2020年4月5日(日) 開演:15:00 新宿文化センター大ホール<中止>2020年4月19日(日) 開演:15:30 ザ・シンフォニーホール(大阪)<中止>2020年4月29日(水・祝) 開演:15:00 愛知県芸術劇場コンサートホール指揮:志村健一管弦楽:東京室内管弦楽団ウォレス役:萩本欽一(新録吹き替え)第一部:「ミュージカル・マーベルズ」本邦初公開新作ストーリー 第二部:「ウォレスとグルミット/ペンギンに気をつけろ!」日本語吹き替え版オーケストラ生演奏付き上映チケット:全席指定 6,800円(税込) ※4歳以上入場可(チケット必要) ※発売中SHAUN THE SHEEP AND SHAUN’S IMAGEARE TM AARDMAN ANIMATIONS LTD. 2020
2020年02月15日香取慎吾(42)が8月18日、萩本欽一(78)の番組「欽ちゃんのアドリブで笑」(NHK BSプレミアム)に出演した。Twitterでは番組名がトレンド入りするなど、大きな反響を呼んでいる。11日、Twitterで《欽ちゃんにお呼ばれしまして。今日NHKに久々におじゃましまして。欽ちゃんのアドリブで笑 収録参加させて頂きました!楽しかったよ!!》と報告していた香取。番組では「久々のNHKで、入口で警備員さんに止められました」などと話し、笑いを誘っていた。18日、萩本は番組のTwitterアカウントで《慎吾ちゃん》とツイート。さらに長文のメモをアップし、香取への思いを明かした。メモで《収録のあとからずっと、慎吾のことを考えているの》と切り出した萩本は、《慎吾ってね、いい俳優さんになるんじゃないかなぁ。すごい「大きさ」を感じたねえ》《慎吾ちゃん、随分大人の雰囲気があったな。慎吾“ちゃん”じゃなくなってきてる》とコメント。《これからもっと真面目に俳優さんをやることになって、いい芝居をすると、ひとりでにウケるんじゃないかな》とつづり、《これから、慎吾ちゃんが俳優さんをやっている番組が見たいね》と結んだ。すると香取はTwitterで《いつまでも慎吾ちゃんでいさせてください!欽ちゃんのように!!》と返信。萩本のツイートは1万件近いリツイートや3.3万回もの“いいね”を、さらに香取のリプライも2.2万回の“いいね”を記録するなど2人のやり取りは大きな反響を呼んでいる。本誌では17年10月、香取と萩本の師弟愛について報じた。同年9月に再出発したばかりの香取は当時、2人が司会を務める「欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞」(日本テレビ系)を続投できるのかが危ぶまれていた。そんななか、降板危機を救ったのが萩本だったという。「香取さんの降板が検討され始めたころから萩本さんは、『慎吾が出ないのなら、僕も出ません!』と訴え続けたそうです。さすがにメインMCが辞めては番組が成り立ちませんから、萩本さんの意見が局側の最終決定を後押ししたかたちです」(テレビ局関係者)デビュー当時から香取は萩本を頼りにし、相談に乗ってもらうこともあった。そんな香取を萩本も可愛がり、「いつか2人で仕事がしたいね」と話していたという。そして02年、香取が「仮装大賞」のアシスタントとなり念願が叶った。「彼らは二人三脚で『仮装大賞』を盛り上げてきました。萩本さんは『もっと慎吾を前面に打ち出していこうよ!』と言って、番組名も“欽ちゃん&香取慎吾の~”に変更しました。さらに萩本さんは自分の引退後も見据えていて、『ゆくゆくは慎吾に司会を譲りたい』と周囲に話しています」(前出・テレビ局関係者)2人の師弟関係は、揺るぎないもののようだ。
2019年08月20日「年を取ればとるほど、いい笑いはできなくなる。だから、あと2年ぐらいは笑いをとことんやろうと思って。いま、腹を抱えて笑えるほどのテレビ番組を作るのは難しい。でも、約50年前、コント55号(故・坂上二郎さんとのお笑いコンビ)のときのぼくは、そんな番組が作れていた。いまでも、二郎さんがいたらできると思うんだけど、もういないから、ぼくの“相方”を育てるために、80歳までの2年を使おうと」こう語るのは、コメディアンの萩本欽一(78)。’15年4月、駒澤大学仏教学部に社会人入試で入学。4年間通い、まだ取り残した単位もあったが、今年5月に“自主退学”という形で中退。その決断の理由をそう明かす。人生はつねにアドリブ。決まりきった道はつまらない――。そう語る欽ちゃんの人生は、挑戦の連続だった。’70~’80年代に『欽ちゃんのどこまでやるの!』『欽ドン』『週刊欽曜日』などのテレビ番組がお茶の間で大ウケし、“視聴率100%男”と呼ばれるほど出ずっぱりだった欽ちゃんは、’85年に突如それら3番組のレギュラーを降板。映画や舞台の世界で新たな“夢”を探したりもした。そして’05年には、64歳にして野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」の監督に就任。その2年後には『24時間テレビ』のチャリティーマラソンランナーとして、70キロメートルのマラソンにも挑戦……。新たな夢を見つけては、それを追いかけ、かなえ続ける欽ちゃんの“原動力”は、どこからくるのだろうか。「やっぱり人生って、たいへんなほど面白いじゃない。しかも、テレビの世界では、“フツウ”のことばかりやっていては、視聴者は見てくれないもの。笑いを作る人生を選んだからには、人とは違うことをやりたいし。山登りだって、登るときが楽しくて、下っているときは面白くないでしょ。登りきったら、もう次どの山に登るかを考えないと。幸いお母さんは『仕事が好きなら、とことんやれ』っていう人だったから、気持ちよく夢を追いかけられたしね」“お母さん”とは、3歳年上の妻・澄子さん(81)のこと。欽ちゃんは’76年に、澄子さんと結婚していること、そして7カ月になる長男がすでにいることを記者会見で発表。続いて次男、三男にも恵まれたが、当時の欽ちゃんはとにかく“仕事漬け”の日々だった、と振り返る。「まだ子どもが小さかったとき、ぼくは“家族を顧みない旦那”と言われるのがイヤだったから、どんなに忙しくても日曜だけは休みを取って、毎週子どもと遊びに行ったりしていたの。そしたらお母さんが『あなたが無理して楽しそうにしているのはバレバレだし、そういう付き合いをすると、子どもたちがかわいそうだから、やめたほうがいい。そんなことなら、仕事を思いっきりやれば』って。それ以来、ぼくは子どもをほったらかしにして、お母さんにまかせっきり」かつてはその多忙さから、欽ちゃんは家に帰れないこともしばしばあった。だが、子どもたちも所帯を持つようになり、夫婦ともに年齢を重ねてきたいま、“2人の会話”も増えてきたという。「半年ぐらい前に、家で珍しく2人きりだったことがあって。それでお母さんに、『欽ちゃんのどこが好きで一緒になったの?』と聞いてみた。そしたら『好き?』って、すごくイヤそうな顔で言われて(苦笑)。ただ、彼女はしばらく考えて『“好き”ではないわね。ただ、ずっと“ファン”だった』って。そのときに、彼女のこれまでのスタンスが全部わかったような気がした。お母さんは、ぼくの一番のファンとして、“たくさんいるファンの人たちを邪魔したらいけない”という人生を送ってきたんだな、と。ぼくがどんどん仕事をして、みんなに喜ばれて、それを見て何も言わずにそっとしておくことが、ぼくにとってベストだと思っていたんじゃないかな」「理想の人生を歩むうえで、これほどピッタリの人はいなかった」。欽ちゃんは、澄子さんについてそう話す。しかし、「我慢してきたこともいっぱいあったと思うなぁ」と、かみしめるように振り返る。「『ぼくが死んだら“欽ちゃん記念碑”を作って、みんなが遊びに来られるような、テーマパーク風のお墓にしたい』と話したことがあったの。今まで○○したい、と話すと『好きなようにすれば』と言われていたけど、そのときだけは、ジーッとぼくの顔を見て『あんた、死んだ後のことまで夢見るのね』と言ってきた。そして、『あんたの最後の夢だけは、私はどかしておいて』って(笑)。ずっとぼくの夢物語を応援してきてくれたお母さんが、最後の夢にはついていかないとハッキリ言った。『いままで言いたいことはいっぱいあったのよ。でもそれを言うと、あなたの夢が壊れるから言わなかったの』。そんな意思が伝わってきたよ。じっさい、お母さんはぼくと2人で入るお墓を買っていたみたいなんだけど、もうそれは手放して、1人で入れるようなところに買い換えちゃったみたい」澄子さんがあきれるほど、死ぬまで夢を追いかけることを体現してきた欽ちゃん。最後に“人生100年時代”を生きる同世代へこう語りかける。「ぼくがとやかく言わなくても、夢に向かって挑戦しているお年寄りはたくさんいると思う。でも、“もう夢を追いかけなくてもいいんじゃないの”という人は、無理して何かに挑戦しようと思わなくていいんだよ。ぼくが思う、いちばん幸せな年の取り方は、“明日会える人がいる”ってこと。大学はまさにそういう場所だったね。だから、家にずっといるんじゃなくて、買い物ぐらい行ってみたらいいんじゃない。そこで、店員さんに『元気?』って声をかけてみて、会話をする。それができるだけで、十分幸せなことですよ」でも、お母さんと出会えたぼくは、つくづく幸せ者だなぁ――。欽ちゃんは取材の最後まで、そうつぶやいていた。
2019年07月19日“視聴率100%男”と言われるほどテレビに出たかと思えば、野球チームを作ってみたり、大学受験をしてみたり。挑戦を続ける欽ちゃんが、今だからこそ語れる“人生の伴侶”の素顔とは――。「はじめは“ボケ防止”になるかな、くらいの気持ちで通い始めたのよ。でもいま思えば、生徒の中で、ぼくがいちばん大学生活を楽しんでいたでしょうね。とにかく授業が面白くて、一日も休まなかった。60歳近く年下の女のコに『欽ちゃん、友達になろうよ』と話しかけられたときは、どう返したらいいかわからずあたふたしちゃったりもして(笑)」そう語るのは、コメディアンの萩本欽一(78)。’15年4月、駒澤大学仏教学部に社会人入試で入学。4年間通い、まだ取り残した単位もあったが、今年5月に“自主退学”という形で中退。その決断の理由をこう明かす。「年を取ればとるほど、いい笑いはできなくなる。だから、あと2年ぐらいは笑いをとことんやろうと思って。いま、腹を抱えて笑えるほどのテレビ番組を作るのは難しい。でも、約50年前、コント55号(故・坂上二郎さんとのお笑いコンビ)のときのぼくは、そんな番組が作れていた。いまでも、二郎さんがいたらできると思うんだけど、もういないから、ぼくの“相方”を育てるために、80歳までの2年を使おうと」人生はつねにアドリブ。決まりきった道はつまらない――。そう語る欽ちゃんの人生は、挑戦の連続だった。’70~’80年代に『欽ちゃんのどこまでやるの!』『欽ドン』『週刊欽曜日』などのテレビ番組がお茶の間で大ウケし、“視聴率100%男”と呼ばれるほど出ずっぱりだった欽ちゃんは、’85年に突如それら3番組のレギュラーを降板。映画や舞台の世界で新たな“夢”を探したりもした。そして’05年には、64歳にして野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」の監督に就任。その2年後には『24時間テレビ』のチャリティーマラソンランナーとして、70キロメートルのマラソンにも挑戦……。新たな夢を見つけては、それを追いかけ、かなえ続ける欽ちゃんの“原動力”は、どこからくるのだろうか。「やっぱり人生って、たいへんなほど面白いじゃない。しかも、テレビの世界では、“フツウ”のことばかりやっていては、視聴者は見てくれないもの。笑いを作る人生を選んだからには、人とは違うことをやりたいし。山登りだって、登るときが楽しくて、下っているときは面白くないでしょ。登りきったら、もう次どの山に登るかを考えないと。幸いお母さんは『仕事が好きなら、とことんやれ』っていう人だったから、気持ちよく夢を追いかけられたしね」“お母さん”とは、3歳年上の妻・澄子さん(81)のこと。欽ちゃんは’76年に、澄子さんと結婚していること、そして7カ月になる長男がすでにいることを記者会見で発表。続いて次男、三男にも恵まれたが、当時の欽ちゃんはとにかく“仕事漬け”の日々だった、と振り返る。「まだ子どもが小さかったとき、ぼくは“家族を顧みない旦那”と言われるのがイヤだったから、どんなに忙しくても日曜だけは休みを取って、毎週子どもと遊びに行ったりしていたの。そしたらお母さんが『あなたが無理して楽しそうにしているのはバレバレだし、そういう付き合いをすると、子どもたちがかわいそうだから、やめたほうがいい。そんなことなら、仕事を思いっきりやれば』って」それ以来、欽ちゃんは子どもをほったらかしにして、澄子さんにまかせっきりだった。「お母さんはよく子どもたちと計画して夏休みに旅行に行っていたんだけど、たまたま休みが重なったときに『ぼくも行く』と言うと、『つまんないから来るな!』と言われた(苦笑)。旅先にぼくが来ると、有名人一家として見えを張るから、彼女たちで立てていた計画が台無しになるみたい。でも、子どもたちはそんなお母さんの愛情をずっと受けていたから、いまでは彼らが病気がちな彼女の面倒をしっかり見てくれていますよ。ぼくはいつも子どもたちに、『欽ちゃんが死んだら、3兄弟への遺産の配分は、お母さんをどれだけ大事にしたかで変わってくるからね』と言っています(笑)」「付き合っているときも、結婚してからもデートをしたことはないし、結婚指輪も渡していない」と、澄子さんとの思い出を笑いながら語る欽ちゃん。澄子さんもまた、欽ちゃんに多くのことを求めず、語らない人だったという。「レギュラー番組をやめたときも、『ゴールデンゴールズ』監督になるときも、そして大学受験をしたときも……。『やめときなさい』なんて言われたこともなければ、『がんばって』と直接応援されたこともなかった。とにかく、“口を出さない、邪魔しない”を徹底してくれていたの。僕の舞台を内緒で見に来て、楽屋に顔を出してくれたこともあったんだけど、『マネージャーさんに呼び止められたから、そのまま帰るのも失礼だから来ただけで、なんの用事もないわよ』ってすぐ帰っていったよ(笑)。いわゆる、奥さんらしい言葉は一つも聞いたことがなかったね」「でも――」と欽ちゃんは続ける。「去年、彼女が入院したとき、お見舞いに小田原のさつま揚げを持って行ったのね。そしたら『ありがとう』と言ってくれた。そんな言葉、この結婚生活で初めてだったから、『今日来て、すげぇよかった』って。あまりにもうれしかったもんで、またお見舞いに行ったら、今度は『本当にありがとう』と言ってもらえた(笑)」
2019年07月18日「はじめは“ボケ防止”になるかな、くらいの気持ちで通い始めたのよ。でもいま思えば、生徒の中で、ぼくがいちばん大学生活を楽しんでいたでしょうね。とにかく授業が面白くて、一日も休まなかった。60歳近く年下の女のコに『欽ちゃん、友達になろうよ』と話しかけられたときは、どう返したらいいかわからずあたふたしちゃったりもして(笑)」そう語るのは、コメディアンの萩本欽一(78)。’15年4月、駒澤大学仏教学部に社会人入試で入学。4年間通い、まだ取り残した単位もあったが、今年5月に“自主退学”という形で中退。その決断の理由を明かしてくれた。「年を取ればとるほど、いい笑いはできなくなる。だから、あと2年ぐらいは笑いをとことんやろうと思って。いま、腹を抱えて笑えるほどのテレビ番組を作るのは難しい。でも、約50年前、コント55号(故・坂上二郎さんとのお笑いコンビ)のときのぼくは、そんな番組が作れていた。いまでも、二郎さんがいたらできると思うんだけど、もういないから、ぼくの“相方”を育てるために、80歳までの2年を使おうと」もちろん、大学に通っていた当時も、笑いの仕事はきた。「ただ、仏教の授業で“まっとうな人間”になることを学んでいる最中に、“笑いを作れ”と言われても、なかなか頭が切り替えられず、アイデアも湧いてこない。それで、いちど大学はお休みしよう、となったの。これじゃあ、自分がこれまで愛してきた業界に失礼だな、と思って。でも、大学は“趣味”としてほんとうに楽しかったから、『80歳まで笑いの世界に戻るから、大学の進退は80歳になってから考えさせてくれ』と大学の事務職の方に相談したら、『休学費を払うか、退学するかいま決めてください』と言われてやむをえず……。次はまた、ほかの大学でも受けようかしら。2年後に行くかどうかはわからないけれど、日本には大学がたくさんあるし、どこに行こうか考える楽しみが増えちゃったよ」人生はつねにアドリブ。決まりきった道はつまらない――。そう語る欽ちゃんの人生は、挑戦の連続だった。’70~’80年代に『欽ちゃんのどこまでやるの!』『欽ドン』『週刊欽曜日』などのテレビ番組がお茶の間で大ウケし、“視聴率100%男”と呼ばれるほど出ずっぱりだった欽ちゃんは、’85年に突如それら3番組のレギュラーを降板。映画や舞台の世界で新たな“夢”を探したりもした。そして’05年には、64歳にして野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」の監督に就任。その2年後には『24時間テレビ』のチャリティーマラソンランナーとして、70キロメートルのマラソンにも挑戦……。新たな夢を見つけては、それを追いかけ、かなえ続ける欽ちゃんの“原動力”は、どこからくるのだろうか。「やっぱり人生って、たいへんなほど面白いじゃない。しかも、テレビの世界では、“フツウ”のことばかりやっていては、視聴者は見てくれないもの。笑いを作る人生を選んだからには、人とは違うことをやりたいし。山登りだって、登るときが楽しくて、下っているときは面白くないでしょ。登りきったら、もう次どの山に登るかを考えないと」
2019年07月17日堀江貴文(46)が3月10日、AbemaTVの企画で挑んだ東京大学受験に失敗したことを発表した。『堀江メソッド』と名付けた勉強法を実行して一次試験の足切りは免れたが、二次試験の結果が振るわなかった。番組では、堀江と一緒に若手タレントが半年間の勉強で東大を目指した。明治大学卒のグラビアタレント・わちみなみ(24)は合格したら「東大の赤門の前でグラビア撮影がしたい」と語っていたが、センター試験のボーダーラインに届かず二次試験を断念。わちは「もう一度受けたい」と再挑戦の意思を見せている。近年、有名人がこうした大学受験に挑戦するケースは多い。ロンドンブーツ1号2号の田村淳(45)も2018年、AbemaTVの企画で青山学院大学を受験している。大学受験の理由について、田村は「中学校から全く勉強してこなかったため、知識や学力にコンプレックスを持っている。44歳になる今、勉強したいという意欲が湧いてきた」と語っていた。またオードリーの春日俊彰(40)は、2017年にテレビ番組の企画で東大を受験。あえなく不合格となったが、のちに「このままじゃ終われない」と負けん気を見せ、自費で予備校教師を雇い受験勉強を続けているという。2015年に73歳で駒澤大学に入学した萩本欽一(77)の目標は「ボケ防止」だ。「勉強には目的があったほうが楽しい」と、大学合格を目標にしていた。もちろんその背景には、挑戦が話題作りになるという考えもあるのだろう。だが前述の通り、先にあげた全員が受験勉強を楽しんでいるようなコメントをしているのだ。こうした風潮は、一般人の中にも増え始めているという。「ネットでも趣味でセンター試験に挑戦した人の声が上がっていますが、私の知り合いも社会人になってから高校時代の友だちと受けていました。すると昔はあれだけ嫌だった試験が、楽しいらしいんです。『もし落ちたら…』というプレッシャーがないこともあるのでしょうが、それ以上に義務ではなくイベントとしてとらえられることが楽しさにつながっているようです」(30代男性)有名人のこうした挑戦は、学ぶことの本当の楽しさを教えてくれているのかもしれない。
2019年03月11日3月3日(日)より大阪上本町の新歌舞伎座で幕を開ける新歌舞伎座開場60周年記念特別企画「前川清 神野美伽 スペシャルゲスト松居直美」。文字通り、ふたりのビッグスターによる夢の共演だ。2018年8月に古希を迎えた前川清。歌手生活も50年という節目の年での二枚看板による座長公演。開幕を前に、意気込みを聞いた。「前川清 神野美伽」チケット情報第一部は司馬遼太郎・原作の短編を舞台化した『大坂侍~恋も忠義も金次第~』を上演する。江戸末期、一家そろって大坂への左遷という憂き目に遭った川同心(下級役人)の鳥居又七(前川清)。武芸の達人だが、その強さは酒に酔ったときのみ発揮される。ある日、材木商の娘・お勢(神野美伽)がゴロツキに絡まれているところに出くわした又七。ふたりはたちまち恋に落ちるのだが…。今は『大坂侍』のことばかり考えていると前川。「台本には難しい言葉もあって、僕が読んでもわからない(笑)。ということは、見ているお客様もわからないと思うんです。お客様には笑いの部分も期待してくださる方もいるので、いかに崩してやるか。まじめな芝居なので笑いどころを増やしたい」と話す。かつては萩本欽一やドリフターズのステージにも出演した。ファンが笑いを期待するのも至極当然だ。第二部は『前川清・神野美伽オンステージ~夢舞台 昭和、平成…そして未来~』をおくる。1969年に内山田洋とクール・ファイブのボーカルとして『長崎は今日も雨だった』でデビューし、その年の日本レコード大賞新人賞を受賞。『NHK紅白歌合戦』にも出場した。1987年にはソロ活動を開始し、歌手生活50年においてヒット曲は枚挙にいとまがない。それでも「自分には歌しかないと思ったのはこの5、6年前から」で、還暦を過ぎてもなお「違う仕事があれば職を変えようと思っていた」と明かした。「ヒット曲があっても歌には自信がありません。そもそも、食うための仕事として選んだのが、どういうわけか歌だったので…」と赤裸々に語るが、70歳になっての心境を尋ねると「歌が売れる売れないに関わらず、好きなことをさせてもらっている。今が一番楽しい」と顔をほころばせる。そして、「70だからこそ歌えて、かっこいいと思われる歌ができたら」と意欲を見せる。夢はサザンオールスターズの桑田佳祐にかっこいいと思われる歌を歌うこと。「桑田佳祐さんはクール・ファイブがお好きだそうですが、あの頃の『そして、神戸』をかっこいいと思われたのだと思います。僕は今の桑田佳祐さんの歌がかっこいいと思う。僕も、今、桑田佳祐さんにかっこいいと思える歌を歌えたら」。平成最後の新歌舞伎座で、芝居に歌に奮闘する。公演は3月24日(日)まで。チケット発売中。取材・文:岩本和子
2019年02月27日アイドルグループのKis-My-Ft2がパーソナリティを務めたニッポン放送生特番『第44回 ラジオ・チャリティ・ミュージックソン』(2018年12月24日正午~翌25日正午)。募金受け付けが1月31日に終了し、3カ月間に寄せられた募金総額が8,815万8,161円となったことが発表された。同特番は75年にスタートし、目の不自由な方が安心して街を歩けるように『音の出る信号機』を設置する基金を募るチャリティ・キャンペーンだ。全日本交通安全協会や日本点字図書館などを通じ『音の出る信号機』の設置や、本を音声朗読した『声の図書』、『立体コピー機』など、多数の視覚障害者用機器などに使われる。今回のテーマは「ありがとうは魔法のコトバ」であり、Kis-My-Ft2のメンバーが目の不自由な方々をとりまく現状への理解を深めるために事前取材を行い、放送内でレポートした。また、当日の放送では萩本欽一、榊原郁恵、ゆず、サンドウィッチマン、オードリーなど多くのゲストがスタジオを訪れたほか、元SMAP・中居正広がサプライズで出演した。
2019年02月05日聖夜にSMAPファン騒然の出来事が起こった――。事の発端は『第44回ラジオ・チャリティ・ミュージックソン』(ニッポン放送系)。これは、毎年12月24日正午から25日正午までの24時間放送している特別番組。目の不自由な人が社会参加しやすくなるための募金や理解を呼びかけるチャリティ企画だ。今年はKis-My-Ft2がメインパーソナリティを務め、ゲストには萩本欽一(77)やゆずなど豪華な顔ぶれが登場。番組に華を添えていた。事件が起きたのは、番組も中盤に差し掛かった22時台。リスナーとの生電話企画で、語尾に「ウィ」と特徴的な言葉をつける変わった男性が登場。意味不明な言動を繰り広げ、しまいには電話を切ってしまった男性に唖然とするキスマイメンバーたち。実は、この男性は中居正広(46)がなりすましたもの。電話が切れたところでスタジオにサプライズゲストとして登場し、メンバーを驚かせる企画だったのだ。トークも弾んだところで、中居が曲紹介をすることに。するとなんと「私から一曲いきたいと思います。SMAPで『雪が降ってきた』!」とSMAPの曲を紹介したのだ。これを聞いたファンは大喜び!《中居くんの口からSMAPの言葉が聞けるなんて…最高のクリスマスプレゼントです》《中居くん本当にありがとう!!》とネット上ではSMAPファン阿鼻叫喚の声で溢れていた。それほどファンが歓喜するのには、理由があったという。「16年末に解散して以来、自身のラジオでも一切SMAPの曲を中居さんはかけてきませんでした。また中居さんが登場した月曜の22時台と言えば、『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)が放送されていた時間。解散後初めて、しかもSMAPを象徴する時間帯に曲を紹介したことにファンはいっそう喜んでいるようです。さらに、『雪が降ってきた』はかつて脱退した森且行さん(44)が在籍していた時期の曲。それも、彼の強いSMAP愛の現れかもしれません」(ラジオ局関係者)ファンにとって忘れられないクリスマスイブになったことだろう――。
2018年12月25日アイドルグループのKis-My-Ft2がパーソナリティを務める、ニッポン放送特番『第44回 ラジオ・チャリティ・ミュージックソン』(12月24日正午~25日まで24時間生放送)。メンバーは、目の不自由な方々をとりまく現状への理解を深めるために事前取材を行い、放送内でレポートした。同特番は75年にスタートし、目の不自由な方が安心して街を歩けるように「音の出る信号機」を設置する基金を募るチャリティ・キャンペーンだ。「君と僕のありがとう物語~キスマイグッドセブン~」と題して、番組冒頭では、千賀健永が筑波大学附属視覚特別支援学校の音楽の授業に飛び入りし児童たちと交流した模様をレポートした。そして千賀は生放送の中で彼らの歌のピアノ伴奏を行うとのこと。さらに横尾渉は、視覚障がいとバリアフリー、ユニバーサル・デザイン研究の第一人者である慶応大学の中野泰志教授を取材し「視覚障がい体験」を。藤ヶ谷太輔は筑波大学視覚特別支援学校の児童に聴いた学校生活の現状を、宮田俊哉は高田馬場にある日本最大の点字図書館を取材し、視覚障がい者にとっての読書の楽しみ方を伝えた。後半では、玉森裕太、二階堂高嗣、北山宏光のレポートが行われる予定となっている。番組では萩本欽一やゆずがゲスト出演。ゆずはスタジオで「いつか」の生歌を披露した。24日の深夜にはKis-My-Ft2のクリスマススペシャルライブなどが行われる予定だ。
2018年12月24日アイドルグループのKis-My-Ft2がパーソナリティを務める、ニッポン放送特番『第44回 ラジオ・チャリティ・ミュージックソン』の生放送がスタートした。同特番は、12月24日正午から翌25日まで24時間生放送される。同特番は75年にスタートし、目の不自由な方が安心して街を歩けるように『音の出る信号機』を設置する基金を募るチャリティ・キャンペーンだ。今回のテーマは「ありがとうは魔法のコトバ」と題して、目の不自由な方たちを取り巻く現状への理解を深めるべく、Kis-My-Ft2のメンバーが個別に積極的な事前取材をするなど、時間をかけて準備をしてきた。本番直前には7人全員でこれから始まる24時間生放送への意気込みを新たにした。そして、番組開始とともに、Kis-My-Ft2のメンバーが心に思う「ありがとう」のメッセージを1人ずつ伝えた。取材の模様は24時間生放送の中で「君と僕のありがとう物語~キスマイグッドセブン~」と題して、本人達のレポートにより紹介される。また、ゲストとして24日には萩本欽一、ゆず、わたなべちひろ、サンドウィッチマン、オードリーが、25日には増田太郎、榊原郁恵が出演する。さらに24日深夜には、Kis-My-Ft2のクリスマススペシャルライブも予定している。
2018年12月24日「萩本さんは、若い学生たちとみんなでご飯を食べに行ったりして、キャンパスライフを目一杯、楽しんでいますよ」(同級生の男子学生) 14年に駒澤大学仏教学部へ入り今春から4年生になった萩本欽一(76)も、あと1年足らずで卒業を迎えることになる。そうなれば欽ちゃんも晴れて「学士様」。だが最近、大学卒業後について萩本にさらなる“夢”が膨らんでいるという。 「じつは、大学4年間では満足できず、さらに大学院へ進みたい希望があるそうなんです」(萩本の知人) 欽ちゃんが、大学院へ!?4年間みっちり学んでも物足りなさを感じるほど、仏教にハマってしまったのだろうか。 「仏教学部で学んでいる萩本さんですが、大学に通いはじめた当初は講義を理解するのにかなり苦しんでいたようです。なぜかといえば大学の先生の教え方が硬すぎるというか、ユーモアに欠けていて興味を持ちにくかったから。それで欽ちゃんは自分だったらもっとユーモアを取り入れて、わかりやすく仏教を教えられるんじゃないかと思ったみたいです。なのでいつか自分でも大学の教壇に立って、仏教学を教えてみたいそうなんですよ。そのため、さらに大学院に進んで仏教を深く勉強したいそうなんです。将来は“客員教授”などの形で教壇に立つことを目標にしているんです」(前出の知人) なんと萩本は、ひそかに“大学教授”を目指しているというのだ。現在、萩本は77歳。順調に大学院に入り修士課程2年を終了すれば、80歳になる。傘寿にして“教授の夢”をかなえる欽ちゃんを、ぜひ見てみたい!
2018年05月12日萩本欽一と香取慎吾が司会を務め、出場者たちが様々な趣向を凝らした“仮装”パフォーマンスを披露する「欽ちゃん&香取慎吾の第95回全日本仮装大賞」が、又吉直樹、二階堂ふみ、ブルゾンちえみら豪華ゲストを審査員に迎え2月3日(土)本日放送される。本番組は1979年に第1回が放送され、2002年に香取さんが司会に参加。一般の視聴者による“仮装”を芸能人・有名人が審査員として評価するスタイルが人気を博し、今回まで計94回が放送されてきた国民的超人気番組。審査員は徳光和夫、梅沢富美男、久本雅美、陣内智則、又吉さん、二階堂さん、横山だいすけ、ブルゾンさん、川床弥生、日本テレビアナウンサーの滝菜月の10名。今回も全国屈指の仮装作品35組が厳しすぎる審査員軍団に挑むことに。梅沢さん、陣内さん、又吉さん、二階堂ふさんらが激辛判定を下すなかで“しゃべくり天才少年&スターウォーズ少年”が大活躍をみせるほか、ブルゾンさんとともに様々な番組に出演してきた「with B」も参戦、仮装大賞史上初の0点の真相もお見逃しなく。また今回も視聴者投票企画を実施、これは視聴者もリアルタイムで視聴者賞の決定に参加できるというもので、参加した視聴者の中から抽選で5名に「欽ちゃん&香取慎吾のサイン入り番組グッズ」がプレゼントされるとのこと。今回審査員として出演する二階堂さんだが、主演を務める映画『リバーズ・エッジ』が2月16日(金)より全国東宝系にて公開される。二階堂さんのほか吉沢亮、上杉柊平、SUMIRE、土居志央梨、森川葵らをキャストに迎え、岡崎京子の代表作を映画化する本作。ハルナ(二階堂さん)は、カレシの観音崎(上杉さん)がイジメをしている山田(吉沢さん)を助けたことをきっかけに、夜の河原へ誘われ、腐りかけた死体を目にする。さらに、宝物として死体の存在を共有しているという摂食障害のモデル・こずえ(SUMIREさん)が現れ、3人は友情とは違う歪んだ絆で親しくなっていく。その一方で、父親のわからない子どもを妊娠するハルナの友人・ルミ(土居さん)と、同姓愛者であること隠した山田に好意を寄せるクラスメイト・カンナ(森川さん)はそれぞれ過激な愛情を膨らませていく…という物語。「欽ちゃん&香取慎吾の第95回全日本仮装大賞」は2月3日(土)19時~日本テレビ系で放送。(笠緒)
2018年02月03日“欽どこ”の母親役で一時代を築いた女優・真屋順子さん(享年75)。昨年12月28日の急逝に先立つ3カ月ほど前、病床の真屋さんに“感動の対面”があった。 明かすのは、真屋さんの最期を看取った長男・高津健一郎さん(55)。夫婦を演じた萩本欽一(76)が昨秋、見舞いに訪れていたのだという。 「9月に、見栄晴さんとお見舞いにきてくださったんです。1時間以上もいてくださったと思います。最初お互いに照れていたのですが、萩本さんが“欽どこ”時代のエピソードをたくさん母に話してくださって。『上品な番組になったのは、お母さんのおかげ』と繰り返し感謝の言葉をくださいました」 絶妙なやりとりで一世を風靡した“夫婦の再会”に、真屋さんも感慨ひとしおだったことだろう。 そして年が明けて訃報が流れると、健一郎さんのもとに真屋さんを偲ぶ声が多く寄せられたという。 「本当に愛されていたんだなと思いました。『勇気をいただいた』とか『真屋さんに励まされた』と周りの方に言っていただいてうれしかったですね」 真屋さん、安らかに――。
2018年01月18日